どうも、俺は炎も水も苦手です。
三六〇度全てが水平線だった。
季節が夏の中期に入った水面は、肌を焦がす直射日光の影響でギラギラと輝いていた。潮風は涼しさや心地良さからはかけ離れた温風と化していて、そんな中でも細身と白い体毛に長い嘴を持ったポケモン――キャモメと呼ばれる者たちの群れは元気なものだった。
そんな中、明らかにその風景からはかけ離れた、一つの物体があった。
熱帯鯨《ディープホエール》。
かつては、とある蒼く巨大な体躯を持つポケモンを模した、本来ならば海底に眠る原油や資源を探す事を目的とされた巨大な潜水艦だったのだが……その形状は何と言うべきか、潜水艦という括りに入れるにはあまりにも大き過ぎており、現代においては小型化と高機能化が成された他の潜水艦と比較すると多分に資源を食い潰してしまう――そんな諸々の理由から、改築に次ぐ改築によって上流階級な貴族達を持て成す事を目的とされた、『時代の流れ』の影響を強く受けたとされる世界最大級のクルーザー船だった。
その巨大さから挙げられる特徴と言えば、内部設備の充実っぷりもそうだが船底に施された大型のアクアリウムによって優々と水中の様子を覗き見る事が出来るという点であり、セレブリティーやらラグジュアリーやら(要するに金持ち)な人間達が楽しむのには打って付けだと言われている。
そんな所に、ただでさえ『水』に関連する事に対して命の危険すら生じてしまう種族なリザードンのブレアが、わざわざ翼を使って向かった理由はこんな感じであった。
『今や夏場はリゾート日和。だけど無職だから何か美味しい食い物とかにありつける立場でも無い。はぁ、何か退屈凌ぎになりそうな事って無いもんかねぇ』
『あん? お前さん空を自由に飛べるんだろ。乗船するんなら金が掛かるけど、その船の周りを飛び回るだけなら無料だぜ。そもそもアンタ、何も身に着けてないんだから「野生」のポケモンとして行けば問題無いんじゃね? 上手く行けばエサとかは恵んでもらえるかもしれねぇし、危害とかを加えなけりゃ厄介事にはならねぇよ』
『え、マジで? タダで飯にありつけるの? 一応俺って今では「人間の文明」の一部な扱いになっちゃってるはずだから金銭的な問題も絡むんだけど……野生のフリなんて適当に喉を鳴らしておけば問題無いか!! よし行こう直ぐに行こう場所は何処なのおじさん!?』
『そんぐらい新聞を見れば分かるだろ? ブルーアトランティカ12だ。今やポケモンと密接に関わる時代になったもんだからって理由で、その中でも数が多い|水属性《みずタイプ》のポケモンにとっても住みやすい環境を想定して作られた再生都市の十二番目の地区。そもそもあんなゲテモノ船、取り扱ってるのはあそこぐらいだろうぜ』
『よっしゃ今から飛んでくる!! もう会わないかもしれないけどありがとなおじさん!!』
『おう……いや待て。冷静に考えるとお前さんほのおタイプだよな? しかも、その尻尾の炎……ちょっと待て下手したら死ぬぞやっぱり止めとけって〜!!』
と、まぁ。
何やら大事な事を言われていた気もするが、そんな事はそもそも承知な上であったわけで、命知らずな火竜はピクニックにでも出かけるぐらいの気軽さでこの熱帯鯨《ディープホエール》へとやって来たのだった。
(ほぇ〜、マジでホエルオーを模してんだな。その上で本物よりもデカいと来たか……そりゃあ多くの金持ちサマが楽しむための遊覧船なわけだし、アドバルーン的な役割を担う上でもスケールの大きさは重要だとは思うんだが……こんなモン、どれだけの動力で動かしてんだ?)
実際の所。
船である以上は『水に浮きやすいように』何らかの要素が盛り込まれている可能性は高いのだが、空を飛ぶ事が出来るブレアからすれば関係も無い話なので、興味こそ沸けれど探索してみようとは思わなかった。
何より、そもそもブレアはあくまでも乗客員ではなく傍観者として(主に暇潰し目的で)この海域へとやって来たのだから。
そんなわけで、目前には二本の巨大な錨――ではなく、巨大な鰭《ヒレ》にも似た(見える範囲では)合計4本の巨大なフローターによって海上に浮かんでいる、機械仕掛けの海の最大級生物が存在している。
それを目にしていながらも、ブレアはその二本の翼で滑空して船の周囲を旋回したりしていた。
途中、船に乗っていた乗客の一部が『アレって……リザードン? それも色違いの!?』『わ〜!! かっこい〜!!』やら、ブレアの姿を見て興味深そうに声を漏らしているのが聞こえたが、もう随分慣れた反応だったが故にブレアもそれには特に反応を見せなかった。
(色違いって言っても、特別な力が宿ってるわけじゃねぇのになぁ。もしもこの体色が『基本』だったら、今『普通の色』と思われている奴らが希少種扱いされるんだろうし、体の色なんて外観と印象操作ぐらいにしか役立たないっての)
もしも、全世界の人間の標準的な利き腕が右手ではなく左手だったら、珍しく思われるのは右手になるように。
人間だろうがポケモンだろうが、個々が持つ『一般的な考え』には、先人や集団意識から来る『設定された常識』が強く反映されている事が多い。
醜いアヒルの子――とまでは言わないが、些細と言えないレベルの違いを持った個は差別や興味の対象となりやすい。
だから、ブレアは今の姿になってからの事、自分の体の色が嫌いだった。
(……にしても、やけに綺麗に色付けされたメシを食ってんなぁ。木の実とかで腹を満たしてる俺とは大違いだ)
海鮮物とレタスのシーザーサラダ。カイスの実を練り込んだバケット。コイキングのカルパッチョ。マトマの実をメインに作られたミートソースのスパゲッティ。モーモーミルク仕立てのショートケーキ。
流石に豪華客船としての要素も含んでいるのもあってか、乗客達に持て成される|食べ放題《バイキング》形式の料理のバリエーションも幅広く、同時に芳醇な香りが潮風と共に散っているのが分かった。
……そんなわけで、ブレアが少しイラっと来ているのは自分の事を物珍しそうに見られている事に関してではなく、何より目の前に見える超美味しそうな食べ物にありつけない事だったりするのかもしれない。
だが彼は、人間だけではなくポケモンでさえも職を持っている事が割と当たり前になりつつある今の時代において、現在進行形の無職。
そんな彼が豪華客船で施しを貰える可能性など、一撃必殺な技が三連続で命中する確立よりも低いのだった!!
はずだったのだが。
(……ん?)
ふと、何やら視界の端に自分に向かって手招きをしている少女の姿が見えた。
恐らくは金持ちの親を持っていたが故にこの船に乗る事が出来た、乗客の一人だろう。
ブレアの意識が向いたのはその少年の行動もそうだが、何よりその手のひらに乗せていた物が気がかりだった。
それは、小さく茶色い固形物体。
汚らしい方面の物では無く、世間一般的にポケモンフーズと呼ばれる、ブレアを含めたポケモン達が食べるのに適するよう人間によって作られた食品だった。
(……誘ってんのか?)
今の所、それを持った少女との距離は離れている。
野生のフリをしていたのが少女の行動の理由だと思いはするが、どちらにせよあんな幼稚なエサに釣られるわけにはいかない。
(……ったく、野生のポケモンでも多少警戒心を剥き出しにするだろうがよ。いくら何でもそんなモンに釣られるような奴が今の世の中にいるわけ)
そんな事を考えていた時だった。
少女が左手に持っていたポケモンフーズ入りの容器に右手を突っ込み、中から更なる数のポケモンフーズを取り出したのだ。
それだけならまだ良かった。
例え数が増えようと、それで船の上に降り立とうなどとしようとはしなかった。
問題は、その後。
少女はその手に持ったポケモンフーズを、まるで餌撒きのように海辺へと投げ放ったのだ。
「」
投下先にそれを食べようとするポケモンの姿も無く、明らかに無駄としか思えない好意。
そう、無駄。
それが、ブレアの平民というか農民的な思考のきゅうしょにあたった。
あらゆる前提と上っ面と無視し、喉を鳴らすなんてレベルではなく思いっきり叫ぶ。
「いくら金持ちだからって食い物を粗末にしてんじゃねェェェえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!?」
落下中のポケモンフーズまでの距離、大よそ二十○メートル以上から現在進行形で下降中。
合計9個ぐらいのそれを確保するためにブレアは色々と勇気やら無謀やらを振り絞り、一気に水面近くまで急降下した後に水平飛行を決行した。
尋常ならぬ速度によって飛行機の速度など軽く追い越し、黒い翼を有した竜が隼となる。
ちなみに、一般的には割と最強クラスな威力の技だったらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
そんなこんなで色々バレて強制乗船、そして労働である。
厨房にて、その三本指な両手を使い、食器を洗いながら黒い翼の大貧民ドラゴンが呻くような声を上げる。
「……いやね? 確かに無賃でこんな豪華客船を観覧しようとしたのは確かに邪道だと思うよ? でもさ、刑務所送りとかになる事が無いってだけでも良いんだけどさ、もう少し何かあるんじゃねぇの!? デッキブラシで船の上を磨き上げるとか、こんなクソ広い船の上なんだから仕事の種類なんてもっとあるはずだろォ!!」
彼を含めて『ポケモン』と呼ばれる生き物達には、それぞれ『属性《タイプ》』という物が存在する。
ブレアの種族であるリザードンの場合は、『ほのお』と『ひこう』の二種類を有しており、その二つの内最も表に出ているタイプは前者である。
タイプの優劣に関しては物質の起こす事象そのものと言ってもよく、草木は炎によって燃えやすく、炎は水によって鎮火され、水は草木に吸収される――といった自然界の法則と合致した強弱を彼等は有しているのだ。
そんなわけで。
先ほどから水を使って食器を洗っている|炎属性《ほのおタイプ》な彼の両手からは、何やら湯気というか蒸気のような物が吹き出ていた。
物理的に切り裂かれているわけでもないのに細かく爪痕を残されるような痛みも生じているので、何かもう色々と逃げ出したかったりする。
「仕方無いじゃないですか〜。野生だったのならまだしも、施し目当てで意図的に来たってなれば無視は出来ませ〜ん。というか、ホントに……あのまま野生のフリでもしてそのまま帰っていれば良かったでしょ〜に。あんな分かりやすく人間の言葉で叫んだ上、『ブレイブバード』なんてぶっ放しながら船に向かってくればそりゃあ『迎撃』されますよ〜」
そんな彼の隣で(監視役も含めて)補佐を行っているポケモンが居た。
背丈は体以外の部分を含めると二メートル近くで、全体的な体色は桃色。
腹の部分に竜のような蛇腹が形成されているが、不思議と他者が見てもそれをドラゴンとは認識出来ないほどに掛け違う外見。
首元には赤と白の色が交互に存在する浮き輪――に似た|襟巻《えりま》きのような物が存在し、頭部には赤い宝玉が埋め込まれ王者の印たる冠の形を成した、大きな貝殻が被られている。
種族名を、ヤドキングと呼ぶポケモンだった。
「……迎撃したのもアンタでしょうがよ。いつも思うんだけど、エスパータイプの技って応用性高すぎなんじゃないか? 俺なんて物を燃やすとか風を起こすとか、後は空を飛ぶぐらいしか出来る事が無いんだぜ」
「そうは言ってもですね〜……あっしも水の中はある程度自由に動けますが空は飛べませんし、適材適所って奴なんでしょう。空中を自由に動けるポケモンって世界には数多いけど、水中と空中を両立出来る種族は数が少ないですし〜」
「ペリッパーにスワンナに……後そいつ等の『進化前』以外に何か居たか? 後、そいつ等が海中に潜っているような場面を見た事があんまり無いんだが」
「みずタイプのポケモンは基本的に、淡水だろうが海水だろうが順応出来るのですよ〜? あのギャラドスだって湖でも海でも目撃情報があるわけですしね〜。そもそもタイプだけで言えば、マンタインだって彼等と同じなのですから〜」
世界の大半は海と湖によって構成されているので、同様に世界で最も多いタイプのポケモンはみずタイプの者たちと言う噂だって存在する。
現実ではどうなのか、まだ未明になってる部分も多いのだが、一般的には陸地に住まうノーマルタイプのポケモンが一番多い事になっているらしい。
空を飛べるというアドバンテージは重要だが、現実的な『行き場』の幅広さでは間違い無く水場を自由に闊歩出来る彼等が上なのだろう、とブレアは考えている。
何より、水は一部のケースを除くと炎と違って被害が大きくなりにくい。
「というか、アンタも当たり前のように『人間の言葉』で喋ってるけど……アンタぐらいの奴なら、テレパシーでも行使すれば早かったんじゃないのか。何か理由でもあるのか?」
「念話《テレパシー》は確かに出来ますけれど〜、アレやるの頭の方が疲れるのですよ〜。相手の方からしても『頭の中に声が聞こえる』という感覚は好ましいものでは無いでしょうしね〜。何より、あっしからしても口頭での指示の方が手間もかからんのですよ〜」
「え、能力を行使しないエスパータイプって他に何が出来んの……?」
「こんな事」
このヤドキング、どうやらこの熱帯鯨《ディープホエール》に長く勤めているらしく、職員としての立場も船長の補佐やその他実務を任されるレベルらしい。
人間達からすれば何をしでかすのかも分からないブレアの監視を任されたのも、多分その実力を評価されている証なのかもしれない。
事実、割りと高温の炎を尻尾に宿すブレアの近くに居ても平気な顔をしている上、見えない『何か』の力を行使する事によって手を使わずに洗剤を付けたスポンジで食器を洗えている。
更にそこだけに留まらず、別の方では洗った食器を布巾で拭き、適切な場所に置いていた。
無論、それ等も含めて超能力による現象である。
「……いつ見ても原理が分からん。というかアンタ一人でこれも賄えるじゃん!! やっぱりこれって罰ゲーム!?」
「ま、ちゃんとやればご飯もある程度食わせて良いですって〜。刑務所にだって運動場の使用や差し入れぐらいは認められてるらしいですし〜、同じように食べ残しとかかをより集めて食べさせてあげますよ〜……下手な真似をしなかったら、ですけど〜」
「あらやだ風前の灯どころか海岸線のマッチ棒!! おかしいな、ヤドンの一族って割りと温厚なんじゃなかったっけな〜!?」
厨房の中でそんな感じの会話を繰り返しながらも、実際のところ大事になる場面は無かった。
今の所は。
何の、滞りも無く。
◆ ◆ ◆ ◆
時刻が午後の六時に差し掛かった頃だった。
夏という季節の所為もあってか、この時間帯になっても空はまだまだ明るかった。
それでも、この遊覧船での旅路は一泊する事も無く、あくまでも出航した当日には元の場所の戻るように設定されている。
夜中の海は照明があったとしても危険な物であり、日を跨いで遊びに呆けるには本来向いていないから……というのが表向きの理由らしい
……のだが。
「……おい、航路っていつもこんな感じだったか?」
ある時、誰かが疑問を発した。
「? ああ、航路はこれで合っている。船旅なら何度もやってきたからな」
ある時、疑問に対する言葉があった。
経験から発せられる言葉には信憑性があり、疑問を発した側もそれ以上の追及は行わなかった。
そして。
またある時、誰かの連れの子供が疑問を発した。
「ねぇお父さん、アレって何?」
「? アレって言うのは……」
「アレだよ、空に浮いてる……大きな飛行機みたいなもの!!」
言葉の後に、具体的な変化があった。
子供の言った『飛行機みたいなもの』から、スケートボードのような外見をした『何か』に乗って空を駆ける、スカイブルーの覆面と制服のような物に身を包んだ集団がやって来たのだ。
単なるパフォーマンスの一環では無いことぐらい、誰の目にも明らかだった。
そして、集団の内の一人が、開口一番から男性の声でこう言い放った。
「よおし、全員動くなよ!! この『熱帯鯨《ディープホエール》』は、我々『空色の顎』が占拠する!!」
「ルールを逸脱しない限り、不要な傷を負わせる事はしない。当然、これは人間でも『人間の文明の一員』になっているポケモンでも同様だ。分かったな?」
その言葉が皮切りだった。
言葉に触発されるように、あるいは身を守るために。
どうしようも無い『戦闘』が、広大な海に浮かんだクジラの上で実行された。