ポケットモンスタースノウホワイト −吹雪の帝王ゴウセツ−

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ポケットモンスタースノウホワイト −吹雪の帝王ゴウセツ−
Missing Link1 『セピア色の記憶』
 コレは夢と友情を天秤にかけ苦悩する青年の物語である……

【ポケモン暦20年 カントー マサラタウン】

 若葉息吹く小さな街、マサラタウン……カントーの下部に位置しているこの街は、『始まりの街』の異名を持っている。
 この街で生まれ育ったユキナリも、『始まり』を予感させる実力を兼ね備えた青年だった。
「行け、フーディン!サイコキネシス!」
 鋭い目つきのままそのポケモンは紫色のオーラを放ち、相手フィールドの側にいたカイリキーを瀕死状態に追い込んだ。見事な勝利である。
「凄い、やったねユキナリ!」
 彼を誉め讃える金髪の少女は惜しみない拍手を送っていた。

「あっと言う間に勝っちゃったんだよ、キクノ姉!」
 マサラタウンにある一軒の家の中では、弱冠18歳にして街では負け無しと噂されているトレーナーに関しての話が続いていた。
「相性的にはユキナリが有利だったんだけど、もう完璧な勝利ってやつ?姉(ねえ)にも見せてあげたかったな……本当に凄かったんだよ!」
「そうだったの、良かったわねぇ……」
 銀髪の女性は椅子に座ったまま微笑んでいた。
「ユキナリはもっと強くなるよ、私には解るんだ。もっと強くなって……私とした約束を必ず果たせる。だから、私も頑張るの!」
 彼女、キクコとユキナリがした約束……それはリーグ制覇を誓ったものだった。誰もが抱いて、一握りの人間しかかなえられない夢……
 それであってもキクコは2人で夢をかなえてみせると燃えていた。頑なに信じていたのだ。

 一方ユキナリの方は自宅で物思いに耽っていた。
 (もう、教授が亡くなってから1年になるのか……)
 自分でも感じていた。周囲の期待と自分の夢に大きなギャップが生まれてしまっている事を。そして夢をかなえようとすれば一番大切な友を失う事になるであろうと言う事も。
 (そうだ……昔は俺もトレーナーになりたかったんだ。だけど……)

 マサラタウンに研究所を持つニシノモリ教授のもとに足を運んだのは2年前の事であった。当時既に優秀なポケモントレーナーだったユキナリは、興味本位でそこに出向いた。
 だがそこでユキナリを待っていたのは好奇心をくすぐられる数々の謎であったのだ。
「君がユキナリ君か。噂は聞いとるよ……随分強いトレーナーで負け無しじゃとな」
「いや、俺なんかまだまだ蛙の領域を出ませんよ……」
 そう言いながら彼は辺りを見渡した。様々な研究の為の器材が置かれている。
「そこにあるのが開発中のフードじゃ。いずれポケモンにとって最も効果的に栄養を吸収する事が出来るものを作りたいと思っておる」
 向こう側にはガラスで仕切られた部屋があり、ニドラン♂とニドラン♀が飼育されていた。
「二匹を育てておれば、いずれポケモンがどう誕生するのかその仕組みが解るじゃろうと思うてな。色々な意見があるがワシは卵から生まれるモンじゃと考えとる」
「教授……何の為にポケモンを調べているんですか?リーグ設置やモンスターボールの開発と確かに教授の功績には頭が下がりますが……」
「君達の様なポケモントレーナーの為じゃよ」
 ユキナリは教授の顔を見つめた。
「確かにそういう意見があるのは承知しておる。じゃが、それは結局トレーナーの為になるんじゃよ。
 戦う為の考察にワシの知識が力を貸す事にもなる……ワシはそう信じておるんじゃ」
 ニシノモリ教授は遠くの空を見つめていた。
「それにワシはもう長くない。調べられる時間も少ないじゃろう……しかし、ワシの研究の成果は残り、誰かがそれを引き継いで研究を続けていく。それも面白いじゃろうが」
 ユキナリは心の中でその言葉の重みを噛み締めていた。
 (でも貴方には子供がいない。その意志を受け継ぎ次のステップに進んでくれる人はもう現れないかもしれないんですよ……)

 家と研究所が近い事もあって、ユキナリはその日から何度もニシノモリ教授の研究所へ足を運んだ。
 そしてその度に色々な事を教授から吸収していき、またポケモン研究に関する好奇心もユキナリの中で増幅されていった。
 知りたい・学びたいと言う欲求はどんどん強くなりトレーナーとして研鑽を重ねる一方で教授の研究を手伝い始める様になっていったのだ。
「来てくれたのかユキナリ君……さぁ、こっちに来なさい」
 彼は何時も暖かくユキナリを迎え、そして会う度に様々な研究の成果を話して聞かせるのだった。
「今はまだ研究自体盛んに行われてはおらんから、生態がハッキリしているポケモンはまだ20匹かそこらしかおらん。
 じゃが、このカントーだけでも実際は100匹をゆうに越えるポケモンがおるじゃろう。他のエリアでならもっと……海外でならもっと……
 全てのポケモンを調べ尽くす事はワシの本懐じゃった……」
「そんなに沢山のポケモン達が……」
「そうじゃとも。生態を調べる事は前にも言った様にトレーナーの役に立つ。どんな技を習得しどんな風に戦うのか。
 トレーナーである君の為にも、いや全てのエリアで活躍するトレーナーの為にもポケモンを研究し様々な事柄を解析していく事は絶対に必要なんじゃ」
 ユシノモリ教授はそうやって熱心に話す時何時も瞳の奥に今も残る少年らしさを覗かせるのだった。その純朴で真剣な眼差しと志にユキナリはだんだんと心を動かされていく。

 教授が病に倒れたのは1年程前の事であった。ユキナリは事情があり数ヶ月間教授に会う事が無かったが、久しぶりに研究所を訪れた時空気の違いに愕然とした。
「教授……どうなさったんです!」
「なぁに……生きている者にならば必ず訪れる死がワシに誘いをかけてきただけじゃよ……もうすぐワシは逝く……
 生きている間に出来た事は決して多くは無かったが、それでも満足じゃ。それに君と言う面白いトレーナーに会えて楽しかった……」
「教授、諦めないでください。すぐ良い病院に行って治療を受けましょう。今ならまだ間に合……」
 教授はユキナリの訴えを聞こうとはしなかった。
「無駄に命を永らえさせるのは愚かな事だと思わんかねユキナリ君。それにワシは死なんよ。ワシの研究はコレから沢山の人間に愛され使われていく事じゃろう……
 そしてコレは死では無い。そんな単純なものでは無く、大いなる始まりでもあるのじゃよ」
「教授……」
 教授はベッドの傍らに置いてあった一冊の分厚いノートを取り出した。
「ユキナリ君、コレに君に渡そう」
「コレは……?」
「ワシが今までしてきた事、そしてやりたかったであろう事をまとめたモノじゃ。身寄りの無いワシが死ぬまで持ち続けていても何の意味も無い。君に譲渡したい」
「じょ、冗談でしょう。俺は一介のトレーナーで……」
「それで良いんじゃよユキナリ君。トレーナーである君に託してみたかった。これからの未来を背負って立つ有能な若者である君にな……」
 ユキナリは言い返す事も出来ず、黙ってそれを受け取った。
「さぁて、これからは雲の上から君達の活躍を見守る事にしようかね……」
 その数週間後、本当にあっけなく教授は息を引き取ってしまった。

 (これからの未来を背負って立つ若者に……)
 そして今、ノートを読みながらユキナリは考えていた。教授と約束を交わしたワケでは無い。
 しかしそれでも託されたと言う事実、そして彼自身の研究に対する情熱が日増しに強くなっていった事、だがその道に進む事は幼い頃幼馴染と交わした約束を破る事になる事……
「キクコ……許しては、くれないだろうな」

 まだニシノモリ教授と出会う前のユキナリは、何処にでもいるありふれたポケモントレーナーだった。
 それでいて強く、マサラタウンでは既に彼を評価する大人もいた程だ。そんな彼を友人であるキクコは誇りに思っていた。そして約束を交わしたのだ。
「ユキナリ、何時か2人で一緒に旅をしてジムリーダーに挑んで……リーグを制覇してチャンピオンの座を争いましょう!私達2人なら出来るわ!」
「そうだな、俺とお前なら出来る気がする……一緒に頑張ろう!」

 最初は本当にその夢を追いかけていた。だが今それは枷となってユキナリを苦しめている。さらにユキナリはつい最近キクコとの関係を深め遂に一線を越えてしまった。
 そこまでの間柄になってしまった彼女との約束を自分は平気で裏切れるのだろうか。
 (俺は最低だな……快楽を貪る為に嘘をつき続けて……解ってるんだ。何時かは夢をかなえる為にあいつに全てを話さなければならないと言う事も……)
 だが優柔不断で優しいユキナリにはその告白が重荷以外の何物でも無かった。早く言わなければならない。全てが手遅れになる前に……

 その日から数日が経過した。キクコは旅の準備を姉と共に進めている。18歳での出発はトレーナーとしてはあまりにも遅過ぎた。
 だが心配性の姉を説き伏せユキナリと旅に出る為にはそれだけの時間が必要だったのだ。それ故にキクコは焦りも感じていた。
 (人生はそこまで長くは無いし、チャンスは待ってくれない……今一歩を踏み出さなければこのまま一生が終わってしまう気がする……ユキナリと一緒に私は前へと進むんだ!)
 出発を控えた前日……ユキナリはキクコの家へと出向いた。決心は固かったハズなのにいざキクコの笑顔を見ると話す事への躊躇いが生まれてしまう。
「もう出発するだけよ!前から言っていたけど……もうそっちの準備は出来てるわよね?」
「その話なんだけど、お前に言わなくちゃいけない事があるんだ。俺、優柔不断で臆病だったから今までずっと言い出せなかった……」
「何の話?」
 言ってしまえばもう後には引き返せない。ユキナリは覚悟を決め、深呼吸をしてからその言葉を発した。

「俺、ポケモン研究者になる道を選びたいんだ」

「じょ……冗談でしょ?そんな事……」
「教授に色々な事を教えられた。そして学んだ……知識を、経験をそのフィールドで試してみたいんだ」
「何馬鹿な事を言ってるのよ!ずっと私を騙してきたの!?一緒にリーグへ行こうって約束してたじゃない!」
 キクコの表情には鬼気迫るものがあった。激怒しながらも感情が爆発したのか涙を流している。
「私は強いトレーナーのアンタが好きなの……そんな才能を持ちながら、逃げるって言うの?」
「逃げるワケじゃない。ただ、トレーナーよりも研究者になりたいと言う思いが強くなったって事なんだ。
 戦うって事を否定するワケじゃない。そんなトレーナーの為に……お前やキクノさんの様なトレーナーの役に立つ事をする……それは俺に課せられた責務だと思っている」
「他の奴等に任せておきなさいよそんな事……」
 憤怒の表情は既に無く、キクコはただ涙を流しながら歯をくいしばってこの現実に耐えていた。彼女には解り切っていたのだ。彼がもう自分とは違う道を進もうとしている事が……
「俺はマサラタウンで研究を始める……教授の意志を継ぐ。お前の期待には……応えられない」
「私は……この数年間ずっとアンタに踊らされてきたのね……道化だったわ……良い夢から覚めて、悪い現実が待ってる……それでも私は前に進む!アンタみたいに逃げたりしない!」
 キクコはもう泣いてはいなかった。
「さよなら……明日朝一番に町を出るわ。お別れね」
 キクコは階段を上がっていった。それと入れ替わりで姉のキクノが降りてくる。
「あらぁ、どうしたの?随分哀しそうな顔をしてるけど……」
「姉には関係無いよ……私、ユキナリと絶交する事にしたから」
「物騒な言葉ねぇ……」
 自室の扉が勢い良く閉まる音が聞こえ、ユキナリは肩を落とし拳を強く握り締めた。
 (当然だ……俺はお前をずっと裏切り続けてきた様なモンだったんだもんな……)

 翌日……キクコはマサラタウンを後にした。残されたユキナリはキクコのいない家に出向き、キクノと色々な話を交わす。
「俺は……最低ですよ。確かに夢ではあったけれど、一番の親友を泣かせてしまって……」
「だったら、貴方の夢をキクコに認めてもらえばいいのよ」
「認めてもらう……」
「研究の成果が人々に認められる様になれば、きっとあの子の考え方も変わってくるわ。
 そうすればまた仲良く出来るわよ、貴方は貴方なりに、あの子はあの子なりに頑張れば認め合えるでしょう」
「そうであってほしいんですけど……」
 トレーナーとしての道を捨てる覚悟……ユキナリはその日から戦う事をせず、研究に没頭した。
 哀しみを拭い去る為に、現実から逃避する為にひたすら打ち込み続けたのだ。新しい発見をする度に、研究者のしての喜びは増したが、孤独感は癒せなかった。

 それから数ヵ月後……キクノは一通の手紙を受け取った。差出人はキクコだ。
「順調に旅を続けているのならいいんだけど……」
 手紙の内容は驚くべきものであった。
『姉……ユキナリに伝えてほしい事があるんだ。もう私はアイツに会いたくないから姉に手紙を出したんだけど……私、妊娠してるみたいなの。
 姉には黙っていたけれど、多分……アイツと私の子供なんだと思う。その可能性しか無いんだよね。
 ただ、絶交した手前そういう話にはしたくないから、私が責任持って育てる事に決めたの。それだけ一応言っておこうと思って……』
 (ユキナリ君……何もかもが裏目に出るのねぇ)
 キクノは暫くの間呆然としたまま動く事が出来なかった。

 それから長い年月が経過した……ユキナリは研究者として有名になり、キクコはセキエイリーグの四天王にまで登り詰める事となる。
 キクコが産んだ子供は成長し、結婚して子供を設けたが交通事故により息子も結婚相手も死亡。3人の孫はキクコとユキナリが育てる事となった。
 全ての過去を暗闇で覆い隠し、グリーンとナナミはユキナリが、ヨミはキクコが育てたのだ。それは互いに相手の事を忘れ関係を断ち切ろうとした結果でもあった。

【ポケモン暦66年 カントー マサラタウン 病院】

 グリーンが見つめる窓の外には灰色の暗雲が広がっていた。雨は数日降り続いている。彼の陰鬱な気持ちを表現しているかの様だ。傍らには姉であるナナミも立っていた。
 (まさか祖父(じい)さんが倒れるなんて……)
 数日前までは元気だった博士は、突然体調を崩し救急車で病院へと搬送された。病状は芳しくなく、下手をすればあと数週間の命……
 2人はその宣告を突き付けられた時の衝撃から逃れる事が出来なかった。2人は毎日の様に病院へ通っている。
 既にグリーンはジムリーダーを引退しており、リーグ関係での問題は無かったが、彼の親友との連絡はなかなか取れなかった。
「アイツ、何処にいるんだか……ニュースを見てないのか、それとも理由があって来れないのか……」
「心配をしても仕方が無いわ。今ココにいる私達でお祖父さんを見ていないと……」
 まだ昏睡状態から回復はしていない。このまま二度と起きぬ事も有り得る……別れの言葉も告げさせてはくれないのだろうか……そんな不安が常にあった。
「そういえばマリンちゃんがレッド君を連れてくるって言っていたけど……」
「それも捕まればの話さ。今日マリンの方は来るって言ってた」
 その言葉の後で扉がスライドし、マリンが姿を現した。背後にはレッドも立っている。
「遅ェよ……」
「悪い。ロクにニュースも見てなかったモンだから知らなかったんだ」
「何とか連れてこれて良かったわ。そもそもアンタが一番博士に目をかけてもらってたじゃない」
「愛されてたのはどっちかって言えば当然グリーンとナナミさんだろ。サポートはしてもらってたけど。ともかく間に合って良かった……恩人である事には変わりないからな」
 その場にいる全員が疲れ果てていた。恩師の死……育ての親の死……重過ぎた。何時かは訪れる人の死であってもその近くにいる人物はなかなかそれを認められない。
 こうして認めてしまうと、今度は深い絶望感と哀しみが襲い掛かるのだ。死は確実に迫ってきていた。

「バァちゃん……オーキド博士が倒れたって」
 新聞を読んでいたヨミがそう言った時、キクコの顔色が少し変わった。
「どうせ過労で倒れたとかそんな事だろう?そう簡単にあのジジイがくたばるもんかね」
 椅子に座ったままキクコはテーブルの上に置かれていたティーカップを取り、紅茶を飲んだ。だが何時もとは違い僅かにその手は震えている。
「病院名は伏せてあるみたいだけど、病状は悪化する一方だって……」
「くたばるんならそれで良いさ。せいせいするよ」
 だがキクコの心の中は発した言葉とは違う感情が渦巻いていた。
(倒れた……ユキナリが……死ぬ?まさか、こんな早くにアンタが死ぬワケは無いよね。私を動揺させようとしたって意味無いわよ)
 40年以上も、直接の顔合わせはおろか連絡も取っていなかった相手だった。自分から絶交すると言ってそれを守ってきたと言うのにそれを破れるハズは無い。
 キクコは昔のユキナリの様に心を大きく揺らしていた。
 (……もう、40年以上……アイツはずっと私に会えなかった事を哀しんでるんだろうな……自業自得とは言え、私も周りの人間が死んだりしていくと……)
 キクコもユキナリと同じ様に他人の死を見る程の歳になっていた。若い頃は感じなかった『死』が、今やかつての親友にもゆっくりと迫ってきている。
 (もう良いんじゃない?時効だよ。このままアイツが死んだらきっと後悔するよ?今すぐ行こうよ。病院だって検討はついてるんだからさ)
 キクコの心の中でそんな声がした。
 (自分がされた仕打ちを忘れたワケじゃ無いでしょう。裏切られて、孕まされて、結局その子供を育てたのは私……孫の2人ならともかく、死ぬまでアイツとは会うべきじゃ無いわよ)
 彼女は葛藤を続けていた。決めるのは自分なのだ。なのにどうしてもすぐには決められない。
 (嗚呼、そうか……アンタもこうやって苦しんでいたんだね……)
 若い頃の彼の悲しそうな顔が頭に浮かんだ時、彼女は決意していた。

 病室に医師と看護婦が入ってきた瞬間、彼等はそちらを凝視した。
「ご遺族の方にお伝えしたい事がありますので、医務室へご足労願えないでしょうか」
 博士を担当していた医師がそう言うと、グリーンとナナミは腰を上げた。2人が病室を出ていくと、マリンとレッドだけが取り残された形になる。
「……思えば、俺とお前が出会えたのも博士のおかげなんだよな」
「そういう事になるでしょうね。博士の提案が無かったらアンタはあの街から出なかったかもしれないし、出たとしてもジムに足を運ぶ事は無かったでしょ」
「色んな事があったな。その時も博士はずっと俺達の為に頑張ってくれていた……」
「全てのポケモントレーナーの為にね。なかなか出来る事じゃ無いわ」
 暫く2人はそのままの状態で座ったままだった。この状況でどんな会話をしても心は重くなるばかりだ。病室を出た2人が羨ましいとさえ感じた。
「……この後どうなるんだろうな」
「ナナミさんはもう成人してるし、グリーンだって実力はあるから食べていけるとは思うけど……2人はそういう事を心配してるんじゃ無いわよね」
 育ての親の死……親がいるレッドにはグリーンやナナミの心境がそこまでは解らなかった。本当の親の事をどう思っているのだろうとか聞きたい事はあるが聞けはしない。
 何よりその部分が曖昧になっている為にそれを詮索する事を無意識に避けていたのだろう。

 それから時間が流れ、2人が戻ってきた後用事の為レッドとマリンが病室を後にした。恩師と言えど、自分のプライベートを犠牲に出来るのは血の繋がっている者だけだ。
「そういえば、リーグ休暇は今日からね。キクコさん……来てくれないかしら」
「どうだろう。姉さんも知ってるとは思うけどあの2人仲悪いからな」
「仲が悪いから離れている……本当にそうなのかしらね……」
 ナナミはキクコの気持ちを少しだけ解していたのかもしれない。それは同じ女性だからこそ知っている、失恋の痛みの感情を解していたと言う事だった。
 (キクコさんはきっと来る……それでもきっと来る。私は信じるわ……)
「そろそろ姉さんは帰りなよ。夜も遅くなってきたし、今日は俺が寝泊りするからさ」
「……また戻ってくるわ。色々しなきゃいけない事もあるから……」
 ナナミがそう言って扉の前に立ち、扉が開いた瞬間目の前にキクコが立っていた。
「ジジイがいる病室はココで合ってる様だね」
「キクコさん……!」
 キクコは寝ている博士の方を一瞥すると、すぐにナナミの方へと視線を戻した。
「もう帰るのかい」
「いえ、一旦戻ってまたこちらに戻ってくる予定ですが……」
「すまないけどね……2人とも席を外してくれないか。今日は私がジジイを見てるよ。何かあったらすぐに報せるからさ」
「でも、それは……」
「頼むよ」
 キクコの瞳は何時もとは違い綺麗に透き通っていた。ナナミはその澄んだ瞳に何かを感じ、グリーンを呼ぶ。
「……行きましょう」
「でも俺達だって……」
「ココは2人きりにさせてあげましょう。グリーンだって知っているでしょう。もう40年以上も会っていないのよ」
「……解ったよ、姉さん」

 未だ昏睡状態から醒めない博士を横目に見ながら、キクコはゆっくりと腰をおろした。
「フン……私を裏切って逃げ続けた結果がこのザマかい。最初から解ってたんだよ私は。
 アンタみたいな人に優しくしようとする奴は頑張り過ぎて倒れちまうんだ。そうなっても私の事を案じていたんだろう?姉から聞いたよ」
 勿論博士はその言葉に応えない。応えられない。
「姉も私も四天王……アンタだったらきっとチャンピオンにだってなれたハズさ。
 結局全てを捨てちまったのさ。それでも諦めきれずにいたんだろう?捨てた私と言う存在を拾おうと必死になって、私はますます意固地になって……」
 何時の間にかキクコの頬には涙が伝っていた。
「私が喋ってるんだから何とか言ったらどうなんだよ!」
 呼吸器を付けられた博士の顔には既に死相がくっきりと浮かび上がっていた。全て手遅れだ。本当は話したかったのだ。昔の様に屈託の無い話を思う存分したかった。
 お互いを認め合っていたあの頃と同じ様に……
「アンタはまだこんな所でくたばってる場合じゃ無いだろう。まだ今からだってやり直せるじゃないか。私とした約束は今からだって守れるんだ。研究はもう充分しただろう!?」
 キクコは泣き崩れながら博士の腹に手を被せた。椅子から転げたが構わず彼の顔を見つめ続ける。
「目を……覚ましてよ……」
 呟く様に、彼女は言葉を発したが博士の耳には届いていなかった。

「……ユキナリ、こんな所にいたの」
 広い草原の中声をかけられユキナリは振り返った。キクコの後ろにはキクノもいて、キクノはランチボックスを持っている。
「たまには外で食事も良いんじゃないかと思ってねぇ。ユキナリ君の分も用意してきたの。一緒に食べましょう……」
「姉の作ったのを残したら承知しないからね!」
「ああ、解ってるよ」
 ユキナリは笑顔を見せ2人の方へ近付いた。その瞬間地面が裂け、ユキナリは亀裂の中に落ちそうになってしまう。キクノは何とかユキナリの腕を掴み上げようとした。
「頑張って、もう少しだから!」
 しかしキクコの方は冷たい目をしたまま動こうとしない。
「何をやっているの。早くユキナリ君を助けないと!」
「こんな奴助ける価値無いよ」
 キクコの手には毛布に包まれた赤ん坊の姿があった。

「……許してくれ、許して……」
 博士のうわ言にキクコは顔を上げた。
「しっかりするんだよ、目を開けるんだ!」
 その言葉に反応するかの様に博士は静かに目を開いた。
「……ココは……」
「病院だよ。アンタは倒れて運ばれてきたんだ」
 まだ意識がハッキリしていないのか、博士の瞳は虚ろだった。
「まだ、夢の続きなのか……お前がいるなんて」
「馬鹿だねアンタは。夢じゃ無いさ現実だよ。私はアンタが倒れたって事を聞いて飛んできたのさ。流石に会っておかなきゃいけないと思ってね」
「……そうか……有難う……」
 キクコにはもう博士の先が長くない事は解っていた。死神の手招きを受けているのだ。表情からは生気が全く感じられず、顔面は蒼白だった。
「ワシは愚かだった……お前との約束を守ってさえいれば……」
「私だって同罪だよ。アンタを許さなかった事が結果的にアンタの命を縮めちまった。もっと早く気づいておくべきだったよ。
 こんな土壇場にならないと解らないなんて馬鹿だね……私は本当に馬鹿だ」
 キクコはもう泣いてはいなかった。月の明かりが静かに薄暗い室内を照らしている。
「頼む……2人を……助けてやってくれ……」
「解ってるよ……ヨミと同じ様にあの2人も私の孫だからね。アンタもビクビクしてたろう。真実が明らかになってしまったらってね……」
 2人で過去を隠蔽していた。2人の過去を正しく正確に知っている人間は殆どいない。2人が子供を設けその子供がグリーン・ナナミ・ヨミを設けた事は禁忌の情報である。
 根も葉も無い噂を流しそんな真実を霧の中に隠していった。絶交したハズの2人で……
「直接的な援助は出来ないけれど、まぁ私の力が無くてももう大丈夫だよ。アンタのおかげで大きくなれたって2人ともアンタに感謝しているだろうしね」
「……そうだな……」
 再び博士は意識を失った。

 それから2日後に博士は亡くなった。64歳と言うあまりにも早過ぎる死であった。
 葬式には彼を慕うトレーナー達が全エリアから集まり涙を流し、弔辞はグリーンが読み上げ棺は静かに運ばれていった。
「バアちゃん……会っておいて良かった?」
 普段と変わらぬ黒服のヨミがそうキクコに尋ねた。キクコは暫く黙っていたが、立ったまま憂いに満ちた表情で静かに応えた。
「どうだろうね。私にも解らないんだよ」

 憎み続けてはいたものの、キクコにとってユキナリは欠けてはならないパズルピースの様な存在だった。
 彼が消えてしまってからと言うもの、彼女の気力は失せ、呆けながら外を眺める事が多くなっていたのだ。
 (私自身は変わっていないハズなのに、随分とまぁ周りが変わってしまったもんだ)
 景色に色が付いていない様な気がしていた。空虚な思い……大きな喪失感。
 1人の人間の死から彼女はどうしても立ち直る事が出来ず、そして生への執着も薄れていった。

 ユキナリの死から約1年経過した頃、キクコは倒れ病院へと運ばれた。生きる意志が感じられず余命数日と診断され、ヨミは深い絶望感に包まれる。
「私にはバアちゃんしかいないの!頼るべき人も、家族も……私にはもう1人しかいない!助けて……誰か……」
 病室で未だ意識を取り戻さないキクコの手を握りながら、ヨミは嗚咽を漏らしていた。

 そしてその報せは彼女と戦い勝利した者達にも伝わる事となる。
「キクコさんが倒れたんだって……」
「博士の死から1年位は経ってるが、まさかあの人が倒れるなんてな」
「やっぱり俺達以上に祖父さんの死がショックだったんだろう。見舞いに来てくれた恩義もあるし、行った方が良いんじゃないのか?」
 グリーンの提案に対して、マリンは首を横に振った。
「あの人は自分の弱い所を見せたがらない人だった……行っても追い返されるのがオチよ。それにそう簡単に死ぬ様な人じゃ無いわ。信じましょうよ……回復する事を」

 爽やかな風が吹き渡る草原の中、キクコは佇んでいた。
「ココは……何処?」
 記憶の中に全く存在しない場所に立っている事が少し怖くなり、彼女は周囲を見回す。遠くに人影が見え、そしてその人影がだんだん近付いてくる事が解った。
「迎えに来たぜ」
 それはあの頃の……彼女と共に生きていた頃のユキナリの姿であった。そしてキクコも自分があの頃の姿である事を認識した。
「私もヤキが回ったモンね。姉より先に逝っちゃうなんてさ」
「……寂しかったか?」
「正直に言うとそう。アンタがいなくて寂しかった」
 もう彼の前で見栄を張ったり取り繕うつもりは無かった。彼もまた正直に生きてきた……それを今更貶すつもりも無い。2人はお互いの人生を振り返り、他愛の無い事を語り合った。
「俺のせいでお前の人生の歯車が狂っちまったんだよな……」
「もう良いよ。アンタも私も……充分苦しんだでしょ。私はもう、責めたりしない」
 ユキナリは微笑むと、寝そべりながら青空を見つめた。
「昔はこうして……一緒に歩いていたハズだったのに、色々変わっちまった。でも俺は……自分に嘘をついてまで生きていたくは無かったんだ」
「アンタは昔から不器用だったもんね。真面目だけど、人の心の痛みをあんまり理解出来なかった所があるから……それもまぁ人の個性っちゃ個性だけど」
 今のキクコは満たされていた。コレからは2人で一緒に歩いていけるのだ。障害も苦難もこの場所には存在しない。全ての苦痛から解放される。
「もう、一生懸命になる必要は無い……お前とずっと一緒に居たいんだ」
「たまには昔みたいに私とバトルしてよ。そういう部分で心残りだった事があるんだからさ」
 ユキナリは頷くと立ち上がり、キクコの手を握り共に歩き始めた。その先には輝く光が見えている。その光に導かれる様に2人は歩き続けた……

「ご臨終です」
「うう……うあああああ……」
 最早言葉にならない声を発しながらヨミはキクコの遺体にすがりついた。涙は止まらず、その思いを涙で消し去るにはあまりにもショックが大き過ぎる。
 こうして彼女もまた戦いの世界から去っていった。享年65歳。研究に人生を捧げたユキナリとは対照的な人生を送った彼女であったが、本質的な部分では彼と変わりはしなかったのかもしれない。

 若い頃の2人を知るキクノは、妹の死に対してかなりのショックを受けていた。それでも彼女は挫けず現世を歩き続ける事を誓った。
 そういう意味では彼女はキクコより心がずっと強かったのかもしれない。2人の墓は隠された真実を伝えるかの様に隣同士に建てられた。2人は密かにその要望をキクノに伝えていた為それが実現したのだ。
「2人とも……よく頑張ったわね。静かに眠って頂戴」
 キクコの死から数ヶ月経過した後、2人の墓前でキクノは誰に言うでも無くそう呟いていた。後に彼女はヨミに真実を伝える役目を担う事となる。

 2人の死は1つの時代の終わりを示していた。リーグの創設から始まった戦いの時代はレッドやゴールド、ハギリ等と言った兵を生み出し、またポケモン研究においても次々と新しい発見が成された時代だった。
 そしてこの1年後、白き物語が始まるのである。

 古き者の消滅は、必然ではあるが同時に新しい風をも吹かせるのだ。

■筆者メッセージ
新シリーズ『ブラック』と『ホワイト』の間もしくはその物語の前に
あった出来事をまとめたミッシングリンクシリーズ第一弾です。
本編と直接の関わりは無い為この物語だけでも、もしくは本編のみでも
充分に楽しめる様になっています。しかし、2つの物語を繋ぐこの
短編達を読めば、隠された真実も明らかになってくる事でしょう。
夜月光介 ( 2011/08/22(月) 16:35 )