Re: まっしろな闇 のっそりと引っ越し開始 ( No.20 ) |
- 日時: 2010/11/13 16:31
- 名前: 海
- Page 20 : 走
クロは数分間カウンターテーブルの前で考えていた。手を組み顔を歪ませたままにただ案を練っている。 だが、何もせずにただここに居るわけにもいかない。本当はバハロである程度休憩を兼ねて持ち物を整えたいというのが本音だったが、そう悠長に構えていられない。今までの彼の旅とは違い、これからはラーナーという一般人がいるのだ。一刻も早くバハロから出ていく必要がある。 「すいません、さっきの取り消してください」 「え?」 老人は少し驚いて聞き返す。 「さっきのって」 「調べといてくださいってやつです。もう今すぐバハロを出ていくことにします」 「んん、また急だねえ」 「ありがとうございました。失礼します」 椅子から降りるとクロは老人に軽く礼をする。はいはい、と少し適当な返事を背中に、クロは乱暴に床を歩く。洋酒の並ぶ棚の間を抜けていく。 老人は目を細めてクロの姿を見届ける。その背中は小さい。まだ大きくなっていく途上だと思いたい。彼のような子供がこのような場所に来る理由が解決する日は、来るのだろうか。グラスを拭いていたその手を止める老人。 クロはドアに手をかける。鈴の音が鳴った。可愛らしい音が店内を叩く。 外の暑い空気が、冷たくひんやりとした部屋の中へと入ってくる。クロは一度振り返り、少しだけ頭を下げた。老人はそれに合わせて微笑みを浮かべた。 ドアをそっと閉めるクロ。蒸されているような重い空気だ。照りつける太陽が暑い。全ての影の色は真っ黒に近く濃い。 クロは目を細める。耳を傾けて、ドアに触れていた手をゆっくりと離す。踏み出す足が影の中から日光の照る道路へと出る。 風は止んでいる。人の話声も何もしない。店の正面の家の白く色あせたポストから手紙が一つ、落ちた。溢れているのだ。
その瞬間、クロは目を見開いた。体勢を低くしその場を思いっきり蹴り離れる。素早く振り向いたその時、クロが先程いた場所に小さなナイフが三本、音を立てて刺さる。明らかに上から、人の手がかかって降ってきたもの。人間の身に刺されば死ぬ可能性は十分。 クロは弾かれるように上を見上げた。その瞬間に太陽の光がクロの瞳を突き刺す。思わずくらんでしまう。 考えるよりも先に彼の手は動いた。帽子の上にかけていたゴーグルのゴムを伸ばし、目の前に持ってくる。少し陰った視界になる。太陽の光は邪魔してこない。洋酒店は三階に伸びているが、その屋上。そこにクロは目を止める。人を視界に入れた。 ゴーグルを帽子の上に戻す。太陽の下にいる遠くのその人と、ぶつかる様に目が合う。 黒い服のフードが髪を隠しているが、長い故に分かる。綺麗な金髪が光っている。瞳もまた金色、先程の少年だった。 彼はクロを見下ろしている。手元に何を持っているかはクロからは見えない。クロは歯を食いしばった。 クロは踵を返し元来た路地裏へと跳び込む。金髪の少年はその姿を目で追い、すぐに足を動かす。隣の家の平らな屋根に向かって跳び、クロの逃げていった暗く細い道を覗き込む。もう目には映らない。 金髪の少年は眉をひそめた。が、その後また走り始める。建物と建物の屋上を渡っていく。目には見えなくとも、まだ彼にはクロの居場所が分かっているように迷いがない。 「やっぱり」 呟いた声は見た目通り、やはりまだ幼い。
クロはただひたすらに走る。今さっき走ってきたルートとは少し変えている。が、湿った雰囲気はどこも変わらない。 戦うにしてもここは狭い上に住宅街だ。ポニータもいない。閃火は、今なるべく使いたくない。彼の頭の中で考えが揺れていた。 とにかく今は金髪の少年から少しでも離れてラーナーと合流するために、バハロの外で待つラーナーとポニータの元へと向かう。 最悪もうすでにどちらも逃げている可能性もあるが、それはそれで大丈夫だろう。ポニータがいる分、そこそこ遠くまで逃げる事ができる。 自分は一人でも、なんとかなる。心の中で呟いた声は心地よく身体中に浸透する。だがそれも一瞬の事、すぐに振り払った。 途中で足を転がっていた空き缶に少しとられ、体勢を崩す。スピードが落ちる。が、すぐにまた走る。足は動く。何度か曲がりつつ後ろは振り返らない。追ってきていることは確認せずとも彼は分かっていた。 路地裏から出た。光の中へと彼の身体が包まれる。 初めの場所だ。ここで見知らぬおばあさんに出会い挨拶され、金髪の少年を見つけた。 足を止めることはなくまっすぐにバハロの外へと向かう。走った所から細かい砂が散っている。
バハロと書かれた簡素な看板。それを通り過ぎる。右方向に目をやると、ポニータが目に入り次にラーナーに目をやる。 「クロ! 遅いよー」 不満げに声をあげるラーナーにクロは苛立ちを感じずにいられなかった。が、そんなことにいちいち構っている暇など寸分もない。 「早くポニータに乗れ!」 怒った表情で叫ぶクロ。ラーナーは目を丸くした。 「へっ?」 「早く逃げるぞ、早く!」 ポニータはラーナーの頭を軽く突く。ラーナーは動揺を隠せずにいたが、渋々ポニータの首に手をかける。 が、まだポニータに乗り慣れていないためにうまく乗ることができない。 クロはそれを見て我慢できず、手早くラーナーの傍に寄り両手を組んでラーナーの前で膝を立てる。 「ここ足場にして、早く乗れ!」 「え、でもっ」 「いいから!」 クロの必死な形相に押されたラーナーは戸惑いながらも手をポニータにかけたまま、恐る恐る左足をクロの腕に乗せる。服に隠された腕は力強かった。十分足場になる。 そこに体重を思いっきりかけて、右足をポニータの背中の向こうにほおり上げる。クロは少し顔を歪めたが、腕は微塵と動かさまいと力を入れる。 ラーナーの左足がクロの腕から離れる。ラーナーは鞄を背中に回した。盛る炎の上にいるのに熱くないのは未だに慣れない。 その後クロは手早くリュックサックを軽く回しファスナーを開けて、中の一番上にあった簡易な手綱を乱暴に出す。 手綱の先はポニータの口を入れるようになっていて、そこをポニータに促すとポニータは自ら口をそこに入れた。手綱はラーナーに渡す。 「これを持って、振り落とされないように気をつけろよ。ポニータ、行くぞ!」 ポニータは声をあげた。先にクロは走りだす。スタートダッシュで力強く地面を蹴り、バハロの街を横目に木々の中へと潜っていく。先程ラーナーが出逢った女の子の出てきた方向だ。 続いてポニータの足が上がる。途端にラーナーの上半身が激しく反り、彼女は慌てて手綱を強く持つ。 少しでも油断すればすぐに落ちてしまいそうだった。ポニータの足がリズム良く地を走っている。そのリズムはあっという間に加速していった。 ポニータはクロの隣に並ぶ。そこで少し速度は落ちたもののまだ速い。 木々の中を潜り抜けていく。蝉の声が彼等の耳の中を激しく暴れまわる。今どこへ向かって走っているのか、ラーナーには皆目見当がつかなかった。必死に枝を避けながら前を見ようとするラーナー。風のせいで眼が激しく乾燥していくのが分かる。木漏れ日が揺れる中でラーナーは少し前にいるクロを細めでちらりと見た。口を開こうとしたが風圧でうまく話す事ができない。 クロは真っ直ぐに前を見つめている。眉間にしわが刻まれている。 彼の速さをラーナーは信じることができなかった。いくらなんでも速い。且つ、それだけ走っていて疲れがあまり見えない。
しばらくその状態は均衡していた。速さに慣れてきたラーナーはようやく心に余裕を持ち始めていた。 木々の中を抜ける。太陽がぱっと広がった。木が点在する中、川の傍にやってきていた。少し流れの速い川で、水の音が周りを包んでいる。川沿いに進みながら少しずつスピードを落とすクロ。途中でさっと振り向いた。眼には金髪の少年の姿は無い。 遂にクロはその足を止める。ポニータは止まり切れずその前まで走り、しかしすぐに旋回しゆっくりとクロの隣へとやってくる。 止まった途端にクロは苦しげに呼吸を荒くしていた。汗が止まることなく流れている。この暑さに加えてそこそこ長い距離を走れば、仕方ない。一方のラーナーは落とされないように神経を集中していたが、自らが走っていたわけではないため汗はない。 速い心臓の鼓動が頭に響くのをクロは感じ、顔を歪ませる。膝に手をつき、顔だけは今まで走ってきた方角に向いていた。 ラーナーは右足を上げて両足を揃える。その時、ポニータがゆっくりと膝を折る。ラーナーの足が地に着いた。すぐにまた足を伸ばすポニータに、ありがとうとラーナーは感謝の言葉を述べる。 少しずつ整っていくクロの呼吸。肩の上下も収まりつつあった。その様子を見て、一度固く結んだ唇をラーナーは開く。 「クロ、どうしたの、突然」 ラーナーの問いかけには答えようとしないクロは、袖で顔の汗を拭う。 ポニータはそっとクロの隣に寄る。それに気付いたクロはポニータを見やると、視線を合わせた。 びくん、とポニータは身体を大きく震わせた。軽く頷いたクロは、腰を伸ばしてずっと遠くの方を見る。
「黒の団だ」 その瞬間ラーナーは身体を凍らせる。背中が冷えていくのを彼女は感じた。 沈黙を数秒置いた後に、え、と掠れた呟きを漏らした。見開いた大きな瞳を動揺しつつもクロに向けている。 「バハロに、昨日からだ。何でかはわかんないけど」 「追われて逃げた、っていうこと?」 恐る恐る尋ねるラーナー。声は震えている。 「そうだ。大分離れたけど……相手が相手だ。早く行こう」 クロはようやくラーナーの方を見る。流されるようにラーナーは慌てて頷いた。 河原のすぐ隣の草原の上、クロはバハロに背を向ける。それに続いてラーナーも止まらない震えを抱えたまま、俯きに振り返る。 大きな風が吹いた。それはラーナーの髪を激しく揺らす。クロは乱暴に歩んでいた足を不意に止める。 ポニータは声をあげる。少し近くの方で、砂利を鳴らす音が空気を震わせる。 後方の川の向こう側にゆっくりと目を向けるクロ。帽子の下から少し漏れた髪が、風によって更に彼の顔を覆い尽くそうとしている。 川の音が沈黙と緊張の中を流れている。
金髪の少年が、クロの視線の先で立っていた。
ラーナーは始めてその姿を目にした。彼の着用している黒い上着には見覚えがあった。 頭の中に雪崩れ込むつい数日前の夜の記憶。頭を力強く、ハンマーのように叩いてくる。身体は硬直し、顔は青ざめている。 しかし金髪の少年はそんなラーナーには目も暮れていないようで、ただ睨むようにクロのことを見つめていた。 それを真っ向から受け止めるクロは、唇を噛む。 金髪の少年は、一度口を開いたがまた閉じる。一歩その足を踏み出し、その瞬間にラーナーは少し後ずさる。 クロはラーナーを守る様に少し彼女の前に身体を寄せる。ポニータは少し腰を低くしている。今にも少年に跳びかかっていきそうな様子であった。 ラーナーにはクロの背中がいつもより一段と大きく見えた。 金髪の少年はそっと、唇を開けた。
「白さん……ですよね?」 怖々と、しかし芯の通ったその言葉にクロは顔を歪ませる。金髪の少年はその様子を見て、少し表情を明るくさせた。 獣に似た金色の瞳が爛々と光ったのが分かる。
「やっぱりっ」 幼い男の子の声がそこにあった。それは、まとっている黒の上着から連想される人間の姿とはまるで裏腹である。
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Re: まっしろな闇 のっそりと引っ越し開始 ( No.21 ) |
- 日時: 2010/11/13 16:44
- 名前: 海
- Page 21 : 頑な
クロは右手をそっと腰にかざす。その指先には火閃の入っている袋がある。 金髪の少年は足元を蹴り軽く跳ぶと、川の真ん中の少し大きな石に足を乗せる。軽やかな動きであった。表情もつい先程までの硬いものではない。柔らかな笑顔が見られ、ラーナーは息を呑んだ。震えは既に止まっている。 その中で尚も警戒を弱めないクロ。足を少し動かしてラーナーに身を寄せる。一瞬ポニータに目をやり、ポニータはそれに頷く。 「白さん、僕です! 覚えてますか?」 明るい声が響く。クロは火閃を手に持つ。鈍い重みが彼の手にかかった。 「こんなところで会えるなんて……ウォルタでのあれもやっぱり」 金髪の少年は足を動かす。石の上を跳ね、あっという間にクロ達の目の前へとやってくる。
「閃火!」 クロは金髪の少年が跳んだや否やその言葉を発し、持っていた閃火を突き出した。刃が筒から素早く出てきて、炎がそこから噴き出る。ラーナーはその武器の突然の出現に驚き、顔をひきつらせた。 刃先が少年の方へと向かい、少したじろぐ金髪の少年。炎が風に揺れて、赤々としている。クロは少年を睨み続けている。 金髪の少年はさすがに表情を引き締めた。自分に向けられている刃とクロとを見比べるように視線を動かす。 「勘違いするな」 クロは低い声で言い放つ。 「俺は……笹波白じゃない」 温い風が通り抜ける。金髪の少年の瞳が丸くなる。 川の音だけが辺りに流れ込んでくる。いや、遠くに耳を傾ければ蝉の声もある。走ってきた林の中からだ。 緊張の時間が彼等の間に訪れているその中で、金髪の少年は軽く息を吐きそっと唇を開いた。
「嘘をつくのはやめてください」 クロは眉をひそめる。金色の瞳が少し憐れみを込めてまっすぐにクロを見ている。思わずクロは目を逸らしてしまいそうになった。 「その武器は……火閃は、白さんしか扱えないもののはずですよ」 「そう勝手にお前が思ってるだけだろ」 「嘘だ!」 金髪の少年は一蹴するように大きな声をあげた。それにたじろぐラーナーだったが、クロは微動だにしない。 歯を噛みしめてじっとクロを観察する金髪の少年。クロは嫌悪感を表情に出し、ポニータに一瞥する。それに気付いたポニータは軽く頷いた。 ポニータの足が少しだけ動く。ポニータはラーナーの肩を鼻で叩き、それにラーナーは気付いて急いで振り返る。 大きな黒い眼がラーナーを見て、次に自分の背中の方に必死に眼球を動かす。その姿にラーナーはよく分からず首を傾げた。 クロはその様子を見て口をきつく締める。そして息を少し深く吐くと、強い眼光を金髪の少年に向けた。その視線の強さに金髪の少年は思わず身体を震わせた。 瞬間、クロの身体が動く。火閃を軽く後ろにそらせて金髪の少年の懐に体勢を低く飛びこんだ。火閃が振られる。が、金髪の少年はすぐにその場を後ろに跳び川の向こうに移動する。刃から出た炎が大きく円を描いた。金髪の少年はある程度の川からも距離を取って、手を地面につけしゃがみ込んだ。間髪入れずにクロは勢いよく後ろを振り向いた。 「ポニータに乗って逃げろ!」 クロは声を張り上げた。ラーナーは一瞬の事に硬直していたが、その言葉にはっとする。 ラーナーはポニータを振り向くとポニータは深く頷き、素早く足を畳んだ。少し迷っているのかラーナーはクロを見やった。クロはその視線に気付き大きく頷き再び金髪の少年と対峙する。 両手を強く握るラーナー。早く乗るよう促すようにポニータは一声鳴く。仕方がなかった。遂にラーナーはその片足をポニータの身体の向こうに投げると、腰を柔らかな背中に乗せ紐を持つ。すぐにポニータは立ち上がる。 今まで来た道に向かって走った。その様子を金髪の少年は見ていたがまるで追いかける様子は無い。クロは目を細め、その場を跳んで更に相手へと近づいた。
どんどん遠くなっていく地面を走る音。数メートル先にいる金髪の少年を見るクロは火閃を振った。それに警戒する金髪の少年。 地面に刃で円を描く。それに気付いた金髪の少年は目を見開き、少し足をあげる。 「炎渦鳳来!」 叫んだ途端に金髪の少年の周りに炎がちらつく。しかしその直前に金髪の少年はその場を離れる。空中に炎の柱が上がった。 クロは舌を打ったが攻撃の手は緩めない。炎の柱が金髪の少年の逃げる先々にいくつも上がる。その攻撃に段々と足のスピードをあげていく金髪の少年。 炎は金髪の少年に掠りもしない。何も無い場所から噴火が起こったようなその攻撃は、十発程度やったところで一度止まった。 少しスピードを緩めた金髪の少年だが、振り返った瞬間にクロがすぐ傍まで間合いを詰めた。火閃を振る。素早く金髪の少年は腰にあった大きいナイフを出した。刃がぶつかった。鋭い金属音。炎が二人の間で燃え盛る。 お互い譲ることなく刃を交わらせて、しばらく硬直していたが金髪の少年は途中で後方に跳ぶ。 大きく息を吐いた金髪の少年は、ナイフを握っていた右手を軽く叩く。衝撃で筋肉が硬直して痺れたような感覚が腕にかかっていた。 額を流れる汗。炎による攻撃は金髪の少年の体力と気力を奪う。攻撃は当たらなくとも熱は嫌でも受ける。 その様子にクロは再び足を蹴ろうとした。
瞬間、クロの身体中に衝撃が走った。 痺れと痛みが、一瞬だけ。 一瞬で十分だった。それにクロは目を見開いた。火閃の炎は勝手に消えて刃は円筒の中へと吸いこまれる。 その様子に驚いた金髪の少年は息を止めた。だが何よりこの状況に驚いているのはクロ自身の方だった。膝を地面につけ額を右手で抑える。 「白さん!?」 叫ぶ金髪の少年はナイフを腰にある革の入れ物にしまい、駆け寄る。 その言葉に弾かれるように顔を上げたクロは金髪の少年を睨みつけた。が、それにたじろぐことなく金髪の少年はクロの元に辿りついた。 「白さんじゃなかったら誰なんですか! こんな……白さんそのものですよ!」 「黙れ!」 あらん限りに叫んだクロ。左手で腰の袋から素早く出したのは、小さなナイフだ。それを大きく振る。 金髪の少年は驚き少し顔を動かす。直後、顔に痛みが走るのを感じた。右の頬から赤い血が滴り落ちる。 大きく息を荒げるクロは金髪の少年が殆ど逃げなかったことに驚きを感じているようだ。目を見開いて、ただまっすぐに少年を見る。 金髪の少年は手で血を拭うと、首を軽く振った。まるで力が無くなった様に静かに、落ち着いて。 「出来損ないの僕を見てくれた白さんは、じゃあどこに行ったんですか……」 悲しそうに零れた声にクロは息を止めた。少し目を逸らす。 少し間を置いて口を開くクロ。微風が流れていった。 「笹波白は死んだんだよ」 平坦に言い放ったその言葉は、クロ自身はもう使い古した言葉だった。 それに身体を固まらせた金髪の少年。突如として何か重いものが金髪の少年に圧し掛かったような、そんな不思議な感覚があった。 ゆっくりと立ち上がるクロ。立ちながら金髪の少年から数歩離れる。もう呼吸は落ち着いていて痛みも何もない。
「僕は」 呟いた声が金髪の少年から漏れた。少し顔は俯いている。
「信じない」 その小さくも芯の通った声にクロは目を細めた。 そっと顔を上げてクロを少し見上げる金髪の少年。拳は強く握られている。 「僕には、あなたが白さんに見えて仕方がないんですよ」 頑なにそう言う少年は、少し口元を笑ってみせた。優しい表情は相変わらずその服装に合わないのだ。それを見るたびクロは動揺してしまう。 どうしてこいつは笑っているんだろう。クロは頭の中で問う。さっきクロは金髪の少年に攻撃を仕掛けたのだ。 思い出してみれば、金髪の少年は常に逃げるか防御の姿勢であった。最初バハロで会ったその時以来、攻撃はまるでしようとしなかった。 クロは深い溜息をつく。 「お前、黒の団だろ」 その言葉に少し戸惑いながらも、金髪の少年は頷いてはいと答えた。 「何が目的でそんなに笹波白にこだわる」 少し気だるそうに言うクロ。金髪の少年はそっと笑う。 「自分でもよくわかっていませんから」 その言葉にまた一つ小さな溜息をつくクロ。なんだか振り回されている気がしてならなかった。 痛みは消えてもだるさは残る身体。クロは様々な考えを頭の中で駆け廻らせる。このおかしな場をどうやって切り抜けるか。 少し灰色の雲が空に広がってきていた。 「ただ、白さんがいなかったら今の僕はいないので」 相変わらずクロを見たままの少年。やはりクロを笹波白と断定しているのだろう。クロは火閃に力を入れる。 距離はさほど離れていない。踏み込めば切れる距離だ。クロは視線を金髪の少年に刺し、それに少年は気付いていた。 「僕、あれから随分速くなったと思うので、避けれますよ」 少し自慢げな部分も入ったその言葉に目を細めるクロ。自信があるようで、金色の目も輝いていた。 「随分自信があるんだな」 皮肉を入れて言い放つクロに鼻を鳴らす少年。と同時に少し表情を曇らせる。 「僕にはこれしかないんですよ」 自分を卑下するように吐きだした。その口元は薄らと笑っている。 クロはじっとその姿を見つめた後に火閃に精神を傾ける。その途端また頭痛が走った。小さなものだが、脳内を叩いて響きわたる。明らかに自分の身体が異常であることをクロは悟る他無かった。だが、いつまでこの状態が均衡しているかどうか分からない。 バハロの洋酒屋の老人の言葉を思い出した。少なくともバハロにはまだ三人黒の団がいる。その三人がどんな人間かは分からないが、クロの目の前にいる少年のような生温い人間ではない。 時が経てば経つほど危険性は高まってくる。高鳴るクロの心臓の音。
火閃は使えない。 これ以上使えばどうなるか、クロ自身はあたりがついていた。
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Re: まっしろな闇 のっそりと引っ越し開始 ( No.22 ) |
- 日時: 2010/11/14 11:55
- 名前: 海
- Page 22 : 激動
林が始まるあたりでポニータは木の陰に隠れてクロと金髪の少年の様子を見つめていた。 その背中の上で不思議そうに同じく覗きこむラーナー。逃げろと言われたがポニータが足を止めてしまったのだ。 どうしてなのか理由はラーナーには分からなかった。そして今クロが何をしているのかもよく分からない。 遠くからでも耳に入ってきた金属音の後、しばらく戦いが止まったように見える。 ポニータは目を細めて必死に遠くに焦点を合わせる。 「ポニータ」 遂に出てきた言葉にポニータは後ろを振り返る。少し不安そうなラーナーの表情。 彼女の紐を握る力が強くなる。視線をクロに向ける。しかしうまくラーナーの目には映らない。距離が遠すぎるのだ。 風が流れてくる。瞼を少し閉じるラーナー。火閃の炎が消えているのが分かった。クロの傍に金髪の少年がいる。会話をしているだろうか、しかし何も聞こえてはこない。 服装を見ると、まるで正反対だ。白い上着を羽織ったクロと黒い上着を羽織った金髪の少年。あの黒い上着はラーナーにとってトラウマともいえる。あれを見るだけで、記憶が甦ってくる。 けれど混乱している彼女がいた。あの時自分に刃を向けた不気味な笑みを浮かべた男と、幼く憎めない笑顔をした少年。同じ黒の団だ、それはラーナーも分かっている。しかしラーナーは本当に悪い人なのだろうかと疑うのだ。
笹波白。沸々と彼女の頭に浮かんできたワード。 前も聞いたことがある。あの時、ウォルタでの出来事の時にも男はクロを見てそう言った。そしてクロは言った、笹波白は死んだと。クロと笹波白がよく似ているのだろうか、とラーナーは当たりをつける。けれど分からない。訳が分からないうちに事が走っていく。 彼女を置いてきぼりにして全てが走り去っているようだった。そのことにラーナーは確かに不安を感じている。
*
クロは一つ大きな息を吐き、足に力を入れてみる。確かに感じる地面の固さを確認して、その場を後ろに離れる。 顔を上げて目を丸くする金髪の少年。そして少し淋しげな顔をして、それにクロは眉をひそめた。同時に胸の奥が揺れる。 火閃は一度袋の中に戻し、ナイフを右手に持ち替える。細い呼吸をして精神を集中させる。耳鳴りがひどいがそれも遠くなっていく。 いつでも跳び出せる、隙を与えてはいけない、そう心に言い聞かせる。クロの肩は軽く上下していた。
「白さん、僕は」 「笹波白じゃないって何度言ったら分かるんだ。ものわかりが悪い奴だな」 金髪の少年は唇を少し噛む。 「あいつは死んだよ。とっくの昔に」 「あなたは白さんが死んだところを見たというんですか」 その言葉にクロは息を止める。少し動揺したが落ち着かせようと深呼吸をして、もう一度まっすぐ少年の瞳を見る。 金髪の少年は深緑の瞳を改めて見て表情を歪ませる。吸いこまれそうなくらいにまっすぐな視線、緑の奥に潜んだ歪んだ色。 ずっと追ってきた人じゃなければ誰だというのか。金髪の少年の心臓は大きく鼓動を打っている。 「そうとも、言えるかもな」 呟いたような声は少し笑っているようにも聞こえる。 金髪の少年は言葉を探したが絶句したまま、握っていた拳の力を少し緩めた。生温かい風が横に流れていく。 「僕は、僕は……白さんとずっと会いたかったんです。ようやく願いが叶ったと思ったんです。あなたを見て絶対白さんだって思ったんです。今でも信じられない。白さんが死ぬなんて、あの人が死ぬなんて、そんなこと信じられない」 「人は死ぬものだ」 静かに滑らせた言葉。クロの心は落ち着いている。言葉で金髪の少年の心をかき乱す。 金髪の少年は動揺しているのがそのまま表情に表れている。正直クロにとってはやりやすかった。金髪の少年は本当にらしくない黒の団の団員だった。 「曲がりなりにも笹波白も人間だったんだよ」 そう言い切った時、金髪の少年は身を震わせた。浅い眠りから突如目がはっきりと覚めたような衝撃が少年を叩く。 その瞬間の隙をクロは逃さなかった。顔を引き締めて一気に接近しようと足に力を入れた。 が、それは叶わなかった。踏み切る直前、冷たい気配を遠くに感じた。まだ遠いが確実にこちらに向かっている。高いところだ、空を飛んでいる。 その気配に金髪の少年も気付いた。そして同時にそれが何なのか理解した。動揺が走る。 雲が西の方角からどんどん空を覆い尽くしていく。ゆっくりと時間をかけて辺りが少しずつ薄らと暗くなっていた。風が僅かに強くなっている。 クロの脳裏に危険信号が閃いた。早くこの場を離れなければ。そう思ったのと足が動いたのはほぼ同時。金髪の少年ははっとした。急接近してきたクロに対応しようとしたが、間に合わない。近づいてくる気配に気を取られすぎたのだ。クロのナイフが振られる。せめて急所だけは避けようと金髪の少年は咄嗟に身体を後ろに反らせる。
その瞬間にクロの体内で燃え上がるような痛みが彼を一蹴した。次瞬、頭のてっぺんから足の先までそれは駆ける。 金髪の少年は目を見開いた。 一気に頭が熱くなっていくのをクロは感じた。雪崩れるように込み上げてくるものを抑えきれずに口から吐き出した。せめてもと手で口を抑えたが、そこからも噴き出る。 草が薄らと生えた地面に落ちたのは異様に鮮やかな赤い液体。金髪の少年の身体は固まった。 クロは掌を離す。温かな血がべっとりとついて、そこからまたたれる。口の周りについた赤を拭くところまで彼は頭が回らない。 遠くなっていく意識。熱くて痛い。痛い、熱い痛い。頭が割れんばかりにただ痛い。ナイフが彼の足元に落ちた。少しでも痛みを抑えようと左手で額を押さえるが意味は無い。 途端にふつ、と何かがクロの中で切れた。
足の感覚が無くなる。 その場に崩れ落ちる。
金髪の少年は絶句して動けずにいた。痺れて動かない。先程確かに様子が一変したが、今度は訳が違った。かろうじてか細い呼吸をしている。震えていた。顔中が赤くなっていて高熱であることが分かる。 白さん、とせめて呼ぼうとした金髪の少年だが、後ろから聞こえてきた走ってくる音に振り向いた。 ポニータとラーナーだ。その姿に金髪の少年は驚く。確かに林の中に消えていった筈なのに戻ってきた。 ポニータは険しい形相だった。ラーナーは突然走りだしたポニータに戸惑いを隠せなかったが、クロの姿をはっきりと捉えると息を止めた。震えが起こった。クロの傍にやってきた。ラーナーはすぐに下りた。少し高さがあったおかげで足に痺れが走ったが堪える。 目の前の状況を呑みこめなかった。少し手を差し伸べて途中で止める。激しい血の匂い。頭の中がぐるりと回り、気分を悪くさせる。思わず咳き込んでしまう。その間にセルドの姿がラーナーの頭に甦った。右手をクロの額につける。 熱い。凄まじい熱であった。驚きに思わずすぐに手を引いてしまう。そしてその掌にはクロから噴き出している汗が付着する。 ラーナーの少し冷たい手に反応するように薄らと瞼を開くクロ。ポニータが顔を覗きこませ声をあげる。それに応える余裕などクロには無い。 「クロ、どうしたの。こんな、すごい熱だよ!」 しかしクロの口から声は出てこなかった。息だけが震えている。 「あなたがやったの?」 疑いの目を金髪の少年に向けるラーナー。その途端に金髪の少年は慌てて首を振った。 「違いますっでもさっきもこれに近いことがあって」 「さっきも? そんな突然にこんなことって……ポニータは分かっててずっとクロを見てたの?」 その言葉にポニータは頷いて応える。 「そんな……どうしよう、病院、病院? バハロに病院ってあるの?」 明らかに動揺しながらラーナーは呟く。 クロは力無い手を動かしてポニータの足を指先で叩く。それに気付いたポニータはクロを見る。クロとポニータの視線が絡み合う。 軽くクロは頷いた。ポニータは空を仰ぎ遠くに耳を傾ける。遠くにある気配。 金髪の少年は立ちすくんでその様子を見下ろしていた。手が震えているのが分かった。近づいてくるのは彼の知った人。だからこそどうしたらいいか分からなくなる。 ポニータは足を畳むとラーナーに視線だけを向けてクロを鼻でさす。 その仕草に首を傾けたラーナーだったが、突然に浮かんできた。クロを乗せる、と伝えたいのかもしれないと。 ラーナーは腕をクロの身体の下に入れると力を入れて少し持ち上げる。が、やはり同じくらいの年の男の子を運ぶのは苦難だった。 金髪の少年は唇を噛み、その後ラーナーの隣にしゃがみ込むと一緒にクロを持ち上げる。それに驚くラーナーだったが、懸命にポニータの背中へと持っていく。 クロの血がラーナーの素肌に少しついたが、仕方がない。ラーナーは金髪の少年を見る。彼は少しはにかんでみせた。
「あなたは本当に黒の団の人なの?」 思わずラーナーから零れ落ちてきた言葉に、金髪の少年は力なく笑った。 「そうですね。でも僕は、白さんは僕の恩人ですから」 目を丸くするラーナー。空はいつの間にか厚い雲が大部分を占めている。 「この人は白さんと密接につながっている。本当は僕はこの人が白さんじゃないかって思ってますけどね。ただ、どうであれこの人には生きていてほしいんです」 ラーナーはその言葉に息を止めた。強い風が髪を揺らす。改めて見ると綺麗な金色の髪だった。 最初はその服装のおかげで恐怖しか感じなかった相手だが、もうラーナーにはその気持ちは微塵も残っていない。寧ろ淡い信頼すら寄せている。 「行ってください。多分ポニータならどこに行くべきか、分かると思いますから」 ラーナーの心を押す金髪の少年。それに数秒経ってから深く頷くラーナー。そしてポニータに乗ろうと身体を構える。 その時、金髪の少年ははっと思い出したように顔を上げる。 「あと、白さんが起きたら伝えてくれますか?」 白さんとはきっとクロのことだろうとラーナーは解釈して一つ頷いた。 「ありがとうございます。……ブレット・クラークが今“疾風”です、と」 その言葉の意味が理解することはできなかったが、ラーナーは少年の発言を心の中で繰り返す。
ポニータは空に視線をやった。金髪の少年もはっとして上を見上げる。合わせてラーナーも顔をあげる。 雲の下、ピジョットがこちらに向かっていた。その背中には人が乗っている。黒い衣装は黒の団の印だった。 茶色の少し長めの髪の少年。クロやラーナーと同じくらいか、少し年上くらいの風貌である。 ピジョットは軌道を少し変えると急降下してくる。ラーナー達の方へ向かっている。ラーナーは身体が震えあがった。ポニータが鳴いた。 「はやく行ってください!」 あらん限りに叫ぶ金色の少年の声。ポニータがラーナーの身体をつつくと、ラーナーは急いでポニータに乗る。 二人分の体重を乗せたポニータだが少し力を入れて立ち上がる。走ることは難なくできそうだった。 ラーナーはクロの後ろに乗ってクロの体勢を少し直してちゃんと座らせる。クロの意識はもう飛んでいた。細い呼吸だけをしている状態である。ポニータは走り出した。方向はバハロとは反対側の方。林を背に走る。ピジョットの空気を切る音。明らかにポニータ達を狙っていた。 金髪の少年は歯を食いしばる。ピジョットの動きをよく見て足に力を入れ、その場を跳ぶ。ピジョットは大分地上近くまで下降していた。 右腕を振る金髪の少年。ピジョットは目を丸くする。それは背中に乗っている人間も同じ。 空中でピジョットを捉えた金髪の少年は眼にも止まらぬスピードでピジョットの首の付近を腕で殴る。それで体勢を崩すピジョット。そこで金髪の少年は止まらずに更に身体をねじり、蹴りを入れた。 突然の味方の攻撃に防御を取れなかったピジョットは地面に叩きつけられる。乗っていた少年は咄嗟に離れて軽やかに地面に足を下ろした。 驚きと憎々しさが混ざりあった表情で、金髪の少年を見つめたのはウォルタで金髪の少年と共にいたバジルだった。 「疾風、何のつもりだ」 金髪の少年は地面に降り立つ。ピジョットはよろよろと身体を起こした。 「お前、自分が何をしたのか分かっているのか」 「分かっています」 即答する金髪の少年の言葉は冷めている。 遠くに消えていくポニータの駆ける音。気配が遠くなっていくのを金髪の少年は確認する。 「奴は笹波白と、この前取り逃がしたラーナー・クレアライトだ。この目で確認した。それを逃がすとは、どういうつもりだ?」 低い声は怒りがありありと出ていた。金髪の少年は小さな溜息を吐いて、力強い眼でバジルを睨む。 「僕はずっと会いたかったんです。白さんに」 少し間をあける金髪の少年。 「白さんに僕は生きていてほしいと思ったんです」 「ふざけるのも大概にしろ」 「ふざけてはいません。僕は本気ですから」 金髪の少年は片足を出して体勢を低くする。怒りで高い声をあげたピジョットをバジルは見やると、腰にあったモンスターボールを出してその中に戻した。 かき消えた鳴き声。途端に静かになる周辺には、川の音だけが響く。遠くに意識を投げる金髪の少年。まだポニータは近い場所だ。 バジルはボールを元の位置に戻すと、また金髪の少年と向かい合った。 「俺はお前の努力を知っていた。だからこそ、様々なことにお前を起用した。出来損ないでも」 「その事に関してはとても感謝しています」 「だからこそ、今回のことは許せない。許される筈がない」 バジルは手首の骨を軽く鳴らす。金髪の少年は一瞬流れ込んできた恐怖を振り払おうと頭を振る。
「お前はこの場で俺が始末する。ブレット・クラーク」 その言葉に金髪の少年――ブレットは唇を噛んだ。
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Re: まっしろな闇 のっそりと引っ越し開始 ( No.23 ) |
- 日時: 2010/11/14 12:09
- 名前: 海
- Page 23 : 討ち合い
ブレットは細い息を歯の間に通して吐きだした。こうすると自然と頭が引き締まっていく。 研ぎ澄まされていく神経。本当に集中すれば今流れている川の音も風の音も、そして揺れる草原の音も全て吸いこまれるように聞こえなくなる。無音の世界に自分を溶け込ませることができる。 けれど今はそこまで集中させるような余裕は彼に無い。ブレット自身の精神的にもそうだし、きっと相手も与えてはくれないだろう。 バジルはブレットのように明らかに臨戦体勢に入っているように見えない。が、ピリピリとした空気はバジルから発せられていた。ただ立っているだけなのに隙が見えない。二人の間の距離は五メートルほど。 強くなりだしてきた風、今にも雨を落としそうな雲。重くなってきた空気の中、ブレットは口の中が乾燥しているのが分かった。 その時、沈黙を弾き飛ばしたのはバジルだ。 先手必勝か、一気に間合いを詰めると足を回す。ブレットは警戒していたおかげで上に跳んでそれを避ける。大きなジャンプだ。高いが、加えて距離もとった。 それを眼で追うバジル。ブレットは空中で一回転して着地する。バジルとブレットの位置が変わった。地面に着いたその瞬間、ブレットは走りだす。方向はバジルとは正反対の林へと。それに驚いたようにバジルは目を丸くする。 「疾風、逃げるつもりか!」 挑発の意を含めてそう叫んだバジルだったがブレットは足を止めない。その様子を見るとバジルは舌打ちをしてその後を追う。 ブレットは軽く後方を向いて、相手が追ってきているのを確認した。何とか自分が思った通りに事は進んでいる。 少しでもがクロが安全になれるように時間稼ぎをする、それがブレットの狙いだ。それに隠れ場所が無い広い草原よりも、木々が茂る林の中の方がブレットは得意だった。 林の中に跳び込む。それと同時に地面を強く蹴り空中に跳び上がるブレット。一つの太い枝に手をかけると一気にその枝に足を乗せた。 休む暇は無い。軽い足取りでどんどん木から木へとジャンプして移動していく。 すぐ後にバジルも林の中に入り上を見上げた。木の葉がざわめいている。大きく枝が揺れていてそれがほぼ直線状に同じように続いていた。ブレットの通った形跡だと確信する。 バジルはブレットが向かう方向へと足を走らせる。木々の間を抜けながら追った。しかし段々と離れていく二人の間の距離。流石の速さにバジルは脱帽せざるを得ない。 と、その途中でバジルは急ブレーキをかける。急に空気が静まり、バジルは辺りを見回す。五感を研ぎ澄ませるが、求めるものは無い。ブレットの気配が突如として消えた。走っているような音もしない。一歩ずつ静かに歩を進めながら様子をうかがう。 「気配を消したか……まだ近くにいるはずだ」 ぼそりと呟く。真上に目をやると背の高い木々の間から厚い雲が顔をのぞかせる。 バジルは下に視線を向け、そっと目を閉じて地面に右手をつける。細い呼吸をして、集中する。風が彼の髪を揺らした。
その様子をブレットは少し遠目ながら観察していた。人が手をつけない故に上へとひたすら伸び続ける木に身を寄せて。 全神経を集中させて無の静寂を創り出す。息は細々としていて決して音は立たせない。身動き一つしない。瞬きさえもなるべくしないようにと心がける。 金髪である故に普段目立つが、高さに加えて青々しい木の葉がブレットの身を隠している。 ブレットは唇を噛んだ。こうして何もしていなければ動かない。あっちが何をしてくるか分からない。――そう、分からないのだ。 幾度となくブレットはバジルに任務を任されて信頼を得てきたものの、ブレットはバジルについて何も知らなかった。 彼が持っている潜在の力、それがどれほどでどんなものなのか、ブレットは知らない。あれほど近くにいたのに。けれど、少なくとも自身より上なのは確かだ。黒の団においては一部を除き戦闘の実力順に優劣がつけられる。ブレットはバジルよりもずっと下の層。バジルの地位は少し特殊なものでもあるが。 どうであれ迂闊に戦えば危険だ。バジルはブレットの立場とは逆にブレットの事をよく知っている。 今バジルのしている行動もブレットにとっては何をしているのかさっぱりだ。どんな意味があってやっているのか全く当てが無い。が、意味のない行動である筈がない。 クロに出逢った時のようにナイフを投げるか、いや、そうすればきっと避けられる。そしてこちらの居場所が突き止められる。 思わずブレットは溜息を吐きたくなってしまう。それでも結局自分には足しかないのだ。どんなに考えようとやれることは随分と限られている。自分の力のことなど自分が一番よく知っている。この戦いだって勝ち目が無いだろうという諦めは薄々とついていた。 それでも、ブレットは自分がやるべきことを貫く他無い。戻ることができないのなら進むしか無いのだ。 バジルが今ブレットの位置を把握していないのは分かっている。枝を蹴り一気に跳び下りる。引力も助けてスピードは更に乗るだろう。 一気に決める。
強風に煽られる木の葉のいくつもの音。すっと息を吸い込むブレット。 相変わらずの姿勢のままで、バジルは閉じていた瞼をゆっくりと開いた。乾いた唇を無意識に舌で舐める。 右手を地面から離れさせる。 それを見届けたブレットは足が小刻みに震えているのを感じた。頭の中が一瞬ふらついて、が、すぐにそれを押さえようと確かな意識を保つ。 獣に似た瞳が光る。枝に両手を当てて、顔を俯かせた。今にも跳び出してしまいそうであった。見開かれた眼の瞳孔が少し縦に伸びる。 両手の指先の力が強くなり、爪が変形する。一気に五センチほど伸びて先が鋭く尖り更に硬化する。ぴりぴりとした痺れのような痛みが一瞬で全身に行き渡る。 「グ……」 思わず若干零れ落ちた声。低い声だった。震えながらゆっくりとバジルを見下ろす。視線の先、一直線上に彼はいる。 ブレットは一気に息を吸い込んだ、その直後、枝を思いっきり蹴った。電光石火の如く恐るべきスピードだ。 バジルはそれに気がついて弾かれるように上を見た。が、上を見上げたと同時にブレットはバジルのすぐ傍にいた。息をつかせる暇もない。瞬間移動でやってきたかのようだった。身体をひるがえすバジル。ブレットは逃さまいと言わんばかりに目で追う。バジルの動きは手に取る様にブレットには分かった。ブレットの方が速いのだ。手を振り上げた、そしてすぐにそれを一気に下ろす。尖った爪が立ち、バジルの身体、左肩から下へと引き裂く。叫び声をあげるブレット。その声は今までとはまるで別人のようだった。 バジルは鋭い痛みに顔を歪ませる。が、歯を食いしばって後退すると、着用していた黒い上着を剥がすように脱ぐと、それをブレットに向かって投げつける。一瞬視界が黒くなったブレットだが、咄嗟に避けた。バジルは右手で肩を押さえながらも眼だけはブレットを追う。灰色の無地の長袖のVネック、一番ダメージが大きかった左肩からは赤い血が吹き出ていた。 右の袖からブレスレットが覗く。黒いものだ。バジルは右手に力を込める。 ブレットは再びバジルに近付こうと足を動かした――が。
「!?」 ブレットは眼を見開く。前に倒れ込む。足は動かない、いや動けないのだ。必死に動こうと身体をねじるブレット。その様子を見たバジルが思わず口元を上げる。 掴むようにブレットの足元に巻きついているものがあるのだ。それは、近くの木から伸びた太い根であった。 荒かった呼吸が少しずつ落ち着いてくるブレット。飛んでいた自制が戻ってきて、急速に心が冷えていく。爪も瞳も元のように戻る。 倒れ込んだままブレットは動けない。根が巻きついているせいでうまく起き上がることさえできない。体内を流れる血を止める勢いで根は更に引き締めを強くする。 ブレットはそれにするどい痛みを感じ、抜けようと必死に足掻いた。 「一瞬でも本物の獣になり下がるとは、堕ちたものだな。疾風」 その声に顔をあげるブレット。うつ伏せで倒れているブレットを見下すバジルは、嘲笑するように身体を震わせる。 「所詮お前は出来損ないだ。足さえ封じてしまえばこちらのもの」 ブレットは地面が僅かに揺れているのを感じた。が、それを察知したのも束の間、地下から手元に木の根が顔を出し、一気にブレットの両手の手首に巻きつく。 強く締めつけられ、痛みが襲う。手首と足首を封じられたブレットは、身動きを完全に取れなくなった。 ぽつり、と一筋の水が真上から落ちてくる。ゆっくりと雨は降り始めて、少しずつその量は多くなっていく。二人の身体が急速に冷えていった。 バジルの服の左肩の部分は彼の血で染まっていた。 「死に急いだな」 ブレットは雨の音が耳に痛く感じられた。夏故に暑い筈なのに、だんだんと寒くなってくる。 量の多い金髪が濡れてしなり、顔に張り付く。頭についている包帯も濡れる。熱くなっていた頭の中がふらふらとしている。 バジルは一歩ブレットに近付いて、じっと見つめる。 「これが、あなたの力ですか」 ブレットは震えた声で問う。バジルは少し間を置いてから軽く頷く。 「そうだな」 「初めて見ました」 「初めて見せたからな。少しはその身で分かっただろう」 「そう、ですね」 ブレットは足に違和感を感じた。痛みが激しかったが急にそれが消えて、何も感じなくなった。足という存在が消えたのではないかと疑うくらいに、感覚が消えた。 ゆっくりとしゃがみ込むバジル。視線が絡み合い、バジルは溜息をつく。その音は雨で掻き消された。 「何もかもお前は中途半端だ。これを使えば、一瞬で終わっただろうに」 そう言うと、バジルはブレットの首元に手を運び、ソレを引っ張る。細い細いチェーンのペンダントだ。丁度引っ張った所には加工された石のようなものがついている。 ブレットはそれを持たれた途端に心臓が大きく高鳴るのを感じた。金髪の下の顔が引きつる。バジルはそれから手を離して、またブレットに向き合う。 「本気で俺を殺そうと思えなかったんだろう。その中途半端な気持ちで俺に勝てるとでも思ったのか。お前は気持ちまで出来損ないだとは思わなかったけどな」 「く……」 激しく罵倒されるブレットは反撃をしたかったが自身は動けないし、返す言葉も見つからない。 確実に強まっていく雨。水が地上に叩きつけられる音はブレットの鼓膜を引っ掻くように響く。 どうしてあんなことをしたんだ。 バジルは声にもならないような呟きを零す。勿論それはブレットには聞こえていない。ただ口が動くのだけはブレットにも分かり、少し首を傾げる。 唇を噛みしめるバジル。両手を震えるほどに強く握りしめるとその身をひるがえした。 「毒を入れた」 ブレットの耳に届くように言い放つバジル。 「すぐに身体を回る。そう長くない。……一人で、誰にも見られず死ぬんだな」 濡れた草原を踏みしめる音が始まる。雨の中少し遅いテンポで僅かに辺りにこだまして、そしてブレットから遠ざかっていく。 雨の霞の中に溶けていくバジル。その姿を呆然とブレットは見つめる。
ひとり、ブレットはその場に取り残された。 手足の木は緩む気配なく、その場にブレットを縛り付ける。けれどそれがもしも解かれたとしてもブレットは動くことは叶わないだろう。足の感覚が全くないのだ。 恐らく毒を入れられたのは足。木の先にでも付いてブレットの足を突き、直接体内に流れ込んだのだろう。 戦闘の疲れと毒とで体力と気力を完全に失ったブレットの視界は、もやがかかり始めていた。 彼の耳に流れて込んでくるのは雨の音だけ。 冷えていく身体。遠くなっていく意識の中で近づいてくる自分の最期に、ブレットは瞼を少し閉じた。 だけど、これで終わりにできる。 心の中でぼんやりと光る思い。瞼が重くなる。急激に眠気が襲いかかってきたのだ。疲労が身体中に重く圧し掛かる。 片隅で思い出される少年の姿。小さくなっていく背中、その後に映るのはクロの姿だった。ブレットが長い間求めていた瞳と同じ瞳を持った少年。 雨は絶えず彼を叩く。 その音もブレットから離れていく。
彼は瞼をそっと閉じた。 眠気に任せて沈んでみると、とても心地よい感覚が彼を包んだ。
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Re: まっしろな闇 のっそりと引っ越し開始 ( No.24 ) |
- 日時: 2010/11/14 12:18
- 名前: 海
- Page 24 : 目覚め
ボロボロのカーテンの隙間から差し込んでくる太陽の光。 古い本に鉛筆で黒く書き殴りがしている紙が床中に散らばって、更に衣服といった生活用品なども加わって部屋の中は混沌としていた。足の踏み場も無い、とは正にこの部屋のことを言うのだろう。が、かろうじて人の通った跡のような物がどけられた場所もある。まるで獣道のようだ。 電気がついていない為に太陽の光のおかげで少しだけ明るくなっている部屋。ただ古い小さな扇風機が危なげな機械音と共に稼働していた。 風が送られている先は低く小さなベッド。詳しくはその中の人へ向かって。
ベッドの上、クロはゆっくりと瞼をひらいた。 彼の目の前に広がるのは木の低い天井。一瞬戸惑ったがクロにとっては見覚えのある景色だった。何度も見た天井だ。 だから彼がいる場所も、少し頭を整理させて考えてみればクロは分かった。だけど今どれくらいの時刻なのかは分からない。 起き上がろうと思い身体を動かそうとしたが痛みが全身を麻痺させる。どうにも動けそうにない。 溜息をつく。額に浮き上がっている汗を拭くことすらできない。指先なら動くが腕を上げることは叶わなかった。 もう一度瞳を閉じて眠りに戻ろうとしたが眠れるような気がしなかった。全身がだるさで包まれているが、眠気はどうも吹き飛んでしまったらしい。それでも無理矢理に寝ようと暗闇の中に自分を落とす。 その時、ドアが軋みながら開く音が響き、クロは目を開けて視線をそちらに向ける。 思った通りの人物だった。ドアを開いた男の子はクロが起きているのに気付き、目を丸くした。 黒い短髪、濃い青の半そでのパーカーに白いプリントTシャツ、それにジーンズを穿いている。 クロは首を少し動かして彼と向き合った。ドアに立つ男の子はにやりと笑って見せて、ベッドに近付いていく。途中で机の上に持っていた本などを置いて、クロの傍らに立つ。 「よぉ起きたか。今回こそはまじで死ぬんじゃないかなって思ったわ」 両手を腰に当てて笑いを含みながら彼は言う。それに応えるようにクロは少し笑みを浮かべた。 「そんな簡単に死んでたまるかよ」 「目ぇ覚ましたから言える台詞だよなー。お前今回どんだけ寝てたか分かってんのか、分かってないだろ。二週間だよ二週間。最高記録を一気に塗りつぶしたんだよ。なげえよ長すぎるよまじこっちの身にもなってみろ。いっそ死んでくれた方がましだぜ。いや死んじゃだめだな、折角の稼ぎ相手が消える」 「二週間、か」 「そうだ二週間だ! その間飯がいらなかったのに今日からはお前の分が必要なのか……くっそ面倒くさいな。まあ今日はまだそんな食えねえか。二週間も寝た寝坊野郎に食わせる飯なんざ大してないぞ」 「……お前、今日はやけに喋るな、アラン」 少し呆れたように言うクロに、相手――アランは眉をひそめる。 「そうか? いつも通りのつもりだけどな」 大きく溜息をついてアランは小さな窓に近づいてカーテンを一気に開け放つ。途端に部屋が眩しい光で照らされて、クロは目を細める。光によって細かい埃が舞っているのがよく分かった。いつから掃除をしていないのか、想像もつかない。 固い窓を開けるアラン。油でもさした方がよいのではと薦めたくなるくらいに開けるのに手こずっていたものの、開けると僅かながら空気が循環し始める。 二階の部屋であるが故に景色は少し高く、日当たりも悪くない。それなのにこの散らかり具合なものだから、勿体なさを感じずにはいられない。 「で、お前に聞きたいことは山ほどあるんだ、もう、本当に――お前、なんで女の子と旅なんかしてんだよちゃっかりと!」 言いながらクロの頭の上にアランは顔を近付けた。一種の怒りにも近い形相で、クロは思わず顔を引きつらせる。 「なんだお前突然」 「しかもあれだ、普通に可愛いし性格もいい子だしなんなんだ、お前あんだけ人嫌いしておきながら女の子と……ラナちゃんと二人きりで旅とか……信じられねぇ今でもまだ信じられねぇ」 「おい勘違いしてる。二人きりじゃない、ポニータがいる」 「ポニータがなんだって言うんだポケモンじゃん! くっそおなんだろうなこの敗北感っていうのか、くそ。で、なんでだ、どういう経緯でそういう関係になったんだ!」 ますます顔つきが険しくなっていくアランに目を逸らすクロ。ただでさえ気温が暑いというのに尚更暑苦しさが増す。 クロはだんだんと頭痛がしてきたのを感じ、確実に嫌気がさしていた。 「色々あったんだよ。色々」 「そんな簡潔なことですまされるようなことじゃないだろ絶対に! 基本的に人と仲良くしないお前が、どういう風の吹きまわしだよ!」 「ああ分かった分かった。そのうちちゃんと話すから。まだ起きたばっかでけっこう辛いんだよ。静かにさせてくれ」 できるならアランのどこかを殴って黙らせたいという衝動に駆られたクロだったが、相変わらず身体は動かない。 それを聞いて少し落ち着いたのか諦めたのか、アランは深い溜息をついて体勢を伸ばした。 急に静かになった部屋。風に飛ばされた数枚の紙が音を立てて空を舞う。 アランは身をひるがえすと部屋を出ていこうと足を動かす。その途中で足を止め、クロを振り返った。 「早く動けるようになれよ。ラナちゃんが相当心配してんだ。お前知らないから言うけどな、あの子も大変だったんだ。三日間くらい風邪で寝込むわ足は痛めてるわ痛々しいにもほどがあったんだよ。それでもずっとお前のこと心配してたんだ。自分が辛くても」 「……」 「心配させんじゃねえよ」 最後に吐き捨てるように言うとアランはそそくさと部屋を出ていき、勢いよくドアを閉める。 本当の静寂が訪れる。部屋に一人取り残されたクロ。 ようやく静かになってクロは息をついた。アランのおかげで若干頭痛がしていたがそれもようやく治まる。 目を閉じて静寂の世界に浸かり、外から少しだけ聞こえてくる微風の音に耳を傾けた。 そうして心を落ち着けさせようとする。けれどやはり眠気は来ない。かといって動くことはできずもどかしさが彼に訪れる。
何もできずそのまま数分時間が経った後にクロはぱっと瞼を開く。耳に入ってきた廊下から何かが近づいてくる音。 二度ノックの音が部屋に響き、ゆっくりとドアは開く。クロは少し目を丸くした。部屋に入ってきたのはポニータだ。 「ポニータ……家の中に入ってきちゃだめだって前から言われてたろ」 そう言いながらも満更でもなさそうな表情をクロは浮かべていた。少し嬉しそうである。 ポニータは部屋に足を踏み入れると再び鼻を使ってドアを少し開けながらもほとんど閉める。ドアノブ無しだからポニータでも開閉可能なのだ。 ゆっくりと床にある物を踏まないように慎重にクロの元にやってくるポニータ。少し細めた目の睫毛は相変わらず長く、安心しているように見えた。 身体に燃えている優しい炎が風に揺れる。その頭を撫でてやりたいクロだったが痛みに堪えることはできない。 「今回は許してもらえたってやつか。アランの奴、なんだかんだいってあいつも心遣いはあるんだよな」 ポニータは顔を近付ける。 「あいつ、風邪ひいたって本当か。足も痛めたって」 その言葉に少し間を置いてからそっとポニータは頷いた。それに深い溜息をつくクロ。 「俺が寝てる間に随分と色々あったみたいだな。といっても俺もまだ動けない状態なんだ。身体が痛んで手も満足に動かせない。もうちょっともってくれるかと思ったけど、予想外に黒の団と会ったせいだな。やばかったのに火閃を使いすぎた」 力無くクロは笑う。それから急に顔を淋しげに曇らせる。 「自分の身体だってのに暴れ馬でうまくいかなくて、馬鹿みたいだ」 口元で息を吐くように呟いた。
しばらく声を発さず静かな空間になる。この部屋の中でクロしか話すことはできないから、クロが話しかけなければ静かになる。 ポニータは足を運んで窓の傍にやってきた。部屋から下をそっと見下ろす。 ポニータの目に入ってきたのはラーナーの姿だ。家の前の狭い道路の掃き掃除を行っているようである。小さな竹箒を持っていた。服装はウォルタを出た時のものではなく、青と白のボーダーのTシャツにジーンズを着ていた。少しサイズが大きいようだがラフで涼しげな格好だ。 黙々と掃除に取り組むラーナーは、まだクロが目を覚ましたという事を知らない。アランは彼女にそのことを話していないのだ。 今でこそ肌の血色も良く元気な姿を見せているラーナーだが、ポニータは先週のことを頭に思い起こすと更に頭を俯かせる。 「そろそろ……」 呟いたクロの言葉にポニータは振り向いた。 「少し眠くなってきた。ちょっと、寝るよ」 既に声はほとんど眠りに落ちていて、一分もしないうちに部屋に彼の寝息が小さく浮かび始めた。 ポニータと話すことで安心したのだろうか。一方のポニータも安堵を浮かべて音を立てないようにそっとドアに近付いた。あらかじめ数センチ開けておいたドアの隙間に鼻を入れるとそれを引いて、部屋を後にする。残念ながら部屋から出ていく時にポニータはドアを自分で閉める事ができない。 が、ドアは閉められた。傍で待機していたアランによって。 アランはクロの様子をちらりと覗いた後にドアを閉めて、ポニータに向かって微笑む。 「悪いなポニータ。やっぱさあ、クロを落ち着かせるのはお前が一番いいって思ったんだよな」 言いながら木の床の廊下を歩くアラン。その横について歩幅をポニータは合わせる。 と、途中でアランは足を止めた。少し唇をきつく締めてからそれを開く。 「ラナちゃんにはもうちょっとしてから言おうと思うんだ。そりゃあ今すぐにでも教えてやりたいけど、あいつまだ動けないじゃん。動けるようになってから会わせてやらないと、下手になんかあったらクロが困るし。どこまでラナちゃんが知ってるか知らないけどさ」 アランは途中で言葉を区切ると大きく声も入れて溜息をついた。 「くそ、あいつはこれだけ俺が気ぃ使ってるってことも知らないんだろうな。腹立つほんと腹立つ」 ポニータは少し喉を鳴らして笑う。アランはそう言うが、クロは気付いているのだから。 アランは腕を頭の後ろで組んで低い天井を見つめる。廊下にある窓は開け放たれて、外から少し強い風がやってきた。
「ほんとに、腹立つよなあ」 言葉を噛みしめるようにアランは言う。その後思いっきり伸びをして再び歩き出し、クロのいる部屋から遠ざかっていった。
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Re: まっしろな闇 のっそりと引っ越し開始 ( No.25 ) |
- 日時: 2010/11/14 21:37
- 名前: 海
- Page 25 : 笑い
日陰に身を置くと、ラーナーは小さな溜息をついた。つい落としてしまう視線を上に向ければ、柔らかな青い空が覗く。 レンガを所狭しと並べた道路はそこまで広くなくて、車が二台ぎりぎり通れるほどである。雰囲気が彼女の故郷ウォルタと少し似ていて、ラーナー自身はここにいることに安心感を覚えていた。 手にしていた竹箒を建物の壁に寄りかからせると、大きく伸びをする。固くなっていた身体がリラックスする。 と、彼女の後方の方から何かが軋むような音がした。ラーナーはそれに気付いて右に歩く。建物の隣には小さな駐車場のスペースがあり、そこをラーナーは覗きこむ。 すると建物の駐車場に面したドアが開いて、中からもうラーナーも見慣れた顔が二つゆっくりと出てきた。 「アランくん」 「おーラナちゃん。箒持ってないってことは掃除終わった?」 「うん。今終わったとこ。ポニータまで中にいたんだね。どこに行ったのかと思ってた」 ラーナーはアランの元に歩み寄る。ポニータが身体を全て出したところでアランは木のドアを閉めた。軋む音は少し遠くでも聞こえるくらい大きい。 油でもさせばいいのにとラーナーは何度か言ったが、この家の者達は一向にそういった気配を見せない。いつも軽く笑って流すのだ。 アランは一つ大きな欠伸をして、肩を回す。するとよっぽど肩が凝っているのか、大きな音が何度か跳び出してきた。 ラーナーは苦笑いをした。 「肩凝ってるね」 思わずそう声をかけてしまうラーナーに、力無くアランは笑う。 「まあなー肩凝ることやってるからなー。あー早くもじいちゃんの仲間入りだ」 言いながらアランは大きな伸びをすると、やはり身体のあちこちから身体の悲鳴とも取れそうな音がする。 「おつかれさま」 「あーありがとー。でもまたそろそろ戻らねえといけないし、まだまだこれからだよ」 「相変わらず大変だね」 「まあな。でも全部俺が決めた事だしやりたい事だし、ちょっと辛くても苦しくはないさ」 ラーナーはその言葉に目を細める。無意識だろうが彼はその言葉をもう何度も口にしている。本当の心情をラーナーがはかることはできないが、まるで自らに言い聞かせているようにラーナーには聞こえた。 ただ実際彼がやりたいと思っていることなのは真実なのだろう。そうでなければこれだけ一生懸命にならないだろうから。 ポニータが眠たげに欠伸をする。瞬きの回数が多い。 「なんか、アランくんもポニータもちょっと眠たそうだね」 その言葉に苦笑するアラン。 「ちょっとは休んだら? 身体壊したら元も子もないし」 「大丈夫安心しな。この程度で身体壊すほど弱くないから」 そう言いながらアランは手を顔の手で振り、その後ポニータの頭を一度撫でてからラーナーに背を向ける。 彼はドアを開いて建物の中へと踏み出した。がんばってね、とラーナーは一言声をかけるとそっとアランは笑って、中に姿を消した。 急に静かになった雰囲気にラーナーは息を吐いた。少し後ろに下がって日陰から出て、建物の屋根の方に目を向ける。 二階建ての建物の屋根は薄く汚れた茶色で、緩やかな斜めのラインを創り出している。その上に寝転がっている一匹のポケモンの姿があった。 エーフィだ。日光浴をしているようで心地良いのか目を閉じて、寝ているようだった。ラーナーからして見ればどうしてこんな暑い中日光に当たれるのか疑問だった。 もう一匹のラーナーの持つポケモン、ブラッキーの姿はそこに無い。が、ラーナーは知っている。彼女はすぐ近くの大きな木に視線を移すと、やはり鬱蒼とした木の葉の中にブラッキーはいた。 少し目をこらさないと見えないが、太い枝にその身を下ろしている。 「皆のんびりしてるねえ」 ポニータに声をかけるラーナー。ポニータは頷いた。 「なーんか、何にもなくて平和ボケしちゃいそうだね。全然危ないこととか無いし」 存分に羽根を伸ばしている彼女は、その言葉を幸せそうに吐き出していた。自然に優しい微笑みを浮かべている。 視線の先にいるブラッキーが、寝ている為に少し足のバランスを崩して落ちそうになったが、すぐに戻して何事もなかったかのように過ごす。 「早くクロも起きてくれればいいのに」 ぼそりと呟いた声はポニータの大きな立った耳に届いて、ポニータは少し彼女から視線を逸らした。 ラーナーはくるりと身体の向きを変えると竹箒を取りに行く。それを取るとアランの入っていったドアに手をかける。 「中の手伝いしてくるね」 一応ポニータに一言残して、ラーナーは中に入った。
残されたポニータは顔を俯かせて、数歩建物から離れると一つの開いた窓を見つめる。その窓の部屋の中にいるクロはすでに意識を取り戻している。ラーナーが知らないだけで。 それを彼女に教えることができるのは今現在はアラン一人。高い知能を持つポニータも人間の言葉を話すことはできない。 それはポニータにとってはもどかしいものであった。
中に入ってドアの傍の傘立ての隣に竹箒を置き、ラーナーはそのまま廊下を歩く。 落ち着いた焦げ茶色の床、眩しくない柔らかな白の壁の内装。廊下をそのまままっすぐ行くと右や左に様々な部屋へと続いている。が、そこにはラーナーは目を配るだけで入ろうとはしない。 途中で廊下の角に当たりそこを右に曲がった。だんだんと人の声が耳に入ってきた。視線の先には大きな部屋。 ドアは無くそのままそこに入ると何人かその部屋にいた。
「はいお釣り」 「ありがとうね、じゃあまた来るわ」 明るい会話にラーナーは目を向ける。そこには少し小太りの女性がカウンターに立ち、その正面には老婆がいた。老婆は小さな茶色の紙袋をもらって、背を向けた。 中にはカウンターの他には二つの小さな丸い焦げ茶の木のテーブルと、同じ色をした椅子がそれらを囲むように全部で六つある。 少し高めの天井といくつもある窓のおかげで解放感のある部屋だ。 カウンターにいる女性はラーナーの姿に気がつくと途端に満面の笑みを浮かべて彼女に近づいた。 「ラーナー。掃除やってくれた?」 「はい。今日はあんまりゴミが無かったので、早めに終わりました」 「いっつもありがとうね」 「いえいえ、このくらいどうってことないです。それより、こっちで何か手伝えないかなって思って」 そう言いながらラーナーは軽く辺りを見回す。 「アランも働き者だけど、あなたもよく働くわよねえ。助かるけど、たまには休まないと過労死しちゃうわよ」 「ははっ大丈夫ですよーそんなに働いてないですから」 楽しそうに笑いながら会話を弾ませている。すると、カウンターの後ろからアランの顔が突如覗く。 「おばさーん薬できたよー何話してんのさー」 その声に女性は振り向いて大きく笑いながらアランに近付いた。 それからアランの右手が持っていた白い紙袋を受け取り、そこに書かれた文字とカウンターに置かれたメモとを見比べる。 「ありがとありがと。えーっとこれは……アレクシさんか。アレクシさーん!」 そこまで大きな声を出さなくても部屋の広さを考えれば相手に聞こえるのだが、癖なのだろう。叫びにも似た大きな声だ。 その声に椅子から立ち上がる中年の男性。カウンターに来ると持っていた茶色の革財布に手をかけた。 女性はアランからもらった小さな紙袋をさらに別の、先程老婆に渡したものと同じ紙袋に入れるとレジの前に立つ。それから慣れた手つきでレジのボタンを素早く押していく。 アランは再びカウンターの奥へと消えた。それを見守るラーナーにお金を探っている男性は目を留める。 「エリア、新しいお手伝いさんかい?」 男性はラーナーに手を向けながら女性――エリアに尋ねる。その言葉にエリアは嬉しそうに笑う。 「そういうわけじゃないんだけどねえ。ちょっとワケありでうちに泊まってんのさ。すごく良い子だよ」 「へえ、かわいい子じゃないか。この家にはもったいないな。アランが連れてきた彼女かとも思ったけどなあ」 「この家にもったいない、は余計だねえ。アランは彼女を作る暇なんてないよ。出会いが無いしね」 「それもそうか」 そう言いながら二人は大きな声で笑う。それにつられてラーナーも思わず笑ってしまう。 男性はお金をカウンターに出すとエリアはその金額を確認しレジに打ち込んだ。打ち切ると心地よい高い音がレジから放たれる。 「丁度だよ。また来てね」 「はは、早く来なくなれるようになるのが一番じゃないか。じゃあ、ガストンの旦那とアランによろしくな」 袋を受け取ると軽く手を振り、その場を後にする男性。ラーナーは自然とお辞儀をした。ドアが開くと鈴が鳴る。このドアは流石に滑らかに動くようになっているようだ。 ふぅと息をつくと、エリアは再びラーナーの方を向く。 「ほんとに休んでいいんだよ」 先程までの高いテンションから一転、優しい撫でるような声。それにラーナーは横に首を振る。 「何かやりたいんです」 「そうかい? じゃあ棚の整理してくれる? そこの棚の。どこに何を置くかとかは全部書いてあるから」 エリアは人差し指でカウンターのエリア側にある棚を指す。 「はい!」 ラーナーは花が咲いたように顔を明るくさせるとカウンターの中に入り、棚の前に立つ。 少し背の高い棚で、一番上の所はラーナーの背丈では届くか届かないかくらいだった。 棚に並んでいるのは、ラーナーも見覚えのあるたくさんの種類の、いわゆる市販の薬である。所狭しと並んでいるが倒れたりばらばらの種類が何故か重なっていたりしている。 それに手をかけるラーナー。こうやって力になれることが彼女にとって幸せだった。
トレアスの町。程よく賑わった落ち着いた町。 その町の中心近くにあるガストン・オーバンとエリア・オーバンの二人が経営する薬屋。 そこにクロとラーナーは身を置いていた。
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Re: まっしろな闇 のっそりと引っ越し開始 ( No.26 ) |
- 日時: 2010/11/14 21:55
- 名前: 海
- Page 26 : 料理
夕日は沈み、辺りが暗闇に包まれていく。西に残る光がかろうじて町を照らしているが、真っ暗になるのも時間の問題だろう。 オーバンの薬屋も店を閉める時間になった。それを示す為にアランは正面の扉を開き、扉に付いた紐がかかった小さな木の看板を回す。「OPEN」と書かれたものが引っくり返って「CLOSE」の文字を示す。 それから扉の近くにある電灯に手を伸ばすと上にある大きな黒いネジを回す。するとそれに合わせて淡い白い光が灯った。 電灯を付けると、アランは扉を開けて家の中へと戻る。 中ではラーナーがせっせとカウンターを布巾で拭いているところだった。 「ラナちゃん、それはもういいからさ、そろそろ夕食だ」 「あ、うん」 ラーナーはアランに言われると布巾をカウンターの端に置く。 その後アランはカウンターの後ろに回ると奥の部屋を覗き中を見回す。 六畳程のその部屋の壁は沢山の木の棚がおおい尽くしていて、大きな木のテーブルが真ん中に置かれていた。 そのテーブルの上には様々な草や紙、小鉢などが乱雑としていた。独特の鼻をつく匂いが漂っており、机の向こう側で椅子に座りながら居眠りをしている、白いTシャツと黒いジーンズを履いた中年の男性がいた。 しっかりと掃除をされた床をアランは歩き、その男性の元へと近づく。木を歩く音が響くが、男性は小さないびきをかいていて気付かない。 「師匠いつまで寝てるんですか、夕食です!」 大きな声を張り上げるアランだが、その言葉を吐くと同時に狙ったのではというぐらいのタイミングで大きないびきを男性はあげた。そのおかげでアランの声は男性に届かなかったようだ。 その様子を覗き見していたラーナーは苦笑いをする。 アランは全く起きる気配がないことを確認すると溜息を吐き、その後思いっきり息を吸った。 「師匠、夕飯ですよ!!」 男性の耳元でアランは叫んだ。その途端男性の目がはっきりと開き、次の瞬間男性は椅子から転げ落ちていた。 絵に描いたようなオーバーリアクションにラーナーは思わず顔を引きつらせた。が、それに動揺することなくアランは手を腰に当てて男性を見下ろす。 「疲れても食べないとエネルギーは出ないっていつも言ってるじゃないですか。早く食べましょう」 「……あ、ああ……耳がジンジンする」 「おばさんが待ちくたびれますよ」 「す、すぐ行く。ちょっと待て」 少し慌てたように男性は立ち上がり、机の上を軽く片づけ始める。目に眠気は欠片も消えていた。 アランも続くようにその片づけを手伝う。
思わずラーナーは口元で笑い、身をひるがえすとその部屋を後にし廊下を歩く。途中でまた別の部屋に入る。大きなテーブルがまず目に入るダイニングルームだ。 濃厚な匂いがラーナーの鼻を通り、一気に空腹感が増した。 白いテーブルクロスがかかったテーブルの上には既にいくらか食事が並んでいる。 キッチンからエリアが出てくると手に食事の乗った皿を持っている。その顔は上機嫌であった。 「手伝いますよ」 「ああ、いいのラーナー。これでもう終わりだし」 そう明るく言うとエリアは皿をテーブル上に置いた。ラーナーは改めて今夜の食事の献立を見回し歓喜をあげた。 「これは何のお肉なんですか?」 「鴨肉よ」 ラーナーが指差した先にはソースのかかった少し薄めに切ってある鴨肉があった。傍にはレモンや鮮やかなハーブも添えられ彩りもばっちりである。 「このソースはお隣さんから貰ったものなんだけど、ぴりっとしてるんだけどちょっと甘くて、美味しいの」 「へえー」 他にはスモークサーモンと様々な菜っ葉のサラダやコーンスープ、カットされたフランスパンなど色取り取りな食事である。 どれも少しラーナーにとっては量が多めだが、アランは育ち盛りで非常によく食べるから問題は無い。 それにしても、とラーナーは感服する。約二週間ここに身を置き当然の如く食事も食べさせてもらっているラーナーだが、勿論これまでも美味の料理であったが今日は一段と格別だった。上機嫌なエリアの様子がそのまま表れているように料理も生き生きとしているように見える。 高揚した気分を少し押さえると、ラーナーは呆気にとられて思わず出たような小さな溜息をはいた。 「今日はなんか豪華っていうか、気合入ってないですか?」 「ふふ、ちょっといいことがあってね。腕によりをかけてみたって奴よ」 「そうなんですかー。でも、すごく美味しそうです!」 ラーナーは再び目を輝かせ満面の笑顔を見せた。 ウォルタでは料理を行っていたラーナーは料理の上手なエリアは尊敬している存在であった。時々手伝うが同時に彼女自身が学ばせてもらっている。 と、足音がしてきてラーナーは部屋の入り口を見る。すると先程の男性と、少し遅れてアランがやってきた。二人はテーブルに並ぶ料理に目を配る。 「おおおっ!」 真っ先に感激の声をあげたのはアラン。目を光らせてテーブルの傍に駆け寄ると自然と笑みがこぼれていた。 キョロキョロと目を泳がせて視界がまるで定まっていない。今にもそのまま料理に突っ込んでしまうのではと思うくらい身を乗り出している。 「すごい! なんですかおばさん、今日ご馳走じゃないですか! こんな料理しちゃって家計は大丈夫ですか!」 「余計なお世話だよ、あんたは時々一言多いんだから」 「全くだ」 男性は大きく頷きながらアランの頭を軽く叩く。男性の身長は180センチと高く、アランを完全に見下ろしていた。 少し頭を押さえるアランだが全く痛そうではなく、むしろ顔は小さな少年のように笑っている。 「ガストン、ワイン飲む?」 エリアは男性――ガストンに声をかける。 「ああ」 即答であった。エリアはキッチンに入っていき、何度か音がするとすぐに戻ってくる。ワインの入った瓶とワイングラスを手に持っている。
「さ、人数も揃ったことだしそろそろ食べようか」 エリアは笑顔を浮かべて手に持っているものを置くと、腰エプロンの後ろで結んでいた紐をほどく。 アランは早く食べたいと言わんばかりに誰よりも早く席に着く。その様子を見て他の3人は大声をあげて笑った。
*
月光が部屋をさす中、少し寝がえりをうとうとするクロだったがやはり身体の痛みは続いている。めんどくさいものだな、と心の中で呟いた。強制的に動かせば全身の骨が折れるような痛みに見舞われそうな予感がしたから、さすがにそれはやめておくことにした。 しかし余りにも長く寝過ぎてしまったせいで、もうこれ以上眠れなくなってしまった。これ以上ないくらい暇で、苦痛である。 どんなに目を閉じてもまるで寝れる気がしないのだ。静かで気温も適度で、布団がどこか埃っぽいことを除けば寝るには快適なのだが。 若干布団のせいで暑く感じられてきた。が、それをどけることもやはり叶わず、クロは溜息をついた。 どうにか頭は動かせるから首を回して部屋を見る。相変わらず汚い部屋だと彼は毒づいた。何も変わっていない。積み重なった本や壁の角の蜘蛛の巣が目についた。今にも壊れそうな小さな扇風機が回る。 「掃除しろよ」 思わずクロはぼそりと言葉に出していた。 と、ドアをノックする音が部屋を叩き、クロは思わず身を固める。 軋みながら開いた扉から入ってきたのは彼が予想していた人物ではなかった。エリアが右手にスープの入った皿、左手にはスプーンを持って入ってくる。
「クロ、本当に起きたのね。良かったわ」 柔らかく笑うエリアの姿を見て、クロは自然と心が安堵する。 「エリアさん、お久しぶりです」 「もう、そういう敬語はいい加減やめなさいっていつも言ってるのに。あなたはもう家族みたいなもんなんだから」 「ははは」 クロは苦笑する。 エリアは左手で部屋の電灯をつけようとする。が、スイッチを入れても明るくならない。どうやら電球がエネルギーを使い果たしたようだ。 思わずしかめ面になるエリア。スープの皿にスプーンを入れて机に置くと、机にあるランプをつける。小さな光が部屋をささやかながら明るくした。 それから両手を腰に当てて大きな溜息をついてエリアは部屋を見渡す。 「ほんと、この部屋掃除しないと。よくこんなところで生活なんかできるわね、アランは」 「全くです」 机の傍にあった椅子をベッドの傍までエリアは運ぶと、再び皿を持ってそこに座る。 小さな虫の声が開いたままの窓の外から届いてくる。空高くで月がおぼろげに白く光っていた。 「起きれる?」 エリアの問いにクロは軽く首を横に振った。 「首と指先しか今は動かないんです。ここまで痛いのは初めてなんですけど……」 「無茶をした証拠ね。身体は嘘をつかないってホントなんだから。じゃあ口を開けて」 「……えぇ」 思わずクロは怪訝な表情を浮かべる。エリアはスープをスプーンで一掬いするとにっこりと笑う。スープを息で軽く冷まし、クロの口元に寄せた。 「え、あの、エリアさん、えっと」 「しょうがないでしょ、食べなきゃ治るもんも治らないわよ。プライドなんてどうでもいいじゃない。はい飲む」 「……えぇ、わっ」 もう一度不満の声を漏らした瞬間をエリアは逃さなかった。開いた口に無理矢理スプーンを入れると彼の口内に流し込む。 直後、思ってもいなかったためにクロは思わず咳込んでしまう。が、温かさととうもろこし独特の甘さとが自然と舌に溶け込み、少しクロの顔が緩んだ。その美味しさに口は欲求を強くする。 咳によって吐きだしたものの若干口の中に残ったスープを飲みこむ。 エリアはふわっとしたロングスカートのポケットを探ると白いハンカチを取り出し、クロの口周りを拭く。その力が少し強いのもあってクロは露骨に嫌な顔をした。 拭きとるとエリアは白い歯を見せた。 「動ければねえ、こんなこともしてもらわなくて済むわねえ。ま、今は我慢しなさい。美味しいでしょ、今日は気合入れたからね」 「……はい」 クロは仕方なく諦めた。何しろ彼女の言っていることは残念ながら真実だし、何よりお腹がスープを欲している。 おとなしく運び込まれたスープを力なく口の中に入れてもらうクロは、心の底から早く身体が動いてほしいと願った。彼の中に育っているプライドがこの状況を嫌がり、恥ずかしがっていた。そのため自然と頬も赤くなる。 しばらく沈黙が続く。スプーンがスープをすくう度に金属音が時々跳ねる。扇風機の音が鼓膜をひっかくように鳴っていた。 沈黙を破ったのはエリアの方だった。
「いつ頃動けるようになりそうなの」 エリアは問いかける。それに対しクロは何度目かのスープを飲むと沈黙しながらも、口を開く。 「分かりません。こんなにきついのは初めてなので」 「そう……ラナちゃんにはまだ言ってないの、あなたが起きたって。早く報告できるようになりなさいね」 「はい」 少し悲しそうに顔を俯かせたエリアは、スプーンを皿に置く。その中身は綺麗に無くなっていた。元々そんなに量は無かったために早い。 エリアは椅子を立ち上がる。その動作からクロはスープが終わったのだと知り、ほっと息を吐いた。ようやく終わった、と。 「じゃ、後はゆっくり休みなさい」 微笑みを浮かべるエリアにクロは大きく頷いた。 エリアはランプを消す。途端に部屋が再び暗くなる。月の光でエリアの姿がなんとか見える状況だ。 ドアを開こうとするエリアは思い出したように目をはっと開くと、くるりと振り返ってクロに向かってにやりと笑う。暗闇も手伝ってその笑みがどこか不気味なものに見え、クロは顔を引きつらせた。 「良かったらお風呂入れてあげようか?おばちゃん頑張っちゃうわよ」 「いっいいです遠慮しときます!」 クロは顔を真っ赤にして全力で否定したが身体に力がこもったせいで全身に大きな痛みが走った。その途端声にならない声をあげる。 それを見てエリアは大きな声で笑う。冗談だよ、ゆっくり寝なさい、そう言うと部屋を後にした。 痺れるような痛みを我慢しながらクロはほっと息をついた。エリアの冗談に聞こえる言葉は冗談でないことであることがしょっちゅうなのだ。クロは動けないのだから無理矢理連れていかれたら反抗しようがない。 全身に疲労が圧し掛かってきたのをクロは感じる。けれどそれとは裏腹に気持ちが軽くなったのも事実だった。
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キッチンで皿洗いを済ませ少し落ち着いてきた頃、裏の玄関から物音がしたのをラーナーは耳に入れてダイニングルームから出る。 玄関の方へと向かっていくとアランが扉を開けて出ていこうとしている所だった。 「今日もバイト?」 黒いショルダーバッグの中身を確認しているアランに向かってラーナーは声をかける。それに気付きアランは顔を上げて力無く笑う。 「まあな。そろそろ行ってくるよ。おばさんには言ってないけどまあいいや」 「聞かれたらそう言っとくよ」 「よろしく。まああの人も知ってるだろうから別に聞いてこないだろうけどな」 そう言った後に思い出したようにアランはそうだ、と言うと傘立てから青い傘を適当に取る。 ラーナーは首を傾げてアランの横を通り抜けて夜の空を仰ぐ。月が光り瞬く星が散らばっているが、民家の隙間の遠くの方で雲があるのが何となく分かった。 それが雨雲なのかどうかは夜であるために判断しづらいが、アランが傘を持つということは恐らく水分を多く含んだ雲なのだろう。 「今日の天気予報で、夜に雨が降るって言ってたんだ。一応傘持っていっとく。じゃ、遅刻しないようにもう行くから」 軽くラーナーに手を振るとラーナーはワンテンポ遅れてから頷いた。アランは軽く笑って右方向へと道を進んでいった。 少し顔を曇らせるラーナー。前で組んだ手をもじもじと組んで、唇を噛みしめる。何かを迷っているように見える。アランの姿が十メートルほど遠くなった頃、思いきって口を開いた。
「アランくん!」 叫んだ声は少し距離が遠くなったアランの耳に届き、アランは足を止めて振り返る。そこにラーナーは駆け寄った。 何、と呟くように言うアランに対してラーナーは未だに迷いながら、顔を上げる。 「出掛ける時に言うのもあれなんだけど、その……クロは、まだ起きないの?」 「……」 息を止めるアラン。沈黙が訪れ、その間に言葉を探るアランはまず深く頷いた。 「まあ、気長に待ちなよ。あいつなんだかんだで異常に丈夫なんだからさ」 嘘をつくのは辛かった。誰が一番クロのことを心配しているかどうかなんていうことは比べるべきものではないが、ラーナーはいつもクロの様子を気にしていた。これまであまりそのことは言葉に出さなかったが。 アランはじゃあ、と言ってその場を半ば逃げるように後にした。ラーナーはその背中を追いかけようとは思わず、その場に立ちすくす。 溜息すらも出てこず自然と顔を俯かせる。風の無い静かな夜だった。大分夏の気が取れた夜は暑くなくかといって涼しくもなく、平温である。
少し時間が経ってからラーナーの背後から足音が響く。ポニータが歩いてきていた。ずっと家の外で待機していて、ラーナー達の様子を観察していた。
「クロ、死なないよね……」
ポニータとラーナーの距離が1メートルを切った頃にラーナーは呟いた。 その言葉に思わずポニータは足を止めてしまう。 ラーナーは両手を組み合わせて力を入れる。その身体は小刻みに震えていた。
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Re: まっしろな闇 のっそりと引っ越し開始 ( No.27 ) |
- 日時: 2010/11/14 22:12
- 名前: 海
- Page 27 : 再会
ラーナーはリビングルームにある木の椅子に腰かけ、疲れたように頬を下げて溜息をつく。部屋には彼女以外誰もいない。ラーナーは壁に掛けられた時計に目をやると午後十時を丁度回った所だった。 余程疲労が溜まっているのかラーナーは椅子から滑る様におりると傍にあった背の低いテーブルに顔を伏せる。そしてテーブルの上に置いてある、二つの小さくなったモンスターボールを何となく見つめる。 時計の秒針の音が部屋に響き、遠くで足音が鳴っている。それがガストンのものかエリアのものかはラーナーには分からない事で、彼女が無意識に確定しているのはそれはクロのものではないということだ。 彼女の瞳は虚ろでそのまま眠りに落ちてしまいそうな勢いである。見えない重いものが瞼に纏わりついているのを感じ、なんとか耐えようと瞬きを素早く繰り返していた。 少し頭を傾けてリビングルームの窓を見やると、外が暗くよく見えないが確かに雨が降り始めていた。そういえば、とラーナーはアランが傘を持ち出ていったのを思い出す。天気予報もよく当たるものだ、昼は日向ぼっこが楽しめるほどに晴れていたというのに。 もうシャワーも浴び、服装は彼女には大きなサイズの白いTシャツと柔らかい素材の短パンに変わっていた。もういつでも眠りにつける状態だった。 ゆっくりとラーナーはその場を立ち上がり二つのモンスターボールを拾うとそれをポケットにしまい、部屋を後にする。彼女の顔には影が入り、重い足取りで階段を上がっていく。 二階に足を踏み入れる。ラーナーが眠っている部屋は廊下の奥の方なのだが、それよりもかなり手前の方でラーナーは足を止める。 微かに聞こえる雨の音をバックに、立ちすくむラーナー。目の前のドアの向こうにいるのは、ベッドに眠り続けているクロだ。 ラーナーは右手をドアに傾けるがノックをする直前で固まってしまう。ドアの向こう側を見つめるように目の光は虚ろに揺らいでいた。 唇を軽く噛むと小さくドアを叩く。固い音が響き、その瞬間ラーナーは心臓の鼓動が大きくなったのが分かった。少しだけ後悔の混じったような複雑な心境のまま、このまま引き下がることはできないためにノブに手をかけた。なるべく音をたてまいと慎重にドアを開くと、中は真っ暗である。廊下の光で部屋の様子がうかがうことができ、部屋の床にラーナーの影が大きくおとされていた。
小さな部屋の奥、ラーナーの正面のベッドに横たわっているクロの姿をラーナーは見つめると、部屋に入りドアを閉める。窓が放たれたままで雨の音が今までより一段と大きく聞こえる。それでも暗闇が静けさを演出している。 足元がほとんど見えずいくつかの物を蹴ったり踏んだりしながらラーナーはベッドへと近づいていった。 暗闇に少し目が慣れてきて、ラーナーは何とか認知できるクロの顔を見下ろす。雨の音の中で耳をすましてみれば、静かに聞こえる呼吸音が彼女の心をかろうじて安堵へと導く。 ラーナーは今度は窓に近づくと、その固さに苦戦しつつも窓を閉める。その途端音がこもったようなものにかわる。ラーナーは向こうの空をガラスに手を当てて見つめる。降り続ける雨はそこまでひどいものではなく、雨粒はむしろ小さい。 しばらくしてからその場を離れるとベッドの傍にある椅子に腰を下ろす。閉じられた瞼のクロは無表情で、それはずっとラーナーが見続けてきた表情。何ら変化も無く、ただ彼は眠っている。
「クロ」 小さく掠れた声でラーナーは呟いた。数秒間の空白。彼女が待っている返答は無い。 ラーナーは目を閉じて俯いた。膝に乗せている手を強く握ると少しそれは小さく振動していた。
「……ラーナー?」 目を瞑っていたラーナーの見る暗闇の中で、まだ少し幼い声が跳ねた。 ラーナーははっと目を開き慌てるようにクロの顔を見た。 先程まで閉じられていた瞳は少しだけ開き、真っ直ぐに少し驚いたようにラーナーを見つめてきていた。二人の視線が絡み、ラーナーは息をとめる。
「クロ……?」 呆然とした声を漏らすラーナー。決して視線を逸らそうとはせずに、椅子から立ち上がろうとしたが足がふらつき床にしゃがみ込んでしまう。 その様子に思わずクロは身体を動かそうとしたが痛みが走り一人悶絶する。 ラーナーはすぐに立ち上がりもう一度確かめるようにクロを見た。 「クロ……クロ、クロ!」 何度もその名前を呼ぶ。自分で自身に言い聞かせるように、確かめるように。 今にも泣き出しそうな表情でラーナーはベッドに両手をつき、少しだけ首を振ったり唇をかんだりすることで何とか涙をこらえていた。けれど額に寄せられた皺は濃く刻まれ、目頭は熱く堪えるのも限界だった。 「そんな何回も呼ばなくても、聞こえてるから」 クロは苦笑いをした。その表情は柔らかく、そしてその何気ない言葉にラーナーは本当にクロが起きたのだと実感する。 唇を固く横に締めて、ラーナーは何度も頷いた。それから、口を開いた途端に遂に瞳から涙が零れ落ちた。 「クロ、よかっ……良かった! ほんとに、良かった……」 鼻水を時々すすりながらラーナーは涙を拭った。だが崩壊したダムの水のように、涙は溢れだし止まる気配がない。 しばらく声も出せず、彼女の泣く音が部屋中に響き渡る。クロはどう声をかけたらいいかも分からず、沈黙を保っていた。 少し落ち着いてきた頃、しゃくりあげながらもラーナーは頭の中で言いたい事を整理して会話を切り出した。 「あたし、本当に……こんなことを言っちゃだめだと思うんだけど、本当にクロが死んじゃうんじゃないのかって心配になったの」 クロは相槌を打つように軽く頷いた。 「あの時、クロが倒れた日、すごい熱で……いっぱい血も吐いてて、それを見たらあたし、セルドのことを思い出しちゃって……それで」 「うん」 それから数十秒間沈黙が続く。クロは急かすこともなく次の言葉を待った。 「もう、なんだろう、何言ったらいいのかわかんないや」 涙を顔中に散らせて、ラーナーは少し笑った。 「また一人になっちゃうような気がして、怖かった……ほんとに、起きてくれて良かった」 「……別に、俺はあんたの家族でもなんでもないし、まだ会ってから一カ月も経ってない」 「そうだね、うん、そういえばそうだ。一カ月か、そう言われてみるとまだ全然時間経ってないんだね。でも、問題は時間じゃないと思うんだ、クロ」 少し冷たいクロの言葉を難なく受け流したラーナーは、少し彼の言動に慣れてきたのだろうか。逆にクロは彼女の言った意味を追おうと次に出てくる言葉を待つ。 ラーナーは幸せそうに笑った。ずっと聞けずにいた声と、会話をしていることに自然と笑みがこぼれるのだ。 「とにかく、クロは大切ってこと」 「なんだそれ」 「なんだろうね、私にもよくわかんないや。へへ」 そう言って笑う顔を見てクロは不思議そうに首を傾げながらも、そっと微笑みが漏れた。 その顔は今までラーナーが見た事の無い彼の表情で、心の底から喜びが溢れてきてまた嬉し涙を流すのだった。
数時間後、夜のトレアスの町を歩き続けたアランは溜息をしきりに吐きながら、雨の中オーバン家へと戻ってくる。 全身に疲労の塊が圧し掛かっていて、傘を閉じ鍵を開けて中に入るという一つ一つの動作すらも彼には億劫に感じられた。 扉を開き傘を壁に立てかけると、床に敷かれた汚れきったタオルを踏み靴の泥や水分を取る。その後吸い込まれるように二階へとまず向かった。 「あら、アランおかえり」 階段を上がりきったところでアランはエリアとはち合わせる。エリアは丁度クロのいる部屋、つまりアランの部屋を出たところだった。 「あ、ただいまっす。こんな時間まで起きてるなんて珍しいですね。師匠じゃあるまいし」 「ははは、ちょっとね。ほら、見て見て」 そう言って手でアランを寄せる動作をするエリア。それに従うようにアランは近付くと、エリアは扉を音を立てないように慎重に開ける。 小さな隙間から中を覗き込むと、アランは息を呑んだ。 床に座り込み、クロのベッドに腕を折りそこに頭を埋めてラーナーが気持ちよさそうに眠っていた。その身体には毛布が一つかけられている。 アランは思わず頭を抱えたくなった。今までラーナーがクロの様子を見に来たことは何度もあるが、今回はいつもと違う。恐らくクロが起きたのに気付いたのだろうとアランは直感した。 エリアは満足そうに笑う。 「遅かれ早かれこうなるわ。それにラーナー、ずっと辛そうだったからこれで良かったのよ」 「でもおばさん、クロは」 「アランの言いたい事も分かる。でも、きっといつかは全て分かることなのよ」 そう言って遠い景色を見るようにエリアはクロとラーナーに視線を投げかける。思わずアランは口を紡いだ。 「ラーナーがこれからもクロの傍にいるというなら、知るべき時が来る。それがいつかは分からないけどね」 「……それは、そうですけど、でも少なくともクロはまだ知ってほしくないんじゃないんですか、自分の身体のことを。見る感じラナちゃんはけっこうクロに近づこうとしてますけど、クロはそう簡単に心を開くような奴じゃないんですよ」 「分かんないわよお」 エリアはにやにやと笑窪を作る。 「だってラーナーってなんだか安心できるじゃない。本当に優しい子だから。クロも案外さっと心を緩くするかも」 「そう、ですかね」 「クロの方だって私達と初めて会った時より大分柔らかくなったんだから。ま、何とかなるわよ」 ぽん、とエリアはアランの肩を叩く。その後おやすみと声をかけて階段も向かっていく。アランはおやすみなさいと返し、彼女が一階へと吸い込まれていく背中を見つめた。
一人廊下に残されたアランは呆然と立ちすくしていたが、そのうちにゆっくりと自室へと入る。 机のランプを付けてから扉を閉める。柔らかな光が部屋を照らし、安眠の世界へと潜っている二人の姿をアランは見た。 脳裏に様々な映像が映っては消え、彼の記憶が走り廻っていく。それを振り払うようにアランは首を横に軽く振った。 「俺は、俺がやらなきゃいけないことをやるんだ」 小さく呟き、持っていた鞄を床に放り出すと、机の中に積まれている本の山を探る。その中から一つ青いノートを出しすぐにページをめくる。様々な文字の羅列が並べられており、それは紛れもなくアランの字である。 真ん中のあたりでめくる手を止めると、そのページをアランは凝視する。そのページは何度も消しゴムで消しては鉛筆で書いた跡が残されており、そのために皺が大きく寄せられている。 「オシの葉は確かある。けどブショウは……」 独り言を並べながら別の小さなメモ帳に鉛筆で文字を書いていく。視線はノートに向けられている為にそのメモはめちゃくちゃな字体になっていた。
その部屋の電気が消されたのは、その約一時間後のことであった。
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Re: まっしろな闇 のっそりと引っ越し開始 ( No.28 ) |
- 日時: 2010/11/14 22:36
- 名前: 海
- Page 28 : 衝撃
クロが目を覚ましてから三日目の朝。 皆朝ご飯を済ませ薬屋を開く準備を進めていた。 ラーナーはいつものように店の前の道の掃除を済ませた後に中へ戻り、ふぅと息をつく。カウンターではガストンがアランと共に新しく仕入れた市販の薬を棚に並べていた。手伝いましょうかとラーナーは声をかけたものの断られ、彼女は暇になっていた。 少し口をとがらせながら廊下をうろうろとしていると二階からゆっくりとした足音が響き、顔を上げる。そしてその音の主を見つけるとラーナーはぎょっと目を見開く。
「クックロ」 「え、ああ」 クロはラーナーに気がつき少し気を緩めると、突然足の力が無くなったようにその場に崩れると一気にそこから大きな音を立てて転がり落ちた。 幸い大した高さではなかったが、クロは全身に受けた打撃に声にならない悲鳴をあげ身体を震わせる。 「クロ、だめだよ無理しちゃあ!」 「おいなんの音だ」 大きな音を聞きつけてアランがやってくる。少し遅れてからガストンも来るが、二人ともクロの姿を見ると驚きを隠せず口をあんぐりと開けた。 「クロ。お前な、まだ対して動けねえくせに何やってんだ! まだ起きてから三日しか経ってないんだぞ、お前は馬鹿か、いや馬鹿だろ!」 「とにかく大丈夫か、階段から落ちたのか」 ガストンは溜息を吐きながらクロの隣にしゃがみ込みクロが押さえている腰をさすってやる。 「いつもより長く倒れてるかと思えば、いつもより随分と早く動けるようになったもんだな。だけど無理はするな」 「別に、無理してるつもりはないです。多分今日一日で普通に歩けるようになると思います」 「なんだその根拠の無い推論は。まじ意味わかんねえよ」 毒づくアランをクロは軽く睨む。それに負けじとアランは睨みかえす。 「アラン、俺はあっちに戻る。早く準備済ませないといけないからな、クロが無理しないように見てやってろ」 「えぇ……はい」 思わず不満を最初こそ漏らしたアランだったが、ガストンの大きな威圧感に負け渋々了承する。その後アランは立ち上がったガストンに代わってクロの傍に寄り彼に肩を貸す。 クロは少し痛そうな呻き声をあげたが、ゆっくりと支えられながら立ち上がる。その額にはじんわりと汗が滲んでいた。 ガストンは様子を伺うようにしばらくクロを見ていたが、少し溜息をつくと身をひるがえす。少し早い足取りで仕事場へと戻っていった。 痛々しげに若干顔を歪ませるクロに、ラーナーは唇を横にきつく締める。 「おいクロ、ぜんっぜんまだ無理じゃねえか。何が今日一日で歩けるようになるとかなんとかだ。寝過ぎたからって寝言もいい加減にしとけ」 「うるさいな、今はちょっと転んで身体が痺れただけだ」 「そんなに言うか。そうだなお前はちょっと無理するくらいがちょうどいいリハビリだなそうだったなはいはいはいでもな俺にとっちゃそんなんどうでもいいわけで病人ってのは寝てるのが基本なんだよ無理ってのはした方がいい時と悪いときがあるんだわかるかおい」 「アラン、いっつも思うけどよくそんなべらべらと一気に喋れるな」 「滑舌の良さには定評があるからな」 そう話しながらアランは無理矢理身体をねじると階段へと足先を向ける。それにクロは気付いていないわけがなく、抵抗するように身体を引く。その力はアランの力より大きく、アランは思わずよろめいてしまう。 「クロお前なあっ俺より力があるからってパワー勝負に出るなんて卑怯な……」 「クロ!!」 突然の強く張った声に男子二名は思わず身体を固まらせた。声の出所のラーナーは身体を小刻みに震わせ、きっとクロを睨みつけた。その視線の強さにいつになくクロはたじろぐ。
「アランくん、アランくんもお店の準備しないといけないでしょ。クロはあたしが見とくから」 「え」 「いいから、あたしが肩貸すから」 「ちょっとまっ……」 クロが突然慌てたように動こうとする。痛みを我慢しながらも揺らいだ身体を支えようとラーナーが腕を伸ばした。その時クロは大きく身体を震わせ、次の瞬間には彼女の手を鋭く弾いていた。 その音が廊下中に響き、一気に空気が凍りつく。 誰もが声が出せなかった。ラーナーの手を拒んだクロ本人も。弾いた右手は痺れたように震えた。 アランが歯を食いしばり何かを叫ぼうと口を開けたが、ラーナーはその直前にそれを制するようにアランを見て首を素早く横に振った。それからラーナーはクロに視線を向ける。クロはその少し悲しげな瞳に気圧されたように息を止めた。
「知ってるから」
ラーナーがはっきりと言い切ると、クロは目を丸くした。 「知ってるって何を」 低い声で尋ねるクロ。その声は恐る恐ると言ったようだが目は睨みをきかせているせいで迫力がある。 ラーナーは一旦口ごもりクロから目を逸らす。
「……クロが、肌を隠してる、理由」
*
ラーナーはクロの肩を持ち外に出た。その途端、クロはその腕を払うようにして潜り抜け、よろめきながら家の壁にもたれかかる。 階段での騒動の後、クロは一言もラーナーと口をきこうとしなかった。表情も濁り、雰囲気は最悪である。 その様子に戸惑いながらも、その雰囲気に流されたおかげか自然とラーナーも心の中が苛々と煮える。 外の気温は徐々に上がってきていているが、太陽がまだそこまで上がっていないおかげで彼等のいる場所は大きな日陰となっていた。涼しい風が流れるがそれを心地良く思えるほど二人の心に余裕は無い。
「……さっきの」 先に開口したのはクロの方である。 「言葉の意味、どういうこと」 相変わらず眉間に皺を寄せたままのクロの質問を聞くと、ラーナーは唇を噛んで突然クロの左腕を乱暴に取った。 突然の行動にクロは驚きが隠せなかったが、全身に痺れるような痛みが走り拒むことができなかった。ラーナーはもう片方の手でクロの袖を無理矢理まくりあげた。 「!」 クロはその腕を乱雑に引こうとした。が、彼が想像している以上にラーナーの力は強い。 露出した肌をラーナーは見るがすぐに目を背ける。彼女がずっと目に当てていられるものじゃないのだ。 姿を見せた彼の腕は、青黒く、場所によっては赤く染まっていた。滑らかではなく少し隆起しており、焦げたように乾燥している部分もある。それはまだ見えない袖の中まで続いている、広範囲の熱傷だった。 沈黙が流れる。クロは何かを言おうとして口の開閉を続けていたが、遂にラーナーの手から無理矢理自らの腕を引きはがす。 「……なんで」 震えた声でクロは問う。 「いつ知ったんだ」 「あの時、クロが倒れた日に」 ラーナーはようやくきちんと声を出した。 「クロが一瞬落ちそうになったの。身体を掴んだ時に少し見えたの。……腕だけじゃない。全身でしょ、その火傷」 「……」 「そんなひどい火傷、見た事無いよ……」 「だろうな」 「だろうなじゃないよ。どうしてこんな傷で、何をしたらこうなるの!? あのクロが持ってる火閃っていうやつのせい?」 「どうだろうな」 「濁さないで。クロがずっと隠してきて、ばれたくなかったのも分かる。分かるけど、知ってしまったのものはしょうがないんだよ!」 「これ以上知ることなんて無い!」 クロは声を荒げた。その声にラーナーは震えた。普段冷静な彼の感情がここまで表に出るのは滅多にないことである。 思わずラーナーは押し黙ってしまい縮こまる。クロは袖を戻し、もたれかかっていた背中を壁から離して自身の力だけで立つ。 「知ってどうするんだ。あんたは何も分かっていない。だけどそれが一番良いことなんだ。知らない方が良いことなんて腐るほど世界にはある! 殺されたくないだろ、ならそれだけ考えればいい。余計なことに首をつっこむなよ!」 「余計なことなんかじゃない!」 すかさず言い返すラーナー。二人のボルテージが急上昇していき、最早止まる所が見えない。 怒声が行き交う場所に、ポニータが建物の影からそっと顔を出す。が、その険悪なムードに入っていくことはできなかった。 ラーナーは一歩前に踏み出す。二人の強い視線が激しく反発し合う。 「あたしとクロは一緒に旅してるんだよ。秘密事ばっかりしていて一緒に生活なんてできっこないよ! しかもこんな重要なこと……知らない方が良いこともあるかもしれない、だけどこれはあたしが知るべきことだよ!」 「ならこれからここに残ればいい!」 クロの声が辺りに突き刺さった。 その言葉の意味が一瞬分からず、ラーナーは声を詰まらせる。 それに驚いたのはラーナーだけではない。ポニータもだ。クロがその言葉を叫んだ瞬間にポニータは意を決しその場を飛び出した。二人はポニータの出現に驚いたようにそちらに目を向けた。ポニータはすぐにクロの元に寄りじっと彼を見つめた。 汗が顔中から噴き出しているクロは、少し顔を俯かせた。
「そうだよ、そうすればいい。あんた、ここの生活に満足そうだったじゃないか。エーフィとブラッキーがいれば、なんとかなる。ここなら奴等の目だって届きづらい。……そうだよ、そうすればいい」 「クロ、なんで」 「あんたも俺もその方が良いよ」 その時、ポニータはそのクロの脳天を口で思いっきり殴った。渾身の一撃にクロは地面に叩きつけられた。ラーナーは思わず駆け寄ろうとしたが足が動かなかった。 殴られた箇所を手で押さえながら、震えつつゆっくりとクロは立ち上がる。片手を壁に付けて、ラーナーを見やる。 ポニータの攻撃でようやく頭に上った血が冷めてきたのか、クロの呼吸が落ち着いてきている。ただ視線は忙しなく僅かに動きまわり絶句していた。 ラーナーは首をほんの少しだけ横に振る。すくみそうな足で辛うじて立っていることだけで精一杯だった。 日陰が織りなす涼風がいつになく冷たく吹いていき、近くに植えてある木が揺れる。 震える足をクロは回し、黙ってラーナーに背を向けた。そのままゆっくりと歩き、建物の角へと曲がり吸い込まれていった。ポニータは二人に目配せをしながら、少し間を置いてから急ぎ足でクロの元へと向かっていった。
独りその場に残された時、ラーナーは初めてクロに会った時の光景が記憶を掠った。 ラーナーは壁にもたれかかり、目を伏せた。身体の芯が刻まれたような強いショックが胸の奥で震撼し、呆然と虚空を見る。涙は出てこない、突き放されたことは哀しみよりももっと強い衝撃を与えた。思考は停止し、最早虚脱感すらも覚える。 混乱と気だるさに任されるままに壁に沿ってその場に座り込む。
「どうして……」 今にも消え入りそうなローソクの如く震えた小さな声が漏れた。
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Re: まっしろな闇 のっそりと引っ越し開始 ( No.29 ) |
- 日時: 2010/11/14 22:38
- 名前: 海
- Page 29 : 遺跡
「おいアラン、ラーナーは一体どうしたんだ?」 ガストンは怪訝な顔つきで店の机に突っ伏すラーナーを指差す。 開店したものの朝はまだ客は居ない。薬屋の客など少ない方が良いことに越したことはないが、朝はいつもこうである。近所の病院も開いた頃から、処方箋を手にやってくる客がどっと増える。 誰も座っていない椅子に座ってラーナーは必死に眠ろうとしているようだった。目を閉じ心を落ち着かせようとするが、やはりクロの言葉を振り払うことはできず目ははっきりと覚めたまま。 奥の部屋からゆっくりと顔を出したアランはラーナーの姿を見ると顔を引きつらせた。何が原因かアランには不明だが心当たりがあるからこそのリアクションだろう。 どう声をかけたらいいのか分からない男二人は彼女の姿をじっと見つめる。 「師匠、こういった場合どうすればいいんですか」 アランはカウンターに背を向けてひそり声でガストンに尋ねる。つられるようにガストンも身体を百八十度回転する。 「どうすればいいかなんて分かるわけがないだろう。今実際困ってるんだから」 「おばさんを射止めた師匠なんですから、女性の気持ちは俺より分かるんじゃないんですかっ」 「馬鹿言え、エリアとラーナーを一緒にするな。ラーナーの方がずっと繊細だろう」 「た、確かに……」 「アラン、お前はバイト先でこういうのには慣れっこじゃないのか」 「何を言うんですか。確かに接客業ですけどあそこに来る人であんなに落ち込んでる人が来るなんて滅多にないっすよ」 巨体のガストンがひそひそと話す様はいつになく動揺しているのが分かる。小さな会話が進められていく中で、来客が現れたことを示すドアの鈴の音が鳴った。 慌てて男性二人は背筋を伸ばすと、客に向かって朝の挨拶を行う。中年の女性と五歳ぐらいの幼い男の子が手を繋いで店内に入った。具合が悪いのは男の子の方のようで、マスクの下で苦しげな咳を繰り返し鼻をすする音も聞こえる。 「アラン、カウンターの方を頼む」 ガストンはアランに耳打ちしてカウンターを任せると自分は奥の部屋へと入っていく。 「これ、お願いします」 女性はカウンターに対峙すると鞄からさっと一枚の小さな紙を渡した。近所の医者の処方した薬の内容が書かれている。 「分かりました。ではそちらの椅子にかけてお待ちください」 アランは処方箋を受け取ると左手で女性を促す。女性は軽く礼をすると椅子へと向かう。 その時勿論ラーナーの存在にも気付き、思わず顔をひそめたが見て見ぬふりをして少し遠くの椅子にかけた。 が、男の子はじっとラーナーを見つめたまま視線を動かさない。彼の咳の音が部屋中に何度も何度も響く。 その音に起こされるようにラーナーはゆっくりと身体を起こす。アランはガストンに処方箋を渡してから彼女が起き上がったのに気付いたが、その表情を見て思わず呆然とする。 涙が伝ったような薄らとした跡が頬に残り、既に疲労困憊といったような酷い顔になっていた。ラーナーは男の子の存在に気付くと薄く笑って少しだけ手を振ってみせた。男の子は首を傾げ漸くラーナーから目を逸らす。 様子を瞬きもさほどせずに傍観していたアランは唇を噛みしめる。 と、その時オーバン家の生活間と繋がっているドアが開きアランは顔をぱっとそちらに向けた。エリアがエプロンを外しながら入ってくる。 「おばさん、カウンターお願いしますっていうか今日は一日休みをください! ちょっと野暮用が」 「はあ?」 突然の頼みにエリアは眉をひそめた。が、その返事を聞く前にアランはばたばたと奥の部屋に入り同じことをガストンに願い出る。ガストンも突然の事に戸惑い手元に持っていたものを落としそうになる。 「すいません師匠、明日からまた頑張るのでお願いします! では!」 「お、おいアラン」 アランは鼠のように素早く逃げ去る。カウンターに置いてあった自分の物が様々に入ったリュックを持つと、カウンターから跳び出し、ラーナーの元にやってきてその腕を掴んだ。思わずラーナーは身体を大きく震わせた。 「アランくん?」 「ラナちゃん、ちょっと来て」 半ば無理矢理引っ張ってラーナーを立たせると、乱暴に店の入り口から直接外に出た。普段はこの出入り口を使わないため珍しい。それほどに急いでいるようだった。 呆気にとられたエリアはぽかんと口を開け、その場に立ちつくす。部屋からオーバンも出てきてドアを見つめた。いつもより大きめの鈴の音が未だに響く。 客の女性も何が起こったのか理解できず入口を見つめる。 急に静かになって取り残された部屋に、男の子の咳がまた一つこだました。
ラーナーには何が起こっているんだかさっぱり分からなかった。手を引かれるままに行動し、今現在はバスの中に身を置いている。 バスの中は混んでおり、座ることが出来ずに立っている人もいた。ラーナーとアランは一番後ろの席に腰を下ろし、ひとまず落ち着く。アランは額に光る汗をリュックから取り出したタオルで拭く。 大きく揺れるバス。今はトレアスの市街地の中心を走っていて、窓から外の景色を覗けば多くの人が歩き車が走っている。トレアスは坂に面した町で、この市街地以外は基本的に厳しい坂が続いている上、住宅が寄せ合うように立っている為道も狭い。だから自転車はほとんど見かけず人々は車、特にバスを重用する。市街地はオーバン家の周りと違って車線がいくつもあり、趣のある淡い色の石でできた背の高い建物が立ち並ぶ。 途中ゆっくりとバスは停車し、待ってましたと言わんばかりにバスの中の殆どの人々がそのバス停で降りていく。通勤や通学目的の人が多いのだろう。 一気にバスの中はがらんとして、窮屈だった空気も軽くなる。ほっとラーナーは一息ついて背中を丸めた。 「ね、アランくん。どうしたの突然」 小さな声でラーナーはアランに尋ねる。 「ちょっとな。あまりに酷い顔をしていたもんだからちょっと見ていられなくなったっていうやつだ」 「酷い顔ってひどーい」 「そう思うんだったらまず鏡を見てみたらどうだい。まあ泣き顔も可愛いっちゃ可愛いけど、男の目の保養はやっぱり女の子の笑顔ってやつ。今笑えてないじゃん」 言い返せないラーナーは押し黙り、何となく自分の膝に視線を落とした。 バスは大きくカーブして少し細い道に入っていく。 しばらく沈黙が続き、その間に二人ほどバスから出ていく。今バスの中にいるのは彼等二人を含めて四人。流石に殺風景である。 「クロに何言われたんだ」 アランは呟くように問う。その瞬間にラーナーは驚いたように目を見開き、次に軽く笑った。ああやっぱり、そういうことか、心の中で哀しくあざ笑う。 その表情を見たアランは目を細める。 「ここに、トレアスに残れって」 「……ほうほう」 「ここに居たほうがあたしもクロも良いからって。なんか、言われた時はショックでどうしようもなかったけど、落ち着いてみると……そうした方が、いいのかな」 相変わらず下を向いたままぼそぼそと話すラーナー。口を少し尖らせてアランは大きな息を吐き、腕を組んだ。 また沈黙が続き、途中で何人かバスに乗り込んではまた降りていく。人が入れ替わる中、ラーナーとアランだけは変わらず残る。坂は更に急になり、バスはトレアスをどんどん上がった。 ラーナーは行先を知らない為バス停が過ぎるたびに不安が積っていく。 「どこで降りるの?」 「トレアス名物の坂の一番てっぺん、カミスラ遺跡前のバス停だ。世界的にも有名な遺跡でけっこう綺麗なんだぜ」 ふーん、とラーナーは首を少し傾げる。あまりウォルタの外を知らないラーナーには、世界で有名であっても聞き覚えの無いものであることに変わりは無い。 どうしてそこに突然行くことになったのか、ラーナーは思わず尋ねたくなったがやめた。もうここまで来たらただ流されるままにアランについていくことにする。それより他に仕方がないのだから。
最後の会話から二十分ほどバスに揺らされ、ようやく目的地にたどり着く。財布どころが荷物を一つも持ち合わせていないラーナーがバス代を払える筈も無く、アランが二人分を一気に払う。申し訳なさそうに謝罪するラーナーをアランは気さくな笑顔でかわした。 バスは近くのバスの止まる駐車場へと向かう。どうやらここが終点のようだった。それを見送った後、ラーナーは改めて顔を上げ遺跡の姿と対面した。 カスミラ遺跡。 大きく開けた青空を背景に、豊かな緑の中に古い褐色の建物が並ぶ風景は壮大である。かつてここにあった王宮の跡、それがカスミラ遺跡。風化などが原因で荒廃し崩れている塀や建物もあるが、今もなお原型をとどめているものも多く見える。以前は栄えていたのだろう、今は自然に覆われているような有様だがそれこそがこの遺跡の美。重々しく荘厳な歴史そのもの。そしてメインは坂の半ばにある宮殿だ。ラーナー達の居る場所から少し左側に見え、大きな木に囲まれながらも何よりも高く、堂々としている。 頂上は遠く首を大きく曲げてようやく正面に見えた。あそこまで行くのだろうかと思うとラーナーは少し狼狽する。平坦な道ならまだしも急な上り坂だ。体力の消費は激しいだろう。 「ラナちゃん、勿論観光はしてもらいたいんだけど、今日の目的はそれじゃないんだ」 遺跡に見惚れていたラーナーはその言葉ではっと我にかえった。遅れてその言葉の意味を噛み砕き、首を捻る。 それからアランは遺跡の入り口へと先導するように身体をひるがえし、ラーナーも慌てて後を追う。淡い石でできた道が遺跡の世界へと誘い、それを少しずつ辿っていく。 「ラナちゃん、クロのことどう思ってる?」 アランはラーナーを隣に来るよう手で招いてから問う。思いがけない質問にラーナーは困惑した。どう思っているか。それは自分でもよく分からなかった。彼は自分の命の恩人であり、共に旅をしている仲間。友達という言葉とは違う。仲間の方がしっくりと落ち着く。そんな存在。けれど結局はよく分からない。分からないのだ。自分でも。 「分からない」 結局言葉を濁してしまうラーナーは、自分のことが何故だか惨めに思えた。 「よく分からないよ」 「そっか。そうだと思う。俺も未だによく分かんないし、あいつのこと」 「え、でも、アランくんはずっと前からクロのことを知っているんでしょ?」 「あいつはまだまだ俺にも沢山隠しごとしてるよ。基本的にポーカーフェイスだし、その上言葉少なに語るから説明になってねえし、ぎょっとするような無茶を何の苦もなくやったりするし、まじ分かんねえ意味分かんねえどうしようもない」 「……」 「俺が初めてクロと会ったあたりはもっと酷かった。一カ月一言も喋らなかったし物も殆ど食わなかったしずっと無表情だったしまじ酷いもんだった。今はまだ柔らかいって思える。まあそんな比較をしたところでラナちゃんにはしょうがないんだけどさ」 ひび割れた石の道。風に揺れる花々。周辺にあるのは砕けた塀ばかりで、視界が非常に開けている。 なだらかな坂だったのが石の階段へと途中から変わった。上を見上げれば階段は緩いカーブを描きながらずっと上まで続いている。三人ほどの観光客がカメラで風景を撮影している隣をそっと通り過ぎた。 階段の道はラーナーの想像以上に身体に疲れを与える。対してアランは体力があるのかまだ十分余裕という風に見える。 「クロは変わっているようで、やっぱり変わっていないんだ」 アランは少し疲れて遅くなってきたラーナーの歩行スピードに合わせる。 「表面は変わったというか、ね。根っこの部分はずっと冷たいままだ。俺と師匠とおばさんはそのクロの心を開きたいと思いながらずっとあいつと付き合ってるけど、結局あいつは本当に心を開こうとしない。笑うようになっても、こっちを本当に信頼してるわけじゃないのかな。俺達はもうあいつのこと信じてやれるのに、一方的だよ」 ラーナーはそっと頷いた。その言葉は彼女が強く共感できるものだった。まさにその通りである。ラーナーだってクロのことを信じている。冷たいながらも自分の事を守ってくれる彼の存在はラーナーにとって大きなもので、弟のセルドを失ってからは彼女の心の大黒柱のようなものである。けれど、クロにとってはどうだろうか。先程の言動からして、クロがラーナーを信頼しているとはとても思えない。ラーナーもこの件のおかげでクロへの信頼は欠けてしまった。支柱を失った彼女の心は脆く崩れ、今に至る。 「だけど俺も師匠もおばさんも今までで一番びっくりしたのが、ラナちゃんをクロが連れてきたことだよ」 「え」 「まあ最初に来たときはどっちかっていうとラナちゃんがクロを連れてきたって感じだけど。どっちでもいいや。とにかく、あいつとにかく他人とつるむのはほんとだめだから、しかも女の子だし、ほんとびっくりした。ありえねえって思った。だけどなんかさ、こういうと変だけどさ、クロが変わってきている象徴なのかもしんないとか思ったりしてさ」 「象徴って、大袈裟な」 「まじめな話さ。お茶飲む?」 「あ、うん」 アランは歩きながらリュックを回し中から一つ麦茶の入ったペットボトルを取り出す。バスに乗り込む前に付近で購入したものだ。暑さに加え運動するのだから汗をかき水分はみるみる消費されていくと分かっていたのだろう。ラーナーはそれを受け取りぐんぐん飲む。アランももう一つ買っていたもので喉を潤す。 途端に疲れが和らいだような気になり、二人の歩く速さが心なしか速くなる。 少し周りを見渡せば、意外と高い位置まで来ていた。頂上までの道のりはまだまだ遠いが、トレアスの趣のある風景を一望することができる。思わずラーナーは感嘆した。 連なるような塀と屋根の無いものが多い建物は、物寂しさを残しながらもその静寂が一層遺跡の崇高な美を漂わせる。 「ずっと昔、ここに人が住んでいたんだよね」 ぽつりとラーナーは呟く。 「……そうだな。ここに沢山の人がいて、色んな話して。きっと今とそう変わらない雰囲気で」 「今とは違うんじゃない?」 「そうでもないさ。根本的な部分は人間なんてずっと変わっちゃいねえって、きっと。友達作って恋もして、誰かと結婚したりして。ああ、もしかしたら今よりもっとポケモンは沢山いたかもな」 「推測だね」 「大昔の話だぜ。俺の専門外だし。ま、全然分かんねえけどロマンは感じるよ」
それからしばらく無言で、ただ時々ぽつぽつと会話を交わしながら、二人はひたすらに歩を進めていく。 まだ、と聞くといつもアランはもう少しと言って言葉を濁す。さっきもそんなこと言ったじゃんと言い返すと気のせい気のせいと言ってかわす。時々お茶を飲みつつも疲労は重くのしかかりラーナーの足は棒のようだ。身体だけが勝手に動いているように作業風に上っていく。
「着いた」 そう言ってアランは足を止めた。合わせてラーナーも歩を止め、辺りを見回し何か声をあげようとするとアランは口の前で指を立てる。静かに、というサインだ。ラーナーは息を止め、アランの視線の向こうを見る。
百メートルほど向こう、二メートル程の高さの城壁の上に器用に座っている人間の姿があった。ラーナーは目を見開いた。帽子を脱いで風になびく深緑の髪、まさしく藤波黒だった。壁の傍にはポニータも佇んでいる。 彼はずっと向こうを見つめていた。カスミラ遺跡、トレアスの町、町の向こうにあるなだらかな山々、そして上に広がる青く雄大な空。自然と人間の文化、全てを受け入れようと全てを見つめている。 全てを。
「何か思うことがあると、いつもあいつはここに来るんだ」 ぼそりとアランは言う。 「あいつが倒れる前、何かもの思いに浸っているようなこと、無かったか?」 「あ……うん。バハロに向かっている途中で」 旅が始まった日に突然クロは何かが切れたように立ち止まり、黙り込んで虚ろになったことがあった。 「それは一種のあいつのサインなんだ。俺達もよく分かってねえけど、身体が限界に近くなった時やいっぺん倒れてから数日は精神が不安定になるんだ」 「そう、なんだ」 「うん。異様に気持ちが激昂したり、かと思えば突然静かになったり、めんどくさいんだ。だけど本人もそれを自覚してて、しょっちゅう後悔してる。安定しない心を落ちつかせるために、ここに来るんだ」 ラーナーはクロを見つめた。こちらに気付いている様子はまるでない。全身を遺跡の自然に同化させているように静かで落ち着きがある。朝の彼とはまるで正反対だ。 大きな風が吹く。しかしクロは全く動じることはない。 ポニータは待っている。彼が気持ちを整理して満足しまた地に立つことを、ただ待っている。それまでポニータはずっと彼の傍についているだろう。 胸の奥がしんと静まっていくのをラーナーは感じた。言葉にならないものが身体の中を巡り、口からは何も出てこない。
「ラナちゃん、明日のトレアスの市場で朝市があるんだけど、クロと一緒に行ってくれないか」 「……え?」 唐突な提案にラーナーは聞き返す。 「本当は毎朝俺が行くんだけど。そこで仲直りしてほしいんだ。クロには俺から言っておくから」 「そんな、あたし、うまく話せる自信ないよ」 「大丈夫だよ。クロだって分かってる筈だ」 ラーナーは黙り込み、もう一度クロの姿に目をやる。彼は遠い存在だった。今実際に物理的に離れている距離以上に、心の距離は一層離れてしまった。これを縮めるかそのままか。答えは決まっている。けれど勇気を出すことは怖いことだった。また突き放されてしまいそうな気がするのだ。けれどこのままでいいのかと問われればラーナーはそれはだめだと即答できる。今はそういう状況だった。 傍にあった遺跡の塀にラーナーは触ろうとしながらも少し躊躇し、けれどそっと触れる。ざらざらとしていて、かたく冷たい。
「……うん」 唇を噛みしめて彼女は頷いた。
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感想 ( No.30 ) |
- 日時: 2010/11/18 19:21
- 名前: でりでり ID:m.Fgik6I
- でりでりがお邪魔します。
いやぁもうめちゃくちゃ面白い。描写も話の流れも綺麗で、読んでるこっち側としてもどんどん進んでいきます。 伏線もめちゃくちゃ張ってますな>< 白のこと、黒の団のこと、李国のこと(も関係するのかな)、アランのバイトの内容のことなどなどいろんなことが気になる! まだまだ目が離せないことばかりで、これからも更新が楽しみです! アラン、めちゃくちゃ気に入ってます。こういうなんだかんだで超友達想いなヤツいいですよね。あとキャラクター的にもおいしいしw 次回はクロとラーナーの仲直り。一悶着あるか、そして無事仲直りできるか! わくわくが止まらないぜ! ところでラーナー、ブレットの伝言伝えたのかな……?
以上、短い感想ですがここで終わらせていただきます。応援してますので頑張ってくださいb
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感想 ( No.31 ) |
- 日時: 2010/11/19 19:24
- 名前: レイコ ID:/oSSWVns
- こんばんは、レイコです。移転作業お疲れ様でした。
※未読の方ネタバレ注意
今回久しぶりに最初から読ませて頂いたのですが、何分乏しい記憶力でして少々忘れていた部分もありました…… そう。何を隠そうアメモースの存在です。手当や料理といった場面で物凄く役に立ってくれているのですが、なんと出番に恵まれないことか…… 滅法強いクロ、優秀なポニータ、定評のあるエーフィ&ブラッキーという頼もしいメンツに囲まれたアメモースが戦う必要性はほとんどなさそうですが、 水道水や温かい人間の皆さんというライバルの出現に、その癒しポジションすら奪われつつあるような……と、よからぬ心配をしてしまいました;
そして回収されていない伏線の中で俄然気になったのが、ラーナーがバハロで会った足長少女です。そういえば彼女、あれから音沙汰無しですよね。 思えば当時、バハロの酒屋のマスターが出てくるなり「この人がニコ・ロンドだな」と決めつけて読んでおりました。 お恥ずかしい話です。どう考えても擁護のしようがない盛大な勘違いです。
最近の分ですと、トレアスはいい場所だなに尽きます。明るく接してくれるアランや夫妻の存在は本当に救いです。エイリー婦人も親切でしたが、すぐ別れてしまったのが惜しいです。
……哀しい場面を語ると憂鬱になるので今回はパスしますね。
まとまりのないコメントですが、お気を悪くなさいませんよう。これからも楽しみにしています。それでは。
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感想返信 ( No.32 ) |
- 日時: 2010/11/21 13:01
- 名前: 海 ID:X6Ski.o6
- 感想返信です。本当にありがとうございます!モチベーションがぐぐーんとあがりました!
>でりでりさん ふわわベタ褒めで恥ずかしいくらいです>< 伏線は沢山張っている分回収忘れをしそうで怖いです。今後でりでりさんが気になっていることも明らかにしていけたらいいなあと思っておりますがいつになるか……。 アランは作者の私もとても好きですwクロとラーナーはまだお互いかたいですし、特にクロとはしょっちゅう喧嘩しているようなものですから書き辛いことがよくあります。それに比べアランは自然体で性格も良い奴なので書きやすいです。あの二人に挟まれているのは、ポニータもそうですが若干振り回されてる感があるので可哀想とは思っていますがw ブレットの伝言はどうでしょうか、それもまた今後……。 応援ありがとうございます><また更新スピードは鈍くなりますがモチベーションは高まっているのでなるべくすぐ更新できるよう頑張ります!
>レイコさん レイコさんは旧掲示板から数えると二度目の感想ですね。本当にありがたいです。 アメモースが最近全く出ていないのは理由があるのです……。私自身アメモースは好きなのでそのうちどうしたんだというくらいの活躍場面を出したいですが、読者方に忘れられているのは大問題ですね。危機感を抱きましたありがとうございます。 足長少女は一度出たからにはまた出てきますが、いつになるのか……。酒屋のマスターと間違えられていたとは誤算でしたw分かりづらくて申し訳ないです><あと「ニコ・ロンド」ではなく「ココ・ロンド」なのです>< トレアスはクロとラーナーの休息できる良い場所にしたいと思ってこうなりました。二人がまだぎくしゃく状態なので、アランやオーバン夫妻は私にとっても助け船のような存在です。 楽しく読んでもらえるように今後も精進していきます!
お二人ともありがとうございました!まだ物語は始まったばかりのようなものなので、もうしばらく付き合ってくださるとありがたいです><
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30話更新 ( No.33 ) |
- 日時: 2011/03/27 23:08
- 名前: 海 ID:pMzOchoo
- Page 30 : 賭博
日は完全に山の向こうへと落ちて辺りは暗闇に包まれている。市街地はまだ少し賑わっているだろうがオーバン家の前は沈黙を保っている。 オーバン家の二階の端の部屋の明かりが点いている。アランの部屋であり今はクロも寝泊まりしている部屋だ。先日電気が点かなくなっていた事をエリアに指摘され、変えたばかりのところであった。 ラーナーとアランが帰ってきてから数時間後、夕方のあたりでクロは帰ってきた。それからまた時間は経ち、部屋にはクロとアランの姿がある。 「本当に身体は大丈夫なのかよ」 床に乱雑に置いてあった本を手に取っては本棚に戻しつつアランはクロに声をかける。 ああ、とクロは頷く。そしてこれ見よがしに十冊以上の分厚い本を一気に持ち上げてみせ、アランの元へと持っていく。それを見たアランは複雑に顔をしかめ、溜息をついてからその本を棚に戻していく。 足の踏み場も無かったこの部屋もようやく本来の姿が見え始めているが、凄まじい埃が撒き上がっていた。窓を開けているものの空気の循環は悪く、部屋にいるだけで鼻水が暴走しそうである。もっとも二人はこの空気に慣れたものなのか身体に異変はさほど起こっていない。 クロは整然されている本棚の全貌を見やる。どれもこれも分厚く背表紙を見るだけで難しいことが手に取る様に分かる。クロは見てもさっぱりだろう。内容は様々なものがあるが根本は大して変わらない。医学関係のものだ。 アランはガストンを師匠と呼び、彼の元で薬学を学んでいる。 一見すれば家族のように親しんでいるオーバン夫婦とアランだが、実際のところ彼等に血の繋がりは殆ど無い。遠い親戚同士の関係である。それをクロは知った時ひどく驚いたものだった。言われてみれば確かに顔に似通ったものはあまりないが、それ以上に仲の良さが家族といえるそれだったのだ。 本来医療系の技術を学ぼうと思うなら大きな学校に通うものだがアランには金が無く、今だってアルバイトをしてぎりぎり繋いでいるようなものだ。アルバイトの金は殆ど本などの勉強のために回し、一部はオーバン家に御礼のものとして贈っている。朝は早く昼はこの薬屋で働き夜はバイト。間の時間を使って勉強。身体は大丈夫かと尋ねるともう慣れたといつも笑ってみせる。それがアランだった。 クロは身体をぐっと伸ばすと口を開いた。 「さて、掃除はこのへんにして、俺はそろそろ行くよ」 「本気かよやめとけ。俺は別にどうでもいいけどな、途中でガタがきてその隙にぼっこぼこに殴られたらラナちゃん泣くぞ。別に今日じゃなくたっていいだろ。まだ完全に身体が回復したわけじゃねえのにハードなことする必要はねえっていうかハードなことすんじゃねえ馬鹿野郎」 「もうこれ以上ここに長居するわけにはいかねえよ。さっさと出ていく」 「お前なあ」 呆れた声をあげたアランは持っていた本を全て片付けると机の傍に歩いていき、一つノートを開き挟んでいた一枚のメモ用紙を取り出す。それを渋々といったようにクロに向ける。クロは一度アランの目を疑うように見やるとそれを受け取る。 「前に行ってた所とは別の場所だ。聞けばあそこは潰れたらしい。適当に詮索してみたらその手に詳しいお客さんが居てな。あっさり教えてくれたよ」 「……お前ってそういうの上手いな。ただのコーヒーハウスだろ」 「まっ神様が俺に授けてくれた唯一の才能ってやつかねえ。別にそんなん必要ねえんだけど」 「自分で言うなよ」 メモ用紙を乱暴にズボンのポケットにしまうと、部屋の角に置いてあるクローゼットを開き中にかけてある黒いニット帽を取り出しそれを被る。その際深緑の髪が全部隠れるように丁寧にする。 アランは引き出しを開き小さな箱を取り出すとクロに差し出した。途端クロは露骨に嫌悪感を表情に出す。 「ニット帽はまだ許すけどこれは嫌いだ」 ぽつりと呟いてそれを乱暴に取る。渋々机の上に置いてあった伏せてある鏡を立てると、箱を開ける。中に入っていたのは青と白を基調としたコンタクトレンズのケースだ。 その片方の蓋を取り中に満たした液体に浸っているコンタクトレンズを取り水分を切ると、人差し指に乗せ鏡をじっと見る。大きな溜息をついて鏡に映った自分の顔を見つめる。 が、意を決したように指を使って左目を大きく見開き、そこにそっとレンズを乗せるように装着する。ゆっくり何度か瞬きを繰り返しレンズを安定させる。左目を改めて開いて右目を覆いきちんと着いたかどうかを確認すると、その目を細めた。鏡に映るクロの瞳は深緑から黒色へと変貌していた。同じ要領で右目にも付けて両方とも見た目は黒目となる。 鏡を再び伏せるとアランの方を見る。アランは椅子に座ってその様子を少しにやけながら見物していた。 「いつ見てもおもしれえなカラコン」 「俺は嫌いだ。こんなの俺にはただの障害」 「それはお前だけだろ。それに緑の髪に緑の目なんて珍しすぎて相当目立つんだから一晩ぐらい我慢しろ」 分かってるよ、とクロは適当に返事をして足元に置いていた自分の鞄を背負う。その後先程アランから受け取った用紙をポケットから取り出し目的地を再度確認する。ここからさほど遠い場所ではなく、市街地の端の方にある。少し人通りがありそうだが中心街に比べればなんてこともないだろう。それをまたしまい、今度はベルトに着けているポーチ、普段は火閃が入っているものの中身を取る。火閃は無く、代わりに入っているのは二つのモンスターボールだ。 「アメモースはちゃんと回収したか」 「ああ。こいつまたコイビトの所へ行ってた。毎度探すのに苦労させられる」 「ポニータも今はボールに入れてるんだろ」 「ああ」 クロは話しながら二つのボールを手元で遊ぶように投げる。数秒後には飽きたように元の場所に戻した。 「おいクロ」 半ば怒っているような、或いは気だるそうな声でアランはクロを呼ぶ。それに振り向いたクロはなんだよとぼそりと呟く。 「ラナちゃんにここに残れって言ったんだって? お前馬鹿だな」 思ってもいなかった話題が飛び出してきてクロは身体を震わせ固まった。 溜息を吐くようにゆっくりとアランは話し始める。 「仮に、もし、万が一ラナちゃんがここに残ることがあった時、ヤバい奴がここに来たら誰がラナちゃんを守れるんだよ。誰も守れねえよ。この家にポケモンはいねえしお前みたいに変な力があるわけじゃないし、ごく普通の一般家庭なんだよ。前に色々あった時何とかなったのはお前が居たからだろ」 諭すような言い方でアランは話しながら、椅子を立ち上がる。殆ど同じ高さの目線がぶつかった。強く鋭い視線に思わずクロはたじろぐ。クロの瞳には迷っているような弱い光しか灯っていない。 クロは過去の話を聞かされるのは苦手だった。どうしても縮こまってしまう。そこで感じるのは罪悪感。 弱みを握るようだがチャンスだとアランは確信した。 「仲直りしてくれ」 「……」 「頼むから、仲直りしてくれ」 クロを抑え込もうとしているように強く圧力をかけて言う。クロは遂にアランから目を逸らし、下の方を虚ろに見つめる。冷たい沈黙が流れ、アランはクロの返事を待つ。しかし一向にクロの口が開きそうな気配は現れない。時を刻む時計の音が部屋に異様なまでに鳴り響く。 どれだけ時間が経ったのだろうか、よく分からない。待ちきれなくなったアランは机を思いっきり叩いて沈黙を突き破った。クロは驚いて身をびくんと震わせた。これほどにクロが動揺を見せるのは珍しく、そしてアランが露骨に苛立っているのもまた珍しい。 「明日の朝、近くで休日にやる市場がある」 唐突なことにクロは顔を顰める。すぐに頭を整理し何のことを指しているのかは分かった。以前自ら赴いたこともある市場だ。朝にも関わらず多くの人で賑わい、人混みが苦手なクロには少し心を狭くさせるものがあった。 「ラナちゃんにも言ったんだけど、そこで仲直りしてくれ。ちゃんと向き合って、今後どうするかは話し合って決めろ。勝手にお前が決めていいことじゃない。そんなの当たり前のことだろうが」 気持ちの高潮を無理矢理押さえつけて静かに怒りを込めているアランをクロはようやく再び見た。 すぐに返事をすることはまたもできず、しばらく熟考する。いや、クロの頭の中はふわふわと浮遊しているような状態で深く考えてはいなかった。考えるのを放棄して、早くこの部屋を飛び出してしまいたいという気持ちの方が今は強い。 クロはアランに背を向けた。 「考えとく」 呟くような言葉を残して、クロは窓枠に手をかけたかと思うと開かれた窓から外へと飛び出した。思わずアランは目を見開き窓にかけよる。 下を覗き込むと何事もなかったようにクロは着地し、埃を取る為に軽く服をはたく。ほっとアランは肩を撫でおろすと少し苦々しげにクロを見る。それに気付いたようにクロは二階を見上げるとすぐにひるがえして歩き始めた。 アランは深い溜息をついてその場にへなへなとしゃがみ込み顔だけを窓に出す。外は完全に暗闇に包まれていて、今日は星が綺麗な夜である。風も穏やかで過ごしやすい気温だ。夏は過ぎつつあるのだろうと察しがつき、少しだけ心が涼しくなる。 時間は確実に進み、季節は巡っている。当たり前のことだ。 本当に、当たり前の事だ。
*
トレアスの賑やかな町並みを抜けて、涼しい風から逃げるようにいつもとは違う黒い上着のポケットに手を入れて、クロは目的地を見渡す。 耳に入ってくるのは籠った打撃音。荒々しさの中に歓喜のこもった叫び。尤も、敏感なクロの耳だから聞こえてくる音なのだけれど。 少し広めの道に所狭しと並ぶ廃墟のような建物。実際殆ど廃墟だが、その中で声が聞こえてくるのはただ一つ。クロはそこに歩いていく。目的の建物は見上げれば三階建て程度のものだ。如何にも重そうな扉の傍には金髪の柄の悪そうな男の若者が立っている。鼻につく煙草の匂いは彼から発せられており、鋭い目つきでクロを睨みつける。が、クロはそれを軽くスルーした。 「おい」 声をかけられてクロは仕方がなさそうに男性に目を向ける。クロよりも身長は二十センチ程高いため傍から見れば少し滑稽なものに見えた。 「てめえ、ここはガキが来るとこじゃねえぞ」 脅しのつもりなのだろうがその声に迫力は無く、むしろ気だるそうなトーンである。 「知ってる。知ってるから来た。ちょっと荒稼ぎにな」 少しにやりと笑うクロの顔を男性はじっと見つめると、その後くっくっと喉の奥で押し殺すように笑い始めた。そして無造作にポケットから煙草を出した。 「お前みたいなのは相手になんねえ。いや、相手にすらしてもらえねえかもな」 「ポケモンさえ持っていれば問題無いだろ」 「ただのカモだな」 「それはどうかな」 男性は煙草にライターで火をつけてそれを口にくわえる。その匂いは慣れたものだがあまり好ましいものではなく、クロは顔をしかめたくなったがそこはぐっと我慢し表情を保つ。 クロは扉に手をかける。一度引いてみるがどうも逆だったようで、すぐに押す。思っていたより重たい扉で、石の塊のようだ。少し体重をかけると開いた隙間から多くの人々の先程より大きな声が飛び出してきた。 「さっさと入れガキ」 大量の声にかき消されそうな男性の言葉がクロの耳に届いて、言われたようにすぐに入る。
中は狭くそして見た目通り古い。埃が宙を舞っているのか鼻が少しだけ騒ぐのをクロは感じた。 声の在りかを探すようにクロは辺りを見回した。ほぼ真っ暗に等しいが小さな窓から覗く月光で辛うじて障害物の所在ほどは感知できる。と、クロは正面二メートルほどの部屋の右端に地下へと続く階段を発見した。 まっすぐにそこへ向かい階段下を見下ろす。下は暗くてよく見えない。何段あるかすらもよく分からない。自然と息を止めながら探る様に階段を一段一段慎重に降りていく。それは思っていた以上に長い長い階段だった。が、そのうちにようやく地下の間へと辿りつく。階段を降り切った所には扉があり、些細な隙間から僅かに光が零れている。そして耳に障る歓声。間違いなく目的の場所はここだった。 クロはドアノブをそっと捻る。瞬間一層声の量が増し空気がびりびりと伝わって、まずそれに酔ってしまう。明らかに気分を害されたように表情をしかめ、部屋の中を見渡す。 そこは広いフィールドだった。小さな扉からは想像もできない。天井の高さは今まで降りてきた階段の段数の多さを納得させる。面積もそこそこな広さで、そこに人がざっと数えて三十人ほど。そしてやはり目についたのは、その部屋の中心に当たる場所を広く使ったポケモン同士の戦いだ。今戦っているのは炎を体現したようなブーバーンと全身が眩しい黄色の刺で覆われているサンダース。が、優勢なのは明らかにブーバーンで、サンダースは必死に立っているがその足は震えていた。痛みが酷いのだろう、前足からは血が流れている。 「とどめだ、火炎放射!」 嬉々とした野太い声が響き、その瞬間バトルフィールドにいるブーバーンの口が大きく開くと、次の瞬間炎の柱が口の中から吐き出されサンダースに真っ直ぐ突き刺さる。ふうんとクロはその戦いぶりを傍観する。サンダースは悲鳴を上げて力強い炎に押されるがままに吹っ飛び、壁に叩きつけられた。サンダースのトレーナーが唖然とする。サンダースは力無く床に崩れ落ちた。 「ははっこれで九連勝だ!」 「くそっ」 くっきりと分かれた両者の顔色。 場に出ていたポケモンがそれぞれボールに戻されると、フィールドの傍に立っている、周りとは一目置いたような小奇麗なスーツに身を包んだ男性が動く。彼の周りにある机の上には金の札が積まれていた。二つに分けていたそれらを一つにまとめる。
ここは賭博場。 ポケモンバトルを使ったカジノ。 この国アーレイスを含む世界でポケモンバトルは基本的に“スポーツ”として扱われている。そして、金が関わることは基本的に禁止されている。勿論プロが参加するような公式大会になれば上位選手に賞金が贈られることはあるが、賭博などもっての外である。今まで同じようなことで検挙された例が世界でいくらかある。けれど無くならないのが実情だ。実際こうして目の前で行われている。けれどクロにとってもこれは大切な収入源だった。旅をするのに当然金はかかる。賭博はリスクが高いが一気に大きな収入を得る可能性もある。それがクロの目には魅力に映り、ずっとそうして稼ぎながら旅を続けてきた。今更禁止されていることに参加することに後ろめたさなど感じていない。
ブーバーンの使い手がスーツの男性の元に寄り自分の手に入れた金を数えている。その間にクロはちらりと右に横目を流して一番近くにいた小太りの若い男性の元に寄る。 足音に気付いた彼はクロを見た瞬間まずぎょっと目を見開く。 「ここルールとかあるの?」 構うこと無くクロはさらりと話しかける。 「は?」 「だからここルールはあるの? 何匹使うのかとかシングルなのかダブルなのかとか」 少し呆然としたように男性はクロをじっと見つめる。頭の中を整理しているのかしばらく何も言わない。クロの苛立ちがつのる。 どこに行っても大抵最初はこうである。大人達に混じって臨むクロの小さく細い姿は珍しく、まず驚かれて馬鹿にされる。その後実力で黙らせてきたのだけど。ただこういう状況になる度に気分は淀む。 「別にない。バトルする度にその場で決める……お前戦うつもりか?」 「そうじゃなかったらここに来るわけないだろ」 「まじかよ。はははっ! おい聞けよ、ガキが参戦しに来たぜえ!」 小太りの男性はその身体から叫ぶような大きな声をあげた。その声は当然室内に響き渡り、部屋にいる人間の耳に跳び込む。皆クロを見た途端にどよめき、そして笑いが誰かから起こると連鎖するように部屋中に嘲笑の声が満ちた。 さすがにクロは眉をひそめる。 「お前ガキのくせにポケモン持ってんのかよ! それにここで賭けれるだけ金があるのか? お坊っちゃんか? ハハッ」 わざとらしく顔を覗き込んでくる男をクロは不快気に睨み付けると、頭が痛くなりそうなくらいに大きなからかいの篭った笑いの中で一つボールを出した。その途端誰かが甲高い口笛を吹いてみせる。歓迎ではないのは承知である。指をさしてくるのが目に入り、本当に居心地の悪い空間だと心の中でクロは溜め息をついた。 クロはフィールドの側に座っているスーツの男の元に向かう。スーツの男はクロを不審そうな視線でとらえ、右手をクロに差し出す。何かを要求しているようだ。その何かが何であるかは簡単に想像がつく。賭ける金だ。 黒い上着のポケットに手を入れて、適当に探り当てた枚数の金をクロは机に叩きつけた。その瞬間スーツの男と、傍にいた先程戦闘を終えたブーバーンのトレーナーは目を疑った。飛び出してきた金額をスーツの男は慌てるように数え、確認した後にクロを見やる。クロの表情はいたって平常である。 「オイオイ、ガキのくせに無駄に持ってやがんなあ。むかつくぐらいだ」 ブーバーンのトレーナーは顔を少し引きつらせて言葉を吐く。 「相手してよ。一対一?」 クロは少し笑いながら尋ねる。場の人間がまず耳を疑ったように空気が冷えた直後、巻き起こったのは野太い歓声。ただしやはり嘲ったもの。突然跳びこんできた挑戦者はまだ随分若い少年、迎え撃つは現在九連勝中の男。絵柄は随分と滑稽なようだ。 「いいや二匹だ。まあお前が一匹しか持ってないなら話は別だがな」 「問題無い。じゃあ二対二で」 さらりと流したクロは勝手に自分の立ち位置へと向かう。
トレーナーの立つ場所にクロはやってくると落ち着かせるように深呼吸をした。傍観するようにフィールドを広い視野でとらえる。目の前の線で区切られた空間は神聖な場所であるかのように誰もいない。もう間もなくそこで戦闘が始まる。心に沸き立ってくるのは興奮、衝動。彼をかきたてる。口元が少しだけ上がる。 クロの相手も位置につくと、にやりと笑いながらボールを投げた。クロはその途端眉間に皺を寄せる。 ボールから飛び出してきたのはブーバーンではない。白くフサフサとした大量の毛が顔を包み、手は大きな葉の団扇であるダーテングだ。大きな口から威勢のよい叫びを上げ、その瞬間一気に会場のボルテージは上がる。 「ハンデだガキ、先に出してやるよ!」 ハンデという部分を異様に強調させ、歓声の中でもクロに届くように叫ぶ。 先程までのクロの興奮はどこかへ消え失せ、代わりに満ちるは苛立ち。クロの相手は自分の手持ちにブーバーンがいることをクロが知っていると分かっておきながら別のポケモンを出してきた。クロを舐めてかかっていることが明らかだ。 クロは先に出していたボールをしまい、別のものを取り出す。中身を確認するように見てから上へ放り投げた。中から光が飛び出し出てきたのは大きな特徴的な触覚を持つアメモースだ。 アメモースが出現した瞬間、目玉のような触覚に気圧されたのかダーテングは少し怯む。 が、当のアメモースは威嚇などするつもりはなく、威嚇どころか戦闘に興味がなさそうに項垂れている。 「アメモース、面倒臭がるな! 今日が終わればしばらくまた戦わせないからさ!」 恨むような目つきで振り返ってきたアメモースにクロは声をかけた。 クロのアメモースは戦闘をあまり好まない。好戦的だった時期もあったが今はまるで違う。原因はクロのアメモースの恋愛相手であるトレアスに住む野生のアメモースだ。最初に出会った時に何故か喧嘩になり戦ったが意外な強さに負けてしまい、それ以来自信を失ったのか戦闘を面倒臭がるように避けるようになった。酷い時には戦闘を放棄してどこかへ飛んで行ってしまうこともある。だからクロはこのように本当に必要な時以外はアメモースを戦わせなくなった。 はぁとアメモースは溜め息をついた。やる気がまるで感じられない。きっと戦闘本番になれば気合も入るだろうという期待を持ちながらもクロは肩を落とす。
タイプだけを見れば優勢なのはアメモースだ。けれど周りの観客はアメモースが勝つとは思っていないのか、アメモースに見下したような台詞を口にする。もしもこの場に虫ポケモンを好む子供でもいたら虫を馬鹿にするなー! と怒りを叫ぶだろう。 視線を外に向ければ場外でも賭けが行われているようだ。が、クロの方に賭けている者はいるのだろうか。いなければ賭博は成立しない。 「始めようか」 クロは溜め息をついてから声をかける。 スーツの男性がやる気なさげに右手を挙げたのが見えた。彼は審判も兼ねているのだろうか。 「ダーテング、猫騙し!」 相手がそう叫んだのとほぼ同時にダーテングは強く地を蹴るとあっという間にアメモースの元に跳びかかり、二つの葉の団扇を思いっきり叩き合わせた。その瞬間何かが張り裂けるような凄まじい音が弾けた。同時に巻き起こる強い風。アメモースは風圧に耐え切れず上空へ吹き飛ばされる。突然の攻撃に反応できずアメモースの体は動かない。 「触覚を広げろアメモース!」 クロの叫びが耳に入った時、アメモースは風で閉じ気味だった目を見開いて触覚を広げた。何とかバランスをとる。風も少し和らいで壁にぶつかるという事態は回避する。 アメモースは四つの羽を動かし上空へと舞い上がった。その瞳に強い光が宿る。猫騙しで目が覚めたかのようだ。クロはにやっと笑う。 「蝶の舞」 クロの宣言と共にアメモースはゆっくりと飛びながら回転する。羽と触覚が風に流れるように揺れ、空中でゆったりと踊っているようだ。そしてその舞は少しずつ速くなっていきながらアメモースは地上へと飛行する。 「ダーテング、騙まし討ち」 ダーテングは一度手の団扇で大きな風を起こしアメモースの飛翔のバランスを崩す。そして向かってくるアメモースと対峙するように跳び上がった。少しアメモースの軌道とはずれ、体を捻る。右手を使った裏拳を狙う。 「回転してエアスラッシュ!」 少し傾いた体を無理矢理捻り、触覚と羽が大きく羽ばたいた。飛び出すはダーテングの作り出す広がる風とは違い、小さくも鋭い風の刃。それが四方八方に走った。当然ダーテングは避けられずそれを食らう。が、もう既にアメモースに接近していたため、風の刃を振り切るようにアメモースの小さな体を右手の裏で殴った。体重が軽めのアメモースは横方向へ真っ直ぐ飛ばされ、壁に激突した。一方のダーテングも地にうまく着地できず転がり落ちる。 エアスラッシュによって体に切り傷ができたダーテングは少しよろけながら立ち上がる。ダーテングのトレーナーは眉をひそめる。彼が思っていたよりダメージは大きかったようだ。 アメモースは壁を蹴って再び飛ぶ。まだ安定して飛べている。クロは胸を撫で下ろす。 「もう一度蝶の舞だ!」 空中を乱舞するように飛ぶ。くるくると廻ったり触覚を大きく広げたりしながらまた加速していく。目の錯覚か、アメモースの周りを小さな光の粉が舞っているかのようだ。それほどに洗練された美を踊る。 しかし今は戦闘中。それに見惚れるような状況ではない。 「痺れ粉!」 クロは叫んだ。途端アメモースは舞をやめ、素早く触覚を一度畳んだ後に花開くように広げた。金色に煌く粉が精製され、空中を飛び回りそれが地上へと粉吹雪のように降り注ぐ。 「ダーテング、返してやれ! 風を起こすんだ!」 「こっちもだ、銀色の風!」 トレーナーの指示通り、ダーテングはまず腕を大きく広げるとその両手を思いっきり内側へと降った。瞬間、轟音と共に凄まじい風が爆発した。 負けじとアメモースも痺れ粉を降らせる体制から一転、触覚と羽を後ろに反らせると一気にそれを羽ばたかせた。銀色の輝きを携えた風が巻き起こる。 両者の作り出した風が激突し、部屋中を巻き込む大きな風がまるで火山が噴火したように暴れまわった。辺りから悲鳴が飛ぶ。クロは帽子を押さえて髪が出ないようにする。あまりの強い風に耐えるのが精一杯で、目も開けていられない。 痺れ粉による金色と風の銀色とが交じり合い、それが乱舞する。が、アメモースによる銀色の風の方が強い。銀の光がそれを物語るように部屋を掻き毟る。 少し風も落ち着き始めた頃、クロはようやく目を開いて上空を見上げた。アメモースは大きな風のエネルギーに煽られていたが体勢をぎりぎり保っている。耐久力もあげる蝶の舞の効果が表れていた。 対するダーテングは風に押され、手を地に付け耐えている。痺れ粉は辺りに吹き荒れて散り散りになり効果がほとんど薄れてしまったが、チャンスだった。 「電光石火!」 クロが叫んだ瞬間アメモースはまだ暴れている風の中を安定してまっすぐ突き進んだ。そのスピードは目にも留まらない。距離があったにもかかわらず一気に間合いを無くし、ダーテングに激突した。出発点が高い位置であることにスピードが上乗せされ、ダーテングに重く鋭い攻撃が圧し掛かる。その大きな身体がふらりと揺れた。 しん、と音が完全にやんだ。 誰も息を呑んで声を発さない。 アメモースが軽く羽ばたいてダーテングを見下ろす。土煙が少し漂っている中で、ダーテングは何とか立ちあがろうと震えるが、もう限界であることは誰の目にも明白である。 そして沈黙の中で、重い石が地上に落とされたような太い音が響いた。 ダーテングは立つ力すらも失い、その場に伏した。
予想もしていなかった事態に、周囲は少しずつざわつき始めた。ダーテングのトレーナーは自分の目を疑いしばらく立ちすくしている。
「早く戻しなよ。使用ポケモンは二匹だろう」 少し楽しそうにクロは小さな笑窪を作って言い放った。その言葉で夢から帰ってきたように相手ははっとすると、顔を歪ませてダーテングをボールに戻す。 「調子にのんじゃねえぞ! いけ、ブーバーンッ」 投げられたボールから再び姿を現したブーバーン。腕の先から炎が飛びだし、その口から吐く息すら燃えている。気合は十分、破壊力は言うまでも無い。さすがにクロは身を固くする。 アメモースはブーバーンの発する熱を嫌がるように少し地上を離れた。 先程とは一転、不利なのはアメモース。タイプの相性は勿論、アメモースはダーテングとの戦闘で体力を削られている。 「ブーバーン、煙幕!」 指を突き出したトレーナー。ブーバーンは体勢を低くして腕を前に突き出した。そして腕の先からは炎の代わりに黒い煙が勢い良く噴出された。一瞬でブーバーンは見えなくなり、数秒後には視界が完全に黒に遮られる。クロは口を思わず押さえたがすぐに離す。 「アメモース、煙幕を吹き飛ばせ!」 アメモースの姿はクロから全く見えないが、アメモースの耳にはクロの命令が届いた。羽根を素早く羽ばたかせ一気に煙幕を一掃する。 が、煙幕を払った途端にブーバーンがその中から跳び出してきた。アメモースの起こす風などもろともせず、脅威のジャンプ力でアメモースのところまで来た。気付かなかったクロは目を見開く。 大きなその腕をブーバーンは振りあげた。アメモースは羽ばたきを止め、咄嗟に避けようとした。その重い腕が振り下ろされる。次の瞬間、若干かわしたアメモースだったが大きな触覚は捉えられ、地上へと一気に叩きつけられた。クロは素早く腰に手を回し二つのボールを取りだした。 「決めろ! 大文字!」 「バトンタッチ!」 二人の声が重なる。アメモースは目を見開くと痺れ、痛む身体を無理矢理動かし飛んだ。クロは開閉スイッチを押した二つのボールを突き出す。片方からは白い光が、もう片方からは赤い光が飛び出した。アメモースは真っ直ぐに赤い光へ飛び込み包まれると、そのスピードのまま白い光に一瞬絡みついた。混じり合った二つの光は再び分かれ、アメモースはボールの中へ。代わりに姿を現したのはポニータだ。 地上に着地したブーバーンは充填を完了させ、片腕から炎の柱が猛烈な勢いで噴き出した。その威力にブーバーン自身も少し後ずさった。炎は途中で五つの方向へ分かれ、それは正に大の文字を模した炎。 ポニータは足に力を入れた。瞬間、身体が震える地響きを伴った大文字がポニータに直撃した。ポニータは炎に包まれ、姿が見えなくなる。しかしクロは慌てる様子も無く冷静にそれを見つめた。 数秒後、炎が吸い込まれるように急速に消えていった。相手のトレーナーは息を呑んだ。ポニータは攻撃のダメージを全く受けていないのかぴんとしていて、それどころか背中に燃え盛る炎は一層大きくなり輝いているように見える。 「特性貰い火だ。ポニータ、煉獄!」 ポニータは走り出した、かと思えば一瞬でブーバーンの元に辿りついていた。元々速いが、バトンタッチによってアメモースの蝶の舞の効果が継承され、スピードが上乗せされている。 反応しきれないブーバーン。ポニータからすればブーバーンの動きはスローで再生されている動画のよう。その動きが手を取る様に分かった。 ポニータの背の炎が暴れ、口の中からオレンジ色の炎が飛びだした。それはブーバーンを囲うようにカーブがかかる。炎が一気にブーバーンに跳びかかった。それを払うようにブーバーンは腕を振った。 「そんなものがなんだ! ブーバーン、雷パンチッ」 ブーバーンの右腕に電気が走った。直後一気に増幅された電気エネルギーを腕に纏い、接近しているポニータに殴りかかった。咄嗟にポニータは顔を横に振り避けた。拳は止まらず地面へと激突しそこにひびが入った。喰らえば骨が数本折れる事は確実だろう。 電気を装填しているのは右腕だけでは無かった。攻撃の最中に左腕も電気を纏い始めていた。今、充電が完了する。素早くポニータに振り下ろした。ポニータは今度は落ち着いて後ろに軽く跳んで避ける。しかしブーバーンの攻撃は止まらない。連続でパンチを繰り出してきた。それをひたすらポニータは避け、どんどん後方へと下がっていく。 クロは目を凝らし、ブーバーンの様子を見守る。その時、ブーバーンの尾が不自然に鈍く光るのが目に入った。 「アイアンテール!」 相手の声が響いた。その指示を予期していたようにブーバーンは即座に右に身体を捻り、硬化した尻尾を大きく振る。 「高速移動、左!」 クロの指示は俊敏だった。そしてそれに応えるポニータは更に素早い。 尻尾が振られなかった方へポニータは一瞬で駆けるとすぐに静止。丁度ブーバーンも振り返ったその瞬間、ポニータは後ろの足を高く蹴りあげた。鍛えられた力強い後ろ足が捉えたのはブーバーンの顔面。足が減り込んだ、直後まるで豆が弾かれたかのように巨体が転がっていった。ぎりぎりフィールドの枠で止まるが、その顔は歪んでいる。鼻血が止まらない上目も開けられてはいない。丈夫な足腰に加え、ポニータのひづめはダイヤモンド以上の硬さと言われている、凶器そのものだ。その衝撃は想像を絶するものがあるだろう。 「跳びはねる!」 ポニータは少し助走をすると前足に力を入れた、かと思えば一気に跳び上がる。その高さは危うく天井にぶつかるのではないかと思うほどのもの。 「煙幕!」 咄嗟の指示にブーバーンは大きく息を吸い込むと、電気エネルギーを引っ込めた腕を伸ばし先から煙幕を噴き出した。あっという間にブーバーンの周りが煙で覆われる。 一番上の到達点に達したポニータは十数メートルの高度から煙幕の中へと急降下する。空気を切り裂いていくその速さは瞬く間に地上へと向かう。が、やはり煙幕に跳び込むのは不安か、少し軌道にブレがある。 「ブーバーンはまだ動いていない、そのまま行け!」 クロは助言するように叫ぶと、ポニータは軽く頷いて底の見えない闇のような煙幕に突っ込む。刹那、強烈な鈍い音が破裂した。 煙幕がポニータの軌道に沿って広がるように晴れると同時にポニータはブーバーンから間合いを取る。ブーバーンは相変わらず目を閉じたままその場に膝を付いていた。相手トレーナーは唖然とする。それは周囲の空気も同じであった。 冷たい目でブーバーンを見つめるクロ。ブーバーンがまだ動こうと震えながら立ち上がる様子を見ると、右手を上げた。 「ワイルドボルト」 ポニータは全身に力を込める。数秒後火花が散り始め、一気に電撃がポニータを包み込んだ。それを身体に纏ったままポニータは声をあげると走り出した。間合いなど瞬く間に詰めてしまう。 「雷パンチで応戦だ!」 「遅いよ!」 その二人の声が飛んだ時、電撃を衣にした馬は標的に激突した。防御など取りようがない。ブーバーンの視界は真っ暗なのだから。 ブーバーンは吹っ飛んで壁に激突した。容赦など欠片も無い攻撃に完全にやられ、そのまま力無く頭をうなだれる。
気絶した様子をじっくりと見極めたスーツの男性は、息を呑んで腕を上げた。室内に重い沈黙が流れる。 電撃が消え去るとポニータはクロの元に駆け寄った。クロは優しく微笑んで受け入れると、その白い身体をそっと撫でる。そしてその場を離れ、スーツの男性がいる所へと向かう。相手は金をまとめるとクロに差し出した。が、クロはそれを手を振って拒む。 「それ全部もう一回出す」 途端、周囲がざわつきを取り戻す。明らかに動揺した様子で、それぞれ顔を見合わせている。 「次来いよ。俺に勝てば、この金全部手に入れられるぜ。ただし、それなりにそっちも賭けてもらわないと勝負は受けない」 騒いでいる室内によく通る大きな声でクロは言い放つ。その口には不敵な笑みが含まれていた。
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31 理由 ( No.34 ) |
- 日時: 2011/03/08 18:17
- 名前: 海 ID:J0kOgnWo
- Page 31 : 理由
騒動のあった一日は明け、いつものように朝は巡ってくる。 清々しくひやりと肌に刺さる朝の空気を一身に受けて、ラーナーは透き通る青い空を見上げた。日光の暖かさが今は心地よいくらいだった。周りも静かで落ち着いている。休日だからまだ起床していない人もいるだろう。これから向かう朝市は少し早い時間から始まる。新鮮な農産物が並ぶとアランがあらかじめ話したが、ラーナーの故郷のウォルタには無かったものだから自然とラーナーの胸は高鳴っていた。勿論、心の中で光っているのは希望ばかりではないが。 玄関口の扉が開いた音にラーナーは振り返った。まず目に入ったのは苛々した表情を見せているアラン、すぐにその後ろに手をひかれて出てくるクロ。旅の際にずっと被っていた帽子を身につけ、前髪にほとんど隠れている瞳は半分も開いていない状態だ。 「待たせて悪いなラナちゃん。くっそこいつ案の定まだ寝てやがった。ちゃんと俺は朝市の話をしたにも関わらずなんだこの意欲の低さは。お前そんなに寝なくても割と平気な体質じゃねえのかよ」 「うるさい耳に響く。人間だから睡眠意欲には勝てないこともある」 「はいはい文句は後で聞いてやるわけないからさっさと行け。これ買い物メモ。けっこう大量だからまあ頑張れ。ラナちゃんは朝市初めてなんだからクロ、お前がしっかりしろよ!」 そう言って思いっきりクロの背中をアランは叩いた。叩くというよりは平手で殴ったという方が表現としてはやや正しい。爽快感すら覚えるような音が跳び、その痛さにクロは思わずその場にしゃがみ込む。無言の悶絶をするクロを無視してアランはそそくさと家の中へとまた戻ってしまった。 あっという間に二人は取り残される。言い知れない気まずさが辺りを満たす。アランが二人のパイプラインを果たしていたことを実感させられる。 クロは大きな溜息をついて未だに眠たそうな目で買い物メモに目を通す。小さなメモ帳のうちの一枚だが、アランの言った通りなかなか種類豊富に書き綴られている。朝市に売り出される食べ物は、普通のマーケットで売られるものと違って生産者と消費者が直接リンクする。生産者本人が売り出すため、売り専門の業者が間に挟まない分値段も安くなる。それを狙って早朝にも関わらず沢山の消費者が集まる。その人混みがクロは気に入らないのだが、今はもう戻ることはできない。 ゆっくりとクロは立ちあがる。 「……行くか」 その掛け声にラーナーは小さく頷いた。早足で歩きだしたクロの後を慌ててラーナーはついていく。
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朝市はクロが予想していたよりも人が少なかった。というのもまだ始まったばかりだからである。もう少し時間が経てばどんどん人で溢れてくるだろう。 トレアス市街地の中央にある市民会館に隣接した広場に所狭しと屋台やビニールシートが並び、そこで様々な食べ物が売られている。意気の良い声が辺りを跳び回り、それだけでラーナーは目が回りそうになる。あちらこちらで声をかけられ、慣れていない上にお人好しな部分もあるラーナーはその度に視線を行き交わせる。加えて人々の中にいることでぐんぐん上昇する気温が一層疲れを誘う。一方クロは勧誘の声に惑わされずに淡々と買い物を進めていく。どんどん市場を進むクロにラーナーはついていくだけで必死になり、会話など挟む余地は無かった。仲直りどころか、まともなコミュニケーションをとっているような会話は家を出てからまだ一度もできていない。 クロの両腕は大きな紙袋で埋まり、ラーナーも少し持っている。疲労の一方で、鼻に香る乾いた紙の匂いがラーナーの心をささやかながら僅かに和らげた。 沢山の物が入ったクロの紙袋にまた一つ何かが入って、ふぅと彼は息を吐いた。その表情には少なからず疲労が見えている。 「大丈夫?」 思わずラーナーは尋ねる。荷物をもう少し持ってあげるべきだろうかと思いつつも、クロの持っている荷物を自分が持てるとはとても思えないほど、見た目からして重量感がある。巨大な米袋を一つずつ両手で持っているよう。 「別に、これくらい」 ちらと話しただけでまた会話は終了する。確かにそれほど苦労しているようには見えないが、少し前まで歩くのすらままならない状態だったというのに、いつの間にここまで回復を遂げたというのか。 額からたれる汗を拭うラーナーをちらりとクロは見やると、肩を落として辺りを見回す。と、あるものに目を止めた。方向を少し転換して、行き交う人の声を潜り抜け、市場の少し外れになると若干寂れたように店の数が減少する。背後に騒ぎ声を残して、クロが向かった先は朝市が開催されている広場の端にある木のベンチ。ようやく休憩だと悟ってラーナーは安堵する。丁度良く今は建物の創り出した影がかかっていた。 クロはベンチの向かって右側に荷物をまず一つ下ろすと、その重みでベンチが悲鳴をあげる。クロは少し静止してからもう片方の荷物は仕方なさそうに地面に置いた。 「座ったら。疲れたんじゃないの」 ぶっきら棒にクロは言うと、ラーナーは少し縮こまる。威圧感のようなものがクロから発せられていて、座れと命令されているかのような口調にラーナーは感じ、そっとクロの置いた荷物とは反対側に座る。その瞬間ラーナーに足の痛みが雪崩れ込み、頭に熱があっという間に上ってきた。肩の荷が一気におりるようにラーナーはほっと息をついた。 クロも身体の緊張を弛緩させるように背伸びする。日陰の中に入ってくる風は冷たくて心地が良く、雰囲気を自然とクールダウンしていく。視線を上げて見える空は青く、朝の太陽が輝いている。忙しいが爽やかな朝のスタートとなっている。 しばらく沈黙が流れる。ラーナーは持っていた荷物を自分の左隣に置く。その後、クロがようやく座った。その距離は荷物を挿んで近いようで少しだけ遠い。けれど、本当の狙いである仲違いの解消をするためには、他に機会はない。気まずい雰囲気の中で互いに言葉を探す。 こうしている間にも朝市にはまた人が入っていき、一層騒ぎは大きくなる。家族連れも多く、子供達が見ていてハラハラするほど走りまわっている。楽しそうな声が空を跳ねまわる。 クロ、とラーナーは呟くように小さな声で呼んだ。クロは小さく返事をした。 「……火傷のこと、ごめんね」 呼んでから数秒置いた後にラーナーはゆっくりと噛むように述べる。 「無神経だったと思う。ごめん。隠したいに決まってるのに、問い詰めようとして」 クロは視線をようやくちゃんとラーナーに向けて、大きな溜息をついた。 「別にもうどうでもいいよ」 頭をだらりと後ろに傾けて、クロはリラックスしているように見える。やはり本調子ではないのだろうかとラーナーは少し心配になる。もっとも、色々な面でクロは一般とは違うから、どのくらいが彼にとって普通であるのか計れないが。 また間が空く。クロはその間に朝に寝ぼけ状態の中でアランに言われたことを脳内で噛みしめていていた。彼はこの場にアランがいたらどんなに楽だろうと痛感するが、生憎アランもいないし、また同じく二人の橋渡しをしていたポニータもいない。自分の意志で会話を始めるしかない。 「……なんていうか」会話を今度はクロが切り出す。「俺も言いすぎたし」 ラーナーははっとしてクロを凝視する。一方のクロはそれに気付いて背けるように右腕を顔に乗せ、表情を隠す。 「ここに残ればいいとか、それが一番良いどころか一番危険なのに」 小さく紡がれるその言葉をラーナーは聞き逃さなかった。そしてその言葉の意味を呑みこむことができず、首を傾げる。 「どういう意味?」 「……どこにいたって黒の団の目にいつか捉えられる。あんたがここにいると知られて、でもその場に俺がいなかったらあんたは勿論、アラン達だって皆殺される。誰も戦えないんだから」 淡々と出てくるが内容は身も凍るほど恐ろしいもので、ラーナーの記憶にまた弟の姿が焼きつく。 一方のクロの脳裏にも、別の情景が浮かび上がっていた。 「以前、俺が初めてアラン達に会った時」 クロはゆっくりと話を進める。 「その時はトレアスじゃなくリマっていう町にいた。色々あってオーバン家に身を置いていたんだけど、ある日の夜に黒の団の襲撃を受けたんだ」 ラーナーは息を呑んだ。 腕の下でクロは目を閉じた。甦る記憶はいつでも彼を揺さぶる。爆発するような悲鳴と興奮が風景を満たし、そして血の飛沫が走る。様々なものが割れたり倒れたりする音が掻きむしる。暴れまわる。全てが引っくり返る。泣き声と叫びの不協和音が金きり音のように響き、やがて訪れる平穏の時。その時クロに残るのは、空虚。手に握られた閃火の炎は小さい。全身に付きまとう血の色と匂いが彼を後悔へと導くと同時に、静かな歓喜に似た衝動で心中は満たされるのだ。 「俺しか戦えないから、俺だけで戦った。正直大変だった本当に。無力な誰かを守りながら戦うのは動きが制限されてすごく辛い」 そうは言うけれど実際今こうして生きていることが、彼が勝ったという何よりの証拠。 だらりと右腕をクロは下ろした。閉じていた瞳は姿を見せて、虚空を見つめる。 「その後オーバンの人達は今のトレアスの家に引っ越した。血みどろの家になんか住めないし。……」 クロは一度口を閉じる。 「……もうこれ以上、あの人達を巻き込むわけにはいかない。だから、あんたを置いていくわけにはいかない」 強い意志が言葉の芯となっている。 安堵と戸惑いが混在した心中で、うんとラーナーは小さな相槌を打つ。うん、そうだねと続ける。独り言のようで、クロは不意にラーナーを見やり、その顔が少し俯いているのを確認した。量が増えて少し重くなった髪が垂れて、日陰の中で更に影が落ちているようだ。その胸中をはっきりと察することができないクロは、黙って自分も視線を上へと戻した。こうしてどう言ったら良いのか分からない時には黙っておくのが彼にできる最善の手だった。 ラーナーは目を閉じて思考を整理する。クロが原因であるが黒の団に襲われたアランとオーバンの夫婦。クロのおかげで、生き延びた。そして一カ月程前、黒の団に襲われたラーナーとセルド。セルドは死んだ。そしてクロのおかげで、ラーナーは生き延びたのだ。そうして今、まだ標的として狙われたままウォルタを離れ、またここを離れ逃亡の旅が再開する。 「また逃げる旅が始まるんだね」 ラーナーは思わず口を滑らせる。 「なんかね、いつになったら終わるんだろうとか考える。未来とかそりゃ、以前も考えてなかったけど今は本当に不透明すぎて不安ばっかり」 「……いつ終わるか、か。それは分からないな」 ぶっきら棒にクロは言い放つ。 数秒置いてから突然ラーナーは音を立てて立ちあがった。クロは驚いて思わずラーナーの方を凝視した。影に包まれたラーナーの身体、その目が光る。見下ろしたその目力は少し強い。 「……ねえクロ、クロはどうして旅をしてるの?」 深緑の目が大きく見開かれた。それまでの思考が一度リセットされ、身体が硬直する。その後ぐるりぐるりと脳内が回転して、視線も自然とそれる。傍から見ればそれは長い静寂の時間だった。日陰の外を見れば人混みは大きくなり、一層強くなる日差しの元で賑やかさは駆けあがるように増す。 クロは重い唇をゆっくりと開いた。
「探している人がいる」
テンポはスローに重々しく。
「生きているかも、死んでいるかも分からない。けど、探さなきゃいけないんだ」
それまで不安定だったクロの目力が急にきっと定まる。その視線の先にいるのはラーナーではなく、遠い青空を睨みつけているかのようだった。その表情にラーナーの中に息が止まるような恐怖すら走った。それほどに険しく、そして決して崩れることはないであろう決意の表れが彼を支配している。ラーナーはウォルタでの騒動時やバハロでブレットと対峙した時のクロの姿を思い出した。それは、その時とどこかしら似ていたからだった。 声をかけようとするラーナーだが、次の言葉は浮かんでこない。クロの様子はまるでラーナーを見ておらず、それがまた自分の世界に浸っていることを示しているのが分かったからだ。こうなれば外界からの介入を許さず、しばらくはそっとしておくしかない。 溜息をついた後に、ラーナーはまた先程の場所に仕方なさげに座った。そうして目を閉じ、自分の思いを整理する。クロの旅の理由は分かった。そして理解できたのは、クロの旅にはいつしか終わりがあるということだった。あの視線の強さは、本当にクロは見つけ出すつもりで旅をしていることを物語っている。いつしかクロは辿りつくだろう、自分の求めているものに。それがどんな形であろうと。そう考えていると、ラーナーは自分の心が締め付けられる感覚に襲われた。それは不安以外の何ものでもない。
どれほど経ったろうか、数分の時が流れた頃、待っていたラーナーの耳に音が入ってくる。見ればクロがようやく動き出して、朝に渡された買い物メモに目を通していた。先程の冷たい雰囲気は消え、少し間が抜けたようでラーナーは少し微笑む。 時々荷物の中のものを確認しながら、そのうちメモを閉じてまたポケットに戻す。 「買い物終わってた。帰らないと生ものは腐る」 「あ、うん」 クロは立ちあがって地面に置いていた荷物を右腕で回すように持つ。 その様子を見つめていたラーナーは、いつの間にかクロの名前を呼び掛けていた。それにクロは視線を上げた。 「何?」 「……もし、クロの探してる人が見つかったとしたら、クロの旅は終わりだよね」 押し黙るクロを余所に、ラーナーは力無く笑う。 「ごめん、突然。ちょっとさっき考えてたの。気にしないで」 ぎこちない言葉にクロは目を細める。ラーナーは自分の持ち分の荷物を手に取ると、その場を立つ。その様子の一つ一つを見るようにクロはラーナーを凝視する。その視線に気付いたラーナーは首を傾げ、無言で帰ることを促すように歩き出す。 数歩進んで日陰から出てから、クロがついてこらずに立ち止まっているのにラーナーは気付いてまた振り返る。クロは重く何かを考えているように少し俯いて表情を固くしている。 ラーナーが声をかけようとした瞬間、その顔が上がり思わず押し黙る。が、何を言い出すこともなく片方の荷物を持ちあげて歩き出した。相変わらず当たり前のように重い荷物を持ち上げて苦しそうな顔色を欠片も見せない。が、ラーナーの隣までやってくる間際で再び立ち止まる。 「ラーナー」 出てきた声は少し低いものだった。 「明日……できれば今日にでも、トレアスを出よう」 「ええっ」 突然の宣告にラーナーは思わず素っ頓狂な声を出してしまう。が、クロの顔は真剣そのものである。 「行先はこの後すぐに決められると思うから」 「ちょ、ちょっと待ってそんな急な」 「いや、もう出るって決めた」 「わけわかんないよもうっ」 「旅は急に始まるものだって覚えときなよ。とりあえず帰ろう」 さっさと日陰から出て歩き出したクロの後を慌てるようにラーナーはついていく。 と、またすぐにクロは立ち止まり、ラーナーも合わせて止まる。今度はなんだと言わんばかりにラーナーはクロの表情を覗く。 「あのさあ」 クロは言いながら左側の荷物を少し下ろす。 「一番上に多分ジュースあるからとって」 「え?」 戸惑うラーナーだったが急かすようにクロは荷物を動かす。両手が塞がっているためクロは自力で荷物の中身を取り出せないのだ。ラーナーは背伸びをして中を覗くと、確かに上にジュースの入った瓶がある。橙色をしているからオレンジジュースだろうと見当がつく。が、取り出してラベルを見てみると味はどうやらマンゴーのようだった。 「飲んでいいよそれ」 クロは荷物を持ち直しながら言う。ラーナーは表情を固め、思わずジュースとクロの顔とを交互に見やる。 「あたしが?」 「他に誰もいないじゃん。俺ジュースだめだから」 その時ラーナーは自身に買ったものなのだと分かり、空の雲が一気に消えるように心が晴れる。どこか暗かった表情に笑みが広がる。 「ありがとう」 そう言いながら瓶を見て、勿体ないのか開け辛そうにしていたがやがて栓を手で捻って開けてそっと飲む。独特の濃厚な味が口の中に広がって喉が潤う。甘さが幸福感を呼び、表情もやはり笑っている。 単純だな、とクロは聞こえないように少し呆れて呟いた。単純なことで、あっさりと修復されるものがあるのだと実感する。 そういえば昨日アランもミストラ遺跡に赴いた時にお茶をくれたことをラーナーは思いだした。 いつもクロは唐突だ。突然黙って外界との関わりを遮断したかと思えば、話を勝手に進めて歩き出す。自分勝手なところがあっていつもラーナーは振り回されている。勿論クロに悪気は無いのだが。でもそれがクロらしい部分なのだと受け入れてしまえば、こうして普通になったことはいつものクロに戻ったということであり、ラーナーは少しは仲直りできただろうかと考えて少し笑うのだ。 人が多くなった朝市を横目に、二人は帰路を辿り始めた。少しクロが前を歩いてちょっとずれながらも歩く、それが旅でずっと保ち続けてきた並び方だった。
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帰宅後、アランが慌てるように様子を聞いてくるのをさらりと流して、クロは荷物をアランに押しつけるように任せた後にアランの部屋に入る。夜中掃除していただけあって二四時間前では想像すらできないほど部屋は整理され埃は無い。ただすぐに汚くなるであろうこともクロは分かっていた。アランは掃除を得意としていないし汚いことにそこまで嫌気はないときているから、すぐに物が散乱してしまうのだ。 ベッドの傍にクロはやってくると、置いてある自分の鞄を手にとり中身を探る。すぐに出てきたのは、一カ月程前にアランとの電話に使っていた黒いポケナビだ。少し古いが今でも現役として働き続けている。 それだけ手に持つとベッドに座り慣れた手つきで操作を進める。 その途中でぴたと指の動きが止まる。現在の画面を凝視し、唇を噛みしめた。きしりとベッドが軋む。今彼の置いている親指で強く決定を選択すれば次のステップに進む。それを躊躇うようにクロは表情を固くした。珍しく優柔不断な部分が露呈し、迷いを捨て切れずに時間だけが経っていく。 目を閉じて溜息を吐いた後、決心したように一人頷くと親指でボタンを押した。直後、ポケギアは通信を始めて、すぐに電話のコール音が部屋に響いた。それはしばらく続き、一つ一つの音を聞き流すたびにクロの緊張は高まっていく。五回程鳴った辺りから落ち着きのなさのあまりその場を立ち、固い動きで部屋の窓を片手で開ける。外の風が部屋内に流れ込んできて、ほんの少し気分が楽になる。新鮮な空気は心を多少は沈静化させるが、一方でそれ以上に電話の音が彼を緊張させていく。 十回目の音が通り過ぎた辺りでクロは一度通信を遮断する。深い溜息をついた後、もう一度電話をかける。二回目は一回目の迷いは一体何だったのかと問いたくなるほどあっさりとしたものだった。が、問題の話し相手はなかなか答えてくれない。 時間を変えるべきだろうかという考えが頭を過った直後、六回目のコール音がぷちんと切れて静寂が訪れた。クロは息を呑み、画面を見る。目的の相手と通信が繋がっていることを示している。けれどお互い無言のままで、クロは声が出てこない。 『……もしもし』 小さな声がスピーカーから零れてきた時、クロの心臓は一度大きな鼓動を刻んだ後、不思議と急速に落ち着いていった。聞き慣れた声。けれどしばらく聞くことは無かった声。幼さの残る少し高い男の子の声が、クロの耳に届いて懐かしさに彼を浸らせる。 『クロ?』 尋ねるような口調にクロの口元はいつの間にか緩んでいた。それは殆ど見せることは無い優しい表情である。
「……ああ。久しぶり、圭」
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感想 ( No.35 ) |
- 日時: 2011/03/27 13:34
- 名前: とらと ID:si3Kayhw
- こんにちはお邪魔します、「まっしろな闇」一気に読ませていただきました!
もう本当に面白かったです……読み始めから終わりまであっという間すぎて次が待ち遠しくて仕方ありません(*´∀`コメント残してスレ妨害することさえためらわれました なんでしょう、タイトルの印象が強いからかもしれませんが、本当にまっすぐで「まっしろな」お話だなぁと思います。ラーナーをはじめとした主要登場人物たちの純朴さといいますか(ちょっと言葉が見つからない!orz)、素直できれいな感じがいじらしくてかわいらしくて、こっちまで心が洗われるような気分です。凄く海さんだ、海さんの人柄が表れてるってそんな感じ! 海さんの何を知ってるんだって感じですが本当に、あぁ海さんの作品だわって思いました。
いやしかしクロ素敵ですね。バトン見た時からきっと素敵なんだわと思ってましたが紛うことなく素敵でした 何より無愛想なところが素敵ですっ(*´ω`*)それでいて仲直りのしるしにジュースプレゼントしちゃうとことか萌えます 単純だなとかいってほっとしてるくせに!かわいい^^ごめんなさい そしてアレンも素敵ですよね。バトンry ちゃーちゃー言いながらもめっちゃ気遣いのできるところとか薬の調合(?)とかできちゃう頭の良さとか素敵です。切れ者ですね トレアス旅立ってしまうようですが今後の彼の出番はいかに…… 更にブレットが好きです ブレット……ブレットぉぉぉ(´;ω;男の話ばっかりだな
ラーナーの両親や『黒の団』、白を含めたクロ自身にまつわるお話など、旅の終わりはまだまだ先のようで少し気の早い言葉ですが、ラーナーとクロの二人には、本当に本当に幸せになって欲しいです……これだけ心からお前ら幸せになれって思えると非常に清々しいですね(*´ω`幸せになれ畜生 拙いにもほどがある感想で申し訳ないですが、このあたりで失礼します。 続き楽しみにしております、更新がんばってくださいませ!
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感想返信 ( No.36 ) |
- 日時: 2011/03/27 22:13
- 名前: 海 ID:pMzOchoo
- 感想返信です。
>とらとさん こんにちは。こちらでは初めてですね、感想本当にありがとうございます!あわわ、少し長めの感想で本当に驚きやらなんやら、有難い限りです。 面白いと言ってもらえると嬉しいですし安心します><作者もどうしたら良いのか時々分からなくなるクロとラーナーの性格ですが、素直なのは確か、なんですよ、多分。とらとさんの豊かな感受性で感じ取っていただけて嬉しいです。 文に作者の好みや心などが表れると聞きますが、私の人柄が表れているのでしょうか^^;正直そこは自分じゃ分からないのでどうとも言えませんが、私は曲がってますよー。 クロもアランは私も大好きです。クロは無愛想なところがいつも苦戦させられていますが、楽しいですよ。難しいですけど^^;反面アランはもっと単純な子なので書きやすいです。単純に良い子を書きたくてこんなことになりました。 ブレットは自分でもちょっと可哀想だったなあと思っています。好きなんですけどね>< 男ばかりが出ているのはラーナーがあまり活躍していないのと男性率が高すぎるせいだと思います。もっと女の子を出して華やかにしていきたいですね。目立った女の子はラーナーしかいないので>< もうしばらく話は続きますので、良かったらおつきあいくださいませ。貴重な感想、ありがとうございました!
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32 ( No.37 ) |
- 日時: 2011/03/27 22:17
- 名前: 海 ID:pMzOchoo
- Page 32 : 出発
朝市から戻ってから時間は経ち、今は昼食を済ませたところだ。少ない荷物を整えて、ラーナーとエリアは男性陣より一足先に家の外に出た。店とは別の身内用の扉を閉めてからエリアは溜息をつく。 「まったく突然な話よ。もう出ていくなんて!」 エリアは腰に手を当てて呆れたように言い放つ。その言葉にラーナーは思わず失笑する。それは彼女自身もクロに言ってやりたいことだった。そうとしか言いようがないのだ。 でも慣れた事よねとエリアは呟く。 固い足音が後ろから聞こえてきてラーナーは振り向くと、鮮やかな炎を絶えず身体に燃やし続けるポニータの姿があった。穏やかな表情でラーナーに近付くとその頭をラーナーの頬に擦り寄せる。温もりが伝わってきてラーナーは笑みを漏らし、素直にそれを受け入れて自身もポニータの頭部をそっと撫でる。美しい毛並みで触れるだけで心は自然と落ち着く。 エリアもポニータの背を撫でる。彼女にも心を許しているから、ポニータの炎はエリアには熱く感じられない。ポニータがいかに懐っこい性格であるかを物語っている。クロに対しては厳しいこともあることをラーナーは知っているけれど、それはクロが真っ直ぐと進む為に誘導しているのだということも理解している。 扉の開いた音がして、ラーナー達はそちらの方を向く。先にアランが登場して、後にクロ、ガストンと続いて出てきた。大きく固い図体をしたガストンには扉が狭く窮屈なものに見える。 「クロ、本当にもう大丈夫か?」 ガストンは不安そうにクロを見下ろす。クロはその言葉に深く頷き、これ見よがしにとわざと両腕を大きく振って見せる。と、その腕がアランの背中に勢いよくぶつかる。途端アランの顔色は変わり反射的な仕返しか、クロの頭目がけて右手を横へと尖らせた。が、その攻撃をクロは少ししゃがんであっさりと避ける。 悔しそうにアランが舌打ちを鳴らす横で、クロは片手を立てて謝罪の意を示す。 「悪気は無いんだから、そう怒らないでくれ」 「ったく、お前のは時々洒落になんねえくらい痛いんだから周りには気をつけろよ」 アランは口を尖らせながら手に持っていた小さな茶色い紙袋をクロに差し出す。それはオーバン家の薬屋が薬を包装するのに使っているのと同じものである。掌ほどのサイズのそれをクロはごく当たり前のように受け取ると、中身を確認した後にそれをポケットに無造作に突っ込む。 「何度も言うようだが、服用のしすぎは厳禁だ。ブショウの葉はクロの身体に効く反面、副作用は勿論、服用を誤ればその代償がある。身体の一時的な麻痺や熱、中毒症状の報告もあるし」 くどくどと説明を始めるガストンを制するようにクロは何度も頷いて手を前に出す。 「もう何度も聞きました。大丈夫ですよ」 面倒くさそうに声を漏らすクロにアランは顔をしかめると、クロの肩に手を置いて不機嫌な表情を近付ける。 「前もそう言ってたよな。今回長期間ぶっ倒れたのは短期間で服用し過ぎたのも原因の一つだってことは分かってんだよ。ちゃんと肝に銘じとけ。そんでもって無くなりそうになったら無くなる前にここに来い。分かったな」 「なんでそんな偉そうなんだよ……分かってるから、もういいだろ」 肩に置かれた手をクロは振り払い、ラーナーやポニータの元へと足先を向けて歩く。 クロもラーナーもここにやってきた頃と同じ服装をしている。服に沁みついていた身も震えるようなおびただしい量の血はエリアの努力によって見事に跡形も無く消え去り、使い古したようなくたびれた雰囲気だけを持っている。それが妙に懐かしく感じられ、ラーナーは目を細めた。 秋を少し感じられるようになった涼しげな風が通り過ぎていく。空は晴れ、いつもより高く感じられる。季節がまたゆっくりと時間をかけて移り替わろうとしていた。まだ厳しい暑さは残っているが、ウォルタを出た頃のような蝉の鳴き声はもう殆ど聞こえてはこない。 いつの間にか時は随分と過ぎていたのだ。彼等がここにとどまっていた間も。そして彼等はまた再び歩もうとしている。終わりの見えない旅を続きを始めようとしている。 「今度はどこへ行こうとしているんだ?」 ガストンが尋ねると、クロは背負っていたリュックを回してすぐに中から使い古されたアーレイスの地図を出した。平たく広げるとその場にいる全員がその紙上を覗き込む。 「まずトレアスから鉄道に乗って首都に向かって、そこからまた鉄道を乗り継いで更に西へ向かってトローナへ行きます。ランドラから出ているバスを使って、最終的にはリコリスへ向かうつもりです」 「リコリス? また随分田舎というか、山に行くのねえ」 驚いたようにエリアは顔を上げてクロの顔をまじまじと見つめる。クロは頷いてから地図を畳みリュックへ戻す。 「乗り物を使うなんて珍しいな。確かにトローナはここから遠いけど、余程急いでいるのか?」 アランが尋ねるとクロはまあなと適当に返す。 その時ラーナーは朝市を出る直前のクロの表情を思い出した。固く決心したような視線は目に映る全てを掴んで離さないような強さを持っていた。あの時考えていた事の答えが今度の向かう町にあるのだろうかとラーナーは内心推測を立てる。そして同時に、今度は鉄道に乗ってずっと遠くへ向かうということで彼女の期待へと膨らむ。通過するだけとはいえ首都へも向かう。首都はアーレイスの中で飛びぬけて発展している街で、人口も他の町とは桁違いである。 クロはポニータの頭を撫でると、トレアス中心街へと向かう道を辿る様に視線を移した。少し狭い下り坂のこの道を抜ければすぐに車通りも人通りもそこそこ多い中心街に出る。そこにある駅からいくつか鉄道が出ていて、乗ってしまえば後は座って目的地へと向かうだけ。自分で歩き続けるよりもずっと楽である。欠点を述べるとすればポニータをボールに戻さなければならないことだ。 気が沈むような重たい沈黙が流れる。誰もが惜しむように思い口を開いて言葉を発することができないでいた。それはクロも同じで、先程から止まることなくポニータの身体を撫で続けていた。 その静寂を一気に破ったのは、アランだった。時間が経つにつれてその顔に不快感が広がり、突然クロの背中を力の限り叩きけたたましい音が跳び上がった。クロはそれに驚いて心臓が飛び出そうになる。 「さっさと行けよ、うじうじしてたってしょうがねえだろうが! ぼやぼやしてっと今日の分の鉄道全部出ちまうぞ!」 突き放すような言葉にクロは打たれたように呆然とした。それはクロに限らずその場にいる全員がそうだった。皆アランの顔を食い入るように見つめる。 続いてアランはラーナーの方を向く。ラーナーは思わず少し震え、唇を噛みしめる。が、彼女が恐れていたのとはまるで反対に、アランは今までとは打って変わって優しく微笑んだ。 「こいつは何かと無茶すること多いしこの間みたいに突然倒れたりすることもまたあると思うけど、今度はラナちゃんがいるから、いつもより俺は安心して送り出せる」 「……アランくん」 「何というか、こいつめんどくせえし訳の分からんことばっかりするけど、変な方向に行こうとしたらちゃんと止めてやってくれ。ポニータもな」 ちらっとアランはポニータに視線を移すと、ポニータは即座に頷いた。アランも深く頷いて手を伸ばしてその頭を撫でる。今日のこの十分にも満たない短時間でポニータはどれだけ撫でられたのだろうか。 ラーナーは噛みしめるようにアランの言葉を呑みこむと、ゆっくりと了解する。 それを見てきっと大丈夫だとアランは思った。全く心配しなくなったわけではないけれど、少なくとも今迄よりもずっと安心できると。ぎくしゃくとした関係ではあるけれどポニータの穏やかな性格が二人を繋げる。人付き合いを苦手とするクロが理由はあれど他人と旅をしていること自体が奇跡であり、そして何かがクロの中で変わっていることの象徴であるとアランは勘付いている。なんとか支え合っていけるようなそんな気がして、安堵の表情をアランは浮かべた。 「よし、じゃあさっさと行けよ。そんでしばらくは帰ってくんな」 「言われなくても行く」 クロは少し淋しげに笑うとゆっくりと遂に重い足を踏み出した。続くようにポニータも歩き始める。ラーナーは慌てるようにアラン達にお辞儀をした。 「短い間でしたけど、ありがとうございました!」 ラーナーは頭を上げてぱっと光るような笑顔を見せた。 「いいんだよ、あたし達も十分楽しかったから。またおいで、いつでも待ってるから」 エリアは心温かい微笑みを浮かべてラーナーの左肩をぽんと優しく叩く。ラーナーは深く頷いてその場に背を向け、クロやポニータの背中を急いで追った。 「クロ! ここはお前の家だと思ってまた帰ってこいよ!」 ガストンは遠ざかるまだ小さめの背中に向かって声を張り上げた。その言葉にクロは振り向きそうになるが敢えて止め、右手だけを高く振った。別れのサインを送り、高く上がる手首の下に痛々しい火傷の跡がちらりと顔をのぞかせる。 爽やかな青い空の元、彼等を挿む距離はどんどん遠くなる。空気がしんと静まった頃、クロ達の姿はアラン達の視界からゆっくりと時間かけた末に姿を消した。
オーバン家からの距離は少しずつ伸びていき、しばらく二人の間に会話が行われることはなかった。お互い無言のまま緩い下り道を辿っていく。 そうしているうちにラーナーは自然とトレアスに来た日の事を思い返していた。思い出すうちに更に過去へとさかのぼっていき、脳裏にクロが吐血した映像が映し出される。そして同時に出てきたのは、黒い服装をした金髪の少年の姿。その時ラーナーは眉を潜め記憶を探る。当時の音声を引っ張り出した時、自身に頼まれていた伝言の存在にようやく思い至った。 「あっ」 しんみりとした空気の中、ラーナーは思わず声をあげる。その声にクロとポニータはついラーナーの方に視線を向けた。 「あー忘れてた」 「何を? 忘れ物なら今帰れば間に合うけど」 クロが足を一旦止めると慌てるようにラーナーは首を横に振る。 「そうじゃなくて、クロに言うの忘れてたの。……ほら、クロが倒れた日に会った黒の団の服装をした男の子がいたでしょ」 その瞬間クロの顔つきが一変し、警戒するように目を鋭く光らせる。ラーナーは突然の変化ぶりに怖気づきそうになるがそこを踏ん張る。いつまでも今迄のように彼に対して引いているわけにはいかないと彼女の中でも決心がついていた。 「あの子からクロに伝言を言付かってたのに忘れてた。……ブレット・クラークが今の疾風です、だったかな? どういう意味かあたしにはよく分からないけど、クロは分かる?」 クロの厳しい視線が弱まり、彼は絶句する。少し開いた口からしばらく声が出てくることは無い。何か言葉を選んでいるようにも、何も考えられずただ呆然としているようにも見える。いずれにせよ、少しの戸惑いを見せていることは確かだ。 「さあな」 時間を置いてようやく言葉が出てきたが、予想外の答えにラーナーは眉をひそめた。 クロは遠くの彼方の方を見つめる。過ぎ去る風が髪を揺らし、瞳がそれによって完全に見えなくなるほど覆われる。帽子の上のゴーグルが鈍く光った。その反射具合も夏の頃に比べると気のせいか、弱く静かなものになった。 「少なくとも、俺には関係のないことだよ」 ぼそりと呟いただけでラーナーはそれをうまく聞き取ることが出来なかった。が、聞き返すのも躊躇ってしまうほどクロの表情に影が差していた。周りの雰囲気さえもぴりぴりと緊張させて、全身でこれ以上の介入を拒否しているようである。 何がそれほどに彼を嫌がらせるのか、ラーナーには欠片ほども想像することはできなかった。代わりに、そういえばあの男の子は今頃どうしているだろうかと思いを馳せた。黒の団は敵だ、それは分かっている。けれどもあの金髪の少年はクロやラーナーを襲うどころかクロを助けてくれた恩人でもある。逃げる際に追ってきたピジョットと敵対して戦っただろうか、それとも彼も逃げただろうか、いずれにせよ無事でいてほしいと願っているラーナーがいた。 一方のクロは別の記憶を思い返していた。色褪せることの無い過去は彼に留まったまま、離さない。 止まっていた足が再び動き始める。ぼーっと考えごとをしていたラーナーはクロが歩き出したことにしばらく気付かず、数秒後慌ててすぐに追いかけた。 トレアス中心街はもうすぐそこだ。
*
そこはトレアスから少し遠く離れた場所にある。少し広めの部屋に窓は一つも見当たらない。その部屋の奥に大きめのテーブルが置かれ、その奥にある黒いソファに深く腰掛けている人物がいた。まだそう年老いていない黒毛の男性で、黒ぶちの眼鏡をかけており、長めの少し汚れた白衣に身を包んでいる。白に染みついている中で特別目を引くのは、赤黒い鮮やかなもの。既に乾いてしまった血である。 彼の座る前、つまり部屋の手前側に直立しているのは、黒い服装に身を包んだまだ随分と若い青年の姿。黒の団の一員であるバジルだった。他にも、バジルから見てテーブルの左に置いてある木の椅子に、男性と同じく白衣を着た長くてゆるくカールをした茶毛の若い女性が腰掛けていた。 「納得できません」 バジルから出てきたのは明らかに不満気なトーンの言葉だった。 「この数週間やろうと思えばいつでも襲撃できたのに、どうしてラーナー・クレアライトを襲撃するよう命じなかったんですか。トレアスにいたのは分かっていたのに!」 「まあそう声を荒げるな。色々僕も考えていてね、あのウォルタ襲撃の時からずっと」 宥めるように白衣の男性は言うが、バジルの勢いが止まる気配は無い。むしろバジルの心を更に苛立ちへと向かわせる。 「ニノ・クレアライトに情でもあるんですか? だから数年間ラーナー・クレアライトとセルド・クレアライトを生かしていたのですか?」 「落ち着きなさいなバジル。あなたは彼に向かってそんなに意見言えるような立場じゃないのは分かってるでしょう?」 テーブルにそっと肘を置いて女性はバジルに向かって言う。途端悔しそうにバジルは顔を歪ませる。沸々と彼の中で湧き上がるのは疑問に対する苛立ち。ダムが今にも決壊してしまいそうなくらいに、それは彼の中では限界に達していた。 男性は小さく溜息をつくとテーブルの上にあるティーカップに入った紅茶を薦めるようにバジルに差し出す。紅茶の心を落ち着かせるような香りが漂っているが、バジルの心中は暴れ続けている。それを必死に制することでバジルは精一杯だった。ゆっくりと首を振って拒否し、呆れたように男性はソファに背を倒す。 「まあいいか。それより今は君に言いたい事があってここに呼んだんだよ」 「……言いたい事?」 「ブレット・クラークのことよ」 女性は会話に口を出し、その椅子から立ち上がりバジルの元に歩み寄る。少しヒールのある靴の床を叩く音が閉塞とした部屋に響く。その音が一つまた一つと跳ねるたび、バジルは心は急速に冷えていくように感じた。その理由はバジル自身には理解できなかった。 バジルのすぐ傍まで女性はやってくる。身長はバジルより少し高く、身体つきもふくよかで成熟したものだ。バジルとの歳の差は少し開いているだろう。 「あなたの報告通りバハロの近くの林にブレットの死体を確認しに行ったんだけど、残念ながら彼の姿はどこにもなかったのよ」 「――なっ!?」 思わずバジルは大きな声を上げ、考えてもいなかった現実に動揺を隠せず視線があちらこちらを彷徨う。嘘だと思いたかったがこの場でわざわざ嘘を吐かれることなど無いと分かっていたから、すぐにその希望は消え失せる。 女性は困った様に頬に手を当てて小さく溜息をつく。 「あなたの力を使ったような跡はあったんだけど、その木の根は切られていて、しかも傍にはこんなものがあったのよ」 そう言うと女性は白衣の右ポケットから透明の掌サイズほどの袋を出す。チャックで占められているが、中に入っているものは容易に見て取れた。銀色の細いチェーンのネックレスだ。それが誰のものであると女性が言いたいのかバジルには一瞬で理解できたが、未だに信じることはできなかった。 あの時確かにすぐに止めはささなかったが、すぐに死ぬだろうとバジルは信じて疑わなかった。強力な毒をブレットには打ったのだから。バジルが場を去ったあの時点で動くことすら困難だったはずなのに、事実は彼が思ってもいなかった方向へと進んでいる。 女性は袋の封を開けるとネックレスを取り出す。そうすると、ネックレスが切れていることが分かった。誰かの手でチェーンが切断されているのだ。 「分かるわね。ブレット・クラークが生きている可能性がある。誰かに生かされたかもしれない。残念ながら断言できないのがもどかしいところだけどねえ」 ネックレスを元の右ポケットに入れてから女性は舐めるようにバジルを見る。バジルにあった先程までの激昂は無くなり、代わりに姿を現したのは回るような戸惑いと恐怖だった。突然暗闇が果てしなく続いている穴に突き落とされたような恐怖感が彼を支配する。それは、この後自分にどのような仕打ちが待ち受けているかを理解しているからである。 今は、バジルは獲物をとらえんとする獣を眼前にして逃げる事ができない羊のようなものだった。 「めんどくさいことになっちゃったわねえ。これを切ったということは、黒の団を寝返ったということに等しいわ。そもそも切れた事の方も驚きだけど。それより今は、こうなったからにはあなたには少し反省してもらおうかと思ってるのよね」 バジルの少し縮こまった左肩に女性はそっと右手を置く。その途端バジルの心臓は大きく跳ねた。その手がラインをなぞるようにやがて首へと移動し、ひやりとした感覚が彼を襲う。背筋がすっと冷えるのが分かった。けれどその手を振り払うことは彼にはできない。 女性の口元がそっと上がる。 「あなたこそ、彼に情があったんじゃない?」 ゆっくりと囁いた直後、女性はバジルの肩に置いていた手を離すとバジルの後頭部の下を地面に平行に立てた手で強めに叩く。瞬間、バジルの目は一瞬だけ見開かれ、しかしすぐに力を失ったように前のめりに倒れる。それを女性は自分の身体で受け入れた。バジルの瞼は閉じられ、気を失っていた。 直後、数回の拍手が部屋に響いた。 「なかなか勇気のいることやるねえ。それやると死ぬこともあるのに」 男性は感心したように笑う。つられるように女性もにっこりと笑みを浮かべた。 「なめないでください。だってこれは手っ取り早いじゃないですか。この子はとりあえず牢に入れておきますわ。起きてからどうするかは後でじっくり考えます」 「程々にしておきなよ。彼は重要な人材なんだ、一応」 「身体は強いんですから、多少きつくても耐えますよ」 「ふふ、おっかないね」 「あなたが言えることではないでしょう」 互いに軽く笑いあっているが表面上のものだ。不気味な雰囲気が部屋に漂う。 小さな笑い声が収まってきた頃、そういえばと女性は思い出したような言葉を口にする。男性はバジルに差し出していた紅茶を自分で軽く飲んでから女性の方を再び見る。 「ラーナー・クレアライトの傍に笹波白がいたという報告はご存じですか?」 「ああ、勿論。驚きだよね、これも運命というやつか」 言葉とは裏腹に男性は随分と落ち着いていてまるで驚きを見せていない。 「この子の言い分も分からなくもありませんわ。早急に手を打っても良いのでは? 笹波白がいるとなれば、尚更」 女性の進言を受けて男性はふむと身を乗り出して頬杖をつく。彼の眼鏡が蛍光灯の白い光を反射してきらりと光る。そうだねえという言葉を何度か独り言として繰り返し呟く。悩んでいるのだろうか、しかしそれほど深く考えているようには見えない。考えているふりをしているように女性には見えた。 数分後に男性はまたソファに寄り掛かった。 「時が来たらまた動くよ。僕だってこのままにしておくつもりは無いさ。その時には、君にも動いてもらうことになるかもしれないが、いいね」 男性は試すように女性の顔を見上げた。それに臆することなく女性は肯定の返事を述べる。 「何を今更、むしろ楽しみにしています」 いかにも楽しげに女性は冷たく薄笑いを浮かべた。
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33 ( No.38 ) |
- 日時: 2011/04/01 18:20
- 名前: 海 ID:bBqJsiuI
- Page 33 : トローナ
クロが宣言した通り、トレアスを鉄道で出た後に首都へ、すぐに乗り換えてトローナへ向かった。ひたすら身体を揺らされる中で車窓から見える景色は一日でめまぐるしく変わる。トレアスの趣のある歴史的な町並みから、首都らしい高層ビルの立ち並ぶ大都会の風景へ、そしてトローナへ向かう旅路にて瞬く間にビルは減っていき、山沿いで緑がよく見え、建物は点在しているほど。畑が続いている様子はバハロを彷彿させ、のどかな田舎町の風景が広がっていく。首都にいる期間が短かったことに少しラーナーは残念そうに俯いたが、仕方が無いとクロは宥める他なかった。 太陽が西に傾こうとしている頃にトローナに到着して、今は駅の近くのバス停で目的のバスを待っている所だ。トローナの駅は非常に小さな駅で、クロとラーナーが着いた頃には年老いた男性が一人、駅員として改札口に座っているだけである。眠っていたところをクロが起こし、老人に直接小さな切符を渡すことで改札口を抜けた。駅から出てすぐそこにバス停はあったが、そのバス停も随分と古びていて、申し訳程度に貼ってある時刻表は汚れていて今にも風に煽られ剥がれてしまいそうだ。 鳥の声が彼方から聞こえてくる。それ以外に聞こえてくるのは、少し歩いた先にある道路を走る車の音だけ。それも断続的なものである。無音の世界に陥ることもしばしばだ。 クロはつまらなさそうに周りを歩き回り、駅の壁に沿って立てられている掲示板を見る。そこにはいくらか張り紙が並んでおり、有名人が来るお知らせから飼い猫を探しているというものまで種類は様々だ。が、殆どが半年以上前のものである。その中で、この駅が一カ月後に廃止されるという比較的新しいものがあり、クロは淋しげに神妙な面持ちで目を細めた。 都会から離れた場所で、発展についていけず寂れていった町といったところか。恐らくクロやラーナーは久しぶりの町に訪れた客であるだろう。 「バス、いつ来るんだろうね」 ラーナーは古びた木のベンチの埃を手で払ってからそこに腰かけ、溜息をつくように言う。 さあ、とクロは呟いた。時刻表通りに来るならばバスはもう十分ほど前に来る筈なのだがまるで訪れる気配はない。今日の最後のバスらしく、これを逃せば明日になるところを運良く捕まえられたことに喜んだが、あまり待たされると今度は苛立ちが募る。待ち始めてから二十分が経過しようとしていた。 背を倒すとぎしりとベンチは音を立てる。ラーナーは座り心地の悪さに仕方なく再び立ちあがる。 「クロの探してる人が、リコリスにいるかもしれないの?」 クロの眺めている掲示板の元にラーナーもやってくると、ふと尋ねる。クロはラーナーの方をちらりと見てその目を少し丸くすると首を軽く横に降る。 「いや、それとは全然関係ない。俺がずっと探してる人がここにいる期待は殆どしてない」 「あ、そうなんだ」 それからまた声は消えて、暇をゆっくりとすり潰すような時間が続く。時が経過するのは随分と遅く、駅の壁に掛けられた時計を見てもなかなか分針は進まない。 ゆっくり、本当にゆっくりと過ぎていく時間の中で、傾いていく太陽の光で町の景色はオレンジ色に染まろうとしていた。空に視野を広げると、不思議な色をしていた。青と赤が混ざり合い、紫にも近い色合いをした雲が薄く伸びている。 クロは時刻表をもう一度見直す。けれど何度見ても当然ながら書いてあることは同じ。 その時彼の背後でぽんと弾けるような音が二つ聞こえてきて、クロは咄嗟に振り向いた。音の正体はラーナーがエーフィとブラッキーをボールから出したものだというのはすぐに理解できた。二匹は軽く身体を伸ばし、辺りを興味津津という風に見回す。その二匹の背をラーナーはしゃがみ込んで撫でる。 「ずっとボールに入れてても可哀想かなって。外の空気に当ててあげたくなったの」 ラーナーはクロを見上げて笑う。もうラーナーに随分と懐いている様子が見て取れる。 ここは物寂しい場所ではあるが都会の喧騒とはかけ離れていて、その静かさがエーフィやブラッキーには心地よいのかもしれない。気持ち良さそうに伸び伸びとして、ラーナーの手をすり抜けるとそれぞれ辺りを散策し始めた。その様子をラーナーは微笑ましく見つめていた。頭の良い二匹であるから、それほど遠くには行かないであろうことを前提にできて慌てることも必要もない。 一方のクロは手持ちのポケモンを出すことはなく、ブラッキーの歩いている様子を何となくに見ている。 「リコリスには」クロは相変わらずしゃがんでいるラーナーに向かって話し始める。「別の人に会いに行くんだ」 「別の人?」 ラーナーは咄嗟に彼を見上げて聞き返した。 「ああ」 一呼吸置いた後、もう一度口を開く。 「紅崎圭っていう奴」 「こうざきけい……」 ラーナーはゆっくりと繰り返す。クロと同じくアーレイスではあまり聞かない名前の種類だ。アーレイスの人間というよりは西の隣国の李国の人間を連想させる。ラーナーはクロにどこの出身であるかを言及したことは無い為はっきりと断言することはできないでいるが、李国に何らかの関連があるであろうことは彼女自身何となく想像していた。 クロはふいに帽子を取る。長めの髪が完全に露わになって垂れる。伸びた前髪を煩わしがるようにクロは少し分けた。随分と伸びたものだと思い前回切ったのはいつだったか記憶を辿ると、丁度ウォルタを出た日だったと気がつく。ラーナーも同日に伸ばしていた髪をばっさりと切った。ボブになって一カ月程経っているが、量が増え暑い日々が続く中では鬱陶しいと感じることも増していた。 帽子の中にあって蒸していた状態だった髪を風に当て、少し涼しさを感じることでクロは心を落ち着かせる。 「友達というより、俺の仲間っていうのかな。俺が一番信頼してる奴なんだ」 静かに平然と言ってのけるクロとは反対に、ラーナーは驚き呆気にとられたようにクロを凝視した。その視線にクロはすぐに気が付き、不審げに眉をひそめる。 「何?」 「いや……クロが自分から他人のこと話すだけでも珍しいのに、一番信頼してる人だまで言うなんて凄いなって」 今度はクロがぽかんと停止し、数秒後に僅かに苦笑いをする。 「そうだな……そうかもしれない。けど、言葉の通り」 「そりゃあ、よっぽどだね。会うのが楽しみなような、不安なような」 少し意地悪げに言うラーナーにクロは少し顔をしかめた。不安ってどういう意味だよ、と不満そうに小さく呟いたが、口元で消えた言葉はラーナーの耳にうまく届かない。けれど何を言っていたのかおおよそ検討はついているから、ラーナーは楽しそうに笑うだけで何も問い返そうとはしなかった。 クロは眠たげに一つ大きな欠伸をした。鉄道から見える風景を終始飽きることなく楽しんでいたラーナーと違い、クロは数時間にわたる旅の大部分を顔を俯かせ睡眠に割いていた。それにも関わらずまだ眠気があるというのだからラーナーは呆れすら感じる。恐らく今夜も何の苦もなく眠りにつくだろう。ここ最近はクロは一日の多くを睡眠に使う日が続いている。まだ出逢って間もないため断言はできないが、それは本調子ではない印ではないかとラーナーは内心疑っていたりもした。 古びた時計の長針がまた一歩踏み出して間もなく、駅の中から年老いた駅員がゆっくりと外に出てきた。いち早くそれに気付いたクロは反射的に振り返った。老人は老眼鏡を少し上げて目を凝らして二人を見つめ、あぁと間の抜けたようなしわがれた声を発する。 「あんた方もしかしてバス待っとんのか?」 「え、あ、はい」 内向的なクロに代わってラーナーが慌てるように返事をすると老人は細い目を更に細めて、杖を突きつつ外に歩き出す。その足取りはおぼつかず、今にも転んで倒れてしまいそうである。思わずラーナーは立ちあがって駆け寄るが、老人は軽く手を突きだして遠慮する仕草を出した。 老人はバス停に貼ってある時刻表に顔を近付ける。その距離差は十センチにも満たないほどで、しばらくゆっくりと目を通した後に落胆したように声を落とす。 「やっぱりなあ」 「何がですか?」 クロは少し大きめの声ですぐに尋ねる。彼の脳裏に一抹の不安が走った。 「次のバスは廃止になったやつだあ。この時刻表はもう古いけんねえ。まあ、明日の朝になりゃあまた来るけんそん時また来るだな」 突如明らかになった事実に愕然とするクロとラーナーを余所に老人は再び時間をかけて駅に戻っていく。 少し開いた口が閉まらず老人の姿を凝視していたクロは今日で一番大きな溜息をついた。今回ばかりはラーナーも同じ気持ちになり、肩を落とす。 「無いなら無いって書いとけよ」 呆然とした状態で怒りを静かに込めて呟いた言葉にラーナーは何度も深く頷いた。それなりに長い時間待っていたのにも関わらずそれらが無駄になってしまったのだから仕方がない。しかしその理不尽さに気を落としたまま、しばらく立ち直れないように二人はその場に立ちすくんでいた。 その様子を不思議に思ったのか、少し近くを歩いていたエーフィとブラッキーが元の場所に戻ってきて大きな瞳を彼等に向ける。ラーナーが二匹に向かってできたのは力無く笑うことだけだった。 結局その日はトローナで過ごすことになり、リコリスに辿りつくのはもう少しだけ先の話になってしまったのだった。
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※リコリス編は方言が頻繁に出てくる予定ですが、もし言葉の意味がよくわからなくてもそこはフィーリングで何となくわかってあげてください作者の趣味です。
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休止のお知らせ ( No.39 ) |
- 日時: 2011/04/05 10:19
- 名前: 海 ID:qA8BghYs
- 受験のため更新休止とさせていただきます。
どうせならトレアス編が終わったところできれば良かったかなあとか思いながら、まあまだきりが良い方でしょうというところで。 ポケノベは四月中に移転するそうですが、その際も新スレは建てず、合格が決まったらぼちぼち再開しようと思っています。 ただ春企画には参加する予定なので、まだもう少しお世話になります。チャットにも時々出没すると思います。(既にちょっと我慢気味ですが)
では、また一年後に再開できることを願って。
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