特別編第1話 『生命エネルギーの付与』
どんな人間にも、かけがえの無い者が存在する。
人間であろうと、ポケモンであろうと、人はその相手に依存するものだ。
生きていれば、ただ共にいるだけで満足出来るだろう。
だが、失われれば、依存度が高ければ高い程失ったものを取り戻そうとする。
例えそれが、2度と取り戻せないものだったとしても……
「お前がトラックに轢かれて死んでしまった時、私はそれを認める事が出来なかった」
薄明りだけが周囲を照らす巨大な実験室の一角に、培養液に満たされたガラスの柱が作られていた。
その培養液の中に浮かぶ裸の少女に向かって、初老の男が話しかける。
「お前の死体から遺伝子情報を解析し、新しいお前を作り上げた。
この段階に至るまで長い時間がかかった。悪魔に魂まで捧げた。
ロケット団に媚びを売り、この人工の無人島でお前を作ると決めたのだ」
直接触れて抱き締めたいとばかりに男は柱に抱き付き、嗚咽を漏らす。
「私は狂っているのかもしれない。いや、狂っていたとしても構わない。
私はお前をこの世に蘇らせたいんだ。完璧な形で。
その鍵を握っているのが『ミュウ』の遺伝子情報なんだよ」
優れた科学技術によって、人間のクローンを作る事に成功した男。
だが、それは完全な成功では無かった。僅か数年で溶けて消えてしまう儚い命。
まるで泡となって消えてしまった人魚姫の様に。
男はその見えている『終わり』を防ぐ為躍起になっていた。
「アイ、ミュウには『永遠の命』が備わっている。
人間より遥かに長生きするポケモンでも、せいぜい生きるのは百数十年。
幻のポケモンと言われる『ミュウ』には不老不死の力が備わっているんだ。
その力の謎を解明する事が出来れば、お前にその力を与えてやれる。
その閉じられた世界から外に出る事が出来るんだよ」
培養液の中でしか生きられない、あまりにもかよわい生命体。
男にとって愛娘を蘇らせ、さらに二度と失わない様にすると言う野望は一生をかけてでも成し遂げたいものだった。
ミュウの睫毛の化石が見つかった事で、その野望が実現しそうな所まで来ている。
男は少女に呼びかけていると言うより、自分に言い聞かせている様だった。
「贅沢は言わない。私とずっと一緒にいてくれればそれで良い。
それで良いんだ。お前がいない世界なんて、私にとって何の意味も無いんだよ」
『しょうがないなぁ……パパは』
アイの幻影を追い求める男に対して、『アイツー』は憐みの感情を向けていた。
彼女はアイのクローンであって本物の『アイ』では無い。
男はそれを理解していたが、偽物であったとしても本物そっくりの彼女を望んだのだ。
そしてアイツーも、アイの代わりとして生まれてきた事が解っていたからこそやるせない気持ちを抱えていた。
アイツーが入っている培養液で満たされたタンクの隣に、別のタンクが設置される。
そしてそのタンクで『ミュウツー』の育成が始まった。
「ミュウツーが私の手駒になれば、カントー……いや、世界が私に跪くのと同義だ。
フジ、ミュウツーの睫毛の化石は替えが効かん。失敗は許されんぞ」
「解っております。ミュウツーの成長スピードは凄まじいものですが、暫しお待ちを。
幼体の状態では、ミュウに匹敵するパワーを発揮する事は出来ません」
ロケット団の総帥、サカキはミュウツーを使った世界征服を企む。
男はそれに加担するフリをしながら、ミュウツーのパワーをアイに分け与える方法を模索していた。
永遠に生きる力は、ミュウやミュウツーの身体から発せられる特殊な『波動』に秘密がある。
通常のポケモンと違い、傷を負っても即座に再生する驚異的な生命力をアイに与えればアイは人間を超越した存在となる。
それを調べる時間が、男にもアイツーにもそう長くは残されていなかった。
『……ココは何処?ボクは誰?どうしてボクはこの世に生まれてきたの?』
『ココは人工的にポケモンを生み出す為の研究所。そして貴方はミュウツー。
最強の力を持つとされるミュウのクローンよ』
幼体として目覚めたミュウツーに、アイツーが語り掛ける。
ミュウツーには相手の心の声を読み取るテレパシー能力が既に備わっていた。
『ポケモン……君もポケモンなの?』
『ううん。私はアイ。人間よ。パパが私を作ったの。
私と貴方は同じクローン。本物から作り出された偽物。
でも、偽物でも本物と同じ様に命があって生きている。
それって、素敵な事だと思わない?』
『ねぇ、アイ。ボクに色々教えてよ。アイの事、この世界の事……
全部知りたいんだ。教えてほしい』
『私が教えられる事なら、全部教えてあげる』
その日から、アイツーとミュウツーの『会話』が始まった。
他愛も無い御喋り。他のクローンである沢山のポケモン達、そして自分達が生まれてきた意味。
男にとってアイがかけがえの無い存在である様に、ミュウツーにとってアイツーはかけがえの無い存在になっていった。
『ミュウツー、ごめんね……もう、お別れの時が来たみたい』
数ヶ月後、アイツーの身体は消滅の時を迎える。
人間の脆弱な生命力では、クローンとしての肉体を保っていられるのも数年が限度。
ミュウツーはアイツーの消滅を認められず、必死に呼びかけた。
『嫌だよ、アイ!もっとボクに色々な事を教えて。ボクはもっとアイと一緒にいたい!』
『……困っちゃったなぁ。貴方もパパも同じ事を言うんだから……』
アイツーの身体が足から徐々に溶けて消えていく。
ミュウツーは自分の力を全て使ってでも彼女を救いたいと願った。
『神様、お願い。アイを助けてあげて。ボクはどうなってもいいから、アイの命だけは……
アイと一緒にいたいんだ。それ以外何も望まない。だから……!!』
ミュウツーの身体が突如青色に光り輝き、消滅しそうになっているアイツーの身体も光に包まれる。
「な、なんだ……何が起きている!?」
「ミュウツーの脳波が変化しています。アイツーの肉体が修復されていく……信じられません」
アイツーの肉体に、ミュウツーが保持している『生命エネルギー』が注ぎ込まれていった。
それは『永遠の命』をアイツーに分け与えると言う事。
勿論その代償は大きく、ミュウツーは幼体のまま成長が止まり本来の力を発揮出来なくなってしまう。
ミュウツーは自分の力の半分をアイツーに与える事で彼女の消滅を防いだのだ。
「アイ……これは奇跡だ。ミュウの睫毛の化石が見つかったのはやはり神の贈り物だったか。
お前は永遠を生きる存在となったのだぞ。素晴らしい……実に素晴らしい」
アイツーは人間を超越した存在となった。
ミュウツーの持つあらゆるサイコパワーを威力こそ弱いが使いこなし、不死となったのだ。
『良かった。アイ……ずっと一緒だよ』
『私は、生きているの?身体から力が溢れるのを感じる。今まで体験した事の無い高揚感……』
男はアイツーの『変化』を喜んだが、『実験』が失敗した事も認めなければならなかった。
「教授。もしこのままミュウツーが完全体にならなければ、実験は失敗と見なされ我々は殺されます。
今の内に逃げましょう。ミュウツーと娘さんを連れて逃げるんです」
ミュウツーの『成長』が止まった事に気付いた研究員はそう言って男に近付こうとしたが、腹に違和感を感じて立ち止まる。
「その必要は無い」
研究員は呻き声を発しながらその場に倒れ、男はアイツーのいる培養液を背にして相手を見た。
「ミュウツーの培養に失敗するなとあれ程釘を刺しておいたと言うのにしくじりおって。
パワーが大幅に低下している。この程度の力ではカントーを制圧出来るかどうかも怪しいではないか。
貴様には責任を取って死んでもらおう。娘と共にあの世へ行くがいい」
拳銃を男に向けたサカキの姿を捉えたアイツーは、無意識の内に叫んでいた。
『駄目!!』
その瞬間、凄まじいエネルギーがアイの体内から外へと放出されサカキと2名の部下は壁に叩き付けられる。
ガラスが割れ、アイツーはうつ伏せの状態で床へと倒れ込んだ。
「私、生きているの……?外に出ても……」
ゆっくりと立ち上がり、まだ息がある研究員の身体に触れるアイツー。
ミュウの持つ『癒しの力』によって拳銃の弾が床に転がり落ち、彼の傷を修復していく。
『殺さなきゃ。そいつを生かしておくと、そいつは僕達を捕まえようとする。
それに、殺さないと君の御父さんも殺されちゃうよ』
ミュウツーは培養液の中にいる状態のまま気絶したサカキの身体を宙に浮かべた。
だがその言葉に対してアイツーは首を横に振る。
「命は誰にとっても平等で尊いものよ。命を奪ってしまう事だけは駄目」
『でも今命を奪わないと、別の命が奪われてしまうんだよ?』
「なら、こうすればいいのよ」
アイツーは宙に浮かんだサカキの身体に手を触れ、強く念じた。
その瞬間サカキの身体はその場所から消えてしまう。
『何処に送ったの?』
「彼は『破れた世界』に送ったわ。
この世界とは違う、時空の狭間にある異質な世界。
不思議ね。この世界のありとあらゆる情報が私の頭の中に飛び込んでくる」
ミュウはこの世界において『神』に等しい力を持つポケモンだった。
それは知識においても万能と言う事であり、この世界において知らない事が無いと言う事でもある。
「10年前に破れた世界を開拓し始めた人間がいる様だから、きっと彼も生きてはいけるでしょう。
そこの2人も同じ所に送って……その前に、服が無いと困るわね」
アイツーは裸のままだった為、サカキと共にいた女性ロケット団員のスーツを身に着けた。
黒色の全身タイツを自分の体型に合う様収縮させ、下着姿の女性も異世界へと飛ばす。
「もっと良い服がいずれ見つかるわ。それまではこの服で我慢しましょう。
この人もパパも、ココにいては大変……カントーの何処かに飛ばさないと」
男と研究員を『何処か』へと飛ばしたアイツーは、ミュウツーの方に視線を合わせ微笑む。
ミュウツーのエネルギーを受け取った彼女はさらにミュウツーに近い存在となっていた。
『アイ、旅に出よう。色々な所を見て回るんだ。きっと楽しいよ』
「ええ、そうね。貴方と一緒ならきっと楽しい旅になるわ」
アイツーとミュウツーは瞬間移動を行い研究所から姿を消した。
後にロケット団幹部が血眼になって男とミュウツーの行方を探す事になるのだが、それはまた別の話である。
アイツーとミュウツーの、世界を巡る気儘な旅が始まった。
何の目的も無い、見聞を広める為だけの旅。
この旅で誰と会い、何を成す事になるのか。
それはまだ、彼女達にも解っていなかった。