第1章 第2話 姉への思い
博士の自宅は研究施設とは違い、ものがしっかりと整理整頓されており片付いていた。
本棚にはポケモンの研究に関する本が並べられており、博士のポケモンに対する愛情が感じられる。
(でも、本以外は普通の家よね。昔は3人で食卓を囲んでいたのかしら……)
リーフがそんな事を思いながら椅子に座っていると、ナナミが2個のティーカップが乗った盆を机の上に置いた。
「家で何時も飲んでいる紅茶よ。口に合うと良いけれど」
リーフが何気なく壁に目を向けると、タウンマップが貼られている。
カントー全域を網羅している地図。地図の一番下、南端部分にはリブ島も描かれていた。
「あの印は?」
よく見ると、タウンマップに所々×印が書かれている。恐らく後から博士が書き足したものだろう。
その×印は街や山、洞窟等様々な場所に書かれていた。
「カントーに昔から伝わっている、三神鳥の目撃情報があった箇所だと祖父から聞いているわ。
炎を司り太陽の如き熱を発するファイヤー、氷を司り吹雪を発生させるフリーザー、雷を司り雷雲を呼ぶサンダー……
誰も間近で存在を確認したワケでは無いけれど、必ずいると信じられている存在。
祖父は三神鳥が間違いなく存在すると学会で発表したけれど、真偽は今でも明らかになっていない」
数多く書かれた赤い×印を見ながら、ナナミは溜息をついた。
「祖父は、私達の両親が交通事故で死んでしまってから私達を実の息子、娘の様に可愛がってくれた。
でも愛情を注ごうとしても、学会へ出向いたり研究をしている時間の方が大事で、私達はその次。
3人で一緒に食事をとった事なんて、数える程しか無い。いつも2人で食事をしていたわ」
リーフは子供の頃から傷付く事を恐れ孤独を望んでいたが、ナナミは愛に飢えていた。
両親の愛情が得られない事は当然解っていたが、育ての親であるオーキド博士からの愛情を求めていたのだ。
「その影響からか弟は私に愛情を求め、私もそれに応えようとした。
弟は強くなって私を守ると心に誓い、ポケモントレーナーの道を志したの。
その心が徐々にずれていき、歪んだものへと変貌してしまった。
私の為と思ってしていたハズの『学び』が、何時の間にか誰よりも強くなって自分がスポットライトを浴びたいと言う名誉欲に変わっていった。
相手を見下し、己が一番強いのだと疑わない様になった。祖父はそれに気付き、弟にポケモンを与えるべきなのか迷っていたわ」
憂いに満ちた表情のまま、紅茶を一口飲みカップを置いた後リーフを見つめるナナミ。
切れ長の目は美しかったが、瞳を哀しみが覆っている様にも感じられる。
「祖父は貴方が旅に出ようと決意した事を知り、同じタイミングでポケモンを渡せば更生する可能性があると思った。
昨日私に全て話してくれたわ。貴方の存在が弟の心を変えてくれるんじゃないかって。
虫の良い話だと言う事は解り切っている。貴方にそれを託す事が御門違いなのだと言う事も」
そう言った後、ナナミは机に両手をついた状態で頭を下げ、リーフはその状況に戸惑った。
「ナ、ナナミさん?」
「貴方にそれを頼む事が、重荷となり迷惑をかけてしまう事も重々承知しているわ。
それでも敢えて言わせて頂戴。弟を、正しい方向に導いてあげて」
グリーンがポケモントレーナーとなって増長し、破滅してしまうかもしれないと言う思いをナナミはずっと持っていた。
だが旅に出て各地を巡るグリーンを諌める事が出来るのはナナミでは無い。
グリーンと共に旅をし、一緒に成長していくであろうリーフだけが、彼の心を変えられるかもしれないと思っていたのだ。
「……私もずっと、両親の愛情に飢えていました。少し間違えていたら、ナナミさんの弟の様になっていたとしてもおかしくなかった。
そうならなかったのは、私が両親の愛を心の何処かで信じていたからだと思っています。
グリーンもきっと、信じたいと言う気持ちがあるんじゃないでしょうか。でもまだ信じられない。
だから、私がその信じる気持ちを伝える事が出来れば変わるんじゃないでしょうか」
グリーンが傲慢な人間になってしまった本当の理由など、リーフには知る由も無い。
姉を信じていた弟は、何時しか自分だけしか信じられなくなり、自分を高みに置く事を望む様になった。
そうだとしてもそうではなかったとしても、リーフはグリーンの心を救ってあげたいと思っていた。
彼女がそう思ったのは自分が少し前まで、誰かの助けを必要としていたからだろう。
(あのメールが来なければ、私も闇に沈んだままだった。人は誰かによって変わる事が出来る。
ならば、私もほんの少しだけでも努力したい。私以外の誰かの助けになれる様に)
背中を押され果てしなく広がる外の世界に触れたリーフは、旅をする事で自分を変えたいと思える様になった。
ポケモントレーナーとしてはまだ歩き出したばかりだが、自分と誰かの為に強くなりたいと言う思いが芽生え始めていた。
「……有難う、リーフちゃん。本当に申し訳ないけれど、今は貴方だけが頼りなの。
私も貴方を助ける事が出来ればいいんだけど……そうだわ、これを持っていって」
ナナミは椅子から立ち上がると、戸棚の中を探りスプレー型の容器を3個持ってきた。
「いいキズぐすりって言う道具よ。ポケモンが怪我をした時に吹き付ける事で、体力を回復させてあげる事が出来るわ。
これ位しかしてあげられなくて、ごめんなさいね」
「いえ、そんな……有難く使わせて頂きます」
床に置いていたリュックにキズぐすりを入れ、立ち上がるリーフ。既に2つのティーカップの中身は空になっていた。
「ナナミさん、さっきの話……本当に私が助けてあげられるかどうか、自信はありません。
でも最初から諦めたりはしませんよ。出来る限り、努力しますから」
「ええ、貴方の旅が素晴らしいものになる事を祈っているわ。弟にとっても」
リーフはリュックを背負い、博士の家を後にする。ナナミはリーフの姿が見えなくなるまで手を振っていた。
1番道路→トキワシティ
生い茂る草叢と、その草叢を切り取ったかの様に整備された道。
リーフは宙にフワフワ浮いているロトム図鑑と共に、1番道路を進んでいた。
『それにしても、新商品のモニターをしてくれと頼まれてボールを貰ったのはラッキーだったロ。
これでポケモンを捕まえる事が出来るロ!』
リーフは街を出た後1番道路にいたトキワシティのフレンドリィショップ店員から、『ネストボール』と言う特殊なボールを受け取っていた。
「駆け出しのトレーナーならば、このボールのモニターに相応しい!
このネストボールは、捕まえようとするポケモンのレベルが低ければ低い程捕まえ易くなると言う不思議なモンスターボールなんです。
1番道路に出現するポケモンのレベルは総じて低い事が確認されています。このボールが必ずや貴方の冒険を助けてくれる事でしょう」
トキワシティにいる店員に結果を報告する事を約束し、ネストボールを手に入れたリーフ。
彼女は周囲に人がいない静寂の道から脇道にそれ、草叢に入ってポケモンを捕まえようとしていた。
『ポケモンを捕獲する時のバトルでは、ポケモンを出来るだけ弱らせてからモンスターボールを投げると良いロ。
ちなみに状態異常にすると捕獲の確率が上がるのでオススメロ』
「状態異常?」
『色々あるけど、現時点での説明は省くロ。実際に状態異常になる技を受けてから教えた方が解り易いロ。
おっと、ポケモンが出てきたロ!』
草叢から1匹のポケモンが顔を出し、こちらの様子を伺っている。
リーフはモンスターボールを地面に投げ、ヒトカゲを出現させた。
『マスター、早速僕の出番ですか?張り切っちゃいますよ!』
戦える事が嬉しいとばかりに尻尾の火を左右に揺らすヒトカゲ。
『今ヒトカゲと対峙しているポケモンをスキャンして、情報を確認したロ。
どうやらこの野生のポケモンは『オニスズメ』と言う名前みたいロね。
タイプはノーマル・ひこう。ひこうタイプは後々役に立つと思うロ!』
リーフはロトム図鑑に表示されたヒトカゲとオニスズメのHPゲージを見ながら、ヒトカゲに指示を出す。
「ポケモンを捕まえる絶好のチャンス。逃したくないわね……ヒトカゲ、ひっかくで相手のHPを削って!」
『了解です!』
オニスズメに対して近付くと、爪で身体を引っ掻きダメージを与えるヒトカゲ。
その一撃でオニスズメのHPが半分以上減った事が解った。
『うーん、もう一度攻撃すると間違いなくオニスズメは倒れてしまうロ。
これだけのダメージを与えられるのはオニスズメのレベルが2だから。
つまり、レベルが低いポケモンを捕まえる事が出来るネストボールがピッタリロ!』
鳴き声を発してヒトカゲの攻撃を下げてくるオニスズメ。
リーフは一度きりのチャンスを活かしたいと願いつつネストボールを投げる。
オニスズメの身体に当たったネストボールはオニスズメを吸い込み、ユラユラと揺れた。
『カチッと言う音と同時にボタンが青色に光れば、捕獲成功ロ。
失敗するとそのボールは使用不可能になってしまうから、緊張する瞬間ロ……』
リーフも固唾を呑んでボールの結末を見守る。
ユラユラ揺れていたボールはやがて動かなくなり、ボールの中央にあるボタンが青く光った。
『やったぁ!仲間が増えましたね、マスター』
「ちょっとドキドキしたけれど、捕まえる事が出来て良かったわ。
有難うヒトカゲ。オニスズメを捕まえる事が出来たのは貴方のおかげよ」
『コレでマスターが所持しているポケモンが2匹になったロ。
最初のジムリーダーが出してくるポケモンは3匹。少なくともあと1匹は欲しい所ロ』
ヒトカゲをボールの中に戻し、オニスズメが入っているネストボールを拾い上げたリーフは、ボールに軽く頬擦りをした。
「貴方の事、大事にするからね」
『大事と言えば、ポケモンのパーティに関してはタイプをバラエティ豊かにするのがオススメロ。
ジムリーダーは1つのタイプに誇りと拘りを持ってポケモンを出してくるけど、マスターの選択は自由。
なるべく多くのタイプでポケモンを揃えると戦いが楽になると思うロ!』
「解ったわ。選択の幅が広がるのは、悪い事じゃ無いものね」
2個のボールをしまい込むと、リーフは草叢を出て道に出ようとする。
だがポケモンを捕獲出来たと言う安堵感から、彼女は彼女に近付いてくる黒い影が視界に入っていなかった。
「あッぶな!」
リーフの姿を捉えた自転車が慌ててブレーキを強く握ったものの、バランスを崩して転倒。
リーフと正面衝突すると言う事態は避ける事が出来たものの、自転車に乗っていた少女は怪我をしてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
血相を変え、慌てて怪我をした少女に駆け寄るリーフ。
彼女は膝に擦り傷を負ったらしく、怪我した箇所に自分で絆創膏を貼ろうとしていた。
「たたた……アンタ、余所見してたらアカンで!危なくアンタが怪我してたかもしれへんやんか。
ウチがちょっと怪我する分にはええけど……ん?アンタ、ポケモントレーナーやな」
心配そうに少女を見つめるロトム図鑑に気付いたのか、少女はリーフの顔を見ながらそう言った。
「はい、と言ってもまだトレーナーになったばかりですけど」
「へえ、駆け出しかいな。実はウチもこっちに引っ越してきてからトレーナーになったばかりなんや。
こんな所から始まる縁があってもええやろ。どや?ウチと一緒に旅をするっちゅうのは」
屈託の無い笑顔を浮かべてそう言う少女は、リーフから見ても悪そうな人間には見えない。
リーフも彼女を傷付けてしまったと言う負い目があった為、それを承諾する。
「私で良ければ」
「良かったー!実はウチも1人で旅をするのが心細かったんよ。
お父んもお母んも『1人で旅をすれば精神鍛錬になる』とか言うとったけど、寂しいだけやて。
2人で旅をすれば互いの身に何かあっても助け合えるわ。せや、アンタの名前は?」
「リーフです」
ピンク色の髪をした少女は、リーフの肩を借りながらゆっくりと立ち上がり、白い歯を見せて笑った。
「ウチの名前はアカネ。宜しゅうな」
アカネは腰に付いた砂を払うと、自転車を持ちながらリーフと共に歩き出す。
リーフとアカネの『2人旅』が始まろうとしていた。