第1章 第4話 遺された手帳
朝になり、日の光が差し込む宿舎。動物達の多くは夜が明けてから活動を開始する。
それはポケモンであっても人間であっても同じ事だ。ベッドから起き上がったリーフは床の上に立つと思い切り腕を上に伸ばした。
(あー……こんな感じなんだ。朝日を浴びるっていうのは)
欠伸をした後大きく息を吸い、新鮮な空気を存分に味わう。
トキワシティは街と言えど住人が少なく車の排気ガス等も少ない為、爽やかな気分で新しい1日を始められそうだった。
「ふああ……何や、起きとったんか、リーフはん」
リーフが身体を伸ばし筋肉をほぐしていると、上のベッドからアカネが降りてくる。
まだ少しだけ寝ぼけているのか、眠い目を何度もこすっていた。
(今日は日曜日。あの人と会う約束をしてる。寝過ごしてなければいいけど……)
リーフはロトム図鑑の電源を入れ、現在の時刻を確認する。
『今日は日曜日!気温は24度、湿度は30%、過ごしやすい1日になりそうロ!
時計の針は8時近くを指しているロ。7時58分ロ!』
リーフはホッと胸をなでおろしたが、やらなければならない事は意外と多い。
朝食を食べ、シャワーを浴び、身支度を整え、ポケモンセンターに向かう前に今日のルートを確認する必要があった。
「今日、ポケモンセンターで人と会わなければいけないの。10時に約束があって……」
「せやったら朝は簡単なモンで済ませた方がええな。
宿舎に電子レンジがあるから温めるだけの御飯とレトルトカレーで充分やろ」
こうして宿舎が食事が取れるうちはまだいいが、野宿となれば火を通さずとも食べれる携帯食料が必需品となる。
御世辞にも美味しい御飯とは言い難い為、今の2人にとってはレトルトカレーですら御馳走だった。
「本当は鍋にお湯を入れて沸騰した所にパウチを入れるんやけど、鍋もヒーターも無い。
御飯の上にカレーを乗せて、温めれば完成……っと」
2人とも量が必要な程食べないので、茶碗一杯分の御飯の量さえあれば事足りる。
食器も使い捨てのプラスチックのスプーンと通常のスプーンを状況に応じて使い分ける予定だった。
「悪いんだけど、人と会う間センターの外で待っててくれる?」
「それは別にええけど……リーフはんと約束してる人って誰なんや」
朝食を取りながらの会話。アカネの質問に対して、リーフはどう答えたものか思い悩んだ。
「……まだ、顔も名前も解らないの。博士の研究所の中で孤独に生きていこうとした私の背中を押してくれた人。
あの人がいなければ、私はこの場所に立っていないし旅に出ようとも思わなかった。
だからこそ、どんな人なのか知りたいし話を聞いてみたい。気になる事も言っていたし」
「顔も名前も解らんのに会いに行くんか?リーフはんは度胸があるのか無いのか解らん御人やわ」
アカネがそう言うのもある意味当然だった。
人との繋がりを拒絶したリーフが、突然繋がりを求め始めたのだから。
そのリーフの心の変化には、彼女の両親が絡んでいた。
(真実が解らないまま人生が続いていくのなら、他の事も全て知らないままで良いと思っていた。
でも解るのなら……知りたい。知る為に動かなければならないのなら私は動く)
神隠しに遭ったかの様にいなくなってしまった両親。
様々な噂が流れ、その中には耳を塞ぎたくなる程の内容も含まれている。
だからこそ、リーフを旅に導いた者との出会いは彼女の人生を劇的に変えるのではないか。
少なくともリーフ自身はその可能性が高いと思っていた。
今日の日程はほぼ決まっていた。
今いる宿舎のチェックアウトを済ませ、ポケモンセンターで人と会った後トキワの森に移動。
トキワの森を抜けニビシティに着く頃には日が落ちていると思われるのでニビシティの宿舎で宿泊。
だがその後の予定はまだしっかりとは決まっていない。
「数日泊まる可能性もあるし、長期的な考えでいこ。セキエイリーグは別に逃げたりせんし」
その時間が近付く程に、リーフの緊張は高まっていた。
シャワーを浴びている間も、アカネがチェックアウトを済ませる為にトウガンの所へ行くのを待っている時もドキドキが止まらない。
何が起こるのか解らないと言う恐怖と、自分の望みが叶うかもしれないと言う期待。
様々な感情が心の中を駆け巡る状態の中、遂にポケモンセンターの前まで来た。
「なぁ、やっぱりウチもついていった方がええんちゃう?」
「大丈夫よ。話すだけだから」
10時2分前。アカネにロトム図鑑を預かってもらい、正真正銘1人でポケモンセンターの中へと足を踏み入れる。
一歩を踏み出す事に恐れも感じたが、自分の為だと言い聞かせ気持ちを奮い立たせると自動ドアをくぐった。
辺りを見渡し、それらしい人物がいるかどうか確認する。
「あら?」
ポケモンを職員に預ける客、ロビーの椅子に座って新聞を読む客など数名の客がいる中で明らかに違うオーラを発している者がいた。
直感的にリーフは彼女こそが自分を呼んだ者だと言う事を悟る。
勝ち続けてきた人間が纏う『勝者のオーラ』。
リーフは目の前に立っている女性から溢れるばかりの自信と、相手よりも強くありたいと願う決意の様なものを敏感に感じ取った。
「……貴方がリーフちゃんね」
埃1つ付いていない服、艶のある黒髪、しっかりとした足取り。
全ての要素が歩き始めたばかりの自分とは大違いだと、リーフは圧倒されそうになる。
「初めまして、私の名前はヒカリ。シンオウリーグの元チャンピオンで、今は国際警察ライセンスを持っているトレーナーよ」
淀みの無い透き通った声が、驚くばかりのリーフの耳に届いていた。
国際警察。
通常の警察では追えない様な巨大犯罪に対応する事が出来る唯一の組織である。
複数の地方で起きた重大な犯罪を捜査しても越権行為にはならず、グレーゾーンの捜査を行っても咎められない。
国際警察の刑事は『コードネーム』を用いる事で自分の正体を隠そうとするが、トレーナーの場合は逆に堂々と自分の立場を公表した。
「私の仕事は国際警察の一員として、この世の悪を追い詰め逮捕する事。
トレーナーでありながら犯罪者を捜査令状無しで逮捕する事が出来るのは、国際警察ライセンスを持っているトレーナーのみ。
私の様なトレーナーは100名程しかいないけれど、ポケモンを所持する事が許されていない刑事さん達の助力になれればいいと思っているわ」
国際警察の刑事も大きく2つの派閥に分かれており、『自分自身はポケモンを所持しない』事をポリシーとする派閥と、『ポケモンを所持する』事を容認している派閥が存在している。
国際警察ライセンスを持つトレーナーの多くはポケモンを所持していない刑事と行動を共にする事が多いが、ヒカリは1人で動く事も多かった。
強大な公権力は正しく使えば人々の助けになるが、間違った使い方をすれば不幸を呼んでしまう。
ヒカリはそれを理解しているからこそ、一般人にも賛同される様な行動を心掛けていた。
「貴方が私を呼んだんですよね?私の父と母の失踪について知っている。真実を知りたいのならば来てくれと」
「そう。センリさんとアヤコさんの1人娘である貴方には、真実を知る権利がある。
そして貴方にこそ戦ってもらいたい。復讐心を煽りたいワケじゃ無いけれど、貴方にとってもそれが最善の道だと思ったから」
ヒカリは施設の奥にある階段を指差し、自分のいる方に来てほしいと手招きをする。
「落ち着ける場所で、ゆっくり話しましょう。この話はどうしても長くなってしまうから」
リーフは2階へ続く階段を登り始めたヒカリの後を追った。
「国際警察は数十年もの長きに渡り、ロケット団と言う闇の組織を追い続けてきた」
2階にある通信関連の部屋にも椅子が置かれており、2人は腰を落ち着けた後会話を始めていた。
「私が生まれる前から発足し、希少なポケモンを捕まえたり盗んだりしては法外な値段でコレクターや富豪に売り捌くと言う活動を行っていた。
簡単には尻尾を掴ませてくれない。組織の規模、陣容、総帥の名前すら正確には解っていないの」
ロケット団の恐ろしい点は、一般人が全くロケット団の存在を認知していないと言う所だった。
組織として巨大な規模を誇っていると言うのに、国際警察はそのアジトの場所すら知る事が出来ない。
無駄足を踏まされた事も一度や二度では無かった。国際警察とロケット団の戦いは時が経つ程に激化していったのだ。
「そして、この組織はポケモンの密売だけで無く、私達が住んでいるこの世界の侵略すら考え始めた。
強力な謎のポケモンの力で、世界の人々を跪かせロケット団を頂点とする独裁国家を作る。
酔狂では無く彼等は本気でそんな事をやろうとしているわ。国際警察が彼等を追い詰めなければならない」
そう言った後、ヒカリは上着のポケットから小さな手帳を取り出した。
「私と貴方の繋がりを作ってくれたのがこの手帳だった。
ロケット団の実態も掴めず諦めかけていた国際警察に警鐘を鳴らしてくれたのもね」
死をも恐れない勇気と行動力。リーフの母親であるアヤコは一流の芸能記者としてその名を知られていた。
特に不正や悪事を絶対に許さないと言う強い正義感の持ち主で、警察官であった夫のセンリと共に数々の難事件を解決していく。
そして彼女が独自の調査で発見したのが、ロケット団の秘密研究所だった。
そこでアヤコはある人物と、強大な力を秘めるポケモンの存在を知る事となる。
その情報を逐一センリに報告していたアヤコであったが、突然連絡が途絶えてしまった。
「自分にも魔の手が伸びる事を察知した貴方の御父さんは、拉致される前に自分が得た情報を全てこの手帳に書き残した。
そして手帳を国際警察に送った直後に行方不明になってしまったの」
ヒカリはリーフにその手帳を渡し、リーフはその手帳を開いて書かれている文章を目にする。
『名も無き島 ポケモンのクローンの研究 幻のポケモン 未曽有の力 アイの歌
ロケット団世界征服の野望 地面の下 ファイヤー サンダー フリーザーのエネルギー』
時間が無いとばかりに走り書きされたメモ。
重要な事だけを単語にして書き記した様に見えたが、断片的な情報ばかりでその全容は見えない。
「これはあくまで私の想像だけれど、あまりにもハッキリした事を書くと手帳を受け取った人物が命を狙われてしまう。
ロケット団に握り潰される可能性を低くすると言う意味でも、ぼかした内容しか書けなかったんでしょうね」
ヒカリは手帳をリーフから返してもらった後、懐からモンスターボールを取り出した。
「単語の羅列だけれど、解る事は何箇所かある。ここカントー地方で『幻のポケモン』と呼ばれているポケモンは一匹のみ。
決して死ぬ事無く永遠に生きると言われているポケモン、ミュウ。
力を行使する事は無いがその力は世界を滅ぼす事も出来ると言う伝説が残っているわ。
ファイヤー、サンダー、フリーザーの3匹は『三鳥』とも呼ばれる伝説の鳥ポケモン。
火を司るファイヤー、雷を司るサンダー、氷を司るフリーザー……目撃情報もここ何年かで数件寄せられているの」
通常のモンスターボールとはデザインが異なる、桃色のボールを握っているヒカリに対して、リーフは疑問を口にした。
「ヒカリさん、私の両親はロケット団に……?」
「……残念だけど、口封じの為に殺害された可能性が極めて高いわ。
物的証拠は全く無いけれど、貴方の御両親が殺害される瞬間を目撃した証人もいる」
リーフの目から自然と涙が零れ落ち、次の瞬間彼女はヒカリの腕を強く掴み揺さぶっていた。
「どうして!?どうしてその人は警察に本当の事を話してくれないんですか!?」
「ごめんなさいね。その証人は表の世界の住人じゃないのよ。ロケット団の幹部候補生だった人でね。
彼女は今、大火傷を負って病院で治療を受けているの。
彼女の証言が私達の捜査を大きく前進させてくれる事は間違いないけれど、表に出れば彼女も口を封じられてしまうから」
ヒカリはそう言ってリーフを宥めたが、もう1つ彼女に証言をさせていない理由があった。
自分勝手な話ではあったが、ヒカリは彼女を守ってやりたかったのだ。
ロケット団の幹部候補生である以上、彼女が警察に出向けば彼女もまた罪を償う為に服役しなければならない。
命を救われた恩義を感じていたヒカリは、彼女にまっとうな道を歩いてもらいたいと願いその存在を隠していた。
「いずれ貴方を彼女に会わせる日も来ると思うけれど、彼女の身の安全の為にもそういう人がいると言う事実は伏せておいてもらいたいの。
どうか許して頂戴。貴方にとってそれが辛い事はよく解っているつもりよ」
リーフにとって、それは辛い等と言う言葉で形容出来る程の痛みでは無かった。
彼女の両親は理不尽な理由で殺され、目撃者がいても証言が出来ない為真実を公表する事は出来ない。
傷付けられた両親の名誉を回復させる為には、何としてもロケット団の脅威を取り除かなければならなかった。
「私の父さん、母さんの死の真相を公の場で皆に伝える為には、ロケット団を倒さなければならないんですね。
やっと解りました。ヒカリさんが私を呼び、旅へと導いた理由が。
私は戦う必要がある。私自身の為に……そして世界の平和を守る為に」
リーフは前を向く決意を固めた。
恨みや憎しみの心が完全に失われたワケでは無いが、負の感情に押し潰される事無く前進し続ける強さを備えている。
ヒカリは彼女が一時の感情で動く様な弱い人間では無いと信じていたが、その言葉でそれが確証へと変わった。
「貴方なら、きっとそう言ってくれると思っていたわ。
リーフちゃん、このボールを受け取って頂戴。コレは貴方に渡す為に持ってきたのよ」
ヒカリはそう言うと、桃色のモンスターボールをリーフに手渡した。
「ヒールボールよ。中にはイーブイが入っているわ。イーブイは様々な進化を行う特殊なポケモン。
世の中には多種多様な考え方、文化、人種がいると言う事を教えてくれる気がするの」
戦う為に仲間が必要である事を理解していたリーフは、そのボールをしっかりと受け取る。
灰色の世界を漠然と眺めていた彼女はもうそこにはいなかった。
彼女には目標が出来たのだ。その目標を達成する為にあらゆる努力を惜しまないと心に決めていた。
「そろそろ私は行くわ。今貴方に話すべき事は話したし、やるべき事も済ませた。
多様性を持つイーブイの様に、貴方にも多くの選択肢がある。
人間は、そしてポケモンは自由であるべきなのよ。
その自由を奪おうとするロケット団を放ってはおけない。皆で戦えば、きっと活路が開けるわ」
ヒカリはそう言って立ち上がると、座ったまま動けないリーフに背を向けた状態で手を振る。
「必ずまた会いましょう。約束よ」
「はい。お待ちしています」
去っていくヒカリの姿が見えなくなるまで、リーフはその背中を見つめ続けていた。