第3章 『雪降る摩天楼に舞う忍』
第1話
ストライクの男
「………」

ハーデリアの男
「…もう、2度とこの門を潜る様な事をするなよ?」


俺は、今日この刑務所から出所した。
今思えば、こんな日が来るとは思ってもいなかったな…
どうせ、途中で耐えられなくなって死んじまう…誰だってそう思ってたはずなんだ。

だが、現実に俺は生き残っていた。
そしてそれは紛れもない事実であり、俺は五体満足で無事に出所の日を迎えている…


ストライクの男
「………」


俺は改めて刑務所の外観を塀の外から見る。
ここに入れられたのは今から2年と1ヶ月位前か。

あの日の事は、未だに鮮明に思い出せるな…
ここ『ルヴァンク刑務所』に入れられた、あの『ゲッコウガ』の女が来た日。
あまりに異質で、他とは違いすぎる存在感を持っていた…あのチビ女……




………………………



ハーデリアの看守
「…入れ、『カスミ・ハナダ』今日からここがお前の入る房だ」
「殺人の罪は思い…精々、可愛がって貰うんだな」

カスミ
「………」


その『女』が現れた瞬間、房の中でどよめきが起こった。
何せ、男しかいないこの臭ぇ空間にデカイ乳をぶら下げたチビ女がブチ込まれたんだ、驚かねぇ訳が無ぇ。
だが、こっちの反応に対してチビ女は何ひとつ表情を変えなかった。
ただ、チビ女の目を見た瞬間…俺は心臓が止まりそうになる程の何かを感じたんだ…


トドグラーの男
「おう、テメェ殺人者だって?」
「この世界で殺人ってのは、大罪だ…それ位は知ってんだよな?」


まず、この中じゃ1番体格の良いトドグラーの男がそう言う。
ちなみに、この刑務所はそもそも極悪人ばかりを収容する為の刑務所だ。
つまり、この部屋にいる野郎共もかなりの札付き。
かくいう俺も、殺人未遂の障害窃盗で捕まってるからな…

他の連中も大抵、それなりの罪を重ねた奴らだ…
そしてこの部屋には、絶対的なルールが存在する。
それは、強い奴には逆らうな…だ。
まぁ良くある刑務所内のローカルルールで、逆らえばどんな目に遭うか…想像は付くはずだな?


カスミ
「………」


カスミ・ハナダ…そう呼ばれた殺人者のチビ女は一向に反応しなかった。
それを見てトドグラーは露骨に機嫌を悪くする。
この場に誰もが同じ事を思っただろう…あの女はすぐに犯されると。

だが…結果は予想とまるで違った。
次の瞬間俺たちが見た光景は、それまで常識だった力関係をあっさり覆した瞬間だったのだから…


トドグラー
「テメェ、無視かぁ!? 覚悟は出来てんだろうなぁ〜!?」


俺たちの予想通り、トドグラーの男は拳を握ってカスミを殴ろうとする。
誰もがその後の展開を予想出来た事でもあり、あわよくばお零れにあやかろうと思った者も多かっただろう。
だが、俺は何となく予感があった。
あの女は、今までの犯罪者とは大きく逸脱した存在なのでは?と…


トドグラー
「!?」


気が付けば、トドグラーの巨体は宙を舞う。
カスミは両腕にポケモンの能力を封じ込める特殊な腕輪を付けられているにも関わらず、体格で大きく上回るトドグラーを容易く宙に舞わせたのだ。
その場の全員が息を呑み、状況を理解出来ていなかった…
当のカスミは軽く手を振り払った体勢で、宙から落ちる150kg相当のトドグラーを見もしない。
そのままトドグラーは腰から固い石畳に叩き付けられ、ピクピクしながら震えていた。


トドグラー
「ぐ、ぐえぇっ!?」

同僚A
「な、何が起こったんだ!?」

同僚B
「いきなり大将が投げられた…?」


誰もがその瞬間の事を正しく理解していない。
かくいう俺もそうだ…ただ、この部屋において絶対的な権力を持っていたトドグラーは床に倒れている。
つまりこの瞬間…この房の中で序列が変わったのだ…

この房において、1番強いのは…カスミ・ハナダ。
俺たちは、それをまざまざと見せ付けられたと言えるだろう…


カスミ
「拙者に触れるな、この警告を無視したならば…命の保証はしませぬ」


カスミはそう言って、誰もいない部屋の隅まで歩いて腰を落とす。
誰もそれを咎める事なく、ただだだ呆気に取られていた。
宙を舞ったトドグラーも冷や汗を大量に流して状況を理解しようとするが…
だが、カスミの圧倒的なその力量を思い出したのか、トドグラーは何も考える事は出来ずにガタガタと震えていた。


トドグラー
「な、何をされたんだ俺は…!?」
「あのチビ…! 一体何モンだ!?」

カスミ
「…………」


カスミは目を瞑り、座ったまま眠りに就いた様だった。
この状況で、あまりに落ち着きすぎている…
さしものトドグラーも、その姿を見て呆気に取られていた。
その後…誰もカスミには話しかける事すら出来ず、ただ彼女が目覚めるのを鬼気として待つしか俺たちには出来なかったのだ…



………………………



カスミ
「…! …!」


彼女が目を覚ましてからも、俺たちは何も言葉を放つ事が出来なかった。
ただ、カスミは黙々とその場で筋トレをしている。
腕立て伏せ、腹筋、背筋…基本的なトレーニングをただ自己的にこなしていく。
そして、彼女はゲッコウガとしての特徴をも生かし、舌を伸ばして天井の照明に絡み付ける。
そのまま跳び上がり、天井に両足を着けて逆さまになる。
その後、瞑想する様に目を瞑って逆さまの体勢を維持していた…

明らかに異常なその姿に、俺たちは誰も口を出せないでいる。
何で、あんなストイックな女がここにいる?
アイツは殺人者としてここに放り込まれたはずだが、一体何を考えてやがるんだ…?


カスミ
「………」


カスミは1時間もの間その体勢を維持し、食事の時間まで微動だにしなかった。
俺たちは呆気に取られながらも、配給される夕食を取る為に食堂へと向かう。



………………………



カスミ
「………」


当然だが、食堂では他の房の連中とも相席になる。
その中にはカスミの事など知る由も無く、自己中心的な態度で配給を受ける奴らも多い。
そしてある程度予想は出来たものの、カスミはその洗礼を受ける事になったのだ…


カスミ
「……?」


カスミは俺たちのグループの中で先頭を歩いていた。
だが、舐められた事に前のグループは俺たちの分の食料まで横取りしてしまっていたのだ。
今までならリーダーのトドグラーがある程度幅を利かせていたんだが、カスミみたいなチビ女が成り代わっちまったから、完全に侮られたんだろうな…

既に空になった鍋を見て、俺たち全員の食事が無くなってしまったのを確認したカスミは目を細める。
俺たちはある程度予想出来た事でもあり、ただため息を吐くだけでその事を素直に諦めていた。

当然だが、先に全てをかっさらったグループはほくそ笑んでいる。
この刑務所じゃ力が絶対だ…つまり力の無い奴は飯も食えない。
元リーダーのトドグラーの奴も、意気消沈して諦めてやがった…不甲斐無ねぇな…まぁ、俺たちも人の事は言えねぇが。


カスミ
「…失礼、拙者たちの分が無いのでござるが?」

ハーデリアの看守
「それがどうした? お前たちに配給される食事は常に一定だ」
「足りないと思うなら、自分で何とかしろ…」


そう、それがこの刑務所でのルール。
強い奴が全てを支配出来る。
弱い奴には…生きる権利すら与えられない。


カスミ
「…それは、貴方方をブチのめしてでも奪えと仰るのですか?」

ハーデリアの看守
「…勘違いするな、俺たちは与える物は与えている」
「その中で不満があるなら、その中で解決しろと言っているんだ」


看守は冷静にそう告げる。
カスミはそれを聞いて、先に食事をかっさらったエンブオーの男を睨んだ。
アイツは、隣の房で頭を張ってる札付きの悪党だ。

こっちのトドグラーとはレべルも違うし、そもそもマトモに争える相手じゃない。
なのにカスミは全く物怖じせず、そのエンブオーに向かって何も乗っていない皿を左手に、ツカツカと近付いて行った…


エンブオー
「何だチビ? 俺様に何か用か?」

カスミ
「…そなたたちは少々取り過ぎの様ですが?」
「その半分位を、拙者たちに分けて頂きたい」


何とカスミは堂々とケンカを売りやがった。
俺たちは明らかに驚き、その場から後退る。
戦っても勝ち目なんかあるわけ無ぇ…なのにアイツは全く退く気が無ぇんだ。
当然の様にエンブオーは顔に青筋を立てて怒り浸透。
すぐにでもカスミに襲いかかりそうな雰囲気だった。

だが…不思議と俺には期待感がある。
俺たちのリーダーだったトドグラーをあっさりと宙に舞わせ、誰も文句が言えない存在感を放つカスミ・ハナダ…
もしかしたら、あのエンブオーですら倒しちまうんじゃ?という、期待感が俺には何故かあったのだ…

そして…その期待はすぐにでも俺たちの目に焼き付けられる。


エンブオー
「その口…少し黙らせてやろうか!?」

カスミ
「……」


エンブオーは不意打ちで張り手をカスミの顔面に放つ。
だが、カスミは右手に持っていたフォークでエンブオーの張り手を刺した。
瞬間、エンブオーは手から血を噴き出して盛大な悲鳴をあげる…


エンブオー
「ぎゃああっ!? テ、テメェ…!?」

カスミ
「そんな蝿が止まる速度で、拙者を倒すつもりですか?」


カスミの目は冷徹だ…あのつり目で細い瞳からは、絶対的な威圧感を放っている。
看守の野郎も見て見ぬ振り…やりたきゃやれって所かよ。
つまり、あのエンブオーはもうダメだ…誰の目から見てももう優劣は着いた。
カスミがその気になってりゃ、今頃目玉のひとつでもほじくり出されてるだろうからな…


カスミ
「…あまり手を煩わせないで頂きたい」
「そなた等の取った分の半分を頂ければ、それで済むのでござる」

エンブオー
「…っ、ざけやがってぇぇっ!!」


愚かにもエンブオーのバカはもう片方の手で張り手をかます。
カスミは瞬きする事無くそれを棒立ちで見ており、タイミングを見計らって少し首を前に振った。
瞬間…ベキィッ!と嫌な音が響き渡る。
見ると、張り手をかましたエンブオーの肘から血を噴き出していたのだ。
理由は単純明快…カスミはカウンターで掌の軸に真っ直ぐ、正確に頭突きを入れただけ。
その完璧すぎるタイミングに、エンブオーは伸び切った腕を見事に破壊された訳だ…自業自得だな。


カスミ
「早くしてもらえませぬか? 時間は有限でござるよ?」


そう言ってカスミは皿をフォークでカンカン!と鳴らし、無情にも催促する。
エンブオーは既に戦意喪失で踞って震えるのみ。
埒が明かないとカスミは判断したのか、そのまま別の男を睨み付けた。
その後瓦解するのはすぐだった…連中は全員カスミの前にひれ伏し、無条件降伏をアピールする。
カスミは敵の皿に乗っている食料をフォークで自分の皿にかっさらった。
俺たちはその後に続き、自分たちの分を確保する。
その際、俺たちは無言のままカスミが宣言した『半分』のみを厳守していたのだ…

そう…この時点で俺たちも同時に屈服していたんだ。
この、カスミ・ハナダという…ゲッコウガのチビ女に。



………………………



カスミ
「…! …!」


食事後、俺たちはカスミに付いて行って真面目に運動をしていた。
いつもなら適当にこなすだけの運動時間を真面目にやっているのだ。
別に指導員たちからとやかく言われるわけでもないのに、俺たちは真面目に体を動かしていた…


指導員
「………」


指導員は俺たちの行動を逐一記録している。
カスミはひとりで勝手にやってるが、別に咎められる事も無かった。
俺たちは俺たちで指導員の用意したメニューに従うだけ…別にそれ以上の事をやる気も無いしな。



………………………



カスミ
「………」


再び房に戻って、カスミは部屋の隅で座禅を組む。
誰も声をかける事は無く、ヒソヒソと聞こえない様に会話する位が精一杯。
そんなあまりに自由過ぎる振る舞いのカスミをボスとし、俺たちはある意味変えられちまったんだ…と後に思う事になる。



………………………



カスミ
「…!」


それから1年…カスミは何ひとつ変わらなかった。
ただひたすらに己を鍛え、誰と争うわけでもなくストイックに振る舞う。
今やこのムショでカスミに刃向かうバカはいない。
俺たちも何人かメンバーが入れ代わったりしたものの、カスミの絶対的なポジションは何ひとつ変わらなかった…


カスミ
「……!」


カスミは指先ひとつで天井に張り付いている。
ゲッコウガ特有の指先は蛙の様に壁に張り付き、カスミはそのまま懸垂をして鍛えているのだ。
まずは人差し指で懸垂100、そのまま指を入れ替えて計5セット。
そして次は腕を入れ替えてもう5セット…カスミはこれを毎日必ずやる。

今でも訳解らねぇ位強ぇのに、何でそんな鍛える必要あんのかね?



………………………



結局、俺たちはカスミに話しかける勇気すら持ち合わせていなかった。
カスミからも俺たちに語りかける事は1度も無く、奇妙な同居人のまま時は過ぎる。
やがて、2年目が経ち…遂にカスミはこのムショから出所する事になったのだ。


ハーデリア
「…出ろカスミ・ハナダ、刑期は終了だ」

カスミ
「………」


カスミは無言で座禅を崩し、そのまま立ち上がる。
身長140cm程の小さな体ながら、服の下には恐るべき肉体が秘められているのを俺は知っている。
カスミの瞳は真っ直ぐ前を見ており、一辺の曇りも無い。
まるで、それをただ待っていた…とばかりにツカツカと歩き、ハーデリアの看守に手錠をかけられて外に出たのだ。

俺はその背中と、ゆらゆら揺れる彼女の長い青髪を見て、何故か今の自分の惨めさを痛感していた。


ストライク
(俺は、今まで何やってたんだろうな?)


何も無かった…俺の人生なんざ泥にまみれたゴミみたいな人生だ。
だから悪い事はいくらでもやったし、反省する気も無かった。
だがあのカスミ・ハナダという女は、人を殺した罪でここに来た癖に目立つ様な悪い事は一切しなかった。


ストライク
(アレはただ、自らを戒める為のトレーニングだったのだろうか?)


思えばカスミは、誰も頼る事無く黙々と体を鍛えていた。
人を殺した奴が、何でそんな事に集中する?
悪党なら悪党らしく、刑務所では憮然としていれば良いだろうに…
それなのに…アイツは一切ブレなかった。

多分、そこには確固たる何かがあったのだろう。
そしてそれこそが俺とは明確に違う何か。
同じ悪党のはずなのに、決定的に俺とアイツは違ったんだ……


ガァンッ!!


そんな重い音が部屋に響き渡り、鉄の扉は閉まった。
もうここにボスのカスミはいない。
だが誰も、一言も発さず…俺たちは沈黙していた。
それから少しすると、ここに来たばかりの連中が声を出し始める。

やがて、房の中の空気は完全に入れ換わる事になったのだ。



………………………



ハーデリア
「…ロマノフ・スパーダ、刑期は終了だ」


カスミが出てから約1ヶ月…遂に俺も刑期を終える。
結局俺は普通に刑務所生活を真面目にこなし、至って健全に刑期を終える事になってしまったのだ。


ロマノフ
「……」


俺の腕には手錠がかけられる。
この手錠は通常、房にいる間は腕輪みたいになっているだけで行動には支障が無いのだが、こうやって房から出る時は腕輪同士を鎖で繋ぎ、束縛する。

まぁ、俺みたいに両腕が鎌になっている種族には邪魔でしかない代物だな…
この腕のお陰で、俺は他の連中みたいに飯も食えない。
指所か手首すら無いんだからな…



………………………



ハーデリア
「…もう、2度とこの門を潜る様な事をするなよ?」

ロマノフ
「…ああ、出来るならそう願うぜ」


俺はそう吐き捨てて、ひとり寂しく歩き出す。
最小限の荷物だけを肩に担ぎ、俺は新たな人生を歩む事になった。
先に出たカスミ・ハナダは、今頃どうしてんのかな?

まぁ、俺とは違って色々やってるんだろう…アイツは、どうせ普通じゃないんだからな。



………………………



…それより1ヶ月前の事、場面は移り変わる。




「…お待ちしておりました、『華澄』様」

華澄
「…スミルノ殿、ご苦労様でござる」


拙者はペコリとお辞儀をする。
今拙者の目の前にいるお方は、とある貴族に遣える執事。
黒く汚れひとつ無い執事服に身を包み、胸に手を当てて礼をするそのお方は白い髭の似合う老人だった。
頭にはまるでクロワッサンの様な黒い角が2本生えており、目元には青い三角形の模様がふたつ対になっている…
その特徴を有するこの方の種族は『イエッサン』というらしい。
かなり若い頃からその貴族の家を支えているらしく、その風体はベテランその物。

そしてそんなお方に、拙者は迎えを受けていたのです。


スミルノ
「では、参りましょうか…お荷物はこちらへどうぞ」


拙者は着替えだけが入った小さな鞄をスミルノ殿に渡す。
するとスミルノ殿は車のトランクを開けて鞄をそこに納めた。
この車も露骨な高級車であり、黒づくめ。
車種の事は拙者には解らないのですが、確かスパイ映画とかで良く見るタイプの車に似てますな…


スミルノ
「どうぞ…」


スミルノ殿は後部座席側のドアを開けて拙者を促す。
拙者はそのまま車に乗り、運転席の後にある座席に無言で座った。
それを確認したスミルノ殿は優しくドアを閉め、そのまま運転席へと乗る。
後はエンジンをかけて車を発進させた…



………………………



華澄
「…『アンドレイ』殿は?」

スミルノ
「…それについては、ご自身の目で直接お確かめください」
「私(わたくし)は、全てを受け入れるつもりでありますので」


スミルノ殿はそれだけを答え、拙者はそれを聞いて黙る。
そして雪の舞う大都会のビル群を見ながら、先の事を考えていた…


華澄
(…あれから2年、この世界に変化はあったのでしょうか?)


拙者は初めてこの世界に来た時の事を思い出す。
そして、あまりに唐突に巻き込まれたあの事件…
恐らく、それに関する何かがこの世界の謎を秘めているはず。



………………………



華澄
「………」


拙者は目的地に辿り着き、車から降りる。
スミルノ殿がトランクを開け、拙者の鞄を持ち出した。


スミルノ
「中身はいかがいたしましょう?」

華澄
「今の拙者には必要ありませぬ、処分はお任せいたします」

スミルノ
「では、その様に…」


スミルノ殿はそう言って礼をし、先導して屋敷の玄関に向かう。
今拙者が目にしているのが、例の貴族の屋敷…
その大きさは土地を含めても相当な規模の物で、この世界における最大の大豪邸と言って差し支えは無い。
そんな屋敷に拙者はお世話になっていており、今から恩人でもある主人のアンドレイ殿に面会に向かう所なのです。


華澄
「………」


屋敷には他のポケモンは存在しない。
この広い屋敷はスミルノ殿がたったひとりで管理しており、全ての仕事をひとりでこなしているのだ。
その仕事振りはあの愛呂恵殿に匹敵するレベルの完璧さであり、拙者もただただ尊敬の意を述べる事しか出来ない程。

逆に言えば、スミルノ殿がいなければこの屋敷は廃墟同然になってしまうのですが…



………………………



スミルノ
「アンドレイ様、華澄様がお帰りになられました」


スミルノ殿はドアを2回叩いてそう言う。
すると中からは弱々しい声が聞こえ、中に入る様に促された。
スミルノ殿はそれを聞いてゆっくり扉を開ける。
拙者はそれに促される様に、部屋の中へと入って行った…


華澄
「…! ア、アンドレイ殿…?」

アンドレイ
「ふふ…元気そうで、何よりだ」


綺麗な部屋の中、綺麗なベッドに横たわる、痩せ細った顔の男性が拙者に向かって微笑んでいた。
その顔は嬉しそうな顔なものの明らかに生気は無く、今にも消え去りそうな灯にすら見えてしまう。
拙者はそんな恩人のアンドレイ殿に近付き、アンドレイ殿が差し出した右手を両手で握って涙した。

まさか、こんな…こんなにまで弱ってしまっているとは!


華澄
「…申し訳ございませぬ!! 拙者の、拙者の不始末故にこの様な!!」

アンドレイ
「良いのだ…アレは貴女のせいではない」
「先に逝った妻も、きっと責めてはいないだろう…」


2年前のあの日、この屋敷ではひとつの事件が起こった。
拙者は世話になっている恩を返すつもりで、その事件を解決しようとしていたのに…
拙者が、拙者が甘かったばかりに…奥方殿の命は失われてしまったのだ!


アンドレイ
「華澄殿、私もまた…治らぬ病と闘っていたのだ」
「それも…ひとえに貴女ともう1度会う為」

華澄
「アンドレイ、殿…! 何故こんな拙者の為に!?」


アンドレイ殿の特徴でもある兎の様な白い耳がダラリと垂れ落ちる。
アンドレイ殿は『エースバーン』という種族らしく、本来身体能力に優れる炎タイプとの事でしたが…


アンドレイ
「華澄殿、どうか…娘の事をよろしくお願いしたい」

華澄
「…! 勿論でござる! 必ずや…必ずや『アリサ』殿を救い出してみせまする!!」


そう、あの事件に直接関わり、今やどうなっているのかも解らないアンドレイ殿の一人娘…アリサ殿。
そのアリサ殿を救い出す事が、この世界における拙者最大の目的でござる!


アンドレイ
「娘の居場所はある程度掴めている、後の全ての事はスミルノに一任した」
「私に出来る事は、全て貴女に託そう…どうか、よろしく頼む……」

華澄
「ア、アンドレイ殿…?」


アンドレイ殿は仰向けになり、ふ〜…と息を吐いた。
そしてそのまま、安堵した顔で安らかに息を引き取る。
本当に拙者と話すが為に、その命を永らえさせていたと言うのですか?


華澄
「……っ!!」


拙者は声に出さず涙した。
そして確固たる意志にて前を見る。
拙者は恩人たるアンドレイ殿の手をそっと胸の上に動かし、布団をかけ直した。
そしてアンドレイ殿に一礼し、拙者は静かに部屋を出る。


スミルノ
「では華澄様、ご命令を」

華澄
「命令…? 拙者にそんな権限はございませんが?」

スミルノ
「アンドレイ様の遺言です…全ての財産を華澄殿に譲り渡す、と」
「そしてこの私めも、華澄殿に誠心誠意遣える所存でございます…」


そう言ってスミルノ殿は胸に手を当てて礼をする。
アンドレイ殿…そこまでこんな拙者を信頼していただけるとは…
しかし、所詮拙者は流浪の身…そこまでご厚意に甘える訳にはいかぬ。


華澄
「…スミルノ殿、あくまで拙者はアリサ殿を救うまでの代理」
「アリサ殿が戻られた際には、その権限は全てアリサ殿に返却致すでござるよ?」

スミルノ
「現状、全ての権限は華澄様にあります」
「故に、その華澄様の命であればこのスミルノ、万事理解しましたでございます」


スミルノ殿はそう言って長い口髭を両手で整え、立派な顎髭も整える。
そして改めて礼をし、拙者からの指示を待っていた。
拙者は深く息を吐き、改めてこの世界の事を考える。


華澄
(この世界は混沌なのでしょうか? それとも、全く別の世界なのでしょうか?)


それ程賢くない拙者には、結論など出せませぬが…
しかし、それならそれで拙者は己の信じる正義を貫くでござる!
いつか、聖殿と再会出来るのを夢見ながら…


華澄
「…スミルノ殿、まずは拙者用のスーツを用意していただけませぬか?」

スミルノ
「そう言うと思い、ここに万事ご用意させていただいております!」


拙者が物思いに耽っている間、スミルノ殿は首尾良くスーツケースを用意していた。
拙者は流石と感心しながら、自分の部屋へと早足に歩く。
そして、部屋にて素早くスーツに着替えるのであった…


華澄
「………」

スミルノ
「流石は華澄様…男性用のスーツにも関わらず見事な着こなしに」


拙者は某スパイ映画の主人公の様な立派な黒スーツに身を包む。
手には白い手袋も着用し、それをキュッとしっかり身に付けた。
そして拙者はスミルノ殿から黒いヘアバンドを貰い、それで後髪を縛ってポニーテールを作る。
やはり、髪はこうしていた方が落ち着きますな…


華澄
「まずは、街の様子を見に行きます」

スミルノ
「それでは、私めはアンドレイ様の御遺体を埋葬致します」
「華澄様、今夜の夕食はいかが致しますか?」

華澄
「18時には戻ります故…」

スミルノ
「畏まりました、では温かいボルシチをご用意しておきます」


拙者はそれを聞いて外へと出た。
さて、あれから2年…街はどう変わったのでござるかな?
これまで刑務所での生活を余儀無くされた2年間…しかし拙者はいかなる時間も無駄にはしなかった。

片時も休む事無く鍛練を続け、いつでも戦える準備は出来ている。
そしてもはや『あの時』の様な失態は決して犯さぬ!
今度こそ『奴等』の悪事を暴き、アリサ殿を救ってみせましょう!!










『とりあえず、彼氏いない歴ウン千年のポケモン女が愛する男を救う為に戦う。後悔する暇も無い』



第3章 『雪降る摩天楼に舞う忍』

第1話 『決意と覚悟』


…To be continued

Yuki ( 2021/07/09(金) 14:44 )