Re: シュナとアルスの不思議な旅 引っ越し準備中 ( No.16 ) |
- 日時: 2010/09/27 22:23
- 名前: わたぬけ◆uIYgSadM30E
- −2−
シュナが通された部屋は広い応接室だった。壁一面にかかる大きな窓からは外の街並みを眺めることができる。面が厚いガラスでできたテーブルとそれを挟むように深い赤紫色の長いソファーが置かれている。テーブルの上にはガラス製で意匠の凝った灰皿と包み紙入りの飴玉や一口サイズのチョコレートの入った籠が置かれており、いつでも来訪者のために備えてあるようだった。バーンズロウの邸宅のそれと比べるとやはり物足りなさを感じずにいられなかったが、そもそもが邸宅のそれが豪華すぎるのだと思い直し、シュナはソファーへと腰を下ろし、荷物を傍らに置いた。 アルスは外で待たせてある。弁護士事務所のような場所にマリルやピカチュウなどの小さいポケモンならともかく、カイリューのような大きなポケモンを入れるわけにいかなかったからだ。シュナはこういうときくらいモンスターボールに入れと言い聞かせたが、アルスがどうしても聞き入れないので結局彼を外で待たせる形となったのだ。彼も人間の言葉をしゃべることを知られてはいけないということは理解しているので、人前で不用意に人語を披露するようなことはないと思うが、何か面倒なトラブルでも起こさなければ良いがと彼女は気が気でない。 壁にかけられている時計がカチカチと時を刻む。時刻は午後一時二十分を少し過ぎたあたりを指していた。
そのときシュナの目から見て左手にあるこの部屋の入り口である扉からコンコンと丁寧にノックする音が響き、シュナは思わず背筋をピンと伸ばした。キイッと蝶番(ちょうつがい)の小さな金切り声とともに戸が開き、その向こうから初老の男性が現れた。 シュナも見覚えのあるその男性。身長は百七十を越えているほどだろうか。年相応ともいえるブラウンのスーツに身を包み、少々やせている。しかし肩幅がやや広いところを見ると、若いころはきっと立派な体格をしていたのだろうということがうかがい知れる。右手に持ってついている杖は歩行の補助よりもインテリア的な要素のほうが強いと見えた。 グラハム=トールキン。このトールキン弁護士事務所の所長を務め、アルド=バーンズロウが死の直前まで交流していた数少ない人間の一人、そして彼の遺言の立会人となった人物であった。 「やあ、こんにちは。ようこそトールキン弁護士事務所へ」 「あ……、こんにちは」
トールキン氏がにこやかに深々と頭を下げるのに対し、シュナも思わず立ち上がって同じように深々と頭を下げる。そして座るよう促されるので、お言葉に甘えて再びソファーに座りなおした。
「シュナ=ク……バーンズロウです。今日はお忙しい中、事前の予約もなしでこのような場を設けていただき、誠に恐悦至極に存じます」
シュナは思わず母方の姓を名乗りそうになってあわてて言い直した。彼女は思いつく限りの丁寧な振る舞いをしようと動作がぎこちなくなってしまう。初対面や目上の者に対する言葉遣いや態度はバーンズロウ家でのナタリーなどからの躾(しつけ)の賜物であるが、やはりまだそれが板についていないのか舌を噛んでしまいそうになる。 そのなんとも不器用に丁寧な言葉遣いの様子を悟ったのか、トールキン氏は老人特有の深くこもったような笑いをこぼし言った。
「そんな硬くならずに。あのアルドさんの娘さんなんだから、ただの友人同士と思ってリラックスして話しかけてほしい。まあちょっと難しいかもしれんがね」
トールキン氏がそういってくれたおかげか、シュナは彼が入室してからずっと強張らせていた肩を下げた。ただ、アルドさんの娘さんなんだから、という言い方がちょっとだけ引っかかった。
「一応自己紹介させていただくよ。私はグラハム=トールキン。この弁護士事務所を創立し所長を務めてる。アルドさんとは同じ趣味の仲間でね。年齢こそ私のほうがずいぶん上だが、その道では彼のほうがずっと先輩だったよ」
トールキン氏はまるでアルドとの交流を思い出すかのような感慨に浸るような表情を見せながら語った。
「そうなんですか。あの、父とはいつごろからのお知り合いだったのでしょうか?」 「ふむ……だいたい二十年位前ですかな。アルドさんは当時実業家として実力をめきめきと発揮させ始めていました。ところがそういった若く逞しい芽を妬む連中もおりまして、彼はそういう輩から運悪く目をつけられ謂れのない訴訟が起こったことがありました」 「では、そのとき父の弁護人を引き受けたのが……トールキンさんだったというわけですね」 「左様です。ああ、そんなトールキンさんだなんて……グラハムと呼んでいただいて結構ですよ」
シュナは相槌を打ったが、なんだか腑に落ちない気分だった。 隣の部屋で電話が鳴った。三回ほどベル鳴った後、聞こえなくなるとともに誰かの話し声が聞こえた。事務所に勤めている誰かが取ったのだろう。
「……その、トールき……グラハムさんから見て、父はどのような方でしたか?」
それは自分は父、アルドのことを何も知らないと自ら告白するような質問だった。実際シュナはアルド=バーンズロウという男について、何一つ知らなかった。ただ、事業に成功した事業家で、自分の実の父親。そして、自分に三百億弗もの遺産とバーンズロウ家当主の座を相続させ死んだ迷惑な人物。何も語らず、何も教えず、最期を看取ることすら許さず逝ったシュナにとって憎むべき人物だった。
「そうですな……。実に気さくでユーモアのある方でしたな。そして友人思いの。実は私、数年前に癌手術を受けましてな。手術は運よく成功しまして、今もこのとおりいたって健康なのですが、手術後はしばらく入院して……そのお見舞いに彼は誰よりも早く真っ先に駆けつけてくれたんです」
シュナは適当な相槌を打ちながら聞いていたが、やはり腑に落ちない。そして分からなくなってしまう。 そして長年弁護士として軽く三桁を越える人物と接してきた経験から自然と彼女の胸のうちを見抜いたのか。トールキン氏は少し身を乗り出して問う。
「シュナさん。失礼ながらあなたが私を訪ねてきた理由を当てて見ましょうか? あなたはアルドさんがどこかに隠したという地下金庫の鍵の手がかりを探すためにおいでになられたのでしょう?」
シュナはものの見事に自分の訪問の目的を言い当てられ、思わず言葉を詰まらせた。そして唇をかんで呼吸を整えると「はい。そのとおりです」と返した。
「父が……私に相続した莫大な財産と当主の座、これらを私は放棄したくて……そのためにあの遺言書のある地下金庫の鍵の在処(ありか)を知りたくて、ここに来たんです」
シュナは言いよどみかけたが、思い切って腹を据えて言い切った。そしてどうやら弁護士はシュナが鍵を見つけた後どうしたいかの目的も予想していたらしく、特に驚いた表情も見せずに納得したようにうなずいた。 そしてシュナはこのあと、なにから尋ねようと深呼吸して頭の中を整理した。
「グラハムさん。まず最初の質問ですが、あなたは父の遺言の立会人でしたよね。あの遺言書は間違いなく地下金庫に保管されているのでしょうか?」
シュナはトールキン氏の目をじっと見据える。そしてトールキンのまなざしもさきほどまでの昔語りをして懐かしむような目ではなく、シュナを一人の依頼人として立ち向かう真剣なものとなっていた。 そして彼は答える。口調こそ穏やかだが、その響きは何か張り詰めたものが含まれていた。
「はい。確かに間違いなく私と、ほかの何人かの方々との立会いの下で間違いなくあの遺言書は地下金庫へアルドさんの手で納められました」
トールキン氏は「間違いなく」という言葉を強調する。単純でありながら、いや単純な言葉だからこそその発言は絶対性を帯びる。何の肩透かしもごまかしもない言葉。 「そうですか。では、……遺言書と遺言のビデオレターが作成された時期はいつごろでしょうか?」 「ふむ……。だいたい今から二ヶ月ほど前ですね。まず私の立会いの下で遺言書が筆耕され、次にあのビデオレターが……あなたもご覧になったでしょうがこれまた私の立会いの下で撮影されました。遺言書を金庫に保管されたのもそのあとのことです。おそらく鍵をお隠しになられたのも、その直後のことでしょう」 「じゃあ、鍵をどこに隠されたのかは知らないのですね」 「左様です」 「では――」
――なにか鍵の隠し場所について、なにかヒントのようなことは言ってませんでしたか?
シュナはそういいかけた。しかしトールキン氏がそこで静止を促すように右手を手のひらを見せ付けるような形で前に突き出したのだ。
「慌てないで。シュナさん。私からもあなたに質問があります」
静止されてシュナは自省した。
「シュナさんは……アルドさんのことをどう思っているのですか? そして彼のことをどこまでご存知でしたか?」
シュナがアルドに対してどう思っているのか既に見透かした上での質問のようだった。だがいくら見透かしたと言っても、本人の口から語らない限りどんなに証拠を並べようと“憶測”でしかない。彼はシュナの口からシュナが自分の友人のことをどう思っているのかを直接聞きたかったのだろう。 一方でシュナは自分が思っていることを口にしていいのか迷っているようだった。口の中の唾が心なしか固く苦いもののように感じる。
「私は……」
いつもは自分のことを“あたし”と呼ぶ彼女だったが、やはりトールキン氏に対する敬意の念からか、自然に“私”と言う。
「グラハムさんに気を悪くさせてしまうでしょうけど、私は父のことを憎んでいます。父が私のことを引き取りに来るまで、自分には父親はいないものだとばかり思ってました。それが半年前にいきなり現れて、私はあの屋敷に引き取られました。でもそれだけです。あの人が私にやったことと言ったら、引き取って屋敷に住まわせただけ。ほかは何もしてくれませんでした。父はいつも仕事で家にいなくて、たまに帰ってきてもすぐに自分の書斎――当主の間と呼ばれてますけど――そこに引きこもって私には目を合わせるどころか、姿を見せることさえしませんでした」
語り始めた最初はアルドに対する怒りの感情がこもっていたが、しだいにそれは薄れ逆に自分に対する情けなさが影を落とした。どうして自分はこうまで父親のことを何一つ知らないのだろう。いくら彼が何も語らなかった、何も教えなかったとはいえ、自分のほうからもっとアプローチすることができたのではないかとも考えた。
「私は父のことは何一つ知らないんです。あの人は私に何も話さず亡くなったので」 「ふむ……」
トールキン氏は豊かな顎ひげをなでまわしながら黙想した。 弁護士は今シュナがこれまで語った言葉を思い返し、その一言一言、単語一つに至るまでじっくりと吟味している風であった。 しばらく二人の間に沈黙が流れた。弁護士は何かぶつぶつと独り言のようなものを呟き、ときどき自問を投げては「なるほど……」と自分を納得させていた。
そのとき、再び扉がノックされその向こうから「失礼します」と女性の声が聞こえる。トールキンは「どうぞ」と入室を促した。 扉が開くとスーツを着込んだ少々恰幅のいい中年の女性がティーカップとティーポットの載ったトレイを持って入ってきた。
「遅くなってすみません。ティーをお持ちしました」 「おお、ごくろう。シュナさんはルイボスティーは飲んだことあるかね?」 「いえ、初めてです」
スーツの女性はティーポットを持つと二つのティーカップに交互に中の茶を注いだ。それは一見紅茶と同じように赤みのかかった茶色をしていたが、漂ってくる香りは甘ったるく、自分は大丈夫だがちょっと好みの別れそうなものだとシュナは思う。 それからトールキン氏は茶の注がれたティーカップを手に取り一口、口に運ぶ。 「最初はこの強い香りに敬遠される方もいらっしゃいますが、慣れるととてもおいしく頂けるのですよ。紅茶は――厳密にはこれは紅茶とは違いますが――香りを楽しむものですが、このルイボスティーは特にその傾向が顕著ですな」
そしてシュナもティーカップを手に取った。そしてティーカップの底を見るように覗き込む。そこにはうっすらと自分の顔が映っている。そして彼女は口に運んだ。 飲み込んだ後、思わずため息が漏れた。 スーツの女性が出て行ったあと、トールキン氏はティーカップを置き、先ほど言いかけたことを始める。
「さて、シュナさん。あなたにとってのアルドさんを話していただきありがとう。実は私たち友人連の中ではアルドさんの家族の話は一種のタブーのような扱いになっていました。まずあれほどまでに深く愛し合っていたあなたのお母様であるエルザさんとなぜ別れたのかが今でも謎ですし……」 「お母さんと、父はそんなに愛し合ってたのですか!?」
トールキン氏が続きに何かを言おうとしたところでシュナが思わず大声でそれを遮った。弁護士は急に大声を出されたのと意外な反応だったのとで一瞬目を白黒させた。
「え、ええ。それはそれは家内がいる私でさえ、思わず見てて羨んでしまうほどの相思相愛ぶりでございました。シュナさん、彼女があなたを身籠られたときもアルドさんの喜びようと言ったら、月並みな表現ですが今すぐ天に昇られてもおかしくないとも言えるほどでしたよ。ですが……、お二方はあなたがお生まれになる直前になって別れました」 「それで……?」 「はい、すぐに私も彼を問いただしました。ですが結果はあなたと同じ、彼は何も語らず、話さずじまいで、そのうち我々の中では先ほど述べましたようにこの話はタブー化しました」
シュナは呆気にとられたような形で話に耳を傾けていた。 ジェラルドタウンにいたころ、祖母は自分の父親の話を一切しなかった。そしてなんとなく聞きづらい雰囲気なので、いつのころからか自分に父親はいないものなのだと無理に納得させていた。だがここに来て分からなくなってしまう。 どうしてそれほどまでに愛し合っていた二人が別れなければならなかったのか。トールキン氏の話ではアルドは自分が生まれることも心の底から喜んでいたという。いくら事業が忙しいとはいえ、これからの長いときを経て愛を育みあい、お互いがお互いを支えあい助け合うことを誓った二人がなぜ離れなければならなかったのか。シュナには理解できなかった。 そしてさらに理解できないことは、トールキン氏ぶりから親しい間柄の関係の者同士ではアルドはとても仲睦まじく接していたという。トールキン氏ががんで入院した時真っ先に駆け付けたという話はその最たるものだろう。それはシュナの知るアルドの人物像とはあまりにかけ離れたもの。 トールキン氏の知るアルドとシュナの知るアルド。一体どちらが実像でどちらが虚像? そのときシュナの胸の内にある一つの考えが浮かんだ。しかしそれはあまりにあり得ないことで、また理解できないことだったのですぐにそれを振り払った。
「それで、あなたの一番知りたいことは地下金庫の鍵の手がかりでしょうが。残念ながら私は何も知りません。ただほかの友人はまた別の手がかりを持っているかもしれません。ダリオ=ベックマンという方をご存じで?」 「はい。確か父の主治医だった方ですよね?」 「左様。もともとエンデタウンの町医者だったのだがアルド氏の体調の悪化とともにフィッツシティにしばらく滞在していたようだね。今はまたエンデに戻られてるそうだが」
シュナは懸命にトールキン氏の言葉に耳を傾けようとしたが、妙に頭がぼんやりしてしまって受け答えするのがやっとだった。 彼女はなんとか自分のこの気分を紛らわすきっかけを探し、部屋を見回したところで壁の時計が目に入った。壁の時計が間もなく十四時を迎えようとしていた。 そのとき、かすかにまたあの時計塔の鐘の音が聞こえてきた。四種類の音色の鐘が交互になり、それが四回繰り返されると、また一度に四つすべての鐘が鳴らされる。
「おお、もうこんな時間か」 「今日はいろいろ教えてくださいましてありがとうございます」 「いやいや、こちらこそ会えて嬉しかったよ。私のほうこそ大した力になれなくて申し訳ない」 「そんなことありません。全然知らなかった父のこと……知ることができましたから」 「それならよかった」
トールキン氏は気をきかせて先に席を立つ。それによって先に立ち上がるべきか否かを迷っていたシュナを促すことに繋がるからだ。 そしてリュックを手に持ち、シュナは部屋を出ようとしたところで、思い出したようにトールキン氏の方へ振り返った。
「最後に一つだけ、あ……今までの話と全然関係ない質問ですけど、いいですか?」 「ええ、どうぞ」 「モンスターボールが開発されて一般に普及したのって大体今から何年くらい前でしたっけ?」
今までの話と全然関係ないと前置いていたものの、あまりに関係なさ過ぎてトールキン氏は一瞬質問の内容を間違えそうになった。 そして、また自身の豊かな顎ヒゲを撫で回し始める。どうやらこの行為は彼が思考にふける際の一種の癖のようだった。
「ふむ……。今のモンスターボールの原型が開発されて普及したのは……だいたい五十年ほど前ではなかったでしょうか。私がまだ子供の頃だったということは確かですので」 「……ありがとうございました。では、私はこれで失礼いたします」 「いえいえ、もしご縁があればまたお会いしましょう」
そしてシュナは一礼すると扉の向こうへと姿を消した。トールキン氏は質問に答えたとき、彼女の目に何かに驚愕したような色を見た気がした。長年甘たという言葉ではもはや足りないほどの依頼人と彼は接してきたが、その驚愕の色の向こうにあるものは彼には分からなかった。しかし詮索はしない。 弁護士は再びソファーに腰を掛けると大きくため息を付き窓からの町並みを見下ろした。 彼がただひとつ、シュナに教えなかったことがある。彼はシュナと最初に対面した時からそのことを言おうか言うまいかと迷っていたが、ついに言えずじまいだった。 それはアルドの遺言が無事金庫に収められ、そして彼と最後の会話にて交わした言葉。
――グラハム先生……今まで色々迷惑かけて本当に申し訳ない。そしてありがとう。 ――何を言うか。私の方こそ謝罪と礼を言うべきだろうよ。ほっほっほ。 ――そしてこれからも……
そこで何かを言いかけてアルドは言葉づまり。「今のは忘れてくれ」と言い直した。 あのときアルドは何を言おうとしたのだろう。今となっては誰にも分からない。アルド=バーンズロウは今や冷たい墓の下なのだ。
「先生、先月の詐欺の訴訟の件で依頼のあったチェトラさんからお電話です。どうしても今すぐ先生にお話したいことがあると」
さきほどの中年女性の所員が入ってくるなり言った。 やれやれと彼は呟きながら、再び依頼人の声で頭を痛める日々に戻るのかと嘆くのだった。
 |
|