鮮やかに決めろツーステップ
8
砂浜に、いくつかの音が響いていた。
あるいは、単に風に揺られた海水が波を形成して岩肌を叩く音が。
あるいは、近辺に生息しているクラブという種族のポケモン達が発する空気が漏れるような鳴き声が。
あるいは、ズバットが空中から標的目掛けて口から毒針を連射し、その斜線上に被さっていた泡を高い音と共に割っていく音が。
パパパパパパンッ!! という音を認識すると同時、シラとグレイはそれぞれ左右へ分かれる形で走り回避する。
「ちっ……!!」
標的が二方向へ分散した事により、攻撃手段の関係でどちらか一方だけにしか攻撃を出来ないズバットは歯噛みする。
それでも思考を切り替え、動きながらも言葉を発するだけの余裕はあるようで、
「もう一回『スモッグ』を使っちまえ!! 目と鼻を塞いじまえば、さっきと同じく俺達の独壇場だ!!」
指示というよりは提案という意味合いを含めた風な言葉に対し、相方のドガースはすぐに反応して息を吸い込む出す。
明らかに、少し前と同じ視界さえ塞ぐガスを吐き出す前触れだった。
(やば……っ、そういえばこれどうすんの!? 視界を塞がれたら、また死角から攻撃するチャンスを与えてしまう……!!)
記憶に新しい痛みが想起され、シラは駆け出した脚を止めてしまいそうになる。
だがそんな時、もう一方――グレイは動揺も迷いも無くドガースの居る方へと突進していた。
体内に毒性の強い『何か』を溜め込み、標的である二人に向けて吐き出そうとしていたドガースは、当然ながら溜め込んでいた『それ』を吐き出してグレイを迎撃せざるも得ないのだが、その表情には接近され追い詰められているとは思えない笑みが浮かんでいた。
グレイがドガースとの距離を詰め切るより、自分が口からガスを吐き出す速度の方が早いと確信しているからだろうか――そうシラは思ったが、
「……馬鹿が、くらえ!!」
直後に吐き出されたのは『スモッグ』ではなく、見た目からしても汚らしい『ヘドロ』だった。
予想していた物とは明らかに異なる物が吐き出されるのを見て、シラがその危険性を認識するよりも早く、それは真っ直ぐにドガースの居る方へ突進していたグレイに向かっていく。
「よけ――――!!」
反射的に声を漏らそうとした、その時だった。
いっそ疾走していると言ってもいい速度で駆けていたグレイに、ドガースの口から吐き出されたヘドロを回避出来るだけの余裕は無いはずだった、にも関わらず。
気付いた時にはヘドロがグレイの居た場所を通り過ぎ、さも当然のように攻撃を避けたグレイは、ドガースに対して体当たりを決めていた。
「避けやがった……だと?」
その結果に対しては相方のズバットも予想外だったのか、思わずといった調子で声を漏らしている。
当然ながら、驚いているのはシラも同じだった。
(……見た感じ臆病な子だと思ってたけど、普通に強いじゃん……)
すると、いつの間にかシラの方を振り向いていたらしいグレイは、何とも言えない表情を向けていた。
シラの状況を確認するつもりで振り向いたつもりらしいが、その表情は無言で何かを訴えているように見えていて――実際、どういう意図を含んだ視線なのかシラには解ってしまった。
――――驚いてる暇があるならやる事やってよ。
ごめん!! と内心で謝りながら、シラは止めていた脚を再び駆け出させる。
ズバットはグレイの方へと意識を向けていたが、シラの接近に感付き、牽制として口から多くの毒針を放つ。
しかし、
(目に視える攻撃なら……解る!!)
ズバットが放ってくる毒針を、シラは激しく動いて狙いを絞らせない事で避けていく。
鋭敏な動きに翻弄され、ズバットは思った通りに事が進まない事に対して憤る。
「ちょこまか動きやがって!!」
「バサバサ飛んでるアンタに言われたく無いわよ!!」
素早く間合いを詰め、拳が届く距離まで切り込んでいく。
毒針を避けること自体は簡単だが、ズバットは細かく距離を離すことでシラの攻撃を空振らせている。
拳や脚で攻撃するには、やはり普通の方法だけでは足りない。
(なら!!)
細かく動くズバットを視界に納めながら、シラは砂浜に乗せる脚に力を込め――ひと息に突撃する。
知識の中に『目にも留まらぬもの凄い速さで相手に突っ込む』という詳細だけが残っていた技――『でんこうせっか』を直感に任せて使ったのだ。
普通に追うだけでは追い着けなかったズバットに追い着き、その勢いのままぶつかると、ズバットは「ぐぇっ!?」と胆でも吐き出すような声を漏らしながら地に落ちた。
が、すぐさま体勢を整えて飛行し直し、唾でも吐くような調子で毒を吐いた。
「てんめっ……殴るだけしか能が無いと思っていれば、普通に突っ込んできやがって……」
「突っ込まないと、アンタをぶちのめせないからね」
「ちっ、あっちのポチエナと同じかそれ以上になまいきな奴だな。気に食わねぇ」
そう言いながらも、ズバットはシラの様子をうかがっている。
安直な行動なら避けて返り撃ちにしてやる、と暗に言っているようにシラには見えた。
が、
「……っ……?」
直後、シラは自分の体が重くなっているように感じ、やがて体内に突き刺すような痛みが奔っている事に気が付いた。
気付かぬ内に意識が朦朧とし、目はズバットの姿が二重に見えてしまいほどに狂っていた。
煙の中に入っているわけでもないのに、とシラの思考は混乱に追いやられる。
すると、目の中で揺れて映っているズバットから、嘲笑うような声が聞こえて来た。
「へっ、ようやく体に巡った毒に気付きやがったか。細い体をしてる割りに丈夫だったが、てこずらせやがって」
「……な、にをしやがったの……」
「『スモッグ』と『毒針』」
シラの問いに対し、ズバットはシンプルな答えを返す。
「最初にお前が無謀に突っ込んできた時、お前は二種類の毒を帯びた技を受けた。どちらも必ず毒にかかる技じゃねぇんだが、どちらか片方の毒はかかっていたってわけだ……『スモッグ』を吸っちまったようには思えねぇし、多分俺の毒針が原因だろうけどな」
「……
あの時、か……」
「俺がただ逃げてるだけだと思ったか? 大抵のポケモンは時間と共に体力とかが自然回復するが、毒状態のポケモンはそうもいかねぇ。回復するどころか、時間が経つにつれて体力を削られる。尤も、俺やドガースみたいな『どく』タイプのポケモンには通用しないんだがな」
だから、明らかに毒素を含んだ『スモッグ』の中でもズバットは平気だったのだろう。
シラやグレイには毒に対する『耐性』が存在しないため、ドガースが使った『スモッグ』は空気と共に多分に取り込むだけで毒に感染する煙幕の代わりにもなる。
追い詰めたと思いきや、逆に追い詰められてしまった。
朦朧とする意識の中、シラはそれでも堪えてズバットの事を睨みつける。
「さて、どうする? 俺達としてはもう降参してほしいんだがな。流石にこれ以上やって保安官沙汰になるのも嫌だし」
ペラペラと好き勝手言うズバットに対して言い返そうにも、声を出す事も辛くなってきた。
ズバットとの間合いを詰めるために休む事も無く動いていたツケが、ここに来て利子を付けて圧し掛かってくる。
(……やばい……これは本当にやばいって……!!)
危機感に思考がままならず、時間の経過と共に毒は体を蝕んでいく。
絶対絶命――そう思った時だった。
「ぐえっ!!」
耳の中に、内容こそ似ていれど、ズバットの物とは違う声が飛び込んで来た。
ドガースが攻撃を受け、ズバットの近くにまでブッ飛ばされたのだと気付くのに、数秒が必要だった。
ズバットが、自身の相方のやられっぷりに驚き、声を上げる。
「おまっ、何やってんだよ!! あんなビビリなポチエナなんか余裕だろ!?」
「うるせぇな!! このガキ、予想していたよりもつええんだよ!!」
明らかに苛立ちを伴った声だった。
それはつまり、グレイがドガースに対して優勢に立ち回れていた事を意味している。
そして、その予想は正しかった。
「シラ、大丈夫!?」
「……ああ、大丈夫よ」
気付けばドガースを追い込んでいたのであろうグレイが、毒に意識を持っていかれそうになっていたシラの隣に戻ってきていたのだ。
目を向けて体を確認してみても、目立った傷などは見当たらなかった。
「やれば出来るじゃない……まったく、最初に一人で突っ走ったあたしが馬鹿みたいじゃん……」
「……ごめん。もっと最初の方からこう出来ていれば、そこまで傷付く事も無かったかもしれなかったのに……」
「それはいいのよ。それより――」
気付けば、全員が喧嘩が始まった当初とほぼ同じ位置取りに戻っていた。
だが、その状況は大きく異なっていて、僅かではあるが余裕と言える物さえ生まれていた。
ズバットが、怪訝そうな声と共に疑問を発する。
「……おい、そこのポチエナ。どうして最初に俺が言ったブラフに気付けやがったんだ」
それは恐らく、グレイが本当の意味で戦闘に加入してから、一番最初にズバットとドガースが講じた策の事なのだとシラは考えた。
その隣で、グレイは簡単な問題の答え合わせでもするような調子で回答する。
「だって、相手の目の前で相手にも聞こえる声の大きさで指示を送るなんて、よほど切羽詰まった時でも無い限り間抜けにしか思えないでしょ? 君達って不意討ちしてきたし、騙しを絡めてきてもおかしく無かったからね。そりゃあ解るよ……僕だって、一応『そういう事』を得意とするタイプなんだからさ」
その言葉には、妙に確信染みた雰囲気さえ混じっていた。
ズバットが思わず口篭っているのを見て、グレイは更に余裕を含んだ声で続ける。
「最初に不意討ちをくらったり、ずっと端でビビっていた僕だけど、あえて言わせてもらおうかな」
灰色の毛皮に身を包んだその少年は、いっそ解りやすい作り笑いなど作らず、ただ冷静にこう言ったのだ。
「……僕達『あく』タイプを相手に、真正面からの化かし合いで勝てると思うなよ」
「……ちっ」
そこまで言われて、真っ先に苛立った声を発したのはドガースの方だった。
緊迫感の所為なのか、あるいは体に巡っている毒が更に侵攻して来ている所為なのか、周囲の環境から来る音が小さく感じる。
「いい気になりやがって。もう、いい加減に決着を付けてやるよ」
その言葉にはズバットも少なからず同意しているようで、攻撃の体勢に映ろうとしているのが見える。
シラもグレイも、もう長く時間を掛け続けるわけにもいかないため、同様の意思を固めていた。
次で、決める。
そうシラとグレイが心の中で決めると同時に、ズバットとドガースはそれぞれ襲い掛かってきた。
ズバットはシラに向けて翼を打ち付けるため低空で駆け出し、ドガースは浮遊しているその体を勢い良く前進させ――グレイに向かって体当たりを仕掛けてきた。
シラは毒の影響で素早く動く事が出来ず、グレイは当然ながら二体の攻撃に対して同時に対処する必要がある、
「……本当に、痛かったんだよ?」
「な」
はずだったのに。
気付いた時には、ズバットの目と鼻の先に少し前までシラの近くに居たはずのグレイが現れていて、
「だから、お返し」
ドカァッッッ!! という打撃音と共に、グレイは前足でズバットを砂浜へ思いっきり叩き落としていた。
「……ふい、うち……かよ……」
呻くようなその声と共に、当たり所が悪かったのか、ズバットは気を失ったかのように倒れこむ。
「なん、だと!?」
突然の襲撃と、それによって招じた結果にドガースも信じられないような声を上げる。
不意討ち。
ズバットとドガースが講じた『手段』ではなく、グレイが使ったのはポケモンが使う『技能』としての物だった。
その真価は、相手が攻撃しようとしたその瞬間に生じる隙を突く事!!
「っ……」
しかし、ズバットを叩き落したグレイの方もまた、技の使用に体力を大きく消耗してしまったのか、あるいはドガースと相対している中でシラと同じく毒に掛かってしまったのか、砂浜に着地すると同時に呼吸を荒くさせていた。
その様子を見たドガースが、好物を目の前にした子供にも似た笑みを浮かべた。
口から吐き出すヘドロで攻撃する事も考えたが、直接攻撃して終わらせたいという気持ちが勝り、行動は決定した。
既に戦う力を削ぎ落とされているに等しいシラの事は無視し、疲労から隙を生じさせたグレイに向かって体当たりを仕掛けていく。
「今度こそ倒れやがれ!!」
グレイも、ドガースが隙を突いて攻撃してくる事を予測する事は出来ていた。
だが、ズバットがシラを狙って攻撃しようとしている事に気付いた時点で、見逃せなかった。
だから、この反撃には耐えて、次の攻撃で戦闘不能に追い込む、そういう算段だった、
のに。
「なっ」
グレイと、グレイに向かって体当たりを仕掛けようとするドガースの、その間に。
毒で体力を消耗し、動きを鈍らせているはずのシラが割り込んでいて。
所詮はノックアウト寸前のポケモン――そう判断し、構わずドガースは体当たりを強行し、
それが勝負を決定付けた。
「シラ!!」
ドガースの体当たりを受け、シラの体には弱くない痛みと衝撃が奔る。
だが、左腕で防御の姿勢を取り、構えていたシラは吹っ飛ばされず、それどころかその目には力が宿っていて――
「……倍にして、返してやるわ」
そして。
「――オラァァァッ!!!」
シラは反撃の右拳をドガースの顔面目掛けて捻じ込ませ、その力のままに振り抜く。
体の中に溜まっている物が気体に過ぎないからなのか、あるいは別の何か特別な力が作用したのか、ドガースの体は面白いほどに遠くまで飛んでいき、落ちる。
砂浜に戻って来た静寂は、決着の有無を暗に示していた。