Re: シュナとアルスの不思議な旅 引っ越し準備中 ( No.1 ) |
- 日時: 2010/09/14 20:31
- 名前: わたぬけ◆uIYgSadM30E
- 第一篇【旅の始まり】
第一章「廃墟での出会い」
−1−
その日ほど彼女は自分の生まれを呪ったことはなかった。それまでにも彼女は自分の生まれや一族のことを嫌に思ったことはあれど、このときほどそれを強く思ったことはなかったろう。 駆ける。駆ける。後ろも振り向かずにただ彼女はどこに向かうものでもなく駆けた。ちょっとでも後ろを振り向いたり、走る速度を落としたりすれば、後ろから追ってくるそのモノたちにたちまちのうちに追いつかれるような気がした。 風が頬を打ち、走っている勢いで視界が上下に揺れる。走り始めてまだ幾ばくもたっていないというのに、普段あまり激しく動かすことに慣れていない体はすでに疲労を感じ始めていた。 しかしそうも言っていられない。とにかく遠くへ、奥へと彼女は進み、やがて倒れこむような形でどこだか分からない部屋へと身を隠した。追ってきた"奴ら"を撒いたとは到底思えないが、少なくとも自分の姿を見失わせることには成功したのではないかと思う。ここに来るまでいくつかの四辻や分かれ道があったがそれらがあるたびに彼女は迷わずこっちだと思う方向へと逃げてきたので、彼女自身今どこに自分がいるのか検討もつかなかった。だけど今はとにかく見つからないように時間を稼ぐ。それが最も大きな優先事項だった。 じっと聞き耳を立てると自分が走ってきたずっと向こうからかすかに声が聞こえた。
「お前は向こうを探せ、俺はこっちへいく!」
いまいち聞き取ることができないが、やはり奴らは彼女を見失っていることだけは確かのようだった。ほっと安堵の息を付くが、まだまだ安心はしていられない。しかし彼女はその時になって初めて自分の全身が恐怖で小刻みに震えていることを知った。手足の末端がまるで痙攣でもほこしているかのようにわなわなと蠢く。自分の体ではないかのようだ。涙こそ出てはいないが、恐怖心の強さで逆に流れていないと言った方が正しい。呼吸をなんとか整えようとするが思うようにいかない。 それにゆっくりもしていられないのだ。あの黒服の男たちがこの部屋を探し始めるのも時間の問題だ。 とりあえず隠れるような場所を探さなければ、あの男たちが他の部屋を探っている隙に抜け出すと言うことも考えたが、そもそも追手の正確な人数を把握していない上でそのような行動をとるのはあまりにリスクが高すぎると考えた。追手は何人いるか分からないが、最低でも三人はいることを彼女は確認していた。どうにかしてこの部屋でやり過ごした方が良いかもしれない。 入ったその時は、窓もなく真っ暗な部屋だったが幸いにも目が慣れ始めてぼんやりとだがこの部屋に何があるか分かってきた。 どうやら元は書斎だった場所らしい。入ってきた扉の向かい側には、この廃墟に人が住んでいた時はさぞ暖かな火を提供していたであろう暖炉が冷え冷えと据えられている。そして左右両方の壁には窓はなく、かわりにぎっしりと本棚が並べられていた。しかしそこにあるはずの本は一冊も残ってはなく、寂しそうにぽっかりと口を開けているだけだった。天井にはなにもなかったが、かつて電灯が取り付けられていた形跡が残っている。昔この部屋の主は壁いっぱいの本棚に一体どんな本を並べて、どれくらい読んでいたのだろうかと彼女は想像したが、すぐにそんなことを考えている場合ではないということを思い出す。 そして彼女は暖炉を伝って外に出てみようかと思い至った。残念なことにこの部屋には隠れられそうな場所は見受けられなかった。引き返すわけにも行かない、暖炉をうまく伝ったらなんとかやり過ごせるかもしれないと考えるのは自然な考えだったといえよう。 そして彼女は暖炉へと歩みを進める。煤だらけになってしまうかもしれないが仕方がない。だが、直後に起こったときはその時は不運と見るほかなかった。床にある何かに足を引っ掛け、思いっきり倒れてしまったのだ。
「痛ったー……」
思いっきり衝いてしまった膝をさする。暗くてよく分からないが幸いにも怪我はしていないようだった。そのことにホッと安心すると、自分は一体何に足を取られたのかと確認しようとした。 とはいえ暗がりでよく分からない。目を細める。なにか溝のようなものが見える。そしてさらに目をこらすとその小さな溝にそって、床板がまっすぐ横に一直線切れ込みが入っていることに気づいた。
「なんだ今の音は!」 「向こうの部屋からだ!」
心臓が口から飛び出てしまうのではないかと思うほどの戦慄がよぎる。今転んだ時の音を聞きつけたのだろう。バタバタと足音が急速にこちらへ近づいてくる。彼女は思った今から暖炉へ飛び込もうとしても間に合わない。だがひとつだけ可能性があった。もはや彼女に残されてる道はこれしかない。あとものの十秒前後で男たちはこの部屋へとたどり着いてしまうだろう。彼女は床にある溝に手をかけた。
けたたましく扉が開かれ、勢いで戸は蝶番いっぱいまで開いて壁にぶつかった。
「どこだ!」
最初に入った一人目が懐中電灯であたりを照らしながらそう叫ぶ。すかさず次に入ってきた二人目が部屋の全体を見回す。あとにも何人かの人間が入ってくるのを彼女は感じたが、やはり正確な人数は把握できない。判断もろくにできないくらい彼女の胸は高鳴っていた。なんとか息を殺そうとする。絶対に物音を立ててはいけない。
「暖炉から逃げやがったか」 「おまえたちは外へ回れ、あとはここじゃない別の部屋かもしれない。引き続き探せ」
それに何人かの男が相槌を打ち、バタバタと音が遠ざかっていく。外へ回った者もいれば、別の部屋へと向かった者もいる。ハーっと溜め込んでいた呼気を一気に出す。それでもなるべく音がしないように細心の注意を払ってのことだ。 彼女が思った通り、この部分だけ床が外れ、下に隠しスペースが存在した。しかし彼女はただ微妙な溝を発見しただけでこのスペースの存在を確信したのではない。もしただ溝が入っているだけだったら、そんな無謀とも言える確信には到底至らなかっただろう。 溝の横にある紋章が本当に小さくだが鋳れられていたのだ。その紋章を見た瞬間彼女は確信した。 そして彼女は気づく、このスペースにはさらに下があって階段が伸びていることに。なぜ真っ暗にも関わらず、階段が伸びていることがわかったのか。ところどころにほんの小さな電灯が、階段があることを示すように点々と光っていてずっとさきまでそれが続いていたからだ。まるでこちらにおいでおいでと手招きしているようにも見える。どうせいま此処を出てもまだあの黒服の男たちがうろついていると思ったので、少女は階段を降り始めた。それに此処に入った最初から何かがあるかもしれないとは感じていたことだ。 一歩一歩、一段一段、足元で光る小さな電灯を頼りにすこしずつ降りていった。湿っぽくひんやりとした空気が満ちている。 降り始めてどれくらい経つだろうか、地の深淵まで続いているのかとも思える階段は唐突に終りを迎えた。そして目の前に一枚の扉に行き当たった。その扉に描かれているものを目にして彼女は息を飲む。扉にはあの床板に小さく彫られていたものと全く同じ紋章が描かれていた。デフォルメ化された山の上に太陽が昇っていることを表したような紋だった。そして彼女はこの紋のことを廃墟へ訪れる前から知っていた。 ポケットを探る。そして取り出したものはニ本の鍵束。ひとつの輪っかに鍵が二本括りつけられていた。そのうち一本の鍵の摘みの部分にこの壁に描かれているのと同じ意匠が刻み込まれている。 そしてこれは必然。目の前の扉の取っ手部分の下に、ポッカリと小さな鍵穴が口を開けていた。少女はほとんど本能的に鍵を鍵穴へと差し込み、ゆっくりと回す。カチャリという音とともに心地よいとも言える手応えが伝わってくる。ゴトンと低く重い音が響くと、扉はまるで悲鳴のような齟齬音を鳴らしながら開き始めた。どうやらずいぶん長い間開かれていなかったらしく、塵や埃が落ちるパラパラという音が暗闇のなかで聞こえてきた。一連の音で上の男たちがこちらに気づかないかと少女は内心ひやひやしたが、どうやら杞憂だったらしく上からは特に何も聞こえてこないし、気配もない。 そして扉が完全に開ききる。彼女の胸は先程まではまたちがった意味で鼓動を強めていた。しかし目の前は真っ暗。こういう時に懐中電灯かもしくは辺りを照らすことのできるポケモンでも居ればどんなに心強いだろうと思いながら、手探りで少しずつ前へと歩き始めた。 そのとき奇妙な音が聞こえてきた。いや正確には彼女がこの部屋に入った時から聞こえてきたのだが、暗がりを探ることに夢中になって今まで気づかないでいたのだ。音というよりもそれは何かの声。キンキンと耳に残る声がどこからか響いてくる。音と呼ぶにしてはそれは明らかに何かの感情のようなものが伝わってくる。しかしシュナはこの声が何のものなのか分からないし、このような奇妙な声を今まで聞いたことがなかった。
彼女はさらに歩みを進める。何かにつまずきはしないだろうかと恐る恐る進んでいたが、刹那に思いもかけないことが起こった。 突然、部屋の中に光があふれた。少女は何の前触れも無いこの出来事に思わず「きゃっ!」と小さな悲鳴をあげる。光源は天井に吊り下げられている白熱の黄色っぽい電球だ。だが思いがけないことはさらに続く。天井の天球によって部屋全体が照らされたものがあまりに意外なものだったからだ。 部屋は縦横六メートル、高さ三メートルほどの広さで棚の類もなければ椅子一つおいてない、正しく何も無い部屋だった。ただ一つのことを除いて。部屋の中央に"それ"はいた。
「なにこれ……」
彼女がそうつぶやいた。 一体彼女には何が起こっているのかわからなかった。この廃墟に来てから分からない事だらけだったが、今ほどそれを強く感じたことはない。 そのとき先程からかすかに聞こえてきた声のような音がにわかに強まった。 それは二メートルを裕に越す巨大なカプセル。いや、というより寧ろ卵と言った方が印象的には正しいかも知れない。その卵は黒く半透明で中に入っている"それ"の輪郭をハッキリと映し出していた。 "それ"は巨大な岩を思わせるような巨体を持ち、卵の中でまるで胎児のような体勢で丸まっており、一見すると眠っているらしく体躯には力は感じられず瞼は閉じられていた。。この種族の特徴の一つである背中から生えている巨大な翼も小さく器用に閉じられている。 カイリュー。それがこの卵の中で眠っている者の種族であった。
「これが……手紙に書いてあったもの?」
彼女はカイリューの顔を見上げてつぶやく。一通の手紙と鍵に導かれてやってきたこの廃墟。ここに来て襲われた当初は罠だと思ってしまったが、それは思い違い。ただの不運な出来事だっただけ。 最初、彼女はこのカイリューは死んでいるのかと思った。 だが彼女は察した。このカイリューは生きている。生きてこの卵のようなものの中で眠らされているのだと。しかしこのカイリューの周りに纏っている卵のようなものは一体なんなのだろうと、彼女はさらに近づいた。そして恐る恐る卵の"殻"とも呼べるような部分に手を触れようとした。だが、そのとき思いがけないことにさきほどから聞こえていた声のような音がさらに強まった。明らかにその声は何かに対して驚いているような、そんな感情が表れている。 彼女は気づいた。それも二度も。 一つ目はまずさきほどから聞こえていた声はこの卵の"殻"から発せられていたこと。そしてもうひとつはそもそもこれは卵でもなんでもないこと。この卵の殻のようなものはたくさんのポケモンの集合体だったのだ。それは一見すると小さな文字のような姿をしていて、同じポケモンなのだが一体一体が姿形が違う。彼女は知っていた。世界各地にある古代の遺跡にはこのアンノーンと呼ばれるポケモンが多数確認されているということを。しかし廃墟であるとはいえ、ただの屋敷の地下になぜアンノーンがいるのか彼女には合点が行かない。しかしこのアンノーン達によって中に入っているカイリューが眠らされているのは確実のようだった。 一体どうしてこのカイリューがこんな廃墟の地下でアンノーン達によって眠らされているのか全く分からない。一体いつからここにいるのか、そもそもこのカイリューが何者かも分からない。 そしてもう一つ重要な事柄として、どうすればこのカイリューが目を覚ますのかも問題だ。とりあえず卵型の形になって集まっているこのアンノーンたちをどうにかすればいいようである。なんとなく彼女は恐る恐るアンノーンたちが集まって形をなしている卵状のものに手を触れようとした。
そして、指先が触れる。明かりが灯っているにも関わらずあたりが闇におおわれ、まるでこの世に存在するのが自分と卵状となっているアンノーンたちと中にいるカイリューだけになったかのようになった。そして触れた先からカッと光があふれ、指先はパチンとまるで静電気を受けたかのようなショックを感じ、思わず手を引っ込めた。アンノーンたちが一体一体青白く光りながら卵型を保ったまま動き始める。 少女は一体何が起きているのか全く判断付かないまま、ただその様子を呆然と眺めていた。あまりに現実離れした光景に頭がぼんやりとする。
誰かが呼んでいる気がする。 誰が? 誰を?
刹那、ガラスが粉々に砕けるような鋭い叫びのような音が響くとともに、卵状に集まっていたアンノーンたちがバラバラにはじけた。 そしてカイリューは胎児のように丸まった姿勢を保ったまま、ゆっくりとまるで誰かからそっと据えられるように床に落ちた。明るさが戻ってくる。 バラバラにお互いが離れ離れになったアンノーンたちは、しばらくの間一体一体が中空でくるくる回ったり、同じ位置を行ったり来たりと思い思いの動きをしていた。しかし何かを思い出したように全てのアンノーンはまたひとつの塊のように集結すると、何か叫び声のような音をあげると共に光りに包まれ消えた。
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Re: シュナとアルスの不思議な旅 引っ越し準備中 ( No.2 ) |
- 日時: 2010/09/14 21:00
- 名前: わたぬけ◆uIYgSadM30E
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アンノーンたちがいなくなった後、部屋には少女と未だ目を覚まさないカイリューが取り残される。少女は小山ほどもあるカイリューをまじまじと見つめた。ゴクリと固唾を呑む。心なしか飲み込んだ唾は苦く感じた。そして恐る恐る近寄ってみた。 カイリューはやはり目を覚まさない。胎児のように丸まったままピクリとも動かないでいた。少女はさらに近寄る。まるで触れたら爆発してしまうのではないかと錯覚させるような慎重さで。 少女は迷った。彼女はこれまでポケモンと接したことはあれど、世間に数多と存在するトレーナーたちのように一緒に暮らしたり戦わせあったりしたことなどなかった。それもカイリューという明らかに自分の手に余るようなポケモンを果たして自分が扱えるのかもわからない。それにこのカイリューのことも気になった。いつからこんな廃墟の地下で、なぜ眠らされていたのか。あのアンノーンたちはなんだったのか。ここに来る以前はどこでなにをしていたのか。様々な疑問がまるで川の澱みに生ずる水泡のように浮かんでは消え、浮かんでは消えする。 しかし少し経って彼女は何かを思い出したようにポケットを探り始めた。取り出したものは四つ折りにされた折紙ほどの大きさの小さな紙切れ。彼女はその紙に書いてある言葉を独り言のように何度も何度も復唱する。そしてついに意を決したように深呼吸し、一つ唾を飲み込むとゆっくりと自らの手を眠っているカイリューの頭の方へと伸ばした。この廃墟に来てからが非現実的な出来事が続いたせいで、半分夢うつつな状態にあることを少女は半ば自覚していた。しかしこのカイリューがきっと今自分が置かれている現実を打開する一つのきっかけになる。少女はそんなことを思いながらさらに手を伸ばす。 指先と頭までの距離が狭まっていく。
「こんな所にいましたか」
感情のこもっていないような冷ややかで鋭い声が響いた。同時に夢うつつのような状態から少女は一気に現実へと引き戻された。心臓が早鐘を打つように鼓動する。声のした扉の方へと振り向くと、例の黒服の男たちが立っていた。
「なあに、抵抗さえしなければ悪いようにはしない」
絵に描いたような甘言を先頭に立っていた男がささやいた。
男は甘言をささやく。そして扉から次々と仲間であろう他の黒服たちが次々と入ってくる。
「おい、なんだこれは!?」
別の男がようやく部屋の端にあるものに向かって叫ぶ。男たち全員の視線が一挙にその方向へと集まる。しかしやはりこのような場面まできてもカイリューは目を覚ます様子はない。 その様子に安堵したのか男たちは再び少女へと詰め寄る。彼女は後ずさる。しかし非情なことにすぐにその小さな背中は後方の壁にぶつかってしまう。彼女がその時感じた壁の感触は氷のように冷たいものだった。せめてもの抵抗で彼女はそのまま座り込む。
「さあ来るんだ!」
先頭の男の乱暴そうな手が彼女を追い詰めるように迫る。
「いやッ!」
無自覚に彼女は叫んぶ。頭ではもう観念するしかないとわかっていても、体が拒否したのだ。
「連れていけ!」
男たちの内さらに数人が少女へと近づく、そして先頭の男が彼女の手首を乱暴に握った。とても強い力で握られてこのまま無理やり引っ張られれば手首から先がちぎれてしまうのではないかと思った。振り払おうとするが男の力は強く、まるで万力で押え付けられているかのようにビクともしない。 後に続いた男がさらに片方の手首を握ろうとする。無理やり引っ張っていこうという魂胆なのだろう。
「いや、やめてッ! 離して!」
助けなど来るはずが無いとわかっていながらも、彼女は有らん限りに叫ぶ。 どうしてこんなことに? あたしは何も求めてないのに。ただ今の生活が嫌だっただけなのに。悔しさの叫びが心のなかで次々と浮かぶ。 そして目の前にいる男の手に白いハンカチが握られている。ああ、よくサスペンスもののストーリーなんかにあるようにあのハンカチに染み込ませてある薬で眠らせるつもりなのだ。彼女は直感する。
「いやーッ!」 「おい、大人しくし……」
そのとき小さな爆発のような鋭い破裂音のようなものが響く。その一瞬後、ハンカチを持っていた男が重い苦悶の声を漏らし、膝をついてうずくまった。よく見ると男の体から小さな雷のようなものがまとわりついて、パチパチと音を立てていた。一体何が起きたのかとその場にいる全員があたりを見回す。そしてすぐにその原因となるものが目に入った。少女のうずくまった音を挟んで向かい側に二メートルを優に越す巨体があった。薄い褐色の肌に筋骨の発達した体つき、全長をはるかに超すほどの大きさの巨大な両翼。カイリューが目を覚ましていた。
「お前ら……そいつになにしてんだ?」
混乱につぐ混乱の中で頭は理解出来る容量を超えてカンストでも起こしてしまったのか、彼女は「えーっと……」とこの場にそぐわないほどのすっとぼけた台詞を吐いていた。
しゃべった?
少女はそのとき黒服たちもこの奇妙な出来事に唖然として、掴んでいる男は手の力が弱まっていることに気づいた。渾身の力を振り絞って男の手を振り払い、ついに自由を手にする。とはいえ、あまり広いとは言えない上に出入口が塞がれているこの部屋では行き着く場所はひとつしかなかった。 もうこうなってしまった以上、自分にとって危険か否かなど関係ない。藁にもすがる思いで彼女はカイリューの方へと走る。そして言おうとした。「助けて!」と。だがカイリューは意外なことにその言葉を遮る。
「分かってるよ。こいつらから逃げてるんだろ」
彼女は思った。このカイリューは自分と誰かとを勘違いしているのかもしれないと。さきほどの「その女になにしてんだ?」という発言もそうだ。
「あの、あたしは……」 「暴れんなよ」
さらにカイリューは彼女の言葉を遮ったばかりか、突如その大きな腕で彼女をつかみ、自身の体勢を若干かがませると乱暴とも思えるような動作で彼女を自分の背に載せた。ほとんど放られるような形でカイリューの背に乗る。 男たちは何人か人数が減っていた。おそらくさきほどのカイリューの電撃――ポケモンのことはよく知らないがさっきのは「電磁波」という技だったのかもと彼女は思った――で倒れた者を運んでいったのだろう。しかし未だ健在な者が数人残っており、さらに悪いことに残った黒服たちはそれぞれの手に黒く光るものを持っている。拳銃だった。少女はそれを今までテレビや映画の中でしか見たことがなかった。だから現実に目の前に出されると、一瞬それが本物なのかどうか迷ってしまう。
「掴まってろ」
カイリューはくぐもった声で囁く。 彼女は言われた通り、カイリューの翼の付け根の部分をしっかりと握った。そして彼女は感じた。部屋の空気の流れが変わったと。実際そうなっているのか分からないが、直感がそうだと示す。
「撃て!」
黒服の中でも先程少女を真っ先に詰め寄ったおそらくこの中でのリーダー格らしき者が叫ぶ。少女は思わずぎゅっと手のひらを握り締めるようにまぶたを閉じた。 刹那、先程から渦巻いていたと思われる部屋の空気がカイリューを中心として一気に放たれる。何が起こったのか彼女はカイリューの背が壁のように塞いでいるため眼にすることができない。だが、その結果は分かった。 黒服たちの叫ぶ声が聞こえる。同時に何かを落とした音が聞こえる。 直後に何か地鳴りのようなものが起こり、突如としてこの部屋の扉とは反対側にある壁が赤く光り始めた。一体何が起きたのか。見るとその壁にはまたあのアンノーンたちの模様が光っている。そしてアンノーンはまたあの叫び声のような音を響かせると、赤く光っていた部分が消え、隠れていたまた通路がポッカリと口をあけた。もはやここに来て様々なことが起こりすぎた彼女にとって、このような展開ではもはや驚かなくなっていた。
「おおう、御丁寧だな」 「くそ! カイリューを止めろ」
開いた口へと動き始めたカイリューに、黒服たちがその背に乗せている少女に飛びかかろうとする。だがそれは無駄なこと、動きに気づいたカイリューはまるで黒服たちが周りをしつこく飛んでる蠅か何かのように片手で振り払った。だがカイリューの大きな腕に払われた男たちは一気に扉近くまで飛ばされる。
「くっ、やむを得ん。退くぞ」
リーダー格の男が叫び、残りの数人もいそいそと扉から退散した。 なぜ彼らは銃を使わなかったのか。すると床にまるで壊れたおもちゃのようにバラバラに分解している銃が黒服たちの人数分落ちているのに彼女は気づく。
それにしてもこのカイリューはいったい何なのだろうか。もう聞き違いでも空耳でもなく間違いなくこのカイリューは人間の言葉をしゃべっている。人間でない者が人間の言葉を話す。少女はこのカイリューが人間の言葉をしゃべっているのか、自分がカイリューの言葉が分かるようになったのかよく分からなくて奇妙な目眩のようなものを覚えた。
「さ、行くぞ」 「待って!」
いざ飛び立とうと翼を広げようとしたカイリューを少女は止める。
「おう、何だ?」 「ひょっとしてあたしのこと、誰かと間違えてない? 助けてもらってこんなこと言うの申し訳ないんだけど、あなたに会うのはここが初めてだし、今まで生きていてカイリューの実物に会うの、やっぱり初めてなの」
カイリューはよっぽど意外なことを言われたのか、少し考えるような素振り見せる。そして一旦少女はその背中から降り、カイリューの前へと立つ。 カイリューは少女の顔をじっと見つめる。考え事をするように首を傾げたり、何かを思い出そうとするように片手を頭に当てる。そして返ってきたカイリューの答えはさらに意外なものだった。 「すまん。お前の顔見てよく知ってる誰かと同じに見えたんだ。だけど、今考えると誰だったか思い出せない。それに……ここ、どこなんだ? 俺、今まで自分が何をしてきたのか。全然思い出せねえんだ……」 「それって、記憶喪失ってやつ?」 「キオクソウシツ……?」 「昔のことが思い出せなくなってたり、自分のことや周りのことを忘れちゃってることよ」
カイリューは「なるほど」と返し、また何か考えているような仕草を見せた。少女の方もこのカイリューについて色々と考えを巡らせた。さきほど自分のことを助けてもらったときは、とても心強いばかりか一種の恐怖の念すら感じたが、今自分の記憶が思い出せ無くなっている様を見るとどうにも人間臭く、ちょっと違うのかもしれないが可愛くも見えた。
「そうなのかもしれねえ。だけどお前の顔、よく知ってる誰かと同じ感じがすることは確かなんだよ」
もはや彼女はこのカイリューがどうして人語を話すことが出来るのか気にしない。それよりもこのカイリューが何者で、どうしてこんな場所に今まで眠らされていたのか、そして眠らされる前はどこで何をしていたのか。そして最も気に掛かること。なぜその場所がこのキュロスの廃墟であるのか。 しばらくお互いに沈黙が続いた後、突如カイリューの方が思いついたように顔を上げ、少女に再び背に乗るよう促す。
「どうしたの?」 「いや、なんだかわかんねえけど、お前の周りに居れば何か思い出せるような気がするんだ」
それが一体どういった根拠によるものかはおそらくカイリュー自身も分かっていないようだった。しかし少女にとっては打算的な考え方は嫌いではあるが、都合が良かった。このままこのカイリューが自分の周りにいてくれたら、きっと身にかかる危険から守ってくれるだろうと。 彼女は促されたとおりに背に乗る。先程は感じなかったがカイリューの背は今までずっとアンノーンによって眠らされていたとは思えないほど暖かだった。そしてカイリューはさきほど止められた翼を再び大きく広げた。 カイリューは満身の力を込めて羽ばたく、隠し扉が開いた先は長い回廊のようになっている、しかし天井がかなり高くなっており、あらかじめカイリューがここを飛翔して通ることを見越して設計されているようだった。 何度か羽ばたいて翼に調子がついてきたところで、カイリューは思いっきり床を蹴った。ふわりとその巨体が浮き上がる。さらに羽ばたくスピードを早め、それにともなって前へと進む速度も上がっていく。 通路はさらに奥へと伸びているところで、急に上りの勾配に差し掛かった。すると何か前方にうっすらと光りに照らされる石垣のようなものが見えた。さらに前方へと進むとどうやら縦方向に伸びている穴と合流するようになっているらしかった。
「井戸よ!」
彼女は直感的に叫ぶ。するとカイリューはその縦伸びている穴に合流すると同時に、翼を起用に羽ばたかせさらに真上へと飛んだ。少女はカイリューの肩を落ちないようにぐっと握る。そして地上へと出る。溢れんばかりの太陽の光。たった少しだけ見ていなかっただけなのに、少女にとってとても懐かしく、そして有り難いものに思った。それはおそらくカイリューの方も同じだろう。 地上を見下ろす。どうやら出た場所は廃墟から少し離れた場所にある古井戸だったらしい。屋敷の影がどんどん小さくなっていく。それから、彼女は何かを思い出し、カイリューに話しかけた。
「あの、ありがとう」
一瞬カイリューは何のことかわからなかったらしく、その旨を返す。
「助けてくれて」 「なあんだ。それならお互い様だろ」
それはきっとあの冷たい部屋から出してくれたことを言っているのだろうと彼女は直感する。
「あなた。自分の名前……なんて呼ばれていたか覚えてる?」 「すまねえな。それもちょっと……思い出せねえんだ。好きに呼んでくれ」
自分の名前を忘れる。それはどんな気持ちあのだろうと少女は内心ぞっとする。自分が何者かも忘れて、そして名前まで分からない。そんな気持ちはおそらくこのカイリュー自身にしかわからないだろう。しかし彼女は自分が何者なのか、捨ててしまいたかった。今自分を縛っている事柄から離れ、解放されたいと思った。だが、すぐにそんな考えを浮かべる自分を恥じる。 そして少女は思案する。記憶を失ってしまっているこのカイリューに付けるべき名前。ただの名前ではいけない。このカイリューには一体以前なんと呼ばれていたのか想像も付かないが、なんとなくそれに負けないものにしたかった。でも、もしカイリューが記憶を取り戻し、本当の名前を思い出したらどっちの名前で呼べばいいのだろうという考えもよぎる。一,二分ほど思案したところで、彼女の頭に懐かしい響きの言葉がまるで果てしなく続く荒野の中で、ポッと一輪の花を見つけたかのように浮かんだ。
「『アルス』ってのは……どうかな?」 「なんだそりゃ?」 「あたしのおばあちゃんが昔教えてくれたおまじないでね。『エト・アルス・ペルペチュア・ル……セ……? サ……?』うーん全部思い出せないわ……。『光を見失うな』って意味で『アルス』は『光』」
少女は教えられたまだ幼かったとき、「どうしてわざわざ変な言葉で言うの?」という自分の疑問に「おまじないとかはそれっぽい言葉で言うから効果が出るのよ」と祖母が満面の笑みで返した時のことを思い出した。思えば彼女自身随分長い間このおまじないの言葉のことを忘れていた。だから全文がどうしても思い出せない。他にもいろんなおまじないを教わったはずなのに、思い出せるのはこの言葉だけ。今度祖母に会うことがあればもう一度教えてもらおうと思った。 カイリューは「ふーん」とまるで他人事のような反応を見せる。あまり嬉しくなかったのだろうかと少しだけ少女は焦る。
「なかなかいいと思うぜ」 「そう、ならよかった。あたしはシュナっていうの。よろしくね」
そのときシュナは自分がようやく微笑むことが出来たことに気づく。廃墟に来てからと言うもの、謎の黒服の集団に追われ、命からがら逃げてきた。そして突然自分の前に現れた記憶をなくしたカイリュー。色々余裕の無いことが立て続けに起こっていたのだ。安心できなかったのも無理もないことである。 そしてシュナは見た。上空からみる広大なキュロスの山麓の光景を。緑色に茂っている森がまるで海のように広がっていた。
「アルスか。気に入った!」
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Re: シュナとアルスの不思議な旅 引っ越し準備中 ( No.3 ) |
- 日時: 2010/09/14 21:01
- 名前: わたぬけ◆uIYgSadM30E
- 第二章「音と香りは夕暮れの大気に漂う」
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シュナの父親、アルド=バーンズロウが死んだのは二週間前のことだった。 代々の資産家で、様々な事業に手を出していたバーンズロウ家はアルドの代でさらに事業を拡大し、彼の死の直前には彼が当主を引き継ぐ以前と比べて総資産が十倍以上にまで跳ね上がっているという業績をたたき出していた。親族たちもそれぞれがアルドの商才と強運を讃え、もはや彼に思い通りにならないことは何も無いのでは、と謳われるまでとなっていた。 しかしそんな彼にもどうにもならなかったことがあった。 四十五歳という見方によってはまだまだこれからという若さで死に至ることなった健康問題である。アルドが不治の病に侵され、もはや先が長くないと医者に宣言されたのは二年前のことだった。もはや生き方そのものに無病息災、五体満足という言葉を見出しているような彼にとって、その言葉がどれだけ己の矜持を折り、喪失させたかは想像に難くない。彼は生前弁護士を呼び寄せ、立ち会いのもとに遺言を残した。 そしてその遺言が発表されたのはアルドの埋葬から二日後のことだった。
「どうやら、皆様お集まりのようですな」
顔に深いシワの入った弁護士が部屋中を一瞥してから言う。 この日バーンズロウ家本家の屋敷には、アルドの親族を初めとして、所有しているいくつもの会社の重役、などおよそ二十人ほどが集まっていた。もちろんシュナもその一人である。さらに案内された居間には屋敷で働く使用人たちのほとんども集まっていたため、部屋には三十人近くの人数が出入していたこととなる。これだけの人数がいたにもかかわらず、この屋敷の居間はまるでひとつの会場を思わせるほどに広く、狭さなどはほとんど感じないほどの余裕があった。さらに屋敷全体で数えると、それぞれの参加者がつけてきた護衛や車の運転手、秘書などが別の部屋に待機させられたため、この日この屋敷には全員で六十を越える人間が集まっていた。 弁護士の言葉に、今まで談話などでわいわいと賑わっていた居間が急に水を打ったように鳴りを潜める。シュナは使用人の一人を側に侍らせてその者から離れないようにしていた。
「これより、故アルド=バーンズロウ様が生前残された遺言の発表会を始めさせていただきます。まずは自己紹介をさせていただきます。故アルド様の顧問弁護士を務めさせていただきましたグラハム=トールキンと申します。レマルクシティでトールキン弁護士事務所を営んでおります。わたくしの身分になにか疑いがあると言うのならそちらの方に問い合わせ願いたい」
そう宣言し、この遺言の発表が厳粛かつ公正なるものとするよう弁護士は会場に集まっている皆に釘をさす。
「皆様もお気になさっているようですので、早速本題に参りましょう。さて、故アルド様は遺言を残す方法として二つの手段を取られました、ひとつはいわゆる『遺言書』として書面に残す方法、そしてもう一つがこれより皆様にご覧になっていただく、『映像』としての方法でございます」
どういうことだろうかと、あたりがにわかにざわついたところで出入口の扉が開き、初老の使用人がワゴンを運んでくる。そしてそのワゴンの上には一台の映写機が置かれている。そして別の使用人たちが手はずを整える。まず部屋の灯りを落とし、アーチ状になっている大窓にあるカーテンを次々と閉めていった。そして部屋の中で弁護士が立っているあたりの壁付近の天井から真っ白なスクリーンがまるで舌を突き出すように降りてきた。 参加者の中にはおもしろい趣向じゃないかと微笑む者もいた。 そして使用人の手によって映写機の電源が入れられ、スクリーンに最初に一面青い画像が映る。そして使用人がさらに何か操作をすると、果たして映像が映り始めた。会場から「おお……」と感嘆の声があがった。 そこにはこの屋敷の二階にある当主の間が映っていた。窓際に樫の木で作られた意匠を凝らしてあるベッドが置かれ、羽毛布団から腰で座っているアルド氏の姿があった。ベッドの上であるにも関わらず、スーツにネクタイと言うそぐわないような服の装をしている。彼は画面外にいる誰かに何か一言二言話しかけたのち、この画面をみている会場の参加者たちに挨拶をした。
『やあ、諸君。ごきげんよう。ちょっと滑稽に映るかもしれないが、私の死後の大切なことを伝えるために敢えてこのような格好をさせてもらったよ』
そして画面のなかの彼は一つウィンクをする。会場の中で小さな笑いが起こる。しかししばらくアルド氏と会っていなかった者たちは、彼のその見るからに痩せ細った姿に、かつての疲れを知らないかのような気力でバリバリに事業をこなす彼の姿がここまで変わり果てていたということに感傷に浸っていた。
『私は運悪く不治の病に侵され、どうやらこの先も長くないようだ。なのでこうしてこの映像を遺言として残すことにする。立会はすでに紹介があったかもしれないが、顧問弁護士のグラハム君だ』
そして映像の中、アルド氏がいるベッドの脇にグラハム氏が立つ。映像の中と実際にそこにいるその光景は、すこしばかり不思議なもののように思えた。 映像の中のアルド氏は脇にたたせているグラハム氏からなにか書面を受け取り、それに一旦目を通すとまた口を開く。
『では、これより私の残した遺言書を私自身の口より読ませていただく』
またしても会場中が虫の飛ぶ音さえも聞こえてきそうなほどに静まり返る。皆が皆固唾を飲んで映像の行く末を見守っていた。
『まずバーンズロウ鉄鋼、これは我が弟であるガリア=バーンズロウに一任する。委任状も発行しよう』
会場から拍手が沸き起こる。そしてその拍手の中心にアルドの弟、ガリアがいた。彼は拍手に囲まれる中方方にお辞儀をし、最後にどうやらそのバーンズロウ鉄鋼の重役と思われる男性と握手をした。 映像はさらに読み上げていく。
バーンズロウ自動車。これも同じくガリア=バーンズロウ。 ポケモン食品『シーバス』。 これは末の弟ヨブ=バーンズロウ。 レストランチェーン『アシュトリカ』。ガリアとヨブの間の妹のオルガ=バーンズロウ。 電子機械メーカー『B・E・M』。副社長へ委任。 ポケモンファッション『ネルクラージュ』。従姉妹へ。 …… …… そうして一社一社読み上げられていくごとに、アルド氏がいかに急速に事業を拡大させ、経済界において彗星のごとくの活躍を見せたかを誰もが讃えざるをえなかった。 そのようにして彼が直接管理をしていた十社ほどの会社が読み上げられ、そして誰に委任するかを画面の中のアルド氏は宣言すると、そこで一つ息をついた。
『さて、自惚れと捉えてくれて構わないが、これを読み上げていくうちにいかに自分に商才があったか自分で驚いてきたよ』
そのときのシュナはほとんど映像の内容に興味を示さず、早くこの場が終わってくることを願っていた。自分の父親が映っている映像であるとはいえ、彼女は自分がこれからどうなるのかというその一つのことだけが気になった。
『冗談もこのくらいにして、財産分与について最終事項をこれより発表しよう。すなわちバーンズロウ家個人所有の資金、そしてこの屋敷の主、ならびにバーンズロウ家当主の権限の譲渡についてである』
だからそのとき、彼女は自分の名前が映像の中に映る父親によって呼ばれることは夢にも思っていなかったし、また最初その名前が聞こえてきたときも、なにかの聞き違いか、もしくは自分と同名の誰かがこの場にいるのかと思うほどだった。
『わが娘、シュナ=バーンズロウにこれらの権限を譲渡することを宣言する』
会場が三度目の沈黙を迎える。それもこれまでで最も静かでまた長い沈黙である。誰もが動きを止めている。あまりの光景にシュナは一瞬この世の時がカチリと止められたのではないかとの錯覚さえ覚えた。そういえばニホンという国のシンオウとかいう地方に時間をつかさどるポケモンの伝説が存在するなということを、そのときの彼女はあまりにも場違いであさってな思考だと自覚しながらも、そのことを思い出したのであった。 そしてこの沈黙をあたかもあらかじめ予想していたかのように映像の中のアルド氏はさらに続ける。
『皆も驚いていることだろう。親族のなかには納得のいかない者たちもいることだろう。だが私はこの意志を変えるつもりは毛頭ない。なのでこれより納得の行かないであろう者たちに次のことを宣言する』
そこにあるアルド氏は一部の者が知るような晩年の狂気に染まった表情をしていた。表情こそ笑っているものの、それによって表れる皺一本一本が己の死への恐怖や不安を皮肉にも克明に映し出していた。口元は笑っているというよりも引きつっているといったほうが正しいかもしれない。ほほの辺りがひくひくと痙攣していた。
『特別条項。もし、何者かによってシュナへの遺産譲渡が妨害されたり……うむ、これは極端な話かもしれないが』
そこでもったいぶったようにアルド氏は咳払いする。
『それこそ、シュナに何らかの危害が加わったり、死ぬようなことがあれば、個人所有の三百億弗(※)もの資金は基金や恵まれないものたちへの寄付団体などに全額寄付する。またすでにそのように仮定した場合の手続きは済んでいる。ああ、言い忘れていたが最低でも十年はシュナが自らの意志でこれらの財産を放棄することはできない。 このバーンズロウ家所有の個人資産、屋敷の家主、当主としての権限を委託する委任状ならびに遺言書の全文は何者にも盗られぬよう、この屋敷の地下大金庫に保管する。親族たちには周知のことのように私が造らせたこの地下金庫はセキュリティの塊のようなもので、普通の人間には近寄ることもできん。さらに鍵はこの世で一本しかないし、当然合鍵やコピーも不可能なものだ』
アルド氏はそこで一息つき、そこで映像の中でのグラハム氏から黒い小さな宝物箱のようなケースを受け取ると、その蓋をぱかりと開ける。中からは金色に輝く一本の鍵が入っていた。一見シンプルな鍵に見えるが、よくみると細かい溝が無数に掘られており、さながら川の流れをあらわしているように複雑な構造を形作っていた。
『これらの特別条項を無効とする条件はただ一つ。遺言書原稿の正式な破棄だが、これより私は先ほど言った委任状と遺言書を大金庫に保管した後、私の手によってこの鍵を隠す。隠し場所は親族、友人たちはもちろんのこと、使用人にも、シュナにさえも教えていない。探しても無駄だ』
アルド氏は視線を一瞬だけ窓の外へと見やると、蓋を閉め鍵の入った宝物箱を手元に置いた。
『私からは以上だ。諸君も言いたいことがあるだろうが、幸か不幸かこの映像を諸君が見ているときにはもうどうにもならない。会社を委任されたものは責任を持って更なる発展を目指してほしい。名残惜しいが諸君、ありがとう。永遠にさようなら』
そこで映像は終了した。 その後の騒ぎは大変なものだった。しばらく沈黙に包まれた会場で誰かが叫ぶように何かを言ってきた。その誰かの叫びで止まっていた時間がようやく動き始めたかのように誰も彼もがたった今映像の中でアルド氏が語ったことについて意見を交わした。 シュナはまだ白昼夢を見ているかのように呆然とその場に立ち尽くしていた。自分にこのバーンズロウ家所有の個人資産三百億弗もの巨額の大金、そしてバーンズロウ家当主の座が受け渡されたことが、そしてそれが何を意味するのか彼女は理解できず、ただ口をパクパクと動かすばかりであった。
「お嬢様!」
そんな様子のシュナに侍らせていた女性の使用人が呼びかける。気がつくとシュナは何人もの大人たちに囲まれ、それぞれの口からさまざまな言葉を次から次へとまるで機関銃射撃のように浴びせられた。あるものは、いくら実の娘だからといってなぜこんな小娘に当主の座が引き継がれたのかと嘆く声もあれば、本当はアルド氏の隠した鍵のありかを知っているのだろうと詰め寄るものもいた。それらの声の波に押され、彼女はそんな大人たち一人一人の顔から鬼のような表情を見出してしまう。誰もが今にも彼女を襲ってくるような勢いだ。溺れるものに対して、水が容赦なく口から入り息を詰まらせてしまうのと同じように、彼女は音の洪水の中で溺れ、立て続けに浴びせられる声という名の水によって息が詰まるかのようだった。表情は恐怖という感情がカンストしてしまったかのように不気味なほど無表情。 さらに親族の反発の声はシュナだけに留まらず、弁護士のグラハム氏にまで向けられる。だがさすがは弁護士をやっているだけあってグラハム氏は何もわからないシュナと違って、一人一人に大人の対応をしていく。彼の言葉によって論破された者はその場をすごすごと立ち去るか、もしくはさらに苛立ちを高めさせてシュナへと突っかかるのだった。 その後シュナはどのようにしてその騒ぎの中、抜け出すことができたのか覚えていない。話によると使用人たちが次々と詰め寄る大人たちを抑え、侍らせていた女性使用人の手に引かれてなんとか連れ出すことができたとのことだった。
※――この国でのお金の単位は弗(ドル)としている。とはいえ、実際にドル換算はしないので、日本の円と同じように考えてくだされば結構です。
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Re: シュナとアルスの不思議な旅 引っ越し準備中 ( No.4 ) |
- 日時: 2010/09/14 21:02
- 名前: わたぬけ◆uIYgSadM30E
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「なーるほどな。するとあの妙な黒服どもはお前さんの父親の決定に納得していない奴らの手による者どもか」
二人――正確には一人と一体と言うべきかもしれないが――は半時ほど飛んだのち、通りがかりにあった湖の畔で一旦降り、休憩していた。 キュロス山麓を初めとするこの地域一帯はまだまだ開発の手が伸びていないらしく、湖の周りは大小様々な木々による深い混交林に覆われていた。正午をとうに過ぎていた太陽は徐々に傾き始めている。しかし空はまだ夜が近づくのを感じさせないほど青く澄んでいた。湖の水はその空の青さをそのまま流し込んだように、これもまた澄み切った青さと対岸の山に生えているたくさんの木々の瑞々しい青葉の色を湛えている。水面は少し風が吹く度に波打ち、水面に移る山体の写し身がゆらゆらと揺れていた。 少女とカイリューが休んでいたのはその波打ち際から少し離れた草地。 シュナは風で髪の毛が靡くのを嫌がったためだろうか、背中ほどまで伸ばしている黒髪をゴムで纏めてポニーテールのようにしている。そして草地の中でも比較的地面が乾いていると思われる部分に膝を抱えるようにして座っていた。一方で先程シュナによって新しい名前をもらったばかりのカイリュー、アルスは片手に顔を載せるような体勢で、足を湖に向け、顔をシュナの付近に持ってくるような形で寝そべっていた。 廃墟をなんとか脱出して追手から逃れた興奮もようやく冷めてきたところになって、シュナは何かアルスに話しかけようと思ったが、どんな言葉で切り出せばいいのか迷っていた。そもそも人語を操ることができるポケモンを彼女は知らない。様々な学者がポケモンは人語をある程度解することが出来るということは知っていたが、このカイリューのように完全に人語を理解するばかりかさも当然のようにしゃべっているという例なんて聞いたことがない。一応ペラップというポケモンが居るが、あれは単に聞こえてきた音を真似ているだけで自分で理解してしゃべっているわけではないはずだ。 それはそうとしてやはりこれ以上沈黙を続けるわけにはいかない。なにか切りだそうとするが、その切り口をどうにも見いだせなかった。そんなこんなで考えを巡らせているうちに、話の切り口はアルスが「そういやさ、なんでシュナはあの変な奴らに追われてんだ?」と尋ね、どうしようか躊躇しながらも彼女はこれまでの話を語ったのだった。
「しっかし、なんでお前こんな辺鄙なところで一人で来たんだよ?」 「そのことだけどね、三日前に手紙が届いたの」
彼女はジーンズのポケットからその手紙の実物と二本の鍵束を取り出す。 一瞬シュナはその内容を聞かせるべきか否か躊躇するが、数秒ほど考えた後それを読み上げた。
“バーンズロウ家の新しい当主へ あなたが自分の身を守りたいと願うのなら、同封している鍵を持ってキュロスの廃墟へ行きなさい”
極簡単なメッセージだった。手紙というよりもただの伝言といったほうが良いかもしれない。実際それが書かれている用紙は手紙などで使われる便箋というよりも、メモ帳の一頁を切り出したものと言うのが的を射ていた。
「それで、私はあの廃墟に来たの。といっても屋敷の人たちに黙ってこっそりとね。だって私が当主になってから、なんだかいつもなにかしら五月蝿くて、ちょっとそういうのから開放されたいって気分だったの。それが結局、あの怖い人達に機会を与えちゃったんだけどね」
実際彼女が当主になってからというもの、使用人は毎日のようにシュナに対して彼女が何をするにしても五月蝿く干渉してくるのだった。ちょっと外出するにしても必ず警護のものを付かせなければならなかったし、別の部屋から運びだしたいものがあっても、その場面を見られようものなら「そういうことはわたくしどもにお申し付けください」と釘を刺されるのだった。まるで自分に対して腫れ物に触れるような過剰ともいえる使用人たちの態度にうんざりして、たまには一人で行動したいと思うのも自然の成り行きであろう。 彼女は一番近くの街の駅から乗ったタクシーで、キュロスの廃墟を指定したとき運転手から妙な目で見られたことを思い出した。まだ十代半ばにも達していないような少女がこんな辺鄙な廃墟へ行くことに対して不思議に思われるのは当然のことだったなと彼女は少し笑みを浮かべる。
「あの人たちに追われている時に、偶然地下階段を見つけてこの鍵を使う扉を見つけたの。その先にいたのがあなただったというわけ」 「そういうわけか。なんとか合点がいったが、誰かわかんねえのか? その手紙送ったやつ」 「うん。最初は父の当主継承の一貫で使用人たちが口裏合わせてるかと思ったんだけど、もし父がそういうことするならそんな回りくどいことするはずないなって思ったの。あんな映像見せて堂々と当主継承を宣言したほどだから」 「うーん、よくわかんねえな。ところでその鍵、大金庫とやらの鍵とは違ったのか?」 「もちろん、試してみたよ。でもやっぱりというか、二本とも違った」
そのときズンッという低く重苦しい音が鳴り渡った。同時に地面が振動する。初め、シュナは地震でも起きたのかと思った。だが、その考えはすぐに破られる。音はズン、ズンと一定のリズムにしたがって起こり、明らかにそれは何か大きな生き物が歩いている音を思わせた。だが、別の音も聞こえてくる。なにか大きなものが這ってくるような、あるいは転がっているような音。どちらの音もとにかく、それは大きく重い何かだということは分かる。 そしてそれらの音は、明らかにこちらへ向かっていた。だんだんそれが近づいてくる。しかし、二人が座っている草地の周りには深い森が広がっているため、音の正体である者は未だに姿を現さない。 そのとき何か堅いものが無情に折られるような音が悲鳴のように鳴り渡る。それとともに森の奥のほうで木が何本か倒れ始め、その衝撃で辺りに潜んでいた鳥たちが一斉に飛び立つ。鳥たちは自分たちの住処が荒らされたことによる怒りや悲しみに声をあげながらもその危険な場所から逃げるのだった。
「な、なに?」
シュナが緊張した声を漏らす。 そしてついに音の正体が姿を現す。音の種類が二つあったように、その正体もまた二匹のポケモンだった。一体は四本足で象のような長い鼻を持ちながら、頭から背中全体にかけて硬く大きな装甲のようなもの、そして二本の大きな牙を持っている。もう一体はたくさんの岩がつながってそれが蛇のようになっている。繋がっている岩一つ一つが大きく、またそれがゴツゴツと角立っているため、そのポケモンが這った後は浅く溝をほったように地面がえぐれていた。 シュナはこれらのポケモンを二体とも知っている。四本足の方はドンファン。岩蛇のような方はイワーク。その二体のポケモンは明らかに彼女ら二人を睨んでいる。敵意を持っていると表現した方が正しいようだ。
「二匹ともこんな場所にはいないはずなのに」
たしかにそうだった。ドンファンにしろイワークにしろこういった緑溢れる水辺で生息するにはあまりに場違いな存在に思われる。
「どうやらシュナの追手が放った奴みたいだな。ちょうどいいや。昔のこと思い出せねえがなんか腕がなまってる気がしてたんだよ」
横になっていたアルスは二メートルを越す巨体であることを思わせないようにヒョイと立ち上がった。こういうとき人間だったら腕をぐるぐると振り回したり、首や指の骨をパキパキと鳴らしたりするものだが、カイリューの場合はどうやら翼を動かすらしい。翼をいっぱいに広げてわざと飛ばないほどの強さでバサバサと羽ばたかせる。 台詞自体は余裕に溢れるようなものだったが、表情はきつく緊張させている。その表情からシュナは自ずとその場から一二歩下がる。 ドンファンもイワークもアルスに負けないほどの大きさの持ち主で、シュナは大丈夫だろうかと心配する。特にイワークは岩タイプの持ち主で岩の属性の攻撃は飛行の属性を持つカイリューにとって不利なもののだと知ってるからだ。
「心配すんな。ちゃっちゃか片付けてやっから」
アルスは彼女の胸中を察したのかそう言い聞かせた。
「それより、巻き込まれたくなかったら近寄るなよ」
そして始まる。 最初に行動を起こしたのはドンファンだった。壊れたチューバのような雄叫びを上げ、前足で大きく地面を踏み鳴らし、後ろ足で強く蹴り、一気に突進してきた。 アルスは片足を一歩踏み出し、両腕を広げる。そしてシュナはアルスがやろうとしていることを察してさらに波打ち際近くまで下がった。 爆発にも似た衝撃音とともに二つの影は衝突し土と砂埃が舞った。 そして晴れる。
「おい、やめとけよ」
アルスは両手でドンファンの牙を押さえていた。そして両足は大地を強く踏みしめ踏ん張っている。彼には避けるという選択もあった。しかし後ろにシュナがいたためそれをするわけにはいかない。 ドンファンは自分の得意の攻撃を抑えられたことが意外だったのか、その目に驚愕の色を浮かべている。一方でアルスは自分の目論見通りに運んで思わず顔に笑みを浮かべる。 しかしこの状況でもまだアルスは不利であった。イワークが行動を始めたのだ。 イワークはその巨体と体形にも似あわず大きく飛び跳ね、ドンファンを抑えている状況にあるアルスに自身の岩のしっぽを振り下ろす。だがアルスもこの状況を黙って許すはずもなかった。彼はドンファンの牙を離すと弾かれたように跳躍し、ギリギリのところでイワークのしっぽを避ける。 まるで巨大な太鼓に巨大な撥を振り下ろしたかのような、轟音がとどろき、イワークのしっぽは地面へと叩きつけられた。
「ったく。こいつら聞く耳を持ちゃしない。『アルジノメイレイ サカラエナイ』だとよ」
アルスはそう吐き捨て、力を込めて地面を勢い良く蹴るとドンファンとイワークへと向かう。 先程のアルスがイワークを避けたことによって二匹は思わぬ被害を被っていたが、体勢を整えアルスを迎え撃つため構える。 しかしアルスの方が数瞬早い。 アルスはいつの間にか右腕になにか青白い光を纏わせ、その腕を大きく振りかぶりながら急速に接近する。そしてターゲットはイワークだった。自分が狙われていることに気づいたイワークはなんとか避けようと体を仰け反らせるが遅い。 そしてアルスの右手は固く握られて拳となってイワークの体の身中へと叩き込まれる。その衝撃にイワークは白目を向いて吹っ飛ばされる。九メートル近い全長を持つ巨体は大きく弧を描きながら投げ出されていく。そして頭から地面に突っ込み、倒れた。 その姿はまさしく戦う者。 心の記憶は失われていても、身体の記憶は今なお彼の中で息づいていた。 そのときアルスの右手の森の奥から木の枝が激しく折れるバキバキという音が響く。
「あ、危ない!」
シュナが叫ぶ。いつの間にか姿を消していたドンファンが森の中からその姿を現したのだ。それも体を丸めて猛スピードで転がりながら。その速度は先程の突進の比ではない。シュナの立っている場所からはエアの表情が読み取れないため、彼が何を思っているのか知れない。 しかし分かることは一つ。彼は避けようとは思っていないことだ。 時間を数える暇もなくドンファンはアルスへと接近して行く。 刹那、両者が接触する。 シュナの耳は雷が落ちたような鳴動で聾した。 アルスは転がってきたドンファンの鼻の部分に掴みかかり、強引に回転の動きを止めていた。だが勢いまでは殺せずそのまま地面を滑り十メートルほど流された。 そして止まったとき、アルスは自らの勝利を確信する。
「ワンパターンなんだよ! お前の動きは!」
だがドンファンもそのままカイリューに行動を許すまいと、自らの牙をアルスの腹めがけて刺しかかる。 しかしアルスの方はその動きを強引に止めさせる。そして彼は両足を地面に対してガッシリと踏ん張りを駆けるとあろうことかドンファンの巨体を持ち上げた。
「どおおぉぉおりゃあぁアアぁぁァッ!」
彼はドンファンを宙高く持ち上げるとそのまま後ろにひっくり返るように背中から地面に叩きつける。シュナはその動きにニホンのスポーツである柔道の巴投げを思い出す。とはいえ、あれは相手の攻撃を逆に利用して背中から落とす技らしいが、アルスの動きは自分の力のみで相手を持ち上げそして落としていた。 地震にも似た振動が鳴り渡る。ドンファンはそのまま目を回して動かなくなった。 シュナは一部始終を目にしていた。 そして改めて思う。アルスは一体、あのキュロスの廃墟で眠る、あるいは眠らされる前は一体どこでどんなことをやっていたのだろうかと。
アルスは事が終わったことを悟り、自分の体についた土や砂埃を払う。
「ふー、前のこと憶えてねえけどなんか久しぶりな気がするわ、この感じ」
そしてシュナはアルスへと駆け寄った。 「大丈夫?」 「ああ、ちょっと久々で感覚がわかんなかったけど、平気だよ」
アルスは笑い顔で答える。確かに先程の戦闘を振り返ると目立った攻撃は受けていなかったと見えるからその言葉に嘘はないようだった。 思わず安堵の笑みをシュナは返す。しかしシュナは先程から自分が考えていることを彼に問わなければならなかった。
「本当にいいの?」
シュナは尋ねる。相手の方はいったい何のことかと思いその旨を返す。しかしシュナは一瞬言おうか否かを迷った。数秒ほど間が開いた後、意を決して彼女は自らの思いを伝える。
「あたし、実はあなたを初めて前にしたとき、状況が状況だったからもあるけど、自分のことしか見えてなかった。ただ自分を助けて欲しいというそれだけであなたの封印を解いたの。 でも、これで分かったでしょう? あたしに関わったらこれからもこんなふうに危ない目に遭うかも知れないよ。今回は楽に倒せたみたいだけど、これからもっと強いのが狙ってくるかも知れない。 せっかく自由を手にしたんだから、あたしなんかに関わって、これからも危ない目にあって、それで……いいの?」
彼女はそこまで言うと顔をうつむかせる。確かにキュロスの廃墟やそして今回この湖で戦ってくれたのは正直嬉しいと感じていた。しかしアルスを目覚めさせたのは自分の都合、助けてくれるのも自分の都合。だけどアルスの都合はどうなのか? それがずっと気がかりなことだった。 アルスはどのくらいあの廃墟で眠っていたのかしれないが、もしアルスにやりたい事があるのなら、その方を優先させようと思っていた。 と、そのとき視界がにわかに暗くなる。同時に頭の上にアルスの大きな手が置かれるのを感じた。
「なーに言ってんだよ。最初に言っただろうが。お前といると昔のことが思い出せるかも知れないって。お前にはあそこから出した恩も感じてるんだしさ」
アルスは背中を曲げて自らの目線をシュナの位置まで下げて、彼女の目を見据えながら言った。
「それに記憶がねえ俺にどこに行けってんだ? それこそ無責任じゃねえか。お前には名前までもらってるんだしよ」
彼は片目をつぶって片手の爪を自分の頭にチョンチョンと当てながら言挙する。 その動きがどうにも人間臭くて彼女は思わず吹き出した。アルスの様子はとても記憶をなくしている者とは思えないほど揚々としていた。 そしてさらにアルスは付け加える。
「守ってやるって」
それは彼がポケモンであるが故なのか、なんの恥らいもなくためらいもなく、まるで極自然であることのように当たり前に言ったのだった。 シュナは涙こそ出さないものの、目頭が熱くなるのを感じる。久しぶりだったのだ。誰かからここまで親しく振舞われることが。ほとんど自分のことに気をかけなかった父親、自分の存在を疎ましく思う親戚達、話し相手にはなってくれるものの立場の壁を取り払ってくれない使用人たち。バーンズロウ家という立場であるが故、深く関わろうとしない街の人たち。そんな中でどんな考えがあるのかは分からないが、自分のことを『守る』と言ってくれたアルスに。
「ありがとう」
シュナは微笑みかけて口にした。 そして涙が出そうになった目頭をなんとか抑える。 いつの間にかドンファンもイワークもその姿を消していた。どうやら森の奥に潜んでいた追手たちが二人が会話している間に戻したらしい。逃げられたことは惜しいがシュナは構わなかった。
「じゃあ、ちょうどいい準備運動にもなったし、行くか」 「うん、屋敷に戻らないとね」
そしてシュナは彼の背中へと跨る。アルスは翼を大きく広げると、十歩ほど踏み切りをつけて地面を大きくけった。同時に羽ばたく。あっという間に大地と湖から離れていった。ぐんぐん上昇していって程良い高さまで到達すると、その高さを維持して飛行する。 西の方角に目を向けると太陽がもう赤く染まりかけているのが見えた。今日中に屋敷に帰るのは無理かもしれないなと思った。そして次に東の空へと目をやる。西の空の赤さとは対照的にもう夜の到来を予感させるような紺色に染まりつつあった。空気を打つ風の音がゴオゴオと鳴り、太陽に暖められていた森の香りが鼻をくすぐる。 音と香りは夕暮れの大気に漂う。この上なく安らかに。 もう少し時間が経てば一番星が見えるかもしれない。
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Re: シュナとアルスの不思議な旅 引っ越し準備中 ( No.5 ) |
- 日時: 2010/09/14 21:04
- 名前: わたぬけ◆uIYgSadM30E
- 第三章「シュナ=バーンズロウ」
−1−
屋敷に着いたころにはもう日は完全にその姿の名残さえも残しておらず、空には悠久なる真っ暗な闇が広がり星星がまるで散りばめた宝石のようにチラチラと輝いていた。 バーンズロウ家の邸宅はフィッツシティという街にあり、市街から少し離れた郊外に建っている。もともと別の土地にあった屋敷をアルドがこの地に移したとシュナは聞いていた。もともとの土地は交通の便の悪さなどの理由でこの地に移したらしい。 トルバから隣町へと続く幹線道路から側道が伸びており、その道を少し入ったところに屋敷はある。敷地全体を三メートルほどの高さの鉄柵で囲み、その鉄柵の内では大きく分けて二つのエリアに分けられている。 一つは屋敷の建物そのもので、敷地の半分を占めている。この建物は有名な建築家に依頼したもので基本的な材料に赤レンガを使用したものという、時代に逆行したようなものだったが、むしろそのような要素がこの屋敷が大富豪バーンズロウ家の邸宅であるという貫禄を演出していた。門をくぐった正面から眺めるとちょうど左右対称なるよう設計され、中央に正面扉、その真上に当主の間のある白い柵のあるバルコニーが配置されていた。そこを中心として建物は左右に広がり、それぞれの区画に山高帽のような三角屋根があった。 そしてもう一つのエリアはその屋敷の前に広がり、門をくぐった者を最初にお出迎えする庭園だった。庭園はそこにある花で道を作っているかのようにきっちりと生育され、バーンズロウ家を訪れる客人たちはまずこの庭園に驚かされるのだ。植えられている花は様々で庭園のそれぞれの区画にそれぞれ四季ごとの花を植えているため、基本的に庭園は年中なにかしらの花が咲いているようにされている。 春である今の季節にはチューリップやマリーゴールドなどが占めている。 シュナは今が夜であることをほんの少しだけ残念に思った。空からのこの庭園を見下ろせばきっと色とりどりな花がまるで種々の刺繍を施してある絨毯のように見えただろうと思ったからだ。 アルスは大きな翼を前に寄せるように羽ばたかせ空中でとまると、そのままゆっくりと真下に降下していった。そして降り立ったは庭園の中央の十字路。正面から見渡す屋敷は灯りが全て消えていた。使用人を除けばここで今現在住んでいるのはシュナだけだから当然でなことであった。とはいえ、やはりシュナは何か物足りなさを感じずにはいられない。 「へえ、こんなところに住んでんだな」
まずはアルスがそう漏らす。ポケモンであるがゆえかこのような豪邸を前にしても反応は薄い。
「うん。あ、そうだ。ちょっといいかな」
シュナは屋敷の扉へと近づこうとして気づく。
「なんだ?」 「その、使用人たちが驚くといけないからアルスはあとから入ってきてほしいの。あたしが合図するまで外で待っててくれないかな?」 「めんどくせえな」 そう言いながらもアルスはしぶしぶと承諾する。 シュナは屋敷の正面玄関へと歩いた。途中なにか忘れているような、という思いが走ったがすぐにそれは消える。 今が夜であることを少し残念に思った。日のあるうちならアルスにこの庭園を見せることが出来るからだ。今も見えないわけではないがやはり暗い内より明るい時に見た方が断然いい。この屋敷に住み始めてあまりいい思いはなかったがこの庭園だけは素直に気に入っていたのだ。 二人は屋敷の大扉の前へと立った。そして傍らにあるインターホンにシュナは手を伸ばした。屋敷では扉の鍵は全て内で管理されており、門限を過ぎると全ての扉および窓が施錠され家の者であろうと外へと締め出されることになっているからだ。 そしてシュナはインターホンのボタンを押し込む。チャイムのような音が鳴る。 数秒ほどしてインターホンが繋がり、女性の声が聞こえた。
『――どなたでしょうか?』 「私よ。今帰りました」
途端にスピーカーの向こうから何かをひっくり返すような音が鳴り響き、同時に接続が切れる。 そして十数秒ほどして扉の向こうからもドタドタと物音が近づいてきた。そして正面扉が勢い良く開かれた。
「お嬢様! どこへ行っておられたのですか!?」
そこにはシュナと同年程度かあるいは少し年上ほどに見える女が立っていた。明らかに使用人と思われるメイド姿をしていた。黒く足首ほどまで丈があり袖の長いドレスに白いエプロンを付けている。背丈はシュナより少し高い程度で栗色の髪を後ろで団子のように纏めていた。 女は狼狽した面持ちでシュナを見る。
「ただいま。ソフィア」
シュナははぐらかすような笑いを浮かべて彼女の名を言った。
「ただいまじゃないですよ。護衛もつけないで黙って三日も留守にするなんて。私たちがどれほどお嬢様を心配したか分かってたんですか?」
ソフィアと呼ばれた使用人は今にも泣き出さんとする勢いだ。 このソフィアはシュナがこの家に来る少し前にアルドが雇った使用人で、歳が近いということでシュナが気軽に接することのできる数少ない使用人の一人だった。アルドが死後自分の遺言を発表したあの日にシュナが侍らせていた使用人も彼女だった。 それから、まだソフィアがシュナにぼやいているところに別の使用人が来た。ソフィアと同じく女性だが、こちらは初老で髪の毛には黒いものよりも白いもののほうがもはや多かった。服もソフィアのそれと同じなのだがやはりだいぶ年季が入っており、くたびれながらも経験の深さを匂わせていた。
「ソフィア。行儀がなっておりませんよ。いくらお嬢様の御身を案じていたとはいえ、それ以上の言葉は慎みなさい」
そういわれるとソフィアもまだまだ言いたい事はあったが、そこでようやく自分の行為の無礼に気づき、言葉に詰まって黙って引き下がった。口調こそ穏やかであれ、やはり長年の経験からか老女の使用人の言葉には思わず言うとおりにせずにはいられない重みが含まれていた。そしてその穏やかな叱責の矛先はシュナにも向かう。
「お帰りなさいませお嬢様」 「ただいまナタリーさん。黙って出かけてごめんなさい」 「お嬢様。使用人の身であることを、そして無礼を深く承知の上で申し上げます。ソフィアにはああ言いましたが、今やお嬢様の御身はお嬢様一人だけのものではないと自覚していただかないと」
シュナは黙ってナタリーの言葉を呑む。今やバーンズロウ家の当主という身である彼女は継承する以前以上に使用人たちの目が厳しくなっていた。使用人たちは本来ならシュナのことは「お館様」もしくは「当主様」と呼ばなければならない。しかしシュナがどうしてもその呼び方を嫌がり彼女がなんとか今までの呼び方にするよう説き伏せたのだ。もっとも本当なら「お嬢様」という呼称さえできれば止めてほしかったのだが、それ以上を求めるのは使用人たちには逆に酷だということも分かっていた。 ナタリーの話によると今晩の屋敷への宿直は彼女とソフィアの二人だけらしい。
「ごめん。今日はもう休ませてくれないかな。ちょっと疲れちゃって」
留守している間どうしていたのかと使用人が問いただしてきそうな雰囲気を感じてシュナはそう言った。実際キュロスの廃墟を訪れて以降さまざまなことが起こりすぎていたので少々精神的に参っていたのだ。そして外にはまだアルスを待たせているからあんまり時間をとるのも悪いと思った。 そして彼女は自分の部屋へと向かう。本来なら彼女の部屋はアルドが生前使っていた当主の間となるはずなのだが、未だにこの屋敷に来たときに与えられた部屋を使っていた。玄関ホールの中央に階段があり、そこから中二階へ昇ると二手に回廊が分かれ、左に折れた方の奥へと行くとシュナの部屋へと当たる。
「今お開けします」
連れていたソフィアがすかさず鍵を開ける。それから彼女はそのまま鍵をシュナへと渡すと一礼して引き下がった。
「出かけてたときの話、聞かせてくださいね」
ソフィアは無邪気に笑いを浮かべて言いながら立ち去った。シュナとソフィアの関係は先述したように、主と使用人というよりも友人同士のそれに近い。屋敷での生活が退屈なシュナはよくソフィアを自分の部屋に呼び寄せてあれこれ他愛のない話を楽しんでいる。シュナの田舎に住んでいたころの暮らしや今の生活での不満に対する愚痴。そしてこれからの生活への不安。とても他の使用人には話せないようなことをあれやこれやと打ち明けた。そのたびにソフィアはまるでシュナの話を糧にしているかのように興味深げに相槌を打ちながら聞くのだった。 しかしながら、今回ばかりはソフィアを部屋に通すわけにはいかない。 シュナは部屋へ入り、荷物を机に置くとすぐにバルコニーに向かった。当主の間にあるそれと比べると小ぢんまりとしたものだが、窓の大きさはなんとかアルスのような巨体でも入れるほどのものだった。バルコニーに出るとまずは外に使用人の二人がいないことを確認する。隈なく目を配って誰もいないことを確認すると一旦部屋の中に戻った。そして部屋の明かりを二三度、点灯と消灯を繰り返した。それが合図だった。合図であると同時に自分の部屋はここだと教える目印も兼ねた。 そして数秒の後に部屋の中に翼を羽ばたかせる音が入ってきた。同時に俄(にわ)かに風が吹き込む。出かける前に机の上におきっぱなしていた本が、見えざる手によってパラパラとページがめくられる。気がづくとバルコニーの上にすでにアルスが立っていた。一瞬シュナは彼の重みでバルコニーが壊れやしないかと思ったが、壊れるどころかきしむ音ひとつ立てていない。
「ごめんね待たせて」 「ああ、そんなことねえよ」
アルスはそう口にしながら片手で首の後ろあたりを掻いた。 それからシュナは彼を中へと入れたが、窓から入るときは若干つかえて、特に翼が大きいだけに入りにくそうにしていた。 その様子が可笑しくてシュナは少しだけ笑ってしまった。 部屋は天井の高さはさすがにカイリューにとっては低そうであったが、広さは十分にある。シュナはとりあえず彼を何も家具類を置いていない壁際に座ってもらった。 「にしても、デカイ所に住んでるんだな」
アルスは自分が入っても尚余裕のある広いこの部屋をぐるりと見回す。「豪華」だとか「派手」だという言葉を使わず「デカイ」という大きさにだけ関心がいくのはいかにもポケモンらしい。さすがに人を乗せての長時間の飛行、それも久しぶりの飛行に疲れたのか、声にはため息が混じっていた。 しかし奇妙なことにシュナからのそれに対する返答には少しばかりの間があった。何かを言おうとしているのだが渋っているようにも見える。その気持ちが動きに表れるのか彼女は目をまるで拳を握り締めるように瞑っている。しかし自分の中で何かを決めるようにうっすらとまぶたを開くと、ポツリと口を開いた。
「本当はこんな屋敷住みたくなかったの」 「あん? どういうことだ」 「少し長くなるよ」 「どうせ暇つぶしついでだ。聞いてやるよ」
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Re: シュナとアルスの不思議な旅 引っ越し準備中 ( No.6 ) |
- 日時: 2010/09/14 21:05
- 名前: わたぬけ◆uIYgSadM30E
- −2−
あたしね。つい半年くらい前までこの家の子供だってこと知らなかったの。住んでいたのもこことは全然別の場所で、北のほうにあるジェラルドタウンって村。ときどき暴走族がやってきて迷惑することもあるけど、基本的には静かな村。もともとはそこでおばあちゃんと二人で暮らしてたの。母さんは私の物心つく前に亡くなったらしくて、顔も写真でしか見たことないんだ。 本当に静かな村でね。ときどき人里までポケモンが悪戯にくるくらい。
それで、ほんの半年まで両親のことをろくに知らずにその村で暮らしてたんだけど。その半年前に……父さんというべきなのかな? アルドって人が訪ねてきて、あたしを引き取りにきたって。うん、驚いたってもんじゃなかったなあ。突然家に押しかけてきた見知らぬ人間が自分の父親だったなんて。おばあちゃんのあのときの顔、忘れられない。何かの間違いかも知れないっておばあちゃんの顔見るんだけど、なんだか悲しんでいるような、諦めているような、とにかく『ああ、ついに来たんだな』って顔をしてた。たぶんおばあちゃんも知ってたんだと思う。あたしがそのアルドって人の子供だったってこと。
あの人ときたら、あたしがどういうことか説明を求めたって何も答えない。なにか言うとしても「お前は私の娘だったのだ。それ以外に何か説明が必要か」ってだけ。それならどうして今まで迎えにこなかったのかとか、どうして母さんと一緒に暮らさなかったのかとかいろいろ聞きたいことはあったけど、そのとき見せたあの人の目がまるで悪魔のようにギロリと光ったからあたしはそれ以上は聞けなかった。 それからあの人はおばあちゃんと何か二人きりで話すことがあったらしくて、あたしを家の外で待たせた。すぐに終わったみたいだけどね。そしてあたしはこの家に来た。
今までテレビでしか見たこと無いような大きなお屋敷だったから、うーん正直言うと少しだけわくわくしたかな? でもやっぱり不安でしょうがなかったわ。まるで方向の分からない深い森に迷い込んじゃった気分だった。周りに自分が知ってる人も自分のことを知る人もいない。慣れない行儀作法は厳しくしつけられるし、家庭教師はつけられるしでうんざりだった。 でもどうしてかここから逃げ出したいってき分にだけはなれなかった。なぜなのかはうまく言えないんだけど、あの人があの時見せたあの悪魔のような燃えさかる鋭い目をもう見たくなかったからかも知れない。 あたし、正直に言うとあの人……父を恨んでる。母さんをとっくの昔に見捨てたくせに今になって娘のあたしを引きとって。挙句の果てにこの家のくだらない家督と一緒に親戚たちからの恨みを私に全部押し付けて、自分は先に死んじゃうなんて。
あんな遺書を残したせいで、あたしはますますこの家を離れられなくなっちゃうし、おまけに叔父や叔母からは狙われるし。 この屋敷に来て嫌なことばかりってわけでもないけど、でもやっぱり元の暮らしに戻りたいよ。
*
「ごめん。やっぱ退屈だったでしょ」
シュナは一息ついた。部屋の中に冷たい風が入ってきた。やはり春とはいえ夜はまだ冷えるのか、シュナは座っていたベッドから立ち上がり、今まで開けっ放しにしていた窓を閉じた。 そして後ろを振り返るとちょうどアルスが大きくあくびをしているところだった。さすがにカイリューのあくびとあって人間のそれに比べると豪快なものだ。大きく開かれた口は大人の人間の頭が丸々入ってしまいそうで、その中には白くて鋭利な牙が光っているのが見える。こうしてみるとやはりアルスはポケモンなんだって改めて認識できる。ポケモンでありながらなぜか人間の言葉をしゃべることができるこのカイリューに時々シュナは彼が人間であるのかポケモンであるのかわからなくなるような不思議な感覚が走った。
「わりぃな、正直少し退屈だったがちゃんと聞いてたつもりだよ」
そう言ってるそばからまたひとつあくびを見せた。今日の昼ごろにキュロスの廃墟地下から目覚めてその後いろいろとあったから、急な運動で疲れたのだろうか。アルスは壁にもたれ掛かって少しばかりまどろむような表情を見せた。
「人間って変なもんだな。こんなデカイ家があるってのにわざわざそれを嫌がるってのか?」 「うーん。確かに今の暮らしは悪くはないわよ。朝早くから料理人さんが出勤してきておいしい料理を作ってくれるし、欲しいものは何でも手に入る。使用人のみんなは厳しいところもあるけどあたしのことを本当に大切にしてくれる」
シュナは一旦そこで言葉を切った。自分の中で言葉を選んでいるのか、それとも自分が言わんとしていることを言うべきが迷っているのか、眉間に少しだけ皺を寄せて考える素振りを見せた。すぐにそれは終り、下唇をグッと上顎で噛むとまた話し始める。声はあとの方になるに連れて次第に速さを増し、同時に熱がこもっていった。
「でもねなんだか怖いのよ。恐ろしいの。これから先の人生、あの人が無理矢理用意したレールの上を私は走り続けなきゃいけない、決して自分の意志で止まったり、それこそ横道にそれることも出来ないって思うと。私まだこの家に来て半年くらいしか経ってないけど、このバーンズロウ家がどんなしがらみに取り憑かれた家かは嫌でも理解した。きっとこれから先私がどう行動しようとバーンズロウ家の当主という肩書があたしに、まるで足枷のように付いて回るわ。いろんな人が敵に回る。ううん、実際もう敵が現れてしまったのは明白。それらの負荷をずっと背負い続けなきゃいけないって思うと……怖くてたまらないの…… なんで? どうしてあたしが……」
彼女はまるでダムが過剰に溜まった水を放水するかのように一気に捲し立てた。 シュナは今十四歳だ。十四歳といったらこれから大人になるまでたくさんの可能性が満ち溢れている。やろうと思えばどんな人生だろうと歩んでいける。世間の同い年の女の子と同じように恋を憶えてもおかしくないし、自分の将来に付いて様々と思いを巡らせるのも十分すぎるほど許される年頃だ。ジェラルドタウンにいた頃は人並みに友人だって居た。だがそれらの可能性、夢、友人たちは彼女の実の父によって半ば奪われてしまったのだ。いくらシュナの父がアルド氏でこうなることは決まっていたとはしても、それまで何も知らされず教えられてこなかった彼女にとっては理不尽この上ない仕打ちであるに違いなかった。 それらの言葉をカイリューである、ポケモンであるアルスがどこまで理解したのかは知れない。 アルスはそこで彼女の言いたいことが終わったと見ると、何かを言わんと口を開きかけたが、何を言えばいいのか彼の中でもまだ整理がついていないようだった。
「ああ、なんっつーか。俺は人間じゃないから正直どうお前に言葉かけていいのか分からねえ。だけどよ……」
そこでアルスはなんだか困ったように言葉を詰まらせた。最初は何か照れくさいことでも言おうとしているのかとシュナは思ったが、よく観察してみるとこれから言う言葉が照れくさくて詰まっていると言うよりも、どう言えばいいのかの表現が見つからなくて困っているような感じだ。
「ああクソッ。とりあえずその表情やめろよ!」
アルスはキッとシュナを射ぬくように見据えて片腕をまっすぐ彼女の方に指した。 思いがけぬ激しい口調だったため、彼女は一瞬どきりと衝撃を受けた。
「いいか。お前ここに戻ってからシケた面ばっか見せやがって、もうちょっとマシな顔出来ねえのか?」 「マシな顔……?」 「そうだ。ええっとつまりだな……」
そのときシュナはアルスの伝えようとしていることがピンと来て彼の求めてる表情を作った。
「こうでいいのかな?」
いつもなら自然にその顔を出せるのに、今回に限って妙にぎこちなくなってしまう。笑顔をつくるというのは当たり前にできるようで当たり前にできない。まるで普段当たり前のように呼吸しているのに、一度呼吸のやり方を意識すると妙に気になってそれが何故か続いてしまうかのようだ。 だがこの時に限ってはこれで十分のようだった。
「そうだ。そんなふうに笑っていろよ」
そのときだった。アルスは自分の記憶の奥底に一瞬光のようなものが過ぎった気がした。自分があの廃墟の地下で眠りに付く前の記憶。あの廃墟で初めてシュナに会ったときに勘違いした記憶の中の誰か。その誰かの表情とシュナの表情が一瞬一致したのだ。そのときの感覚はまるで粘土の上に立っているかのように不安定で視界が刹那ぐにゃりと歪んだ。だがその感覚はほんの一瞬にして過ぎ去り、それが自分の動きに出る前に消え去った。だからシュナは気づかない。アルスが自分の表情によって記憶の中の何かを見出しかけたことに。 同時にアルスは確信した。シュナは間違いなく自分の失われた記憶についての鍵を持っているのだと。 一方でシュナの方はまたやってしまったと自省していた。
「ごめんね」 「あん?」 「記憶がなくなってるアルスは、自分が誰なのか知ることの方が大切だというのに、あたしったら勝手に……」 「よせよせ。さっきも言ったじゃねえか。暇つぶしついでだって」
そしてアルスは大儀そうにゆっくりと立ち上がった。
「どうしたの?」 「あん? お前のマシな顔も見られたことだし、今日はもう寝るよ」
そう言うと彼は窓のほうへとのそのそと歩いていった。尻尾が右左に揺れて机のそばにおいてあったくずかごにぶつけて倒してしまった。このまま窓を突き破ってしまうんじゃないかとあわててシュナはアルスより先に窓へと向かいいっぱいにまで開いた。
「どこに?」 「そこらへんで寝床探す。ここはちょっと狭い」
彼はぶっきらぼうに返し、バルコニーに立つと両翼をいっぱいに広げる。そして何度かの羽ばたきの後、浮き上がった。
「ちょっと!」
あまりに唐突なカイリューの行動に思わず彼女は声を上げる。空中で羽ばたきながらシュナのほうへと見返すアルスの表情はどうやら本格的に眠気を感じてるようだ。
「あんまり人前には姿を見せちゃだめよ。特にポケモンを連れてる人間には」
一瞬、アルスはどういう意味なのかわかりかねた様子だったが、すぐに言葉の意図に気づき「分かった」と返した。 そして彼は飛び上がりすぐに真っ暗な闇の支配する夜の空気の中へと消えていった。 彼が見えなくなるのを見届けてから彼女は一息ため息をつくと、部屋へと戻り肌寒い空気が入り込んでいく窓を閉め鍵をかけた。そのときちょうど見計らったように部屋の扉からノックの音が彼女の耳へと届いた。 扉を開けるとソフィアが立っており、水差しとグラスをワゴンの上に載せて持ってきていた。
「お水お持ちしました」
ソフィアは何かに期待しているように無邪気に笑っていた。そして水差しとグラスをワゴンごと部屋の中へと入れた。そして机のそばまで持ってくるとそのまま出て行こうとした。すると突然ソフィアは小さな悲鳴を上げてその場で転んだ。慌ててシュナも彼女の元に駆け寄る。見るとソフィアの足元にはさきほどアルスが倒していったくずかごが転がっていた。アルスが飛び去ってからすぐにソフィアが来たために片付けるのを忘れていた上、ソフィアの方もワゴンを転がしていたため倒れたくずかごに気づかなかったのだ。
「いけませんよお嬢様。私だったから良かったものの、ナタリーさんやグラマーさんだったらカンカンでしたよ」 「ああ、ごめん。うっかりしてて」
シュナは適当にごまかしながら内心どぎまぎしていた。ソフィアが来たのがアルスが去ってからで本当に良かったと痛切に感じた。
「ねえ、ソフィア。さっき言ってたのはまた今度にしてくれない? ちょっと今日はいろいろありすぎちゃって本当に疲れちゃったの」
シュナはひとつには本当に疲れていたのもあるが、もうひとつにしばらく一人で考えたいことがあったのだ。ソフィアにはいずれ話すことになるとは思うが、今日はあまりにいろいろな事が起こりすぎて頭の中が混乱している上に、もし話すなら思い切ってアルスも居た方が話しやすいと思ったのだ。これまでソフィアにシュナはさまざまな打ち明け話もしていたし、それと同じように彼女のことも自分のことを開けっぴろげに話してもらっていたが今回のことほど話しにくいことはなかった。
「分かりました。今日はナタリーさんと一緒に宿直していますから何かあったら呼んでくださいね」
ソフィアは部屋から出て両手を前に揃えて使用人特有の深々とした礼を見せ、「おやすみなさいませ」と夜の挨拶を終えるとなるべく音のたたないように丁寧に戸を閉めた。 あとに残されたシュナは机の椅子に座ってひとつため息をつくと窓の外を見やった。いったいアルスはどこまで寝床を探しに行ったんだろう。そういえば明日はいつごろ来てくれるのだろうか。誰かが見ている前で来られたらちょっと困るかもしれない。そんなことが水泡のように浮かんでは消えた。 それから彼女はシャワーを浴び、寝巻きに着替え歯磨きを終える。そのままシュナは洗面台の鏡に映る自分の顔をじっと見つめた。
「マシな顔……ね」
そして彼女は両手で無理矢理顔の口角を上げてみせた。まるでサーカスのクラウンのような不自然な笑顔が鏡に映った。
「なにやってんだろ、私……」
シュナは洗面台をあとにし、部屋に戻るとソフィアの持ってきてくれた水差しの水をグラスに注いで一気に飲み干した。 明かりを消して彼女はベッドに横になり布団をかぶった。 だが、今日一日の体験でびっくりしていた心をは彼女をすぐに眠りの世界へ向かわせることを許さない。
誰も居なくなった部屋、明かりのない暗くなった部屋。こういう静かな空気の中でよく彼女は自分の考えをめぐらせることがあった。そして今回もまた例外ではない。シュナは改めて今日一日自分の身に降りかかった出来事について思いを泳がせる。 その主な対象はやはりあのカイリュー、自分がアルスと名づけたポケモンについてだった。
アルスはいつからあそこに居たのか。あの地下で眠らされる前はいったいどこで何をしていたのか。どうして人間の言葉をしゃべることができるのか。なぜ記憶を失っているのか。アルスを封印していたアンノーンたちはなんだったのか。次々と川の水が決して途切れずに流れていくように次から次へとそのような疑問が浮かび上がる。しかしそのような考えも些細なことと呼べてしまうほどの疑問が彼女の中にあった。それは彼が初めて会ったときから無意識ながら感じていたものだが、あの湖のほとりでの出来事の後にその疑問はさらに顕著なものとなった。 この疑問を彼女はアルス自身に問いかけてみようかと考えてはいたが、なぜかその言葉が出てこない。結局今日はそのことを話せずに彼はどこかへと寝床を探しに行ってしまった。明日あたりに尋ねてみようかと思ったところでようやく眠気という名の門が開き、彼女を深い眠りの世界へと誘った。
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Re: シュナとアルスの不思議な旅 引っ越し準備中 ( No.7 ) |
- 日時: 2010/09/14 21:06
- 名前: わたぬけ◆uIYgSadM30E
- 第四章「最初に思い出したこと」
−1−
翌朝、シュナは誰かに呼ばれるような錯覚を感じながら目を覚ました。夢と現実のまどろみの中をうとうととしながら机の上の置き時計に目をやる。午前七時を回っていた。体を起こして大きく伸びをするとベッドから降り、まずは寝間着から着替えた。そして窓のカーテンをサッと開ける。春らしい柔らかで暖かな朝日が部屋へと差し込んできた。そして鍵を開けて窓を開けた。蝶番の軋む音が響き、風が舞い込んできた。そして目に飛び込んでくるは屋敷の広大な花の庭園だった。 この花々の繚乱する庭園は彼女がこの屋敷に来て気に入った数少ないものの一つだ。バーンズロウ家敷地の正面入口から屋敷の正面玄関までまっすぐに一本の道が通っており、入り口と玄関のちょうど真ん中あたりは十字路になっている。庭園のさらに奥に入っていけるように別の道が敷いてあるのだ。
「よう起きたか」
その声とともに不意に視界が遮られたと思うと、逆さまになっているアルスの顔が視界に映った。思わず口から飛び出すワケの分からない叫び声。そして思わず彼女は後退り、そして今度はアルスの目の前からシュナの姿が消えた。見るとバルコニーと部屋の間の窓の敷居の部分に足をひっかけて後ろ向きに転んでいた。
「なにやってんだお前?」 「こっちの台詞よ!」
シュナは思いっきり打ってしまった背中のあたりをさすりながら立ち上がった。おかげでまだ少しまどろみの残っていた目がバッチリ過ぎるほど覚めてしまった。そして改めて見てみると、アルスは窓の上の三角屋根の部分に乗っかりそこから覗き込むような形で頭を下げている。
「いつからそこにいたのよ」 「さっき来たばかりだ。言われた通り誰にも見られないようにしたつもりだ」 「そう、ならいいけど」
シュナは未だ内心どぎまぎしていた。このカイリューがいきなり屋根の上から現れたことで、もしかして夜の間ずっとそこに居たのではないかと思ってしまったからだ。この屋敷は主に使用人だが早朝から人の出入りが激しい。ひとまずアルスの存在をしばらく隠しておこうと思ったシュナとしてはいきなり誰かに見られるということはどうしても避けたかった。 とりあえずシュナはアルスを部屋に招き入れた。これから使用人が庭園の朝の手入れをする時間だ。このまま屋根の上に居座られて誰かに見られてもまずいと思ったためだ。相変わらずこの窓からのアルスの出入は狭そうだ。いつか窓の戸を壊してしまうんじゃないかと少しだけ心配してしまう。 アルスは入るととりあえず身の置き場として昨晩座っていた場所に再び腰掛けた。傍らには夜の去り際に倒してしまったくずかごがちゃんと立て直されて置かれている。
「昨日はどこで寝てたの?」 「んあ、そこらへんの山ん中のちょうど良さそうな木の根元で寝たよ。人間はああいう所では寝ないのか?」 「うーん人間としてはやっぱりこういった屋根や壁に囲まれた場所がいいんじゃないかしら?」 「へえ……」
アルスの返事は実に素っ気ない。自分から訊いたもののあまり興味がないといった風でもあった。それよりなにか別のことを考えているようにも見えた。なにか考えを整理しているというのか、アルスの目はどこか遠くを見つめているようにぼんやりとしていた。
「どうしたの?」
シュナがそんなアルスの様子に気づき、話しかける。
「あっ? いやなんでもねえ」
実にわかりやすいような反応を見せたが、シュナもシュナで彼に訊いておきたい疑問が一つあったので、とりあえず今は置いておくことにした。
「ねえアルス、一つ訊いてもいいかな?」 「なんだ?」 「アルスって……」
そのときまずい事態が二人に降りかかった。部屋の扉からノックする音が聞こえてきたのだ。その音を聞いたシュナはまるでそのノック音が自分の心臓を直接叩いているかのように驚いた。瞬間シュナはアルスを部屋に入れてしまったことを後悔する。 誰が来たのかは明白だ。ソフィアだ。ソフィアがシフトに入っている日は朝は必ず朝の挨拶を兼ねて、その前の晩に持ってきた水差しの回収に来るのだ。
「おはようございますお嬢様」
ドア越しにやはりソフィアの声が聞こえてきた。シュナは無意識の内に「おはよう」と返す。声が少し震えていたような気がする。返事をせずに眠った振りをするのも考えたが、いつもシュナはこの時間には起きるため妙な不自然さを感じさせるのもまずい。とりあえずシュナはアルスに立つよう促す。だが窓の外にやろうにも窓はこういう事態に限って閉めてしまっていた。それにこの時間にはもう使用人の誰かが庭園の手入れを始めている。外にだすのはどっちにしろ駄目だ。となると…… 彼女は部屋を見回す。そして一つのものに焦点が合わさった。
「ソフィア、ごめん今着替えてる途中だから少しだけ待って!」 「そうですか。では終わったら呼んでくださいね」
とりあえずこれで少しだけ時間をかせぐことが出来る。いつもソフィアが挨拶に来るときは部屋を開けるので今追い返すのもまずいと考えた。 そしてシュナは焦点のあったそれに向かう。そしてぐっとそれの戸を開いた。そこはクローゼットだった。この屋敷のクローゼットは天井ほどまである高さとかなりの広さがあった。その広さはほとんど小さな部屋と言ってもおかしくないほどのものだ。あんまり広いスペースのためシュナはそのクローゼットの半分ほどしか使えていなかったが、それでも屋敷に来た当初よりはずっと増えている。主な理由はシュナの家庭教師を勤めるアーノルドという女性がバーンズロウ家の令嬢にふさわしい衣服をと次々と買い与えた結果だった。 シュナはクローゼットの中に吊り下がっている衣服を全て端に寄せた。狭いだろうがとりあえずカイリュー一体がなんとか縮こまれば入るスペースは確保出来た。
「ごめんね。狭いだろうけどここで大人しくしてて」
シュナは詫びるように手をあわせてからいそいそとアルスをクローゼットの中に促した。アルスはというと何がなにやら分からぬまま振り回されるようにクローゼットの中へと入った。途端にまずホコリっぽさが気になった。
「おい、ちょっと狭ッ……!」
言いかけたところでシュナによって戸が閉められる。誰かに見られてはいけない理由はアルスのほうもなんとなく理解しているため、仕方ないと分かっているがちょっと理不尽ではないかと感じた。部屋の様子はクローゼットの戸についている斜めに切り込まれている空気穴から狭いながらも伺うことが出来た。勝手だなとアルスは内心ぼやきながらとりあえず楽な体勢でなんとか座るようにした。
「ごめーん待たせて」
無駄に勢い良くシュナは部屋の扉を開けた。そこには昨晩水を持ってきたときと同じようにソフィアが両手を前に揃えて立っている。さすがに部屋を出るときの態度が不自然だったのか、妙に訝しげな目で見られているような気がした。
「おはようございます。お水差しの方回収に伺いました」
できる事ならシュナは自分からワゴンを持ってきて部屋の入口で渡したかったが、そうするとやはりかえって不自然だろう。なるべく自然を装ってシュナはソフィアを部屋の中に入れた。ソフィアがクローゼットの横を通り過ぎるときは内心どぎまぎしたが、どうやら何も気づかなかったように通り過ぎてくれて、シュナは悟られない程度にため息をついた。ソフィアは使用人たちの中で最年少ということでまだどこか抜けている様子があったが、時に勘が鋭くなるときがある。いつかソフィアを部屋に招き入れて一緒に推理もののドラマを見ていたときに、劇中の探偵が犯人を突き止めるよりもずっと前に犯人を自分で推理してトリックまで言い当てたことが幾度もあった。口では柔らかに「教えてくださいね」と言っていたが、シュナが留守のあいだ何をしていたのかソフィアは内心誰よりも気になっているに違いなかった。 ソフィアにはいずれアルスのことも留守中に起こったことも話そうと思っていが、今はなぜだか時期尚早に思えたためのこの行動だった。それに朝は慌ただしいのであんまりソフィアを捕まえていては他の使用人の迷惑がかかる。だからもう少しだけ時間を置いてから話すつもりでいた。まさかいくらソフィアの勘が鋭いとはいえ、今現在クローゼットの中にカイリューが入っているなんて夢にも思っていないだろう。 とりあえずのところ、今はこのまま誤魔化せそうとホッと気が抜きかけているところ、いつのまにか視界からソフィアの姿が消え、今まさに彼女が持って出ようとしていたワゴンがその場にポッツりと放置されていた。
「え?」
見るとソフィアはなにやら床板のある一部分に手を当てている。その場所を見てシュナはギクリとまるで胃袋に重い石がどすんと落ちてきたような感触を覚えた。そこはついさっきまでアルスが座っていた場所だった。そしてその場所にソフィアは手を当ててなにやら難しい顔をしている。
「どうしたの?」
シュナはできるだけ平静を装ったように話しかけたつもりだが、その声は自分で聞いてもなにやら裏返っているようにしか聞こえなかった。そしてソフィアは立ち上がってまっすぐシュナに視線を注いで、それから無邪気そうににこりと笑った。
「お嬢様、どなたかいらっしゃってるんですか?」
半ば予想していた言葉とはいえ、実際に言われると改めて驚きまるで心臓に矢を刺されたような感覚が走り全身へとそれが渡る。
「えっ? どうして?」 「床がここだけわずかに温かくて、ここに誰かが座ってたんじゃないでしょうか?」
正しくその通りだ。その瞬間シュナの頭の中にいくつもの言い訳の言葉がよぎるが、どれもまともに言い訳としては通用するとは思えないものばかりで結局言葉に詰まってしまった。
「当たってるんですね」
ソフィアがいじわるそうに笑う。本来ソフィアの態度は使用人としてあるまじき態度なのであるが、言っていることが正しく図星であるのと、使用人に対してあまりきつく言う事の出来ないシュナの性格との要因が被り合い何も言い返すことが出来ないでいた。その上ソフィアはこの所謂「探偵モード」に一度スイッチが入ってしまうと自制心というストッパーが吹き飛んでしまうのか、相手が誰であろうとこのような態度に出てしまうのだった。
「でも、スリッパも履いているのにどうしてそこだけ温かいって分かったの?」 「実は昨夜ここで私がくずかごに引っ掛けて転びましたでしょう? あのとき床に手をついたときも同じようにここだけ不自然に温かかったんです」
シュナは思い出した。昨夜ソフィアがアルスの倒したくずかごで転んで手をついた場所。あの場所は確かに昨夜、そしてついさっきまでとアルスが腰掛けていた場所だった。 一方その頃アルスの方はと言うと、クローゼットの中で狭苦しい思いをしながらも外の状況が気になってしょうがなかった。とはいえ、クローゼットの戸についている小さな穴ではどうしてもシュナともう一人入ってきた人間の様子を伺うには無理がある。聞こえてくる声で判断するに、どうやら問い詰められているらしいということは伺い知れた。
「そしてその人物はさっきお嬢様の言う"着替え"の時間にどこかに隠れました。かといって洗面所のような探してすぐ分かるような場所に隠れるとは思えません。それに"着替え"は妙に時間がかかってるようでした。そのことを鑑みるに隠れるにはすこしばかり時間の係る場所。ベッドの下かあるいは……」
そしてソフィアは自分の推理によって判断した場所へつかつかと歩いていく。シュナは為す術も無くよく分からない声を漏らした。
「クローゼットですね!」
いつもならソフィアの朝の挨拶に時間がかかってるようならナタリーが呼びに来るのに今日に限ってそれがない。矛先を向けるには的はずれすぎるとわかっていながらもシュナはそのことを少しだけ恨んだ。 バンッという音とともにクローゼットの戸が開かれる。
「あっ……」 とアルス。 「えっ?」 とソフィア。 「あぁ……」 とシュナ。
いくらソフィアが推理に長けているとはいえ、まさかこのクローゼットに二メートルを越える巨体を持ったカイリューが入っているなんて塵ひとつほどにも思っていなかったに違いない。アルスの方はというと可哀想に、ただでさえ体が大きいというのにこんな狭い場所に入れられて妙に不自然な体勢でなんとか座っているようだった。
「え? あ……れ?」
探偵モード終了。その瞬間ソフィアは目の前にある光景と自分が予想していた光景とのあまりのギャップに頭の中で何かが爆発するような音を聞いた気がした。呆然となるソフィア。その機会をシュナは逃さず、ソフィアの手に半ば強引にワゴンの取っ手を持たせると彼女を背中から押して一緒に部屋から出た。
「はいはい! 朝食の時間よね!? 今行くからねー」
シュナも半ば混乱していたようだ。ソフィアが思考停止しているこのうちにとにかく部屋から引き離さなくては。とりあえずソフィアには後でこっそり事情を話すことにして、早く朝食の場に行かないと他の使用人がやってくるかもしれないと思った。 そして後に取り残されるはなんとかクローゼットから脱出したアルスのみ。
「おーい俺も腹へったんだが」
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Re: シュナとアルスの不思議な旅 引っ越し準備中 ( No.8 ) |
- 日時: 2010/09/27 22:15
- 名前: わたぬけ◆uIYgSadM30E
- −2−
「お嬢様、おはようございます」
バーンズロウ家の執事頭を勤める老齢の使用人ウィリアム=グラマーの淡白な声に続いて、今日の奉公をする使用人全員が「おはようございます」と彼の後を追った。 バーンズロウ家では毎朝当主が起き、朝食の席が終わると使用人一同が朝の挨拶をすることを決まりごととしていた。それはこの家が代々やってきて今に至っている伝統とも言うべきもののひとつ。どの使用人もこの時間になるといくら今行っている作業が中途であろうとこの場に集まってくるのだ。執事頭から料理人、庭師に至るまでズラリと肩を並べているその様は壮観と呼んでも過言ではない。しかし、当のシュナはというとやはりこの光景を取り仕切ることに未だに慣れることの出来ないでいた。アルドが生きていた頃はこの光景をただ見るだけでいい立場だったのでまだ気が楽だった。しかし今やシュナはこの使用人たちを取り仕切り、この場で挨拶される立場。 アルドの葬儀も済み、初めてシュナがこの場に立った時の緊張感は、彼女が今思い出しても息が詰まりそうなものだった。その頃に比べるとまだマシなものではあったが、未だに当主を継承した自覚の薄いシュナにとって苦手な場面だった。
「みなさん本日もどうぞよろしくお願いします」
一通りの挨拶を述べた後、最後にその言葉でこの場を締めくくった。使用人一同も深々と礼を返すと、それぞれが「失礼します」という言葉とともにそれぞれの持場へと戻っていった。 そのときソフィアだけが他の使用人とは違って妙に言葉に緊張感が含まれていた。ソフィアには朝食の場へと行く途中に「あとで説明するから今は誰にも言わないで」と釘を刺して置いた。約束事はちゃんと守ってくれる彼女だからシュナはソフィア自身から漏らすことには心配していないが、ソフィアは動揺が行動に現れるタイプの人間なのでその点だけが気がかりでやきもきとした。 食事の際もソフィアのその性分が気が揉まれ、せっかくのバーンズロウ家専属のシェフが自ら厳選した素材と元七つ星レストランの料理長時代の自慢の腕によりをかけた朝食も、味がよく分からなかった。さらにバタバタと部屋を出て行ったからアルスはちゃんと大人しくしてくれてるだろうかという心配まで重なっていく。 だから一刻も早く部屋に戻りたくてシュナはすぐに席を立つと、足早に食堂をあとにした。途中、あらかじめ朝の挨拶後は階段で掃除をしているふりをして待っててと言っておいたソフィアと合流すると二人で部屋へと入り、念のために鍵をかけておいた。 「ごめんね待たせて」
さきほどまで彼が隠れていたクローゼットは戸の締め方分からなかったのが開けっ放しになっている。そしてアルスはというと部屋の壁際にうつ伏せで倒れて……
「ちょっと、どうしたの?!」
慌てて駆け寄るシュナ。うつぶせになっているとはいえ、さすがはカイリューの巨体なだけあって倒れていても小山ほどに大きかった。 アルスは横面を床につけて気だるそうな表情を見せて漏らすように言った。
「腹へった……。そういえばお前に会ってからまだ何も食ってねえんだよ……」 「ああ、ごめんなさい。あたしも忘れてたわ」
そのとき「ひぇっ」というなんとも奇妙な叫び声が聞こえた。見るとソフィアが目尻と頬を引きつらせて、手足は硬直させ、指を強がらせて壊れた機械仕掛けのようにひくひくと動かしている。そうだった。ソフィアはこのカイリューが人語を話す場に居合わせたのは初めてだったのだ。先ほどクローゼットで暴いた際もアルスは少しだけ言葉を漏らしたが、恐らく彼女の中で“聞き違い”として処理されていたのだろう。
「ソフィア! ソフィアったら!」
呆然とした表情となっているソフィアの眼前でシュナは手を振った。たちまち水をかけられたようにハッと我に返る。シュナ自身も思えば初めてアルスを前にして彼がしゃべったシーンも似たような反応をしたものだと、まるで自分を見ているようでおかしかった。
「あたしちょっと食べ物とってくるから待ってて」 「そんな、お嬢様がお手を煩わせることありません。私が行きます」
そしてソフィアは多少ふらつきながらパタパタと部屋を出て行った。大丈夫かなと思いながらもシュナはその様を見送った。再びシュナとアルスは二人になる。 昨日からにかけてたくさんの出来事がドタバタと起きたために、シュナの方もアルス自身も空腹のことを忘れていたのだ。それが今になってからようやく体が思い出したのだろう。
「おい、シュナ。そこにいるか?」 「なあに?」
どうやらアルスはシュナの方に向き直るのも億劫と見える。ほとんど体勢を変えずに話しかけてくる。だからシュナの方が彼の目の前に来なければならなかった。シュナは仕方がないなと思いながら、倒れているアルスの顔の前に座った。 アルスは半分開かれた瞼から目だけでシュナの姿を追う。
「一つ思い出したんだ……」
その言葉が何を意味しているのか、もはや彼女には説明は不要だった。そうか。さっきアルスが言葉を濁した事の正体はこれだったんだ。自ずとシュナは身を乗り出してかれの言葉に耳を傾けていた。 アルスはこのままの体勢じゃ喋りにくいと判断したのか、時間をかけて大儀そうにようようと体を起こした。そしてさきほどのようにまた壁にもたれかかって座ると一息ついた。
「何を思い出したの?」 「花畑のような場所……だな」
アルスのその物言いは、シュナに言っているというよりも、自分で自分の思い出したことを再度確認しているかのようだった。花畑、と聞いてシュナは首を傾げる。そしてあッと何かに納得したように窓の外に視線を移した。 屋敷の庭園。なるほど。アルスはこのバーンズロウ家邸宅の年中何かの花が咲いていないことはない庭園を目にして、連想したのだろう。昨夜なにも思い出さなかったのは夜だったからこのあまたある花々から受け取る刺激が弱かったのかもしれない。 しかしアルスの思い出した「花畑のような場所」とは一体どこなのだろう。花畑と一口いっても、この世界に花畑と呼ぶに値する場所がどれほど数多にあることだろう。さすがにそれだけの情報では少なすぎる。
「花畑ねえ。他には?」 「他にはってなんだ?」 「えっとそこに咲いていた花とか、周りに何か見えるとか」
アルスは言われると、目をいくばくか硬くつむって右腕で頭をポンポンと叩く。「うーっ」と唸ってなんとか最初に手にした自分の記憶への手がかりの糸を手繰り寄せようとした。 それは花畑だった。たくさんの花々が咲き乱れ、色も種類もてんでバラバラ。 他には? 木が一本立っている。あれは何の木? 緑色の大きな葉っぱが幾重にも重なって木を飾っている。幹は少し白っぽい。
「木が立っていた。……んぐ、駄目だ。これ以上は何も浮かばねえ」
どうやら今回はこれ以上引き出すのは無理のようだった。それでもアルスが何かを思い出したという、ただそれだけでも十分な収穫だ。 そこへソフィアが戻ってきて、ワゴンの上に果物や料理の余りなどを載せてきた。
「ポケモンのお口に合うかどうかわかりませんが……」
ソフィアの物言いはなんだかおずおずとして言葉尻がしぼんでいた。やはりこのしゃべるカイリューに対して恐怖まではいかないにしても、何か奇異なものを感じているのは確かであるし、無理のないことだった。 そしてようやくまともな食料にありつけたことに、おそらくこのときアルスはこの上ない僥倖を覚えたに違いない。いきなりガバッと起き上がってほとんど他に見向きもせずにまずはリンゴを一つ乱暴に手にとった。そして大口を開けて当然のように皮をむきもせず、芯ごとパクリと放りこむ。よほど空腹だったのだろうそれからアルスは何かが憑依したように黙々と手当たりしだいに食べ物をとっては次々と口に入れた。 食べることに夢中になってるアルスをよそ目に、シュナはソフィアを呼んで洗面所に連れ込んだ。
「ソフィア、もう分かってると思うんだけどあのカイリューはね、人の言葉を話せるのよ」 「しかし、とても信じられません……」
ソフィアの言い分はもっともだ。いくら自分たちの知識がまだまだ浅いものだとしてもヒトの言葉を話すポケモンは――テレパシーなどで意志を伝える例はあれど――見たことも聞いたこともなかったし、ありえなかった。
「それはあたしも同じ。でも落ち着いて。信じようと信じまいと実際にしゃべっちゃってるんだからどうにもならないわ」
なんとかシュナの言葉で自分自身を納得させたのか、ソフィアはいぶかしげな顔を見せながらも黙ってうなずいた。 それからシュナはアルスが食事をしている間、ソフィアに居なくなっていた三日間のことを話した。 キュロス山の廃墟に行けという謎の手紙とともに二本の鍵が送られてきたこと。その廃墟で何者かに襲われ、地下室に逃げ込んだこと。その地下室でアンノーンに封印されていたカイリューに会ったこと。カイリューは記憶を失っていて、自分が“アルス”と名づけたこと。とりあえずアルスが食事を終えるまでに話も終えようと思っていたため、掻い摘んでの説明となった。そのためシュナはどこまでちゃんと説明できたかいささか不安であったが、どちらにしても簡単には納得してくれそうにない話だ。
「とにかく、今のがあたしが出かけていた三日間に起こったことなの」 「お嬢様を襲った者たちって……」 「うん、あたしも予想は付いてるんだけど」
だけどあの時黒服たちを逃がしてしまったから証拠はない。 そして二人は洗面所から出た。ちょうどアルスの廃墟で目覚めてからの初めての食事が終わったところだった。満足したのか再び壁にもたれかかって膨れた腹をぽんぽんとたたいていた。
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