第九章「レース・誘拐・第三者」 −4− ( No.26 ) |
- 日時: 2011/02/18 21:49
- 名前: わたぬけ◆Yzj.2OFEoQ ID:DUY1yVi6
- その音はほとんど身を切る風の音ばかりに支配されているシュナの耳にも遠慮なしに飛び込んできた。まるで獣の遠吠えとも思わせる。やっぱり。シュナは心のなかでひとりごち、なぜこんな事態になることを予想できなかったのだろうかと自身を少しだけ悔やんだ。
パトカーか、あるいは白バイか。どちらにしても警察の車両が自分たちを追ってきている。後ろを振り向くことさえある種の恐怖感に襲われ、出来ない。一方で、はるか前方を走るウインディのファングとその背に乗るトレニアは全く意に介していないかのようにちらりと後ろを振り向き、その瞬間に楽しげな笑み――実際は遠目で細かい表情は判然としなかったが、シュナの目にはそう見えた――見せる。 そしてシュナも意を決して首を濡らした布を絞るようにギリギリと曲げ、後方へと視界を移した。そしてギョッとする。 警察の乗る白バイが数台猛スピードでこちらの後を追いかけていた。それだけではない。上空からまるで自分たちと同じようにレースに参加しているかのように、数体の飛行ポケモンが迫っている。それぞれのポケモンの首には警察に所属することを表す藍色と白のツートンカラーで構成されたスカーフが巻かれていた。 あのポケモンはなんといったかな。シュナは自分の持っているポケモンに関する知識の本棚をひっくり返す。細い流線型の体型に鋼色の体色、一枚一枚の羽根がまるで剃刀の刃のように鋭利に光り、それは羽根というよりも鮫肌の鱗のようにすら思える。そうだ、思い出した。エアームド、確かそんな名前のポケモンだった、とシュナはようやく知識の本棚の中から目的の名前を見つけることができた。 「おい、シュナ。何が起きてんだよ」
アルスも何が起きているかは分からないが、なにか異常な事態が起こっていることは理解できたらしく、肩越しにシュナに振り向き言った。 「警察があたしたちを捕まえようとしてるのよ」 「ケーサツってなんだ?」 「ごめん、詳しいことはあとにして」
実際説明する暇もない。 シュナは一瞬、この際警察に保護してもらったほうがいいかもしれないという考えが湧いたが、それはすぐに泡沫のごとく消え去る。たとえ警察に保護を求めたところで、この腕輪自体がどうにかならないと何も解決しないし、もしそんなことして相手方を刺激でもすればそれこそ爆破される危険さえある。さらに、仮に上手くいって腕輪の問題が解決したとしてもその先に起こることが、瞬時にシュナの頭の中で明確なイメージとなって浮かぶどころか、ある種の確信を持って演劇のごとく上演されたのだ。当然ながら自分がシュナ=バーンズロウであること、そしてどうしてこんなところにいるのかを問いただされる。そのうちメディアがこれを聞きつけ、ただでさえ莫大な遺産を相続した自分をさらに面白おかしく記事なりニュースなりに興すことだろう。うまく要領よく立ち回れば、それさえ回避できる手段があるかもしれないが、今の彼女にはそのようなものなど浮かんでこない。シュナにはメディアが掲げるであろう記事の見出しが目に浮かぶようだった。想像するだけで身の毛がよだつ。
「とにかく気をつけて、これからあたしたちを捕まえようとする人達が来るわ。絶対に捕まらないで」 「おうよ。任せろ」
アルスはそう返すとより一層翼を羽ばたかせ、さらに速度を上げた。一方でシュナはナビへと視線を移す。次のチェックポイントのカナベル公園まではあとどれほどの距離か。見るとその場所まではもうすぐそばまで近づいていた。自分たち二人を表す赤いポインタが中央にあり、そのすぐ前にはトレニアたちを表す青いポインタがあり、そして両者のはるか前方数百メートル先に公園を表す緑色のエリアが広範囲に広がっていた。カナベル公園はかなりの広さを誇る公園らしい。そこの中央噴水広場の噴水に例のボールが置かれているという話だ。ナビのチェックポイントを表すフラッグもちょうど公園の中央付近あたりを指していた。 そのとき警察のエアームドたちの一体がアルスへと接近した。アルスはほとんど前方ばかりに視線を向けていたが、本能的に敵意を持った何かが自分に迫っていることを感じ取る。そして必要最小限にだけ首を後ろに傾け、横目でそれがエアームドだということを確認した。アルスは少しだけ何かを考えるように目を細めると、低い声でシュナへと話しかけた。
「シュナ、次の場所はあとどのくらいだ?」
質問の意図が飲み込めず、一瞬困惑したが、「この先まっすぐの公園よ」と答える。 「わかった。今から一気に飛ばすから絶対に振り落とされるな」
その声の色でアルスがこれから何かを仕掛けようとしているのは明白だった。何をやろうとしているのかは分からないが、意図だけは汲み取りシュナはより強くアルスに捕まる腕の力を込めた。 そのときエアームドが一声大きく叫ぶと、アルスの上空数メートルのところまで高度を上げた。するとその翼が真っ白に光り始め、ただでさえ頑丈で鋭い羽根の一枚一枚が、さらに硬度を高めたかのように艶(つや)やかに煌(きらめ)き始めた。 しかし同時にアルスも行動に入る。シュナはギョッとして目を見張った。アルスの頭、二本の触覚のような角からなにやら赤黒い光のようなものが発せられている。その光は渦のように角に纏わり、そして角から全身へと一気に広がった。アルスは低い唸り声を上げて赤黒い光に包まれる。 そのときヒュッと強く空気を切り裂くような音が通り抜ける。エアームドが翼を大きく広げると一気にアルスに向けて降下を始めたのだ。この技は“はがねのつばさ”。両翼をその名のとおり一時的に鋼のごとく硬化させ、相手とすれ違いざまにその翼をぶつけるという技。 ぶつかる! シュナがそれを覚悟し目をつぶった瞬間、攻撃があたったのとは明らかに違う衝撃が走りぬけ、アルスが予告したように振り落とされそうになった。うっすらと目を開けると、たった今まで目の前にいたエアームドが遥か後方に遠ざかり、その距離は見る見るうちに広がっていく。エアームドが減速したのではない。アルスが今までにないような急加速をしたのだ。 エアームドは攻撃が外れた勢いに余ってバランスを崩し、そのままくるくるとひっくり返るように道路を走る自動車の屋根にぶつかった。 アルスはさらに加速を続け、ついさっきまで数十メートル先を走っていたトレニアたちに一気に追いついた。自分のすぐ目と鼻の先に、ウインディの煌々と輝く体躯が迫っている。トレニアは瞬く間に自分たちに追いついてきたシュナたちに一瞬驚愕の表情を見せたが、それはすぐに影に隠れて楽しそうな薄ら笑いへと変わる。 ようやく追いついた。思えばシュナはファングが走る姿をこれほど間近で目にするのは初めてだった。その印象として最初に浮かび上がるものはやはり“美しい”という一言。その肢体はまさに走ることに特化しているといえよう。ファングだけではない、トレニアもまたそうなのだ。 そして両者の前方突き当たりにおそらくカナベル公園だと思われる緑地帯が迫っていた。道路は突き当たりで左右に折れており、幹線道路は左方へと抜ける。入口付近の歩道境目には樅の木の並木が立ち並んでおり、その向こうには都会とは切り離された緑色の草原地帯が広がっている。 するとトレニアがこちらに振り向いた。
「面白いけどちょっと困ったことになったわ。どう? この先の公園で一時休戦としない?」
シュナは一瞬返答をつまらせる。
「何を企んでるの?」 「疑うならそれでも結構。でもね、悪いことは言わないわ。あいつらポリ公どもにはアタシの協力なしでは、アナタたちは絶対に逃げられない」
二体のポケモンのその背に乗る二人の人間は、カナベル公園の緑色の地面を踏んだ。
* *
パトカーの唸り声を耳にして、男は一瞬体を強ばらせた。そして目の前に警察の車両が現れたときは思わず固い唾を飲み込む。だが、そのパトカーは自分たちの車両などには目もくれず、通りすぎていくのを確認したときにはすぐにその緊張は何処かへと消え去った。やはりいくら自分の行いに絶対の自信を持っていたとしても、警察を前にしては緊張を禁じ得ない。しかしそのたびにどのような自信も、それを越えて過信の段階には決して入ってはいけないことを自信に戒めてくれる。 どこかのバカが変な騒ぎでも起こしたのだろう。男は口の中で含むように独りごちた。運転する車の後方の席にはグラハム・トールキンが両手両足を縛られて横にされている。あれから誰にも見られないように車に運ぶのには少々骨を折ったが、何の問題も無く事は進んでいる。先ほどクライアントとも連絡を取った所だ。 男は車を港へ向けて走らせる。
「トールキン先生。そろそろ目を開けたらどうですか?」
男の声は機械のように無機質だった。その声にピクリと後部座席のトールキンが動く。それまでほとんど息を潜めていたのか、グラハムは一つ大きくため息をついた。
「君は、私をどうするつもりなのかね」
グラハムは鷹揚とした声を心がけたつもりだったが、その言葉の端がわずかに震えていることを彼自身認めざるをえない。これまでアルドに関する訴訟などの関連で危ない目にも何度か遭遇していたが、これほどまでに身の危険へのビジョンが明確であったことはこれが初めてだった。
「シュナ・バーンズロウがどこへ向かったのか話していただければ、今すぐにでも解放しますよ」
男は低い声で答えたが、その言葉をどこまで信用していいのかは測りかねた。グラハムはキリリと下唇を噛み締める。
「残念だがそれはあり得んよ……」
男は何も返してこない。それがこの後グラハムをどうするつもりなのか、どのような言葉を並べ立てるよりも物語っていた。 グラハムにとってシュナのことを漏らすことなど有りえない。シュナ・バーンズロウは旧友のアルドの娘。グラハムにとってアルドはよき親友であり、恩人でもある。彼が今の地位を確立するにはアルドなしでは有りえなかった。だからグラハムはアルドに大して友情以上に絶大な恩義を感じており、その娘であるシュナを売り渡すようなことは、巡り巡ってその恩義を仇で返すことと同義なのであった。 シュナ・バーンズロウは今この街のどこでなにをしているのだろう……。グラハムは恩人の娘に対して想いを馳せる。 「私の……ルクシオはどうしたのかね」
自分の側に、気を失う直前まで己を守ろうとしてくれていたルクシオの姿がないことに気づく。 しかし男は何も答えず、黙って車を走らせる。自分の目的に何の関係もない質問には答えないということなのか、あるいは……。 何も答える様子のない男を前にしてはグラハムは想像することしか許されない。無事、逃げてくれればいいが。心のなかでそっと呟くのだった。
だが、そのときまるで心のなかに真っ黒な光が差し込むように、グラハムに別の考えが宿る。 このままだと自分は最悪の場合殺されるかもしれない。もし、そうなると家族はどうなる? 息子たちはもうそれぞれが独り立ちしているから良しとして、妻は……? するとそんなグラハムの心の中を見透かしたかのように、男がようやく口を開いた。
「もしあなたの身になにか良からぬことが起こったとしたら、あなたの家族は悲しむでしょうな。それだけでない。事務所の方もどうするつもりです?」
男の言葉ひとつひとつがまるで焼印を押し当てられるかのように胸を焼く。思っているのと、実際にそれを指摘されるのとでは分かっていても別の痛みが走ってしまう。唇がわなわなと震えるのをはっきりと感じる。ちょっとでも気を許せば、シュナのことを話してしまうかもしれない。だから彼はより一層下唇をかむ力を強める。 一方で男の方は先程からなにか妙な気配を感じ取っていた。気のせいと言われればそれまでかもしれないが、なにかが耳元でチリチリとして引っかかるような感触を拭えない。 しかし何度もミラーなどを使って尾行を確認しているがそれらしきものは見当たらない。やはり気のせいなのか? 念の為に男はアクセルを少しだけ強く踏み込んだ。 彼の勘は当たっていた。しかしその尾行者は彼らの遥か上空のまるで空に落ちたシミのように見える一体のアンノーンだったのであった。
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