神の配剤
拝啓、本日も……とか堅苦しいのはどうせ先生も苦手だと思うので省きます。先生は元気にしていますか?私は元気です。先生に貰った卵から生まれたモノズが先日ジヘッドに進化しました。
バックスペースキーを長押ししてメールの内容を半ばまで削る。報告のはずが、どうにも愚痴や泣き言のように見えてきてしまい何度も書き直していたところだった。
実際に半分以上は泣き言だったのだが。
このモノズと言うポケモン、かなり癖が強く育成が難しいのだ。何故そんな進化を選んだのか、と尋ねたくなるのだが、まずモノズは目が見えない。
例えばズバットのように暗闇の中で過ごす為視力が必要なかった、と言うのなら納得できるがそうでもない。ズバットは超音波で周囲の様子を探ることが出来るがモノズはそうではない。
臭いを嗅ぎながら
歩いている姿をよく見るので嗅覚はそれなりなのだろうが、それだけで周囲の様子を完全に把握出来るわけはない。当然、歩けばすぐぶつかる。
そしてすぐに噛みつく。先生曰く、噛みつくのはそれが何であるかを探る為だと言うことだった。私も最初の頃は何度も噛まれたものだ。
相手はポケモン、力がとんでもなく強く、今まで骨を折ったり指を喰い千切られたりしなかっただけ運が良いと言えるだろう。つまり、それほど扱いの難しいポケモンだと言うことだ。
先生から頂いた卵が孵化し、元気なモノズが誕生した
と、ここまでがモノズの話。先日ついにジヘッドに進化し、頭が二つに分かれたのだ。
頭が複数と言えばドードーなんかもそうだが、ドードーはテレパシーのような力で繋がっていると言われ、二つの頭それぞれに脳や人格が備わっているらしい。
そもそも、動物として脳や人格が二つある事にどの様なメリットがあるのだろうか。性格が違う二つの頭を持っていれば食料を一人相撲で奪い合ってしまう可能性がある。
食料を奪い合っても、結局胃袋は一つしか無いのだ。敢えてメリットを挙げるとするならば、視野が広くなる事であろう。
野生のポケモンはポケモンフードを食べているわけでは無い。そこには厳然とした食物連鎖のルールが存在する。
草を食べるポケモンが肉を食べるポケモンに襲われる事もあれば、肉を食べるポケモンが草ポケモンに飲み込まれる事もあるのだ。
ドードーに関しては雑食で、獲物に襲われた時の為にかなり強い脚力を持っている。この為、素早く走る事で危険から身を守る事も出来るだろう。
単純に頭が二つあった場合、前と後ろを同時に見る事も、左右を同時に見る事も出来る。これは草原やサバンナにおいて、有利に働く能力だ。
我々人類は、流石に真正面と真後ろを同時に見る事は出来ない。背後からの不意打ちに対応出来ないのもその為だ。
だが、頭が二つあればどうか。背後からの不意打ちに対応する事が出来るのだ。
さらに片方の脳を休ませ、片方の脳を活性化させて見張りをする事で一つの頭はずっと起きている事が出来る。
何時危険が襲ってくるか解らない状況の中で、この能力は必ず役に立つ事だろう。
ジヘッドに進化してからは、獰猛さが増し、餌の食べ方も乱暴になっている様に見受けられます。壁に頭をぶつける行為は変わらずですが。
ドードーからジヘッドの話に戻ろう。ドードーの生態の謎に迫ると、ますますジヘッドの進化の仕方が謎めいてくる。
先程の説明の通り、頭が二つある事の理由は『視野が広くなる』と言う点では無いかと私は思った。
しかし、ジヘッドには二つの頭に対してどちらにも目が無い。つまり進化しても視力は全く無いままと言う事になる。
頭を二つに増やす意味が別にあると言う事なのだろうか。片方の脳を休ませる素振りすら見せず、ジヘッドは常に昼夜問わず暴れ回っていた。
ただ、非常に短い睡眠時間がある事が判明した。外敵から襲われない様にする為の草食動物の知恵だ。
ジヘッドには鋭い歯があり、噛み付いて獲物の肉を骨ごと喰い千切る事が出来る。肉食動物が草食動物の特徴を持っているのだ。
推察するに、いかに捕食者の立場にあろうとも、同じ捕食者に襲われる危険性がある環境下においては、ジヘッドもそういった進化をしねばならなかった事情があったと思われる。
無論、視力が全く無い理由は謎のままだ。頭が増える利点として、もしかしたら単純に戦闘力が増すからではないかとも考えはしたが……
サザンドラに進化するまではかなりの時間がかかると思われますが、その時はまた必ず連絡を入れます。
私はパソコンでの入力作業を一旦終えると、飼育室の中を見渡し、ジヘッドの姿を確認した。
この分厚い隔たりはマジックミラーになっており、こちらからポケモンの姿を見る事は出来るが、向こうから私の姿を見る事は出来ない。
サザンドラに進化した場合、サザンドラには目がありさらに獰猛になると言う情報があった為、相手を刺激しない様にする為の措置だった。
この措置には様々な理由がある。私が襲われない様にする事と、万が一にも私に懐く様な事が無い様にする為だ。
ポケモンの生態を調べる研究員として在籍して数年が経つ。教授から送られてくるポケモンの卵を孵化させ、進化したら野生に戻す。
その繰り返しの中で、ポケモンの生態を観察し、ポケモンが何故その様な歪な進化を遂げたのか、その理由を探っているのだ。
ポケモンは確かに多くの種類が存在するが、レッドリストに入っているポケモンも存在する。
即ち、絶滅寸前にまで追い詰められた種族。人間の乱獲や開発による環境の変化に耐えられず、数を減らしているポケモンが多くいるのだ。
特に顕著なのが今育てているジヘッドの様なドラゴンポケモンである。
元々希少種ではあったが、多くのトレーナーが捕獲した為卵が産まれず、数を減らしつつあった。
我々はドラゴンポケモンを卵から孵化して育てる代わりに、生態を研究させてもらう。
人間もポケモンも得をする、平和な取引と言えば聞こえは良いかもしれないが、実際は大変な事ばかりだ。
命の危険に晒される事も珍しくは無い。だが、私はこの仕事に誇りを持っている。
ポケモンの種の存続を守る事が出来る喜び、人間とポケモンの有効に携わる事が出来る喜びがあるのだ。
苦労も多いが、進化を果たして野生に帰す時の感動は言葉に言い表せない。それが私の生き甲斐となっていた。
ドラゴンポケモンの中でも、サザンドラはある意味『進化の究極体』ではないかと思う時がある。
実際にまだその姿を目にしたわけでは無いが、サザンドラは三つの頭を持ち、そのうちの二つの頭は脳味噌こそ持たないが目があって腕と同じ様になっているそうだ。
一つの脳味噌、つまり人格が統合された事で同じ生物間での仲違いは発生せず、さらに視認範囲も驚異的に広がった。
腕でもあり頭でもある部位は戦闘において無類の強さを発揮する。四方から襲われたとしても容易に対抗する事が出来るだろう。
私が考えるに、ポケモンは他のポケモンと競う様な形で戦闘力を増してきたのではないだろうか。
強い相手がいて、生態系の中で弱い立場に置かれる事を良しとしないポケモンが多く存在し、生態系の頂点に立つ為に強くなっていく。
そういう意味では人間と変わらないのだろう。強さに憧れ、強さを求めるのはどんな生物であろうとも変わらないと言う事なのかもしれない。
私は何気なく窓の外を見た。季節は冬。雪が降り始めている。
大きく伸びをすると私は立ち上がり、既に淹れておいたコーヒーを飲んで誰に聞こえるわけでも無い溜息をついた。
「随分と寒くなってきたな。先生の所は大丈夫だろうか……」
独り言。私の様に一人でこのプロジェクトに参加している研究員は数多くいる。
我々の上司である教授はここよりももっと広い研究施設でポケモンを飼育し、卵を産ませているのだ。
そして産まれた卵が定期的に私達のもとに送られてくる。家族のもとへ帰るのも、二週間に一度あれば良い方だった。
正直、寂しくないと言えば嘘になる。そんな私の孤独感を癒してくれるのも、ポケモンだった。
ジヘッドはこの環境にもすっかり慣れた様で、空間の広さを把握し、ここ数日に関しては頭をぶつける回数も減った様に見受けられる。
新たに購入した時間が来れば自動的に餌を出す装置のおかげで、噛まれる恐怖からも解放された。
「お、寝てる寝てる」
十分間の僅かな昼寝。こうした姿を見る事が出来るのも研究施設ならではと言えるだろう。
人間とポケモンは、相利共生の間柄なのではないだろうか。
人間はポケモンを捕獲して戦わせる。ポケモンは苦労していた餌探しの手間が無くなり、暮らしがずっと楽になる。
自然界にもこういった関係はあり、珍しい事では無い。例えば、花の蜜を食料とする鳥がいる。
鳥は花の蜜を食べる。花はその代わりとして、鳥の嘴を介して受粉を手伝ってもらう。お互いの利害が一致したギブアンドテイクの関係だ。
私のしている事も同じ事だと言える。卵を育てて種の存続に協力する代わりに生活の実態を教えてもらっているからだ。
人間とポケモンは太古の昔からそうして相利共生の間柄を保ってきた。謎の多いポケモンではあるが、自然界において確かな事が一つある。
全ての事柄において、無駄に発生したもの等無いと言う事だ。
草や木々は草食動物の為に勢力を伸ばし、草食動物はそれに従って増え、肉食動物は死骸となった後草木の栄養分となる。
ポケモンも必要と判断されたから生まれてきた生き物なのだろう。それは、人間やポケモンの存在を超越した『何か』の判断だったのかもしれない。
そして我々人類も必要とされ、進化してきた。このサイクルが続く限り、人とポケモンの協力し合う関係も続いていくのだろう。
私は先生に教えてもらった様々な知恵を活かし、この仕事に就いている事を誇りに思っています。
これからもこの仕事を続けたいと思っていますので、御教授の程、一つ宜しくお願い致します。
メールを打ち終わり送信が完了した事を確認すると、私は現時点までの報告書の作成に取り掛かった。
窓の外の雪は少しずつ強くなってきている。今夜も泊まりになるだろうが、泣き言を言っている暇は無い。
餌を食べているジヘッドの姿を横目で見ながら、私は再びパソコンの画面との睨み合いを始めたのだった。