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2010年秋企画 結果発表
日時: 2010/10/06 05:22
名前: 鵺作◆0OEZgPvU1GE

2010年秋企画


☆ごあいさつ
秋も半ばまで至りまして、そろそろ冬の足音が近づく季節となりました。旧サイトの頃より有志で定期的に開かれておりました季節の企画は今回からサイト公認行事となりました。
サイト移転後の最初の企画として多くの皆様に参加していただければ幸いです。


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☆企画概要
◇主旨

短編の小説作品を投稿し、その完成度を競います。

◇日程

・テーマ発表日  :10月9日(土)
・作品投稿期間  :10月16日(土)〜11月6日(土)
・投票期間    :11月7日(日)〜11月14日(日)


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☆参加ルール
◇基本規約

・企画作品は必ずこのスレッドに投稿してください。

・一作品につき必ず一レス(30,000字)に収まる長さにしてください。

・参加のための申請などは一切ありません。気まぐれでのご参加もドンと来いです。

・作品投稿の際のHN(ハンドルネーム)は自由です。複数投稿してそれぞれ別のHNを使用しても構いません。ただし投票用のHNは自演防止のため一つに統一してください。

・過度に性的、および暴力的な文章はご遠慮ください。また、それらの判断基準は運営側で判断させていただきます。

・当企画においては例外的に一次創作の投稿を許可しています。ただしポケモン以外の二次創作はおやめください。

・お一人様につきの投稿数の制限はありません。アイデアの思いつく限りいくつ投稿していただいて差し支えありません。

・投稿の際の記事には以下の内容を必ず記入してください。
@作品タイトル(題名欄に記入していただいても構いません)
A部門
Bテーマ
C本文
 なお、あとがきなどの本文終了後の文章のご記入は任意です。

・以上の内容が守られない場合、投票の凍結、最悪の場合は作品を削除することがあります。


☆投票ルール
1、全作品から一番優れているものに金賞、二番目に銀賞、三番目に銅賞を選んでください。金賞一つ、銀賞一つ、銅賞三つでお選びください。
2、ひとり1レスのみです。感想などを書きたい場合は見やすいように同じスレに収めください。
3、複数の仮面HNを使用している方は自演を避けるため、一つに統一またはポケノベで使用しているものにしてください。
4、書き方は問いませんが、できるだけ読みやすいものにするようお願いします。
※その他
・金賞は三点、銀賞は二点、銅賞は一点と加算されます。
・投票権はこのサイトの全住民に等しく与えられる。作品を書かなかった者も気軽に投票してもよい。
・投票された記事については厳密にIPチェックを行い自作自演をチェックいたします。
・投票方法に誤りがあった場合、その投票は無効となる。


参加した方、しなかった方、どなたでもご自由に投票してくださるとうれしいです

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☆部門
今回の企画初の試みとして、テーマの前に「部門」を設けることにしました。

◇【A】ショートショート部門
本文を2,000文字以内(400字原稿用紙5枚分)で完結させてください。締め句の「完」「了」「fin」などは本文に含みません。
文字数のカウントは↓「小説HTMLの小人さん」などの文字数計測ツールをご利用いただき参考にしてください。
http://htmldwarf.hanameiro.net/easy/novelpagemaker.cgi

◇【B】三題噺部門
次に掲げる三つの事物を必ず作中に登場させてください。
「やかん」「イチョウの木」「博物館」
三題噺とはなんぞや? という方は↓のサイトを御覧になることをおすすめします。説明や実際の三題噺などが載っていて大変参考になります。
http://www.geocities.co.jp/Milkyway/2231/

◇【C】無制限部門
制限なしです。テーマの範囲内であなたの心の赴くままに自由に書いてください。


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☆テーマ

以下に掲げる二つのテーマの内、お好きな方をお選びください。テーマの使い方や解釈は参加者の皆様にお任せします。

◇【T】「雨」
 梅雨ほどではありませんが、秋もまた雨の多い季節です。秋の天気は変わりやすいとも言いますしね。

◇【U】「橋」
 そういえばポケモンBWでは巨大な橋が五本かかってますね。みなさんどの橋が一番好きですか?




投稿作品目次 >>12
投票について >>28
メンテ

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Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.6 )
日時: 2010/10/26 19:23
名前: きまぐれロンド

A部門 テーマ橋

[君へ送る僕なりのメッセージ]


「わあ、綺麗」
 彩は歓喜の声をあげた。
 僕等の眼前にはどこまでも広がる先の見えない海と眩しいほどに鮮やかな青空が広がっている。真っ白な雲と空のコントラストが美しい。海の匂いが鼻につき、遠くからはカモメの鳴き声が聞こえてくる。
 スカイアローブリッジ。イッシュ地方の中で最も長い橋。水色と白を基調としたスタイリッシュなデザインで、イッシュの文明の発展を象徴している。
 青と白しかない世界を、僕はヒウン出身である故に何度も見てきたけど、いつもより幸せでいられるのは彼女の存在のおかげだろう。
「良い天気でよかったね、良樹」
 彩は手すりから身を乗り出しながら言った。僕はコクリと頷く。
「彩はスカイアローブリッジは初めてなんだっけ」
「うん。この年になってようやく初めてだなんて、笑えるよね」
「そんなことないさ」
「そうかなあ」
 くるりと振り返って僕と向き合う彩。そして傍にやってくる。濃い茶色の長い髪が強い潮風に乱されている。強い海の匂いに混じって彼女からふんわりとした良い香りが微かに漂った。
「それより、写真撮るって言ってたじゃない」
「ああ、そうそう、そうだった」
 僕は慌てて鞄から黒いアナログの一眼レフカメラを取り出す。父さんが使っていた古いものだ。父さんから譲り受けてどれだけ経っただろうか。親子の大切な思い出の品だ。
 レンズの蓋を開けると僕はカメラをきちんと持ち、彩を見る。対して彩は少し不安そうに少し僕を見上げる。
「壊れてたんでしょ、ほんとに直ったの?」
「直った直った」
「ほんとかなあ……もう無理だって電気屋の人が言ってたのに。写したふりして、僕の心に写りました、なんてやめてね」
「だから直ったってば」
 僕は少し顔を引きつらせつつも笑った。そして彩に正面に立つよう手で促す。彩は戸惑いながら向こうの手すりに寄る。
 ボタンを軽く押しながら、彩がちゃんと立ったことを確認するとカメラを構える。
 小さなファインダーを右目で覗き込み、空と海を背景に佇む彩を視界に入れる。彩は少し緊張しているのか固い表情を作っていた。
 それを見た僕は思わず笑ってしまう。
「もっと楽にしてよ」
「そんなこと言われても、なんかいざとなったら緊張しちゃう」
「リラックスリラックス」
「良樹気持ち悪い。変態ー」
「なんでそうなるんだよ」
「だってこっちから見るとカメラの下でにやにや笑ってるようにしか見えないよ」
 そう話していると彩の顔が自然と解れてきた。
「ねえ、これピースとかした方がいい?」
「どっちでもいいよ。好きな方」
「それ一番困るよ」
「もう撮るよー」
「えー」
 彩は唇を尖らせ、両手を身体の前で繋ぐ。ピースはしないのかな。僕は本当にどっちでもいいから良いんだけど。
 僕は若干移動したり絞りを調整したりして良い場所を探す。構図に迷っていたけど、結局上半身を映すことにした。
「撮るよ」
「うん」
 彩は風で大きく動く髪を耳にかけると、僕に向かって微笑んだ。柔らかな白い肌、ほんのりとピンク色の頬、一重の瞳。全て好きだと世界に叫べる。恥ずかしいからしないけどさ。
 鮮やかな青と白の中で、彼女は笑う。
「はい、チーズ」








 嘘ばかり並べている僕を彩は許してくれるだろうか。
 僕は夕方油絵の具の匂いが充満した自分の部屋に戻ってから、鞄にしまっていたカメラを取り出す。それを数秒間見つめると、散らかった部屋の全貌を視界に閉じ込めてシャッターを切った。けれどフィルムを現像しようとしたところで、その映像は写っていないだろう。
 そう、写っていないのだ。
 彩が僕に指摘した通り、このカメラはもう御陀仏状態である。写らなくなったと気付いたのは二ヶ月前のことだ。僕は機械に詳しくなかったから直してもらいに走った。が、だめだった。
 僕に向かって笑ってみせた彩の顔は、写真として残せなかったのだ。
 けれど彩が僕に言ったように、僕の心には写っている。どうしてここまで彩は見抜けるのか分からない。思わず笑ってしまう。あの時だってついボロが出てしまうところだった。
 僕は目を閉じ瞼の裏にあの時の風景を映し出す。
 それからカメラを傍にあるテーブルの上にゆっくりと置くと、テーブルの上に置いたままの真っ白なキャンバスを手に取った。僕は椅子に座り改めて白いキャンバスと対面した。
 深呼吸をして頭の中をクリアにする。
 嗅ぎ慣れた油絵独特のシンナーの匂い。部屋に完全に沁み込んでいるこの匂いは僕を落ち着かせる。
 テーブルにある木炭を手に取った。
 キャンバスにゆっくりと、黒い線を引く。

 写真ではなく代わりに絵を見せたら彼女は喜んでくれるだろうか、それとも怒るだろうか。
 分からない。でもこれは僕から君へのメッセージ。言葉よりも何よりも、僕が思いを伝える事のできる手段。


 絵が完成したらごめんね、と謝ろう。
 それから僕の思いを伝えよう。
 地道に貯めてできたお金で買った、指輪と共に。



fin.



1994文字
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.7 )
日時: 2010/10/29 01:47
名前: NOTロリコン

題名:Lost in Wonder Bridge
テーマ:橋
C部門


 霧が掛かっている。15,16番道路を切り裂くように流れている巨大な河を結ぶために、ワンダーブリッジが架かっている。
 どんな衝撃にも耐えられる最先端の技術を取り入れて作られた橋なので、相当の地震であろうが台風であろうがまるで問題ない。
 ビレッジブリッジの様なカビの生えたお古とは訳が違うわけで、問題なんて起こらなかったはずだった。
 相変わらず霧が掛かっている。本来なら水平線から昇って来たギラギラ輝く太陽の光が宙に流れる霧に乱反射して、まるでダイヤモンドダストの様な景色を見せてくれるはずなのだが、目の前は霧しか見えない。
 霧でべたつく顔の水分をタオルでぬぐい取る。心なしかこの霧、まるで意志を持っているかのように鬱陶しい。もしかしたら本当に持っているかも、意識。
 こんなこともあろうかとカッパを羽織っておいてよかった。服がびしょ濡れになってしまっては重いし体温を下げるし、いいこと無しだ。

「さて、そろそろ半分以上歩いたか? 霧で何も見えないな、数メートル前すら何も見えないとはさすがに異常だな」

 こんなジメジメした場所に来たのも、長距離移動が嫌いな自分が来たのも、重ね重ね言うがこんな場所に来たのには理由がある。
 十日前、ここで一人の男性が橋から落ちて亡くなった。手摺を通り越して、真っ逆さまに落ちて御愁傷様。
 九日前、ここで一人の女性が橋から落ちて亡くなった。手摺を通り越して、口紅で掌に何か書こうとしていたが御愁傷様。
 八日前、以下略。
...

 昨日、ここで一人の男性が橋から落ちて亡くなった。手摺を通り越して、カメラを大事に抱えながら、先の九人同様紅い花を咲かせて御愁傷様。
 三流ゴシップの幽霊特集をしている雑誌の記者だったらしく、廃病院や墓場を好んで撮影していた変わり者だったようだ。
 大事そうに抱えられていたカメラに何か手掛かりがあるのではないかと現像された写真に写っていたのは、たった一人の少女。
 白いワンピースをその身に纏った、小学生ぐらいのあどけない少女。
 写真の題名は『霧の中の天使』……なるほど、確かに一メートル先が見える見えないの霧の中でこの少女だけがしっかり写っている。しかも純白のワンピースだ、付けた奴はネーミングセンスが無いな。
 そんなことはどうでもいい。どうでもよくないがどうでもいい。
 『丁度十人が死んだ』のだ、まさかと思って毎日ソウリュウで新聞を眺めていたが、どうやらこれは巻所からのメッセージのようだ。これ以上紅い薔薇を咲かせても近隣住民とポケモンに迷惑だろうし、何より寝覚めが悪い。
 昔言ったことをそのまま実行したつもりなのだろうが、生憎自分自身は彼女との約束を守ることはもうできないのだ、せめて……

 体が重い。深い霧が確実に体力を奪って行く。一ヶ月前にこの橋を渡った時は気分も疲労も格別だ。気分最悪疲労困憊。
 もう四分の三は歩き終えたはずだ。さて、あと少し歩けばお花畑の真上に辿り着けるだろう。



                                                                                    ふふっ




                                                    あはは♪



 何か聞こえた。どうやらこんな霧の中でも元気よく遊んでいる少女はいるようだ、生きてる生きてないは分からないが。
 背筋に嫌な汗と寒気が通る。腰のモンスターボールを一つ手に取り、開閉スイッチを押して一匹のポケモンが外へ飛び出す。
 小柄な格闘ポケモン、コジョフー。長年を共にしたボディーガードであり、俺の長年の友。
 重ね重ね言うが、霧が深く目の前は本当に何も見えない上にべったりした空気で体力と気持ちが削がれ、まるであの世でも歩いているような嫌な気持ちになって来た。
 さらに確証は無いが、見られているような感じがする。こんな霧の中で誰かが離れた場所の生き物など見れるはずが無いが、それでもだ。
 ここに来た理由は先の十人のように死ぬためではない。まぁ手違いでもしかしたら逝ってしまうこともあるかもしれないが、あってほしくないな。



                        わーいわーい



             君が来るの待ってたんだよー



                                                       あはははは♪



 脳に直接響くようなイッシュのテレパシーとでも言うのだろうか、声が聞こえた瞬間、真後ろに突然何かが降りて来たような気配が襲って来た。
 まるでお化け屋敷で突然天井から人形が逆さに降りて来たような印象……後ろを振り返ってもなにも無く、ほっと胸を撫で下ろす。
 こんな感じの悪戯で済めばいいが……そう思っていながら正面を向くと、立っている。少女が。
 純白のワンピースに身を包む少女。こんな深い霧の中だと言うのに少女の姿はまるで真っ暗闇の部屋の中に灯る蝋燭のように激しい存在感を放っている。ワンピースの裾を持ちながら、クルクルとその場で回っている。
 こんなびしょ濡れになる霧の中でワンピースがそんな煌びやかに靡く訳がねぇだろと――何て突っ込みたいが、怪奇現象に理屈も何もないだろうよ。
 隣のコジョフーが激しく毛を逆立てながら俺と少女の間に割って入り、俺のことを護ろうと粗ぶっている。
 そんなコジョフーのことなど気にもせず、嬉しそうな表情を浮かべる少女はゆっくりとこちらに視線を向けると、前かがみになりながら一歩二歩と俺の元へ。

『嬉しいな、やっと来てくれた。私ね、ずっと君のこと待ってたんだよ』

 何とも健気で嬉しいこと言ってくれてるが心なしか身に纏ってるオーラがとてつもなく凶悪で、まるで爪楊枝で全身をつつかれてる様な痛さとくすぐったさだ。
 これはマズイ。マズイと言うよりは正確に言えばヤバイ。どうやら間違えていたようだ、明日の新聞には俺が十一人目でフィニッシュエンドと言う可能性がありそうだなこりゃ。
 しかし死ぬのは嫌だ。彼女がこの十数年何を思ったか分からないが、俺が殺される理由にはならない。
 死者の考えること――か。死んだ人は一体、どう言う気持ちなんだろうな。皆、彼女みたいに悲しみに包まれているのか、それとも……

『何で黙ってるの? ねぇ、昔お約束したでしょう。【大きくなったら結婚しよう。関係者は多いと嫌だから十人ぐらいで】って。関係者の人は先に逝ってもらったの、よくここを通る人たち、私の知り合いみたいなもの。後は君が来るだけよ』

 十数年前、一人の少女が橋の事故で死んだ。
 橋を作る過程で谷底に住んでいる住民たちには立退き勧告が出されていたが、彼女の住んでいる家だけはそれに従わなかった。親の都合だと言うが、馬鹿なこと。
 あと少しで橋が完成と言うところに差し掛かり、その事件が起きた。あっと言う間だった、落ちて来た数個の鉄骨がその家に直撃し、ぶっ壊した。
 その家に住んでいた少女は即死、その家族と彼女が一緒によく遊んでいたケーシィも、ほどなくして亡くなった。
 一ヶ月前、この場所を訪れた。彼女とはそんな事故が起こるよりちょっと前、よくポケモンセンターで遊んでいた仲だった。別に悪くなかったし、相思相愛と言ってもまあ良かったかもしれない。
 そんな約束が、先ほど彼女が言ってくれた結婚だ。この前橋を通った時は急いでてろくにお祈りもできなかったが、まさかそれがここまで酷いことになろうとは。
 気付いたら少女が目の前まで来ていた。ボディーガードだったコジョフーはいつの間にか地面に倒れ、意識を失っている。

『ほら、一緒に逝こうよ。私、ずっとずっと……待ってたんだから〜』

 彼女の右手が左手を掴んだ瞬間、恐らく人生最上級だろう悪寒が全身を襲い、思わず左手を思い切り引いて彼女の手を払い退けた。
 どうして払われたか分からない少女は感情があるのか無いのか分からない微笑みを浮かべながら、にっこり笑って再び手を伸ばす。

『どうしたの? ねぇ、私のこと好きなんでしょ。だから、一緒に逝こうよぉ』

 昔の話だと、どう言えば分かってもらえるのだろう。むしろ今の彼女に、まともな会話なんてできるのだろうか。
 兎に角ここにいたら十一本目の花になりかねない。踵を返して全力疾走、コジョフーは後でちゃんと回収に来るつもりだ、見捨てるわけじゃない。こういう場面は何度かあったさ。
 走り出したと同時に腹に激しい衝撃が走り、足が滑って上半身が手摺の奥へと押し出された。
 驚く暇も無く面白いほどに体が宙へと押し出される。何だか滑った拍子に足の裏を誰かに押されて加速をつけられたような気がしないでもない。
 絶叫――叫びながら落ちる俺の横に少女が並んでおり、向こうは空中を自由自在に移動しているように見えるな。

『もうすぐ着くよ、私達の結婚式場。貴方が私のこと忘れてるから、私凄く寂しかった』

 言わないと分からないらしい、こいつは全く。

「忘れるわけないだろ」
『ん? なぁに?』
「忘れるわけないだろう! 俺はここに来ない選択肢だったてあった。何で来たと思う」
『何でって言われても分からないよー。私が貴方を呼んだんだから、来てくれたんじゃないの? まぁ、どうせ私のことなんて、もう何とも思ってないんだろうけど』
「バカたれ、何とも思ってなかったらこんなところ来るわけないだろ。俺が来たのはな、ただお前に一言言いたいことがあったからだ」
『言いたいこと?』
「『ごめん』」

 この前ここに来たとき、確かに急いでいて祈ることを忘れてしまったが、ただ一言心から謝りたかった。
 もし俺がもっと早くもっと急いでもっと彼女のことを思ってここに訪れていたら、心の底から彼女の期待に応えていたら、彼女だってこんな凶行に出ることだって無かったはずなんだ。
 そうでなくても早く来れなかっただけで、俺は謝らなければいけない。
 時々考えてはいたんだ。死んだ人は何を思っているのだろう。死ぬとき何を思っていたのだろう。忘れられてしまったら、どう言う気持ちになるのだろう。
 考えるだけで行動しなかった結果がこれだよ。彼女をこんなにしてしまったのは、俺のせいだと言ってもいいはずだ。

『何で謝るの? 君は何も悪くないのに、何で?』
「お前は、人にも自然にも優しかったのに、十人も殺した。いや、俺が殺させたようなもんだ。お前に悲しい思いをさせて、人殺しさせて、それ以上にここに来れなかったことを、謝りたい。そうだよな、忘れられたって思ってもこれじゃ仕方ねーよ。でもさ……」
『でも?』
「俺は一瞬だってお前を忘れたときは無かった。毎年お前の墓にだって行ってる。てか、お前はそっち行かないのかよ」
『……君は、覚えててくれたの? 十何年も前なのに、私が貴方の優しさを忘れてしまったのに』
「あーあんときは悪かったな。親父の急な転勤でよ、家変えたたらいきなり引っ越しだとか抜かされてよ。実は借金取りから逃げたんだけどな、夜逃げだよ、後から知った。だから別れも何も言えなかったときは、悲しかったな」
『そう……私ね、死んでからずっと一人ぼっちだった。支えはただ、君との思い出……あはは、私馬鹿みたい。一人で勝手にかなしくなってただけなんだね。私のバーカバーカ』

 自身を罵っている彼女の表情は、とても眩しいほどの笑顔で、両目からこぼれる涙がまるで雫のように宙へ舞い踊る。
 今まで確信が無かったが、この時はっきり分かった。亡くなった彼女たちが一番悲しむのは、忘れられること。
 勝手な自己解決の感傷に浸っている間に、彼女が何かを呟く。なんてことだ、彼女が最後に何と言ったのか、聞きそびれてしまった。
 それと共に彼女が俺に抱きつくと、またほほえましい笑顔を見せてくれる。その顔に手を当てようとして、目の前がいきなり真っ白に染まる。



 さて、どうしてこうなっているのか。先ほどまでジャングルの中の密林みたいに視界が悪くて鬱陶しかった霧が消えて、水平線から昇る太陽がキラキラと美しい光を海面に映す。
 そして俺はと言うとそんな朝日を浴びながら、その素晴らしい景色を一望できるベンチに座っている。はて、いつの間にこうなったのだろう。
 横でコジョフーがぐっすりと眠っており、起こさないようにゆっくりと立ち上がり、手摺に肘を付けて真下を覗いてみた。
 十人転落死してしまった事実は消えていないようだ。小さいが落下した場所を囲うようにコーンが建てられており、さすがの幽霊も事実を消すなんて無理なようだな。
 死ぬことだって覚悟していたが、何となく彼女はわかってくれたのだろう。そして、俺も知ることがあった。
 犠牲になった十人には申し訳ないが、もうこれ以上、彼女が俺の気を引こうとして馬鹿みたいに人を殺すと言うなんてことはしないだろう。
 よく分からないファンタジーの様な出来事だった。コジョフーをボールに戻して、近くにあった自動販売機でコーヒーを一本。

「……おっ、当たりか。確かあいつが好きだったのは、いちごミルクだったな」

 当たりの分でいちごミルクを購入し、それを手摺の上に置いて、朝日を浴びながらコーヒーを一気に飲み干す。
 そう言えば当時の俺のお気に入りはミルクコーヒーだった。今は『ミルク』が取れて『ミルク』繋がりが切れてしまったが、俺と彼女の関係が取れることは無い。
 飲み干した缶を捨てて、目の前に見えている出入り口に歩み寄る。
 ふと目の前に、上からゆっくりと何かが落ちて来た。
 花だ……綺麗な白い、まるで少女がワンピースを纏っているかのように綺麗な花。花には詳しくないから、よく名前が思い出せないが。
 いつか、この橋の下に大量の花でも植えてやろうかな。世間は変人って思うかもしれないが、絶景にプラスワンだ。
 さようなら、成仏したのか知らないが、墓参りは欠かさない。



                                                                 ありがと




                             さよなら……



 声が聞こえた。どうやらこんな清々しい橋で俺を見送ってくれる少女がいるようだ、生きてる生きてない何て関係無いが……



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さて、とりあえず書かせていただきました。NOTロリコンです。
文字数は作中で5814文字と言うことで、まあ中の中って文量ですね、一万文字まで行くつもりはなかったのでこれぐらいがちょうどよい。
テーマは『橋』ですが、ワンダーブリッジに出て来た幽霊少女の話を勝手に作りました。
裏テーマとしては『死者の気持ち』ですな。ちょっとくどかったし、何かテンポが早かったかなと読み直してみて反省。だが変えない。
実はこの作品、そのまま主人公が死んでしかも少女のダーク度アップでホラーエンドまっしぐらも考えたのですが、ホラー食が強過ぎる夏は過ぎたので止めました。
全国の少年少女よ、たまにはお仏壇に線香とか添えてみるのも、いいかもよ。
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.8 )
日時: 2010/10/30 20:09
名前: 二級河川

「白く雄大な」
A部門 橋


 自宅のあるマンションから川沿いに向かって数分歩くと飛翔橋という橋がある。
 淀川左岸から南に分かれた大川に架かった白く大きな橋は、そのネーミングも雄大な姿も、結構自分の好みである。
 この飛翔橋を使って大川の向こう側に行けば北区に入り、天神橋筋に程近い一帯にたどり着く。
 小学生くらいは自転車に乗ってこの橋を渡り、よく母と梅田に向かった。しかし、中学生くらいになると母と梅田に行く機会も減り、梅田より塾のあった上本町ばかり行ったためこの飛翔橋を渡ることはほとんどなくなった。
 ただ、部活のランニングのときに臭く緑っぽい色の大川の川沿いを走るとき、あの白くて大きい飛翔橋をよく眺め続けていた。
 高校生に入ると飛翔橋を眺める機会さえなくなった。
 高校通学のため、JR桜ノ宮駅を利用する。大川沿いを渡って駅へ行くことも可能だったのだが、都合のついた有料自転車置き場が大川沿いでなく駅を挟んだ反対側であったため、大川とは縁がない地下鉄都島駅の前の大きな交差点の側を通る道から通学していた。
 それでも、ときたま休日に自転車で大川を渡って梅田に向かうこともあったが、飛翔橋ではなく都島橋を利用していた。
 都島橋は便利だが、飛翔橋に比べると多少味気ないところがあったが、やはり利便性に勝るものはないのでこちらを使っていたのだ。
 その利便性というのも、なにせ飛翔橋は坂がきついのだ。
 車は通れず人しか通れないこの飛翔橋、他の大川に架かる橋と比べて高い位置に架かっているため、橋の入り口と出口がスキーで滑ってもそこそこの速度が出る程の傾斜の坂になっている。
 しかももう一点不便な点を言うと、都島橋で渡ると大きな交差点の方へ出るが飛翔橋で渡るとマンションの立ち並ぶ住宅街に出るため梅田に行くには飛翔橋から渡ると都島橋に比べると距離が出来やや不便だ。



 と、延々愚痴を漏らした手前だが、この間大川沿いを体力造りと称してランニングしたときの話だ。
 新橋に向かって走ったその復路、特に意味もなく飛翔橋へ足を踏み入れた。
 既にヘトヘトの体に鞭をうち、きつい坂を気合いで登りきり、飛翔橋の真ん中程まで来たところで正面から手すりにもたれかかった。
 眼前には相変わらず汚い大川が広がっていたが、ただ、それ以外にもたくさんのものが見受けれた。
 そこにはたくさんの人。
 橋の上から見る人はチョコボールよりも小さかったが、そこから伝わるものは大川よりも大きかった。
 川沿いをランニング、ジョギングする人々。または大川を行くボート部の人々。
 それぞれ進む方向、やること、人の性別や体格や容姿服装はてんでバラバラだが、その中でも誰にも通じる共通点があった。
 誰もが一生懸命だ、ということだ。それは単純で、当たり前かもしれない。でもそんな人々の熱意や姿勢が何故だかやけに伝わり、胸が思わず熱くなる。
 疲れて汗だくのバテバテになって、走るのが面倒だなどと今すぐ愚痴りたかった先ほどまでの自分はもうなかった。他の人の頑張ってる姿勢に感化され、疲れきった顔が自然と笑顔になる。
 こんなに胸が熱くなりやる気に満ち溢れたのはかなり久しぶりだ。都島橋ばかり使っていたけど、たまにはこの飛翔橋も悪くないかもしれない。
 よし、と一人で呟くと、駆け足で飛翔橋を降りて、あらかじめ想定していた距離よりももう少しだけランニングを始める。
 他の人にも負けないように、と。
 そんな僕の背をあの白く雄大な飛翔橋が見守ってくれてる気がした。



 あとがき
1432字の短い小説です。
橋と言えば思いついたのがこの飛翔橋。もちろん実在します。
坂がきついと言ったけど、登るのが辛い分下るのが楽しいなあ。
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.9 )
日時: 2010/10/31 10:47
名前: 乃響ぺが

 B部門 テーマ:雨
 そっくり人形展覧会


 その日も俺はやかんが沸騰するのを毛布で包まりながら待った。外は雨。もう朝だというのに、ちっとも明るくならない。
 オユガフットウシマシタ。タダチニヒカラハナシテクダサイ。と、キッチンから警告が聞こえた。窓から見える木はもう、冬に備えて半分ぐらい葉っぱを地面に落としている。今日の雨で、またはげてくんだろうなぁ、と少し残念に思った。葉っぱの落ちた木は、見てていたたまれない気持ちになる。寒さをこらえて毛布を抜け出し、やかんからきゅうすに沸騰したお湯をうつす。
 時計に目をやると、9時半。一人暮らしをしている以上、それなりの時間にまがりなりにでも一度起きて朝食を取ることは、生活リズムを作るうえで絶対だった。崩した瞬間、自分は正しいリズムに戻ってこれる自信がないのだ。だが、一口でも食べてしまえば、ノルマはクリアしたことになってしまい、二度寝することもある。いい加減だな、と自分でも思う。そんな時は一日を損したような気持ちになるが、今日はそんなことにはならないだろう。外せない用事があるのだ。
 あと三十分くらいかな。そんなことを考えながら、またベッドの上に倒れ込む。今度は毛布は被らない。反動をつけて起き上がり、きゅうすにいれたお茶を汲む。少し冷めるのを待つ間、パジャマから出かける服装に着替え、小さなポシェットに荷物をいくつか詰め込む。
 ぴんぽん、とインターホンがなる。扉を開けると、チーコが傘の水を落としながら我が家になだれ込んでくる。
「おはよう」
「おはようなんて呑気に言ってる場合じゃないよね、これ」
 どうやら天気のことを言っているらしい。少し興奮気味に、チーコは語る。
「そんな大げさなヒールなんか履かなきゃいいのに」
「別に防水加工してあるから平気だし」
 とりあえずお茶頂戴、と言うので、彼女の分も用意する。
「こういうのって珍しいんよね。私、基本的に晴れ女だから」
 頬杖をつきながら、彼女は喋る。
「でも、こういうのってテンション上がる。今日の傘、地味に気に入ってるやつなんだ」
 俺は玄関にかけてある傘をちらりと確認する。少し派手な模様が入っているが、そういうデザインとかファッションのことに関しては良く分からない。
「だから行くよ、三宮」
「えー」
 面倒だなぁ、と俺は思う。
 我が家は春日野道という、三宮の中心まで徒歩20分の所にある。チーコはいつも我が家まで迎えに来てくれる。と言うのも、待ち合わせをしても俺は必ず遅刻するからだ。それなら直接来た方が早いと気付いた彼女は、もう待ち合わせの場所と時間を正確に指定しなくなった。
「今から行けば丁度オープンの時間だから、行こうよ」
「はいはい」
 彼女が靴をはくのに手間取っている隙に、読みかけの本をかばんに追加した。彼女とは対照的なシンプルで機能的な傘を取り、家の鍵をかける。

 雨の日に買い物をするのは少し苦労する。必然的に荷物が一つ増えるからだ。チーコが前から目星をつけていた3件を回る。一軒目はかなりじっくりと、二件目はそれなりに、欲しいものを選んでいった。三件目で買ったファーのごついブーツは、安売りしていて何となくおしゃれだという理由で選ばれた。店に目星はつけていても、何を買うかまでは決めていなかったらしい。俺にはその良さが分からないが、口には出さない。
 昼食をイタリア料理店で食べる。俺はカルボナーラを、彼女は野菜の大量に入ったペペロンチーノを頼んだ。
「そう言えばさ、仕事でやなことあってさ」 
 食べながら、彼女は話す。
「仕事先の近くに猫がいついてるって話したっけ」
「したね」
「その子にごはんあげようと思って、カリカリもってったんだよ。そしたら上司にめっちゃ怒られてさ」
 相変わらず猫好きだなぁ、と思いながら、俺は相槌を打つ。
「野良猫にいつかれたら迷惑だから、って。30分くらいずっと怒られてさ、周りの目とか全く気にしないんだよね」
 上司のことを思い出しながら、チーコのトークはヒートアップし、頂点を超えて少し落ち着く。
「それにしてもさ、猫とかってまだ人間より自由だよねぇ。怒られても逃げられんじゃん、あいつら」
「確かに。足早いしね」
 猫については、俺はあまり興味がなかった。当たり障りのない答えを選んだ。
「犬もいいよね、ちょっとご主人様の言う事聞くだけで、すぐ褒めてもらえるんだもん。かわいいって得だよね」
 そう思っていいのだろうか。俺は大きく相槌を打つことはできなかった。
 つるりと中身を平らげ、しばらく食休みをする。
「んじゃ、一旦ウチ帰ろっか」
 ウチと言っても、俺の家だが。
「そうだな」
 さっそく欠伸が出て来る。昔の夜更かし生活が祟ってか、昼食を取ると自分ではどうしようもない眠気に襲われるのだ。本当に耐えきれなくなる前に、意識を失ってもいい場所を探さなければならない。チーコが朝早くから出かけようとするのは、俺の体を考えてのことだった。昼ごはんを食べる前に、一日の用事は済まさなければならない。動かない限り眠気のスイッチは入らないが、立ち上がった瞬間カウントダウンが始まるので、どの道逃げることは出来ない。頭が働かなくなってくる。
 帰り道の途中も雨は降り続いて、俺の意識を余計に曇らせた。イチョウの木が落とした葉っぱで、黄色いじゅうたんができあがる。何となく、現実感を失っていく感じがする。
「今日ほんと良く降るなぁ」と、呟く。
「いいじゃん。雨の日。何て言うか、楽しくならない? 私は好きだなぁ。めったにこっちって雨降らないでしょ」
 歩きながら、チーコは楽しげに話す。神戸は他の地域に比べて、雨の降りにくい街の一つだ。珍しくできた水たまりを避ける為に、少し足を大きく伸ばす。
「雨降って何が嫌って、水たまりばっかりになるんだよね」
「確かにそれはそうかも」
 チーコは笑って同意した。
 川が流れていて、短い橋を渡れば春日野道だ。この橋が三宮と春日野道を分ける。
「うわ」「きゃぁ」
 橋を渡ろうとした瞬間、急に雨あしが強くなる。風は止まり、ただただ強い雨。しかし、これはあまりに強すぎないか、と不審に思う。目の前が真っ暗になって、周りの音が全く聞こえなくなるほど大量の水が落ちてくる。
「すっごーい」
 チーコの声はとても楽しそうだった。はしゃぎすぎだろう、と鈍い頭で突っ込んだ。
 その時目の前で、信じられないことが起こった。
 チーコが、水色の犬のような獣になったのだ。
 両手両足が縮んでいき、両手を地面についた。同時に顔の形も変わり、尻尾も生えてくる。服は人間を失った分だけ消えて行く。
 首にシャンプーハットのようなものをつけ、背中にはひれのようなものがついている。尻尾は太い。傘も買った服も全部落として、彼女は三宮方面に嬉しそうに駆けて行った。
 強すぎた雨はもとに戻り、風に吹かれて派手な傘は遠くへ飛んでいく。
「お、おい」
 俺は落とした服の袋を拾い、彼女を追いかけて走る。
 状況が理解できないのは眠いからか、などと一瞬馬鹿げたことを考える。
 嬉しそうに走る彼女の足は、獣のそれそのものだった。ダッシュしては立ち止まり、こちらの姿をちらりと見る。俺が近づくと、また走りだす。三宮は北に六甲山があり、街なのに上の方に登れば登る程勾配がきつい。彼女は山の方へひたすら走る。きつかったが、彼女の姿を視界から外すわけには行かなかった。なんなんだ、あの動物は。どこかで見たことがあるような気がするが、思い出せない。
 かなり上の方まで来た。異人館通りのヨーロッパ風の建物を横切り、また更に上へあがって行く。高級住宅街のようで、家一軒一軒の敷地がやたらと広い。大仰な門がついている家もあれば、何故か警備会社のステッカーを一メートル置きに貼ってある家もあった。突き当たりって左、三件目の家に彼女は入って行く。どうやら柵の下をくぐり抜けたらしい。壁は立派だったが、入口の門は普通の家と対して変わらないようだった。ここで見捨てるわけにもいかず、とりあえずインターホンを鳴らす。
「はい」
 女性の声が聞こえる。
 走った疲れと昼食の影響で、眠気が限界に達していた。消えそうな意識の中、何とか言葉を絞り出す。何が入ったと説明すればよいのだろう。アレは猫か? 犬か?
「すみません、うちの猫がそちらに勝手に入ってしまって。少しお邪魔させても宜しいですか」
「……分かりました。どうぞ、入ってください」
 少し間を置いていたので、嫌な顔をされたのかと一瞬不安になったが、返事は思いのほか友好的な口調だった。
「お邪魔します」
 こんな豪邸の敷地内に入るのは初めてだ。左は登り階段で、家の建物につながる。右は暗くてよく見えないが、ガレージらしく黒いベンツが静かにたたずんでいた。そっちにしっぽらしきものがちらついたので、右に向かう。
 更に下に向かう階段を下りて行く。半開きになった扉を押し開けて、彼女は入って行った。追いかけて、扉を開く。
 中は、オレンジ色のランプと灰色の壁が続く通路だった。下はじゅうたんで、天井は黒い。まるで美術館や博物館のようだった。絵がかけてあったり、古い陶芸品が置いてあったりする。空気は乾燥していて、独特なにおいを漂わせている。絵画の保存の為の空調だろうか。俺はそれに我慢できず、気分が悪くなり、せき止めていた眠気が一度に襲いかかる。俺はその場に倒れた。

 気がつくと、俺はテーブルに突っ伏していた。木目の入った茶色くて丸い机。椅子が4つ。目を擦り、起き上がって大きく伸びをする。
 右手が何かに触れている。本だ。ポケモンずかん、と書いてあり、確かピチューというポケモンだっただろうか、黄色いキャラクターが大きく描かれ、他にも色々なキャラが描かれている。ポケモンはやったことが無いから、数年前に第一作が流行り、第二作が最近発売されたことぐらいしか知らない。
 ページの中ほどに、青い付せんが貼ってあるのに気付く。それを開くと、そこに載っていた一匹のポケモンに目が行った。シャワーズ。彼女の姿と同じだ。
 ふと気配がして、左の足元を見ると、一匹のシャワーズがこっちをまじまじと見ている。なんだか一つ落ち付いて、すぐにまた心がこわばる。
「一体何だってんだ? 何があったんだ」
 俺は聞いてみる。こいつは答えてくれるのだろうか。
「残念だけど、その子は答えられないよ。人間の口は聞けない」
 女の人の声がする。周囲より一段高く作られ、ライトアップされたステージに、彼女は立っていた。赤いローブを付けた、髪の茶色い女だ。
「あなたは」
「私? 魔女」
 彼女はにんまりと笑った。冗談だと思って、思わず鼻で笑った。
「ゲームフリークもいい仕事するねぇ。こんなに可愛い子を作ってくれるなんて。私もやりがいがあるよ」
 段差を降りると、シャワーズの彼女は魔女を名乗る女に駆け寄る。思わず俺は手を伸ばした。よしよし、と魔女はシャワーズの体を撫で回す。
「どういうことですか」
 どういうことですか、と彼女は復唱する。そしてにたりと笑って、両手を軽く広げる。
「私に敬語なんていらないよ。君はきっと私を嫌いになる。怒るのか、怖がるのかは知らないけど、きっと言葉は乱暴になる」
 そう言われると、逆らってみたくなるのが人間だ。何が何でも心を動かされないぞ、と心に決めて、彼女の言葉を待つ。
「まず、君の彼女……チーコちゃんをこんな可愛い姿にしたのは私だよ」
 椅子から転げ落ちそうになる。いきなり何を言い出すんだ、この人は。それに、何故名前を知っている?
 嫌な予感がする。
「何でそんなこと」
「この子が人間やめたいって望んだからさ。気付かなかった? まぁ、君は学生だから、社会人のこの子の辛さなんて分かんないよね」
 言葉に詰まり、くっ、という声だけが漏れる。一体どんなに辛かったのか、チーコは愚痴をあまり言わないから分からなかった。今日の彼女との会話を思い出す。あそこまで弱音を吐くのも珍しいことだった。猫はいいよね、犬はいいよね。あの言葉に、どれだけの意味が込められていたのだろう。俺は図り間違えていたのかもしれない。自分に非が無いとは言い切れない。
「そんな人間のこころを感知して、人間辞めさせてあげるのが私の趣味で、仕事なの。今はまだこの街の中の中でほんの少しだけど、いつか全ての人間を辞めさせて、ワンダーランドを作りたいなぁ」
 楽しそうにくるくる回りながら、ステージを横切って奥の方へと歩いていく。なんなんだ、こいつは。あまりに現実離れしていて、にわかには信じられない。が、嘘を言っている風にも見えない。
「でも、君がもしチーコちゃんを返して欲しいのなら、返してあげないこともないよ」
 魔女はこっちを指差した。本当か嘘か、すぐ決めつけるのは何かまずい気がした。俺は警戒を解かない。
「ただし、条件付きでね」
 奥にはグランドピアノが置いてあった。今まで気付かなかったのは、魔女が近づいて初めてライトがついたからだろう。魔女は椅子に座り、弾ける準備をする。ウォーミングアップのためだろうか、音階を軽く上下になぞり、和音を三つほど弾いた。
「今から『本物は、誰でショー?』やるから、それでうまくいったらチーコちゃんは返してあげるよ。知ってる? そっくり人形展覧会」
 俺は首を振る。
「じゃあ、谷山浩子って人は?」
 俺はまた首を振る。魔女はため息をついた後、まあいいやとひとりごちる。
 ステージの反対側は、真っ暗で何も見えない。ここは意外と広いスペースなのか。魔女は先ほどとは打って変わって、開放的で陽気な声を出す。
「さてさて、ルールをご説明しましょう。これから数分のお時間を差し上げます。その数分の間に、お兄さんには会場を回っていただき、今日の出席者の中から『ホンモノ』を見つけてもらいます。 観客席のみなさんは、いかにも『ホンモノ』らしくふるまって、お兄さんを惑わせてあげて下さい」
 にたにたと笑いながら、さもクイズの司会者のように語りかける。後ろの方から、ざわめく声が響いてくる。ホンモノ……本物のチーコのことだろうか。
 さっきまでそこにいたシャワーズが、観客席の暗闇を駆け抜ける。それに合わせて、ライトが点いて、その全貌が明らかになる。血の気が引いた。そこには、100、200、おびただしい数のシャワーズがいたのだ。よく見ると、シャワーズだけじゃない。姿のよく似た、あるいは色の同じ別のポケモンもいる。一番奥まで、20メートルはある。この中から、本物の彼女を探せって言うのか!
「さぁ、心の準備はいいですか? ワン、ツー、スリーでそっくり人形展覧会のテーマが流れますよ! 歌が終わるまでに見つけて下さいね! ちなみに、そっくり人形展覧会のテーマの演奏時間は、おおよそ2分24秒でーす」
 心臓に、打たれたような衝撃が走った。そんなに短い時間しかないのかよ。
「それでは、ワン、ツー、スリー!」
 ズンチャ、ズンチャ、ズンチャッチャ。軽快でどこか滑稽なリズムが刻まれる。
 俺は走って、青いポケモンの群れの中心に突っ込んだ。右を見て、左を見る。どれだ、どれが本物だ?
 ポケモンの群れはあちこち動き回り、どれがどれだか分からない。近くに寄ると寄られた方もこっちに来る。顔を見ても、違いなんて分からない。
 そっくりだけどちがう そっくりだけどちょっとね
 どこが どこが ちがうの? あててごらんよ
 魔女が高らかに歌い上げる。
「さぁさぁ、見つけましたか? 見つけましたら、ステージに連れて来て下さいよ。ほらほら、もうすぐ曲が終わってしまいますよ? 急いでくださいね?」
 わたしよ、わたしがホンモノよ。そんな声が聞こえてくるような気がした。数々の肉球が足を踏み、腕に触れ、数々の襟巻きがズボンにぶつかった。手から汗がにじみ出る。

 だってみんな、同じじゃないか!

 諦めかけたその時、一つの閃きが生まれる。一番初めに走って行ったシャワーズ。あれがホンモノではないだろうか。
 確か一番奥まで走ったような気がする。俺は直感に従い、走った。近づいたシャワーズが、走る体に手を当てて軽くちょっかいをかけてくる。壁に到達すると、一匹だけ少し他とは違う様な気がするシャワーズがいた。何となく、これがそうじゃないかと思い始めた。俺が一歩近づくと、そいつは一歩逃げた。顔は背けず、こっちを向いている。もう一歩踏み出せば、そいつはもう一歩逃げた。怪しい。
 もう恐らく時間は残っていないだろう。逃げるシャワーズに心を定め、全力で捕まえようと走った。シャワーズも逃げる。幸い、逃げる方向はステージ側だ。このまま行け!
「見つけた、……こいつだ」
 上手くステージの上に乗ってくれた。
「はぁ、どの子ですって?」
 少し馬鹿にしたような言い方をするので、走った疲れもあってか、荒い口調で答える。
「だーかーら、こいつだって……あれ」
 シャワーズを指差した。だが、シャワーズは段差を降り、てくてくと自分が座っていたテーブルの方へ歩き出す。ばちん、と音がして、客席の方の電気が落ちた。
「その子でいいんだね?」
 魔女はピアノから立ち、ステージの横に移動する。
「どうせ、タイムアップなんだろ」
 にんまりと笑う顔は、その通り、と言ってるようだったが、それ以上は何も分からない。
「その子、連れて帰っていいよ。出口はこの子が知ってる」
「待てよ。こいつがホンモノかどうか、教えてくれないのか」
 いつの間にか、彼女に対して敬語で無くなっている。最初に魔女の言ったとおりになって、なんだか気分が悪い。
「それは、後でのお楽しみ。それじゃ、また会いましょう! 魔女のそっくり人形展覧会、でした」
 バチン、と電気が切れて、何も見えなくなる。後ろから、きい、と扉の開く音がして、明りが覗いた。どうやらシャワーズはそっちに向かって既に歩き始めているらしく、俺はその後に続いた。外に出ると、雨はすっかり上がり、太陽が地平線の彼方から顔を少し出すだけだった。神戸の街を一望でき、ここが三宮で一番高い場所に立つ家だと言う事を思い出した。夕方かと思ったが、太陽が昇っているのは東からだと言う事に気付いた。いつのまにか、朝になっている。そんなに長い間眠っていたのか、と思うと、そんな気持ちになる。
 そっくり人形展覧会。ぼんやりとした頭で、家路につく。きっとさっきまでのは夢だな、と思って、ベッドに入って眠った。彼女がポケモンになったなんて、信じられるか。ばかばかしい。

 目が覚めたのは、昼近くになってからだった。そろそろチーコは昼休みかなと思い、何となく電話をかけてみる。しかし、何度かけても繋がらない。バイブレーションが家の中から聞こえる。部屋に散らかった袋の中で、正体は見つかった。チーコの携帯電話だ。自分の方の電話を切り、何となくチーコの携帯の待ち受けを見てしまう。着信件数、7件。まさか。
 チーコの連絡先だ。とりあえず、かけ直す。とりあえず、電話には出てくれた。チーコの番号だと分かって、向こうは発言してくる。
「よかった、繋がって。今どこにいるの?」
「すみません、本人ではないんです。本人の知り合いですが、何かあったんですか」
「ああ、そうなんですか。失礼いたしました。あの子、今日会社に来てないんですよ」
 まさか。
「見てませんか?」
「いや、昨日三宮で一緒にいたんですが、別れてからは全く」
「そうですか……もし見つけたら、連絡お願いします」
「分かりました。ご迷惑おかけしました」
 電話を切る。まさか、まさか。
 あれは本当のことだったのか。
 家の扉を開けると、そこにはシャワーズの姿があった。こっちを見つめて、首をかしげ、尻尾を軽く振る。何も言わずにそいつは勝手に我が家に上がり込んできた。

「……それから、俺はあの魔女にチーコを元に戻す方法を聞き出す為に、ずっと三宮に住んでるってわけ」
 土岐律子は、いとこの話に頭がこんがらがりそうだった。神戸三宮の北部、北野坂の始まりにあるカフェの店長を任された彼は、シャワーズを店内に連れてきている。テーブルの端には、何作かの文庫本と、ポケモンずかんが並べられている。律子は珈琲がドリップされていく様子を眺めながら、思考を巡らせた。そして、気付く。
「でも、あんたの話だと、その子、確実にチーコさんだっていう証拠はないんでしょ」
 カップ棚を整理するいとこの手が一瞬止まった。失言だった、と少し居心地が悪くなる。
「まぁ、そうなんだけどね」
 彼はドリッパーに小さなポットでお湯を継ぎ足す。今、ポケモンずかんは初代を除いた4冊。最近、新しいポケモンシリーズが発売されたことで、世間は軽く話題になっているらしい。つまり、チーコがポケモンにされてから、既に10年近く経っていることになる。それでも元に戻す方法は、見つかっていないようだ。彼は続ける。
「三宮では、10年前から行方不明者が増えているんだって。きっと、魔女にやられたんだ。りっちゃんも、三宮は気をつけた方がいいよ。人間辞めたいとか、動物になってみたいとか考えた瞬間、魔女に変身させられちゃうからね」
 ドリップが終わった珈琲を律子に出し、砂糖とミルクを渡す。今日のコーヒーは、切ない気持ちと首を突っ込んではいけない恐怖の味がした。
「この街はもう、普通じゃない。橋を渡れば、別世界なんだ」



 彼は知らないことだが、彼がシャワーズを連れて部屋を出たあとのことだ。
 魔女は再び電気をつけて、ピアノのそばに座った。
 そして、静かに曲の最後の部分を歌い上げる。

 そっくりだけどちがう ちがうだけど平気
 なぜなぜ平気なの?
――そっくりだから。







※8651字。「雨」「橋」「やかん」「イチョウの木」「博物館」。多少強引ですが、5テーマ全部盛り込みました。
 土岐律子の名前を見てぴんと来た方は、記憶力に優れていると言えるでしょう。
 今回のお話は谷山浩子さんの「第五の夢・そっくり人形展覧会」 (http://www.nicovideo.jp/watch/nm7154209)という曲のオマージュです。
 谷山さんの曲は不気味でかわいいものが多く、想像力をかきたててくれるように思います。オマージュには想像力もへったくれもないかも知れませんがね。笑
 二級河川様に続き、実在地域シリーズ第二弾です。神戸三宮、北野坂や異人館通りはおしゃれで楽しいところですよ。

メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.10 )
日時: 2010/10/31 17:50
名前: ムスタファー

部門【A】
テーマ“橋”
“スカイ・アロー”


 白い世界。黒い世界。
 混ざり合い、醜く淀んだ灰色の世界。
―――僕の描いた「理想」は、あの子が求めた「真実」に負けたんだ。
 現実は甘い嘘をつく。中身の朽ちた果実のように。
 


 闇に濡れた空。雲が星を飲む夜。波高く、黒々と渦巻く瀬戸を照らすは白き『空の矢』……スカイアロー・ブリッジ。その溢るるばかりの輝きのみ。

 上空からはかろうじて車両の往来が確認できる。地上では決して味わうことのなかった圧巻の規模を堪能する最中、長い萌黄の髪を持つ青年の耳をかすかに恍惚とした響きがよぎる。

美しい橋だ
「僕もそう思うよ」
 否定する理由など青年には無い。

 最後の戦いによって、幼き頃より造り上げられていた彼の世界は永遠に崩壊した。敗北は目的も王座も全てを無に帰した。
 細い体躯を突き動かしていたのは正しいと信じて違わない「理想」。より強き「真実」の打ち砕かれたのち抜け殻と化した者は、果たして固執と引き替えに真の自由を得たといえるのだろうか。
 幸い彼の傍らにはともに高見を望み、ともに夢破れた“トモダチ”がいた。何者にも代え難いその存在が首を横に振らなければ、暗い囁きに導かれるまま深淵に足を踏み入れていたやもしれない。

なぜかな

 彼の“トモダチ”は賢者の響きをもって問いかける。抜け殻の自分を連れ出してこの橋の眺めを送ったのには何か意味があるようだ、と青年は洞察した。
 こうして背中に乗って黒い肌に手を置いていると、温もりとともに“トモダチ”の気持ちが流れ込んでくるような錯覚に陥る。しかし常人には通用しないその言葉を理解できる青年といえど、口に出されなければその心を完璧に把握することはできない。

「橋は数式で出来ているから」

 それが彼の思い付く最善の答えだった。昼夜問わず行き交う人間や物資。目まぐるしく変わる天候。巨大な人工物をめぐる、あらゆる問題を解決する答えを人間は常に計算によって導き出して来た。いわば建造物とは完全無欠な数式の結晶である。均整の取れたこの橋もまた地上で最も合理的な存在の一つであり、それが美麗の根拠に違いなかった。
 “トモダチ”は静寂が彼の言葉を成熟させる時を待ち、口を開いた。

吾が眠りにつく前の時代を話そう。はるか遠い世界のことを

 その言葉はかつて悠久の流れに身を置いた者だけが知る郷愁の念が込められていた。

橋とはいかにも不完全なものであった

「不完全?」
 青年は思わず聞き返した。予想だにしていなかった言葉である。
 それは同時に、囚われの奴隷を人間から解放し、完全なる者へと導くという青年の破れた理想を連想させる単語でもあった。

人は恐れを抱いて橋を渡っていた
「確かに昔は、橋はもっと脆くて壊れやすかったんだろうね」

しかしいかなる時代の橋も、吾には尊い

「なぜ?」
 “トモダチ”は柔和に微笑んだ。どれだけ闇と同化していようと、青年には分かった。

橋が繋ぐのは陸だけではない。心を繋ぐものだ

 心を繋ぐ。普段早口な青年は吟味するようにゆっくりと復唱した。すると不思議なことに夜気で冷えていた体に何か温かいものが広がっていった。彼は穏やかな表情で眼を閉じる。その言葉をそっと胸に抱いて。

「君達のおかげで僕はあの子に会えた。あの心に触れたから、僕は分かったんだ」

 彼は“トモダチ”の背に静かに額を寄せ。
「だから……君達は素晴らしいんだね」

「真実」との再会はそなたの願いが生んだ奇跡
そなたが吾が橋となるならば、吾はそなたの橋になる
ともに歩もう、英雄よ

 強靱な竜族の体に宿る雷の力が莫大な推進力を産み、二人の姿はまるで矢のように薄藍色の東空へと消えた。はるか彼方の、新たな世界を目指して。




fin.


1429字。
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.11 )
日時: 2010/11/01 22:40
名前: トラ○ルトラベル

作品タイトル【逆襲】
部門【B】
テーマ【雨】





「あのー、おれ、ずっと気になってたんですけど……その化石って、どうやって復元してるんすか?」
 それまで見事な接客スマイルを披露していた受付嬢の顔が、ヒクッ、と分かりやすく引きつった。
 青いスーツに包まれた華奢な腕が、無骨な化石を抱く滑らかな指先が、順にぴくぴくと痙攣していく。そそられるほど美しい曲線を描く腰が小刻みに揺れているのを見る限り、膝もガクガク震えているに違いない。おれは確信した。やはりここには、何かがあるのだ。だからここで追及の手を緩めてはいけない。おれはカウンターから身を乗り出すようにして畳み掛けた。
「やっぱ、でぃー、えぬ、えーがどうとかこうとか、そっち系の難しい話なんすかね? おれ、見てのとおり勉強とかサッパリなんで、多分話聞いても分かんないし、できれば見学させてもらいたいんですけど」
「いえ、え、えぇと……」
「お姉さん、化石の研究してるってさっき言いましたよね? もしかしてお姉さんが復元してるんすか? すげぇなぁ、気になるなぁ。立ち会ってもいいっすかね、いいっすよね、おれの『ふたのカセキ』ですもんね」
「あ、あの……化石の復元に関してはその、極秘事項でして……」
「えぇっ、でも、おれの化石なのになぁ。じゃあ、ちょっとだけでも! ちょっとくらいいいじゃないっすか、ね? 本当に一瞬でいいんで、ちらっとでも見れればおれ満足なんで! お願いします!」
「だ、だからぁッ……――博物館の最重要機密なんですっ、お引き取りください! ごめんなさい!」
 そうして、化石を抱いた受付嬢は、逃げるように奥の方へとかけていった。
「……ふむ」
 顎をさすりながら見渡すと、同じスーツを身にまとった端正な顔立ちの受付嬢たちは、皆流し目でおれを見ている。……揃いも揃って、青ざめた顔で。
 化石の復元までの時間を潰すていをして、受付の視線からの死角へとぶらぶら移動し、そこでついに堪え切れなくなって噴きだしてしまった。にやりと歪みそうになる口元を必死に隠しながら、おれは心の中で歓喜の雄叫びを上げる――あぁ、やっぱりそうだ。あの焦りっぷり! おれの目に狂いはなかった。ここには何か、面白いモンが隠れてやがる!
 幾多の展示物の影をうまく利用しながら、おれは誰にも気づかれないまま男子トイレの中へと忍び込んだ。あらかじめ用意しておいた、館のものをそっくりそのままトレースした『清掃中』の立て札を置いておくのも忘れない。
 館内の見取り図は、裏ルートで既に入手済みだ。怪しいのは、化石研究をしているというあの女が駆けこんでいった通路の奥だが、あの先は上り階段で、小さな部屋へと繋がっている。そいつはおそらくフェイクだ。わざわざ一階分上らせるところが、分かりやすくて憎らしい。
 どうも聞いたところによると、シッポウ博物館の館長は、隠し階段がお好きだそうで。
 愛鳥のケンホロウの背をよじ登って手を掛けると、トイレの通気孔の蓋はいとも簡単に外すことができた。体を捻ってそこへ入りこむ。暗くて埃っぽいが、人ひとり通れない狭さではない。ケンホロウをボールへ戻し、次のボールの中身を見えない目先へと解放する。ぼぅ、と暗い世界が浮き上がる。おれの大親友シャンデラの子供であるこのヒトモシは十分に懐かせてあり、トレーナーの生命力を吸い取るようなことはしない。人魂のような青白い炎がぴょこぴょこと前進を始めた。おれは四つん這いでそれに続く。
 博物館の中は心地よい静けさで満たされていたが、狭苦しい通気口には、静寂の中に何か、おぞましい生き物が蠢いているような、そんな空気が漂っている。遠く低く風の呻りの中に、ヒトモシの小さな足音と、おれの潜めた息遣いが吸い込まれていく。胸の高鳴りを感じながら、おれたちは予定通りのルートを取って、受付嬢たちの頭の上をやすやすと通過していった。
 ヒトモシが歩みを止めた。前方の暗闇の中に、夜空に輝く一番星のような煌めきが見える。嬉しそうに振り向いたヒトモシの頭部を撫でてからボールの中に戻すと、光はいっそう強さを増しておれの網膜を刺激した。おれは気配を押し殺してにじり寄り、ゆっくりと慎重に、金網の隙間からその部屋を覗いた。
 ――青の帽子を被った女がいる。傍らの机の上には、おれが渡したプロトーガの化石が置いてある。
 ビンゴだ! 弛む口元が抑えきれない。案内嬢はふたのカセキを睨んだまま動かず、全くこちらに気づいていないようだった。まぁ、完全なる悪人面の子供に頭上から見下ろされていようとは、まさかこの女も思うまい。
 舐めるように視線を動かす。部屋の中央には木製の机、壁沿いの本棚の中には大量の文献らしいものがしまい込んであり、その向かいの棚の中には、大量のモンスターボールが陳列してある。
 あのボールは、一体何だ? そんな疑念が浮かんだその時、女は化石から目を離すと、いそいそと問題の棚の前へと移動した。そこにつっ立って、じっとモンスターボールの群れを眺めている。
 ……意味が分からない。何をしているんだ? 化石の復元と何か関係があるのか?
 おれの中に焦りと苛立ちが募っていく。そんなことはお構いなしに、女は突然かくりと頭を垂れると、ハァ、と溜め息をひとつ漏らした。
「仕方ない、取りに行くか」
 そう言うと、女は帽子を取って顔を上げた。ちらりと覗くその表情は、どこか憂いを帯びて見える。
 ――取りに行く?
 疑問がどんどん膨らんでいくさなか、女はだるそうな様子で部屋の中央手前よりへと移動していく。そこには、大人ひとり入れるほどの大きさの機械が置いてあった。その中で女が何かしている、だがよく見えない……必死に体を捻ると、何やらぶつぶつと呟きながら、仰々しいレバーに手をかける女の姿が見えた。
 その時だった。突如奥の扉が押し開かれて、研究員のなりをした男が入ってきた。
 おれはとっさに身を隠した。幸い彼はこちらに気がつかなかった。男は案内嬢と二言三言話をすると、くるりと向きを変えてすたすたその部屋を出ていってしまった。案内嬢も慌ててその後を追っていった。
 階段を駆け上る足音は急激に遠ざかっていった。部屋には寂しそうに佇む化石と、妙な音を発している謎の機械だけが残されている。
「……行った、のか?」
 返事はない。――チャンスか? チャンスだ。行ってしまえ。
 金網の隙間からモンスターボールを落とした。ボンッと少し大きな音がして、控えめな格好でケンホロウが飛び出した。奥の扉は閉まったままだ。ケンホロウが器用に金網を外して、おれもなるべく物音を立てぬように、ケンホロウの背中を滑り下りた。愛鳥をボールに戻す。鉄の扉は動かぬまま。
 まずはモンスターボールだ。急いでそれに駆けよると、モンスターボールの一つ一つにラベルが貼ってあるのが確認できた。アーケン、リリーラ、オムナイト……どれも古代種のポケモンの名前ばかりだ。もしやこれは、化石から復元されたポケモンたちか? プロトーガと書かれたボールは見当たらない。『取りに行く』……この他にも、化石ポケモンの保管庫があるということなんだろうか。
 視線を下げて、おれはぎょっとした。そこに乱雑に詰まれているダンボールに殴り書きされた文字が、一気におれの心を煽っていく――プロトーガ。ガムテープを引き剥がすと、そこには大量の『ふたのカセキ』が、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
 さぁっと胆が冷えていくのを感じた。ポケモンに生まれ変わるものだと信じていた石の塊が、あたかもゴミであるかのように積み上げられている。他のダンボールには同様に、古代種のポケモンたちの名前が記されている。中身は容易に想像できた。……復元するのに、化石を使わない……?
 ガンガンッ! 大きな物音が響いた。あまりに興奮しすぎてそれが上からなのかこの部屋からなのかも分からないが、おれはとっさにダンボールを元に戻した。時間がない。更に怪しいヤツが、さっきから呻り声を上げているのだ。奴らが戻ってくる前にコイツを調べなければ!
 小さな部屋の中で桁はずれの存在感を放っているその機械に、おれは躊躇もなく飛び込んだ。そして、おれの思考はさらに戸惑いの渦の中に吸い込まれていく。
 中はさながらSF映画にでも登場しそうな、宇宙船のような様相であった。人ひとりがやっと入れる大きさのカプセルの中に、流暢な外国語の音声が流れ続け、手元のパネルには赤青緑の数多のランプが絶えず点滅し、目の前のモニターでは幾千もの数字の羅列が流れ続けていて、足元はガタガタとイカれた列車のように振動している。訳が分からない。この博物館は、一体どうなっているんだ? 頭がおかしくなりそうだ。動悸が激しすぎて、きっともうすぐ口から心臓が飛び出してしまう。外から怒号が聞こえる。それもかなり近くで。
 ばれてはまずい、その一心で、おれは1500とか20万とかBCうんたらとか書いてあるダイアルをぐるぐる回し、無我夢中で手元のレバーを引いた――それは、あの時、青いスーツの案内嬢が手をかけていたレバーだった。
 目の前が真っ暗になり、はたまた真っ白になったかと思うと、おれの意識は極彩色の怪しげな空間に投げ出されて、あれよあれよという間にどこか遠い場所へと流されていった――



 ――気がつくと、おれは草むらの上に寝ていた。
 ひどく落ちついた気分だった。だだっ広い草原の真ん中に大の字に寝っ転がって、ただぼんやりと、空を行く白い影を眺める。千切れ雲がぷかぷかと、ゆったりゆったりと、頭の上を横切っていく。
 何故だろうおれはその時、全てを悟ってしまったのだ――ここは過去の世界で、後にシッポウ博物館となる場所なんだということを。あのへんちくりんな機械はタイムマシンだったのだ。にわかには信じがたいが、例えば本物のSF映画の中で、これはタイムマシンですよと言われてあのデカブツを目の前にすれば、誰だって「あぁ、これはタイムマシンだ」と思うだろう。四百キロ近いホエルオーが手の平サイズに収まり、ネイティやポッポが人間を乗せて空を飛び、自転車をショルダーバックに詰め込んで、ニャースが二足歩行でギターを弾きながら人間語をベラベラ喋っても、驚く人の方が馬鹿にされるような時代だ。秘密裏にタイムマシンが開発されていたとしたって、全く不思議ではない。
 腰に手をやると、おれの大切な仲間達のモンスターボールは、いつもの場所にきちんとひっついている。これなら安心だ。こいつらさえいれば、おれはどんな場所でも、どんな時代でだってやっていける自信がある。
 冷静さを取り戻すと、頬に当たる風も、耳元で鳴る草のさざ波も、なんとも伸びやかで心地よい。何もないってのもなかなかいいものだ。目を閉じて、自然のさざめきを感覚のすべてで堪能する。なんという素晴らしいハーモニー……なんだか眠たくなってきた。
 おれは目を閉じたまま、だんだんと蕩けていく脳味噌をなんとか働かせつづける。機能低下していく頭の中でも、化石復元の謎はするするとほどけていった。簡単なことだ。あの化石研究の案内嬢は、化石の復元を委託されるたび、タイムマシンに乗って遥か古代へと赴き……。
「おぉ? こんなところに人が倒れとる」
 その声におれはとっさに飛び起きようとして、覗きこんでいた誰かと豪快に額をぶつけてしまった。
 あぎゃっ、と誰かが悲鳴を上げた。気を取り直してそろそろと起き上がると、目の前には苦悶の表情でデコを撫でている男の姿があった。麻のような一枚布に穴を開けて首を通し、腰のあたりを紐で縛っただけの簡素な服装……間違いなく昔の人間だ。おれの直感に外れなど存在しないのである。
 不精髭の男は若干姿勢を引きながら、しかし遠慮なしにおれの全身をじろじろと見まわしている。
「……ほう、珍しいもんを着よるのう。外人さんかいね」
 はぁ、とおれは曖昧な返事を返した。
 起き上がってみれば、そう遠くない場所に、幾多の人間のぞろぞろ行列しているのが見える。自然のさざめきがどうとか言ってた数分前の自分がなんだか馬鹿らしい。ともかく、この男はあの群れからはぐれてやってきたようだった。
 蛇のように連なる人の群れ。おれは目を凝らす。老若男女、一列になって歩いていく人々の表情は、どれもこれも総じて暗い。そしてそれぞれの手には、さまざまな何かが提げられて、重たそうに揺らされている。
「あれ、何?」
「はぁ?」
 男はおれの顎が指し示す方向に振り向いて、ぽりぽりと頬を掻いて、くるりと向き直った。
「わしの女房か?」
「あと、今って何年?」
「はぁ?」


 他に取り立ててやることもなかったので長い行列に続いていくと、一行は鬱蒼と茂る森の中へと躊躇いなしに進んでいくのであった。
 訂正。鬱蒼と茂っていたであろう森、だ。頭上を覆う葉も枝も、足元に絡みつく草や蔦も、景色を陰鬱に仕立て上げる苔もキノコも、どれも一様に元気がない。耳を澄ませど、鳥ポケモンのさえずりさえ聞こえない。ただ響くのは、ざり、ざり、と、人間たちが踏みしめる重い土砂の軋む音のみ。枯れかけた森、とでも言うのが適切だろうか。立ってるだけで気が滅入る。
 どこもかしこも褪せた色合いの中を歩みながら視線を動かすと、人々が手にしているもの――錆色のバケツ、土の壺、木をくり抜いて作られたコップ、蓋のないやかんのようなもの――には、淀んだ色の水がたぷたぷと揺れている。
 やがて行列は足を止めた。前方で何か行われているらしいが、先頭の人々の姿は木々の影の向こうにある。押し黙って順番待ちをしている人々の脇を抜けてしばらく歩いていくと、今度は戻ってくる行列とすれ違った。やはり、どれも疲れ切った表情を浮かべている。ちらりと盗み見ると、それぞれが提げている器には、水は入っていなかった。
 折り返し地点にたどり着いて、おれは、ほう、と思わず息を漏らした。
 そこにはとんでもなくでっかい木が立っていた。見上げると首を痛めるような、天を貫かんと聳える巨大な一本柱。おれは目を凝らす。これはイチョウの木だ。広い森を見渡す限りでも、他のどれよりも断然に高く、生命の全てを抱くかのように鎮座する巨木。太古の昔からの全ての出来事を見つめてきた、そんな圧倒的な威圧感。長寿の木ではあると聞くが、これほどまでに大きくなるとは……。
 しかし、とおれは眉を曇らせる。遠目に見ても分かるほどに、葉は萎れ、色褪せ、幹は腐り、朽ちようとしている。病気なのだか寿命なのだかは分からない。ただ、確かに、イチョウの大木は、色濃い死の気配をまとわりつかせていた。きっともう長くはない。
 ぶつぶつと呪文のような何かが唱えられている。視線を下ろすと、人々は悲痛な面持ちで年老いたイチョウを見上げ、手にしていた器を持ち上げ、その根元に泥水を注ぎ込むと、必死に何かを呟きながら手を擦り合わせている。誰もがその一瞬、懇願するように瞳を潤ませている。……なるほど、ご神木ってことか。もう一度それを見上げようとした時、おれの隣に、白い髭を蓄えた老人が寄ってきた。
「旅の人かね。見なさい……我々の父なる大銀杏様が、お隠れになろうとしておる。なんとも痛ましいことじゃ」
「そうですね」
「森の様子も一変しおった。以前はあんなに豊かで実り多く、我々に命の恵みを与えてくださっておったのに……。全て、ここ数カ月の酷い干ばつのせいなのじゃ。天の神様がお怒りなのじゃ。しかし、先祖代々語り継がれ、土を潤し実を太らせ、多大なる大地の恩恵、占えば百発百中、誰も彼もが相思相愛、見守られ、お守りしてきた大銀杏様を、我々の代で途絶えさせてしまうわけにはいかん。わしらは、例え自らが渇き喘いで死のうとも、大銀杏様をお守りせねばならん」
「その水は?」
「我々の村の溜め池に僅かに残っておる飲み水じゃ。雨が降らんけぇの、致し方ない」
「……ふぅん」
 老人は語り終えると、腐葉の積もった地面に膝をつき、厳しい顔つきで念仏を唱え始めた。
 入れ替わり立ち替わりに、多くの人々が大木に水をやって帰っていく。ぞろぞろと立ち並ぶ人々の最後列は未だ見えない。彼らの汚れた顔の中には、ただ一片の光さえない。
 あっ、と声がして、やかんが地面にひっくり返った。見るも無残なほどやせ細った女の子が、水を撒き散らして転がっているやかんを前に、わなわなと全身を震わせている。目を剥いた女がその子に駆け寄ってきて、ぐいっと細い体を掴みあげた。
「謝りなさい! 大銀杏様に謝りなさい!」
 ヒステリックな叫び声が、寂れた静寂の森を引き裂いていく。
 母親らしい女は、少女の尻を何度も何度もひっぱたいた。悲痛な泣き声が響き渡った。人々はそれに見向きもしない。ごめんなさい、ごめんなさい、と喚く女の子の横を、死人のような顔をした人間たちが通り過ぎていく。
 ばかばかしい。やっぱ昔ってのは不便だ。おれは腰のモンスターボールのひとつに手をかけて、白髭の老人に声をかけた。
「つまり、雨が降りゃいいんだろ、雨が」
「……そうじゃが、そんなことが……」
「降らせてやるよ――出てこい、ダイケンキ!」
 天高く放り投げた紅白のモンスターボールは、空中で光を放って炸裂し――ズシン、と大地を震わして、おれの相棒が過去の世界に降り立った。
 木々が揺れ、木の葉が舞い踊った。空を指すダイケンキの角が、強い日差しにギラリと反射した。そこにいるおれ以外の誰もがあんぐりと口を開ける中、おれは拳をかざして、ダイケンキに指示を飛ばした。
「ダイケンキ、『あまごい』だ!」
 グオォォォォォォォォォッ! ダイケンキの地鳴りのような咆哮が、ヒステリックも、泣き声も覆い隠す様に、世界中を駆け巡っていく。
 日が陰った。人々は空を見上げた。刹那、どこからか現れた真っ黒な雲が、イチョウの神木を中心に渦を巻き、みるみるうちに渇いた天空を覆って、次の瞬間、ピカッと稲妻がほとばしったかと思うと――
 ぽつり。最初の一滴が、涙で濡れた少女の鼻先を叩いた。
 嘘のような大雨が、水に飢えたそこら一帯の生き物の上へと、等しく降り注ぎ始めた。
 おれはダイケンキの肩を叩くと、得意になって白髭を見た。白髭は目を見開いて体を震わせ、どんどんとぬかるんでいく地面に相も変わらず膝をついて、しばらく唖然としていたが、突然カッと口を開いて、しわがれた声を大きく放った。
「――神じゃ!」
 ……え?
 神だ! 雨の神様で有らせられるぞ! 恵みの雨をお降らしくださった! みんな、控えろ! そんな声がところかしこから聞こえて、全員が全員水やり用具を放り投げた。おれとダイケンキが振り向くと、そこには、川と化し始めた地面にひれ伏している長い行列が、どこまでもどこまでも続いて、木々と雨霧の向こうへと消えていた。


 そんなこんなでおれは一気に神様へと祭り上げられて、彼らの村へと引きずり込まれて、何やら集会所のような場所で、ご馳走なんだという木の実やら怪しい肉やらを差し出されて、村の女たちの妙な踊りを見せつけられた。
 おれはお人形のように座っているだけで、それはもう大勢の人に恭しく崇められた。長老だったらしい白髭はおれの隣について、始終にこにこしていた。あの女の子がやってきて、かみさま、ありがとう、だいすき、と言って、おれの頬にキスをして、恥ずかしそうに帰っていった。
 話を聞く感じでは、このあたりにポケモンは生息していないらしい。現代に残る言い伝えでは、人とポケモンは大昔から仲良く助け合って暮らしていたと言うが、おれには何が何だかよく分からなかった。ここがどこで、いつなのか、なんの手がかりも得られそうになかった。ただ、人々の顔は晴れやかで、皆が皆、心の底から幸せそうに笑っている。なんだかいい気分だ。たまには人助けもするもんだな。
「いやぁ、あのような大きな物の怪を見事にあやつられる姿、いやはや感服いたしました。このような貧相なおもてなししかできませんで、何とも恐れ多い次第でございます」
 白髭の長老は上機嫌にそういうと、杯をぐびぐびとあおった。
「雨神様は、いつまでここにいていただけるのですかな」
「えぇと、何も考えてないんだけど……今晩はとりあえず、もう一回あのイチョウの所へ行ってみようかなぁ、と」
「さようでございますか、それではお伴を」
「あぁ、大丈夫、一人で行きたいんだ」
 盛大な見送りの中集会所を出ると、もう雨は止んでいた。『あまごい』のPPを切らしたダイケンキが、そこにゆったりと座り込んで休憩している。その背に跨って、たくさんの笑顔に手を振られながら、おれたちは夜の森へと駆けていった。
 森は薄霧に包まれていた。夜になろうとも、そこにポケモンは現れなかった。しかし、耳をそばだてると、気配を潜めてはいるものの、昼間には感じられなかった生命の息吹が、いたるところから伝わってくる。自惚れとは分かっていても、なんだか本当に救世主になったような気がして、おれたちは気持ちよく夜風の中を突っ切っていった。
 巨木の元にたどり着いた。見上げると、大きな月を背負って立っているイチョウのご神木は、心なしか若返ったように感じる。ごろりと寝っ転がると、何とも言えない草の匂いが鼻腔をくすぐる。そこに置き去りにされていた泥に汚れたやかんを見つけて、おれはそれを胸に抱き寄せて、空を見上げた。
 息を吹き返そうとしている森。人々の無邪気な笑顔……。現代に戻る手がかりが何も手に入らない不安よりも、何か心に生まれた暖かいものが、おれの全身を満たしている。おれは何もできない。でも、ポケモンたちは本当に偉大だ。こいつらと手を取り合えば、きっとあの人たちを、もっともっと笑顔にすることができるに違いない。そんな生活も、きっと悪くはないはずだ。相棒たちも、刺激的な旅や発見より、常にだれかに求められるような、そんな安定を望むのかもしれない。
 草木が揺れている。大地の鼓動を感じる。夜は静かだ。月は煌々と明るい。冷え切った青い体をさすってやると、ダイケンキは嬉しそうに顔を擦り寄せてきた。
 こんな暮らしも、悪くはない――
 すると突然目の前に、プテラとアーマルドとカブトプスと人間が現れた。
 おれは目を疑った。いや、目を疑う暇もなかった。
 あまりに突然の出来事に、おれたちはなすすべもなく――

 青いスーツを身にまとった女が、ニヤリ、とほくそ笑む顔が、いつまでも脳裏に張り付いていた。



 ――気がつくと、おれはトイレの床の上に寝ていた。
 やはりおれは冷静な気持ちでゆっくりと起き上がり、冷静な気持ちで辺りを観察した。
 ここは男子トイレだ。外したはずの通気孔のフタは、何事もなかったかのように元通りにはまっている。トイレの入り口の扉の前に置いたはずの『清掃中』の立て札は、ご丁寧にもおれの腹の上に乗せてある。全く身に覚えがないが、おれの手の平にはモンスターボールが握らされていて、『ダイケンキ』と殴り書きされたラベルが貼ってある。
 そろそろと扉を開けると、やはりそこは、シッポウ博物館の男子トイレへの通路だった。
 夢を見ているようだった。いや、夢を見ていたのかもしれない……でも違う。振り向くと、おれが寝ていた男子トイレの真ん中には、泥のこびりついたやかんがひとつ、寂しそうに転がっている。
 受付には、あの化石研究の案内嬢が、涼しい顔で立っていた。
「お待たせいたしました! こちらが、『ふたのカセキ』から復元したプロトーガちゃんですよ!」
 押しつけられるように手渡された幼いプロトーガは、つぶららな漆黒の瞳でおれのことを見上げている。
 あぁ、おれは、青い顔をしているに違いない。目の前の案内嬢は、相変わらずの営業スマイルを炸裂させて、青いスーツを着こなしている。暗闇に浮かんだ悪そうな笑顔となんて、これっぽっちも重ならない。でも、そうだ。おれは、おれたちだけは、知っている。
「……あの」
「はい、なんでしょう?」
「……その化石って、どうやって復元してるんすか?」
 受付嬢は、ニッコリと笑って答えた。







***
9737文字なんだそうです。お付き合いありがとうございました。
それで、どうやって復元してるんですか?
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.12 )
日時: 2010/11/02 02:58
名前: 鵺作◆0OEZgPvU1GE

◇目次◇

敬称略

>>1【A部門】《雨》『雨のような男』来来坊

>>2【A部門】《雨》『レインハロウィン』Rという名の作者

>>3【C部門】《雨》『豆台風』水のごとく厳かに

>>4【A部門】《橋》『このはしわたるべからず』らくりるく

>>5【B部門】《雨》『雨の日はお茶がうまいって誰が言い出したんだろう』シルベスタギムネマ茶

>>6【A部門】《橋》『君へ送る僕なりのメッセージ』きまぐれロンド

>>7【C部門】《橋》『Lost in Wonder Bridge』NOTロリコン

>>8【A部門】《橋》『白く雄大な』二級河川

>>9【B部門】《雨》『そっくり人形展覧会』乃響ぺが 【×投票できません】

>>10【A部門】《橋》『スカイ・アロー』ムスタファー

>>11【B部門】《雨》『逆襲』トラ○ルトラベル

>>13【C部門】《雨》『声なき鎮魂歌』ノウン

>>14【C部門】《橋》『名もなき者へ』くるりくら

>>15【C部門】《雨》『日記』NOTロリコン

>>16【A部門】《橋》『数式の科学』来来坊

>>17【A部門】《雨》『雨は嫌い』曼珠沙華

>>18【A部門】《橋》『ネオンライト』炎のごとく華やかに

>>19【C部門】《橋》『ハイリンク―夢繋―』夢はいつも儚げに

>>20【A部門】《橋》『平凡シンパシー』NOTロリコン

>>21【A部門】《雨》『愛をもっと。』乃響ぺが

>>22【A部門】《雨》『雨上がり昼下がり』はっぱさん

>>23【B部門】《橋》『きんのたま物語』モンロー

>>24【A部門】《雨》『かわいいあの子』ョン

>>25【C部門】《橋》『魔弾の射手』みどりこ

>>26【B部門】《橋》『辻褄合わせ』来来坊

>>27【C部門】《橋》『ベスト プレイス』スキンヘッドの頭ぺぺろんちーの


以上25作品
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.13 )
日時: 2010/11/02 20:56
名前: ノウン

C部門 テーマ雨


[声なき鎮魂歌]


 イッシュ地方の北西に位置するタワーオブヘブン。多くのポケモンの魂が眠る神聖なる塔。螺旋状の階段は天へと昇っていくような雰囲気を彷彿させ、毎日多くの人々が参拝に訪れる。
 そして魂の集まる場所だからこそここに住み着くポケモンもいる。真っ白な空間の中で紫色の炎を頭に灯す、ヒトモシというポケモンだ。
 天井、あるいは墓の影といったあらゆる場所に隠れ、時に訪れたトレーナーに道案内をしながら、時には襲いかかりながら人間の精神力を生きる糧とする。それこそが彼等の生きる道なのだ。
 この日もいつものように、あるヒトモシは二階に身をひそめ周りの様子を伺っていた。夕方、少しずつ人の足が遠のいていく時間帯のことである。
 このヒトモシは少し臆病な性格をしており、頭に灯す炎の大きさも他のヒトモシと比べると小さめだ。人がやってきても人間に対する恐怖心が勝り、おどおどとしている間に他のヒトモシが飛び出して果敢に立ち向かっていく。となれば死んだ魂しかないが、塔を渦巻く魂もまともに糧とすることができない。何故なら、このヒトモシには魂の声が聞こえるからだった。
 死というものはどんな形であれ哀しみを携えている。その魂の涙している声がヒトモシには聞こえるのだ。それを糧にするというのは、その魂は安泰な成仏を迎える事ができないことと同等だとヒトモシは考えていた。それがヒトモシは怖かった。自らのせいで哀しむ命があることが。大抵のヒトモシは、そうしなければ生きられない、代わりにその魂の分まで生きるのだ、と割り切っている。形が違えどどの生き物もそうやって生きている。その現実と対面できないヒトモシは心幼いまま、こうして生きている。どうしても、どうしても炎が消えそうなその時だけ、魂を喰らう。
 ただ、それは現実的でないということもヒトモシは分かっている。だから、毎日葛藤しながら魂を炎に巻き込もうとする。これは間違っていない、自分が生きるためなのだ、と言い聞かせて。けれどできない。迷っている間に他のヒトモシがやってきて魂を、或いは生きた人間の精神力を呑みこむ。その繰り返しである。
 今日も大した収穫は得られず、ヒトモシは人のいなくなったフロアに身を投げ出す。窓から差し込む夕日の光が白い部屋を真っ赤に燃やしているかのようだ。ヒトモシは目を閉じる。何もしていないのに疲労が圧し掛かってきたのだ。
 と、そのヒトモシの元に一人の人間が足音を立てず歩み寄っていた。一階から上がってきたのは、白いワンピースを身に纏い綺麗なブラウンの長い髪をした、二十歳前後と見られる若い女性である。

 こんにちは、ヒトモシさん。

 彼女は透き通ったような可愛らしい声をヒトモシにかける。気付かなかったヒトモシは驚いて鳴き声をあげて跳びはねた。
 その様子を見て彼女はくすくすと小さく笑う。ワンピースは勿論白いが肌の色も随分白い女性である。
 ごめんなさいね、突然声かけちゃって。一階には誰もいないし、二階に上がっても他のヒトモシさんには気付いてもらえなくて。ほら、あのヒトモシさん、あのお墓の上で眠ってる。疲れてたのかな。まあいいんだけどね。それより私、あなたに頼みたい事があるの。そんなに面倒なことじゃないから、いいかな。
 ヒトモシはその声が理解できても喋ることはできない。不思議に思いながらも、彼女の優しそうな丸くて大きな瞳に見つめられると、断ることもしづらくて小さく頷いていた。その途端彼女はぱっと大きな花が咲いたように笑顔になる。
 ありがとう。あのね、私の大切なポケモンがここに眠っているらしいの。でも私の住んでる場所は遠くて……イッシュ地方じゃないの。だからここに来るのも初めてで、右も左も分からない状態なの。だから、道案内をしてくれると助かるなあ。
 その程度ならヒトモシもお安い御用であった。ここの道案内などヒトモシには造作も無いことだ。要するに一人でいることが不安なのだろうとヒトモシは勘付いた。ヒトモシは彼女は他の人間と違うように感じられた。その証拠に恐怖を感じていないのだ。優しそうな雰囲気がヒトモシの心を和やかにさせる。
 お墓を見ていったらきっとあの子のだって分かるから、一つ一つ見ていこうと思うの。うん、やっぱりちょっと面倒くさいことだったね。ごめんね。
 ヒトモシはふわふわと空を浮かびながら、ゆっくりと彼女の隣を泳ぐ。少しだけ前の方で、彼女の歩行スピードに合わせる。彼女は道端にある墓に目を配る。墓はこのフロアだけでも数え切れないほどある。所狭しと並べられ、人が一人ぎりぎり通れる道がかろうじて作られている。
 全てが夕日に染まった白の世界。
 道も壁も墓も、全てが。
 もうヒトモシにとっては見慣れた世界。これ以外の世界をヒトモシは見た事がない。狭い世界をヒトモシは知り尽くしている。
 彼女は時々立ち止まりながらも目当てのものには出会えていない様子であった。そうして時間がゆっくりと過ぎていき、月が窓を通して見える頃になる。空に暗闇が訪れてきている。
 二階の墓を全て見た後、彼女は溜息をついた。
 この階には無いみたいだね。今日は……もうそろそろ、帰らなきゃ。また明日、来るね。このくらいの夕方の時間に。今日はありがとう親切なヒトモシさん、良かったら明日も付き合ってほしいな。
 そう言うと彼女はふんわりと甘い笑みを浮かべ、軽く手を振るとヒトモシに背を向けて下へと向かう階段へと足を運ぶ。
 ヒトモシはそれを呆然と見つめた。僅かな時間だったが彼女と一緒にいるのはヒトモシにとって心地良かった。それが何故なのかはヒトモシには分からない。毎日怯えるような生活をして、緊張感を持って過ごしていた。その殻をいとも簡単に開いて見せた彼女は何者なのだろうか、ヒトモシは考える。しかし答えは出てくる筈もなく、いつものように墓の後ろに隠れて疲れたように目を閉じた。突然身体の奥底がゆっくりと回るような感覚に襲われる。思わず震え、しかしすぐにそれは消え、しばらく固まってから安堵の息を吐いた。もう眠ってしまおうと思った。




 次の日の夕方、ヒトモシは二階で彼女と出会った場所で待っていた。そうすると予告通り彼女は階段をゆっくりと上がってやってきた。彼女はヒトモシの姿を見つけるとまっすぐヒトモシの元へとやってくる。
 こんばんはヒトモシさん。待っててくれたの? ありがとう。じゃあ、今日は三階を案内してもらってもいいかな。
 迷うことなくヒトモシは頷いて、三階へと向かう螺旋階段に向かいそれを上がっていく。大きく円を描くような螺旋は天空へと向かう階段。長い道を上っていくと、三階にやってくる。三階には二、三人墓参りに来ている。
 昨日と同じように彼女は目当ての墓を探す気の遠くなるような行動をする。
 私はカントー地方に住んでいたの。
 彼女は歩きながら静かに話を始めた。
 カントー地方にはね、タワーオブヘブンみたいな死んだポケモンが眠る家があるの。小さな屋内にお墓がたくさんある。あの子が死んだ時、私の親はあえてそこじゃなくてここにお墓をたてたの。ここは天に近いからかな。でもおかげでしょっちゅう来ることはできないし、大変。まあカントー地方の中でも私はその家がある町……シオンタウンから家は相当離れてるんだけどね。ニビシティっていうところ。田舎町だけどとっても良い所よ。落ち着いた雰囲気で安心できる。まあそれは生まれ育った故郷であるせいかもしれないけどね。故郷だったら、誰しもそこは特別な場所よね。でも、そうじゃなくても良い所。博物館もあってジムもあって、たくさんの人が訪れるの。私も時々トレーナーと話す機会があったりするんだけど、そういうのも楽しい。私の知らない世界を知ることが出来て。
 他愛もない話を彼女は飽きることなく続けていく。一方的な会話だが、彼女の口はあまり休まることがない。ただ、内容が暗いか楽しいかなどに寄らず表情はあまり変えずに喋っていることがヒトモシにとっては印象的だった。
 一方で、その間にヒトモシは自分の中でピンと糸を張ったような緊張が続いているのに気付いていた。
 この日も彼女のポケモンの墓を見つけることは叶わなかった。彼女は四階に続けて上がることなく、昨日と同じく帰っていった。その度ヒトモシは淋しくなった。それと同時に得体のしれない吐き気に似たものが襲いかかる。昨日よりも長く大きく、ヒトモシは身体を捩じらせるようにしてうろたえる。そして僅かな枯渇に体内が染まる。頭の上の炎が少しだけ小さくなった。
 ヒトモシは何かを求めるように喘いだ。けれどその後思いを振り払うように身体いっぱいを使って身を大きく振る。小さくなった炎が激しく揺れる。




 ああ、この階が最後なのかな。
 次の日、やはり同じ時間帯に彼女はやってきて呟いた。ヒトモシはその言葉にこくりと頷く。
 ヒトモシどうしたの。なんだか調子が悪そうだけど。
 腰を折りヒトモシの顔を覗き込む。ヒトモシは慌てて身体全体を振り、少し後ろに下がる。彼女に悟られたくなかった。実際彼女の言う通りヒトモシの身体には奇異な現象が起こっていた。思考すら困難にさせるような枯渇感が身体中を襲い、気だるさが重い泥のように纏わりつく。
 彼女はやはり心配そうにしていたが、必死に健全を振舞おうとするヒトモシの様子を見て仕方なさそうに溜息をついた。
 ヒトモシはそれでようやく少しだけ安心して、またいつものように彼女を先導した。いや、いつものようにといっては間違いがある。先日よりも少し彼女より離れている。そして浮遊する様子は明らかに鈍くふらふらとしている。
 円の空間を歩き回る。窓の外で雨の音がしている。今日は昼頃から雨が降っているのだ。だから赤い太陽の光も今日は無い。
 この階は墓のある部屋としては最上階。だからこそおのずとここに彼女の求める墓があるのだとヒトモシは理解している。そうしたらヒトモシと彼女の本当に小さな旅は終焉を迎える。別れの時が近づいてきているのだ。ヒトモシは苦しみを我慢している中でそのことを考えると身体の奥が締め付けられる思いに駆られた。いずれ終わることだと分かっていた。つい一昨日初めて会っただけだ。三日間、しかも夕方だけの短い時間の中だけ共に過ごしただけ。だがヒトモシにとってはとても濃密な時間だった。絶えることなく彼女は話を続けてくれた。それはヒトモシが今まで味わったことの無いものだった。誰かと一緒にいることは今までヒトモシが生きてきて一度も無かった。ただの一度も。それに対して淋しさを味わったことは無い。それは普通なのだから。けれど知ってしまった。知ってしまったのだ。誰かが傍にいること、それだけでどれだけ心が温かくなるかを。
 まだ一緒にいたい。
 ヒトモシはそう強く願った。しかし時間はそれを許さない。

 彼女はある墓の前で立ち止まった。
 室内のほぼ中央に位置する場所である。
 ヒトモシは苦悶に耐えるのに必死でしばらく気がつかなかったが、はっと後ろを振り返ると彼女が一つの墓を凝視しているのを見て慌てて戻る。ヒトモシは彼女の傍に寄り添うと、彼女はヒトモシを見て小さく笑った。その目は少し潤っていた。
 これだわ。間違いない。ここに私の……ああ、そう私の大切な……あの子がここに眠っている。ようやく辿りついた。そうだ、一番天に近い所って言ったもんね、そう、そうだった。
 自分に向けられた言葉ではないことをヒトモシは悟った。それはただの彼女の独り言である。彼女はゆっくりと歩き、墓の前に膝をついて墓石に刻まれた文字を指でなぞる。
 そうだ、そうだったよ。
 彼女はぼそぼそと呟いた。しばらくうわ言を並べていたがそのうちに何も言わなくなった。雨の音が聞こえてくる。それが近くに感じられるほど静寂が包み込んでいた。
 数分間経った頃、彼女は俯いていた顔を上げた。そして隣にずっといたヒトモシの方を向く。
 ごめんね、ずっと放っていちゃって。ちょっと浸っちゃった。……この子は、ガーディっていうポケモンでユウっていう名前なの。字は勇気の勇よ。前にも話しと思うんだけど、勇は私が小さな頃からずっと一緒に過ごしていた大切なポケモンなの。どんな時も傍にいてくれた。ご飯を食べる時も外で遊ぶ時も風邪をひいた時も、いつだって隣にいた。私は兄弟がいない一人っ子だったからその存在は本当に大きかったの。勇っていう名前の通り勇敢で優しくて、ちょっと抜けてるとこもあるけど可愛くて。
 彼女は一旦そこで話を切る。数秒後また話は始まった。
 私が大きくなって二ヶ月前のことだった。ある土砂降りの日だったの。突然勇は体調が一変した。突然吐いたかと思ったら舌も出しっぱなしにしてぐったりと倒れた。原因はよく分からないけど、私はその昼に公園へ勇を連れていった時、勇、何か雑草を食べたの。もしかしたら農薬でもかけられてたのかもしれない。病気の兆しは全く無かったから。それで私は急いでポケモンセンターに連れて行こうと思ったの。外は酷い雨だったからお父さんやお母さんは止めたけど、私は無理矢理自転車を走らせた。普段勇をモンスターボールに入れないせいかなかなかボールが見つからなくて、でも一刻を争う事態だったから仕方なく私は勇に合羽を着せてケージに入れ、自転車の籠に乗せて走ったわ。本当にすごい雨で、目の前の視界すら満足に見る事が出来なかった。耳に入ってくるのもとにかく叩きつけるような雨の音だけ。バケツをひっくり返したような、なんてよく言ったものだと思う。正にそんな雨だった。
 小さな雨音を背景に、話は続いていく。
 ポケモンセンターに行く途中の坂を下った先に急な曲がり角が一つあったの。角には建物があって、角の先は全く見えない。カーブミラーが設置してあったけど雨で視界は最悪だったし、気持ちが一杯でカーブミラーなんて気にしてなかった。坂を勢いよく下っていって、だんだんとブレーキをかけていった。だけど、古い自転車であることと雨による滑りとが重なって、ブレーキは満足にかけれなかった。勢いが残るまま角を右に曲がったら……。
 彼女はそこで声を詰まらせた。それから手を顔で覆い再び俯いた。その手の力は強く、顔を握っているかのようである。
 ヒトモシは待った。彼女が再び話し始めるのを。ただ、何となくその先がヒトモシには見えていた。彼女の話は終盤を迎えている。
 嗚咽しつつ彼女は震えた。手の下は涙でぐしゃぐしゃに潰れている。
 大きなトラックが……。
 彼女は声をあげた。一つしゃくりあげる。
 トラックが来たところだったの、丁度。お互いに止まることはできなくて……ぶつかった瞬間馬鹿みたいに痛くて吹っ飛んで、それで……そう、分かっていたの。自分も死んだってことくらい。
 手を外し、彼女は濡れたその手を墓に当てた。そしてそのまま身体を墓に寄せる。
 気がついたら幽霊になってた。誰に声をかけても無視されて、鏡に自分の姿が映らなくて、そしてお母さん達が私の名前の書かれた墓の前で泣いているのを見て……それで分かったの。死んだんだって。正直よくわかんない。生きてる時、死んだらどうなるんだろうって考えてたけど、よくわかんない。身体が軽くなった感じはするけどね。なんか、すごく空白って感じがする。
 彼女は墓を背にヒトモシを見た。少し赤くなった目がヒトモシには痛々しかった。
 勇もその時に一緒に死んじゃったの。本当、私のせいだね、全部。あの時おちついて走ってたら、もしかしたらなんて思っちゃうの。もう全部今更なんだけどね。……前に、私がテレビでタワーオブヘブンの話を見て、その時親に、勇が死んだ時タワーオブヘブンにお墓を作ってあげたいって言ったの。縁起でもないことだけど。天に近いタワーオブヘブン。シオンタウンでも良かったけど、当時の私にはそこが魅力的に映ったのかもしれない。今となってはこんな遠いところじゃなくて、傍が良かったなあ。それより、お母さんやお父さんがそんなこと覚えててくれたこともびっくりだよね。
 へらっと彼女は力無く笑った。涙の跡が少し光る。
 そして彼女は一度立ち上がると墓と向き合い、目を閉じて手を合わせた。それを彼女はとても長い間続けていた。途切れることなく小さな雨の音がしんと響く。実際に経っている時間以上に、ヒトモシは彼女の祈りの時間が長く感じられ、胸の奥がチクリと痛んだ。
 彼女は数分後ようやく目を開けた。
 幽霊がお墓参りするなんて、変だね。
 彼女は呟いた。ヒトモシはすぐに身体を横に振った。それを見て彼女は微笑む。
 私ね、もしも見つけるんだったら夕方の間にお墓を見つけたいなって思ってたの。なんとなく。だから、夕日が沈みそうな頃にはもうここを出たの。なんの意味もない、ただのこだわり。でももうこれで終わりだね。もう、なんだか満足しちゃった。
 安堵の表情を浮かべ、彼女は墓に寄り添った。そうして重たそうな瞼をゆっくりと閉じる。
 安心したら、少し眠くなっちゃった。
 ゆっくりと噛みしめるような小さな声を出した。




 ヒトモシはその様子を見つめ、自分の中にあった苦しみが潮が引くように少しずつ消えていくのがわかった。先程まで我慢できないほどの嘔吐感さえも襲っていたが、もう無い。残っているのは枯渇感ただ一つ。
 穏やかな表情で眠りについた彼女の足元が透け始めたのに気付いた。線香の煙のように、少しずつ少しずつ魂が空気に溶けていく。
 それが何を意味するのかヒトモシは分かっていた。自分の中にある衝動は押さえきることができない。嫌だった。そんなことは嫌だった。離れたくない。けれどそんな意志とは別の本能がヒトモシの身体を支配している。もう止めることはできなかった。
 噛みしめていた唇を開いた。その途端、せき止められていたダムが決壊するようにヒトモシの中で濁流が起こった。
 ヒトモシの頭の小さな炎が突然大きく膨らんだ。それはヒトモシをも飲み込むほど大きなものだった。その炎は彼女を包み込む。凄まじい勢いで周囲の温度が上がり、しかし何事も無かったかのようにすぐに収縮する。
 冷たい沈黙が流れる。ヒトモシは力無く床に身体を置いた。
 炎は元の大きさに戻る。しかしその大きさは先程より大きくなっている。炎は優しい光を盛んに発して燃える。
 彼女の姿は跡形も無く消えていた。
 何が起こったのか、それは誰よりもヒトモシ自身が理解していた。乾いた感覚はひき、その代わりに欲望が水が潤ったように満たされた。
 雨の音が強かになる。その音がヒトモシの心を打ちつける。自分の中で必死に堪えてきた衝動を抑えきることができなかった。だが、苦しみからは解放された。しかし、それによって彼女の魂は安楽に天国へ昇ることなく、炎を燃やす糧となった。罪悪感がヒトモシを押し潰す。好きだと言えるひとを自分の手で葬り去ったような、そんな感覚で胸が破裂してしまいそうだった。

 ヒトモシは泣いた。
 生まれて初めて涙というものを流した。
 生気が失われたような丸い瞳から熱いモノが次々とこぼれ落ちる。
 嗚咽を喘ぎながら、ヒトモシはしばらくそのまま泣き続けた。止める事ができず、ただ止めようとも思わず、自分の満足がいくままに泣き続けた。


 そうしてどれくらい時間が経ったのだろうか。
 ようやく涙が乾いてきた頃、ヒトモシはゆっくりとその場を浮かび離れた。気分が優れないままよろよろとフロアを進み、上へと向かう階段の道を辿る。
 最後の螺旋階段は少し長く、雨の音はだんだんと遠くなっていく。ヒトモシはただひたすらに上を目指した。目指す先はヒトモシが見た事の無い場所である。
 薄暗い外の光を求め、少しずつ少しずつ上っていく。その道のりの予想以上の長さにヒトモシは疲れを覚えながらも、決して進みを止めようとはしなかった。
 身体に言い知れない倦怠感が渦巻き、心の中では未だに泣いたままでヒトモシはその場所に辿りついた。

 雲の上にあるために雨の影響は無い、タワーオブヘブンの本当の最上階。ヒトモシは少し周りに目配せをしながら柔らかな色の石の床を進み、少しある階段を上がる。
 ヒトモシの正面に現れたのは、大きな鐘。
 自身の何倍もの大きさを持った鐘は、人間がタワーオブヘブンに眠るポケモン達の魂を鎮めようとたまに鳴らされるものだ。その音は鳴らす者の心によって変わるという。ヒトモシはその音を遠く彼方で何度も聞いてきたが、目の前にするのは初めてであるし勿論間近で聞いたこともない。
 その荘厳な雰囲気にヒトモシは思わず静止し見惚れてしまう。身体が震え、喉にかかる圧覚に囚われる。
 しかしそれをぐっと堪え、ヒトモシは鐘に近付く。いよいよ目前にした時、改めてその大きさに驚く。
 鐘を鳴らすには鐘に触れ動かす必要がある。ヒトモシには手が無いため鐘を少し動かすだけでも相当の労力が必要であった。
 ヒトモシは鐘の中に少し潜り込み、背で懸命に力をこめて押す。僅かにだが鐘が動き始める。ヒトモシは一呼吸置く。少しでも気を抜けば満足しない音が響くこととなり、最初に逆戻りだ。
 だんだんと呼吸が荒くなり、掠れた息が鐘の中でこだます。
 地道な努力は実ろうとしていた。鐘の傾きは約六十度といったところか。ヒトモシの身体は限界を唱えていた。鐘の重さを小さな体で支えることは容易なことではない。全身が悲鳴をあげている。
 ヒトモシは慎重に自らの身体を下へずらしていく。身体が擦れていくような痛みが走るが我慢する。

 そして遂にその身体を全て引いた。途端鐘は勢いよく振られ、向こう側である到達点に達した時目がはっと覚めるような大きく重々しい、少し高めの音が鳴りわたった。荘重で優しいその音は、ヒトモシの心を映した音。
 鐘の引き金を引いたヒトモシが望んだのは、名前すら知らない彼女と彼女の大切にしていた命に対して鐘が歌う鎮魂歌、伝えることができなかったさよならのメッセージ。空気は震え、音が頭を叩くように繰り返される。繰り返される。何度も鳴り響き、その音が見えない円を描いて遠くの方まで届いていく。空の向こうへ、そして地上へ跳んでいく。
 ヒトモシはそれを聞き届けながら、鐘を吊るしている柱に寄り掛かり地面に下りる。
 頭上の炎が少し縮こまった。
 大きな鐘の音にヒトモシの胸の鼓動は大きくならざるを得なかったが、それでも不思議と心は落ち着いた。波の全く立っていない湖に鐘の音が波紋を残していくように、音に吸い込まれる。
 遥か遠くの雲の上の世界を見つめる。いや、ヒトモシは実際は何も見つめてなどいなかった。呆然とした気持ちの中での視界はヒトモシの心には届かない。
 音は小さく、小さくなっていく。




 ヒトモシは目を閉じた。
 雪崩れ込んでくるのは彼女の姿、彼女の声、彼女の話。
 もう戻ってくることは無いヒトモシの大切なひとが、少しでも、

 少しでも……



 ヒトモシは笑った。
 わらった。





 了



 本文9235文字
 ヒトモシの炎は人の生命力を吸って燃えていると図鑑には記述されています。生命力を吸ってまで燃えるものに、何の意味があるのか。そう考えた時、あの炎は彼等の生きている証拠なのだろうかと思いました。ヒトカゲの炎と重なる部分もありますが。また生命力=人の魂と考え幽霊との話を作りました。
 ヒトモシが浮遊するのかといったことや幽霊の魂を生命力と置いていいのかなど、自分でも迷ってしまったようなことは多々ありますが、まあ解釈は人それぞれですよね、と自分を納得させて書きました。だからあまり気にしないでやっていただけると助かります。
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.14 )
日時: 2010/11/03 22:11
名前: くるりくら

部門:【C】
テーマ:【橋】


 『名もなき者へ』



 −Stage−

 客席から喝采がまるで滝あるいは地鳴りのように劇場全体に響き渡った。ガコンとスポットライトが一斉に舞台の上を照らす。いくつもの光の線が集結し、真昼の屋外のようだ。いよいよこの演劇の最後の場がその幕を開いた。舞台はこのイッシュの土地のどこかの平原を表しており、草を表す舞台道具がそこかしこに置かれ、中央には一本の木が配置されていた。背景には青々とした山と澄み渡った青空のようすが非常に写実的な絵で表されている。
 そして舞台中央の樹木には一人の役者の姿が。彼女の役はこの演劇で非常に重要な役となる一体のポケモン。ただしそのポケモンの性別は正確には分かっていない、というよりも伝えられているところでは性別を持たない。この舞台では女性役者が役を当てているが、ほかの舞台によっては男性役者が当たることもある。しかし多くの場合は女性が役を当てているし、この戯曲を書いた人物も女性的なものを想定しているらしかった。
 一陣の風を表すサウンドエフェクトが鳴り響き、それを合図にしてポケモン役の女性は一歩、二歩と客席側へと歩み寄る。そして両腕を広げるとまるで呪文を唱えるような恭しさを以て、語り始めた。
「聞け。これより語るは我の最後の物語。我の最後の告白。我が我であった最後の時。我が心はこれより大海の藻屑が如く消え、誰にも語られぬ忘却の彼方へと沈みゆく」
 すると舞台の上手(かみて)と下手(しもて)双方から一人ずつまた別の役者が現れる。一人は聖職者を思わせるような何の装飾もない白のドレスを纏い白い羽毛の髪留めを着けた女性役者で、もう一人は魔術師を思わせるような漆黒のローブを纏い黒い羽毛の髪飾りを着けた男性役者。この二人はこの演劇における狂言回しの役でいつも舞台中央に立っているポケモン役について回り、ある意味でこのポケモンの心情を代弁する役も担っていた。
「あぁ……、ここはどこなの? そして今はいつなの?」
 白の聖職者がポケモン役の前を通り過ぎて高らかに叫ぶ。
「ならば聞こうじゃないか。どこがいい? 今はいつがいい?」
 それに対して黒の魔術師はポケモン役の後ろを通り過ぎて同じように高らかに叫んだ。
「わたしが安らげる場所ならどこでもいいわ。わたしが落ち着ける時ならいつでもいいわ」
「なぜなら」
「わたしたちには」
 聖職者と魔術師はそれぞれ輪舞曲でも舞うかのように舞台の上でくるくると飛んだり跳ねたりして、やがて二人ともポケモン役のそれぞれ左右を配置に客席側を向いて立つと、右に立つ聖職者は左腕を掲げ右腕を下げ、左に立つ魔術師は右腕を掲げ左腕を下げ、中央にいるポケモン役を引き立てるようなポーズをとった。その様子は見方を変えればポケモン役をからかっているようにも見えた。そして二人は同じセリフを同時に叫んだ。
「安らぎさえ得られれば時も場所も関係ないのだから!」
 その台詞とともに再び客席から割れんばかりの喝采が湧く。ここで喝采を浴びせることが、この劇における観客に課せられた伝統的な一つの役であるかのように。だからつられて僕もまた手をぱんぱんと叩いた。
「そう、我にとっては安らぎさえ得られれば場所や時などとてもとても些細なこと。迫りくる運命から逃れるに足る場所であるならば……」
 ポケモン役は二人の狂言回しとは対照的に淡白な表情を浮かべ、淡々とした口調で語る。
「だけどその運命は世界をも変えるわ」
「そしてその宿命は歴史をも動かすね」
「されど、それ受け入れるのはとてもとても辛きこと。なぜに我はこのような運命に身を投じられなければならなかったのか」
「それはどうしてかしら? ポケモンはいつだって一つの道を進むだけなのに?」
「ならばその運命を変えるのは一つしかあり得ない。それは人間の都合さ!」
「そう……。我が主たる人間は二人にして一つであらねばならぬのものを、それを自ら引き裂かん。して、我が力にては二つに分かれしものをもとの一つに戻すにはあまりに無力なり。そして迫りくる選択の時を逃れ、この地につかの間の安らぎを求めん」
 ポケモン役がそこまで語り終えると、それまでからかうようにくるくると動いていた聖職者と魔術師がまるでスイッチを切られたかのように静かになる。そしてポケモン役と同じ淡白で神妙な顔つきを見せると何も言わずそれぞれ上手と下手へ身を退いた。二人の役者が姿を隠したのを合図にして再び風のサウンドエフェクト。そして静かなヴァイオリンソロによるレチタティーヴォ風のBGMが流れ始める。そしてポケモン役に降り注ぐスポットライト一つを残して舞台が突然暗転した。そしてガタンという音とともにもう一本のスポットライトがポケモン役とは別の場所に光を注いだ。その場所にはいつの間にか一人の男性が立っていた。
「それは春だったか。あるいは秋だったか。寒さも暑さも感じられず、生命にとってげに心地よき季節での出来事。暖かなる陽光と爽やかなるそよ風は我を優しく慰む……」



 −Real−

 近くを流れる川で私はその水を口にした。川底の青々とした様子がなんの濁りもなく映し出す水はその期待を裏切らず清涼にしてなんの滞りもなく喉を潤す。空は蒼く澄み渡りふわりふわりとモンメンやメリープを連想させる綿雲がいくつも漂っていた。遠くに連なる山々はまるで一つの巨大な生き物が横になっているかのようにどっしりと据わり、そこから延長的に広大な草原が広がっていた。やがて私は一本の背の高い樫の木を見つけるとその木陰で荷物を降ろして横になった。
 随分と遠くまで来たものだ。この旅を始めてどのくらい経ったろうか。一年はゆうに越しているかもしれない。さまざまな国や地方をその目に映してきた。それぞれに国柄や文化も違う。どこが良いとかどこが悪いとか関係なく、どこも何かしらの良さと悪さを兼ね備えている。そういったものが文化、文明と呼べるものなのかもしれない。
 ふうっとひとつ大きなため息をつき、両腕を大きく上げて凝り固まった筋を伸ばした。そのとき自分でも意識しないうちに「うーん」と奇妙な声が漏れる。私はその声の調子の可笑しさに思わず自分で笑ってしまう。だってここには自分以外の誰もいない。誰の目にも触れない。誰の手も届かない場所だと思い込んでいたから。
――そこにいるのは誰か?
 だからその声――それは声が聞こえてきたというよりも、私の頭にあるいは心に直接語りかけてくるような感覚だった――が突如どこからか響いたとき私はまるで黒甜郷裏から無理矢理現実世界に引き戻されたかのように夢見心地な気分が一気に吹き飛んだ。私は思わず立ち上がりあたりをキョロキョロと見回す。そして気づいた。すぐそばの背の高い草むらの陰に一体のポケモンが横になっていることに。ポケモンがその体をむくりと起こしたとき、思わず卒倒しそうになった。横になっていたから気づかなかったがその大きさは私の倍以上の高さを遥かに越し、まるでひとつの建物が生えてきたようだったから。
――人間か……。怯えずとも良い。取って食おうとは考えてはいない。
 それでも私は無意識のうちにあわわと滑稽な声を漏らして唇をコイキングのようにパクパクと動かすのを禁じ得なかった。
 するとポケモンは自分がこんな相手よりずっと上の視線から話しかけるから相手が怯えてしまっていることに気付いたのか、一歩二歩と身を退いて樫の木の幹のそばにどっしりと座りこんだ。そして再び私の方に注いだ視線は、なんの敵意も企みも感じられなかった。
 そうしてようやく私はほっと胸をなでおろすと、すぅっと肩の力が抜ける。同時に今になって先ほど私の心に直接語りかけてきた声にはまるでそよ風にも似た穏やかさが含まれていることに気付くのだった。
 それにしても私の前に腰を据えているこのポケモンのなんと威厳のあることだろうか。今まで私はこんなポケモンを目にするのは初めてだった。全身から溢れ出でる風格はまるで王者のそれを思わせる。なんの証拠も根拠もないが私はそのとき、きっとこのポケモンはこの地方の伝説と呼ばれるポケモンだろうということを確信した。だからというか……私はこのポケモンが私にわかる言葉で直接心に語りかけてくることに何の疑問も抱かなかった。
 しかし直後に沈黙が流れたので私は何かしらこのポケモンに話しかけなければという焦燥にかられた。そんな狼狽の中だからだったのか、次に私が口にした言葉はこの王者のようなポケモンに対してあまりに頓着の無い言葉であった。
「君は、やっぱりポケモンなのかい?」
 我ながらこの質問は無いなと心中で苦笑する。
――ならばどうする。我を捕えるか、人間よ?
「いや、そんなことは考えてないけど。だいたい君とは戦っても勝ち目なさそうだし」
 どうしたことか、王者の風格を湛えたポケモンを前にしているというのに、私の口から出てくる言葉の調子はまるで友人の前にしたときのそれのように不作法だ。緊張のあまりこんな口調になってしまっているの自分で自分のことが知れない。するとポケモンはそんな私の様子をきょとんとした目で見つめると、心なしか笑ったように見えた。
――フッ……。おかしな人間であるな。時が来るまで誰にも会わぬと思っていたが、これもまた我に課せられた宿命の一つであるか……。よかろう人間よ、しばし我の話し相手となれ。
「はぁ……」
 なんだか勝手に話を進められているような気がするが、どうせ旅の途中での休息であるし、暇をつぶす話し相手もいないので私はポケモンの頼みというか命令を飲むことにした。



 −Stage−

「この人間に会ったことはただの偶然か、それとも運命の一端かは知れぬ」
「そうよ! これは天からの賜りもの」
「いやいや、きっと悪魔のいたづらさ」
「されど、我には関係なきこと。我の望むものは我が心の苛みをただ少しでも和らげるに足るもの。それさえ叶えば賜りものでもいたづらでも……」
 ポケモン役は自身の心の内を言葉で表す。スポットライトを浴びているのはポケモン役だけで周りは全て暗転している。それによってポケモンの心の中の動きを描写しているのだ。やがて再び舞台に光が注がれ、ポケモン役の少し離れたところに旅人役の姿が現れる。その瞬間今までモノローグを表現していたポケモン役の神妙な顔つきにパッと色が宿った。僕は役者のその演技に思わず感嘆する。表情の変化だけでこれほどに場の変わり様を表現できるとは、やはりプロの役者は違うものだ。
 僕は今回のこの演劇のパンフレットをなるべく音をたてないようにそっとめくった。この舞台劇が初演されたのは今から数年前。最初は小さな劇場などで細々と演じられていたものが、この地方のとある有名な演出家の目に留まったことをきっかけに有名な演劇団体が演じることとなった。そして今僕がいる劇場はイッシュ地方の最大のホール、ライモンミュージカルホール。
 このミュージカルホールでこの舞台が演じられるという話が持ち上がった時、一部で上演を反発までには至らないまでも乗り気ではない意見が多かったという。ここはポケモンミュージカルのホールなのだから、人間の演劇が上演されることに抵抗があったのだ。しかし「もともとライモンミュージカルホールは本来人間が演じていたものが、ポケモンが乱入したことによってポケモンミュージカルのホールとして定着したのだから、人が演じることになんの不思議があろうか」という館長の鶴の一声によって上演が決まったという。
 そのとき僕の持っている六つのモンスターボールのうちの一つがカタカタと揺れるのを感じた。
 なんだ、やっぱり君も興味があるのか……。


 −Real−

――そうか、おぬしは旅人であるか。どおりでこの土地の人間にしては少し違う何かを感じたことであるか。
 ポケモンは喉の奥からグルグルと鋭い音を立てた。私にはこのポケモンの表情がいまいち分からないのだが、きっと笑っているのだろうということは分かった。今しがた私はこのポケモンに自分の故郷はここからはるか遠方、海を越えた土地にあることを話した。そしてその土地ではボングリという木の実を少し加工したものの中にポケモンが入り、そして現に今私はその、ポケモンが入ったボングリという木の実を持ち歩き、現物を見せるとポケモンは大いに驚いた様子を見せた。言ってしまってはなんだが、それはまるでタネの分からない手品を目にした子供のようにきょとんとして、このポケモンの持つ堂々たる風格との落差に私は思わず吹き出しそうになってしまう。
「この地方では、この手の道具はないのかい?」
 いつの間にか私はこのまるで友人に話しかけるような口調のまま定着してしまっていた。
――この国はもっと厳ついものが使われている。
 厳ついもの。確かにそうだった。この地方を訪れて早一か月ほどが経つが、ポケモンを連れている者は石のように固いもので出来た入れ物の中にポケモンを入れていた。木の実で出来た入れ物と石でできた入れ物。どちらがポケモンにとって良いのか人間である私にはわからない。ポケモンは自身の体力が弱ってしまうと小さな球ほどまで小さくなり自らを守る本能を持ち合わせている。その本能を利用したものがいわゆる“ボール”と呼ばれるものだ。
――なるほど、住む土地も変われば使われる道具もまた異なるか
 そのときふわりと風がなびき、草原の草草がまるで一つの生き物のように波立ち揺らめいた。
 

 −Stage−


 さらにポケモンは旅人に対して問いを次々と投げかける。そして旅人の方は一つ一つ自分なりの答えを出していった。ある問いには即答し、またある問いにはしばしの考える時間を要することもあった。その光景はまるでどこかの昔話――ある怪物が通りがかった旅人に問いを投げかけ、それに答えられなかったら喰らうという昔話――のようだなと僕は思った。
 はじめこそ、ポケモンは旅人の一つ一つの答えに満足しているかのようにその口元に笑みを浮かべていた。しかし次第に影が差す。まるで真っ青な晴天の空に少しずつ雲が現れ始め、やがて空全体を覆って曇り空へと変えてしまうかのように。そのときガシャンと再び舞台の明かりが消え、ポケモン、聖職者、魔術師を照らすスポットライトのみとなる。
「旅人の語る話は我の心にまるで泉から湧き出でる清水の如き新鮮さを与えた」
「胸を躍らせたわ! 外の世界に」
「そして絶望したね。自分は井の中の蛙なんだって」
 ポケモンの役が一言一言語るたびに白の聖職者と黒の魔術師は、補足するようにあるいは茶化すようにくるくると回る。
「嗚呼、こうしている間にも時は迫る。時の残されておらぬ我は旅人に最も訊いてみたいことがあった」
「それを訊いてみるの?」
「我の最後の余興だ」
「期待外れの答えだったら?」
「期待などせぬ。ただ問うだけだ」
 ガタン。再び舞台が暗転から覚めた。
 そしてポケモンは一歩、二歩と旅人へと歩みを進めると、ついにまるでありとあらゆる感情が混じり合った末に何もなくなったかのような無表情で問いを投げかけた。


 −Real−

――そなたの前に二つ道がある。これよりそのどちらかを選ばねばならない。引き返したりどちらか一方を選んだ後、舞い戻ってもう一つの道を選ぶことももちろんできない。そして選んだ先にあるものは何もわからぬ、何も見当がつかぬ。さあ、そなたはこの場合どうする?
 心なしか、周りの空気がすうっと冷え込んだように感じられる。そのくらいその問いを投げかけたポケモンはこれまでと雰囲気が違っていた。私はそのまるで迫りかかってくるような空気の勢いに気圧され、思わずたじろいだ。いや、実際たじろいでしまうような衝撃のようなものすら感じた。
 ポケモンの二つの目はじっと少しも逸らされず、私のすべてに注がれているようだ。私は直感した。この問いはこのポケモンが本当に私に問いたいことなのだと。今までの問いはこの問いのための序奏だったに過ぎない。二つの目の視線がやけに痛い。
――そう深く考えるな。そなたの率直な答えが聴きたいだけだ
 どう答えるべきか迷い頭をうんうんひねっている私にポケモンは助け舟を出してくれる。
 どれくらいの時間、私は思考の海を泳いだかわからない。二つに分かれた道、そのどちらかを選ばねばならない、先送りも再選択も許されぬ、選択によって未来がどうなるかもわからぬ、どうしてこのポケモンはこのような問いを私に投げかけたのか。今は考えるべきではないと分かっているにもかかわらず、まるで勝負における攻守の立場をひっくり返すかのように、私はポケモンの意図を考えた。なぜにこのポケモンはこれほどまでに真摯な態度でこの問いの答えを望むのか。
 実はすでに私は問いへの私なりの回答はすでに用意はできていた。ただ、私は知りたかったのだ。このポケモンが今どのような運命にあるのか……。


 −Stage−

「我が心は誰にも理解されぬ」
 ポケモンは舞台上で呟く。
「だけど、巡り会えたじゃない? 最後にこの旅人に会えたという奇跡に」
 その言葉は聖職者。
「運命には逆らえぬというのなら、我は運命にすべてを託そう」
「君はそれでいいのかい?」
 その言葉は魔術師。
「はい。どうせ抗ったって……いつだって運命は私に非情だったんですから……」
 ぽつりとつぶやき、ポケモンはその目元を一粒の涙で光らせた。
 その台詞も、その声の響きも、今までのそのポケモンが持っていた雰囲気とあまりにかけ離れたものだった。僕は無意識のうちに両こぶしを固く握りしめた。カタカタとまた音がする。さきほどのモンスターボールを僕は膝の上に移していた。それに気づくと僕はボールをやさしく撫でる。まるで泣いている子供をあやすように。
 
 
 −Real−

 あたりはシンと静まり返っていた。今やそよ風で草花がざわめく音も、近くの小川がサラサラと流れる音も、そして自分の呼吸の音さえ耳に入ってこなかった。ポケモンは相変わらず私にじっと視線を注いでいる。そろそろその視線によって私の体に風穴が開きそうだ。
 地上をあまねく照らす太陽はそろそろ傾き始めている。真っ青に晴れ渡っていた空にほんの少しずつ紅色が混ざりはじめていた。私は少しの間瞑想するように目をつむる。何かが聞こえてくるような気がする。それは周りの自然による音ではない。何かの声。あるいは叫び声か。そんなものただの錯覚だと言われたらそれまでだ。だけど、私は確かに聴いた。耳にした。このポケモンの叫び声を。
 最初に会った時から何かおかしかった。このポケモンは私に何かを言わんとしているのではないか。そんな気がした。どうしてこのように気高き、また人と言葉を交わせる稀有な力を持ったポケモンがこんなところにいるのか、ずっと疑問だった。私に何かを望んでいるのなら、できることならそれを叶えたい。このポケモンのため? いや、それはむしろ私自身のためだった。
「……、ごめん。分からないよ」
 その声を発した私のなんと弱弱しいことか。思わず私はポケモンから目をそらしてしまう。だけどポケモンは何も言わない。じっと私の言葉に耳を傾けている。
「こんな選択を突き付けられても、正直どうすればいいのかわからない。結果の予想すらできない選択なんて、ただの無理強いだ」
 そこまできて、ようやくポケモンに動きがあった。きっと私の答えはポケモンが最も期待していなかったものだったろう。最も失望に値するものだったろう。ポケモンは何も言わず私に背を向けようとした。だから思わず私は続けた。
「こんなの、酷すぎるよね。君にそれと同じような、いやもっと大変な選択が課せられているなんて」
 ピクリとポケモンの動きが止まった。
「分かったんだよ。君が今どんな運命を強いられているのか。僕なんかがこんなこと言っても何の慰めにもならないだろうけど……、辛かったんだね」
――ほう……。そなたのような人間如きが、我の心を理解すると言うか?
 そんなこと尋ねられたら自信が無くなっちゃうじゃないか。心中でぼやきながらも、私はゆっくりと頷いた。
 ポケモンは私の方に向き直り、再びその視線を注ぎ始めた。だから私もそれに応える。私もまた自らの視線をポケモンの二つの眼へと身動ぎもせずにじっと向けた。お互いに交わされる視線の直線はまさしく橋。私と相手とを繋ぐ橋のようだった。


 −Stage−

「これは我の最後の物語。最後の告白。我が我であった最後の時なり。我、この最後の時にて一つの奇跡に出会わん」
 生命は何のためにこの世に生まれ出るのか。生命は与えられた時間のうちにいくつの“他”と出会うのか。生命がその生涯のうちに最も叶えたいことはなんなのか。
 このとき、少なくともこのポケモンの願いはここに達成された。
 自らの心を最も理解してほしかった人間に理解されず、己と何の縁もなき人間に理解される。これを非情と呼ぶか奇跡と呼ぶか、その心はその者にしかわからない。だけど僕は信じたかった。自らの心を理解されるというのが生における最大の喜びだというのなら、このポケモンは今ここにそれを達成された。
 どれだけ葛藤したことだったろう。それこそ自らの魂が塵々粉々になってしまうほどの苦悶だっただろう。自らの主である双子の争い。そのポケモンは決断を迫られた。どちらを選ぶか。目の前に提示された二つの道。ポケモンは……できることならどちらも選びたくなかっただろう。どちらが正しく、どちらが間違っているなんてことは関係ない。ただ、一つだったものが二つに分かれてしまった。ポケモンは自分の選択によってどちらかが不幸になることを望んではいなかった。
 力をもっている自分の身が恨めしい。なんと無慈悲な運命であったことだろう。力さえ持たなければ、自分がこのような運命の袋小路に陥ることはなかった。
 二つに分かれてしまった道、ポケモンが選択したのはどちらも選ぶことであり、どちらも選ばないことであった。 
 

 −Real−

 このまま世界の終わりの時を迎えるのではないかというほど、私たちはお互い無言のままただ見つめあっていた。それこそこの大地の始まりから今に至るまでに値する時間かもしれない、それとも木に生っている木の実が枝より切れて地面に落ちるほどの短い間だったかもしれない。
 そんな中先に沈黙を破ったのは、ポケモンの方だった。
――分からない……か。そうだな、我もどうすればいいのか分からぬ。これから我がやろうとしていることが果たして正しいことなのかも分からぬ。
 心ある者は、世界に数多と散らばっている謎にどれだけ正しい答えを出せるのだろう?
 すべての謎にすべての正しい答えを出せる存在がいるとしたら、それはまさしく神と呼ぶに値し差支えない。だが、人間もポケモンも神ではない。どんなに気高き存在も、どんなに悟りを得た存在も、生涯のうちに悩みから逃れることはできない。それは伝説と呼ばれるポケモンでさえ、その宿命から漏れることはないのだ。
 物語における伝説の存在は、しばしば気高く、すべてを達観し、小さき者たちを導いていく存在のように描かれる。だが、そんな伝説たちも小さき者たちと同じように悩み苦しみ、葛藤する。そしてそのような苦しみの中にいる彼らはいったい誰が救えばいいのか。
――名も知らぬ旅人よ。そなたが我の生を笑うことができないように、我もまたそなたの生を笑うことはできない。悩みの深さ、生の儚さは人間もポケモンも大差ない。それを理解できる者こそ橋になれるだろう。バラバラに別れてしまっている私たちのような存在同士を繋ぐ橋にな。
 ポケモンはいったんそこで言葉を切った。私は思わず何事かを口にしようとしたが、ポケモンの方がまだ何かを言おうとしていたので思わずその口をつぐんだ。
――我は、我がすべきことをするべきことを、これより行う。旅人よ、そなたに見届けてほしい。我の最期を……
 そのとき、あたりがポケモンを中心としてカッと光に包まれた。


 −Stage−

 ポケモン役の姿は舞台の中空にあった。己の姿を照らし出すスポットライト一本を残して暗転し、何の物音もなく、あたかもポケモンを残して世界中のすべてが消えてしまったかのよう。その目には何も映らず、何も映さず、ただただ全てを諦観したかのように虚ろ。後ろから少し体を押したら倒れてしまうのではないかと思えるほどに、なんの気力も感じられない。
「……これで、我が物語は終わる。我が告白は終わる。我が我であったときは終わる」
 すると、ぼんやりと暗転していた世界に光が差し込んだ。いつの間にか、舞台上は全ての舞台道具が無くなっていた。草も樫の木もそして背景も何も残されていない。まるで最初から何もなかったかのように。白の聖職者、黒の魔術師も姿を消したままもう現れる気配すら見せない。この場にいるのはポケモンと、そして旅人だけ。旅人はキュレムの足元で仰向けに倒れていた。
 ポケモンはゆっくりと地上に降り立つと、倒れている旅人の頬をそっとなでる。それが合図だったのか、何もかもの色も失っていた劇場の空気にまるで天上の世界の歌声が響いた。パイプオルガン独奏による音楽。それはまるで慟哭。それはまるで歓喜。それはまるで願い。さまざまな感情がぶつかり合って混ざり合って、その結果すべてがゼロになったかのような響きだった。そして舞台上部からなにか白い雪のようなものが降りはじめる。それは舞台照明に絶妙に反射し、まるで宝石のようにきらきらと輝き、殺風景な舞台の上を美しく飾った。
「ありがとう。名も知らぬ旅人よ。最期の最後にそなたに我が心を理解してもらえて……良かった……」
 そしてポケモンはもういちどありがとうとつぶやいた。
「嗚呼、我が名はキュレム。かつて二人にして一人の英雄のもとに従いたり。されどその英雄それぞれ異なる道選びて、我もまた魂を二つに裂かん。
 我ついに運命に抗うこと叶わず。ならば我この運命にすべてを託すものなり」
 ポケモンはその名をキュレムと名乗る。かつて双子の英雄のもとに従い、その理想と真実を実現したポケモン。その後、双子の英雄の争いによって二つの存在に分かれたポケモン。
 キュレムは観客席全体を見回すように視界を泳がせる。そのとき舞台に設置されているライトが最高の出力をもって舞台上を照らした。それはまるで舞台全体が光り輝いているかのようにまぶしく、僕は思わず目をつむることを禁じ得なかった。
 そしてキュレムは自らの最後の口上を述べるため、深く息を吸った。


 −Real−

 私は夢を見ているのか。
 あのポケモンが突然光り輝き始めたのだ。その光に包まれた時、私の目の前は真っ暗になった。まるで世界が私を残してすべて消えてしまったかのように。
 私の体はまるで水中を漂う藻のように、ふわりふわりとなんとも言えない感覚に包まれ、うまく手足が動かせなかった。だからそのとき唐突に声が聞こえてきたとき、一種の安心感のようなものが私を覆った。
 だが、その声はあのポケモンの最後の語りだった。
 

 −Voice−

 お聞きなさい

 あなた達に私の魂を二つに分け、譲ります
 私が消える代わりに、あなた方があの方達についくのです

 あなたたちには、あの方達についていくに相応しい力を与えます
 あなたには深く真実を見つめ、すべてを優しく包み込む白き炎の力を
 あなたには固く理想を目指し、あらゆる困難を打ち砕く黒き雷の力を

 そして人とポケモンを愛しなさい
 そして出来る事なら人とポケモンに愛されなさい

 私にはもう、一つだけの道を選ぶことが出来ないのです
 私の心だけでは向あうことの出来なかった本当の真実を
 私の力だけでは叶えることの出来なかった本当の理想を
 そしてすべてのものが望む本当の幸せな未来を
 どうかあなたたちは遂げて……

 これよりあなた方は私ではなくなります
 これより私はあなた方ではなくなります
 あなたは真実を求める白き竜
 あなたは理想を求める黒き竜

 あなたたちにはすべてをものを破壊する力がある
 すべてをものを導いていくことの出来る力がある

 やがて自分たちの王を見つけ、その未来を実現し
 すべての生命に祝福を……

 あなたたちはこれより別々の道を歩んでいくのです
 そしておそらくお互い対立することとなるでしょう

 それでもあなたたちはそれぞれに自らが認めた英雄のために従い
 共に進んでいきなさい

 だけどどうか憶えていて
 私たちは元は一なる存在だったことを
 私たちはともに一つの未来を目指していたことを

 ひとつの魂、ひとつの道では答えは見つからないかもしれないけど
 きっと対立するからこそ見えてくる本当の道が現れてくる
 
 あなた方に使命と苦悩を全て押し付けて
 私だけが消えてしまうのをどうか許してください

 だけど私は、いつか訪れる遠い未来で
 真実も、理想も、関係なく、あなたたちが共に幸せになれることを
 いつまでも願っています

 あなたたちに、そしてすべての生命に祝福あれ

 あなたたちは私のことを忘れてしまうかもしれないけど
 私だけはいつまでもあなたたたちのことを憶えているよ







 −Real−

 私は走っている。無我夢中で……何物にもわき目を振らずに。いつから走ってるのか。気が付いたら私は走っていた。体がかって動いていたのか、何かの意思で走らされていたのかは判断がつかない。
 いつしか私の身は平原を越えて森林へと入る。それでも私は走るペースを絶対に落とさなかった。実際は体の疲労をごまかしきれずに落ちていたかもしれない。しかし感覚としてはずっと私は全力疾走している気でいた。だが、とうとう私は自分の精神もごましきれずにある一つの木にもたれかかって座り込んだ。
 そして気づく。私はずっと泣いていたんだと。
――ありがとう。旅人よ……
 あのポケモンの最期の声が頭の中で何度も何度も響き渡る。
 いったいあのポケモンはどれほどの苦悩に苛まれていたのだろうか。自分がこれからやろうとしていることへの苦悶はどれほどのものだったろうか。
 あのポケモンが言った言葉が私の中で次々と思い出されては消えていく。まるで波間を漂う丸太のように。
 ポタリ、ポタリと目尻からまるで滝のように涙があふれ、止まらない。いったいこれは何の涙なのだ。
 私はあのポケモンの心を知ってしまった。あのポケモンは私に最期の喜びを見出した。そして私はあのポケモンの願いを受け止められるのだろうか? あのポケモンのために私ができることはなんだろう? あのポケモンは私に何をしてほしかったのだろう? 
――最期の最後にそなたに我が心を理解してもらえて……よかった……
 買いかぶらないでほしい。私は君が期待するほどの人間じゃない。私ができることは何もない。私は確かに君の心を知ったかもしれないけど、でもそれ以上に何ができるというんだ。君は消えてしまった。君は己の魂を二つに別てしまった。
 私は……私は……

 意味のない問答を何度も何度も幾度も幾度も繰り返しながら、私は顔を伏せ涙が止まるのをただただ待ち続けるのだった。


 −Stage−

 キュレムの姿は舞台中央にあった。旅人役は最後の暗転ののちにその姿を袖へと隠したため、今度こそ舞台上はキュレム役だけとなる。
 全ての物語、全ての告白、そして己が己であった全ての時を終えたキュレムは、観客席へと向けて、小さく会釈した。その笑みはキュレム役の少女が自分の初めての大役を終えたことによって少しだけ気が緩んだのか、どこか小恥ずかしそうな感情が含まれていた。しかし僕たち客席から見る者にとってはそれさえも舞台を彩る演出。
 劇場全体が雄たけびを上げたかのような割れんばかりの拍手喝采が鳴り渡った。そしてこの演劇のすべてが今終わりを迎えたことを告げるように、緞帳がゆっくりとゆっくりと降り、やがてキュレムの姿もそれのむこうにゆっくりとゆっくりと消えていった。
 この演劇におけるキュレムは救われた。自らに課せられた運命を嘆き、それに抗おうとして叶わず、全てをあるがままに託すこととした。そして生まれたレシラムとゼクロム。
 だが、本当のキュレムは救われたのか僕にはわからない。ここで語られた出来事が本当のことだったのか、僕に知る術はない。
 数年前にカゴメという村の北東にあるジャイアントホール最深部で発見されたポケモンの亡骸。その年はちょうどあのプラズマ団の事件が起きてレシラムとゼクロムが復活した年でもあった。
 カゴメタウンの人々はジャイアントホールから怪物が夜な夜な現れ人を喰らうという伝説を信じていた。そして村の人々は夜な夜なジャイアントホールから何かポケモンの嘆き声を耳にしていたという。だが、例の事件以降その声は聞こえなくなったという。まるでもう何も思い残すことが無くなったかのように。


 −Real−

「おい、あんた大丈夫か?」
 そんな声がして私は瞼を開いた。そして目に映るは木々の間から漏れてくる朝日と、私を怪訝そうに見つめる男の姿。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。こんな森の中で何の装備もせずに一晩の間眠ってしまっていたとは、いくら昨日のことがあったとはいえ無防備が過ぎるなと私は自分をあざ笑う。
 よいしょと体を起こす。変な姿勢で眠ってしまっていたせいか体のあちこちが凝り固まってギシギシと痛んだ。
「あんた、平気かい? どっか具合が悪くないかね?」
 どうやらこの男性は近くの村の住民なのかもしれない。私は大丈夫だという旨を伝える。それから男からこんなところで寝てるなんて野生のポケモンに襲われたらどうするつもりだったんだと怒られた。すると私は彼の足元に一匹のポケモンがついているのに気付いた。四足歩行で男の膝くらいの高さ、全身をむくむくとした体毛に覆われて、顔を覆ってる毛はまるで人間のひげを思わせて妙に威厳がある。
「その、ハーデリアはあなたのポケモンなんですか?」
「おうよ。こいつがあんたを見つけてくれたんだ」
 ハーデリアはしっぽをくるくると振ってまるで自分がやった仕事を誇らしげに思っているようだった。私は目の高さをハーデリアの身長まで落とすとそっと頭をなでまわした。ハーデリアは心なしかニコリと笑うと、ワンと堂々とした色で一声鳴いた。
――バラバラに別れてしまっている私たちのような存在同士を繋ぐ橋
 あのポケモンが言った言葉が思い出される。
 私はよっぽどみすぼらしい恰好に見えたのだろう。男は腹が減ってるだろうと、自分の住んでる村まで私を案内することを提案した。特に断る理由もないので私はそれに従うことにする。
 そのとき、まるで天啓を受けたかのようにふと思いついた。
「あのすみません」
「なんだい?」
「村に着いたら、なにか書くものを貸していただけないでしょうか?」


 −Stage−

 ライモンミュージカルホールからぞろぞろと人々が帰っていく。この劇団の熱狂的なファンは関係者用の入口へと周ったりしている。ある人は今回の舞台の感想を言い合い、またある人はあそこの演技良かったね、あの演技はもうちょっとだったねと批評の言葉を述べる。また別の誰かは次のこの劇団の演目に関する期待の声などをあげていた。
 僕はそんな人々の波に流されるままに歩き、出口へと向かった。そのときだった。
「おお、君も来ていたのか!」
 その声は思秋期を迎えた男性のものだった。そして歳のわりには声には張りが感じられる。僕はふりむくとそこには老人向けのブラウンのスーツに身を包んだ好好爺が立ち、帽子を外して僕に手を振っていた。老人はこのライモンミュージカルの館長である。僕は館長の名前を呼ぶと軽くあいさつをかわし、今日の演劇の招待券を送ってくれたことに礼を言った。
「いやいや、いいんだよ。この舞台は君にだけは、見てほしかったからね」
 その言葉の意味を僕は噛みしめる。館長は僕のことを知っている人間の一人だった。“彼ら”が数年前に起こしたあの出来事で僕がなにをしたかを。
 そして僕と館長はしばらくの間他愛のない話を交わした。もう一度君のポケモンをミュージカルに出演してもらいたいだの、今日は来てない幼馴染二人はどうしているかなだのと、この人はまだしばらくは長生きしそうなものだ。するとしばらく互いの会話が煮詰まってきた折に、館長はぽつりと呟く。
「キュレムの魂は、救われたのかな……?」
 僕ら二人の間に少しだけ沈黙が流れる。しかし僕は館長がこの話題を出すことは分かっていたし、むしろそのために僕に話しかけてきたんだと思っていたので別段驚きもしなかった。僕はベルトに取り付けてあるモンスターボールの一つに手をかざす。どうだい、キュレムの魂は救われたんだと思う?
 僕の心の中での問いかけに、モンスターボールはカタカタと揺れる。それが肯定の意思であるか否定の意思であるかはこの場では分からない。
「救われたかどうかはわかりませんが、でもきっと喜んでると思いますよ」
 館長は僕の目を見つめてニヤリと笑みをこぼした。そして視線を僕が今手をかざしているモンスターボールへと向ける。それから館長は何事かを思い出すように目をつぶってうんうんと頷くと、まるで安堵したかのような深い響きを持った声を言った。
「そうか。そうだな、君が言うのなら間違いないだろう」
 それから僕は館長と別れた。館長はこれ以上こんなところでさぼっていたらスタッフの皆に叱られるよと笑いながら立ち去って行った。
 キュレムは待ち続けた。自分の魂を分けた我が子レシラムとゼクロムがともに幸せになれる未来を。誰も訪れない巨大な穴の寒い寒い最深部で。来る日も来る日も……。魂のない体で。たとえ魂が抜けてしまっても体に残っている記憶だけで、ずっとずっと待ち続けた。
 そしてついに長い年月の間求め続けたその日がやってきた。レシラムとゼクロムそれぞれが自らの英雄を探しだし、それぞれの未来へと向けて歩み始めた。きっと魂は同じだからキュレムは気づいたのだろう。そしてずっと待ち続けたこの日がようやく訪れたことを見届け……そしてキュレムの体はついに朽ち果てた。
 

 −Real−

 私は書いている。あのとき何物にもわき目を振らずに走り続けたのと同じように無我夢中で書いている。昨日起こったこと、出会ったこと、すべて書きとめよう。あのポケモンが私に託してくれた願いを伝えるために。
 泊めてくれた家人はいぶかしげな目で私を見ているが私はそんなものには一切気を向けなかった。それどころじゃなかったのかもしれない。すべて書き終わったら謝ることにしよう。
 これを書いて、誰かに伝えて……それでどうなるのかはわからない。だけど書かずにはいられなかった。
 いつかこれを読む者に伝えたい。あのポケモンが願っていたことを。そして読んだ人に感じてほしい。


 −Stage−

 モンスターボールがカタカタと揺れた。僕の先ほどのつぶやきに反応してのことだろう。
 僕は揺れたモンスターボールを取出し、それを目の前にやる。そしてじっと耳を傾けた。中にいるポケモンが言わんとしていることに。
「……うん、僕もそう思っていたところだよ」
 僕はキュレムの二つに分けた魂を受けたポケモンの片割れが入ったボールに向けてにっこりと笑みを投げかけた。
 ジャイアントホールに行こう。そして君の……この場合お母さんと呼んでいいのかな? 会いに行こう。
 キュレムがあの旅人と出会った場所へ、キュレムが魂を二つに分けレシラムとゼクロムを生み出した場所へ、そしてレシラムとゼクロムが最初に衝突した場所へ……
 僕はカゴメタウンまでいっしょに行こうと片割れの入ったボールを開閉ボタンを押してから勢いよく投げた。
「あっ」
 思わず僕は声を上げる。ボールを投げた方向には来るとき雨を降らせていた雨雲がもくもくと浮かんでいる。そこには一本の七色の虹がかかっていた。雲から雲へと繋いでいるように延びる虹はまるで空に架かる……


 −Real−

 私はこれからのことを考えていた。もし二つの選択肢のうちどれか一つを選ばなければならなかったなら、そして自分が選択することによって未来がどう変わるか全く予想ができないなら、いったいどの選択が正しいのだろう。私はあのときポケモンに対して言ったあんな答えは、きっと一番よくない回答だったろう。
 もし、これを誰かが読むことがあれば、考えてほしい。あのポケモンが自らの運命を犠牲にしてまで悩み苦しみ続けた問いの答えを。私も考え続ける。死ぬまで考え続けることもあるかもしれない。答えは出ないかもしれない。
 バラバラな存在に分かれてしまった私たちがどうすればまた一つに戻れるか。
 せめて私はなりたい。あのポケモンが私に言ってくれたように、魂同士を繋ぐ……


 −Stage&Real−

――架け橋……。



 〜Fine〜









 16,128字
 『ジャイアントホールはキュレムが己の魂を二つに分けた場所。そこでレシラムとゼクロムは最初の衝突を起こし、それによって巨大な大穴ができた』
 『キュレムはもともとレシラムとゼクロムだったポケモンの抜け殻で魂を持たない』
 某所でこれらの考察を目にしたとき、自分の中でこの物語が生まれました。この物語はBW本編のプラズマ団Nによるポケモンリーグ乗っ取り事件が起こった後、主人公がジャイアントホールでキュレムに出会わなかった場合のifのストーリーになってます。
 もともと自分はレシラムとゼクロムの元の一つだったポケモンがどんな思いで二つに分かれたのかを考えてました。それでこの物語を作りましたよってことで。
 で、この物語で語った出来事は上記の説をもとにした完全なるねつ造です(笑)
 いつか出るマイナーチェンジ版でキュレムのことが掘り下げられるのなら、この物語で語った説が正しければ嬉しいな。外れていたら盛大に笑いましょう。たぶん後者でしょうけど(笑)
 演劇が終わって外へ出ていくシーンはhttp://www.youtube.com/watch?v=lg5Fw0B3tCU 大好きなこの曲をBGMにしてました。まあイメージの参考にしていただければありがないなーなんて^^;



修正記録
11/03
旅人が村人から発見される場面での旅人の回想。
――人とポケモンを繋ぐ架け橋

――バラバラに別れてしまっている私たちのような存在同士を繋ぐ橋

に修正しました。
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.15 )
日時: 2010/11/04 21:14
名前: NOTロリコン

作品タイトル:日記
部門:C
テーマ:雨

☆今日は旅立ち☆  メモ:がんばるぞー!

 私には『夢』があります。
 夢と言うのは不思議なもので、意外ところころ変わってしまいますね。幼稚園の時の夢とか、正直もう覚えていません。
 だってアレは『目標』であり『憧れ』であり、漠然と漫然と何となーく羨望していただけだから。
 私の夢、それは今の若い世代には割とありふれた夢だろう、『ポケモンマスター』になると言うものだ。
 これも目標なんじゃない?――って言われたら返す言葉が無いんだけど、でも今のところの夢はこれなのだ。また変わるかもね。
 夢ってのは聞いた人間が『こいつ変態だわ』って思うぐらいの事を言うらしいってなんかの本で見た。あれだ、ほら、スクール最弱の落ちこぼれたちを最高レベルのトレーナー育成学校へ進学させる漫画を描いてた人の別の作品。
 もしかしなくても、私は他者の影響を受けやすい。だけど、メディアは天気予報ぐらいしか信じていない。このメディアを信じないってのも、他者の影響なのかなー。
 そう考えると、本当の自分って何なの?って思っちゃうんだけど、皆はどう考えてるんだろ。分かるわけないよ、他人の考えてることなんて。


☆旅立ちから二週間☆  メモ:寒いなー

 今日も私は夢の為に割と頑張っています。今も雨が降っている中を、レインコートを羽織って歩いています。
 私は雨と言うのが割と好きです。振り始めたときのパラパラと言う始まりの音、一心不乱に降り続ける音、潔く終わった時の晴れ渡った空と水溜りに波紋を作る葉から落ちる雫、虹色のカーテン。
 こうして見てみると、何だか雨って人生と似ていないだろうか。緩やかに始まり、激しい社会を歩み、そして天国か地獄へと帰る。
 雨は何度も降るけれど、同じ雨が無いように、人生だって一度しかない。
 そんな一度しかない人生で『夢』を見られないと言うのは、もったいないことではないだろうか、残念なことではないだろうか。
 でも私はまだまだ社会から見たら子どもだ。考えたって分かるわけが無い。だって、大人じゃないんだもん。


☆旅立ちから三週間☆  メモ:ヒウンシティの大きさ、異常ね。アイス美味しい

 最近は『現実』と言うものを考えなければいけないと思って来た。
 夢を抱くと多くの人は『そんな馬鹿なことを考えるな』とか『現実を見ろ』と言うが、そんな『馬鹿なこと』を『現実』と照らし合わせてみた私は、それでも夢を諦めない。
 そりゃー私の認識不足なだけかもしれないが、『夢』を叶えるってことは『現実』を知るってことと表裏一体だと思う。
 偉そうに夢だけ語っていても現実を知らないとその夢の叶え方が分からない。現実を知れば、どうすれば馬鹿げた夢が実現でいるのか分かると思うの。
 それに夢を持たないってことを、人間は絶対にできない。人を動かす原動力は、世界を変える原動力は、人の夢なんだ。
 だから私は現実を知って夢を見る。ところで、ポケモンマスターの定義って何なんだろ?
 こう言うのも旅をしながら現実を知らないと分からないこと。夢を叶えるには、やっぱり現実を知らないとね。


☆旅立ちから一ヶ月と二週間☆  メモ:読み直してみて『?』になることってよくあるわよね

 今日も雨が降っている。フキヨセシティに差しかかっていたところなので、ポケモンセンターに泊めてもらった。
 毎度のことだけど、公共施設の癖に何でこんなに豪華なんだと気になるところだ。
 旅してるだけのニート感覚な私が言うのもアレだが、もっとインフラの整備とか野生のポケモン対策のフェンスなどを作った方がいいと思う。
 これから向かうタワーオブヘブンの方向では、道の代わりに平均台があるとか無いとか聞くが、草むらの上に道を作るにも平均台は無いでしょう。
 さすがにこれは私の聞き間違いだと信じたい。RPGゲームやらされてるんじゃないんだから、そんな冗談みたいな場所は無くて良い。
 ところで私はジョーイさんがどうしてこの仕事についたのか気になって、少し聞いてみた。
 どうやらこのジョーイさんは昔から『ポケモンを助けたい』と言うのが夢だったらしいけど、ならこの仕事以外にも色々あるはずである。何でジョーイになったのか。
 答えはこうだった。『ポケモンと最も触れ合えて、人の役にも立てて、ポケモンを助けられる一番分かりやすい仕事だから』、っと言うことらしい。
 他の仕事のことを調べ、現実をしっかり理解して夢を叶えた。
 私はもう一度考える。
 多くの大人たちは私達に幼いころ夢を見せて、少し育てば曖昧に誤魔化して、成長すれば夢を捨てて現実を見ろと言う。でも、現実を見無ければ夢は叶えられない。
 この間違いはどこから生まれたんだろう。でも、もしかしたら間違えていないのかもしれない。大人だって、きっと夢を見てるんだ。今でも。


☆旅立ちから一ヶ月と三週間☆  メモ:この前のメモ、忘れてた(加筆加筆っと)

 タワーオブヘブンを訪れた。
 ポケモンたちのお墓がたくさん並んでおり、この全てが夢をかなえることが出来たのか、夢半ばに倒れてしまったのか……私には、分からない。
 無縁仏に線香を捧げ、私は受付の人が教えてくれた屋上のベルを鳴らしに階段を登った。
 確かカントー地方にもシオンタウンと言う場所にポケモンタワーと言う似たような場所があると言うが、そこにも鐘はあるのだろうか(今度で図書館かネットで調べてみよう)。
 屋上についたとき、世界は僅かに霧が掛かっていた。ここ最近、気のせいか雨や霧が多い気がする。
 イッシュ地方にはトルネロスとボルトロスと言うポケモンが台風を起こすと言う伝承があるが、もしかしたらそいつらのせいかもしれない。見つけたら、少しお灸をすえてあげないと。
 鐘を鳴らした。心の底に透き通るような、綺麗な音が鳴り響いたような気がした。先に逝った人やポケモンたちに、大空に、この音は届いただろうか。
 八十年後ぐらいには、私が向こうにいる。そう思うと、なんかちょっと怖くなる。死んだ後のことって、考えれば考えるほど泥沼になる。
 だからこう考えよう。死後は第二の冒険だ。


☆旅立ちから二カ月☆  メモ:化石の復元はアロエさんのところで行えるらしいから、手紙を添えて宅配便で送ってみようかな。私のこと。覚えててくれるといいけど

 冬のネジ山を訪れたかったのだが、今の季節は秋だ。もっと時間をつぶしながら旅をした方が良かったかもしれない。
 作業員の人に化石をもらった。どうやらこの山では古代のポケモンの化石が取れるらしいが、私なんかがもらっていいのだろうか? だってこう言うのって文化的価値があって、博物館とかに飾るものではないのだろうか。
 おじさんに聞くと『腐るほど取れるし博物館にも沢山あるから別に構わない』と言うことらしい。なるほど、なら構わないだろう私がもらったって。うふふ、わーい。
 それはそうと、ここにいる人たちにもどうして今の仕事についたのか聞いてみた。
 帰って来た答えは『学が無かったから』とか『力仕事が好きだし性に合っていた』とか『鉱山で働くのが夢だった』とか、色々だった。
 同じ場所で働いているのに、来た理由は割と違うみたいだ。中には本当に現実に打ちのめされた人もいるようだ。
 だけど私はそんな人を格好悪いとも思わないし、蔑むようなこともしない。そもそもする方が間違っている。あれ、こんな考えを持つこと自体が間違っているのかな。
 兎に角! 世界には色々な人がいて、全員が全員本当に夢を叶えられているか分からない。
 私だって『じゃあお前は夢を叶えられたのか?』と聞かれると、ポケモンマスターと言うかなり抽象的な答えなだけに、ぐうの音も出無いよ。
 早くポケモンマスターになりたいけど、焦りは禁物。だけど、ポケモンマスターって、どうすればなれるんだろ。全部のポケモンを知ること? 博士の資格を取ること? ポケモンリーグチャンピオンになること?……なんか、どれも正しくてどれも違う、そんな気がする。
 誰か教えてと言いたいけど、弱音は吐かない。夢を目指し続けることが、今の私の原動力。
 ……実は、各地のデザートも原動力。


☆旅立ちから二ヶ月と三週間☆  メモ:化石の復元が終わって帰って来た。どうやらリリーラと言うポケモンらしい。うーん、可愛さは中の中かな

 ソウリュウシティに到着した。なんだかとっても近未来的と言うイメージが似合う、面白い都市だ。
 このシティのジムリーダーはアイリスと言う少女だったけれど、さすがにジムリーダーだけあって苦戦した。でもさすがは私、バニラちゃん(バイバニラのことね)で勝った。
 そう言えばどうでもいいのだけれど、ここでもポケモンの解放を謳っている妙な宗教団体みたいなのがいた。
 時々『プラーズマー』と言う呪文を唱えているところを見ると、相当のめり込んだ感じの危ない団体なのかもしれない。
 広場で休んでいたところで突然この宗教団体の団員に『お前のポケモンを解放しろ』とか言われたが、無視した。
 無視したらまた呪文を唱えて、突然ポケモンを出して襲って来た。ムカついたので、二人まとめて瞬殺、さすが私、かっこよく決まったわね。
 ところでこの日記当初の目的と今書いてることは少しずれて来てしまったのではないだろうか。あれ、そう言えば何で日記書こうと思ったんだっけ?
 こればかりは日記を書く前のことだから分からない。うーん、多分旅の事を忘れないためと……夢について考えるためかな。
 夢と言えば、これでポケモンリーグへの参加資格を得られるようになった。夢に一歩近づいたのは、間違いない。
 でも、夢って叶わないからいつまでも抱き続けるものじゃないのだろうか。いや、叶えたら別の夢を持つから、夢は叶わないってことなのかな。うん、分からなくなってきた。寝よう。
 まだ深く考えなくてもいいでしょ、小難しいことは。だって私、まだ子どもだもん。でも、子ども扱いは、なんか嫌なのよね。
 私は、早く大人にな〜・りゅた……
 一瞬寝てしまったらしい。やれやれ、何をしているのだろう私は。


☆旅立ちから三カ月☆  メモ:気だるいよ〜

 風邪をひいた。今日の日記は休ませてもらおうかな。
 お母さんのお粥が恋しい。大人になって一人暮らしをしたら、こんな日も一人で乗り切らなければいけないんだろうなー。
 ……書くこと思い浮かばない。


☆旅立ちから三カ月と二週間☆  メモ:大きな岩でふさがれた入口を見つけた。何があるのか気になるな〜

 チャンピオンロードを通り抜けている途中だ。何だか巨大な蟻の巣穴のような地形だと思ったら、本当に蟻がいた。しかもでかいし堅い。鋼タイプのようだ。
 一匹捕まえてみると愚鈍が多い鋼タイプにしては動きが早い。時々焔を出す変なポケモンもいたが、どうやらそのポケモンとは天敵関係のようだ、追われてる場所を目撃した。
 と思ったら、今度は何十匹の蟻がそのポケモンを集団で追い払っている場面にも出くわした。自然界は厳しいようだ。
 さらに途中で目玉のあるのか無いのかよく分からない、四足歩行のポケモンを捕まえた。ちょっと可愛かったので、先ほど捕まえた蟻さんはキャッチ&リリース。
 図鑑(私は紙の図鑑だけど、最近は小型の機械型図鑑があると聞いた。でも髪の方がきっといいよね)を見るとモノズと言うらしく、将来はたくましいサザンドラと言うポケモンになるらしい。
 はぁー、こんなポケモンを使いこなして、両腕組んで堂々とフィールドで並んでる自分の姿を想像したら、何だか笑みがこぼれる。ついでにちょっと不安も覚える。言うこと聞いてくれそうに見えない。
 とりあえずイッシュリーグ開催までは時間がある。チャンピオンロードで修行してから挑んでも、悪くは無いはずだ。


☆旅立ちから四カ月☆  メモ:旅は楽しいけどいつかは終わりが来るんだとしたら、何で悲しい道を私は進んでるんだろう?

 ようやくイッシュリーグが開催された。一般の観客はチャンピオンロードを通らない別ルートから、安全にポケモンリーグまで来るようだ。
 それ故にリーグの登録締め切りは一般公開前日までに済ませなければいけない。ジョーイさんから聞いて、少し慌ただしくだがちゃんと登録できた。説明書の端に小さく書くの、卑怯だと思う。
 それはそうとモノズがジヘッドに進化した。心なしかこの子の成長はとてつもなく遅い気がする。
 昔カントー地方のワタルと言う人がテレビでやった講義でドラゴンタイプの進化は基本的に遅いことは知っていたが、この子はちょっと遅すぎるのではないだろうか。
 兎に角、私はジヘッドの力を最大限生かして戦わなければならない。どうでもいいが、サザンドラを使うトレーナーを見たんだけど、これって\(^o^)/ってやつ?
 いや、そんなことは無いはず。確かヒウンでもらった進化前のポケモンの耐久を上げる不思議な石があったはず。ジヘッドに持たせれば、きっと活躍してくれる!
 話題は変わるが、ここに集った人たちは皆一様に自分の『夢』を持ってきているはずだ。
 イッシュリーグと言う巨大な現実を目の当たりにして、そもそもジムリーダーと言う現実を目の当たりにしてつまずいた人も、ここにい無い人で入るのだろう。
 この現実を前に夢をあきらめる人はきっと沢山いる。私だって、一度や二度で諦める気は無いけれど、何度も負けて勝てないと思ったら、夢を妥協してしまうかもしれない。
 夢から目標へのランクダウン。それはどれだけ、悲しいことなのだろう。
 最近自分で自分が何を書いているのかよく分からないことがある。こういう哲学的なことは、アリストテレスにでも任せてしまえばいいや。
 今を一生懸命生きる。子どもの私が、これ以上考える必要があるのかな。きっとない。私はまだ、大人じゃないのだから。
 時間はまだまだある……でも、お母さんやお父さんもきっと同じことを思いながら、お母さんとお父さんになったんだろうなぁ。


☆旅立ちから四カ月と二週間☆  メモ:なんか全てが終わったようで、ぐーたらしたいなー

 私のイッシュリーグ挑戦が終わった。結果は上の下、ベスト32位と言う何とも中途半端な位置だ。だって、ベスト32って一杯いるもん。
 私の『夢』はまだまだ終わらない。今回の結果を見て、何となく光明が見えた気がする。そして何となくわかった気がする。『ポケモンマスター』の意味が、そのあり方が。
 もちろん間違ってるかもしれないけど、多分ポケモンマスターって、ポケモンと真に心を通わせるトレーナーのことなんだと思う。
 ただ強いだけでは駄目。勝ち続けるだけでも駄目。もちろん必要なことではあるけど、きっとそれだけでは駄目。
 戦ってきたトレーナーたち、私を打ち負かした『現実』は、私に『夢』を見せてくれた。
 ちなみに私を打ち負かした人が今回のポケモンリーグの優勝者で、四天王に挑む挑戦権を手に入れたりしたのだが、それ以上に嬉しかったのは、彼が言ってくれた言葉。
 今回戦った中で誰が一番強かったか――その質問の答えは決勝の相手ではなく、多分、自意識過剰かもしれないけど、私のこと。
 何となく夢が見えた気がする。なんか無責任なことだけど、夢が変わったとしても、この気持ちがあれば向かい続けられる。


☆旅立ちから四カ月と三週間☆  メモ:何だか魂が抜けた感じがする。学校は再来月から行こうっと

 皆知ってる出そうから書く必要はないだろうけど、未来では制度が変わってるかもしれないからちょっとだけ書いておこうかな。
 イッシュ……と言うかどこでもだけど、子どもたちの積極的な旅の為に、一年間のトリップヴァケーションがもらえるの。
 中学生になるのは十四歳になるとき。小学校のうち一年間は、二ヶ月周期で新学期を迎えることになる。旅の人のために、説明が分かり難いかもしれないけど。
 つまり十歳の一年間はフリータイムなのだ。でも学校に参加することは普通にできる。私の場合、六ヶ月遅れの小学五年生だ。
 旅に出てた人は他にもいるはずだから、再来月は割と多くの人が学校に来るはずだ。楽しみである。
 旅にころと比べて書くことは少し減ったかもしれない。まぁ、刺激の量が違うから仕方ない。


☆旅立ちから五カ月☆  メモ:この日記も終わり……心なしか、涙が流れそう

 日記のページに終わりが来た。思えばこの日記も、私の旅を支えてくれた大事なパートナーだ。
 とは言え永久保存するつもりなので見れ無くなると言うことは無い。だから大丈夫だ……最初のページから見直してみた。何故か分からないが、涙が流れた。
 改めてわかっちゃったんだ。時間は戻らない。だから何となく、悲しくなったのかしれない。
 この日記を書いたことに、ちゃんとし意味があったようだ。この日記を見直せば、『夢』に向かっていつでも進める気がする。
 どんな『現実』が来ようとも、それを受け入れて私は『夢』を目指し続ける。
 今さらだけど、難しい感じはちゃんと辞書を引きながら書いてるんだよ。
 将来どんな風になっているか分からない。分からないけど、そこにはきっと、夢を叶えて、それでもまだまだ夢を持ち続ける私がいるのだろう。
 日記を書く最後の日だと言うのに、外では雨がしとしとと降っている。でもいいのだ。私は雨が好きだ。
 私は昔、雨を人生と言った。
 でも今ではもう少し詳しく考えている。雨って、夢をかなえようとする人の生き方に似ている。
 最初は弱いけど、途中で強く強く頑張り続け、最後にはゆっくりと落ち着いて行く。
 何事においてもそうなのかもしれない。こうして見るとこの世の大きな流れは、似ているのかもしれない。
 歴史は繰り返される……と言うのもこれと同じなんかもしれない。うーん、やっぱり哲学は分からない。書いてて頭痛くなってきた。
 それではサヨナラ。日記を書いている、今書き終わる、私。





 古びた日記、文字はボールペンで書かれているので鮮明だが、紙は色褪せている。
 日記を持った少女が一人いる。少女は日記を閉じるとそれを別途に放り投げ、どこか嬉しそうに階段をステップしており、台所にいる母親に体当たり。
 皿を落としそうになった母親は笑いながら少女の頭を軽く叩くと、昔を思い出して微笑みを浮かべる。
 少女が言うことが分かっているのだ。なぜなら……自分が旅に出たのも、母親の日記を見たのが原因なのだから。

「お母さん! 私、旅に出たい!」




**********************************************************あとがき**********************************************************

 大した意味も無く、何となく書いただけの小説。
 雨と言うテーマだがほとんど関係ない程度なのは言うまでも無い。ちなみにこの主人公の名前はセピアと言います。作中には出てきませんね、本当にありがとうございます。
 裏のテーマとしては一応『夢』と『現実』ですが、くどいように書いてる癖に全く心に来ない。でもそんなもんでしょ、だって日記だもの。
 最後まで読んでもらえるか怪しい代物だ。もしこれを最後まで読んだ子どもがいたらどうなるんだそうねー、知ったこっちゃねーよだって俺おっさんだもん。
 人生の成功と失敗の境目はさり気ない子どもの頃の日常にある気が何となくする。まあ、子どもは楽しく遊んでればそれでいいのよね、子どもだもの。
 おっさんだって楽しく遊んだっていいのよね、だっておっさんだもの。え? 駄目? ですよねー。
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.16 )
日時: 2010/11/05 00:18
名前: 来来坊

『題名』数式と科学
『部門』A
『テーマ』橋

 世界的に名の知れた数学者のエフはとある石橋の真ん中で手すりに背もたれながら、そこから見える景色をぼんやりと眺める。だがエフの頭の中では作者を含める一般人には到底理解できない数式が組みあがっては消え、消えては組みあがっていた。
 時折下を向き、石畳を見つめる、それはエフなりの休憩であった。
「これはこれは、エフではないですか」
 ちょうどその休憩を見計らったかのように、エフの良く知った声が聞こえた。
 顔を向けると、そこには彼の友人であり、同時に世界的に有名な科学者であるアイが居た。
「アイか、君もこっちに来たのだね」
 アイはエフの問いに軽く頷くとエフの隣に移動し、彼と同じように手すりに背もたれた。
「あぁ、つい先ほどね。どうかね? 答えは出たかい?」
 答え、という単語に対してエフは深いため息をついた。
 そして声のトーンを低くし、言う。
「私を含め多くの数学者はもう何十年もこの問題と対峙して来た、私のようにこの石橋に対するありとあらゆる数字を完璧に記憶してしまっている者だって居る、それが何を意味するか分かるかい? 一日二十四時間、この橋の計算ばかりしているのさ、それでも答えは出ない」
 そう言って再び景色をぼんやりと眺め始めようとしたエフをアイが慌てて止める、一度計算を始めてしまえば答えを出すか答えに詰まるかしなければエフは回りの話など聞こえなくなるのだ。
「それは私も同じだ、多くの科学者がこの橋に興味を持っている。石の材質、岸の土質、緯度、水質、過去に起こった地震の回数や規模、ありとあらゆる可能性を信じ、時には君を含める世界中のありとあらゆる数学者と協力し、ありとあらゆる仮説を立てた、だがそれのどれを実行しようとも」
「あぁ、この橋は作り得ない、人が渡れる訳がない」
 エフはそう言った後憎憎しげに石畳を踏みつける。
 長さは僅か五メートルほど、微妙にアーチ上のこの石橋は、およそ二百年前に作られたものだ。
 それ以来、多くの人間がその橋を利用し、その橋は壊れることなく人を渡し続けた。
 何年か前にこの国が戦争を初め、この橋の付近には多くに爆弾が落とされた。それでもこの橋はビクともせず、時には兵隊を、時には救援物資を渡し続けた。
 戦争が終わり、平和の象徴としてその橋を何らかの記念にしようと、そしてついでにこの石橋は何故これまでに頑丈なのかを調べようと、数学者による測量が行われた、その結果、得られた結論は。
『理論上、この橋は架かりえない』と言う事。
 それ以来、ありとあらゆる数学者、科学者がこの橋を訪れた、勿論観光などではない、この橋の存在を理論的に証明するためだ。エフとアイもそれらの一人である。
 だが、誰一人としてこの橋の存在を理論的に説明することは出来なかったのである。
「数式と科学は、ありとあらゆる物事を理論的に証明して見せた」
 興奮した様子のエフにアイも続く。
「そうとも、黒死病の正体だって、飛行機が飛ぶ理由だって、クマバチの飛行方法だって、フェルマーの最終定理もすでにゴールに近い」
「そう、それだから私は悔しい、このままでは死んでも死に切れない、これでは数式と科学の敗北だ、くそっ! この橋さえ崩れれば」
 大人気なく足を踏み鳴らすエフをアイが静止する。
「まぁまぁ落ち着け、暇つぶしが出来ていいじゃぁないか、しかもこの暇つぶしは他のどんな暇つぶしよりもやりがいがあるぞ、もしかしたら我々が最も早くこの秘密を解明できるかもしれん」
 そう聞いて、エフは少し落ち着いたが、それも少しの間だけで、今度は絶望したように言った。
「それだけじゃぁ無い、もしこの橋の理屈を証明できたとしても今度は私たち自身の存在を理論的に証明しなくてはならない、数式と科学とは対極の存在にある私達を」
 エフは透けて向こう側が見えているアイを指差し、次に同じように透けて向こう側が見える自分を指差して言った。
 アイは何だそんなこと、と笑い飛ばすととても楽しそうに言いはなつ。
「死後の暇つぶしが二つもあるとは中々贅沢じゃぁ無いか、それに俺はお前さえ居れば退屈することは無い、案外橋の問題は早く解決するかもな。それに安心しろ、これは憶測の話だが橋の問題さえ解決すりゃぁ俺達の存在はなくなる、つまりは成仏だな。なんてったってわざわざこの場所の自縛霊になったんだ、俺もお前も、つくづく好き者だ」


〆て1783文字

感想

落ちはそこまで悪くないんじゃないかなと
ここで書くと引っ込みが聞かないけど割といい感じに出来たんじゃないかと思います。

後長編無理
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.17 )
日時: 2010/11/05 03:31
名前: 曼珠沙華

題名【雨は嫌い】
部門【A】
テーマ【雨】

 雨が切り裂くように冷たく僕を襲っている。
 丈の長い草がざわりと、雨と風に揺れて小擦れ合う不気味な音を聞きながら、何故僕は此処に居るんだろうと濁った頭で考える。
 考えるまでも無いのだけれど。
 僕は僕を連れていた人間に捨てられた。実に無造作に。
 理解出来ずに後を付いて行こうとした僕だったけれど、それは叶わなかった。振り返り僕を見て鳴った舌打ちと共に彼女の掴んだ珠から閃光。
 眩んだ視力の回復した僕の眼前には夕日色の毛皮を纏った四足の獣。頭と顎下にはもこもことした飾り毛が靡いている。
 人間達に『ガーディ』と呼ばれる、僕と同じ種の仔が唸り牙を剥き僕を見据えていた。眼光鋭く睨みつけ、今の空を染める夕日の色をした毛を逆立てた前傾姿勢。
 訳も分からず、彼女へと視線を向ける。その時はまだ、捨てられた等とは考えもしなかった。何故優しかったあの娘が僕をあんな冷たい眼で見下ろしているのか理解出来なかった。
 でも――
「ああ、うざったい。アンタより強いの手に入ったからもうアンタは要らないの。わかった?」
 ――そう鋭利な声で言い放たれれば、どんな奴だって自分がもう好かれていない事を理解すると思う。
 それでも、もう一度僕にあの優しい笑顔を向けてくれるんじゃないかとありえない思いが膨れ、結果一歩踏み出した。
「だから、付いてくるなって言ってんの! ガーディ、インファイト!」
 彼女はそう叫んだ。
 『ガーディ』。僕もそう呼ばれていた。そして彼女が叫んだのは『わざ』って呼ばれるアレだろう。でも『インファイト』なんて僕は知らない。
 だからそれは僕でなく目の前の『ガーディ』に言ったのだろう。
 なんて考えていたら眼前にその顔が。
 避けようとするも間に合わない。全身を殴打されて僕は吹き飛んだ。
 弧を描き飛び叢の中に落ちた僕は、彼女の足音が遠ざかるのを聞きながら身動き一つ取れず倒れ伏す。何時の間にか雨まで降ってきた。
 そして今に至る。
 風が吹き荒ぶ。日が暮れるにつれ雨も酷くなってきた。
 全身ずぶ濡れ。追い打ちの如く大粒の雫が『タネマシンガン』のように打ちつける。もっとも、あれはこの雨よりも辛くないが。
 身体は尻尾を動かすことすら儘ならない。だのに意思とは関係なく小刻みな震えが止まらない。
 寒さが痛さにすり替わる。視界が黒く染まり意識が白く濁る。
 ざあざあと止まない雨。次第に痛さすら感じなくなってきた。
 そして、日向に寝転がって微睡むような幸福感が全身に広がってくる。
 ざあざあ、びうびう、荒ぶ雨音さえも心地良い。
 眠りに落ちるように意識がすう、と落ちていく。
 嗚呼、これが死か。
 混濁した意識の中でそう理解し、思い出したように瞼を閉じる。
「わ、ちょっと! 大丈夫?!」
 完全に意識が暗闇の底に落ち切る刹那前に甲高い声と共に僕の身体が持ち上げられたのを感じ、僕は気を失った。


「チロ! フレアドライブ!」
 ギラつく直射日光。陽炎の揺れる熱世界に僕は居る。四肢に力を込めた前傾姿勢で牙を剥いて。
 彼女の指示。それが聞こえ、理解した刹那に僕は劫火を纏って猛進する。
 視界の先には紅い外殻を有した二足の虫。
「ハッサム、シザークロスで迎え討て!」
 『ハッサム』と呼ばれたその虫に少年が指示を飛ばすのが聞こえる。
 言下、そいつは両の鋏を交差させ重心低く僕を真っ直ぐ見据えてくる。
 肉薄。
 受身を考えない僕の捨て身の一撃と交差した斬撃が衝突する。
 結果は――
「く、戻れハッサムッ」
 ――僕の勝利。炎を纏いながら地面を滑る『ハッサム』が少年の持つ球体に戻っていく。
「やったねチロ! これであっちも残りは一体よ!」
 僕の後方で嬉しそうにそう言ってくる少女。そちらに振り向き短く啼いて応える。
 僕は彼女に救われた。風雨の中で僕を見つけた彼女は僕を抱えて走ってくれたらしい。
 僕が気を失う前に聞いたあの声と感覚は彼女のものだったようだ。
 そして彼女と共に行くことを僕は選んだ。彼女は良く接してくれた。他の『ポケモン』達も親切だった。
 知らなかった『わざ』も知った。あの恐ろしい雨を打ち消す『にほんばれ』というそれがそうだ。
 身体も大きく『ウインディ』と呼ばれる姿になった。
 彼女のおかげで僕は強くなった。もう雨は怖くない。
「行けニョロトノ」
 少年が出してきたのは黄緑の蛙。
 戦闘開始。
「よしッ! チロ、ソーラービーム!」
 指示の下、太陽光を力に変える。燦々と降るそれによって通常よりも早く攻撃に移れる。
 はずだった。
 しかし一向に溜まらない。
 気がつけば黒雲が空を覆っている。
「ハイドロポンプ」
 一転、猛烈な雨が降り注ぐ中少年の指示が響く。
 雨水が蛙の口元に集まっていく。
 次瞬、極太の水流が放たれた。
 迎撃は無理。躱そうと脚に力を込める。
 しかし濡れた地面に脚を取られた。
 直撃。
 衝撃に意識が押し流される。

 嗚呼、雨なんて大嫌いだ!!

@@@@@@@@@@

2000文字ぴったりです。
描写削りまくりで死にたくなりました><
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.18 )
日時: 2010/11/05 19:17
名前: 炎のごとく華やかに

【題名】 ネオンライト
【部門】 A
【テーマ】 橋



届いた茶封筒の通知に淡くなった期待で手に取り、糊付けされた封を慣れた手つきで切る。
街角の片隅に押しやられた喫茶店は夕方という時刻の為か客で賑わい、カウンターの間の前にはマスターが酒を調合を始め、
暗い照明の店のど真ん中では顔も名前も知らないミュージシャンがギターで旋律を奏でている。
スーツを着た女性がこのような店でくつろぐには、どちらかというとまだ早い時間帯なのかもしれない。

薄っぺらの封筒にはB5サイズの紙が一枚入っている。お決まりの明朝体の文面を明かりに翳して読んだ。

―― この度は当社への面接に御足労いただき、誠に有難う御座います。
    今回の採用試験の結果についての報告ですが、まことに不本意ながら不採用とさせていただき…

もうそこで彼女は読む気力を失った。
それぞれの会社の通知は全て似通った表現と文章を連ね、そのいずれもが「雇えない」という主旨を述べている。
力無く仰け反り、重くなった気分を含んだ上半身をまるごと椅子の背に預けた。用無しになった通知を捨てる様にテーブルに放る。
目の端でマスターのにこやかな表情と、手にしている清涼飲料水が映った。注文した梅酒のサイコソーダ割である。
乱雑に置かれた封筒と書類を片付け、厚紙の下敷きをおいてグラスを彼女の前に置いた。氷と氷が澄んだ音を立てる。

  「また駄目だったのかい?」
  「ええ…」

テーブルの上に突っ伏して彼女はさらに付け加えた。

  「もう最低な気分だわ」

そうかい、とマスターは苦笑混じりに答える。彼女は大好物の梅酒に手を伸ばし、乾ききった喉を潤す。
アルコールの中に隠された炭酸飲料を口に含む爽快感をしばらく味わった後、グラスを通知の上にいったん置いた。
外の通りで走り去るバイクのエンジン音が低くうなった。マスターは洗い場に溜まったグラスと皿を磨いていた。

  「そう沈みなさんな。この不景気じゃ仕方のないことさ」

マスターの励ましも今の彼女にとっては気休めにしかならなかった。頭の中に焼きつくのは失敗した会社の記憶だけだ。
人を採用するに、何故こうも目の粗い篩にかけられねばならないのだ。
始めは意気揚々と面接官の問いかけに答えてきた自分だったが、不採用が連続すると気負いが重なり、またそれが積み重なる。
悪循環は巡った。客のざわめきも、ミュージシャンのギターも段々耳障りになってくる。

  「お客さん、今日はサービスしてやるよ」

遠い旋律の中で急に囁かれたマスターの声にびくりと反応した。梅酒のほろ酔い気分が一気に醒めた。

  「え?お勘定のこと?」
  「ああ、違うぜ。最低な気分のお客さんにはとっておきのサービスだ」

マスターは腕時計を見やり―― ふむ、そろそろだな と呟く。


喫茶店に面する狭い通路には冬のビル風が吹きぬけ、そこを歩くにはいささか寒すぎる。
高層ビルが立ち並ぶ印象を持ったヒウンシティにしてはやけに物寂しい。喫茶店は街の影にひっそりと在った。
冬の海には季節を問わず船が出入りし、自分と同じスーツを着た者が街中を行き来している。
今、私と同じような就職難民はこの中に何人居るだろう。人混みの中を歩くたびにそう考える癖がついていた。
もう時刻は会社が終わる頃合だった。彼女はマスターの言葉を頭の中で復唱する。

―― 南のスカイアローブリッジに入ってすぐの階段を37段登りな。そんでもって後ろを振り返るんだ。

四本の搭で支えられたイッシュ最大の橋と云われているが、登ったことは一度もなかった。

橋の階段から真上は深い紫色の空が広がり、天頂あたりには等星の低い星が仄かに煌いている。
風はさっきより一層と冷たくなり、登った階段の数を忘れてしまいそうだ。弛んだマフラーをもう一度締めなおし、冷気を防ぐ。
やけに中途半端な階段の37段目は橋の踊り場に当たった。数えた事があるほどよく来る場所なのかと思い、言われた通りに振り返る。

  「あ…」

最初に目に映ったのは何の変哲も無いヒウンの街並みだが、日が沈むと同時にその景色は一瞬にして姿を変える。
一つ一つのビルに様々な彩りの明かりが灯り、それと同時に橋の道路に備え付けられたライトも輝きだす。
ただの夜景にしてはやけに心を打つものがあった。きっと芳しくない就職活動に押しやられて自分の視野が狭くなっていたのかもしれない。
知らず知らずのうちに目の前の現実を恨んでいたのかもしれない。自分が臨もうとしていたこの街にはこんな綺麗な姿があったというのに。

あのマスターはきっとそれを見越してこの場所を教えてくれたのだろう。
彼女はしばらく、冷たく吹き付ける風を忘れて橋とビルが作り出す光の芸術に圧倒されていた。しばらくすると胸ポケットの中の携帯電話が震える。
取り出して画面を見ると、マスターからのメールが届いていた。

―― 俺のお気に入りの場所はどうだい?

彼女はふっと笑みを浮かべながらすぐにキーを打ち、返信のボタンを押す。

―― 最高よ



総文字数1999文字です。
ショートショートって結構難しい;
メンテ
3276文字 ( No.19 )
日時: 2010/11/05 21:46
名前: 夢はいつも儚げに

【題名】ハイリンク―夢繋―
【部門】C
【テーマ】橋



「この橋をいけばどうなるものかー」
尊敬するあの人に良く似た声で誰かが叫んだ。
だから俺は一瞬で悟る。
こいつは夢だと。

いや、もっと早く気付くべきだった。
何故なら、俺が渡っている橋はとてつもなく長い。
向こう側が霞んで見えないほど長い。
その上曲がりくねっている。
無駄に右へ左へと蛇のようにカーブしている。
現実にこんな橋があるわけがない。
労力の無駄だし費用の無駄だし、何より安全性が不安な気がする。
いや、俺が知らなかっただけで、今時の建築技術は意外と進んでいて、もっとおかしな形の橋でも作れるのかも知れない。
などと考えてみたが、やはり色々と無駄だ、こんな形にする必要はない。
夢なのだろう。

ふと思う。
これが夢だとしたら、自分は何処へ向かっているのだろうか。
「危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となる」
それはつまりあれか。
その続きとなる言葉を声と重ねる。
「迷わず行けよ、行けばわかるさ」
何処へ続いているのかなんて解らないけれど、そんなものは行って見なければ解らないではないか。
それに、どうせ夢なのだ、別に死ぬわけじゃない。
行くだけ行ってみればいい。
例え後悔したとしても、その頃には目を覚まし、きっと全てを忘れているだろう。
ならばと、俺は足を進める。
行けば解るさ、行かねば解らぬ。


橋……なのだから、下は恐らく河であろう。
恐らく、と付けたのは、何せ橋桁を見下ろしても、深い霧がかかっていて様子が解らないのだ。
ポケモンの技、霧払いがあれば良いのだが、所詮はゲームの話である。
実際にポケモンが存在したら襲われそうで怖いので下を確かめるのを諦めると、今度は上を見上げてみる。
せっかくの夢なのだから、綺麗に晴れてくれれば気分も良いものを、何故か灰色の曇天が覆っていた。
夢なら思い通りになるんじゃないかと思って念じてみる。
特性日照り、日本晴れ。
だが空は相変わらずの曇り空。
融通の利かない夢だと愚痴りながら、諦めて進む。

また少し進むと、何処からか泣き声が聞こえてきた。
声からすると女の子であろうか。
霧は橋の上まで昇ってきており、視界は悪い。
そんな中で泣き声だ。
はっきり言って気味が悪い。
そう言えば、さっきのあの人似の声は誰のものだったのか。
周りには人は居なかったと思うが、夢に現実性を求めても仕方がない。
きっと天の声的なものだったのだと決め付け、先に進む。
だが、天の声にしては可笑しい。
泣き声は近付いてきているように思えた。
いや、確かに近付いてきている。
霧の中で反響して聞こえる泣き声に混じり聞こえる足音。
それは俺のすぐ後ろから聞こえるものだった。
ぺたり……ぺたり……一歩ずつ確実に迫ってきている。
背筋が凍り付くようだった。
やがて、足音が止まった。
俺の真後ろで。
振り向いて正体を確認するべきなのか。
それとも全力で逃げるべきではないのだろうか。
だが、俺はそのどちらもしない。
いや、出来なかった。
恐怖に凍り付いた身体は俺の意志など受け付けようとしない。
俺の身体はもはや指一本どころか呼吸さえもままならなくなっていた。
迫り来るソレに襲われて死ぬのが先か、窒息して死ぬのが先か。
これは夢だ。
自分に言い聞かせる。
だが、これは本当に夢なのだろうかと言う疑問が沸いてくる。
胡蝶の夢。
普段の生活こそが実は夢で、今この世界こそが現実なのではないか?
息苦しい。
脳に酸素が足りない。
頭の中が真っ白になっていく。

そんな時に誰かの声を聞いた。


『―――――い』


「え?」
「おなかいたい」
女の子が俺のシャツの裾を引く。
小学生低学年……くらいの女の子だ。
ようやく身体が動く事に気付き、大きく息を吸う。
まるで空気を貪るように呼吸を荒げる。
そうすると少しだけ頭がすっきりした。
なんとか落ち着きも取り戻し尋ねる。
「……君は?」
「お腹痛い」
だが女の子は片手でお腹を押さえたまま俺のシャツを引っ張る。
「ぶつけたの?」
俺が聞くと女の子は首を横に振る。
「もっと……中の方?」
そして不安そうに答えた。
中と言う事は、外傷などではなく病気のようなものから来る腹痛だろうか。
病気から来る腹痛であれば、ここが痛いとはっきり認識しにくいであろうし、不安にもなるであろう。
「参ったな……」
こんな橋の上に医者などいるはずもない。
戻るにも進むにも霧でどれだけの距離があるのか解らない。
途方に暮れていると、どこからか一人の老人が姿を現した。
初老の髭を蓄えた老人。
なぜかジェントル的な燕尾服に身を包み、手には魔法少女的なステッキである。
どうした俺!?
これが夢だとしたら、このジェントル魔女っ娘ステッキおじいさんは俺の想像から生まれたことになるのだろうか、やっぱり。
いや、それよりも何処かで見たことがあるような……
「どうしましたかな?」
老人が尋ねる。
「このがお腹が痛いんだそうです、病院はありますか?」
「いいえ、この先に病院なんてありませんよ」
老人はそう答えると、女の子の前に屈み込む。
「病院へ行くならこの橋を戻った方が早いでしょう」
老人は女の子の様子を伺いながら言った。
「ありがとうございます」
老人に礼を言い、女の子の手を取る。
「歩ける?」
辛そうにする女の子は首を横に振り、そのまま地面にしゃがみ込んでしまった。
「歩けないのなら背負って行くか……」
だが、この長い橋を女の子を背負って走れるだろうか。
夢だから当然なのだが、時間の感覚はなく、どれだけ橋を歩いてきたのかは想像もつかない。
「ふむ、この子はわしが看よう、おまえさんは病院へ急ぐと良い」
俺が女の子を背負って走るよりは一人で行って救急車を呼んだ方が確かに速いであろう。
女の子は老人が看ていてくれると言うなら、それに甘えよう。
「すぐ救急車を呼んできます」
俺は答え、女の子の手を離すと駆け出した。


思えばおかしな夢だった。
たかが夢なのかもしれない。
でも、俺はこれを夢とは思っていない。


目を覚ました時、なぜか母が泣いていた。
自分は知らないベッドに寝かせられ、目の前には晧々と輝くライトがある。
ドラマとかで見るようなやつだ。
手術室の中にあるようなライト。
慌ただしく右往左往する医者達に、そこが病院であることを知る。
あぁ、そうだ。
そして思い出した。

俺は車に撥ねられたのだ。
目の前の女の子が赤信号で道路へ飛び出した。
そして思わず飛び出し……
そして一命を取り留めた。
一度は呼吸すら止まり、絶望的な状態であったらしい。
「逝くな、戻ってこい」
医師のその言葉に引き戻されるように呼吸を取り戻し、安定へ向かった。
あの女の子はどうなったのかと尋ねると、看護師は顔を伏せた。
事故の衝撃で内臓をやられ、病院に搬送されるもまもなく死亡。
結局、助けられなかったのだ。
お腹が痛いと訴えた女の子を思い出す。
あの橋は、きっと三途の川に掛かる橋だったのかもしれない。
助けるチャンスはまだあった。
俺はあの時、女の子を引き摺ってでも連れてくるべきだったのだ。
確かに夢だったのかもしれない。
俺が何をしたところで、現実は変わらなかったのかもしれない。
誰かに話したら笑い飛ばされるような話だ。
だけど、俺は、あれが女の子を助ける最後のチャンスだったのだと思っている。
まだ助けることができたのだと後悔している。


最後に付け足す。
俺の祖父なのだが、祖父も俺がまだ小さい頃に交通事故で亡くなっている。
俺への誕生日プレゼントに、当時流行っていたアニメの玩具を買いに行った帰りに。
その為、祖父の記憶はあまりない。
退院してから思い出したのだが、劇団員だった頃の写真に写っていた祖父は、多分それが衣装だったのだろう、燕尾服を着ていた。
それから、祖父が最後に買ってくれた玩具のステッキは、まだ押し入れの奥にしまってある。






@@@@@@@@H@@@@@@@@@

2000字に収まらなかった、とだけ。
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.20 )
日時: 2010/11/06 00:11
名前: NOTロリコン

作品タイトル:平凡シンパシー
部門:A
テーマ:橋



 『平凡』という言葉の類語を探すと割と多く出て来るもんだ、『天才』を探すと比較的少なく『平凡』の半分ぐらいで、『馬鹿』を探すと『平凡』の二倍ぐらいある。
 見下されるたびに倍プッシュされているのだが、やはり人間も生物の本能的性質上排他的な一面が見え隠れした結果なのかねー。
 でも考えてみろよ。人ってさ、人を褒めるときより貶す時の方が勢いが籠ってて、何となく活き活きしてないか。
 いやこんなこと言ったら世間体と言うか常識的良識的普遍的に人としてまずいんだろうけどさ、生憎俺は『平凡』だから音楽室にあるアレ(後で調べて『メトロノーム』と分かった)のように感情や意見がチックタックするわけ。
 ポケモンスクールの成績は中の上の低、分数で言うと30分の13くらいだ。どうだ、的を射てる表現だろう。
 どうでもいいけど今の番号、俺のライモン第三ポケモン育成ハイスクールでの成績の順位。部活動での100m走の記録は47人中23位、『平凡』と言わずして俺を他に何と言う。

 『天才』過ぎても『馬鹿』過ぎても疲れるのだ、やっぱ『平凡』サイコー。
 そんな平凡な俺は今日は部活が無いので西に傾き始めた太陽の光を浴びながら、ホドエモの跳ね橋を渡っているところだ。
 明るいな。この自転車のライトが『平凡』だとするならば、太陽は『神』だね、ゴッドだね。
 いつもと違った気分で帰路についている俺が最近流行りのアニメのオープニングを口笛で奏でている最中、そいつは突然訪れた。
 いやいや、訪れたという証言は適格ではないかもしれない。『平凡』な俺でもそれぐらいの語彙力はあるつもりだ。



――如何にも取り柄が無さそうなポケモンが、捨てヨーテリー見たいにダンボールに入れられて置かれているんだが……あっ、なんか火噴いた



 まあだからと言って別に俺の自転車の運動エネルギーがブレーキによって熱エネルギーに変換されるかと言うとそうではなく、そのまま運動エネルギーを保ち続けた。
 互いに互いを見た瞬間に分かった。何て言うか、凡庸同士の何かが一致した感じ。
 あぁ、こいつも平凡なんだな――ダンボールに入って捨てられたポケモンにそんなこと考えられたのかと思うと何か少し腹が立つが、感じたものは仕方ない。

 俺はそのまま自転車を走らせ、特に迷うことも無く家へと帰った。
 これで俺に文句を言える奴がいるなら言ってみやがれ、人間ってのは第三者視点にいると偽善者になって自分だって出来もしねー事を無責任に言い放つ生き物だからな。当然、俺だって政治家や教師に同じような感情を抱くことがあるさ。
 人間は身勝手な生き物だ。だからあんな風にポケモンを捨てるし、面倒だから拾わないで放っておく。
 ベッドに項垂れるように飛び込んだ俺は十分ほどぐーたらし、本日の数学の宿題を終わらせるべく机へ。
 俺の平凡さはここでも発揮される。分かるのは基礎問題の第三問目ぐらいまで、その後は時々分かる、応用になると極稀に分かるレベル。
 いくら考えたってわからねーよ。あとは明日ジュースでも掴ませて見せてもらおう。

 ……布団に寝転がっていたら寝てしまっていたのか、窓の外はもうすっかり暗くなっていた。
 紫色の空を隠すように鉛色の雲が覆いかぶさっており、灰色のシートから零れる水滴がしとしとと旋律を響かせる。
 何かを考えるより早く、タイミング良く晩飯に呼ばれた。今日の晩飯は秋刀魚のムニエルにシジミのみそ汁、白米、何とも『平凡』な献立だねぇ。
 早いとも遅いとも言えない早さでそれなりに良く噛んで食事をしていると、外の雨の音が一気に激しさを増す。
 あーやだやだ、今日は早く帰ってこれてマジで正解だった。部活があったらこんな雨の中帰ってくる羽目になって、しかも途中で雨に打たれるあいつに……あいつに……
 どうしてんのかな、あいつ。俺が言うのもなんだけど、あんな見てくれも存在感も『平凡』な奴を、誰かが拾ってくれるとも思えない。
 くっそ、何で俺があんな奴のことで悩まなくちゃいけないんだ。別にあいつとはただ橋ですれ違って、一瞬目が合っただけじゃねーかよ。
 なのによ、なんだって俺は今玄関に居るんだ? そんでもって何で両親の制止を無視して傘持って走り出してるんだ?
 わからねーな。『平凡』の俺が行うにしては、少しアドベンチャー染みた行為じゃねーの?

 橋に行ってみると、あいつは相変わらずそこにいた。さっき見たより、弱々しく震えていた。
 自転車のスタンドを立てた俺はダンボールへ近づき、そいつの上に傘をかけてやった。
 何故か薄ら笑っている俺が何も言わずに踵を返すと、そいつはダンボールから出て後ろについて来た。
 俺は自転車に跨らず、手で押しながら、『平凡』同士傘に入って帰路につく。
 こんなの『平凡』な俺のキャラじゃないんだけどな。何でだと思う?

 そう、俺は感じたんだよ。『平凡』同士のシンパシーってやつをな……


〜 FIN 〜



 ようやくA部門に出せた。丁度2000文字、何とかなるものだ。
 今回はと言うか毎度だけど一人称小説で、主人公が何ともまーやる気無い奴と言うか、テンプレ染みた奴だねー全く。
 作中に登場したポケモン、アレは皆おなじみ『クイタラン』です。不憫ポケモンの座を手に入れた掲示板のアイドル。
 前半後半全くつながりが見えないね、そうだろう? 俺も見えない。自分で自分が分からない。
 まぁ平凡に生きるのもいいけど、やっぱり夢を持って活力を持ちたいね。前に出した奴と今回の、何か正反対のベクトルだなー。
 俺的には、この主人公も何となく好きなんだけどね。
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.21 )
日時: 2010/11/06 01:03
名前: 乃響ぺが

 A部門
 テーマ:雨
 タイトル:愛をもっと。


「おじゃましまーす」

 酷い雨から逃げ込むように、私はショップ・シャクティに入る。いらっしゃい、と声をかける店主のジーコさんが、リラックスチェアでくつろぎながら、新聞を読んでいた。
「あぁ、ラブさんか」
 ジーコとかラブとか言うのは、ネット上のハンドルのことだ。私とジーコさんは、ネット上の小説投稿掲示板で出会った。仲良くなるうちに、意外と通っている学校の近くに住んでいることを知る。
 インド風、エスニック調の服飾品を売る店を経営していて、初めて入った時から、私はオレンジ色の不思議で非現実的な空間に心を奪われ、何度も通っている。客が入るところを殆ど見たことがないが、大丈夫なのかと尋ねると、これは副業だから平気らしい。株に成功し、余りに余ったお金で好きな空間を好きなように形成しているのだ。きっと今も、東証一部に並ぶ企業たちの数字を睨んでいるに違いない。
 毎日服装が違う彼だが、いつもとは打って変わってポロシャツを着ていた。正直言って、おじさん臭さが強調されて、あまり好きになれない。普段の、店と同じのエスニック調のゆるい恰好の方がいいのにな、と思った。
「寒いですねぇ、今日も」
「そりゃあ、11月だからなぁ」
 新聞をめくり次のページを開いたところでドッグイヤーをして、カウンターに置く。

「時にラブさん、11月は何の秋だか分かるかい?」

 時々彼が投げかける、不思議な問いかけ。答えは人それぞれだが、物書きのはしくれとして、面白い発想を探してみたい。が、
「……スポーツの秋、は10月だし、食欲の秋、あたりですかねぇ」
 いくら考えても、その程度しか浮かばない。最近はいつもそうだ。調子が悪い。
「なるほどね」
「月並みですけど」
 私は言い訳して、苦笑する。

「俺なら、読書の秋、って答えるな」
「どうしてですか」
 思いの他、彼の答えもシンプルだった。彼は笑って、紙とペンを取り出す。黒い字で、November、と書く。それに矢印を描きながら、説明を加えていく。
「11月。これのbを、縦棒と丸、つまりlとoに分けて、さらに並べ替えると」
 Novel moreの文字が浮かび上がる。

「小説をもっと、だ」
「なるほど」

 こういうことをよく考え付くなぁ、と思う。そういう発想が私にはなく、尊敬する。
「まだラブさん、企画投稿してないよね。今回書かないの? 締め切り、明日じゃん」
 何気ないつもりかもしれないが、私の心臓をぐさりと突き刺す一言だった。企画というのは、期間内に、掲示板の色んな人が一つのテーマに対して短編を書く、というものだ。参加しないのもつまらない。かと言って、下手なものを書いて出しても、自分の為にはならない。ちゃんとしたものを書きたいのに、何もアイデアが降って来ない。今日の雨に似て、べとべとして暗い気持ちに囚われている自分がそこにいた。
 素直に私は想いを打ち明けてみる。

「全然アイデアが浮かんでこなくて。それに、自分の文章に自信が持てなくて、こんなのでいいのか凄く不安になるんです」

 連載中の小説も、いつもより更新ペースが落ちている。色々な人の文章を読んでいるうちに、自分の文章が分からなくなっていた。
「そっか」
 彼は立ち上がり、色のついた奇麗な石のアクセサリーの棚を眺める。

「等身大の自分、でいいんじゃないの」
 石を手の平で転がした。
「自分以上のものは表現できない。表現の限界がそこにあるのなら、自分が色んなことを知って、色んなことを考えられるようになればいいんだと思うよ」
「それが出来たら苦労しないですよ」
 私は笑った。
「ホントだよね」
 ジーコさんも、笑っていた。
 しとしとと雨は降り続く。

「そこまでストイックになれたらいいんですけどねぇ」
 私はため息をついた。
「そうだねぇ。でも大事なのは、案外ストイックとかそういう事じゃないのかも知れないよ」
 ジーコさんは角の取れたサイコロのように磨かれた、真っ黒な石を手に取る。
「トルマリンって言ってね、感受性を高めてくれる石らしい」
 それを受け取って、私はまじまじと見つめる。すこしホコリがついているのが気になった。
「日本語じゃ電気石って言って、静電気を帯びる性質があるみたいなんだよ。パソコンいじる時に電磁波を和らげてくれるってさ。ネット小説家にはもってこいだ。安くしとくよ」

 700円ちょっとのトルマリンを、500円で売ってくれた。
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます……あ」
「どうした」
「何か書けそうな気がする」
「いいじゃないか」
 頑張れ、と声をかけてくれるジーコさん。私は胸を張って、はい、と答えられた。
「あ」
 店を出るとき、言いそびれていたことを思い出す。
「今度は何さ」
「そのポロシャツ、あんまり似合ってないですよ」
 その瞬間、ジーコさんは目だけを逸らし、何やらいたずらがばれたような顔をした。

「いいセンスだ」

 彼はそう言って、私を見送った。




メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.22 )
日時: 2010/11/06 12:33
名前: はっぱさん

《題名》雨上がり昼下がり
《部門》A
《テーマ》雨



 悪い時って悪い事が重なるもんだ。
 例えば、今日は授業が半日だった。
 用事もあったのでさっさと帰る事にする。
 そうしたら傘が盗まれた。
 傘立てに入れたはずの傘が何故か無いのだ。
 違うクラスの傘立てに俺のと同じ傘が何本か混ざっていたが、コンビニで買ったビニール傘なので、同じ傘だが俺の傘である保証はない。
 そんなわけで、俺は傘を諦め、雨の中走って駅へ向かう。
 もちろんずぶ濡れになった。
 制服はもちろん、中まで水浸しである。
 タオルなど持ってるわけもなく、髪から雨水が滴っている状態で立ち尽くす。
 見事に乗り遅れた。
 次の電車まで一時間。
 びしょ濡れの俺を避けるように通行人が歩いていく。
 思いっきり目立ってるのがまた恥ずかしい。
 時間を潰すにもこのなりではコンビニにも書店にも入りにくい。
 だからと言って、このまま駅で晒し者になっているのも勘弁だ。
 とりあえずトイレにでも行って制服の水気を絞ろう。
 そう思って踵を返した、その時だった。
 本日最悪っぽい出来事が俺を襲う。

「あ」
「……」
 バッチリと目が合ってしまった。
 それがクラスの奴とかなら、全然ましだ。
 全然ましと言う言葉は無いらしいが、本当にましな方だ。
 中学の時に好きな人がいて、卒業の時に告白したのだが、見事なくらいに玉砕した。
 仲は良かったと思う。
 三年間同じクラスで、たぶん一番よく話していた。
 それでもふられた、その相手が目の前にいた。
 彼女とは高校は違うが、高校の場所は近いため、今でもたまにすれ違ったりする。
 だが、お互いに避け合う感じで、卒業から二年以上話した事もない。
 最悪だ。
 こんな姿は見られたくなかった。
 今でも好きだったから。
 水浸しの格好が情けなくて、そして、彼女がこんな情けない奴の知り合いだと思われたくなくて、何も言わずにその横を通り過ごす。
 人混みの中に消えてしまいたいと思ったが、皆がずぶ濡れの俺を避けるため、そうはならなかった。

 本当に……最悪だ。

 そう思った瞬間、頭の上にそれは降ってきた。
 真っ白なスポーツタオル。
「なんて格好してるのよ、あんたは」
 二年ぶりに掛けられた声、二度と掛けられるはずのなかった言葉。
「傘は忘れたの?」
「……パクられた」
 惨めなのと嬉しいのと、どちらが大きいのか計りきれなくなり、涙が溢れそうになって、彼女に背を向けたまま呟く。
「あっちゃ……そりゃ運が悪かった……て言うかパクり返せばよかったのに……」
 それが出来るあんたじゃないけどね、と笑いながら乱雑に俺の髪を拭く……と言うか掻き回す。
「つーか、背伸びた? 髪拭きにくいんだけど」
 二年前はそんなに差がなかったはずの身長が、今は頭一つ分くらい違う。
「え……そうかもしれない」
「いや、拭きにくいから屈めって意味なんだけど……はい、終わり」
「あ……ごめ……」
「より先に言う事ない?」
 彼女は俺が言い終わるより先に釘を刺す。
 そう言えば、昔からそうだった気がする。
「……ありがとう」
「よろしい」
 彼女は道端にタオルを絞るとそれを投げて渡した。
「服も拭いちゃいなさい」
「ありがとう」
 俺は制服の水気を吸っては絞るを数度繰り返す。
その途中で彼女が尋ねてきた。
「あんた、今日暇? あたしさ、買い物に行きたいんだけど」
「うん、暇」
 そう言えば何かあったかもしれないが、即答で返す。
 彼女に比べたら大した用事じゃない。
「よし、じゃあ付き合え」
「わかった、タオル貸してくれたお礼にどこまでも付き合おう」
 俺達は笑う、二年前と変わらず。
「お、雨止んだかな?」
「止みそうだね」
 色々とあったが最終計算プラスで。
「じゃあ行こ」
「どこ行くの?」
 雨上がりの空、昼下がりの街。
「てきとー」
「へ?」
 俺達は歩いていく。








HHHHHHHHHHHHHHHHHHHH
構想5分
執筆45分
ごめん、許してw
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.23 )
日時: 2010/11/06 18:13
名前: モンロー

題名【きんのたま物語】
部門:B
テーマ:橋


イッシュ地方中心部の都市は2本の大きな川に挟まれている。そのため、西東の街と、中心部の大都市をつなぐ橋がいくつか架かっている。
川は下流になるほど川幅が一気に大きくなるから、その分長く大規模な橋をかけなくてはならない
その中で最も長さがあり、象徴的な橋はスカイアローブリッヂ。まだ人々の記憶に新しいが、大規模、そして大都市と交通するところからイッシュで最も有名な橋であるのは間違いない。
ところで、スカイアローブリッヂが架けられる以前はどうだったか、もちろん、孤島として存在したまま今日のヒウンシティは成り立たない
そこには、今はもう古くなりその名前を知る者も少ない、橋があった

そして、その橋は、男にとって屋根だった

「ぅんん……ぐふぁあああ」
男は大きくあくびをすると伸びっぱなしのひげがほのかに揺れ、雑誌や新聞などのものを踏みつけながらテントの外へ出た。
テントは、アウトドア用に彩り鮮やかにデザイン、コーティングされたものではなく、直方体の骨格にしわのある青いビニールシートをかぶせ、ところどころガムテープを使って形づくられたようなものだった
着古した肌着、白髪の入り混じったちりちりの髪の男が黒いダウンをはおって、自然風景の川岸に現れる。

男は、芝生の上に立ち、景色を眺める。大きな屋根が阻んではいるが、小さな雲の混じった淡い青色が空に広がり、水面は朝日の光を乱反射させ不規則にキラキラ輝きながら遠く広がっている。
水面からは、丸く平らな土台がいくつも突き出し、そこからは滑らかなアーチを描くコンクリートがそれぞれにつながり、橋となっていた
水面をこえた橋の向こうには、大規模なビル群がうっすら輪郭を形づくり遠くにそびえているのがみてとれた

男は2、3回深呼吸をした後、大きく背伸びをして体を左右に振っあと、回れ右をしてまた歩きだす。視界に入るのは自分の家、芝に覆われた小高い丘、そして小さな丘の上には黄葉したイチョウの木が10mほどの間隔をあけ、並んでそびえていた
男は、テントに向かって真っすぐ歩いて行きまた布団にもぐっていき、再び眠りについた

しかし、間もなくして男の目は覚めた、人の気配、そして足音。耳を澄ますと、テントの外で芝生を踏む足音が聞こえた。並んだテントよりちょっと離れた水際で忙しく右へ左へ歩き回っている
男は普段時間の感覚を意識しなかったが、このときは意識した。頭の中でおよそ5分が経過し、10分くらいがすぎた。
歩く経路は複雑になり、ときおり近づき、また遠ざかる
男は眼を閉じたまま、足音を注意深く聞いていた。右へ左へ奥へ何度も行き来した後、足音はテントに急接近してくる

「すいませーん」
高く響く若い少年の声が聞こえた。男は後頭部でその声を受けた
男は、寝息のような音で返事をした
「ズー。グォオ」
鼻で息をすいこみのどの奥をわざとらしく振動させる音
「……すいませーん。おっさん!」
「んー?」
呼ばれた。男は面倒くさそうに細く目をあける
立っているのは少年だった。明るく艶のある頭髪、地味すぎず目だちすぎない柄のナイロンジャケット。背はそこそこあるが顔立ちからして14〜15といったところだった
「なんだぁ?」
「おっさん、ここらへんで薄い円盤みたいなの、拾わなかった?ここらへん、昨日の夕方くらいなんか落ちてたよな」
寝ぼけた声、ふわふわしたしまりの無い言葉を、少年は早口に返した

「……えんばん?」

男は眼を細めた、しばらくの沈黙が生じる
少年は視線だけ動かしてテントの中を眺めた。生活必需品以外に、様々なガラクタが置かれている。ヘルメット、古いビデオデッキ、クシャクシャの雑誌、錆びたノコギリなんかも置かれていた
少年はそれを一通り見たあと、視線を上にやり下唇を噛む

「ひろったかもなぁ。それをどうするんだ?」
数分して、男はやっと口を開いた
「落し物だよ。持ち主に届けるんだ。持ってないのか?」
「知らんなぁ」
「……いや、持ってるだろ」
静かに言う少年
「なんでわかる?しらんぞ!」
男は、やや不機嫌そうな声で言う
「ちょっと有名な人がね、夕べここで大事なもの落としたんだよ。おっさん、何も知らないってことないだろ?」
男は上を向き口をポカンと開け何やら思い出そうとしている
再び長い間が空く
「そんなもんはねえ」
「それより、これ見てくれよ。きれいだろ?」
男は枕もとに置かれた金色のやかんを手に取った。どこかで強い衝撃を受けたのか、側面はへこみ注ぎ口がつぶれ、取っ手もとれてなくなっている、やかんと呼ぶには奇妙な形をしていた
「しらねーよ」
「兄ちゃんそんなこと言うなよ」
男はそう言い、よごれたタオルを手に取ると、その上に不純物の浮かんだペットボトルの水をたらし、やかんを丁寧にふき始めた。やかんは、何度も磨かれているようで、拭いて取れるような汚れはないように見えた
「……」
少年は口を閉じ、やかんを睨んだ
「ちょっと、その中見せてもらってもいい?」
「……ダーメだ!」
男は笑うように言った
「なんで」
「これはおれの大事なものなんだ」
男はヘラヘラと笑う。少年は少し不機嫌になった
「酔っ払ってんのか?ふざけないでくれ」
「ふざけてない。真剣だよ俺は」
「なんなんだよこいつ……」
少年はあきれた様子でボソっと言い放ったあと、少年は鼻で息を一度深く吐いた

「Yeah-he-he-hey! あーるーき出そう〜♪
Yeah-he-he-hey 走ぃーっちゃおうか!?」

沈黙の中、軽快な音声と伴奏がやや籠った音でテント内に響いた
少年は急いでポケットから携帯電話を取り出しテントから離れた

「もしもし」
「あ、すいません。寝坊しちゃって。これからすぐに向かいます」
携帯をポケットにもどすと、また男のもとへ行く
無言だったが、不満げな表情に落ち着かない態度。焦っている様子が見て取れた
「坊主。少し顔色が悪いぞ」
「……」
「本当に知らないんだな?」
少年は不安げにしばらく眺めたあと、命令口調で男に言い、去って行った。

(……)
(外の人間が訪れるなんて久しぶりだな。すこし、生意気ではあったが)

(いいかげん、ここも飽きたな。外に、出たい。出たくて仕方がない)

いつもなら男は二度寝しているところだったが少年のせいか眠れるような気分ではなかった、男は仕方なく廃棄処分されるところだったコンビニ弁当の入ったビニール袋を持ち外ににでて、川辺に座り込んだ。

「こんにちは!」
弁当を食べていると、男の背後から声が聞こえた。男は振り向く。淡いピンクのランニングウェア姿の、川辺の風景がよく似合うさわやかな風貌の女性だった。
「うん?」
「あのーこれ、おじさんのものですか?」
女性は、ウエストバッグからディスクが収められた透明なプラスチックケースを取り出した。ディスクは明るい黄色に光を反射し、多数の数字と記号が小さな文字で細かくホログラムで綴られていた
「お!それ、俺のもんだよ」
男は軽く答える
「本当?よかった」
女性はニコっと笑い、両手でディスクの入ったケースを渡した
「ありがとうな!いまお礼するから」
男は食べかけの弁当を置くとテントへと向かった
「お礼なんかいいです」
「ちょっと待ってろー」
女性は小さくほほ笑む
しばらくすると男がテントから出てきた。手には口のつぶれたやかんが持たれていた
「これは……」
女性はやかんを眺める。表面はピカピカの黄金色に輝いており、注ぎ口がつぶれているせいか、ふたをするとへこみのある金色の球体だった
だが、女性にとっては意味不明の物体でしかなかった。少し見た後、苦笑いを浮かべる
「き、きれいに光ってますね」
「当たり前だろ。毎日かかさず磨いてんだよ、おじさんのき・ん・の・た・ま だからな!」

「そうですか……」
急に女性の雰囲気が変わった。眉間にしわがより、脚が半歩下がる
「じゃあ……、あの、もらいます」
女性は震えた声で言い、やかんを受け取る。差し出す手も震えているようだった
とぼとぼと歩き小さくなる女性に男は笑顔で大きく手を振った
「ありがとなー!」

(いつもの景色が離れていく)
(私は、運ばれて、移動しているのか)

「困ったわ」
金色のやかんを手にして橋の上を困った顔で歩く女性の姿があった。いつもならこの橋は、川の自然風景を眺めながら気持ちよく駆け抜けるところだが、さすがに奇妙な形をしたやかんを持って堂々と走るわけにはいかなかった
「これどこに捨てようかしら。勝手においたら悪いことしてる気分……。もう、もらうんじゃなかった」
女性は困り果てた。やかんを見る。表面は確かに磨かれていたようでピカピカに輝く曲面に女性の顔が写りこんだ

(あまり、見つめるな……)

この橋は、イッシュ最大の都市、ヒウンシティの西側につながっている。
この地区はガイドブック等では語られない場所になっているが、というのも大都市にはよく見られる、治安が悪く小競り合いの多い地区のためだった。今のヒウンを作り上げた重要な交通路だったにもかかわらず、橋自体があまり知られていないのもそのためでもある

「ヘヘッ俺たち悪いっすね、兄貴!」
「ああ、最強のワルよ!」
路上駐車する真っ赤なオープンカーで男二人が謎の会話を繰り広げている
一人は出っ歯の痩せた男、もう一人は運転席に座っているリーゼントの革ジャンの大柄の男だ

「お、女がいますぜアニキ!」
出っ歯が、ランニングウェア姿の女性を確認した。困惑した表情でキョロキョロとあたりを見回している
「なんだ?俺は女に興味ねえって言ってるだろ!」
「すいやせん……でもなんか持ってますぜ」
「ん……おおっ!」
出っ歯が女性に指をさした。リーゼントは眼を細めてしばらく見ると大きく感嘆の声が挙がった
「あれはでかい金のたまだ!金になるかもな。よし奪うぞ」
「女のタマを奪うなんてすげー悪いっすね!」
「ゾクゾクしてきたぜ!」

「どうしよう」
女性は、とにかく手に持っているものを捨てられる場所を探していた。どこにでもさりげなく置けばいいと思っていたが、橋をわたったここはすべての場所が公共、あるいは誰かが所有する土地だった。もし注意されたら、と思うともっと恥ずかしかった。
「こんなものぶら下げて歩いてたら変に思われるわ」
「じゃあ俺たちがぶらさげてやんよ!」
小さく呟いた女性の側面から威勢のいい声がかけられる
女性は声がかけられた方を向く、真っ赤なオープンカーに男二人が女性を見てにやついている
「え!?」
「その金の玉をわたしなぁ!」
「はい」
女性はひょいとやかんを手渡した

「ヒャッハ!お嬢ちゃんの玉はもう俺らのもんだぜ」
「やったな!」
絶叫する出っ歯。叫び声が辺り一帯に響いた
「どうよ、知らない男にでかい金の玉を盗られたきぶんはよぉ!?」
リーゼントは太い眉を吊り上げ眼を大きく開きニヤついた
「あの、えっと……」
言葉に詰まる女性
「もう帰っていいぞ」
「は、はい」
女性はただちに走り去った

「すごいっす兄貴!こんな立派な金の玉初めてっす!」
「あんまベタベタ触るなよ。高価なもんだろうからなぁ」
ヒウンの道路をどこに向かうでもなく運転しながら、2人はただ上機嫌に笑っていた。
「でも、こんなものいったいどこで取引してくれるんすかねえ」
「そうだなぁ……博物館じゃないか?」
「へ?」
出っ歯は意外な回答に拍子ぬけした風だった
「あれだろ?博物館に鑑定団とかいて、アンチークとか買ってくれるんじゃねーの?」
リーゼントも若干自信なさげに語る
「はぁ〜……」
「とにかく行くぞ!」

(私の価値か、面白い)

ヒウンの小さな博物館
埃を薄くかぶった展示ケースに囲まれる中、やかんは大きなテーブルで紫の座布団にのり、分厚いメガネの老人にルーペで観察されていた
「ふむ…ほぉ。これは」
猫背の老人はやかんに顔を近づけ、いろんな角度から観察しながら、時々声を洩らす
「どうなんだ」
出っ歯とリーゼントの2人が部屋に入ってきた
「ただのスチール製のへしゃげたやかんじゃ。価値は1円もない」
「なんだとコラ!」
「んなわけねーだろコラ!どうみても金だぞ!」
「ただ、中にディスクが入っているようじゃが」
「ああ?」
老人はやかんのふたをとって見せた
「これじゃよ。技マシンじゃないかな?」
「なんだそりゃぁ?よくわかるように説明しろ!」
「専用の機械でよみとってポケモンに技を覚えさせるんじゃよ。こいつの中身はワシもよくしらん。エヌオー.72なんて書かれているが、まぁ詳しくないんでね。そしてここは骨董品を扱っておらん、ここはこども宇宙科学博物館ぢゃからな」
老人はやかんの底がよく見えるように中身を見せる。やかんの底には、中央に穴のあいた円盤があった。蛍光灯の光に照らされ、やかんの色とは若干異なる色調の黄色に輝いている。円盤はやかんの底の円形と直径があっていたらしく、やかんの底にピッタリはまっていた。
「マシン?俺らマシンは苦手なんだよぉ……がっかりだぜ」
「がっかりっすね兄貴」
「いらんならわしが処分しとこうか?」
「かまわん、中身ごと捨ててくれ」
リーゼントと出っ歯はそう言い博物館を後にした

間もなくしてやかんは暗い部屋に置かれたダンボールにただひとつ入れられた。
部屋には、やかんの入ったもの以外にも変色したダンボールがたくさん積まれている、人が出入りすることもほとんどなく、冷えた空気の中、ほこりが舞っていた

(ひどく、つまらない場所だ)

(もし、私にかつての持ち主のもとへ戻る力があるなら、戻りたい……主人のもとへと戻れる力が、欲しい)

(そういえば、私のかつての持ち主は大富豪だった。今はどうしてるだろうな。どうにかして戻れないものか)
突如。やかんはバチバチとはじける音とともに蒼く鋭い光をまとい始めた。
音と光は次第に強さを増し、やかんの外形が光で見えなくなるほどに明るくなった
その時ガチャ、と音がし、扉が開いた。同時に眼鏡の老人が物置に入ってくる
「さーて、燃えないゴミの日は今日じゃったな」

「消えたじゃと!?馬鹿な!」
老人は眼を丸くして叫ぶ
やかんを置いたはずのダンボールの底には焼け焦げた跡、そして黄色いイチョウの葉一枚が置かれているだけだった



「いいか!余計なことしやがったらこいつらの命はない!!!!」
近くに海の見えるとても豪華な別荘。叫び声がするのは外からよく見える二階のテラスからだ、野球帽にマスク、サングラスをした男が4人ほどかたまり、その中の一人、長身の男がマスクを顎まで下げ、ナイフを手に持ち地上に向かって乱暴な口調で叫んでいる。
男の前では、紳士風のなりをした立派なひげの男と淑女、そして子供が計6人口をふさがれ、ロープで手足を縛られている。
地上では、何人もの野次馬と警察が集まり、犯人たちと縛られた一家を悲惨そうに見上げていた
「無駄な抵抗はよせっ!きみたちの両親がこんなことして喜ぶと思うのかっ!」
若い警官が拡声器を持ち、額に汗を浮かべ叫ぶ
「俺らもむやみに人を傷つけたくはない!!!指定されたものを6時までに差し出せ。2億相当の金塊だ!!!逃走用の車も用意しろ」
「金塊は、ここにはない!」
「嘘をつくな!このブルジョワ家が財産を金塊にして屋敷のどこかに隠してあるのは知っているぞ!指定した場所を順番に探せ!無視すればこいつらの命は……」

命はない、と長身の男が言いかけたタイミングで、縛られた家族の目の前に、やかんが出現した
犯人たちはすぐさまがその存在に気づく
「金塊だ!」
犯人の一人が叫んだ
縛られた家族も単語に反応し、目をやる
「この大きさなら、純金だとすればひょっとすると2億あるんじゃないか!?」
3人の犯人はお互いに眼を合わせ、長身の男に耳打ちした
長身の男はしゃがみ、縛られた紳士風の男に聞く
「おい、ブルジョワ!これがお前らの財産なのか!?」
大量に汗をかき顔を真っ赤にしたブルジョワ卿は、小さくうなずく
「……わかった、いま家族を返す!車を用意しろ!」
少し考え込んだ後、長身が警官に向かって叫んだ。
犯人の一人が黄金と思いこんだやかんを持ち上げる、持ち上げるに余分な力のこもった腕は予想以上に高く持ち上がってしまった
「軽ーっ!やかんじゃないかこれ!」

(さわがしいな)

(景色はいいが、こうも殺伐とした雰囲気は好きではない)

(私が望むのはもっと愉快な場所……。そういえば、もっと昔は小さな双子のもとにいたな、私がつくったスープをよく飲んでいた。今はどうしているだろう)

やかんはバチバチと鋭くはじける音とともに蒼く輝く光をまといだす。同時に素手でやかんを持っていた犯人は強い電撃を食らったかのように悲鳴を上げ身悶えた。
「何だ!?」
「今よ!」
犯人がうろたえた瞬間を見逃さなかった女警官が4〜5つボールを投げ込むと、訓練された警察犬ガーディたちに一瞬で押し倒され、八本足の昆虫ポケモン イトマルの不思議な拘束糸にあっというまにからめとられ、動けなくなってしまった

10人もの人間がテラスで縛られ悶える中、黄色いイチョウの葉が1枚ひらひらと舞った




「ねぇ、ボクぅ」
「え、なんですか」
「どっちのぉ、おじさんのぉ、きんのたまが おっきい?」
そこは、薄暗いほら穴、浮遊する不思議な岩が青白く輝きながら散在し怪しい雰囲気を醸し出している中、ブルーのパーカーを着たキャップの少年が困惑した表情で2人の中年男にはさまれていた
すこし禿げた二人の中年男は、それぞれ右手に光り輝く黄金の球体を持ち、少年にわざとらしく見せつけている
「お兄さんのより、立派でしょぉ?」「弟のより、すごいわよね?」
「いや、あの……」
二人の中年男は一つ発言するごとに少年にずいと近づく。キャップ少年はどうしたらいいかわからずただ硬直するしかなかった
「みてホラ、さわってみていいわよぉ大きさ比べ」
「僕その急いでるんで……Nとプラズマ団追わないと」
落ち着きねっとりとした声の中年に対し、少年は震えた声で言った
「Nさんって誰?」
「ボク、そのNさんのきんのたまのほうがぁ、立派で凄いわけぇ?」
少年と中年オヤジとの距離がますます縮まり、少年の顔が恐怖でひきつる

(ここは……)
2人に挟まれた間。少年の目の前にやかんが出現する
「あ」
「なによこれ!でか!」
ねっとりとした声が突如野太い声に変わった
「この子のきんのたまのほうが半端なくでかいわ!!」
「キィー若い子に負けたわ!おじさんくやしい」
2人の中年男はその風貌からは想像できない高い声でうなりながらクネクネと悶えると悔しそうにどこかへ言ってしまった

「なんだこれ。いったいどこから出てきたんだ」
キャップをかぶった少年がやかんを不思議そうにじっと見つめる。ピカピカの表面に少年の顔が映った。素直に感情を表す、澄んだ瞳は好奇心で溢れているようだった
(ほう、この少年のカバンの中は居心地がよさそうだ)
キャップの少年はしばらく見つめた後、ためらいもなくやかんを拾い、青いショルダーバッグにつっこんだ、バッグはそれほど大きさがなくすでにごちゃごちゃと物で埋まっているようだったが、なぜだかすんなり入っていった。

それから、時間は流れるままに過ぎて行った

やかんは、少年の所有物としてカバンの中に長い間存在し、納まっていた
(……)

(あれから少年とともに旅をし、いろんな場所を見てきた。少年がチャンピオンになるのも見届けた。のは、いいのだが……)

そして、やかんはいま不思議な空間にいた。広いか狭いか、暗いか明るいかもわからない。物体が記号的に存在するだけの空間
(ここはさみしい……。そろそろ、戻るべきか。いろんな者のもとにいたが、最も居心地がよかった世界は……)
やかんは行くべき場所を想像し、いつかのように光を纏おうとしたが、うまくいかない
パチパチと弱いの電気は発生するものの、それ以降は途切れてしまう

(と思ったが、ここでは無理か)

やかんはその空間でただひたすら時間が流れるのを待つしかなかった
どれだけ時が過ぎたか、手掛かりや教えてくれるものはなにもない

膨大な時間が過ぎていく中。古くなったやかんは古いやかんとして変わらないまま存在するしかなかった
今という時で少年は存在しているのかも、もはや誰のものかもわからない

ピーピロリロピ
「ウホッ」
ふと聞こえる電子音と、男らしい男の声
(誰だ)
曇った表面に。眼鼻立ちの整った顔がぼんやりと映る。男はやかんよりもうっすら映っている自分の顔や体を見ているようだった
しばらく眺めたのち、男はボールからポケモンを出現させる、四本腕の全身筋肉隆々なマッチョポケモン。カイリキーと呼ばれるものだ
男はやかんを手渡すと、カイリキーの腰にぶらさがった大きな革のきんちゃく袋に入れられた

(勘弁してくれ。また、暗く狭い場所に入れられるのか)
(あら、新入りさん?)
やかんの側面にコツン、と固いものが当たる。きんちゃく袋にはすでに先客がいたようだ
(君は……)
(こんにちは、わたし、きんのたまのたまこ)
やかんよりふたまわりほど小さい黄金の球体に、薄汚れたやかんの姿が映った
(あなた、ずいぶんと旅してきたみたいだけどどこからやって来たの?主人はどんな人だったの?)
きんのたまはカチカチと軽くやかんにぶつかった
(私は、主人を何度も変え、転々としてきた)
(……)
(昔は、私は道具として使われ働いていた。あのころはよかった。しかし今、私は道具としての機能を失ってしまった、それからはどこへいっても退屈な世界、くだらない者ばかりだった)
(そう……)
(わたしもね、いろんな所を転々とした。道具として見られたことは一度もなかったけど、とにかくいろんな人に会ったわ)

それからはきんのたまとやかんの毎日が始まった
朝も、夜もやかんときんのたまは革袋の中で、カチカチこすれあった

(たまこ)
(なぁに?)
(私は、ときどき思うのだ。元いた場所にずっといるべきだったのだろうかと)
(ちがうわ)
革袋の隙間から洩れる光が一瞬強くなり、きんのたまはキラリと反射し輝いた
(わたしとあなたのいた場所。どれも、世界がちがう。時間の流れ、くらす人。慣れない世界は誰にとっても不安よ)
(……)
(でも、だからこそどちらかが勇気を出して出会いに行くことに意味があるの。私は流されるままだったけど、あなたはちがう世界を望んだ、だからこそ今私と出会うことができた。そんな気がするの。……うれしいわ、それが正直なキモチよ)
(そうか……)
(たとえ悲しい結果になっても、出会ったことを後悔しないで。望んだなら、あなたが移り生きてきた世界はどれも間違ってない)

その時だった、きんちゃく袋の口を締めていたひもがゆるみ、口が開かれた
カイリキーの巨大な拳が袋に侵入しきんのたまをわしづかみにした
(たまこ!)
(大丈夫よ。わかってたの。私、道具として初めて使ってもらえる)
カイリキーの手のひらにおさまったきんのたまは、肩より上へと上がっていく
陽の光がきんのたまにあたり、ぬらりと輝かせた。オレンジがかったゴールド、シルバーに近い明るいメタリックイエローに対し、影になる部分は暗く渋い輝きを放った
カイリキーは腰をひねり肩を大きく後ろにひくと、反動をつけ勢いよく腕を前方にまわし、折り畳んだ肘を一気に伸ばした
きんのたまは剛速球となり、一直線に飛んで行き、潰れるような鈍い音とともに標的のポケモンに命中した。
(そんな、なんてひどい!)
狂いのない球体だったきんのたまに派手なヘコみがひとつできた
(大丈夫。これが道具としてのわたし……)
跳ね返り地面に落ちたきんのたまをカイリキーはすぐさま拾い上げ、付着した血液や土も払わず再び標的に対し力のこもった腕で投げつける。ほんの短い数分の間、その動作は何度も続けられた
しばらくすると馬鹿力で何度も投げつけられたきんのたまはほとんど原形をとどめなくなっていた
(たまこ……どうしてこんな)
(私、もう長くないわね)
(そんな事を言うな)
(あなたとは、もう少し早く会えてたら……)
つぎの瞬間、地上に落ちたきんのたまに、ドテッコツによる凄まじい一撃が加えられた。金の玉は太く丈夫な鉄骨の重量と圧力にフルパワーで叩きつぶされあっけなく破裂し、中の空気が飛び出す音が響いた

「おいおい、人のもちものを壊すのは反則じゃないのか」
落ち着いた語り口でカイリキーの主人がしゃべる
「いい男が、飛び道具に頼るなんて困るな。肉体(カラダ)と肉体(カラダ)で語り合おうか」
そう言うのは、ドテッコツの主人のようだった
「そう焦るんじゃない、楽しませてくれよ」

カイリキーの拳がやかんに忍び寄る
(――逃げて!!!!)
(すまない、たまこ……!)

(私はこの先、存在する世界を変えても、きみ以上の存在に出会えるとは思えない。だから、違う世界を望むのはやめて、もといたなにもない世界に帰るよ。会えたのはうれしいが、もとよりここは、私のいるべき場所ではなかった。だから自分は道具としてそんなふうに使われておきながら、私には今になって逃げろだなんて言うんだろ?生きる世界をひとりで決めるには、私に勇気が足りないことを知っていたから、そんなことを……)

薄汚れたやかんは、眩い光をまとった
そして、カイリキーの掬った手には、黄色く染まったイチョウの葉が握られていた




たどりついた先は、川と橋のある自然風景。しかし、橋の下にテントはなく、平らな乾いた土とまだらな芝生の上に黄色く染まった大量のイチョウの葉が敷き詰められていた

(遅すぎたか……)

やかんは、橋の下の隅にぽつんと存在し続けた。
枯れ木となったイチョウの木はいつの間にか若緑の葉をつけていったが、やかんの表面はますます曇っていく
何人もの人が通り過ぎはしたが、古いやかんを磨こうとするものは二度と現れなかった



おしまい

10266字
いろいろ、ギリギリセーフであってほしい
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.24 )
日時: 2010/11/06 22:24
名前: ョン


題名【かわいいあの子】
テーマ【雨】

 あの子かわいい。あの子に声をかけよう。そう決めたのは、ある冬の雨の日の午前中のことだった。大通りから二本ほど離れた路地を歩いていると、赤色の傘を差しながら歩く私服姿のかわいい子を発見したのだ。この道をよく使うのだろうか。何故賑やかな大通りを歩かないのだろうか。どこへ行くつもりなのだろうか。僕はそんな他愛のないことを考えながら彼女の後をつけた。ミニスカートからスラリと伸びた足が綺麗だ。茶色がかった髪も、きっともの凄く綺麗だろう。顔はまあ、かわいいのが当たり前だ。そんなことを考えていると、いきなり声をかけるなんてあまりに唐突ではないかという疑問が浮かび上がった。驚かせてしまうのではないか、怒らせてしまうのではないか、嫌われるのではないか、逃げられるのではないか。そう思うと、僕は声をかけられなくなった。
 しばらく彼女の後をつける。彼女と同じ足を出し、同じ速度で歩く。雨のおかげで後ろの気配が消されているのか、僕がついていることにまったく気付いていないようだった。よし、と無意味に心の中でガッツポーズを決めてみる。決めてみて、自分が見ていることばかりに集中して、声をかけるという当初の目的を忘れかけていることに気付いた。いや、別に見ているだけでもいいのだが、ここはやはり声をかけておきたい。そうするべきだと思う。
 彼女が道を左に折れたことを知る。それくらいに僕は彼女のことをじっと見ながら歩いていた。彼女に倣って道を左に折れ、電信柱を五本程通り過ぎたところで、この辺りには大きな公園があることを思い出す。妙な形をしたオブジェが中心にのさばる噴水がありその周りには芝生が広がっているのだ。気取った風に洒落た場所で、カップルなんかが待ち合わせに使っているのだった。
 となると、当たり前の予感が僕の中によぎる。そう感じるとそう見えてくるのが不思議なもので、彼女の足がその公園に向かっているとしか思えなくなり、そして案の定彼女はその公園の中へと入っていった。人口的な林の中の舗装された道を抜け、中央部分へと抜ける。ああ、まずい。僕の予感が現実みを帯びてくる。芝生が広がる公園の中央にある噴水の前には、傘を差しながら一人の青年が立っていた。僕は予感を確信に買え、噴水の辺りが見える距離ある木にそっと隠れる。彼女はやはりその青年の元へと歩いていった。くそう、やはりそういうことか。あの子には彼氏がいるということか。ああ、なんたること。あんなかわいい子が、あんなどこにでもいそうなチャラチャラした奴と付き合っているなんて、これは一体どうしたことだ。
 いつの間にか身を隠すことも忘れてぶつくさと独り事を呟きながら彼女を見ていると、迂闊にも僕はあのチャラチャラ野朗に気付かれてしまったらしい。や、やばい! と思ったが、時既に遅し。僕のことを彼女に話したのだろう。彼女もこちらを振り向き、あっ! と驚いたように口をあけ、こちらへづかづかと近寄ってくる。うわあやばい怒られる! と一瞬逃げようかと思ったが、よく考えると別に逃げる必要はない。だってただあの子をじっと見ながら後ろをつけていただけで、不審者ではない! なので僕はこちらからも近づくように、堂々と身を乗り出す。すると怒ったようにむすっとした彼女のかわいい顔を、さらに真っ赤にし、力強く地面を踏みしめて近寄ってくる。ずん。と最後の一歩を僕の前で踏み、彼女は言う。
「もう、なんでパパがこんなところにいるのよ!」

 おわり
メンテ
Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.25 )
日時: 2010/11/06 22:47
名前: みどりこ

部門「C」
テーマ「橋」
題名「魔弾の射手」

 二つのマフィアの抗争は、北と南を繋ぐ橋の上で決着を着けることになった。

「奴らはボスの広い心を理解できなかったようです。こちらが要求したシマの譲渡、十億の示談金を出し渋り、徹底的に我らに反発するつもりです。
 その癖、お互いこれ以上の犠牲を出したくないだろうと、組の代表者同士の決闘で話をつけることを提案してきました。身の程知らずな連中です。
 ここまでの展開はボスの予想通り、このまま話を進めて構いませんね?」

 自分の右腕の話を聞きながら、ボスは黙々と最高級の料理を口に運んでいた。
 抗争中だからといって、マフィアのボスが家に篭っていたら周囲の人間はその組が弱っているものと判断する。そうなればビジネス関係にあるカタギの社長達も離れていってしまう。
 高級ホテルのレストランを貸し切り、一流企業の社長、人気演歌歌手を招いて盛大な食事会を開くのは、パフォーマンスであり、現代マフィアの新しい戦い方だ。
 
「……つきましては、我が組の代表者の選出ですが」

 こぶしのきいた力強く美しい歌声が会場に響いていた。
 初老の紳士は、ボスの無言の肯定を感じ取り、演歌が終わるのを待ってから話を続けた。
 まばらな拍手が辺りに散らばる。 

「私はシンを推薦いたします」

 シン――その名前が出た途端、フォークを握る丸い手が止まった。
 恰幅の良い体が震えたが、すぐにそれを隠すような、大きく体を仰け反らせる動きを見せた。
 老紳士はボスの動揺に気付かない振りをしていた。

「シン? 誰だそいつは」
「……彼は我らが抱える殺し屋の一人です。たかがヒットマンなど捨て置く物でしたね。失礼いたしました」

 使う側と使われる側。
 自分の中でその線引きを確かなものにするために、マフィアのボスは回りくどい話かたをする。
 それというのも、シンという男が殺し屋として特殊な経歴を持っていたからだ。 
 ボスはシンに対して慎重だった。

「我らとシンとの出会いは、もう七年も前になりましょうか、彼は鉄砲玉として我らの組に入りました」

 マフィアになろうという人間は屑しかいない。
 その屑に成り下がろうという向こう見ずな若者には、腕試しか、忠誠心を量るのか、鉄砲玉という役が与えられる。
 命令という引き金が動けば、言われるがまま標的の命を奪う、帰ってくることのない使い捨ての弾丸。
 命を省みない特攻を強要されるのが、鉄砲玉だ。
 鉄砲玉に成りえなかった若者は、無能と思われたくないのか、失敗を取り返そうと扱いやすい従順な駒となる。
 役目を果たし命を散らすか、逃げ帰り駒となるか、その二種類の人間をふるいにかけるのが鉄砲玉の試練だ。

「しかし、シンは役者が違いました。彼は与えられた無理難題をこなすどころか、他の鉄砲玉の標的まで、揚々と始末してきたのです。
 長くこの世界に身を置いている私ですが、己の命を試すような、この愚者と狂人の間を抜ける凶行は見たことがありません。
 手元に戻ってくる鉄砲玉など、前代未聞です」
「もういい。思い出した。あの小僧か」

 疎ましく思っているものを売り込む部下の語気をボスは苦々しく遮った。 
 老紳士は「失礼」と詫びたが、瞳には満足げな笑みを浮かべていた。

「そうだ。お前の言うとおり、奴は有能だった。前例の無い、鉄砲玉から殺し屋への昇格を決めたのもその為だ」

 どうでもいい話をするかのように、ボスは再び料理に食指を伸ばし始めた。

「しかし、奴は有能過ぎた」
 
 分厚い肉切れに、フォークが突き刺さる。

「七人の暗殺に成功した殺し屋は――悪魔となる。
 これは組織を知り過ぎた、手垢のついた殺し屋は始末しろ、という警告を意味した暗黙の了解だ。もっとも、七人を殺めるまで長生きした殺し屋など見たことないが……
 シンはあの若さですでに六人を始末している……わしは奴が六人目の殺しを完遂した際――マフィアの掟に従い、新任の殺し屋に奴の始末を任せたが、結果は返り討ちだった。
 奴には凶運を跳ね除ける何かがある。そういう人間は必ず頂点を狙ってくる。
 思い返せば一目見たときから感じていたことだ――やつはわしの首を取りにくるぞ」

 ナイフが切れ目を作り、肉を裂いた。

「お前の言う通り、橋上の決闘は奴が適任だ。シンに任せよう。しかし――」

 ステーキを噛み千切り、赤い肉汁が白いテーブルクロスに点々と飛ぶ。

「勝負の終了と同時に、奴には死んでもらう。
 奴は暗殺の達人だが乱戦の経験は浅いはず――これもわしが奴を殺し屋として育てた理由の一つだ――若いのを集め、戦闘の準備をしておけ。
 喧嘩で奴の命を取るぞ」
「畏まりました。ではそのように」

 老紳士は変わりない笑顔で穏やかに答えた。

「……シンはお前のお気に入りだと思っていたが?」
「私は、真に強い者の味方でございます」
「そうか……ならばそれでいい」

 ボスは赤い絨毯が敷き詰められた豪華な会場に視線を移した。

「この会場を見てみろ。これからのマフィアは経済力と老獪な手練手管が物を言う。
 暴力で無理を通す時代は、とうの昔に終わったのだ」

「奴は生まれてくる時代を間違えたな」

 吐き捨てるようなセリフを老紳士は静かに聞いていた。
 食事会の喧騒が嘘のような、二人の周りには世界が違う暗さがあった。

 *

 橋の本質は二つの世界を繋ぐところにある。
 今夜、南北を繋ぐ橋は、対立する二つの組織がぶつかり合う。生と死の両方がそこにはある。
 多くの死を生きる糧に変えてきたこの男が試されるのも、必然だったのかもしれない。

「この橋は普段暴走族の走り場となっていますが、関所への根回しは済んでいます。邪魔が入ることはありません。
 決闘を行う橋の中央は海の上、派手に物音を立てても問題は無いでしょう。
 万が一警察に知られることがあっても、二つの警察署の管轄の間にあるため、警察の介入も時間がかかります。
 存分に力を奮いなさい、シン」
「………」

 戦場に差し掛かる手前、多くの部下を引き連れた老紳士は、先頭を歩く若者にそう言った。
 シンからの返事はなく、空を見上げ、闇の中の風の流れや星の光を見ているようだった。
 眼に見えない何かを見ているような雰囲気が、この男にはあった。

 シンは黒服に身を包んでいた。周りと同様、ネクタイはしていない。
 潮風に吹かれ乱れたザンバラ髪は烏の濡れ羽のようで、表情のない、頬のこけた顔は血色悪く、一見すると細身の頼りない男に思える。
 だが、黒い光を持った眼光の鋭さは裏世界の迫力を持っていた。
 全てを見透かしたようなこの眼が、ボスには気に食わなかった。

「シンよ、この戦いが終わればお前に望むだけの金と幹部の地位をやろう。今までよく頑張ってくれたな」

 好々爺を気取った笑いが、肥えた顔に張り付いた。
 殺しを依頼するリスクを無視し、旨みだけを得ようとしていることを考えると、ボスの微笑みは偽りではなく、自然なものだったといえる。
 褒美を与えるというのも、あの世への餞としてまんざら嘘でもなかっただろう。
 一寸の間を置いて、シンは空を見上げたまま、橋下の波の音に掻き消えるような声で答えた。

「……金も幹部の座もいりません。しかし、一つだけ欲しい物があります」
「なんだ? 言ってみたまえ」

「――です」

 無表情が歪みきった邪悪な笑顔に変わったが、ボスがそれを見ることはなかった。
 一瞬にしてシンの暴力に喉笛を突かれ、冷たいコンクリートの地に体を押さえつけられたからだ。
 鮮血の花が灰色の橋上に咲いた。ボスはかつての自分の言葉を思い出し、聞き取れなかったシンの返事を理解した。
 ――奴はわしの首を取りにくるぞ。

「……裏切り者め!」

 振り絞った言葉は血霧と共に口から発せられた。
 恨めしい目で見られた老紳士は穏やかな調子で答えた。

「裏切り? 私は、真に強い者の味方でございます」

 突然の凶事に我を忘れていた彼の取り巻きも、老紳士の言葉を聞き、状況を飲み込んだ。
 彼らも老紳士と同意見のようで、自分達のボスが命の危機にあるにも関わらず、傍観を決めていた。
 ボスの青い顔が更に凍りついた。

「あなたはボスとしてとても有能でした。
 しかし、部下の命を道具のように使い己の保守しか考えないあなたと、苦難を乗り越え下克上を果たそうとする若者、二人とも有能な人間なら、マフィアの魅力があるほうについていきます。
 それに、若い衆は皆シンに借りがあります。彼の七年の下積みは大きな成果を上げたようです」

 場合によっては一人でこの団体を相手にすることも考えていたシンに、この展開は追い風となった。
 老紳士の言うとおり、邪魔が入ることはなかった。

「シン……なぜだ……お前を育てたのはわしだ……」
「……あなたが俺を都合の良い道具と思っていたのと同じことだ」 

 虫の息のボスにシンが近づき、顔を寄せる。

「価値が無くなれば切り離して捨てる――高く気高い場所に行くための――あなたはロケットに過ぎなかった」

 その瞬間、彼の暴力――ニドリーノが鋭利な角をもってボスを貫き、息の根を止めた。
 無言の断末魔は虚空に流れた。
 暗闇の音が聞こえるような長い沈黙の末、シンがニドリーノを労い、モンスターボールに収めると、一人分の拍手が聞こえてきた。
 横目をやると、そこには老紳士がいた。手袋で叩く拍手は変わった音がした。

「お見事でしたシン……いえ、コ−ドネームはもう止めましょう。
 サカキ様、これよりタマムシ会はあなたの物となります。
 さあ、そろそろ決闘の時間、ボスとしての初陣です。新タマムシ会の旗揚げとしましょう。
 身の程知らずなヤマブキ会を潰せば、奴らに上手い汁を吸われていたシルフカンパニーと良いビジネス関係を作ることができます。
 ヤマブキシティに在する企業はシルフの取引先、子会社、下請けで、あの街の住人のほとんどはシルフの恩恵を受けています。
 シルフを手に入れるは、ヤマブキシティを手に入れるも同然です」

 背を向けたサカキは振り向こうとしなかった。
 完全に自分を信用したわけじゃないこの若頭の慎重さに、老紳士は愉快さと頼もしさを覚えた。
 
「……マフィアになろうという者は、特別な才能も無い、真面目に働きたくもない、その癖、いい生活はしたい、かっこはつけたい、そういうゴミ屑しかいません。
 ――私のようなね」

 くっと吹き出した音が聞こえ、サカキの背中が揺れた。
 それに続くように、若い構成員達の乾いた笑いが、闇の空に弾けた。
 この男には華がある――老紳士はそう感じた。

「サカキ様、まずは太ることから始めましょう。痩せたマフィアのボスなど、かっこがつきません」

 湧き上がる士気を背中に受け、新たなボスは決戦の場へと歩み出す。
 それに続く部下達の足音は高らかに鳴る。右腕となる老人は満足そうに隣についた。
 サカキは「今までで一番難しい指令だな」と小さくつぶやいた。 

『完』



あとがき

BWで盛り上がっていますが(もちろん私も買いました♪)、ここはあえて初代ポケットモンスターに登場する橋を舞台にしました。

初代に登場する橋にはゴールデンボールブルッジ、サイエンスブリッジがあります。
私が今回選んだのはサイクリングロードです。アニメでは坂道ではなかったのでそのイメージを拝借しました。

「七人殺したら悪魔になる」というのは創作ですが、「六人殺したら新任の殺し屋に始末させる」というのは実際に聞いた噂です。本当なんでしょうかねえ・・・

「魔弾の射手」とは、すごく簡単にいうと「七発のうち六発は望むところに必ず命中するけど、最後の一発は悪魔の望むところに命中する」というドイツの民間伝承です。
「七人殺したら悪魔になる」というくだりを書いていたときにふと思い出したので引用しました。
思い浮かばなかったら「大地の弾丸」というタイトルになっていたと思います。

サカキサマバンザイ!
メンテ

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