木曜日 マンムーの猪鍋とヨワシの竜田揚げ
趣味を仕事にする事が出来る人間は、そう多くはいない。
俺の趣味は鉄道関係で列車を撮るのも乗るのも模型を眺めるのも好きだが、遂にそれを仕事にする事は出来なかった。
高校卒業後、額に汗を流す仕事しか出来ないと思い建設会社に入社。
現在はポケモン達に指示を出す現場監督の役職についている。
同期のサルサワは係長にまで出世したが、自分はまだ班のリーダーを任される程度。
今日もイートアイランドの新しい建物を作る為、自分と多くのポケモンが現場に駆り出されていた。
「カイリキー達はそこの建材を取って向こうに運んでくれ。ハリテヤマ達は地盤を固める為のシコ踏みだ」
基本的に建設現場におけるポケモンの役割は雑務が殆どだ。
極端に難しい仕事は任せられない為、必然的に重い荷物を運んだり、何かを破壊したりと言った作業に従事させる事になる。
俺が所属している『ヒルゼン建設』は情け容赦無くポケモンを奴隷の様に働かせる事で有名だった。
「体調が悪くなったポケモンがいたら俺に報告しろ。ポケモンセンターに送ってすぐに復帰させるんだ」
ポケモンほど、生命力・回復力の強さにおいて優れている生物はいない。
モンスターボールで捕まえてしまえばどんな苦しい労働条件だろうと文句の1つも言わずに働いてくれる。
今や建設業界においてポケモンを使わないなどありえないとされていた。
作業の進捗に関しても人間のみとポケモンがいる場合では天と地程の差がある。
「先輩、コーヒーをどうぞ」
黄色のヘルメットを被り黄緑色の作業服を着た若い女性が作業員に缶コーヒーを配っていた。
俺にもその内の1つを渡してくれる。俺は缶を受け取ると彼女にお礼を言った。
「すまんなナガミヤ。一段落したらポケモンにもポフィンを渡してやってくれ」
「ヒルゼン社長に『情けをかけるな』と怒られませんか?」
心配そうに俺の事を見つめてくる彼女の肩を叩き、俺は乾いた笑いを見せた後溜息をついた。
「いいじゃないかそれ位。一生懸命働いているんだから御褒美があっても罰は当たらないだろう。
それにここの所社長が現場に来る事なんて殆ど無いよ。露見する可能性もほぼ無いだろう」
「解りました。ポフィンは近くに店があるのですぐに買ってきます」
雑務全般を任されているナガミヤはそう言うと小走りで現場から離れていく。
その後ろ姿を見ながら、俺は複雑な心境を心の中で吐露していた。
(ポケモンは単なる奴隷、か……)
ヒルゼン社長の命令に背けば、即刻解雇されても文句は言えない。そういう職場である事は承知している。
だが、あまりにもポケモンに対して愛が無いのではないか。俺は建設途中のビルを見ながらそう思った。
「社長はあと1ヶ月以内にあの『フードタワー』を建設しろと仰っている。
現状のスピードではとても間に合わない。カイリキーの数を倍に増やそう」
「ああ、解った」
夕方、作業が終わった後俺は直属の上司であるサルサワに呼び出されていた。
「それと、イッシュ地方で老朽化したビルの解体を行うらしい。
ついてはイートアイランドで働いているバクオングを数匹向こうに回してくれと言う命令が来た。
代わりにカイリキーを回してもらえばさしたる問題は無いだろう」
書類を眺めながら、真剣な表情を浮かべるサルサワ。
優秀な男だが、最近は作業の遅れから本部に睨まれているらしく、疲れているのが見た目にもすぐに解る。
「大体、モニュメントである『ブラックタワー』や『バトルピラミッド』、『リバティガーデン塔』の模造品を作る様に言ったのは本部じゃないか。
その手間が無ければ工期がこれ程遅れる事は無かったんだ。上は俺達の事なんか何も考えちゃくれない」
工事が深夜帯に行えない事も遅れの原因となっていた。近くに住宅街がある為作業は昼間しか行う事が出来ない。
現場の頑張りを無視し、都合だけを押し付けて来る上層部の傲慢さには怒りさえ覚えるが、逆らう事等出来なかった。
「まったく……とにかく、ポケモンを使って何とか間に合わそう。以上だ」
サルサワは愚痴を吐くだけ吐いた後、眼鏡を外し額に手を当てて辛そうな顔を見せる。
「疲れてるんじゃないのか?休んだ方がいいぞ」
「俺もポケモンだったらな。ものの数分で体力が完全回復するってのに……ところで」
手を振って『大丈夫だ』とアピールした後、サルサワは上司では無く、俺の友としての顔を見せていた。
「クラマエ、今日の夜空いてるか?トキちゃんと一緒に食事でもしようじゃないか。
人生には楽しみが無いとな。仕事ばかりじゃ能率も上がらない。酒を飲みながらパーッと騒ごう」
「良いね。ナガミヤが来るのなら俺も参加させてもらうよ」
「決まりだな。今日の夜7時に『牡丹』で2時間の予約を取ってある。店の前で待ち合わせだ」
サルサワは俺の肩を叩いた後、後ろを向いた状態で手を振りながらその場を去る。
俺は後片付けと着替えを済ませると、『牡丹』のある飲み屋街へと向かった。
「どうですか御客さん!今ウチの店空いてますよ。新鮮な魚介ポケモンを沢山仕入れてますよ!」
「ウチもすぐ入れますよ。今なら何とミックスオレのスペシャルカクテルが1時間500円で飲み放題!今がチャンスです!」
スーツ姿でイートアイランドにある飲み屋街のアーケードをくぐった瞬間、様々な店の呼び込みが俺に声をかけてくる。
ココは仕事帰りのサラリーマンやOLが足繁く通う場所。子供が足を踏み入れる事が無い酒飲みの聖地。
この通りを歩くだけで何故か心が自然とウキウキしてくる。
呼び込みの熱心な勧誘を丁寧に断りながら暫く歩いていると、煌びやかな提灯の明かりが見えてきた。
「おう、クラマエ!こっちこっち!」
店の前ではスーツ姿のサルサワと少々地味な私服を着たナガミヤが立っている。
「すまん、待ったか?」
「いやぁ、そんなに長く待ってたワケじゃ無いさ。そろそろ時間だから中に入ろう」
サルサワは先程の少々疲れた様な姿は幻だったのかと思う程に生き生きとした表情を見せていた。
恐らく、酒が飲める事に至上の喜びを感じているのだろう。そしてそれは、俺も同じだった。
飲み屋街の中で一際綺麗な外観が目立つ『牡丹』だが、メニューの豊富さとその手頃な価格が人気を集めている。
今日も予約客だけで店が埋まっていた。入り口ではカウンターの一席だけでも空かないものかと多くの客が店の外に並んでいる。
「3名で予約していたサルサワと申します」
「サルサワ様ですね。奥の4人席を取っております。こちらへどうぞ」
店員についていく間も客の盛り上がる声がそこかしこで聞こえていた。
平日の夜でもまるで宴会の様に騒ぐ声がひっきりなしに響く店はそうそう無い。店の実力がある証拠だ。
「当店は店内全席禁煙となっております。お煙草を吸われる場合は喫煙スペースを御利用ください。
飲み物お決まりでしたら先にお伺い致しますが、宜しいでしょうか?」
「瓶ビール2つと……トキちゃんはカシスソーダで良いんだよね」
サルサワがナガミヤの顔を見ながらそう言うと、彼女は何も言わずにこくりと頷いた。
既に何回か3人で酒を飲んだ事があるので、サルサワも俺も彼女の好みに関しては心得ている。
「カシスソーダで。あと今料理の注文しちゃっても大丈夫だよね」
「お決まりでしたらお伺い出来ますよ」
注文票とペンを持った店員がそう言いながらとびきりの営業スマイルを見せた。
「マンムーの猪鍋を1つ。それとヨワシの竜田揚げを3つ頂戴。とりあえず今はそれ位でいいよな?」
俺とナガミヤが頷くと、店員はお辞儀をした後別の客の注文を取りに行った。
2人ずつ対面で座れる席に腰をかける。ナガミヤは俺の隣に座った。
「この間ココで食べたって言う部下が猪鍋が絶品だって言ってたもんでさぁ。
是非3人で食べてみようと思ったワケだ。おッ、最初のがもう来たぞ」
俺と2人が座ってから1分も経たない内に店員が酒とお通しを持ってやってきた。
「こちら瓶ビール2本とカシスソーダ、当店の本日のお通しになります。
お通しの内容に関しましてはそちらのメニューに載っておりますので御確認ください」
小皿の上には適当な大きさに切られている緑色の草と焼いたベーコンが置かれている。
どうやらベーコンを焼いた後さらに草を入れて炒めたものらしかった。
「ふーん……ナゾノクサとバネブーのベーコン和えか。バターはゴーゴートのものを使用してるんだってさ」
確かに小皿からはバターの香りが漂ってくる。
ナゾノクサは少し前まで毒があるので食べられないと言われていたが、毒抜きと言う特殊な調理法によって食べる事が可能になった。
「あ、プラスチック箸か」
「最近は無駄を出来る限り減らそうと言う動きも活発になってきましたからね……」
あの割り箸を割る瞬間が結構好きなのだが、文句は言っていられない。
箸を2人に渡した後俺も箸を取ってテーブルの上に置いた。まずは酒を一口飲んでからだ。
「サルサワが乾杯の音頭を取ってくれ」
「ああ。じゃあ、日々の仕事に精を出す事で得られるこの喜びに感謝するとしよう。乾杯!」
既に瓶からビールを注いでいたジョッキとカシスソーダが入ったグラスがゆっくりぶつかり、小気味良い音を立てる。
口に運び、声にならない声を発してビールの美味さを堪能した。
「やっぱり、私にはコレが一番飲み易いです」
ナガミヤもカシスソーダを飲んだ後、ほっとした様な表情を見せる。
「じゃあ食べてみるか。ナゾノクサってのはどんな味なのかな……」
俺も他の2人も箸を取って、小皿の上のナゾノクサをつまむと口の中に運ぶ。
「うわッ、何だこの雑草感は。柔らかいけどかなり苦いな……あ、ベーコンとの相性は良いんだ」
サルサワの言う通り、ナゾノクサの味はかなり苦い。漢方薬の様な苦みと言えば解り易いだろうか。
だがベーコンの程良い塩加減、さらにバターのほのかな甘味がその苦さをある程度相殺してくれる。
まさにその小皿全体で1つの料理として完成されている様な気がした。
「バネブーのベーコンって普通のベーコンよりも柔らかいんですね。少しの力で噛み切れる感じで……
バターが具材をコーティングしているのも、味の変化が出て良かったです」
ナガミヤは小食だが、小皿の上の料理は既に食べ終えていた。余程美味しかったのだろう。
「俺さ、1回カロス地方に行った事があるんだよ。ウチの支店があるから。
ウチは最近、イッシュ地方を拠点にして商売してるから、カロスにも手を伸ばそうって事になって……」
サルサワは話術に秀でており、カロス地方で食べたポケモン料理の話で俺達は大いに盛り上がった。
彼の話では、ポケモン料理のフルコースを食べる事が出来る店も徐々に増えてきていると言う。
「俺が行った頃は本当に肩身が狭そうだったよ。ポケモンを食べるなんてとんでもない!って風潮だったからさ。
でもリゾットさんがこういう場所を作ってくれてから、ポケモン料理を提供する店も増えてきた。
俺達建設業界で働いてる人間も潤うし、良い事尽くめだよなぁ」
ヒルゼン建設は数年前から『イートアイランド』の居住・観光区域の建物を作り続けてきた。
最初はこれほど大規模な内容になるとは思わず、何かの冗談では無いかと思った事すらある。
だが今では毎日毎日新しい建物を作り続けるのが俺達の日課になっていた。
「私達が幾ら頑張っていても、上が利益や名声を独占してる気がしますけどね……」
ナガミヤは上層部への不満をぽつりと漏らした。
俺達の努力を常に間近で見ているからこそ、待遇の悪さが見えてくるのだろう。
「しょうがないよ。世間は会社そのものとヒルゼン社長しか見てくれない。
それ相応の給料は貰ってるんだから我慢しないとな。だからこそこういう楽しみがあるワケで……
おッ、来た来た。流石に量があるな」
サルサワの言う通り、いかにも熱そうな土鍋の中で具材が美味しそうに煮えている。
葱・豆腐・椎茸・白菜……野菜の量も肉の量も3人前ともなると流石に壮観だ。
「こちらはヨワシの竜田揚げになります。どちらも熱いので召し上がる際にはお気を付けください」
2人の店員が鍋1つと皿を3枚置いて去っていく。皿の上には長方形にカットされた竜田揚げが乗っていた。
「いやぁ、凄いなこれは。テーブルの上にもう何も乗らないぞ。どうする、まずは鍋からいこうか」
どちらも熱々の方が美味しいのだが、俺達はサルサワの言葉に頷き鍋の中の具材から食べる事にした。
煮る事により甘さが増す白菜と肉を取り、両方いっぺんに口の中へと運ぶ。
「俺今まで食べた事無かったんだけど、味噌ベースの鍋って美味いんだな。肉も変な癖が無いし」
とにかく甘い。先程食べたお通しの苦みが懐かしく感じられる程の甘さだ。
とは言え、食材から滲み出る自然な甘さは、チョコレートやアイスクリームの様な強烈な甘さとは別物と言える。
「マンムーの肉って硬いのかと思ってたんですけど、結構柔らかいんですね……豆腐も柔らかくて美味しいです」
しょっぱさよりも甘さが来る。味噌がメインの鍋である事は勿論、新鮮な野菜や肉を使っているからこそこういう味になるのだろう。
「ヨワシの竜田揚げに手を出してみるか……あ、良いねこの絶妙な塩!猪鍋と一緒に注文して正解だったな」
サルサワの言う通り、竜田揚げの味付けは振りかけられた塩のみ。あとはヨワシ本来の味を楽しめる。
思っていたよりもかなり肉厚で、割ってみると肉汁がたらたらと零れ落ちた。
「ヨワシは群れるポケモンですからね……外敵が近くに現れると凄いスピードで逃げて仲間と合流して合体します。
逃げ足が速いって事は、それだけ優れた筋肉を持っているって事ですし」
ナガミヤの言葉が正しければ、ヨワシはアスリートの様な良質な肉を持つポケモンと言う事になる。
無駄が無く絞った身体。肉の旨味が凝縮され、食べるとその旨味が一気に口の中で弾ける様な感覚が堪らなかった。
「こういうの、小学生の時に給食で出てたらなぁ。残さず食べるどころか、余ったのだって食べちゃうよ」
塩味で食べるのも勿論美味いが、添えられているレモンを絞って食べると味が引き締まってさらに美味い。
ナガミヤは酸味が苦手なのか、レモンをかけずに竜田揚げを食べていた。
これだけボリュームがあったにも関わらず、俺達は会話を楽しみながら30分程で猪鍋と竜田揚げを完食した。
「追加注文の『〆のうどん』になります。熱いのでお気を付けください」
当初は残してしまうのではないかと危惧する程の量だったが、それは杞憂だった。
それどころか、俺達は鍋に残った煮汁にうどんを入れて食べようとしている。
「こういうのはちょっと具材を残しておくと良いんだよ。うどんは肉や野菜との相性が抜群だからな」
沸騰中のお湯に入っていたばかりのうどんが、湯気を出していた。
その熱が少しだけ冷めかけていた鍋の残りに移り、火傷しそうな程の熱さが戻っている。
「濃すぎるかなと思った汁をうどんが吸って、丁度良い味になりましたね」
ナガミヤもサルサワも、苦しい顔など見せる事無くうどんをペロリと完食した。
これが普通の食材で作られた料理だったのなら、全て残さず食べる事は難しかっただろう。
満腹に近いかなと思う時でもスルリと胃の中に入っていく。それがポケモン料理の特徴だった。
「いやぁ、うどんを注文したのは正解だったな。入れる前と入れた後で別の料理みたいだったぞ」
小皿の上も、鍋の中も空っぽだ。俺達は猪鍋を思う存分堪能したのだった。
「すいません、『黒霧島』のボトルが半分程残ってたと思うんですけど出してもらってきて良いですか。
それとカシスソーダのお替り。サルサワって名前でキープしてると思うんで宜しく」
「かしこまりました。サルサワ様ですね。氷をお持ち致しましょうか?」
「あ、そうね。頼むわ……そうそう、空のグラスは2つでお願い」
鍋も小皿も片付けられ、綺麗になったテーブル。
俺達はまだ話し足りないと、飲み物の追加注文を行っていた。
「それにしても、さっきの猪鍋と竜田揚げ、とっても美味しかったです」
注文を聞き終わった後去ろうとする店員にナガミヤが声をかけると、店員が別の店員に目配せを行い、女性店員が近くにやってきた。
「猪鍋の主役となるマンムーは、進化してから2年経過したメスだけを使用しています。
牛肉も豚肉もそうなのですが、メスの方が肉が柔らかくて美味しいんですよ。
それと気を付けているのが、マンムーに進化してから卵を産ませない事ですね。
体内に蓄積された肉のエネルギーを逃がしてしまう事になるので、常にそこは気を配っています」
女性店員はテーブルの横に貼られていた紙を見て、客が何を食べたのか把握した様だった。
「ヨワシも養殖ですが敢えて厳しい環境に置く事で味を良くしています。
流れるプールの様に養殖場となる水場に水流を発生させる事で、定期的に運動させるんですよ。
魚類は泳げば泳ぐ程体内のエネルギーは少なくなっていきますが、味はどんどん引き締まっていきます。
栄養価の高い食事を与えながら身体を苛め抜く事で、旨味が凝縮したヨワシを御客様にお届けする事が出来るんです」
ただポケモンを調理するのでは無く、育成の段階から手をかけて『最高』を常に追求する。
まさに日本人らしい発想だった。それは、他の店のハンバーガーやスパゲティでも変わらない。
イッシュ地方出身のリゾットは日本人の職人気質に感銘を受け、日本人のスタッフを多く雇ったと言う話を聞いている。
俺達も日本人であるからこそ、『日本人の活躍』が素直に嬉しかった。
「サルサワ、本当に良いのか?」
「良いんだよ。何時もお前には助けられてるんだから。一杯位奢った所で罰は当たらないだろう」
芋焼酎の『黒霧島』はボトルで3000円。900ml等ロックで飲めばすぐに消えてなくなってしまう。
先程のビール等比べ物にならない程の度数(25度)であり、飲み過ぎには充分気を付けなければならなかった。
「じゃあもう1回乾杯!明日も仕事だから控えめに。酒と言う活力を入れて頑張ろう!」
アルコール度数が高ければ高い程、ぐい飲みは厳禁。一口の半分程を流し込んでまた次。泥酔状態に陥らない為の知恵だ。
「大丈夫ですか?明日も早いんじゃ……」
ナガミヤはそう言って俺とサルサワを心配したが、サルサワも管理職に就いている人間。無茶はしないだろう。
「トキちゃんも飲みたかったら飲んでいいよ。この焼酎、俺のお気に入りなんだわ」
「いえ、私は強いのあんまり得意じゃないので」
ナガミヤはそう言ってカシスソーダを一口飲むと、不穏な雰囲気になってきたのを感じたのか、帰りたそうな表情を見せる。
「心配しないで。サルサワもその辺りは心得てるハズだから」
俺はナガミヤの耳元でそう呟くと、サルサワの顔の色に注意しながら焼酎を一杯飲みほした。
「畜生、俺達だって必死に頑張ってるんだぞ!どうして上は解ってくれねぇんだよ」
足元がふらつくサルサワを2人で支えながら、俺達は店を後にした。
普段のストレスが一気に出たのだろう。サルサワは黒霧島の残りを全て飲んだ後会社に関しての愚痴をこぼし始めた。
店員にも迷惑をかけそうだった為、慌てて店の外に出たが、サルサワの怒りは収まりそうに無い。
「大体、納期ってのはそう簡単に予定を前倒しに出来るものじゃねぇだろ。人数を増やせば対応出来る?
工事の時間を増やせば対応出来る?それで済む問題じゃねぇんだよ。そう思ってるのは俺だけじゃない。
負担が増えて体調を崩す部下の姿を俺は幾度となく見てきた。会社は俺達をまるで使い捨ての人形みたいに……」
「サルサワ、誰が聞いているか解らないんだからもう止せ。トキちゃん、タクシー呼んで」
「解りました」
大声でがなるサルサワの姿を見て、道行く者達が怪訝な顔をする。何とかサルサワを通りの外まで連れ出すと、タクシーを捕まえる事が出来た。
「すいません、彼を自宅まで送ってやってください。自宅の場所は……」
暴れはしなかったものの愚痴を吐き続けているサルサワをタクシーの中に押し込むと、タクシーは発車し夜の闇の中に消えていく。
俺はそれを見送ると、謝罪の意味も含めてナガミヤに頭を下げた。
「許してやってくれ。あいつも普段はああいう奴じゃないんだ」
「いえ、私にも気持ちは痛い程解りますよ。抱え込んでいた不満が酒のせいで外に全部出てきちゃったんでしょうね……」
ナガミヤにもサルサワが愚痴をこぼす理由は解る。ヒルゼン建設は間違いなくトップクラスの『ブラック企業』だ。
最高品質の建物を作れと言う厳命と、とにかく早く作れと言う厳命。俺達はその矛盾と日夜戦い続けている。
そこにはイートアイランドの移住・観光計画が始まった以上、建設中の部分をなるべく見せたくないと言うリゾットの思惑があるのだ。
そして突貫工事で高品質の建物を建設すればさらに追加料金が入ると意気込む社長の欲が見事に噛み合ってしまった。
ポケモンセンターに放り込まれるカイリキーの群れ、辞める事も出来ずノイローゼになってしまう社員……
現場で働いている俺やナガミヤより、中間管理職であるサルサワの方が苦しい立場にあるのは嫌でも解っていた。
「それじゃ、今日はこれで……」
俯き、家に帰ろうとした俺の腕に、ナガミヤの腕が絡み付いた。
「クラマエさんの家にお邪魔しても宜しいですか?」
信じられない言葉だった。俺はナガミヤの顔を見て彼女の『本気』を感じ取っていた。
「……本当に良いの?ウチ、大分散らかってるけど」
「私が片付けますよ。本当は、もっと早くにクラマエさんの家に行ってみたかったんです。
でもサルサワさんがいる手前、声をかける事が出来なかったものですから」
この時間帯に向こうからお誘いをかけてくると言う事は、間違いなく俺が予想する展開になるだろう。
だが……俺でいいのだろうか。現場監督として働き、稼ぎも少ない俺にそんな甲斐性があると言うのか?
「いっぱい、お話しましょう」
俺に抱き付かんばかりの勢いで身体を密着させてくるナガミヤ。
その表情は、先輩として俺を敬愛している何時もの顔とは全く違うものだった。
「……じゃあ、行こうか」
人は孤独だ。孤独だからこそ、誰かに愛情を注ぎたくなる。
その対象が人であっても、ポケモンであっても抱えている思いに大した違いは無い。
「朝御飯作りますよ。クラマエさん、そういうの得意そうじゃないから」
「そりゃ有難いな。朝も昼もコンビニ弁当だと、人が作ってくれる料理が恋しくなっちゃうんだよ」
生まれて初めて女性と手を繋いで歩いた。愛される事がこんなに嬉しいとは知らなかった。
そして、ナガミヤに想われていた事も……知ったからには、それ相応の責任が伴う。
2人で一緒に歩いていくと言う『覚悟』もだ。
だが現時点での俺の頭の中は帰宅した後で待っているであろうイベントをどう乗り越えるかと言う事だけでいっぱいだった。