鈍色の残光
第1章 第7話 当たり前の事
 博物館が閉館時間となり、外に出たリーフとアカネは、その足で宿舎に出向き明日に向けて休養を取る事にした。
 宿舎は所謂山小屋の様な建物で、キッチンや冷蔵庫・トイレ・シャワー室と言った生活に必要なものが揃っている。

「全部セキエイリーグの運営資金から均等に分配されて、宿舎の維持費とかに回されとる。
 何せ、チャンピオンにトレーナーが挑むとなれば全世界で生中継、リーグ本部の会場は観客で埋まってグッズやフードも完売。
 それが日本中で何回も行われれば、これだけ立派な宿舎やジムの建設費が出るのも頷けるわ」

 高価なリクライニングシートに座り、両手を思い切り上に伸ばすアカネ。
 リーフはキッチンに置かれたポリ袋の中身を取り出し、電子レンジがある事を確認した。

「あー、ウチがやるわ。やるって言ってもその御飯をチンして、レトルトのカレーをかけるだけやけど……
 ウチ、料理するの苦手なんよ。下手な事してキッチンを汚しても後が大変やし」

 プラスチックのパックに入っている、温めるだけで食べられる御飯をリーフはじっと見つめる。
 リーフも料理などした事が無いので、アカネの選択が妥当だと感じた。

「先にシャワーでも浴びたらええよ。ウチも後で浴びるわ。バスタブが無いのがちょっと不満やけどな……
 でもまぁ、汚れたら掃除するのも大変やろうし、仕方ない事なのかもしれんわ」

 リーフはアカネの好意に甘える形で、シャワーを浴びる事にした。
 宿舎のシャワー室はホテルの一室にありがちな、洋式トイレとシャワー室が一体化したものになっている。
 その近くに脱いだ服を一旦置いていく脱衣籠があり、彼女は服を籠に入れるとシャワー室に足を踏み入れた。

 (本当に、立ってシャワーを浴びる程の広さしか無いのね。でも居間やベッドルームが狭いよりはマシかもしれない。
 これからは洗濯して着るものを回しながら、途中で新しい服を買い足さなきゃ……)

 旅をしている中で困るのが食事と服である。
 服に関しては宿舎に泊まる場合、洗濯から乾燥まで自動でこなす全自動洗濯機があるのでそこに放り込めば解決するが、何時も泊まれるとは限らない。
 リーフ達は最悪に備えて、汗等で汚れた服を殺菌する特殊なスプレーを購入し、シャワーすら浴びれない事態に陥った時の対処を考えていた。
 身体は汗ふきシートで拭き取り、最低限の匂いを取る。それはあくまで非常事態の際の処置であり、何日間もそんな事をしていられないと言うのが実情だろう。

 (何とかなると思って簡単な気持ちで旅に出たけれど……思った以上に大変だわ。
 私が強くなるのが遅れれば、旅の日程も無駄に長引いてしまう。それに……)

 若干温めのシャワーが髪や肌に当たっているのを感じながら、リーフは顔を上げた。

 (ロケット団と戦うと決めたからには、強くなる事を恐れてはいられない。
 頭を下げてでも教えを請い、テクニック、技術を盗み取る。まずは上級者から学ぶ事)

 ジムリーダーのツツジから教わる事は、今後確実に自分の財産になる。
 そう思うからこそリーフは、そこで妥協したりせず全てを学び尽くさなければならないと思っていた。

「リーフはん。出来たで!こんな感じで暫くレトルトかカップ麺になるやろうけど堪忍な。
 あとウチ、野外での料理経験とか無いからそういう時の食事はおにぎりとかサンドイッチ、非常食になると思うわ」

 着ていた服・下着の類を全自動洗濯機に入れ、事前に用意していた下着とパジャマに着替えるリーフ。
 居間からアカネの声が聞こえてきた為、リーフは返事をしてから居間へと移動する。
 最近は乾パンと言ってもふっくらとした美味しいものがある為、缶詰の食事もそこまで苦にはならなかった。

「色々とやってもらっちゃってごめんなさい。私が率先して動かなければならないのに」

「別にええよ。ウチが世話焼くの好きなだけやから。そういう事するのが単純に楽しいんや。
 それに人がするのを待ってるより、自分で動いた方が楽やと思うて……」

 居間には机と椅子、休息用の立派な座椅子が用意されている。棚にはポケモン関係の書籍が並び、棚の上にはテレビまで設置されていた。

「これだけ豪華な所にタダで泊まれるのって、やっぱり凄いわね」

「政府がトレーナーになる事を奨励して、トレーナー人口を増やしたいからやろ。
 リーグを盛り上げる為には優秀なトレーナーが出てこんとあかんし、莫大な収益の為には撒き餌が必要や。
 それでも旅には結構な金がかかるから、リーグに挑むトレーナーの数は年々減少傾向にあるらしいけど」

 少子高齢化の波は、ポケモンを愛するトレーナー達の世界にも暗い影を落としていた。
 若者が少なくなれば、熱い血を滾らせて鼻息荒くリーグに挑む者も当然減少する。
 そしてそれは、闇の陣営にとって好都合である事を2人はまだ知らなかった。

「ウチも食べ終わったらシャワーを浴びるわ。今日も色々あって疲れたしなぁ……
 明日もツツジはんの所で勉強するんやろ?ウチもリーフはんも、時間が必要やな」

 すぐに捨てられるプラスチック製のスプーンでレトルトパウチの器に盛られたカレーライスをほおばる2人。
 なるべく洗い物等のやらなくても良い事は簡略化したいと思っていた。
 やりたい事、やらなければならない事が山積している場合は尚更だ。

 午後6時50分。時計の針がもうすぐ7時になろうかと言う時、宿舎のドアをノックする音が響いた。

「はい、今出ます」

 慌ててドアに駆け寄り、リーフは扉を開ける。玄関口にはツツジが立っていた。

「貴方達の時間を貰っても、宜しいかしら?」

「ええ、構いませんけど……アカネはシャワーを浴びている最中で」

 ツツジは問題無いと言った後、居間に移動して椅子に腰を降ろした。
 手にはタブレットを持ち、暫くの間画面を見つめていたが、唐突に顔を上げてリーフに尋ねる。

「私も忙しい身。明日教えるとは言ったものの、生徒達の授業を疎かにするワケにはいきませんの。
 それ故に、貴方達の所持しているポケモンから今後貴方達が取るべき道を確認しておくべきですわ。
 貴方の持っているポケモンのタイプを教えてくださいまし」

 リーフは電源を落としていたロトム図鑑の電源を入れた後、ポケモンのタイプを述べた。

「えっと……ヒトカゲがほのおタイプ、オニスズメとイーブイがノーマルタイプです」

 ツツジはリーフがそう答えると一瞬心配そうな顔をし、その後厳しい態度でリーフに助言を行う。

「いきなり断崖絶壁を登るかの様な苦難に挑む事になるとは……
 ほのおタイプもノーマルタイプも、私の操るいわタイプとは相性が悪い。
 相当レベルを上げなければ、私と言う最初の関門を突破する事は出来ませんわね」

 リーフは『相性』について大まかな事は聞いていたが、いわタイプに関する知識はほぼ皆無だった。

「そこまで厳しいんですか?」

『いわタイプはほのおタイプの技によって受けるダメージを半減し、いわタイプの技でほのおタイプに2倍のダメージを与える事が出来るロ。
 そしてノーマルタイプの技もいわタイプのポケモンに対してダメージ半減。
 いわタイプの技でノーマルタイプのポケモンに2倍のダメージを与えるワケでは無いのが救いロが……
 それでも苦しい戦いになる事は避けられないロ。他のタイプの技を覚えさせて活路を見つけるべきロ!』

 リーフの質問に対してロトム図鑑が見解を述べ、ツツジもその見解に同意した。

「つまり、私のポケモンはタイプ一致のいわ技で貴方のポケモンに襲い掛かり、3倍ものダメージを与える。
 そして貴方のポケモンはそれに対して打つ手無し。出来る事と言えばレベルを上げて耐える事位。
 攻撃に関してはまだやりようがあるにせよ、厳しい事には変わりありませんわね」

 アカネのポケモンもノーマルタイプだけで統一されている為、リーフと同じ様にツツジに対しては不利になる。
 取るべき道は2つ。ツツジに対して有効なポケモンを捕獲してツツジに勝利するか、今いるポケモンのレベルを上げに上げて対抗するか。
 リーフはツツジに勝利する為だけに有効なポケモンを探す事は『逃げ』だと思い、真っ向から苦難に立ち向かう道を選んだ。

「厳しい道でも、私はその道を通ります。そうで無ければ、これから先勝っていく事は出来ません」

「……貴方のその目、本気と捉えて宜しいんですわね。貴方の様な良い目をしているトレーナーを見るのは久しぶりですわ。
 私が責任を持って貴方達を鍛え上げ、私に挑める力と技術を与えて差し上げます。
 それは貴方達の為だけでは無く、セキエイリーグとカントーの未来の為にもなる。
 血気盛んなトレーナーが増えれば、リーグ全体が活性化しますものね」

 ツツジはそう言った後、持っていたタブレットの画面を見せ、リーフに『宿題』を与える。

「まずは、タイプの相性を完璧に覚える事。戦っている最中に『あれ、このポケモンにはどんな技を当てれば効果が抜群になるんだろう』なんて言ってられませんわ。
 近年発見されたフェアリータイプを含めた18種類のタイプ相性を全て把握すべきですわね。
 そして複数のタイプを持つポケモンが持つ『タイプの相殺』と『ダメージのさらなる倍化』も覚えてくださいまし」

「タイプの相殺と倍化……?」

 リーフは初めて聞く言葉に首を傾げたが、ロトム図鑑がすぐにツツジの言葉を解説した。

『ポケモンには2つのタイプを持つものがあって、それによりダメージの倍率も変化するロ。
 例えば、いわタイプとじめんタイプを持つポケモンにみずタイプの技を使えば効果は『4倍』。
 いわタイプとドラゴンタイプを持つポケモンにみずタイプの技を使うと効果は『普通』になるロ!
 これはいわタイプが『水ダメージ2倍』に対してドラゴンタイプが『水ダメージ半減』の特性を持っているから起きるロ……
 相手の相性を知ってそれを利用すれば、相手のポケモンに対して『6倍』ものダメージを与える事が出来るロ!』

 バトルを少し行っただけのトレーナーであるリーフにとって、全てが未知の世界だった。
 駆け出しのトレーナーとは言え、自分の無知さを曝け出してしまった事が恥ずかしい。
 リーフはそう感じて俯いてしまう。ツツジはリーフの姿を見て少しだけ態度を軟化させた。

「持たせる道具、特性、急所に当たる確率……バトルにおけるダメージは緻密な計算の上に成り立っていますの。
 どんなトレーナーでもいきなり全てを知るのは不可能ですわ。そこまで落ち込む程ではありませんわよ。
 勿論、最低限の知識として相性は把握しておかなければならない。そこだけは変わりませんわ」

 フォローはすれど、トレーナーとしての知識を得てもらいたいと言うラインは譲らない。
 リーフはツツジにジムリーダーとしての矜持を感じ、そしてその期待に応えなければならないと思った。

「解りました。一晩かけて、その『最低限のライン』は越えてみせます」

「とにかく今日は、『いわタイプのポケモンに関する相性』を学ぶのが最善策。
 私が貴方とのバトルで出すポケモンを事前に教える事はタブーですし、リーグから禁止されていますわ。
 ですから、どんないわタイプのポケモンが出てもある程度対抗出来る様にするべきですわね」

 ツツジはそう言った後立ち上がり、入口に向かってゆっくりと歩を進める。

「貴方の『本気』がどれだけのものなのか……明日、拝見させて頂きますわ」

「はい。ツツジさんの期待に沿える様全力を尽くします」

 リーフはツツジの持つ熱に感化され、思わず立ち上がってそう言った。
 ツツジも『新米トレーナーを導く』と言う自身の喜びを満たせそうだと言う期待に胸を膨らませる。

「最近では最初のジムに挑むトレーナーですら私と戦う事に尻込みする者が出る始末……
 貴方の様な信念を持ったトレーナーがもっと増えてほしいものですわね」

 ツツジは自身が最強になれずとも、最強のトレーナーを育成して送り出す事が自分の使命だと思っていた。
 その為に無理を言ってトレーナーズスクールの講師を兼任し、トレーナーを育成する事に拘っていたのだ。
 彼女にとって、リーフもまた『生徒』であり、『最強のトレーナーになる素質を秘めた金の卵』だった。

 アカネがパジャマを着て居間に戻った時、先程とは違う空気が部屋内に満ち溢れているのを感じた。

「リーフはん……?」

 リーフがロトム図鑑を両手に持ち、時折質問を交えつつ一心不乱にいわタイプのポケモン一覧を睨む様に見つめている。

「いわタイプはじめんタイプも持つポケモンが多いのね」

『いわタイプのみ、いわ・じめん、いわ・みず、いわ・こおり、いわ・はがね等様々なポケモンがいるロ。
 そして大事なのは、それらのポケモン全てに『かくとうタイプ』の技が有効であると言う事ロ!
 ツツジに勝利する為の鍵は『かくとうタイプの技』にこそあるロ。
 それとは逆に、ノーマルタイプやひこうタイプの技は効果が半減するので使用しない方が無難ロ』

 リーフはロトム図鑑からの助言を聞き入れ手持ちのポケモン達の技を確認したが、現時点ではかくとうタイプの技を覚えているポケモンが1匹もいない。
 そしてこれからレベルアップによって覚えると言うのも望み薄と言う事が解った。

「勉強してるんやね」

「ツツジさんに『覚えろ』って言われたから……覚えなきゃいけないって思っただけよ。
 かくとうタイプが駄目なら、次善策を取らなきゃ。何か良いアイディアは無い?」

 向かい側の椅子に座ったアカネに目を向ける事もせず、リーフはロトム図鑑の画面を食い入る様に見つめる。

『タイプの相性にもよるけど、はがねタイプはいわタイプ単体のポケモンには有効ロ。
 それとあくタイプの技やゴーストタイプの技は攻撃力が等倍。とにかく半減技を使わない事。
 そして相性が不利な相手と戦う事が前提ロから、大幅なレベルアップが不可欠ロ!』

 (同じ土俵に立っていては勝てないのだから、レベルを上げて殴るしか無いか……
 ジム戦でいきなり総力戦になる。短いながらも得た知識の全てを、ツツジさんにぶつけなければ)

 頭の中で何度もシミュレーションを行うが、彼女に勝利するビジョンが見えてこない。
 どんなポケモンを出されるのか解らないのだからある意味当然だが、彼女の自信が不気味でもあった。

「あんまり考え過ぎると身体に毒やで」

「今はちょっとでも無理をしなければ短時間での向上は図れないわ。
 夜更かしと言っても不眠なんて馬鹿な真似はしないから安心して。
 アカネにまで勉強しろなんて無茶な事は言わないから……」

 リーフは明らかに焦っていた。ヒカリの言葉が彼女に『時間が無い』事を教えていたからだ。
 ロケット団の野望を一刻も早く食い止める為には、自分が最短ルートで強くなる道を模索するしか無い。
 翌日のスケジュールの殆どをポケモンのレベルアップにあてなければ、自分の目的も果たせそうになかった。

 (うーん……完全にやる気モードになっとるな。集中して物事を達成しようとしとる。
 こういう時に邪魔をするとお互い良くない事になるわ。ウチは大人しく寝よ)

 アカネも自分の持っているポケモンがツツジに対して不利である事は百も承知であった。
 だがノーマルタイプのポケモンの強みは様々なタイプの技を覚えられる事である。
 相棒のミルタンクを筆頭に、彼女もパーティ全体のレベルを上げてツツジに勝利しようとしていた。

 (とにかく、ココは相性に関する事を一通り覚える所から始めなくちゃ。
 昔から私は記憶力だけは良かった。良い事も悪い事もなかなか忘れられない。
 その特技を今こそ最大限に活かすのよ。私もまた、ポケモンと同じ様に戦わなければならないのだから)

 トレーナーは的確に指示を出し、ポケモンバトルを勝利に導く。ポケモンが主役ならば、トレーナーは勝利に徹する黒子である。
 黒子には優れた状況判断力と突然起こる不測の事態にも対応出来る適応力が求められていた。
 そしてその2つの力を支えるのが言わずもがな『知識』なのだ。

「ほな、おやすみ……日付が変わる前に休んだ方がええで」

「大丈夫。私の身体の事は私が一番解ってるから」

 10歳の少女が出来る夜更かしなどたかが知れている。8時には眠気が来て、9時には凄まじい睡魔に襲われる事だろう。
 だからこそリーフは知識を吸収する事を急いでいた。
 時計の針が8時を過ぎ、頭の中に少々靄がかかっていたからこそ、リーフは最後の追い込みをかけていたのだ。

『目標はヒトカゲがリザードに進化する『レベル16』ロ。
 パーティ全体のレベルを今から16にするのは大変ロが、それでもやらないと勝てないのが厳しい現実。
 幸いにもヒトカゲとイーブイは既に優秀な技を多数覚えているロ。
 この2匹を軸としてオニスズメがサポート役に徹すれば、金星も決して夢では無いロ!』

 寝室の明かりが消えても尚、暫くの間居間の明かりは灯ったままだった。
 結局この日、リーフは夜10時まで粘りに粘り勝つ為の方法を探り続ける。
 ベッドに飛び込み泥の様に眠り、彼女は夢の中でもツツジと言う強敵を倒す為の方法をうっすらと考えていた。

■筆者メッセージ
序盤でヒトカゲを選び、いわタイプのジムリーダーに苦戦したと言うのは
多くのプレイヤーが実際に体験した事なのではないでしょうか。
リブートではこういった『あるある』を感じてもらうと同時に、
当時赤緑をプレイしていた多くのユーザーの方々に驚いてもらう様な
何らかの意外性を取り入れていきたいと思っております。
夜月光介 ( 2018/10/11(木) 22:49 )