Re: まっしろな闇 のっそりと引っ越し開始 ( No.4 ) |
- 日時: 2010/10/17 15:34
- 名前: 海 ID:
- Page 4 : 忠告
砂利の音を出したのはポニータの方。そっと気配を消し、音を立てないようにラーナーに近づいていたのだった。 一瞬息を詰まらせるラーナー。見覚えのある人だった。少し間が空いて目を見開く。思い出したのだ。数分前にすれ違った人がどうしてここにいるのか、彼女には理解できなかった。 少年はポケットから手を出して更にラーナーに歩み寄る。 改めてラーナーは彼を見た。濃い緑の帽子に大きなゴーグルが付けられ、その下から除くのは少し長めの深緑の髪とそれと同じ色の瞳。 柔らかな緑のフードの付いた長袖の上着の下には、灰色のTシャツ。そして下に伸びる黒い長ズボン。 肌がほとんど見えない。手と顔、それ以外には見当たらない。顔だって帽子と髪のせいでよく分からない。 夏のこの暑い時に着る服装ではなかった。見ていても暑苦しい。そんな服装であるために体格を知るのは困難である。
「こんにちは……」 彼女の喉から出た言葉は誰が聞いても明らかなくらい、不信感に満たされた低いトーンだった。 少年はその挨拶を流すと、ラーナーの前にある二つの墓を見やる。ゆっくりと目だけで墓に刻まれた文字を追う。 そして読み切ると眼を細め、軽く唇を噛んだ。軽く眉間にしわを寄せたその顔は、悔しそうに少し歪んでいた。 その様子を見たラーナーは更に怪しく思い、思わず口を開いた。
「あの」 「あんた、もしかしてニノ・クレアライトの娘?」 彼女の言葉が全て出てくるのを突然制し、彼は先に自分から質問を彼女に叩きつける。 唐突な質問に怯むラーナー。動揺して、目が泳ぎ始めた。 同時に身体の奥底からぐるりと溢れ出してくるのは苛立ちと憤怒。歯を強く噛み、突然立ち上がって少年と正面から向き合った。 あくまで強気な姿勢だった。栗色の瞳は怒りを交えた強い光を灯している。
「なんですか、あなた。初対面の人に対して。ていうか、さっきすれ違った人ですよね!? なんでここにいるんですか、ストーカー!?」 その言葉を聞いた途端に、ひく、と少年の眉間に更に皺が刻まれる。ラーナーの発言は彼の機嫌を損なったようだ。 「……先に質問したの俺なんだけど」 少年は氷のように冷たい声だった。表情の苛立ちがそのまま声に表れていて、思わずラーナーはその迫力に気圧されてしまう。 そんなラーナーの表情を横目に、ちらりと彼の深緑の瞳がラーナーの右の手首を見る。
「その手首にあるブレスレット」 「はい?」 「それ、ニノ・クレアライトのだろ。彼女がすごく大切にしていたものだ」 「……」
ラーナーの息が詰まる。思わず左手で右の手首を隠すように覆う。包まれたのは白い小さな石がワイヤーで繋がれているブレスレット。 太陽の光を反射すると星のように可愛らしく光る。 少年の言う通りだった。それはラーナーの母親であるニノが生前とても大切にし、いつも身につけていた。ニノが死んでからは、ラーナーが形見として毎日必ず右の手首につけている。 ラーナーは何も言うことができなかった。何も言葉が出てこなかったのだ。 目の前にいる赤の他人として記憶から忘れられるはずだった少年が、ラーナーの内面に突然切りかかってきたのだ。その攻撃をラーナーは防ぐことができなかった。 敬語を知らないかのようにずげずげと話すその口調と態度は、ラーナーを黙らせるのを手助けしている。 先ほどの強気の威勢はどこへやら。形勢は完全に少年の方が有利だった。
見た目は二人とも同年代と思われるのに、余りにも少年は冷静沈着である。一種の慣れさえも伺える。 瞳は真っ直ぐに、刃物のように鋭くラーナーを見つめている。一方のラーナーは少し顔を俯かせて少年と目を合わせようとしなかった。 どうして、と細々と小さな線香の煙のような声が、彼女の口元から漏れた。少し顔を上げる。
「どうして知ってるんですか……お母さんの、知り合い?」 その言葉を聞いた途端に、少年とポニータはちらりと目を合わせ、やっぱり、と少年は呟いた。あまりにも小さな声だったから、ラーナーの耳には届かなかったけれど。 ラーナーは少し首をかしげ、眉をひそめる。その様子を見て、はぁ、とあからさまな溜息を彼はついた。
「まあそんなところ。それより」 ブルン、とポニータは鼻に葉が付いたのを取ろうと頭を振った。 音をたてて強い風が過ぎ去っていった。ポニーテールの長いラーナーの髪が風の吹くままに踊る。ポニータの体で舞う淡い炎。 重なり合う林の音が耳に障る様に響いた。絶えることなく鳴り響いていた蝉の声が突如、途切れた。 揺れる前髪の下で少年の表情が一層引き締まったものになる。
「……なんですか」 何か嫌な予感がラーナーの脳裏をよぎった。空気が濁っているような息苦しさを彼女は感じた。 少年は何かをためらう様に一瞬目線を落とす。唇を噛んで拳を強く握ると、またラーナーの目を見た。 深緑の瞳と栗色の瞳の視線が再び絡み合う。
「忠告しとく」 決心した少年の目は、とてもその外見からは想像できないほど冷徹な光を帯びていた。冷たく鋭い氷の刃が深緑の奥に潜んでいる。 金縛りにあったように、ラーナーはその視線から目を逸らすことができなかった。 冷たい生き物が背中を這いつくばって走るような感覚がラーナーを襲った。一瞬、けれど確かに彼女の体が震える。 けれど対照的に太陽は高熱の光を地に浴びせている。それなのにどうしてこんなに寒いのか。ラーナーの半袖から伸びる白い肌に、今にも鳥肌が立ってしまいそうだった。 少年の唇が小さく動いた。
「あんた……このままじゃいつか、殺されるよ」
しばらく沈黙が続いた。ラーナーは呆然として言葉も出ないでいた。ゆっくりと言われた言葉を消化して理解しようとする。 ただあまりにも彼の吐いた言葉が現実味を帯びていないように彼女には感じられて、とても信じられなかった。 震えている唇を魚のように小さく開閉していたラーナーだったが、そのうち僅かに気持ちが安定してくる。聞き返すほどの力が戻ってくる。
「どういう……意味?」 「そういう意味だ」 「訳分かんない!」
即答した少年にラーナーはいらつきを露わに怒りを彼にぶつける。 もはやラーナーの言葉に敬語というものは失せていた。
「殺されたくないならなるべく静かに暮らせ。……勇気があるならウォルタを出た方がいい。それだけだ」 口調はかなり早口で、少し焦っているようにも感じ取れた。呆気にとられてまたラーナーは言葉が出なくなる。彼が何を言っているのかさっぱりだった。 温い風が吹き抜けて木々が騒ぎ始めた。 少年はいくぞ、とポニータに呟くように声をかけて、ラーナーに背を向けた。 頭をうなづかせ、、ポニータも後ろを向く。ただラーナーを気にしているのか、ちらちらと彼女を見ながらだ。 その様子を見たラーナーにはあっさりと逃げていくように見えた。一気に湧いてくるのは怒り。止められるものではなかった。
「ちょっと待ってよ! 言うだけ言って帰るわけ! 殺されるって、何の根拠もなしに……ふざけないで!!」 少年の背中につばを吐くようにラーナーは叫んだ。 一瞬その言動に足を止めた少年だったが、少し顔を振り向かせただけですぐにまた砂利道を歩きだす。耳障りな蝉の声と石を踏む音が絡む。
「ちょっと……」 言葉と同時にラーナーは自然と足が動いていた。小走りで少年に近付く。それに気付いていた少年だがあえて無視を貫く。 ポニータだけ足を止めてラーナーの行動に目を見開いていた。 ラーナーは右手を伸ばす。その手首にはめているブラスレットが激しく揺れた。きらきらと太陽を反射する。 その手は少年の右腕を掴もうとしていた。白く細い指が彼の上着を、腕目がけて伸びる。 途端、沈黙を貫いていた少年の様子が豹変した。振り返ると同時に目が鋭く光る。
「さわるなっ!!」 反射とも取れそうなほど、瞬時に少年は右腕を振り上げる。パン、という鋭い音と共にラーナーの手は弾かれていた。 ラーナーの右手に痛みが走り、思わずその手を抑え込む。表情は痛みに歪んでいた。言葉はない。 同時に少年の目も見開かれていた。肩が上下にゆっくりと動き、唇を強く噛む。帽子と髪に隠された額に冷や汗が滲んでいた。
「……すまない」 早口で小さな声で彼は謝り、そそくさと逃げるように足早にその場を離れた。 ラーナーの顔を心配そうに覗き込んでいたポニータはそれに気づいて、慌てて追いかける。彼等の足音がだんだんと遠くへ過ぎ去っていく。
その場に残ったのはラーナー一人だけ。 急に操り人形の糸が切れたように、ラーナーは地面に座り込んだ。足元のごつごつとした道が露出した足に当たり痛みを伴う。 もう痛みは右手に無い。しかし顔はただ呆然としていた。
小さくなっていく少年の背中を呆気にとられて見つめる。もう追おうとは思っていないようだ。 風が吹く。冷たい風だった。暑い毎日の中で珍しく心地よさを感じさせるほどの風。 が、ラーナーにとってそれは悪寒を増幅させるものの他ならなかった。まだ体が小刻みに震えている。それを抑えるように、彼女は左手で右腕をきつく抑える。 まだ鮮明に思い出せる。少年の瞳。冷たくて鋭くてそして真剣だった。恐怖さえ覚えるほど。 彼の言葉がラーナーの頭の中でひたすらに繰り返される。殺されるよ、殺されるよ。頭の中で重く響きわたった。
「なんなの……」 ようやく出てきた独り言は霞んでいて、誰に届けられることもなく空気に消えた。
*
ブルン、とポニータが頭を振る。 木陰。少年は淡いブルーのベンチに座って何かを頭の中で考えていた。さっきラーナーに掴まれかけた右腕を押さえながら。 表情は浮かない。心配そうにポニータは、少年の顔の前に頭を少し突き出す。それを見てハッと弾かれるように顔をあげた少年はハハ、と力無く笑い立ち上がった。 場所は錆びれたバス停のベンチ。青々と風に大きく揺れる林を背にしている。 別にバスを待っているわけではない。ただ座れる場所を探していただけだった。どこかに座って落ち着いて考えたいだけだった。少年は目の前の広い田舎を見つつ、口を開く。 瞳は相変わらずあの時ラーナーに忠告をした時のような、真剣な色を帯びている。
「あの感じを見てると、まだ気付いてないみたいだな」 ポニータに話しかけ、その言葉にポニータは一度だけ深く頷いた。 軽く舌打ちをする少年。
「奴らもそろそろ気付くだろ。……容赦ないからな。むしろ今まで何も無かったのが不思議なくらいだ」 右手に力がこもる。ポニータの目付きが瞬時に険しいものになる。 「…俺らも長くはここに居られない。けど、ほっとくわけにはいかない。恩を仇で返せない」 ちらとポニータを見る。真剣な眼。ポニータはこくりと頷き、一歩踏み出してクロが立ちあがるのを促した。 少年は思いっきり腕を上に伸ばし背伸びをする。自然と喉から漏れる声。そして腕を勢いよく下ろす。 改めて夏の青空を見る。真っ白い雲がどこまでも続く、吸い込まれてしまいそうな青の中、フワフワと心地良さげに浮かんでいる。 眩しそうに眼を細める少年。
「……とりま、まだ当分寝れそうにないな」 一変して笑って言う少年に、ポニータは少々残念そうにうなだれる。それを見た少年はポンと背中を叩いてやった。 とりあえず宿だけはとっとこうと少年は重い、白い石の道をポニータと並んで歩き始めた。
*
そこは真昼にも関わらず、暗闇に包まれていた。異臭が部屋に漂い、普通の人間ならまずそれに耐えられずに逃げ出してしまいそうだ。 闇の中で何かが蠢いていた。人間である。光のないその場所では、恐らく人間であるだろうという憶測しかできなかった。 時を正確に規則通りに刻む時計の音だけが、恐ろしく冷えた部屋に響く。それは夜の足音のようだった。しかし時計があったところでこの暗闇では今何時かは分からない。 かちゃ、という音がした。金属が何かに当たった音だ。 数秒たってからクッという笑い声。声というよりはただの音に近く、喉から思わず跳び出した、というそんなものだった。
「随分と丁寧に磨いているな」 闇の中で突如皮肉を吐いたのは、男の声。若さが伺えるが少し低めの声である。直後、先程同じような笑いが漏れた。 「ずっと待ってましたからねえ、この時を」 その声に反応し楽しげに、今度は少しはっきりと笑う声が部屋の中を泳ぐ。 もう一人の男。先程の男に比べると若干年齢が高いか。笑う彼の手元でさっきから金属が掠れ合う音がしている。
「長かった」 笑う男の声。後に彼のふうという溜息。少し震えている。 「実に長かった」 声は高揚している。息遣いまでが手に取るように分かりそうだ。
木の床を踏む足音がした。続いて一方の男が何か古い戸を開け、ぎぃという軋む音が響く。 「これは……」 若い男の驚いた声。どうやら戸を開けたのはそちらの男のようである。 「言ったでしょう、待ってたって。…準備はとうの昔に出来ています。シナリオは完璧ですよ」 「そうだな。これなら少しは安心してもいいか」 「心配して来てくれたんですか」 「ただの様子見だ」 「そうですか」
何の抑揚もない平らな会話。 敬語の男は相変わらず笑っていた。やはり今のこの状況を楽しんでいるようだ。暗闇の中で狂ったように笑うのは不気味であるほかない。 戸をそっと音が部屋に響く。その後、男は敬語の男に歩み寄り、紙袋と思われる物を乱暴に置く。恐らくは机の上に。
「手土産だ」 「……これはこれは。有り難く頂戴します」 途端金属を擦る音が止み、椅子から立ち上がる音。紙袋を探り、中の物を確認しているようだ。真っ暗にもかかわらず、だ。 次々と机に物がそっと置かれていった。古い机なのか、ギシギシと呻いているような音を出している。 重いものではなく軽いもののよう。物が置かれていく音は決して大きいものではなかった。 音が止む。全部で8つ。フゥという溜息にも似た空気を男は吐く。
「……気合が入っていますねぇ」 男は出し終えてからの感想を少し呆れたように言う。 「当然だ。重要性はAランク…Sに限りなく近い、な。全く、今までどうしてここまで放置されていたのか不思議なくらいだ」 「A……そりゃあ報酬も期待できそうだ。こんなに簡単そうな任務なのに」 また跳び出してきたクックッという笑い声。が、さっきよりも高らかだ。きっとその表情にも満面の笑みが浮かんでいるのだろう。 ギシ、という床の沈む音。物の一つ一つが古いようだが、この建物自体もかなり危ないようだ。 その中を若い男は歩いているようである。
「……油断はするな。失敗は許されない」 「ハイハイ。分かってますよ。……万が一に誰かに邪魔された場合は?」 「分かっているだろう?」 冷たい声だった。氷のような、冷え切った声。闇の中で言っているものだから、恐怖さえも覚える。 時計の音。床を踏む音。と、足音がとまる。 一瞬の静寂が辺りを凍らせる。時計の針が動いたその後の一瞬。緊張の糸がピンと一直線に張られたような息の詰まる空気。
「殺せ」
吐きだされた言葉は刺々しいが何の感情もこもっていない。ただ平坦な言葉。 再び始まる金属を擦る音。耳障りなものの他ない。 足音が再び部屋の中に響く。ドアノブが周り、ギィという乾いた音で戸が開く。その奥にもまた光は無い。この部屋に光が差し込むことは今後あるのだろうか。 鼻をつく異臭が開けられた扉の向こうの別の部屋へとゆったり流れていく。 完全に外の太陽のある世界とは遮断されたような場所だと再確認させられる。
「りょーかい」 声は笑っている。
少し遅れてドアの閉まる音がした。
It continues...
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