Re: 2010年秋企画【投稿期間10/16〜11/6】 ( No.4 ) |
- 日時: 2010/10/20 13:51
- 名前: らくりるく ID:
- 題名:このはしわたるべからず
部門:A テーマ:橋
私はぬかるんでいる地面に足を止めて悩んでいた。首を右に傾げ、左に傾げ自分の目の前にある光景が意味することを必死に考えていた。 私の前には底に急流を成す川がある小さな谷とその谷を渡るための橋が架かっている。その橋の前には通行止めを意味する柵と一本の立て札が掲げられていた。 その立て札に曰く、 「このはしわたるべからず」 と十一文字のひらがな。 この橋渡るべからずだって? そんな馬鹿な話があるものだね。橋を渡ってはならないと言われ、ご丁寧に柵まで取り付けてある。こんなもの昨日までなかったはずだ。もっとも、このくらい簡単に乗り越えられるが。 架かっている橋のこちら側と向こう側に交互に目をやる。今から私が目的の場所へ行くためにはこの川を跨ぐ必要があるのだが、別段この橋を渡ってはならないからと面倒にはなれど困るわけではない。ちょっと下流へ下ったところにもう一つ橋があるはずだからそれを渡ればいいところ。だけどこんな「このはしわたるべからず」と思わせぶりなことを書かれてしまうと逆にどうにかして渡ってやろうという気分になるのは人の常か。人の常は人にしか逆らえざれども、私はこういうときはいつも人の常に流されてしまうもの。渡ってはならぬと言われれば渡りたくなり、食べてはならぬと言われれば食べたくなり、開けてはならぬと言われれば開けたくなってしまう。 さて、それではこの「このはしわたるべからず」という文言をどう解釈すれば良いものか。 一陣の風が吹きすさび、ぬるりと湿った空気が私をくすぐった。谷の底には轟轟という音とともに川の黒い流れが顔をのぞかせる。 そのときハタと私は閃いた。そうか、「このはしわたるべからず」の「はし」とは「橋」ではなく「端」なのだ。つまりこの橋の端の部分に絶対足をつけずに渡ればいい。渡った後におぬしなぜあの橋を渡ったかと誰かから咎められれば「私は端ではなく真ん中を渡ったのです」と投げつけてやれば良い。 そうと決まれば私は意気揚々と柵を乗り越え、橋の端ではなく真ん中をドンドンとがに股に歩いてやった。そして私が橋の中央辺りに差し掛かったときに信じられないことが起きた。 なんと橋が両岸を支えている桁からずり落ち大きく傾いた後に、私ごと谷底へ落ちたのだ。 いったいなぜ? どうして? 谷の底には真っ黒な急流が灰色の牙をむいている。 ああ、そうだ。なんて馬鹿なことをしてたのだ。ここ数日続いた台風で地盤が緩んでいたのだ。どうしてそんなことにも気付けない。 私は落ちていく間に様々な考えが電流のように駆け巡る。昔の思い出やら取るに足らないくだらないことやら。私の口からはワケの分からない叫び声が漏れている。そういえば平安の朝廷の時代は叫び声は「あなや」といったものらしい。そんな意味不明な思考が幾度か繰り返された果てに私の頭の中にはひとつの言葉だけが残る。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。 最後に私の体は谷底の急流からぽっと顔を出している尖った岩に刺し貫かれた。
完
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1,236文字
とある有名な作家の短編をオマージュしたもの。 テーマは「橋」なんですが微妙に「雨」の要素も出てしまったり。
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