プロローグ
1
ふと、誰かが思った。
仮に過去と未来を行き来する技術や能力が存在する、あるいはそれが『いつか』生まれるのならば、とっくの昔に世界の『本来の形』は失われているに等しいのかもしれない。
変化した過去の中には『本来の形』と比較しても悲劇は少なくなっているかもしれないが、その増減のしわ寄せが必ずしも無いとは照明出来ない。
ふと、誰かが考えた。
仮にそれが真実であるのならば、今のこの世界は本当に『正しい姿』であるのだろうか。
もしそれが歪められ捻じ曲げられ続けた末に生まれた物であるのなら、過去と未来に生じている事象の中には、自分自身が幸せになれる可能性だって秘められているのだろうか。
ふと、誰かが願った。
数え切れないフィルターによって塗り替えられ続けてきた世界を『元に戻す』事が出来るのなら、何をどうすればその願いを叶えられるだろう。
もし、この間違った世界を何とかする事が出来ないのならば、いっその事――終わらせてしまった方がいいのではないだろうか。
希望も何も無いのであれば、絶望しか蔓延しないのであれば、その方が幸せだと言えなく無いのではないか?
それ等の考えが『正しい』とも、一方で『間違い』だとも証明する手段は存在しなかった。
行き詰った思考の末に見い出した答えが、ただ『そうであるように』思考を捻じ曲げただけ。
それでも、事実として行動する者はいるのだ。
未来が閉ざされる事を知った上で、それでも尚『今の世界』を終わらせようとする者も。
それに対抗するため、間違っているかもしれなくとも『今の世界』を守るために行動しようとする者も。
そして、そういった者達の手によって導かれたり、背中を押される形で世界を救おうとする者が。
ある所では、一人の人間が『声』を聞いていた。
――お願いします。私達ポケモンの世界を救う救世主として、力を貸してください。
ある場所では、雷雨の振る夜の嵐の中、二つのシルエットが必死に互いの手を繋いでいた。
――うおっ!?
――だ、大丈夫か?! は、離しては駄目だ!! もう少し……何とか頑張るんだ!!
――だ、駄目だ……このままだと……っ!!
――く、う、おおおおおおおおおおおおお!!?
ある地域では、通りすがりの少年が大空から『誰か』が落ちて来ているのを見ていた。
――わわわわわわわわあああああああああああっ!!?
――……え、えええええ!? 唐突過ぎるっていうか空から降るのは雨だけで十分だってばー!!
そして。
――やっと……!! やっと会えたっ!!
ある空間――世界と世界を結ぶ通り道の中、一つの光球が別の『声』に導かれ。
また、とある夜の村の中では夢を追いかけ続ける一人の子供が、寝ぼけてこんな声を漏らしていた。
――むにゃにゃ……えへへ〜……ともだちなれ〜……。
世界の全ての生命は、皆同じもとから生まれたと言われている。
太陽も星も、空気も水も、そして星に生きる生き物達も――全ては一つに繋がるという。
つまり。
『今回』の事件が空も大地も海も、時間も空間も――世界を構成する全てさえ巻き込むものとなる事も、また必然。
数多の事象が捏ね合わされた末に生じた問題は、事実として『彼等』の生きる世界を存亡の危機に立たせてしまうほどに膨れ上がり、やがて本当に世界を崩壊させてしまうだろう。
鍵を握るのは、この世界に生きている者――そして、この世界にやって来た者。
これは、繋がりの物語。
2
世界で一般的に知られている五つの大陸の内の一つ――草の大陸。
そこは豊かな土の恩恵もあって植物の成長が早く、事実として樹木の数は増え続け、豊かな環境と引き換えに危険な場所も半々――とされているが、その両方で木々に成る自然の恵みを受け取る事も出来るため、どちらかと言えば静かな空気を醸し出す大自然の領域。
少なくとも、一般的な常識の中で草の大陸と呼ばれるだけの要素を取り揃えているこの大陸では、主に活動している枠組みが存在する。
探検隊。
世界に数多く見られる洞窟や森林地帯の中でも、入る度に構造が変わる特殊な領域――不思議のダンジョンと呼ばれるその場所に潜りこみ、宝物や秘境の存在を探り出す事を主とする、この世界に存在する枠組みの一つだ。
それに属するポケモン達の中には基本自由に行動している者も居るが、大半は『ギルド』と呼ばれる組織に『弟子入り』という形で加わり、規則や規律を守りながら活動する事で認められ、初めて自由行動の権利を与えられる。
そして、世界でも有数の『ギルド』の内の一つが――プクリンと呼ばれるポケモンが運営している物である。
建物は表向きだとピンク色に少し長めの耳の形をした突起と、可愛さや和やかさを印象付ける円らな瞳がデザインされた鎌倉のような形状のもので、外から眺めただけでは上部にポケモンの顔が付いたテント――のようにしか見えない。
だが、事実としてここは組織として活動している。
故に、目的を持って足を踏み入れようとする者も居るのだ。
「……うぅーん…………んーぅう……」
建物の入り口付近に作られた(と思われる)細かい格子が張られた穴の前で、ずっとウロウロしているポケモンが一匹。
外見は全体的に灰色の毛皮で覆われていて、骨格も陸地を素早く駆け抜けるのに適した四足歩行のそれは、違う世界の言葉で表現するのであれば『犬』と呼ぶのが相応しい。
そのポケモンの、種族としての名はポチエナ。
森や路道を歩いていれば野生の個体がそれなりに見かけられるぐらいには、さして珍しいわけでもない種族だったりするのだが――彼等は群れを作って行動している姿がよく見られ、単独で行動している姿は決してないとも言えないが、どちらかと言えば割と珍しかったりする。
ギルドの個性的な建物の前で、何やら決心が付かないのか意味もなくウロウロし続けているポチエナの彼――グレイは、しばらくすると垂れていた頭を上げ、独り出にこう言った。
「……いや、今日こそは勇気を出して……そう、一歩踏み出すだけでいいんだから……」
言ってから、ブツブツと呟きながら歩を進める。
そうして彼は、格子が張られた穴の上に立った。
そして。
『ポケモン発見!! ポケモン発見!!』
『誰の足型? 誰の足型?』
『足型はポチエナ!! 足型はポチエナ!!』
「わひゃあっ!!?」
ビクビクビクビク――ッ!! と、それまでの威勢はどこへやら。
突然穴の向こう側から響いた二つの声に驚き毛を逆立て、まるで弾かれるかのように元居た位置に逆戻りするグレイ。
「びっ、びびびびっくりしたぁ……!!」
思わず大声を漏らす彼はやがて落ち着いたのか溜め息を漏らすと、自分自身の臆病っぷりに嫌気が差した。
(……駄目だ。結局入る踏ん切りがつかないや……こうして逃げてしまうのも、何回目なんだろう……)
実のところ、彼がこのギルドに足を踏み入れようとしたのは一回では無い。
過去に何度か足を踏み入れようとしていたが、その際も今回と同じように逃げ出してしまっただけの事。
恐らく、同じ反応で穴から離れているため、声の主も『またか……』だとか呟いているだろう。
そう思うと、それが誰なのかが解っていなくとも情けなく思えた。
彼はおもむろに首の下にぶら下げていた布の袋を両前足で開け、その中身を取り出す。
(……『これ』を持って行けば勇気が沸いてくると思っていたんだけど……)
中に入っていた『宝物』を目にしながら、彼は力なく呟く。
「……ああ、ダメだ……本当に、ボクって臆病者なんだな……」
取り出した『宝物』を咥えて袋の中に入れ込むと、彼は未練たっぷりと言わんばかりの表情のままその場を後にする。
その場に残ったものは、太陽が落ち込み暗くなった時のためと思われる松明の木の皮が弾ける音と、それまで様子を隠れて見ていた二体の第三者のみ。
一体は水色の体色を有し、未発達で太さの乏しい縄のような両足と、細かく軌道を変えて飛ぶ事に適した一対の翼を有したポケモン――ズバット。
もう一体は全体的に毒々しい紫色で、腕も足も何も無いにも関わらず低空を浮遊している、多方面に噴出孔が空いている球体の姿をしたポケモン――ドガース。
彼等は開口一番から、思った事をそのまま口に出す。
「狙うか」
「ああ」
グレイは四足歩行だと慣れない階段を下りると、そのまま路道を歩いてある場所を目指していた。
空はオレンジ色の夕焼けを映し出しており、夜がそう遠くない頃に訪れる事を示している。
子供はもう住み家に帰るべき時間なのだが、彼にはその前に行こうと思える場所がある。
(……何でだろう。あれだけ見栄を張って探険家になろうって、今でも思っているはずなのに……どうして勇気が出せないんだろう)
そこに向かう最中でも、彼は内心で自分自身に疑問を投げ掛けてみたが、当然ながら答えは一つしか出ない。
ただ単純に、あまりにも臆病であるだけ。
そして、自分自身で解っていながらも改善出来る気がしなかった。
そんな自分が、嫌だった。
「……はぁ……友達と言えるような相手もあまり居ないし、まして一緒に探検隊になってくれるような相手なんてなぁ……」
呟くように独り事を述べていると、路道の途中でグレイとは反対側の方向――『プクリンのギルド』側に歩く別のポケモンの姿が見えた。
外見としては――何だろう? 全体的に赤や青に黄色と、少なくともこの辺りでは見かけない珍しいカラフルな体色を宿した、鳥ポケモンの一種らしいのだが……その翼はいかにも頼り無く見えていて、その翼を使って飛翔する光景がなかなか想像しづらい。
わざわざ路道に沿って歩いている時点で野生のポケモンではない事ぐらい簡単に推察出来たが、ただの通りすがりと言うには無理があるようで、いかにも何処かの組織に属してますよと言わんばかりに専用の道具入れを垂れ下げていた。
尤も、そのポケモンの種族どころか道具にさえ見覚えが無いグレイには、その名前や所属を推察する事など出来るわけも無いのだが――――やけに落ち込んだ様子で歩を進めているのが悪い意味で目立っていたからか、そのポケモンはグレイに対して自分から話しかけてきた。
「ん……お前大丈夫か? 大人と喧嘩でもしたのか?」
「別に、喧嘩したわけでは無いよ。というか……誰なの? この辺りじゃ見覚えの無い顔だけど」
「俺はアーケンのオムニス。まぁ、俺はこの先の方で用事があるってだけで、この辺りに住まってるわけじゃないから見覚えが無いのも当然じゃねぇかな」
アーケンと呼ばれる種族らしいそのポケモン――オムニスは、そう言ってから更に言葉を紡ぐ。
「それで、別に深いところまで聞くつもりは無いんだが……どうしたんだ? 正直、最近はただでさえ物騒だから早めに家に帰った方がいいと思うんだが……」
「その辺りは考えてるから大丈夫だよ。住み家はあるし、帰る前に寄り道したい気分なだけ」
「……そうかい。なら、とりあえず気をつけてな。この辺りはまだ安全な方だとはいえ、自然災害の事を考えると不安だし。子供なら暗くならない内に帰るんだぞ〜」
言うだけ言うと、オムニスはそのままてくてくと歩き去ってしまう。
(……初対面の相手なのにお節介だなぁ。悪気は無いんだろうけど……)
行き先が何処なのかは解らないが、どちらにせよグレイからすれば関係の無い事だと思った。
さして気にする事も無いまま、彼は目的の場所へと歩を進める。
そして当のお節介焼きなアーケンことオムニスはと言えば、彼にとっての目的の場所を前にして、こう呟いていた。
「……まったく、ワイワイタウンから此処まで長かったな。やっぱり空が飛べた方が便利だよまったく……」
3
そこは、夕日に彩られた情景がよく見える海岸だった。
青い海が地平線の向こう側まで広がっており、夕日の光に照らされた泡が潮風に乗り漂っている。
「……やっぱり、いいなぁ……」
景色を彩る泡は、天気が安定している時にクラブと呼ばれるポケモンが定期的に吹き出している物だが、事実としてグレイがこの景色を見られたのは久しかった。
(……ここ最近は天気の優れない日が続いてたし、中々見られなかったんだけど……やっぱり、いつ見ても綺麗な物だよね。自然災害なんてものが話題になっている事が、嘘に思えるぐらい)
彼は、気分が落ち込んだ時に決まってこの海岸に来ている。
それは習慣と言っていいほどの頻度だったが、いつ見てもこの情景は飽きを感じさせない。
(……うん、今日もここに来てみて良かった。明日も頑張ろうって、元気が湧き出て来る)
やがて、今となっては少し貴重と思えなくも無くなってきた情景を頭に焼き付けると、彼の表情は燐とした物になる。
つい少し前に告げられた言葉に従うより前に、もう少しだけ遊んでいこうかなと思い左の方を向いた、
その時だった。
「……ん?」
何か、視界に見慣れない『何か』が映っていた。
それが物体ではなく、砂に埋もれた小さな岩に体を預けるかのように倒れ込んでいる一匹のポケモンである事はすぐに解った。
問題はそのポケモンが眠っているのではなく、明らかに気を失う形で倒れていたという事だ。
「……えっ……!?」
グレイは急いで気絶しているポケモンの所へ駆け出し、近くに寄ると焦った様子で声を荒げた。
「キミ!! 大丈夫なの!? ねぇ、ねぇってば!!」
傍から大きな声で訴えてはみているが、意識があるようにはとても思えない。
海水で塗れている所為なのか、体の方もかなり冷えている。
(……まさか、例の自然災害で大波か何かに呑まれてここまで漂流してきたとか……っ!?)
最悪の可能性さえ思考を過ぎり、グレイの顔が真っ青になる。
もう、なりふり構わずに叫ぶしかなかった。
「起きて!! お願いだから起きてよおおおおおおおおおおっ!!」
「………ぅ………」
微かに、意識を感じさせる声が聞こえた。
長時間の眠りから覚めようとした時の呻き声に似ていた。
やがて意識が覚醒してきたのか、そのポケモンは四肢に力を込めて起き上がると、辺りをキョロキョロと見渡した後にグレイと目を見合わせていた。
思わず安堵のため息を漏らすと、グレイは器から水をこぼすような調子で言う。
「良かった……倒れたまま動かないから、本当に心配したんだよ?」
グレイはそう事実を述べたが、告げられた側のポケモンは何やら困惑しているようだった。
状況もそうだが、目の前にいるポケモンが何者なのかが解らないため、まず最初に疑問を抱いている――そうグレイは判断し、まず最初に自分から自己紹介をする事にした。
「ボクはポチエナのグレイ。キミは? この辺りだとあんまり見ない種族だけど……」
「……あたし……は……」
そのポケモンは、自らの事をこう説明した。
嘘を話しているような調子など、一切無いような調子で、
――――人間よ。
と。
そしてグレイは、困惑そのものとでも言っていい調子で、とてもシンプルな返事を返した。
「…………ゴメン、もう一回言ってくれる?」
これが、始まりの一つだった。
あるいは、これもとでも言うべき、物語の門出の一つ。
ポチエナのグレイの、元は人間だったはずのポケモンとの出会いだった。