水曜日 ウォーグルの親子丼とカモネギの鴨蕎麦
「これは凄い」
そう言って私は感嘆の声を発した後、あまりの美しい光景に思わず溜息をついた。
私の目の前に広がっていたのは、落差30mはあろうかと言う程の巨大な滝だった。
切り立った崖の上から流れ落ちる大量の水は、やがて澄み切った湖と同化して清らかな風景を作り出す。
幻想的な光景に感動して何度もカメラのシャッターを切った。これこそが私の目的であり仕事なのだ。
「これが全て人工物とは信じられませんね」
傍らにいた女性に声をかけると、彼女は誇らしげに胸を張った。
「観光客を呼び込む為に、我々は多くの景勝地や、観光スポットを作り上げました。
イートアイランドが『最高の食事が出来るだけの場所』と呼ばれてはいけません。
それでは、食事目的の美食家だけしか訪れないからです。もっともっと多くの客を誘致しなければならないと考えています」
紺色のスーツに身を包んだ日本人女性。彼女はイートアイランドを海外に紹介する役割を担う広報の人間だ。
そして私はイッシュ地方からやってきたカメラマン。私もまた地元にこの島を宣伝する為にやってきた。
当初はこの島がそこまでの規模を有しているとは思っていなかったが、滞在期間が長くなれば長くなる程私の好奇心は膨らんでいく。
この広大な人工島にはありとあらゆる文化が交わり、唯一無二の雰囲気を作り出しているからだ。
人工的に作られた自然だけでは無く、建造物もまた迫力のあるものが揃っている。
「こちらは我々がオススメする観光スポット、『ワンワールド』です。
多少実物よりサイズは小さいですが、世界中の国家を代表する建造物を模したものが揃っています」
それでも、ミニチュアサイズとは言い難い。漆黒のブラックタワーは私の身長の5倍の高さはあった。
眩しく輝くプリズムタワーはそれよりも若干高く、ラナキラマウンテンや、黄金に彩られたバトルピラミッドが目を引く。
本来の建造物よりも派手になっている模造品もあり、その違いを探すのも楽しかった。
「ワンワールドの中心に立っているリバティガーデン塔は、自由と平和のシンボルです。
塔を中心にして世界の建造物を置く事で、世界は繋がっていて、1つであると言う事を表現しています。
単なる観光スポットでは無く、この場所を訪れた人々が何かを考える場所になってほしいと言う願いを込めました」
「確かに……こうして世界の国々を象徴する建造物が集うと、人種や言葉の違いなど大した壁では無い様な気がしてきますね。
美味しい食事を提供するイートアイランドだからこそ、説得力があるのかもしれません」
この島で出される食事はどれも『贅の極み』だ。その美味しさには言葉の壁や人種の壁は存在しない。
ただ、そこにあるものを食べて美味しいと思う。気持ちは万国共通である。
私はこの島に滞在する事で、その事実を改めて確認し、またその思いを多くの人間に伝えたいと思っていた。
ポケモンと人間が共存する現代社会。だがこの島だけはそうでは無い。
島を散策していてポケモンを見る機会は殆ど無いのだ。勿論養殖を行っている区域や牧場に行けば、姿を見る事は出来る。
だが街や自然に囲まれた空間にはポケモンをあまり見かけない。この島は『人間上位』の島である事を私は痛感していた。
「ポケモンを食べると言うコンセプトにおいて、ポケモンが街や森にいるとその食欲を阻害してしまいます。
ですから、極力人間の居住区域からポケモンを排除する事を心掛けているんです。
それは全てまっさらな気持ちでポケモン料理を堪能してもらいたいと言う我々の配慮でもあります」
シャッターを切っても、写っているのは人間だけだ。まるでこの世にポケモンがいないかの様な錯覚に囚われてしまう。
だが、確かにポケモンは我々の社会に貢献しているのだ。特にこの島では『食料』として……
「アンドリューさん、到着しましたよ。ココが『鴨屋』です」
牛車に乗って10分。食事を提供する店が集まるエリアで、私と彼女はケンタロスが運ぶ車から降りた。
「ココも食のるつぼですね。ハンバーガーも、ピザも、フィッシュ&チップスも食べる事が出来るとは」
「各国から訪れる御客様も多い関係上、様々な料理を取り揃える必要があるものですから。
ですが、今日は日本食を召し上がって頂こうと思います」
「ええ、私もヘルシーで味わい深い日本食は大好きですからね。期待しています」
私はイッシュ地方出身ではあるが、日本食に対しての拘りはあると自負している。
特に『本物志向』を掲げている所が、他の『日本食好きの者達』とは違う部分だ。
かつて日本で食べた『寿司』の味が、イッシュ地方で提供される『寿司』の味と全く違った事に私は衝撃を受けた。
勿論、それは当たり前の事だとすぐに理解した。国が違えば、好む味覚も食材も異なる。
だが、イッシュ地方のミートローフやマッシュポテト、カロス地方のブイヤベースやガレットの様に、本国で提供されている味こそが最高であると私は思っている。
そもそも、このイートアイランドの生みの親はリゾットだが、そのスポンサーとして多くの日本企業が支援をしている事は紛れも無い事実だ。
日本の料理人も数多くこの島で働いており、『その国の味』を再現する準備は整っている。
偽物では無い本物の味を私は求めていた。それでこそ、『美食の島』を名乗る資格があると言うものだ。
「いらっしゃいませ」
日本の料理店の代名詞とも言うべき『暖簾』をくぐると、日本人の店員が私に気付き声をかけた。
「ここは蕎麦屋ですが、御飯も食べれますよ。お好きなものを注文してください」
店の中はそこまで広くなく、席は12人分程しか用意されていない。
既に午後2時を過ぎている事もあり、店内にそれ程の賑わいは無かった。
「朝、トーストとコーヒーだけだったので結構食べれると思うんですよ……
この『ウォーグルの親子丼』の大盛りと、『カモネギの鴨蕎麦』を1つずつください」
私はカウンター席の端に座り、その隣に座った女性は鴨蕎麦のみを注文した。
「どうですか、アンドリューさん。店内に日本人以外の店員がいないでしょう」
「やはり、リゾットさんの『本物志向』は筋金入りですね。私もその気持ちはよく解ります」
「勿論、全てを本物にすると言う事は難しいですけどね。日本人が多く居住している区域でそれを徹底する事は出来ません。
日本企業の支援が大部分を占めている為、この島の通貨を『円』に固定していると言う事情もありますから……」
つまり、私の様な本物好きの人間はこの通りに来ればいいと言う話だ。
世界の食がその国の味で食べられる場所は必須である。そういう場所があると言う事実も広めていくべきだろう。
私がポケモントレーナーとして各地を巡っていた頃、カントーで初めて『蕎麦』を口にした。
黒に近い特殊なスープ、その中に浸かっている灰色の麺。最初はこれが食べ物なのかと疑ったものだ。
だが、食べてみると喉を通る麺の独特な食感、濃いが癖になるスープの味に私は魅了された。
日本の本格的な寿司以外に、これ程美味いと言える食べ物があったのかと思い、そこから私の日本食巡りの旅が始まった。
結局トレーナーとして大成する事は出来なかったが、日本食に対する舌は充分に肥えたのではないかと思っている。
「お待たせ致しました、鴨蕎麦と親子丼です。薬味もありますのでお好みでどうぞ」
広報の女性と話をしていると、鴨蕎麦2つと大盛りの親子丼1つが店員によって届けられた。
「黒に近いが澄み切った色のスープ。やはり蕎麦はこうでなくては」
「ウォーグルの産む卵は、ポケモンが生まれてくる卵とは別です。ラッキーの卵と似たようなものだと思ってください。
蕎麦の上に乗っている肉はカモネギのものですよ」
蕎麦の見た目が良く、期待を寄せる私に対して女性が説明をしている。
親子丼自体は慣れ親しんだものだったが、金色に近い輝きを持つ親子丼を見るのは生まれて初めてだった。
「どうぞ、食べてみてください」
割り箸を割り、命を頂く事への感謝の祈りを捧げた後、私は蕎麦に手をつける事にした。
温かいスープに入った蕎麦を箸で数本掴み、口へと運ぶ。
「おッ、これは……!」
日本人は『そばつゆ』と呼ぶ事もあるスープをほどよく吸った麺。
その美味さは言葉で説明する事が出来ない程のものだった。喉を通る時の心地良さも抜群だ。
「もしかしてこれは、十割蕎麦ですか?」
「はい、そうです」
私の問いに対して店員は当たり前の様にそう返答したが、私は驚きのあまり声も出なくなった。
蕎麦と言うのはデリケートな料理だ。
特に『つなぎ』と呼ばれる他の食材を一切使う事無く蕎麦に仕上げる『十割蕎麦』を作る事は相当に難しい。
鴨蕎麦なのだからポケモンの肉、さらにはポケモンの出汁から取ったスープとの相性も考える必要がある。
さらに弱点として、十割蕎麦は温かいスープの中に入れるとすぐにのびてしまうのだ。
私は日本を愛し蕎麦の特性を熟知していた為、すぐに次の一口をすすろうとしたが、隣にいた女性が微笑みながらそれを制した。
「大丈夫ですよアンドリューさん。カモネギの鴨蕎麦の最大の特徴は、十割蕎麦でありながら蕎麦がのびない所にあるんです」
「えッ!?本当ですか?そんな事がありえるのですか」
私は当たり前だと思っていた天動説が地動説によって覆された様な衝撃を受けた。
「はい。この鴨蕎麦はポケモンの出汁を取ってそばつゆを作っているんですが、蕎麦がのびないんですよ。
普通は吸ってしまうんですけどね。私達にも上手く説明は出来ませんが、温め直せば美味しく食べる事が出来ます」
そんな事がありえるのか……私は頭の中で再び同じ質問を繰り返した。それ程普通は考えられない事なのだ。
だが店員が自信を持ってそう言っているのだから信じる他無い。
「そうですか……では、それを信じて今度は親子丼を食べてみる事にします」
私は同じ箸で今度は卵が絡んだ肉と御飯を掴み、一緒に口に中に運んだ。
「これは……濃厚ですね!卵の味がしっかりしている。しかも、鶏肉がそれを邪魔していない。
御飯と完全に調和しています。米はコシヒカリですか?」
「はい。シンオウ地方で作られる最上級コシヒカリを使用しています。
勿論手間をかけないとポケモンの味に負けてしまいますので、透き通った湧き水を濾過したもので米を研いで釜で炊くんです」
努力が無ければ、美味しいものは生まれない。私はそれを理解していたつもりでいたが、ただただ相手を尊敬するばかりだった。
恐らく、蕎麦のスープにも途方も無い時間と手間が費やされているのだろう。
そう思いながら食べている間に、私は親子丼を半分ほど食べてしまっていた。
「では、先程の言葉の真偽を確かめてみる事にしましょう」
親子丼を食べていた間に5分は経過している。通常の十割蕎麦の場合、致命的な時間が経過しているのだ。
のびきっている蕎麦を食べる事になるかもしれないと覚悟して、私は蕎麦をすする。
「……おお、凄い!のびていない!」
感動のあまり、店員に拍手を送りたいとすら思えた。
食べ物は『冷めてからも美味い』と言うものが極端に少ない。特に麺類は冷めるどころか数分勝負の世界である。
その前提があるにも関わらず、美味しさが変わらないと言う事実は私を興奮させた。
「ポケモン料理は、そこが肝なんですよ。味のクオリティが劣化しないんですよね。
私達は何時でもすぐに食事をとれるワケではありません。忙しい時は尚更です。
そういう時にポケモン料理があれば、私達の人生は大いに潤います。美味しさが変わらないからです」
広報担当の女性は私と同じ様に蕎麦をすすっていたが、その味に満足している様子だった。
実際、満足しなければ嘘だろうと思う程の傑作だ。この蕎麦には、私が蕎麦に求めている全ての味が凝縮されている。
「スープも深みとコクがあって、後味が悪くないですね。しつこくないと言うんでしょうか」
私は蕎麦が入っている器を両手で持ち、口元に運んでスープを飲んだ。蕎麦の味と完璧に調和している。
親子丼と交互に食べながら、私は至福の時を存分に堪能したのだった。
ゆっくりと時間をかけて食べた為、食べ終わった頃には入店から30分が経過していた。
「これ程の美味しさを持つ蕎麦と親子丼が、注文してから数分の間に届くと考えると改めてその素晴らしさが実感出来ますね」
「私達日本人はスピードと正確さを同時に求めますからね。大勢の客を待たせない様にして、売り上げを上げる。
でも徹底した食材の管理によって、粗悪品は絶対に提供しません。これが日本人の『美徳』なんです」
「解ります。私が日本食を好んでいる理由はそこにあるんです。欧米では食事を取ると言うより、『カロリーを摂取する』と言う考え方が根付いていますからね。
味も大事な要素ですが、まずイッシュでは『スタミナを付ける為に食べる』んです。ですから日本食の様な努力はどうしても疎かになりがちです。
つまり、カーボパーティの理念がイッシュに暮らす人々の一般的な考え方になっていると言えるでしょう」
カーボパーティとは、トライアスロンの大会前日に行う『炭水化物を主体とした料理を食べる前夜祭』である。
選手は炭水化物を摂取する事によって明日に向けた英気を養うのだが、正直美味しさを求めているとは言い難い。
食べると言う行為だけでありそこに美食の概念はあまり存在しないのだ。だが、日本料理は違う。
せわしなく食べる事が多い蕎麦であってもその美味しさをとことんまで追求する。私はそこに感動していた。
「手間と時間をかける事によって、美味しいものが出来上がる。それは通常の料理においてもポケモン料理においても変わりません。
魚群の姿となったヨワシから抽出される出汁は、十割蕎麦との相性も申し分なく、ウォーグルの肉と卵もコシヒカリとよく合います。
私達が日常的に食べてきたものとポケモンの料理は組み合わせる事によってその美味しさが何倍にも上がるのです。
今後、ポケモンの料理及び食材はさらに身近な存在へと変化していく事でしょう」
広報の女性はそう言ってにこやかに微笑んだ。
そう、その通りだ。私はポケモンがこれ程既存の食材とマッチするとは思っていなかった。
今まで食べてきたものを無駄にする事無く、食料自給率をポケモンによって補填していく。
それが当たり前になれば、島だけでなくいずれは世界全体がポケモンを食べる世の中になっていくのだろう。
私はその未来を思い描き、希望を胸に抱いた。人間にとって、何と理想的な未来なのだろうか。
「すいません、御勘定お願いします」
「はい、カモネギの鴨蕎麦450円が2つ。ウォーグルの親子丼の大盛り650円が1つ。
合計で1550円になります」
丼からこぼれ落ちそうな程に盛られた卵と肉。濃厚なスープに入った十割蕎麦。
手間暇と比べるとこの安さは驚異的だ。イッシュならファストフードのハンバーガー、ポテト、コーラのセットでほぼ同額になってしまうだろう。
値段は同じでも料理としての価値には天と地ほどの差がある。そんな事を考えながら私はこの店を後にした。
私の腹は満たされた。これだけの量を食べたのに満腹から来る倦怠感や胃もたれの様な感覚は一切無い。
「ポケモン料理は身体に対して優しいのも特徴の1つです。幾ら美味しくても身体に悪影響を及ぼしては意味が無いですからね。
例えば食べた後にすぐ走ると横腹が痛くなる事がありますが、ポケモン料理を食べた後でも走っても痛くなる事はありません」
マイナス要素が何1つ見当たらない理想の食材。
私はカメラマンとして、ライターと協力しながらもっとポケモン料理を広めなければと言う思いをさらに強く抱いた。
人類が健やかに生きていく為の最良の方法として、ポケモンを食べると言う選択肢を提案しなければならない。
勿論その提案に対して懐疑的な声や批判はあるだろうが、私個人としては大歓迎だった。
「アンドリューさん、どうでしたか?ポケモンの味は」
「最初は癖があるんじゃないかと思っていたんですが、杞憂でしたね。
今まで食べていたものの完全上位互換と言う印象を受けました。
正直、ポケモン料理であると言われないで出された場合にそれをポケモン料理であると見破る事も難しいでしょう」
「そうですね。ポケモン料理の魅力の1つだと思います。
私もこの島に来て宣伝活動を続けていますが、魅力が多過ぎて伝えきれないんですよ。
あれもこれも素晴らしいと言う感じで、欠点が見当たらない。
だからこそ、この仕事にやり甲斐を感じています。使命感に突き動かされている気がしますね」
女性は、嘘偽り無い本音を述べている様に思えた。
そして私もその通りだと思った。私がポケモン料理の良さを伝えていく事は、人類にとっての使命なのではないだろうか。
これこそが、我々の進むべき道なのだと思うし実際にそうなってほしい。それが私の偽りの無い気持ちだった。
蕎麦屋のある大通りを見回し、私は様々な国の人々が歩いているのを眺めていた。
食は、国を豊かにして国と国との繋がりを構築する。人と人が共に同じ料理を食べて喜ぶその笑顔が、世界を平和に導くのだ。
「アンドリューさんはこれからどうされますか?」
「ホテルに戻ってライターと打ち合わせをします。
島の風景やポケモン料理の写真は撮れたと思うので、それをどう文章でさらに美化すればいいのかを検討しなければ」
心地良い風が頬をくすぐる。半球状の特殊なガラスで覆われたこの島は、気温・風・湿度が常に一定に保たれているのだ。
例え外が嵐であったとしても、この島に住む者達は常に快適な環境下で日々を過ごす事が出来る。
「まずはとにかく、移住者より旅行者を増やす事が重要でしょうね。
ココに住んでいてもポケモン料理の素晴らしさを外に伝える事はありませんから。
一度この島に寄ってもらって帰った後で、伝えていってもらう必要があると思っています」
イッシュ地方で暮らしている美食にあまり興味が無い者達にも、この島に寄ってもらわなければならない。
私はこの島で観光スポットが作られている理由がそこにあるのではないかと思っていた。
まずは何でもいいから興味を持ってもらう事が最優先だ。ポケモン料理とは関係無い部分でも構わない。
快適な暮らし、魅力的な名所、完璧に近い安全保障。この島に来て料理を食べてくれればきっと理解してくれる。
その為には人を呼び込む事だ。私はその役目を任されているのだから責任は重大だった。
「世界が変わろうとしています。いえ、変わらなければならない時が来ました。
私や貴方がその旗振り役になるんです。そうすれば、リゾットさんの目指す理想の世界に近付く事が出来るでしょう」
そう言いながら、私は女性と共にケンタロスの牛車に乗り込む。
私が移住するのにはまだ早い。課せられた使命を果たすと言う強い意志のもと、私の挑戦が始まろうとしていた。