鈍色の残光
プロローグ 私の世界
「ミュウツー、忘れないで。生きているって、とっても素敵な事なんだから」

 彼にとってかけがえの無い大切な人が消えていく。崩れて、形を失っていく。

「嫌だ!ずっと僕の側にいて、色々な事を教えてよ!ねぇアイ、消えないで!!」

「……何時かきっと、また会いましょう。約束よ」

 アイが入っていたタンクを満たしている培養液が泡立ち、オレンジ色の液体だけが残された。

「アイ、どうして……」

 自身が入っているタンクの内側を叩き、涙を流すミュウツー。

「私は決して諦めないぞ。アイの完全なクローンを完成させるまで諦めるものか。
 まずは、先程消えてしまったアイツーのデータをホログラム装置にコピーしなければ……」

 長い顎鬚を持つ灰色の髪の老人がアイのタンクに触れ、悔しそうな顔をする。

「……違う。もう1回アイを作ったとしても、それは僕の側にいてくれたアイじゃない。
 これ以上アイを不幸にする事は僕が許さないぞ……!!」

 培養液が揺れ、周囲のものや壁がグラグラと揺れ始める。タンクにヒビが入った。

「いかん、ミュウツーの脳波が不安定になっている!麻酔薬を投与して眠らせるんだ。早く!」

 怒りに震えていたミュウツーの視界が涙と共にぼやけ、霞んでいく。彼は意識を失った。

「ミュウツー、お前はロケット団の野望を成就させる為に作られた道具に過ぎん。
 ポケモンよりも知能が高くさらに狡猾で残忍なのが人間だ。人間こそが世界の支配者なのだ」

 成長し、完全体となったミュウツーは特殊な鎧を装着された事でサカキの命令に逆らう事が出来なくなってしまった。

『人間が……この世で最も優れた生命体だとでも言うのか!?』

「ポケモンには優れた力があるが、それを制御し自由に操る事が出来るのは人間だけだ。
 人間が今までやってきた事をお前にも行ってもらう。破壊と殺戮。それがロケット団の世界征服に繋がる」

 己の気持ちと関係無く身体が動く事に苛立ちを覚えるミュウツー。
 人間への怒りと憎悪が増幅していく中、サカキはそれを気にする事も無く冷徹に命令を下し続けた。

 全ては、ミュウの眉毛の化石が発見された事から始まった。
 ミュウのDNAのデータは研究者から様々な組織に受け渡され、増えていく。
 その組織の1つが悪名高き『ロケット団』だった。総帥であるサカキはミュウのクローンポケモンを作る事が出来れば世界を征する事が出来ると判断。
 生体工学のスペシャリストであるフジ博士がロケット団に加入した事もあり、大規模な施設を秘密裏に建造した。
 その無人島は『ニューアイランド』と名付けられ、フジ博士はポケモンのクローンを作りながら人間のクローンを作り始める。

 フジ博士にとってミュウのクローンを作る事は重要では無かった。全ては交通事故でこの世を去ってしまった愛娘を復活させる為。
 アイの完璧なクローンを作る為にミュウのDNAが鍵になると考えていたのだ。
 だがミュウツーが完全に覚醒した後研究所を破壊しようとした為フジ博士は死亡。
 アイを蘇らせると言う彼の夢は失敗に終わり、鎧によって自由を奪われたミュウツーだけが残ったのだった。

 
 ロケット団がミュウツーを手に入れてから数年後、カントー地方の南西に位置しているマサラタウン。
 この町で研究を行っているオーキド博士が、その町からさらに南に位置している小さな島の研究所に連絡を入れた。
 リブ島。この物語の始まりとなる場所。この島から彼女の冒険が幕を開ける。

『君の所からもトレーナーを1人、冒険に出発させてほしいんじゃが大丈夫かの?』

「有力候補が1人いますけど、重い腰を上げてくれるかどうか……何とか説得してみます」

『頼むぞ。既にこのプロジェクトは各地で進行しておる。全ては何百匹もいるポケモンのデータを実際に収集してもらう為じゃ。
 各地のリーグを盛り上げる為と言う目的もある。出発出来る様になったらまた連絡をくれ』

 テレビ電話での通話を終えたククイ博士は小さく溜息をつくと、顎に自分の左手を添えながら首を捻った。

「さて、と……どう説得するべきか……」

 長い間、この島はおろか自分の部屋からも殆ど出た事が無い少女に旅をさせるには何と言えばいいのか、彼は悩んでいた。
 幼い頃に彼女の両親が行方不明となり、他に頼る身寄りも無かった為博士が彼女を自分の娘の様に育てた。
 だが研究に没頭する事が多い仕事柄、愛情を与える事が出来ずに今日と言う日を迎えてしまったのだ。
 自分の殻に閉じ篭もる事が多かった彼女は友達と呼べる者もおらず、孤立していた。

「リーフ、入ってもいいかな?」

 彼女の部屋のドアを軽く叩き、わざと咳をした後彼はそう言い、耳をそばだてる。

「大丈夫よ」

 透き通ってはいるが抑揚の少ない、何処か人間らしさが感じられない声。
 ククイ博士は扉を開け、ベッドの上に座って本を読んでいる少女の近くに歩み寄った。

 その部屋は白い壁に囲まれ、床には埃1つ落ちていない。
 近代的なプラスチック製の勉強机の上にはパソコンが置かれ、壁には薄型テレビが取り付けられている。
 薄桃色のシーツが敷かれているシングルベッド。枕の横にはポケモンのぬいぐるみが置かれていた。

 だがこの部屋で最も目を引くのは大量の本が綺麗に並べられている巨大な本棚だ。
 その種類も自然科学・児童文学・百科事典・ポケモンの生態図鑑等多岐に渡る。
 彼女と接する時間がどうしても取れないククイ博士が購入して彼女にプレゼントしたもので、彼女にとって世界の中心はこの自室だった。

「読書は楽しいかい?」

「ええ、とっても。この間シキミさんが執筆した『夜の古城』を読んだんだけど、素晴らしかったわ。
 ダークファンタジーと恋愛の融合。人間と非人間の許されぬ恋。それでも互いに愛を貫く2人がひたすら一途なの。
 博士も機会があったら読んでみて……そういう時間があれば、だけど」

 少しだけ棘のある言葉だった。リーフにもククイ博士が優秀な科学者である事は解っている。
 それでも自分と会話する時間すら少ない現状に彼女は不満を抱いていた。

「君は今年で11歳になる。この世界の通過儀礼として、地方を巡る旅に出てほしい。
 ポケモン図鑑を埋めて見聞を広める為、そしてポケモンリーグに挑みポケモンとの絆を深める為だ。
 多くの人との出会い、そしてバトルが君の人生を大きく変える事になるだろう」

 何とかオーキド博士が提唱するプロジェクトに参加してもらいたい。祈る様な気持ちでククイ博士はリーフに首を縦に振ってもらう事を願う。
 だが、リーフはその願いを拒絶した。

「島の外どころか、この部屋の外に出るのだって好きじゃないのに……
 私はこの部屋で本を読んでいるのが好きなのよ。それ以外の事なんて全く望んでないわ」

 ククイ博士に背を向け、リーフは読んでいる本のページをめくる。

「それに、本が人を裏切ったり、相手を軽んじたりする事なんて無いでしょう?
 私はもう傷付きたくないの。放っておいて頂戴」

 リーフは人と付き合う事に恐れを抱いていた。彼女が置かれている境遇がその恐れを生んでいたのだ。

 彼女の両親は彼女が幼い頃に突如行方不明となり、まだ言葉も満足に話せないリーフはククイ博士の研究所に引き取られた。
 今でもリーフは両親が自分を猫の様に捨てたのだと思っている。
 そして博士も彼女の望むものを出来る限り与えようと努力したが、愛情だけは満足に与える事が出来なかったのだ。

 リーフは人を信頼して、その結果傷付く事を極端に嫌う性格になった。
 部屋の外に出て島にあるトレーナーズスクールに通ってはいたが友達を作ろうともしていない。
 自分の世界を構築し、その中にいる事で心の安定を得ようとしていた。孤独こそが彼女の友だったのだ。

「外に出ていく事は、傷付く事と同義なんかじゃない。新しい出会いが友情を育む事だってある。
 僕は君に対して本当に必要なものを与える事が出来なかった。そしてそれは、これからも大きく変わる事は無いだろう。
 だからこそ、僕以外の誰かから、外の世界を見る事で色々なものを得てほしいんだ。
 厄介払いしようとしている様に感じられるかもしれないが、そういう風には思わないでほしい。
 躓いた時は何時でも戻ってきたって良いんだ。世界を見ないと言う事は、非常に勿体無い事なんだよ」

 ククイ博士は必死に『世界を見る事』の素晴らしさをリーフに伝えようとしたが、その言葉が彼女の心に届く事は無かった。

「私には本がある。この落ち着ける空間がある。外の情報なんて、最悪パソコンがあれば事足りるじゃない。
 ココにいたいの。博士が私に何かをさせたいのは解るけれど、それには応えられないわ」

 彼女は心の傷を多く抱えていた。孤独であったし、『お前の両親は育児放棄を行った愚か者だ』と言う嫌な噂も流れていた。
 自分が必要とされていない存在の様に感じられ、周囲の視線を浴びる事が苦痛だったのだ。

「……解った。君がそこまで言うのならば、無理強いする事は出来ない。
 オーキド博士には明日、君の選択を伝える事になっている。もしそれまでに気持ちが変わる様な事があれば、僕に声をかけてくれ」

 己の説得で彼女が心変わりする事は無い。そう判断したククイ博士は敢えて彼女から離れる事で奇跡に賭ける事にした。
 彼自身は彼女が旅に出る事を望んでいる。見聞を広め様々な人と触れ合う事が彼女の幸せに繋がると信じていたのだ。

 彼女の自室は薄い水色の光に包まれ、昼も夜も同じ明るさを常に与えている。
 1人で無心になって本を読み続けている時、彼女は至上の喜びを感じていた。

 (何かに夢中になっている時だけ、嫌な事を忘れられる。辛い過去も、誰からも必要とされていない様に思える今も……
 ポケモントレーナーになって冒険するだなんて、私には無理よ。そういうのは選ばれた人がやるべき事)

 リーフは机の上に飾られている写真立てに目を移した。セキエイリーグ優勝を果たした少年がとびきりの笑顔を見せている。

「レッドさん……」

 オーキド博士が記念に撮影し、焼き増ししたものをククイ博士が手に入れ彼女に渡したものだ。
 彼女とほぼ同い年の頃にリーグ優勝を果たし、その後カントー・ジョウトの2大リーグ制覇と言う前人未到の偉業を達成した男。
 今はもう少年から青年へと成長し、何処かで戦い続けているのだろう。

「私なんかが挑んだ所で……」

 リーフはレッドを純粋に尊敬しており、憧れていた。誰からも必要とされ、常にスポットライトを浴びる存在。
 愛され続ける男。愛情に飢えていた彼女にとって、あまりにも眩し過ぎる人物だった。
 
 (何を夢見ているの?外に出る事も恐れている私が、レッドさんの様に愛されるワケが無い。
 さっさと寝て、全てをやり過ごしましょう。そうすれば、また変わらない日常に戻れる)

 リーフはそう思い、ベッドに横になると静かに目を瞑った。その時……

 (メール?)

 パソコンからメールが受信された事を示すアラームが鳴った。
 メールを登録してはいたものの、誰かからメールが届いた事など殆ど無い。

「確かに私宛だわ。差出人は書いてない……」

 リーフは該当箇所をクリックしてそのメールを読んだ。

『リーフちゃん、貴方の御両親の事で話があるの。真実を知りたいのなら、トキワシティに来て頂戴。
 どうしても貴方に渡したいものがある。貴方がトレーナーになっていてくれたらもっと嬉しいわ。
 戦う事でしか、貴方の御両親の無念を晴らす事は出来ないのだから……

 追伸 私は毎週日曜日の午前10時、トキワシティのポケモンセンターで貴方を待つ事にします。
 貴方が私の事を知らなくても、私の方から近付いていくわ。貴方の顔は知っているから』

 リーフは、食い入る様にメールの文章を見つめ続けていた。

「……真実……私の両親の事で……戦う事でしか……」

 彼女は両親が行方不明になった本当の理由を知らなかった。周囲の人間に『捨てられた』と言われそうだと思って生きてきたのだ。
 だがそれは逃げでは無かったか。自分は本当に両親に捨てられたのだろうか?次々と彼女の頭に疑問が沸いてきた。

 (私の父さんと母さんの無念を晴らす……何があったと言うの?もし父さんと母さんが私と離れなければならない特別な理由があったとしたら……
 両親は私に愛情を持っていた事になる。そう、そもそも私の事を2人は愛していたのか。その答えが知りたい)

 外へ出る事への恐れは確かにあった。
 だがリーフは『自分の存在意義』を確かめる為にその人物と会う事を決意したのだ。

「父さんと母さんが私を愛してくれていたのなら……その愛に対して報いたい」

 不安と僅かな期待、彼女が捉えた一筋の希望。真実を追い求める為の旅。
 名前も知らぬ謎の人物に背中を押される様な形で、リーフはカントーを巡る冒険の旅に出る事になった。

 翌朝、ククイ博士の研究室にリーフが姿を現したので、博士は驚き椅子から身を乗り出した。

「どうしたんだいリーフ。君がこのラボスペースに足を運ぶ事なんて今まで一度も無かったのに」

「……私、決めたわ。カントーに行く。何をすればいいのか今は解らないけれど、一歩足を踏み出す勇気が出たから」

 パジャマ姿ではあったが、真剣な表情でハッキリと『旅に出る』決断をしたリーフ。
 ククイ博士は目にうっすらと涙を浮かべながら、彼女の前に歩み出ると愛おしそうに頭を撫でる。

「そうか。心変わりしてくれて嬉しいよ。世界は広い。
 最初はカントー地方に行ってもらうけれど、ポケモンがいれば何処にでも行ける。
 不可能な事なんて何も無い。オーキド博士に連絡を入れておくから、今日中にマサラタウンに向かってくれ。
 博士が君に旅のパートナーとなるポケモンを渡してくれるハズだ」

 リーフが部屋に戻り着替えを済ませ戻ってくると、既にリュックやポーチが用意されていた。

「この日の為に準備していたんだよ。着替えと食料、生活に必要なものを色々入れている。
 お金も財布に1万円を入れておくからモンスターボールを購入する費用にあてると良い。
 そして……コレは僕からのプレゼントだ」

 ククイ博士は机の上に置かれていたプラスチック製の箱を開け、中から特徴的な形をした機械を取り出した。

「今の所、世界に1つしか無いであろう特別なポケモン図鑑。僕が開発した新しい図鑑だよ。
 名付けて、『ロトム図鑑』!ゴーストポケモンの『ロトム』を憑依させる事によって『生きている図鑑』を作ったんだ」

 ククイ博士はロトム図鑑をリーフに渡すと、機械の背面を指差す。

「後ろにあるボタンが電源ボタン。まずはボタンを長押ししてユーザー登録を行おう」

 指先に僅かな電流が流れた様に感じ、ボタンを押しながらリーフは怪訝な顔をした。

「生体認証の登録を行っているんだよ。登録が完了すると、君しか電源を入れる事が出来なくなる。
 他人に悪用されない様にする為の措置って所かな。後はいくつかの質問に答えれば図鑑は完全に君の所有物だ」

『登録に関する質問を始めるロ!まずは御主人様の御名前を教えて欲しいロ!』

 ロトム図鑑が急に動き出し、リーフの手を離れ宙に浮いたので彼女は思わずククイ博士の方を見た。

「言っただろ?『生きている図鑑』だって。図鑑もまた、君の旅をサポートするパートナーなんだよ」

「そういう事なのね……私の名前はリーフ」

『リーフ様、ユーザー名の登録完了ロ!現在リーフ様がいる場所、リブ島を本籍地として登録するロ。
 ボクは近くにいるポケモンを調べたり、地図を見る事も出来たりするから活用して欲しいロ!』

 出会えた事が嬉しいと言わんばかりに浮きながら左右に動くロトム図鑑。

「ロトム図鑑には最新機能を数多く入れている。
 ポケモンの鳴き声を人間の言葉に翻訳してもらう事も出来るし、近くにトレーナーがいるとそれを知らせてくれたりするんだ。
 物知りでもあるから、何か解らない事があれば気軽に質問すると良い」

 リーフはククイ博士の言葉に対して頷くと、ロトム図鑑の電源を落とし図鑑をリュックの中に入れた。

「30分後にリブ島の港からマサラタウン行きのフェリーが出る事になっている。
 フェリーのチケットは事前に購入しておいた。さぁ、行っておいで。君の冒険が幕を開けるんだ」

 重いリュックを何とか背負い、ポーチにチケットを入れたリーフは研究所を出るとフェリー乗り場へ向かった。

 ククイ博士に別れを告げ、船着場からフェリーに乗船したリーフ。

『マサラタウンに向かって出発進行ロ!』

 荷物を一旦床に置き、デッキから海を眺める。彼女にとって島の外はまさに『未知の世界』だった。

 (怖い気持ちが無いとは言えない。不安だらけなのは自分でもよく解ってる。
 でも、本当の事を知る為に必要な試練だと言うのなら私はそれを受け入れるわ)

 ポケモンと共に歩む道がどの様なものになるのかも解らない、暗闇の中を探る様に歩くかの様な感覚。
 それでも彼女は確かな一歩を踏み出した。それは彼女にとって、自分のルーツを探る旅だったのかもしれない。

 1人の少女が大きな成長を遂げる為に。彼女の冒険が今、始まる。

■筆者メッセージ
この小説を書くにあたり、初めての試みがあります。
今までの小説は全て自分1人がストーリーやバトル描写等を考え
書いていましたが、ストーリー展開やバトル等を含め今回は
別の方にも協力してもらう形で進めていく事になりました。
更新頻度は亀より遅いかもしれませんが、気長に待っていてくだされば
幸いです。
夜月光介 ( 2018/04/08(日) 22:20 )