バベルの島
火曜日 キングラーの蟹炒飯とリングマの熊肉ラーメン
 私達がこの島に移住してきてから、2ヶ月の月日が過ぎようとしている。
 娘のミドリは引っ越しで元の中学にいた友達と別れるのが嫌だと当初は反対していたが、最後には納得してくれた。
 別れても、友達が友達で無くなるワケでは無い。そしてまた新しい友達が出来るのだからと夫と一緒に説得したのだ。
 この島の中学校は異文化のるつぼと化しており、様々な地域から集まってきた子供達が集ういわば世界の縮図だった。
 多文化・多言語と言う環境の変化に戸惑いながらも、何とか順応しようと頑張っている。
「ねぇお母さん。この間、同級生のケイトとイヴァンカから手紙が来たの。
 日本語じゃ無かったから読める様にするまでが大変だったけど、謎解きゲームみたいで楽しかったわ」
 傍らにいた娘はそう言うと無邪気に笑った。多感な時期に色々な事に触れれば、自然と様々な興味が湧いてくる。
 それは当然知識の向上や、状況判断をしっかり見極める事にも繋がるのだ。私はこの島にやってきた事は間違っていなかったと思った。
「買い物を済ませたら、お昼にしましょうか。この間の中間テストの点数も良かったし、外で食べましょう」
「やったぁ!私、外で食べるのなら中華が良い!」
 飛び跳ねながら喜びを身体で表現する娘の笑顔を見ながら、私は島の中でもかなり大きなショッピングセンターへと歩を進めた。

 この島は、その巨大さと特殊なルールも相まって『1つの小さな国家』だと言えるのかもしれない。
 通貨を『円』で統一し、他のエリアから引っ越ししてきた者達にも両替を促した。
 そして移住者に対しては万が一の事があってはいけないからと言う理由でこの島における『ポケモンの持ち込み』を一切禁止している。
 娘も私も『相棒』がいたのだが今は親戚に預けている状態だ。
 半球状の特殊なガラスによって外からの出入りは1つの出入り口のみでしか出来ず、街にはこの島のシンボルとなった『旗』がたなびいている。
 公にはハッキリと明言してはいないが、ココは『鎖国された国』だった。
 勿論多くの移住者がいるが侵略者が現れてもこの島に対して攻め込む事は容易では無い。
 安全・安心と言う点でもこの島は非常に魅力的だった。この島に『入国』するにあたっては厳しいチェックがある。
 それをクリアした者達だけが移住する事を許されるのだ。だから、この島で犯罪が起きた事はまた1度も無かった。
「あら、ラッキーの卵が結構安くなってるわね。野菜もお得だわ。この際だからまとめ買いしちゃいましょうか」
「じゃあ、私は自宅お届けサービスの所に行ってるね!」
 車が認められていないこの島において、移動手段は徒歩と島公式のポケライドのみ。
 ケンタロスの牛車がタクシーの様に街中を移動しているが、買った荷物と一緒に乗るとかなり不都合な点が多い。
 その為、買った荷物を自宅に運んでくれるサービスを利用した方が得だった。
 (そうねぇ……明日からはまた作る時間も無くなるし、冷凍食品も何個か買っておいた方がいいわね)
 娘は部活動をしており帰りが遅くなる為、夕食として弁当を持たせているのが常だった。
 鳥ポケモンの唐揚げはとても安い。刺身も実にリーズナブルな値段で売られている。
 勿論引っ越しする為の費用はそれなりにかかったが、一旦引っ越してしまえばこれ程楽に生活を送る事が出来る場所もそう無い。
「天国に一番近い島……ここはもしかして、そう呼ぶに一番相応しい場所なのかもしれないわ」
 そんな事を呟きながら、私は買い物を済ませて娘と合流した。

「それでは、御客様のカードに登録されている御住所にお届けする形で宜しいでしょうか?」
「はい。それでお願いします」
 支払いもカードで済ませ、最低限の持ち物だけで移動する事が出来る。サービスの充実こそ幸せな生活に必要不可欠なものだ。
「じゃあ、中華一でいいかしら」
「うん!私、あそこのラーメンが美味しいから大好きなの!」
 食品売り場のある1階から、フードコートと店が立ち並ぶ3階へ。
 3階にある中華料理店の『中華一』は今日も多くの客で賑わっている様だった。
「いらっしゃいませ。御客様、御二人ですか?」
「ええ。テーブル席は空いているかしら?」
 入口にいた店員に対してそう言うと、若い青年はばつの悪そうな顔をしながら軽く頭を下げた。
「申し訳ございません。テーブル席は今埋まっておりまして……カウンター2名なら隣同士で御案内出来るんですが」
「どうするミドリ。カウンター席でもいい?」
「私はそれでもいいけど、お母さんはゆっくり食べたいでしょ?」
 娘は私の性格を心得ていた。
 私は娘を気遣う形でカウンター席と言う選択肢を提示したのだが、実の所テーブル席で落ち着いて食事を楽しみたいのだ。
 いくらポケモン食材が安いとは言え、外食となればそれなりの金は取られてしまう。
 かなりの金を払って食事するのならば、少しでも優雅な食事を演出出来るテーブル席の方が良かった。
「そこまで時間がかかるワケでも無いんでしょ?私は待ってもいいと思うなぁ」
 ミドリの意見に私も賛成した。お昼のラッシュで混んでいるとは言えこの店の席は多い。
 そこまで待たずに案内されるだろうと思い私は名前を書いて予約を入れた。

「テーブル席が空きました!御案内致します。こちらへどうぞ」
 私と娘が予想していた通り、ものの数分で家族連れの客が店を出た為、テーブル席に案内された。
 客が席を離れてからそこまで時間が経過していないにも関わらず、既にテーブルはピカピカに磨かれている。
「うわ、早い!片付けとテーブル拭きがもう終わってる」
 万能では無いが、出来る限り上質のサービスを客に提供する。
 これがあるからこそ、少々の待ち時間も全く苦にならない。
 席に座ると、私と娘は2冊テーブルの端に置かれていたメニュー表を手に取った。
「お母さんは何にする?私は熊肉ラーメンにするつもりだけど」
 メニュー表に目を通していると、『キングラーの蟹炒飯(チャーハン)』と書かれた項目がある。
「じゃあ、私はキングラーの蟹炒飯(チャーハン)にするわ。それと焼き餃子を頼んで、半分ずつ食べましょう」
 娘がそれに同意した為、私はテーブルに備え付けられているボタンを押して店員を呼んだ。
「御注文ですか?」
「はい。じゃあ、貴方の食べるのは貴方が言って」
 私がそう言うと娘はメニュー表のページに指を当て、店員に注文を出す。
「この、リングマの熊肉ラーメンを1つください!」
「私はキングラーの蟹炒飯(チャーハン)を1つ。あと、ヤンチャムの焼き餃子を1つお願いします」
「かしこまりました。餃子は少々お時間を頂きますが宜しいでしょうか?」
「大丈夫です」
 店員は一礼すると去っていった。焼き餃子に時間がかかると言うのは寧ろ良い点と言って差し支えは無いだろう。
 何故ならば、時間がかからない餃子となればそれは『冷凍餃子の解凍』の場合が多いからだ。
 しっかりとフライパンで焼いているからこそ時間がかかる。
 真に美味い料理を客に提供する為にはどうしても時間が必要なのだ。私も娘もそれをしっかり理解していた。

 席に座っているだけで、店員が常に多くの客の方を見ている事がよく解る。
「そう言えば、2人でココに来るの初めてだよね?お母さん」
「そうねぇ。貴方と一緒にこのお店で食べるのは初めてかもしれないわね」
 引っ越し作業を終え一段落ついた日から数日後、夫と2人でこの店に訪れ食事をした覚えがある。
 娘も部活の帰り、私が弁当を用意出来なかった為クラスメイトと一緒に何回か店に入ったと言うのを聞いていた。
 息子も夫に連れられて食事をしたらしい。こうやって考えると、家族全員が中華料理を好んでいると言う事実が浮き彫りになった。
 そうやって何気なく会話をしている間にも、水が少なくなれば店員がやってきてコップに水を注いでくれる。
 1つの小さな気配りが多くのリピーターを生む。店側はそれを理解し、店員に徹底させている様だった。
「こちらが御注文頂いたリングマの熊肉ラーメンと、キングラーの蟹炒飯(チャーハン)です」
 どちらも湯気がもうもうと立ち上っている。熱々の状態で出てくるのは良いのだが私は娘と違い熱いのが苦手だった。
「結構早く来たね。じゃあ、いただきます!」
「ええ。しっかり食べて頑張って頂戴」
 陸上部に所属している娘はよく食べる方だ。食い意地がはっている私に似たのかもしれない。
 どうしても熱い状態では食べられないので、私はレンゲで炒飯(チャーハン)を混ぜ、少しでも冷める様にと悪戦苦闘していた。
「やっぱりスープが最高!とんこつラーメン、美味しいよね〜」
 娘はそんな私に構う事無く、熱々のスープをすすりながら早くも昼食を堪能している。
 私も前にあのラーメンを食べた事があるが、癖のある熊肉の味と匂いを濃い豚骨スープでカバーしていた。
 熊肉も豚骨スープと共に食べると違和感を感じる事無く食べる事が出来るのだから相性と言うのは不思議なものだと思う。
「私もそろそろいただこうかしら」
 通常の炒飯(チャーハン)に、ほぐした蟹の身が混ざっている。口に運ぶと、香ばしい香りとスパイスの辛味が堪能出来た。
「やっぱり炒飯(チャーハン)はパラパラしてるのが良いわね。美味しいわ」
 混ぜる時間をなるべく少なくしたつもりだったが、どうしても他の客に奇異の目で見られている様な気がしてならない。
 その点、娘は得していると思った。鍋料理の時も私の場合だと何度も口で冷まさないと食べられないのだ。
 とにかく、無駄な雑味が感じられない炒飯(チャーハン)だ。ほどよい辛味が食欲を増進させ、一口食べればまた一口食べたいと思わせる。
 そうして口に運んでいる内に気付けば無くなっているのだ。夢中で味わえる料理こそ最高の美食だと言えるだろう。
「お母さん、蟹はどう?」
「そうね、蟹かまじゃ無いんだから当然なんだけど、旨味がぎゅっと凝縮されているのを感じるわ。
 それと味が浸透し易いから炒飯(チャーハン)の具材としてはとても理に適ってるんじゃないかしら」
 一口、一口と食べている内にもう3分の2程は食べてしまっていた。
 娘の方は既にラーメンを完食している。そうして一息ついた所で店員が焼き餃子を持ってきた。
「ヤンチャムの焼き餃子です。御注文の方は以上でお揃いでしょうか」
「家にアイスがあるし、デザートはいいわよね?」
「うん。多分餃子を食べると入らない気がするし、今日はいいよ」
 店員に対して首を縦に振ると、店員は餃子の乗った皿と伝票を机の上に置いて去っていった。
 合計金額は1950円。量と質から言えばこの値段は本当に安い。
 餃子は楕円形の皿の上に6個置かれている。しかも1つあたりの餃子の大きさが半端なものでは無い。
 娘の握り拳程もある。箸で割ってみると肉汁が溢れ出てきた。
「この餃子、手間暇かけてるって謳ってるけど美味しいよね〜」
 小皿に醤油を垂らし、その後で少量の酢を入れる。引き締まった味を堪能するのには酢が一番だ。
 勿論、娘の様にラー油を入れる派もいる。パンチの効いた辛味が欲しい時には有効だろう。
「中に入ってる白菜の微塵切りが、肉の味を全然邪魔してないわね」
「シャキシャキしてるけど肉っぽさは残ってるもんね。餃子だけだったら私3皿は頼んじゃうかも」
 ミンチにされている肉が非常に柔らかい。食べると自然と笑顔がこぼれてしまう。
 それでいて味気ないと言う事も無い。食べた直後にも肉の味がしっかりと残っていた。

『当店自慢の焼き餃子は素材の良さを100%引き出す為に様々な工夫をしております!
 イートアイランドで卵から孵ったばかりのヤンチャムの肉を使い、即座にミンチにするのでは無く、塊肉を一晩寝かせています。
 こうする事で肉に含まれていた余分な水分や雑味が抜け、シンプルでありながらも他の素材とマッチする肉になるのです。
 熟成したヤンチャムの肉をミンチ状にした後、テンガン山で採れた貴重な湧き水と混ぜ合わせ、そこに微塵切りにした白菜や少量のニンニクを加えてさらに混ぜていきます。
 上質な皮で包んだ後、フライパンの上に乗せて焼き上げ、完成です。職人の技と、素材の旨味を存分に堪能してください!』
 メニュー表に書かれていた餃子の紹介文を見ながら、私は厨房の方で作業を行っているであろう職人達に思いを馳せた。
 門外不出と言われる秘伝の『餃子のたれ』に関しては、同じものを作る事は出来そうにない。
 そしてたれと融合して初めて小皿の上で『完成』に至る焼き餃子。この努力を私は買っている様な気がした。
「あー美味しかった。大満足!」
 大きく伸びをしながら満面の笑みを浮かべる娘の姿が微笑ましい。
「そう、良かったわねぇ。また機会があったら2人で来ましょうね」
 皿の上にはもう何も乗っていなかった。あまりにも美味しかったのか娘はスープも全て飲み干している。
 会計に向かうと外には長蛇の列が出来ていた。もう少し遅い時間に来ていたらこの行列に巻き込まれていただろう。
「とっても美味しかったです!あの、餃子には何でニンニクが入っているんですか?」
 女性店員に娘がそう聞くと、彼女は私から2000円を受け取りながら懇切丁寧に回答した。
「ヤンチャムの肉はとても美味しいんですが、獣肉独特の臭みがあります。
 その匂いを消す為にニンニクを使っているんですよ。リングマのラーメンが豚骨のスープと共に出てくるのも同じ理由です。
 美味しいのにちょっと臭いからと言って食べないのは勿体無いですよね。それこそが先人の知恵なんです」
 私にレシートと釣り銭を渡しながらそう答えた店員に対して、娘は元気よくお礼をする。
「有難う!凄く美味しかった!」
「また食べに来てね」
 美味しいものは人を幸せにする。だが美味しいものとはただ自然界に漠然と存在しているワケでは無い。
 料理は人間が様々な研究と努力の末に生み出したものだ。
 毒がある生物であろうとも調理次第では美味しく食べる事が出来る。
 私達はこうした飽食の時代に生まれてきた事を幸運だと思わなければならないだろう。
「でもホント美味しかったねお母さん。私は今度友達とまた食べに行こうかな」
「そんなに気に入ったの。ミドリったら大袈裟ねぇ。でも、確かに美味しかったわね」
 店を後にして、ショッピングセンターの外に出ると、綺麗な青空が広がっていた。
「そういえば……なんか最近不思議だなぁと思う事があるんだけど」
 私の隣で思いきり跳躍して着地した娘が、私の方を見ながら疑問を呈した。
「最近は肌が荒れないし、部活で走った時に前より走れる様になってるんだよね。
 スピードが上がったって言うより『疲れにくくなった』って言うべきなのかなぁ。
 長く走っても息切れしないし。私の身体が変わっていってる様な気がするんだ」
 娘や夫には話していないが、私も自分の身体の変化を感じていた。
 引っ越してきてから肌のざらつきが無くなり、化粧水を使った時の感覚が前と違って良い気がする。
 掃除や洗濯をこなしている時の疲労感も感じにくくなってきていた。
 (この変化に理由があるとするなら……やっぱりポケモン料理なのかしら。
 でも、食べるだけで劇的な変化があるなんておかしいわよね。でも気のせいでも無いし……)
 心の中でそう思うものの、答えは出ない。
「でも、プラスな事なんだから良いじゃないの」
「うん。そうなんだけどね。なんかちょっと変だったから」
 娘は不安そうな表情を浮かべていたが、やがて笑顔に戻った。
「中間テストは頑張れたけど、今度イートアイランド内で開催されるマラソン大会があるんだよね。
 頑張らなきゃ」
「私も行けたら見に行くわ。上位入賞を果たせる様に応援してるわよ」
 娘は頷くと、元気に家に向かって駆け出していく。
 その後ろ姿を見ながら、私は平和な日常があると言う幸せを噛み締めていた

■筆者メッセージ
前の『月曜日』とは全く違う別人視点での暮らしを描いています。
それぞれの話で出て来る登場人物はバラバラですが、1つの『運命』に
向かって突き進んでいくのです。
夜月光介 ( 2016/12/25(日) 22:14 )