バベルの島
日曜日 ポケモン料理のフルコース 後編
 何種類もの味を堪能する事が出来るケンタロスのステーキは、フルコースの『顔』としての役割を充分果たしていた。
 そして、この肉料理の次に出される『生野菜』は箸休めの意味がある。
 立て続けに肉料理が出されると味の濃さやくどさ、脂が目立ってしまう為、一呼吸置く必要があるのだ。
「失礼致します」
 私達がステーキを食べ終わったのを見計らったかの様にピアリーがシェフを連れて現れた。
 配膳車の台部分には皿が置かれ、その上には緑色の葉の様なものが並べられている。
「当店自慢のサラダ、マラカッチのサボテンサラダでございます。
 マラカッチの身体を薄切りにし、じっくり茹でる事で苦みを落とした独特の風味を堪能してくださいませ」
 薄切りにされたマラカッチと共に皿の上で存在を主張しているのは細切りの赤ピーマン、黄色のピーマン。
 ボイルされた小さな海老が数匹飾り付けられており、黄緑色のソースがかけられていた。
「このソースは何?」
 妻の質問に対して、ピアリーが丁寧に答える。
「ヴィネグレットソースでございます。
 酢とサラダ油、塩胡椒と言うシンプルな内容なので、葉物野菜との相性は抜群です。
 シンプルであるが故に誤魔化しが許されないので、配合には細心の注意を払っております」
 私はフランス発祥とされるこのソースの存在を本で読んで知っていた。
 他の食材、例えばトマトや生姜を混ぜて料理にかける事もあると言う。
 野菜には強い味は無い為、ドレッシングが生野菜料理の味を決定すると言っても過言では無かった。
 ステーキの鉄板を手早く片付け、生野菜の皿を2つテーブルに置くとピアリーは部屋から退室する。
 部屋に残された私達は、フォークを使ってサボテンサラダを食べてみる事にした。

 サボテンには棘と、不快感すら催す強い粘り気がある。
 サラダにして食べる場合はまず棘を取り除いた後、20分間以上じっくり茹でなければならない。
 茹で時間が短いとどろっとした食感のサボテンになってしまう為、調理には一定の技量が必要だった。
「マラカッチには外側にしか棘が無いから、恐らく身体の内部をスライスしたものを使っているんだろう。
 粘り気は当然しっかり茹でる事によって消しているんだろうが……問題はドレッシングの質だな」
 単純であるが故に中途半端な仕事は出来ない。客に『美味い』と言わせる為には手間と工夫が求められる。
 私はフォークに刺したマラカッチの切り身をソースに付け、口の中へと運んだ。
「ああ、合うねこれは。淡泊な味のマラカッチに、酸味と塩が素直に効いている」
 陳腐な言い方をすれば『上品で繊細な味わい』と言う事になるのだろうが、まさにそんな味だった。
 先程のステーキの様なパンチの強さは無い。だが咀嚼している内に感じるある種の爽やかさが私を心から満足させてくれる。
 口内を一旦リセットすると言う目的においては、最高の方法でその目的を達成していると言う感覚だった。
「ピーマンや海老とも合うのね。野菜なのに歯応えがあって、とても美味しいわ」
 よく野菜、特に新鮮な生野菜を食べる時の例えとして『シャキシャキしている』と言うものがあるが、このマラカッチはそれをしっかり体現している。
 茹でた野菜であるにも関わらず瑞々しさがあり、顎に少しだけ力を入れた時に丁度良く食い千切れる歯応えも素晴らしかった。
「うむ。サラダでありながら海産物、茹でた海老があって、違和感無く食べられるのは有難いな」
 別種のものが皿の上にあるとものによってはミスマッチになってしまう事があるが、このサラダはどの食材も己を主張しながら他の具材と握手していた。
 我が強いのだが協調性がある。そしてそんな食材達がドレッシングによって綺麗にまとまっている。
 塩胡椒が使われているのに過度にしょっぱくは無い。口直し、箸休めと言う役割をこのサラダは最高の形で果たしていた。

 フルコースは、そういった役割分担があるからこそ数種類の料理が1つにまとまっている。
 いわば、1つの巨大な料理、川が集合して海に注ぐ様に料理全てが同じ方向を向いていなければならない。
 ポケモンと言う1つのカテゴリーでまとまっていると言う点では有利なのかもしれないが、それぞれのポケモンに強い癖がある。
 その癖をどう克服するかと言うのが料理人の腕の見せ所だった。
「お待たせ致しました。こちらは2品目のヴィアンド、ピジョットのローストチキンでございます。
 ケンタロスのステーキとは異なる、口の中で溶ける様な味わいを堪能してくださいませ」
 フルコースのルール。2品目は必ず肉の種類を変える事。一般的に言えば牛肉の次に鶏肉が出てきた様なものだ。
 上質な餌でのんびりと育った暴れ牛と、常に獲物を探して空を飛び回っている怪鳥。
 育て方が異なれば、肉質も異なってくる。ピジョットの味がどんな味に仕上がっているのか私は興味津々だった。
「それにしても……一部分の様に見えるのに大きいわね。鶏のローストの身体全部位の大きさがあるわ」
 ピジョットの体長は1.5メートル。皿の上に載っているのは『ウイング』と呼ばれている部位だった。
 つまりは羽根周りの肉。羽ばたく部分の為使用頻度が高く一番味わい深い部分だと言われている。
「ウイングは本来ならかなり小さい部位なんだが、ピジョットともなるとこの部位だけで充分なんだな」
 ピアリーとシェフが退室した後、私は皿の上のピジョットをじっくりと見つめた。
 この色と見た目からして、恐らく味付けは塩とハーブと言うシンプルなものだろう。
 薄い橙色をした肉は、表面がてかてかと照っており、一際美味しそうに見える。
「さて……手掴みと言うワケにはいかない。ナイフとフォークでゆっくりと味わおう」
 私の分の皿の隣、妻の分の皿の隣に水の入った器が置かれている。
 贅を尽くした料理の隣に置かれる事が多い『フィンガーボウル』と呼ばれるものだ。
 手掴みで食べたりした場合、当然指が油で汚れる。指を水の中に入れて汚れを落とす為にこの容器が置かれているのだ。
 間違ってもこの水を飲んではならない。田舎から都会に出てきた者がよく行ってしまう最低最悪のミスである。
 私と妻はフィンガーボウルの使い方をよく心得ていた為、絶対に飲むまいと思っていた。
「やはり、手を使って食べたくなる客もいるんだろうな」
「それはそうでしょう。男の人の場合は特にその傾向が強いんじゃないかしら」
 荒々しく掴んで貪る。太古の昔に人類が行っていた行為が、強い憧れとなって人の記憶に残っているのだろうか。
 だが掴んで食べようが上品に食べようが味は同じだ。高級レストランの客として粗相の無い振る舞いをしなければならない。
 私はナイフとフォークを用いてローストチキンの一部分を取ると、口の中に運んだ。

 ケンタロスのステーキの時は、溢れ出す肉汁が口からこぼれない様に注意する必要があった。
 ピジョットの場合は最早口の中で弾ける肉汁の洪水である。私は少しだけ噛んだ瞬間にそれを悟った。
 妻も同じ状態に陥ったらしく、肉汁を喉の奥に入れながら少しずつ熱々のロースト肉を味わう。
「いや、凄いな。ジューシーな肉と言う言葉があるが、これはその表現を超越した何かだ」
「美味しいわね。この美味しさを言葉で表現する事なんか出来ないわ」
 ハーブの爽やかさ、絶妙な塩加減、そして濃厚な肉の旨味。
 だが、そんな言葉を使っても無意味に思えてしまう程の美味さが私を新しい世界に誘っていた。
 噛めば噛む程溢れ出す肉汁は滝の如し。そして本当に柔らかい。
 小さく切って口の中に入れれば詰まる事無く飲めてしまうのではないかと思う程の肉質だった。
 ケンタロスのステーキも勿論美味しかった。だがステーキソースで味を変えて食べる等の『オプション』があった事は否めない。
 ピジョットのローストチキンはこの素材のみで勝負して、圧勝しているのだ。
 あの上質なステーキと殴り合って勝つ事が出来るローストチキンがあるとは私も想像すらしていなかった。
「ああ、駄目だ。こんな美味しいローストチキンを食べてしまったら、もうこの味が忘れられなくなってしまう」
「またお金を貯めて足を運べば良いじゃない。私もまた食べたいわ」
 夢の様な時間は瞬く間に終わってしまう。美味いと言う言葉を連発しながら食べていたら、何時の間にか皿の上が空になってしまっていた。

 骨だけになったローストチキンを見ながら満腹感と幸福感に浸っていると、ピアリーとシェフが最後の料理を運んできた。
「当店が誇るフルコースの最後の一品、デセールの『モーモーミルクのバニラアイスとトロピウスの実のパフェ』でございます。
 フルコースの締めに相応しい究極の甘味。糖度30を誇るトロピウスの実をまるまる1本贅沢に使ったパフェを堪能してくださいませ」
 細長いガラス製の容器の上ではトロピウスの実やバニラアイスが存在を主張し、容器の中にはホイップクリームやチョコレートが入っている。
 そこまで腹にたまらないポケモン料理とは言え、魚料理や肉料理を平らげたのだから相当苦しくなってきてはいるのだ。
 だがデザートと言うものは『別腹』である。これにはしっかりした根拠があった。
 ピアリー達が骨だけが乗っているローストチキンの皿とフィンガーボウルを片付け退室した後、私は妻に別腹のメカニズムを説明する。
「別腹と言うのがあるだろう。あれは本当にデザート用の腹があると言うワケでは無い。
 だが、甘いものを見ると人は満腹でも食べたくなってしまう。ポイントは胃の構造と脳の命令だ。
 満腹感を感じる程食べている時、人の胃は食べ物でいっぱいになっている。
 ところが甘いものを見て食べたいと思った瞬間、その人間の脳は『胃にスペースを作れ』と言う命令を出すんだ」
「それで、胃が無理やりにスペースを作って食べられる状態を作るの?人の身体って本当に不思議ねぇ」
 事実、甘くていかにも美味しそうなパフェを見た瞬間から、『食べれそうだ』と言う状態に変化していた。
「ちなみに、甘いもの=別腹では無いんだ。とっても美味しそうなものが人の目の前に現れれば、胃がスペースを作ってくれる。
 鍋料理で満腹になっても、最後のうどんは食べる事が出来たりするだろう。あれも同じ別腹なんだよ」
 別腹に関しての蘊蓄を一通り語った後、私は本題に移る事にした。このパフェを食べると言う最後の仕事だ。
「糖度30と言うのは、どれだけ甘いのか想像がつかないな……」
 糖度は『糖度計』と言う装置で計測され、甘さの基準の1つとなっている。
 例として、新鮮で甘味がたっぷりのスイカの場合糖度は14か15位。トロピウスの実はその倍の糖度を持っていると言うのだ。
「見た目はツルツルのバナナだな……味や食感は違うのか?」
 疑問が次から次へと出てくるが、食べてみれば全て解決するハズだ。
 そう思いながら、一緒にテーブルの上に置かれたデザート用のスプーンを手に取り、トロピウスの実に近付ける。
 バナナの場合はスプーンでも切る必要があるが、柔らかいのか簡単に掬う事が出来た。まるでプリンの様だ。
「それでは食べるとしよう」
 真っ黄色に輝いているトロピウスの実を音を立てない様に食べた瞬間、衝撃的な甘さが口の中を支配した。
「これは凄いな」
 甘い。本当に凄まじく甘い。イッシュ地方の御菓子に『ヌガー』と呼ばれる甘ったるいものがあるが、その甘さを遥かに上回っている。
 だが気持ち悪い甘さでは無い。バナナに似たフルーティな甘味が爽やかに喉の奥へと流れていった。
「いやぁ、こんなものを毎日食べていたら虫歯になってしまうだろうな」
 ほっぺたが落ちると言う表現があるが、まさにその様な感覚に陥り、自然と笑みがこぼれる。
 本当に美味しいものを食べた時に人は自然と笑顔になるが、このパフェは人を必ず笑顔にさせる魔力を持っていた。
「うがい、歯磨き、運動が必要ね。でもこんな美味しいデザートなら、苦にならないわ」
 ホイップクリームや溶けたチョコレートとの相性も申し分無い。味が混ざる事でさらなる美味しさを作り出していく。
 バニラアイスも牛乳の甘味を凝縮した様な濃厚な甘味が絶妙だった。
「牛乳本来の甘味を濃縮して、丸い形に固めたと言う表現がピッタリかもしれん」
「容器の下の方にあるスポンジもほんのり甘くて美味しいわ。トロピウスの実と一緒に食べると甘さが丁度良くなるみたい」
 トロピウスの実、バニラアイス、スポンジケーキとチョコレート、再度トロピウスの実。
 こういったデザートは普通甘味一辺倒なので食べている間に飽きてしまうものだが、このパフェは食べる度に驚きと感動を提供してくれる。
 夢中になって食べている内に、何時の間にかパフェが入っていた容器は空っぽになってしまっていた。

 満足度をパーセンテージで表すとするならば、100%などと言うありふれた表現では足りない。
 MAXを飛び抜けて120%、150%、いや200%に達する程のクオリティだったと断言しても過言では無いだろう。
 極上の食前酒に始まり、数々の驚きと幸福感、様々なサプライズを我々に提供してくれた。
 そして圧巻だったステーキとローストチキン、最後を締めくくるに相応しい破壊力を備えたミラクルパフェ。
 感無量だった。1人前5万円は確かに高くて庶民にはとても手が届かないかもしれないが、食べてみればその値段以上の価値がある事を理解してくれると私は感じた。
「口直しの水をお持ち致しました」
 ピアリーがシェフと共に部屋の中へと入ってきた。シェフは容器を全て片付け私達の邪魔をしない様手早くテーブルの上を清掃し風の様に去っていく。
 窓の外の景色、痒い所にも手が届く完璧なサービス。そして究極のフルコース。
 まるで全てが夢だったのではないかと思わせる程の一時だった。だが私と妻が感じている満腹感と充足感はそれが現実である事を告げていた。
「アローラ地方、アーカラ島のせせらぎの丘で採取した水を濾過したものです。
 特殊な方法により微細な不純物も全て排除しております。単純でありながら奥深い水の味をお楽しみくださいませ」
 コップの中に注ぎ込む為の水差しは何と氷で作られており、水は氷が入った水の様に冷え切っている。
 一口飲んだ瞬間、雑味の無い水本来の旨味が感じられ、思わず溜息が漏れた。あれ程甘いデザートを食べた後では尚更だ。
「本当に美味しいわ。高級レストランは水にも努力を惜しまないのね」
「水だからこそ、手間暇を惜しまず最上のものを御客様に提供する必要があるのです。
 逆を言えば、そこで妥協する様な店は絶対に一流を名乗ってはいけません。我々は一流である事に誇りとプライドを持っております」
 ピアリーは胸を張ってそう宣言する。その顔には努力を積み重ねてきた男が見せる力強さが垣間見えた。
「私も解りますよ。どんな仕事であれ、やりきる事が一番大事だ。プロフェッショナルと言うのは、怠惰が一番嫌いですからね」
 私の言葉に対して、ピアリーは無言で頷いた。私も技術者、経営責任者として数々の危機に直面してきた。
 そして危機を乗り越える事が出来た原動力こそ努力であり、その積み重ねが富豪となった今に繋がっている。
 職種は違えど、細かな作業が大きな成果を生む事に違いは無かった。
「御客様、フルコースの味は如何だったでしょうか?」
「文句は何1つとしてありません。最高の食事を楽しませてもらいました。この思い出は一生の宝物です」
「私も、夫と同じ気持ちです。素敵な料理を有難う」
 ピアリーは目に涙を滲ませている様に見えたが、冷静さを失っているワケでは無かった。
 軽く咳をした後、胸に手を当てて語り始める。
「我々の目指す所は、このフルコースを『最後の晩餐』にしたいと言ってもらえる程の料理にする事です。
 私自身、このフルコースがその領域に達する事が出来たとは思っていません。まだまだ改善の余地が残っています。
 ポケモンを食料にする様になってまだ何年も経っていない今、料理人達も手探りで取り組んでいると言うのが現状です。
 ですが、我々はいずれ必ずその前人未到の頂に辿り着きたいと考えております」
 途方も無い野心を彼は本心から口にしていた。人生の最後に食べたいと思わせる料理。
 恐らく万人に対して料理を振る舞い、その野望を実現させたいのだろう。
 夢物語だと笑う者がいるかもしれないが、フルコースを堪能した私はそれが決して不可能では無い事を悟っていた。
「貴方達なら、きっとその頂きに到達する事が出来ますよ。成功を心から祈っています」
「有難うございます。引き続き、余韻を存分にお楽しみくださいませ」
 ピアリーが部屋から退出した後、私は窓の外をぼんやりと眺めていた。
「今度来る時は夜に来てみよう。夜景を見ながら食前酒で乾杯する事を考えると、非常に刺激的だ」
「そうね、綺麗な夜景が見れると思うわ」
 ポケモン料理と共に発展していく巨大な街。船の上に作られた巨大都市で人が忙しそうに働いている。
 その人々の努力と苦労を考えながら、ゆったりとした時間を過ごすのも金持ちの特権なのだろう。
 ポケモンは人類のパートナーだ。それに関して異議を唱えるつもりは全く無い。
 だがこれからは別の形からポケモンが人類の助けとなる未来がやってくる様な気がしていた。

■筆者メッセージ
ポケモン料理のフルコースは贅を尽くした美食の極みです。
こうしてこの世界にポケモン料理があまねく広がる……事になりそうですが、
まだ一波乱ありそうですね。こういった小説を書くにあたり、フルコースは
絶対に書くべきだと思っていました。単純な日常の定食から始まり、
歓楽街の居酒屋、縁日の屋台など我々の身近な所にある食事とポケモンの
融合。アプローチの仕方こそ通常と異なりますが、これもまた
『ポケモン小説』なのではないでしょうか。
夜月光介 ( 2017/10/22(日) 23:15 )