第5章 4話『敗北の味』
(ドシャヘビのスピードをもってしても捉えられる相手だろうか……いや、深手とは言わなくてもかなりのダメージを負っているドシャヘビにそれを頼むのは酷だ。まずは様子見かな……)
『カポエラー……バルキーから進化するポケモンの一種。進化形態の中では一番最後に発見された。じめんと格闘と言う珍しい組み合わせで、『穴を掘る』を覚える事が出来る優秀なポケモン。
相手と戦う時には頭についている棘を軸に回転して戦う。それ故に攻撃軌道がなかなか読めない』
「特殊能力は……」
『特殊能力・気張り……相手の攻撃を受けてもフルパワーで戦う事が出来る』
「最後まで全く油断が出来ない相手って事か……ドシャヘビ、まずは離れて毒液だ!」
『おう!さっきの様なヘマはしねえぜ!』
『フフフ……僕の回転は速いですよ。そのスピードについてこれますか?』
修練者が高らかに、再び戦闘開始の旗を振った。
『両者、戦闘開始!』
その声がした瞬間からカポエラーは回り始めていた。凄まじい回転で姿がおぼろげにしか見えない。
『竜巻みてえなヤローだな……あ、危ねえッ!』
ドシャヘビに接近してきたのはほぼ一瞬であった。紙一重でそれを避けるが、またカポエラーは巡回して体当たりしてくる腹だろう。ドシャヘビは毒液を放ったが、全て弾き返されてしまう。
『な、何てヤローだ……俺の毒液が全く通用しねえ……それに組み付こうにもあんなのに飛び込んでいったら弾き飛ばされるのがオチだ……くそっ、手の出しようが無えとは……』
「この勝負はトウコの勝ちだな。打つ手が無くなれば卑怯な不意打ちも効果は無い」
(そうよ、そうこなくっちゃ!どうせユキナリが出してくる次のポケモンだって、勝てるハズが無いわ!)
だがカポエラーも、回っている限りは大まかな軌道変更しか出来ず、逃げ回るドシャヘビを捉える事が出来ないでいた。逃げ足は相当のものである。
『クソッ、足も無いのにあの速さはなんだ!この僕よりも速く動き回れるなんて……』
「でも、逃げているだけじゃあ攻撃なんて出来ないし、あれじゃ生半可な飛び道具は弾き返されちゃうよ……」
「カポエラー、相手の動きを見るのでは無い。心眼を使うのだ。感じるままに動けば良い」
『こころのめを使うんですね?そうか、それならあいつの動きを予測して攻撃出来る!』
「ドシャヘビ、相手はこころのめを使ってくる気だ。必ず攻撃が当たってしまう……君ならどうする?」
『必中なら避けられはしないだろうが、それで負けるワケじゃ無え。いくらでも策はあるぜ』
ドシャヘビはカポエラーを睨み付けると、事もあろうにカポエラーに突進していった。
『ハハハ、僕の心眼に恐れをなして暴挙に出たか!無駄な足掻きだと解ったのかな?』
「!?いかん、やめろカポエラー!奴の目が勝利を確信している、一旦距離を取れ!」
『マスター、圧倒的優位に立ちながら逃げる手は無いでしょう。この一撃で決めて見せます!』
トウコの命令を無視して、体当たりをくらわせるカポエラー。ドシャヘビは空高く吹っ飛んだ。
「HPはまだ残ってる……真正面から見据えていたから攻撃が深く入らなかったのか……?待てよ、ドシャヘビが何をしようとしているのか解った!ドシャヘビ、ポイズンクローだ!」
『まだバトルの本質ってモノが解ってねえみてえだな。相手にダメージを与えるだけを優先するのは良いが、アンタの場合は攻撃の際相手を真上に打ち上げる事がある様だ』
「やはり……防御が手薄な真上を狙うか!カポエラー、メガトンキックで返り討ちにしろ!」
『クッ!お前の思い通りになってたまるか!』
相手を見据え、回転を止めるとカポエラーは構えを取った。完全にドシャヘビを迎撃するつもりだ。だがカポエラーは戦略を間違えていたのかもしれない。
止まってしまった時点でドシャヘビの思う壺だった。回転さえしていれば真上からでも回転を上げて攻撃を弾き返せたものを。
『シャーッ!俺の毒撃を甘く見るなよ!』
カポエラーの頭に猛毒が染み込んだ爪が襲い掛かり、深い傷をつけた。あまりの激痛に倒れこんだ彼の腹にまた一撃が加えられる。こうなってしまうと自身のプライドが高いポケモンは為す術が無い。
『どうした、どうした!さっきの勢いはどうしたコラァ!』
『痛い……頭が割れそうだ……マスター……そんな、今まで一度も動きを見切られた事が無い僕が……』
意識を失うカポエラー。その時点で勝敗は完全に決していた。
『ドシャヘビの勝利!トウコ様のポケモンは、次のポケモンで最後となります!』
だがこれ程の差を付けられても尚、まだトウコは動揺の色を見せなかった。彼女には切り札があったのだ。あのホクオウを梃子摺らせたポケモン……驚異的な攻撃力を持つポケモンを!
「ドシャヘビは攻撃を何度もくらっている……でも何とかここまで持ちこたえてくれた。やっぱり強い……でも流石にドシャヘビもHPを赤まで減らされては……」
『解ってる……一撃でも与えてHPを出来るだけ削り取っておくさ』
「見事だ、ユキナリ……ココまで私を追い詰めるとはな。流石はアオヤマの息子だけある。偉大なポケモントレーナーの血を受け継ぐ者よ、私の最後の試練を受けよ!」
トウコがそう言ってフィールドに出現させたのはハリテヤマだった。
『ハリテヤマ……その巨大な体躯から繰り出される張り手や四股は恐ろしく強力で、また驚異的な耐久力を持つポケモンとして恐れられている。
独特の格闘技を覚える為素人には扱うのが難しいとされているが、使いこなせれば格闘技のプロとしてトレーナーを支えてくれる事だろう』
「特殊能力は……」
『特殊能力・重厚脂肪……打撃技のダメージを半分にしてしまう』
「打撃技がダメとなると、やはり特殊能力か……」
「最後のポケモンなのに、やっぱりトウコさんは余裕の表情だね」
「あのハリテヤマは特別なのよ、姉様にとって本当の信頼が置ける歴戦の兵だわ……ユキナリがそんな強いトレーナーだなんて思わなかったけど……
所詮姉様の敵じゃ無かったわね。コレで全てが解る……」
『試合開始!』
開始の瞬間、ドシャヘビは倒れて動かなくなっていた。白目をむいて倒れている。
『ドシャヘビ戦闘不能!挑戦者は次のポケモンを出してください!』
「え……?」
命令を出そうとしていたユキナリは呆気に取られた顔でハリテヤマを見つめていた。そんな馬鹿な……どうなっているんだ?と言った表情である。
「ユキナリよ、疾風の一撃は常人には見えない。私には見えていたぞ……娘のハリテヤマはその一撃が凄まじく強力なのだ……勝負をあっという間に決してしまう」
「今のはHPが少なかったから一撃で決まった様なものじゃろう。まだ勝敗の行方は見えんよ」
(……見えなかった……ハリテヤマが一撃を加えたのが……トレーナーに目視確認させないなんて……)
「あんなのと戦うの?嫌だなあ……ユキナリ君だって困ってるよ。僕だって……」
『ハアァ……早く次の対戦者を出すが良い。全て我輩の敵では無いわ……』
ハリテヤマの瞳が妖しく光り、ユキナリを焦らせていた。次はどのポケモンを使えばいいのだろうか……
(焦るな、まだ2匹残っている。HPも満タンの状態でだ。その攻撃力に対抗出来そうなのはやはりルンパッパとヒザガクンか……
特にヒザガクンは空中に浮いているからアドバンテージを取れるハズ……大丈夫だ、勝てない相手じゃ無い!)
元々考えていたセオリー通りに、ユキナリはルンパッパを出現させた。
『ガーッハッハッハ!ワシを呼んだか?マスター』
「ルンパッパ。相手は予想以上に強いんだ。打撃は控えて、特殊攻撃に集中してほしい」
『そうかそうか、まあ大船に乗ったつもりでいてくれい。何とかしてみせるからの』
「ユキナリ君のポケモンだって力を確実に上げているんだ、勝てるさ……」
既に準備万端と言った風で2匹は互いを睨み付けている。ココが勝負所だった。
『試合開始!』
「よし、ルンパッパ……距離を取ってハイドロ……ああっ!?」
その瞬間、ルンパッパは張り手の一撃をくらって壁まで吹っ飛ばされていた。衝撃波だけが見えた気がしないでもない……それ位の素早い一撃だった。まるで赤子扱いだ。
『マスター、相手もかなり防御力が高い様だ……今の一撃を喰らっても昏倒していない』
『イテテテ……なかなか相手もさるものじゃな。じゃが、ココで気落ちしては勝てんよ……』
「ルンパッパ、ハイドロポンプでお返しだ!」
ルンパッパの頭から凄まじい水流が飛んでくる。だがその動きはあくまで目視確認出来る程度の速さでしか無い。何時の間にかハリテヤマはルンパッパの背後に回っていた。
またもや後ろから攻撃され、無様に床に叩きつけられるルンパッパ。ダメージはそれほど受けてはいないものの、攻撃が当たらなければ負けてしまうのは必至だ。
「瞬間移動でもしたみたいだ……ハリテヤマの動きが全く見えないなんて……」
「良いぞ、ハリテヤマ。そのままだいはりてを組み込んだ連撃に移れ」
『フウ……ゴアアアアッ!』
全く相手に反撃の隙を与える事無く、ハリテヤマの攻撃が床を思いっきり揺らした。張り手の連打にひるんだ所に巨大な一撃がルンパッパの顔を潰した。
のけぞったルンパッパはそのまま倒れこんでしまう。HPは既に半分を切って赤に近付きつつあった。
「タフじゃのう。あれ程の攻撃を受けてもまだ余力が残っているとは……」
「これが姉様の真骨頂よ。解るでしょう?」
「ユキナリ君……」
(なんて強いんだ……話にならない……最後の切り札がココまで強かったからトウコさんは余裕を見せていたのか……いや、弱気になっちゃいけない。負けるワケにはいかないんだ!)
『最後のチャンスを無駄にはせんぞ……来い!』
立ち上がったルンパッパは口から血を流しながらも鬼の形相でハリテヤマを睨みつけた。その凄まじい気迫に一瞬、ハリテヤマも動きが鈍る。その一瞬をルンパッパは見逃さなかった。
『ワシのマスターはワシの親同然なんじゃ、育ててくれた恩義を、返さなければならん!』
渾身の頭突きがハリテヤマに炸裂した。殆ど無意識に繰り出した頭突きは、ハリテヤマでも捉えられない程速かったのだ。何かを考えてもいなかった……その為追い討ちがかけられない。
「ルンパッパ、追撃だ!このチャンスを逃しちゃいけない!」
「ハリテヤマ、体勢を立て直し落ち着くのだ!タフな相手に焦るのは愚の骨頂だと言う事が解らんか!……お前も充分鍛えているからな……」
「何て事だ……ユキナリ君のルンパッパが繰り出した一撃が、少ししか相手のHPを削っていない……渾身の一撃だったハズなのに……怪物だよ、あんなの……」
「道場で最も心技体を極めしトウコが認めたパートナーだ。毎日毎日特訓を重ね、無我の境地にまで入り込んだ……精神力も体力も戦力も、今までの相手とは違って当然だろう」
『ハア……ハア……ワシの攻撃が少しも効いておらん……どうなっておるんじゃ……』
『それはな、我輩とお前が歩んできた道の違いを明確に示している証に他ならぬわ!』
ハリテヤマの一撃が再びルンパッパを壁に叩きつける。ルンパッパのHPは残り僅かとなった。
「もう、ダメか……ヒザガクンでも、あそこまで強い相手に立ち向かえるかどうか……」
『己の無力さを呪うが良い!』
ハリテヤマは壁に叩きつけられたルンパッパに向かっていった。そして最後の一撃を……だが、執念はハリテヤマより上だった様で、張り手を何とか避けると、ルンパッパは相手に組み付く。
『小癪な真似を……サッサと離れろ!』
『ワシの必殺技はハイドロポンプだけでは無い……接近戦でも充分通用する技がある……』
ルンパッパはそう言うと、体からエメラルドグリーンに輝くオーラを放ち、相手の動きを封じた。
「ほう、あのポケモンも凄まじいオーラを放つ実力を持っていたか。気力では勝っている様だな」
「そうか!……ルンパッパ、新しく覚えた『ギガドレイン』を使うんだ!」
緑のオーラがハリテヤマの体内からパワーを吸収していく。ハリテヤマのHPがガクンと減った。
「ひざしが強い状態でも無いのに吸収力が凄まじいね……瀕死に近かったからかなあ……」
「何をしている、ハリテヤマ、そのまま組み付かれていては負けるぞ!振りほどけ!」
『ぬうあッ!』
ハリテヤマは背中にしがみついているルンパッパを捕まえると、背負い投げを決めてみせた。
床に勢いよく叩きつけられるものの、ルンパッパは黄色までゲージを回復させていた為赤に少々近付いた程度であった。対してハリテヤマはゲージの半分以上を吸い取られている。
『馬鹿な……我輩がこれ程のダメージを与えられるとは……何と恐るべき執念なのだ!』
ハリテヤマは内心動揺していたが、倒れたハリテヤマを掴むと壁に投げて再び叩き付けた。その時点でルンパッパのHPがゼロに達する。
『ルンパッパ戦闘不能!よって挑戦者も最後のポケモンを出して頂きます!』
「もつれこんだか……やはりな……しかしハリテヤマも厳しいダメージを負ったモンじゃ……」
「そんなハズ無い……姉様は絶対負けないハズだもの!……ダメージなんて……」
「まさかココまで良い勝負を見せてくれるとは、正直思っていなかったぞユキナリ……我が愛娘よ、勝負はまだ決しておらん。
確かに不利ではあるが、それを跳ね返す知恵を教えたハズだ。諦めた瞬間にその者の敗北が決まるのは解るだろう」
「解っております、父上……どうやら、私の思う通りの結末が近付いているのかもしれん……ユキナリ、お前は確かに強い……だが、ハリテヤマの恐ろしさは身にしみただろう。
不可能を可能にするのがこの私だ。劣勢など、あっという間に跳ね返してみせる!」
(そうだ……驚異的なタフさだった……だけど、僕の切り札は格闘タイプに絶大な効果を持つヒザガクン……しかも空中に浮いているからハリテヤマの動きも制限される。勝てる!)
ボールから出てきたヒザガクンは、フワフワ空中を漂いながら相手の動向を伺っていた。
『ねえユキナリ君、ボクの出番って事は……皆負けちゃったの〜?』
「まあね……ジムリーダーだもの。ここまでもつれこむのが普通だよ……」
『何だ、ボクが最初に出てきたら絶対に4匹まとめて倒してあげたのに。見せ場を取られちゃったんだ。残念だな〜。まあ、別に良いけどね〜……』
『我輩達を侮辱する気か、貴様!……トウコ様の機嫌を損ねる様な発言をしおって……』
「落ち着け……冷静にならぬと勝てるものも勝てんぞ……そこまで大口を叩くからには、相応の力を持っているのだろうな。期待しているぞ……」
(無茶な発言するなあ……命令を下す僕の身にもなってよ……そんな挑発しないで……)
『まあすぐに解るさ〜、ボクの実力がどれ位上がっているのか、すぐにね〜……』
『最終試合、開始!』
勝負を決しようと張り手で迫ってきたハリテヤマだったが、空中に飛び上がったヒザガクンはエアロブラストを発動していた。巨大な風の渦がハリテヤマを飲み込んでしまう。
『ウオオオ……馬鹿な……こんな技を覚えていたと言うのか……無念!』
『ね、他の3匹だってボクだけで倒せたっての、納得出来た〜?』
竜巻となった風の渦はハリテヤマの体を切り刻み、そして勢いよく壁に叩きつける。
『あれ、まだHPが残っているよ。しぶといなあ〜。流石ジムリーダーのポケモンだよね〜』
もう一度エアロブラストを出そうとした刹那、ハリテヤマの掌底から紫の炎が飛び出した。
「!?いかん、それは禁止事項だ!公式試合でそれを使うな!!」
トウコの叫びは遅かった。炎はヒザガクンを燃やしたが、ヒザガクンは平気の様だ。
『そこまでダメージは受けないみたいだね〜、ボクに実体が無いから、かな?』
ゴーストタイプのヒザガクンには炎は効かないのだろうか……いや、ヒザガクンは強がっているだけであった。HPの半分程を削り取っている。充分な攻撃力があるのだ。だが……
『マスター……申し訳ありませぬ……一矢報いなければ、他の者達が可哀想、で……』
炎は自らのHPを減らして出したものだった様で、結局ハリテヤマは倒れてしまった。
「……禁止事項の紫炎拳を使ってしまった……それどころか実際にも負けている……完敗か……」
「トウコ……修行が足りん!モンスターにはその技を使わせるなと何度も言ったハズだ!その掟を破るとは……負けて当然!もう一度己を見つめ直してみるが良い!」
「父上……申し訳ございませぬ……父上に顔向け出来ぬ失態を演じてしまい……」
トウコは涙を流して床に崩れ落ちた。ユカリも涙を流して膝をついていた。
「嘘、よ……姉様が負けるワケ無い……何かの間違いだわ……違う……」
公式試合のルールでは、ポケモンが習得する技以外の技を使ってはいけない事になっている。
つまり、技マシンに登録されている以外の技を使うと不正と見なされ、その時点で反則負けとなってしまうのだ。今回の場合はどちらにせよ負けているのだが……
「……いや、エンカイ殿。ハリテヤマの気持ちも解らぬでもない……仲間に酷い事を言ったヒザガクンに報いる為の苦肉の策だったのじゃ……」
「それでも反則には相違あるまい……困ったものだ。娘もよもやこんな失態をポケモンに演じさせるとは思わなかった……ユウスケ、次の試合は私と行おう」
「え?トウコさんと戦うんじゃ無いんですか?」
「娘は反則を犯した。ジムリーダーの規定により10日間の謹慎処分が待っている。その間は私が代わりを務める他あるまい……技マシンとバッチを渡すのは娘の役目だがな」
傍らではトウコが泣きながら申し訳ございませぬ……と何度も謝っており、ユカリはうわ言の様にぶつぶつと涙を流しながら何かを呟いていた。異様な光景だ。
「僕、ちょっとトウコさんを外に連れて行くよ……ユウスケはエンカイさんと戦っていて……」
トウコを道場の裏にあるトレーナーの為の宿泊施設に連れて行くと、トウコはやっと己を取り戻したかの様に涙を流すのを止めた。
だが顔色は悪く、先程までの自信に満ちた表情は何処にも無い。
「……情けない姿を見せてしまったな……やはり私も修行が足りない、と言う事か……」
「トウコさんが悪いんじゃありませんよ。挑発したヒザガクンが悪いんだ……」
ボールに戻していたヒザガクンを再び出す……が、ヒザガクンは進化していた。
『……マスター、私がトウコさんに酷い事を言ってしまったばっかりに……』
長い紺碧の髪を垂らした青白いポケモンは、片目を覗かせ静かに俯いていた。
「……キミ、女性だったの!?……あ、ポケギアに♀って出てる。気が付かなかった……」
『私からエンカイさんに謝ってみます。謹慎処分なんてあんまりです。私が悪かったのに……』
「いや……お前は悪くない。ポケモンに注意を促さなかった私が悪いのだ。まさか公式の場でハリテヤマが紫炎拳を使ってしまうとは……迂闊であった……」
トウコは俯いたまま、黙ってしまった。ユキナリも言葉に詰まる。ユカリはどうしているのだろう、とユキナリはジムを見つめる。
今頃はユウスケとエンカイの第二試合が始まっているハズだ。
(僕が悪いんだ……あんな挑発的な態度を取るヒザガクンの窘め方が甘かった……)
今は進化してヤナギレイとなり、静かに俯いている彼女を見ると、居たたまれない気持ちでいっぱいになっていた。誰が悪いと考えればきりがなくなってくる。
結果的に処罰されたのはポケモンでは無くそれを持つトレーナーであった。厳正な結果ではある。しかし……
(何でこんな事になってしまうんだ……こんなんじゃ、僕は……)
哀しみを与えてしまうトレーナーは、皆に認められるトレーナーとは言い難い。ヤナギレイをボールに戻すと、回復の為にセンターに向かった。そこにいるのが辛かったのだ。
暫くの間センターの椅子に座っていると、ユカリが近寄ってきた。もう涙は流していない。
「アンタこんな所にいたんだ……姉様が1人で寂しそうだよ、傍にいてあげて……」
ユキナリはユカリの態度の豹変に驚いたが、それも彼女を見れば納得出来た。彼女にも自信に満ちた表情は無い。それどころかトウコと同じく哀しみに囚われてしまっている。
「……コレ、キックバッチと技マシンの『爆裂キック』……姉様が、ユキナリに渡しておけって……」
ユキナリは黙ってそれを受け取った。何も言い出せない。気まずい沈黙が辺りを包んでいる。
「……強いんだね……ユキナリは。姉様のポケモンが反則まで使おうとしてしまう位に……」
ユカリの頬をまた涙が伝っていた。だが彼女はもう呆けてはいない。
「……私が姉様の仇を取る。何時かまたアンタがココへ来る時には……私がアンタを倒す!」
すっくと立ち上がると、ユカリはユキナリを置いて走り去ってしまった。
「……嬉しくなんか無い……嬉しくなんか……」
ユキナリもまた、感情を抑えきれずに涙を流している。涙を流すのは本当に久々の事であった……
時間を忘れていた……だが……出発の時は間近に迫りつつある。
「ユキナリ君、舟が出るって!コユキさんがもう準備が出来たって呼んでるよ!」
「ユウスケ……エンカイさんに勝ったの?」
「勝ったよ……何とかね。僕とトウコさんが戦ってたら勝つかどうか解らなかったけど……」
センターに入ってきたのはユウスケだけでは無かった。エンカイとジサイも一緒である。
「娘が迷惑をかけてしまったが、安心してくれ。私が責任を持って娘を鍛え直してみせる。いや、娘よりもまずはポケモンの精神力を鍛えなければならぬか。ハハハ……」
「ワシもコユキ殿から聞きましたが、何やら大変な事になっている様で……くれぐれもお気をつけくだされ。ツンドラタウンから戻ってきた時にはまた立ち寄ってくだされよ!」
自転車をシティの宿泊施設に預け、ユキナリ達はツンドラタウンに向かう為舟を出す。
『3種の神器』をタウンの社へ送り届ける為に……
2人は自転車をシティの宿泊施設に置いたまま、リュックを背負い小屋に向かった。小屋の裏手がそのまま海に面しており、もうユキナリ達が乗る舟の準備が出来ている。
「ユキナリさーん、ユウスケさーん!後は漕ぎ始めるだけですから、早くお乗りくださーい!」
渡し舟の船頭であるコユキが2人を招いた。乗り込むと舟は静かに陸地から離れていく。シティの街並みは暫くの間は見えていたが、そのまま地平線の向こうに消えていってしまった。
「鳥ポケモンでホッカイに向かおうとしたトレーナーは、皆ほうほうのていで逃げ帰ってきてしまったそうです。途中の荒波と渦が、神器を持たない者を跳ね除けると……」
ユキナリとユウスケのリュックの中にはそれぞれ『海神の釣竿』・『海神の斧』が入っている。それとコユキが持っている『海神の御霊』で3神器は既に揃っていた。
共鳴しているのか、リュックとコユキの懐が緑色に光り輝いている。
「共鳴現象は初めて見ましたが、コレ程綺麗に光り輝くとは思ってもいませんでした……」
ユキナリとユウスケは舟初体験であったものの、今の所は船酔いする事も無くいたって元気だ。ただ、ユキナリに関しては先程の哀しみを引き摺ってでもいるのか、少々元気が無い。
「大丈夫だよ、ユキナリ君……きっとトウコさんだって立ち直るさ。謹慎処分って言っても、10日間だけだよ?僕等が戻る時にはまだ10日は経っていないだろうけど……」
「解ってる。でも……トウコさんが涙を流すなんてそんな光景、見るとも思わなかったから……」
「トウコ様も大変ですね。道場の後を継ぐ役目とジムリーダーであり続ける義務……2つをいっぺんにこなそうとしたってなかなか出来るものじゃ無いと思いますよ。
それでも、それをこなせているだけ凄いんじゃないですか?少々の失敗があっても当然だと思います」
コユキはそう言うと彼方に見える暗雲を指差した。
「海流に乗って、今私達はホッカイに向かっています。ただ……あの暗雲の向こうにホッカイがあるんです。あの部分を抜けない限り油断は出来ません。しっかり捕まっていてくださいね!」
コユキの漕ぐスピードが速くなった。一気に暗雲の下を抜けようと言う腹らしいが、予想以上に向こうの波は高そうだ。そもそも、コレ程の高波が一箇所のみで起こっているのがおかしい。
「向こうとこの場所で雪の降っている速さが明らかに違う……向こうは吹雪みたいだ……」
「防寒着は着てるけど、あんなに強い風に乗って当たるのか……コユキさんは大丈夫ですか?」
「慣れていますから。けれど、大渦に飲み込まれでもしたらひとたまりもありませんよ……海神のご加護を祈りましょう!ユキナリさんもユウスケさんも、オールを持ってください!」
ついに舟はホッカイの周りを取り巻いている嵐の下に到着した。これからが勝負所だ。3人全員でオールを漕ぎ必死に前を目指すが、それを嘲笑うかの様に舟は全く先に進まない。
雪の降り方も尋常では無くなってきた。寒さと時間との戦いだ。時間が経てば漕ぐ力も弱まってしまう。
「舟に水が入ってきましたよ!」
ユウスケの言う通り、高波にぶつかる度舟にどんどん海水が入ってくる。立っていないと腰まで濡れてしまいそうだ。だが、水はかきださなくとも勝手に消えていく。
「この舟は水が逃げる部分を持っています。逃げた後そこから水が入ってくる事はありません。ただ、あまりに強い高波を当てられるとこの舟も持つかどうか……耐久性はあるハズなんですけど」
「くそ、あそこに島が見えるのに!全く舟が先に進まない……」
遠くにツンドラタウンが見えている。あそこの上空には暗雲はたれこめていない。だがしかし、舟はそこまで到達してくれなかった。
小馬鹿にされているかの様に進んでは戻り、戻っては進むの繰り返しだ。先程からどんどん神器の共鳴も高まっているのか、光が強くなっている。
「ユキナリ君、背中が熱いよ……」
「私も懐が熱くなってきました。神器が熱を放っているのでしょうか?」
何かを感じる部分があった為、3人は神器を取り出してみた。すると神器は一層その光の輝きを増し、その光は集まって天空へと伸びていく。緑色の光が暗雲を照らした。その時……
『オオオオン……オオオオン……』
暗雲のさらに上からなのだろうか、低い唸り声の様な音がポケギアから聞こえてきた。
「何だろう、丁度光の当たっている箇所の上から聞こえてきてるみたいだ……」
ユキナリは上を見上げた。高波がどんどん収まっていく。光の当たっている場所から暗雲がどんどん消えていく。
「あ、青空が、見える……」
『オオオオン……オオオオオオン!!』
その上空で舞っている巨大なポケモンの姿が垣間見えた。
「シンリュウ……あれはシンリュウですよ!」
エメラルドブルーの体色を持つ巨大な竜は、丁度我々の世界で言う『中国の龍』そのままの姿をしていた。角の生えた凶暴そうな顔に、紅く鋭い瞳が光っている。
トーホクでは今まで見る事が全く出来なかった晴天が何処までも広がり、まさにそれは雲1つ無い快晴だった。
「シンリュウの体に光が当たってる……あ、あの毒々しい斑点が消えていくよ!」
今まで光を鈍らせていた紫色の斑点が消えると同時に緑色の光は一層強くなり、遂にはオールで漕がなくとも舟が勝手に動き始めた。それはツンドラタウンへと確実に向かっている。
「僕達を誘っているんだ……あのポケモンが……」
「で、伝説のポケモンだよ、ユキナリ君……す、凄い……博士に自慢したいな……」
光がだんだんと消えていき、見えなくなった所でもう1度空を見上げるとシンリュウは既にその姿を消していたが、依然上空は晴天のままであった。
雪が降らない空など、3人には生まれて初めての経験である。実はこの時、トーホク全土で同じ現象が起こっていた。トーホクの人々全てが驚愕していたのだ。
「もうツンドラタウンは目の前ですよ!」
3人の膝下は濡れていたハズなのに乾いており、そのままゆっくりと舟は波止場に到着した。舟をしっかりと繋ぎ止め、コユキはユキナリ達と共に辺りを見渡す。
「地面に残っているハズの雪も綺麗に消えてますね……まるで夢を見ているみたいです……」
「この海岸だったよね、ユキナリ君。今写真に撮って送ればきっとミズキさんも喜ぶと思うよ!」
ユキナリはポケギアのカメラ機能を使って波止場近くにある海岸の写真を数枚撮った。太陽が海岸を照らし、実に素晴らしい景色となっている。
ユキナリはデータを確認して上手く撮れている事を確認すると、ホッと溜息をついた。一時はどうなる事かと思ったのだが……
「なんとかツンドラタウンに来れたんだ……コユキさんも一緒についてきてくれるんですよね?」
「あ、ハイ。勿論です。帰りも同じ様に舟を出さなければ帰れませんので……」
3人は海岸を離れて島のポケモンセンターに向かった。だが、この島は意外と広い。とりあえず歩き出したは良いが、あっと言う間に道に迷ってしまった。
「あーあ……道路で整備されてるワケでも無いから、地図が無いと普通に迷うんだね……」
「タウンまでどうすれば行けるんだろう?何か交通手段でもあるのかなあ」
「私自身はツンドラタウンに行った事が無いのでどうとも……」
仕方無しにポケギアを開き、『セカイの名所案内』から『ホッカイの地図』を見た。
「えーと、今波止場に到着して海岸からココまで歩いてきたんだから……あれ?ちょ、丁度島の反対側に別の波止場があるよ!歩いて何時間かかるの!!」
「交通手段は……バスが走ってるみたいだね。だけど吹雪のせいで運行が中止されてたらしいから、すぐに運行再開するかどうか……」
「社もタウンの近くにあるんですか……あ、歩いて行くしか無いですね……」
丁度島に到着したのが午後1時頃。それから4時間が経過した。険しい山道こそ無かったものの、整備されていない土の道は3人を疲弊させるには充分過ぎる長さである。
途中店と呼べるものも無く、膝を笑わせながら歩くしか無かった。だが、ようやっとタウンが近付いてきた辺りである。こんな所で野宿するワケにはいかない。
「あれ?あんな……所に……家があるよ……ユキナリ君……」
「ホントだ……ココは丁度タウンの郊外位だから、不思議じゃ無いけど……」
それは、2つのこじんまりとした一軒家だった。片方の屋根の色は紫、もう一方の屋根の色は黄色に塗られている。表札には『トサカ』『セイラン』と書かれていた。
「ココ……トサカさんの住んでいた家なのかな?」
だが、人が住んでいる様子は全く無く、玄関には『売家』と書かれた札がかかっている。どちらの家にもその札がかかっていた。無人なのに鍵は開いたままだ。
大きな邸宅だったら『幽霊屋敷』と呼ばれる事請け合いである。2人は疲れた体を休めたいと、その家に入ってみたいと言い出した。
「だ、ダメですよ!勝手に人の家に入っちゃ……」
「『見学自由』って書いてあるよ。ココに……」
「ホントだ……でも、どうしてなんだろう?トサカさんの家にはお父さんやお母さんは住んでなかったのかな……」
結局3人は家の中も気になり、トサカの家に入ってみる事にした。扉を開けると湿った空気が全体を包んでいるのが解る。
かなり時間が経過している様だが、床が腐っているワケでも無く、屋根が損傷しているワケでも無かった。誰かが定期的に手入れをしているのだろうか?
全ての扉は鍵もかかっておらず開いていた。
「『自室・入るな!』って書いてあるけど」
「余計にダメなんじゃないですか……?って、ユキナリさん!」
「気になるよ。入るなって言うからますます入りたくなるんだって」
既に2人の気分は探検隊も良い所である。なだめる立場にあるハズのコユキも、2人の好奇心を止める事は出来なかった。自室は綺麗に片付けられている。
引き出しの中には日記だけが入っていた。屋根の色と同じ紫色の表紙だ。
「……バレないよね。読んでも……」
「バレたらトサカさんに殺されそうだなぁ……でも、今ココにいるワケじゃないし」
2人は後先考えずに日記を読み始めた。まだまだ子供だ。
『親父もお袋も、俺が普通の仕事をするもんだと思っているみたいだ。そんなハズが無い。俺はエリア1、いや全エリア1のトレーナーになる。その為にはこんな小さな島にいるんじゃダメだ。
もっと広いトーホクで腕を磨いて、チャンピオンになったら、島に残っている親父とお袋、それにシズカをビックリさせてやろうと思う。俺は本気なんだ!』
『明日、ついに旅立つ事を決意した。親父は俺を励ましてくれ、お袋はおいおい泣いていた。
シズカは涙を流しながらも『絶対、私の事を忘れないでね、そして強いトレーナーになって』と俺の手を握り締めてくれた。
俺は負けない。どんな強いトレーナーも倒して、リーグを制覇してやるんだ。シズカが俺にくれた雪綿花の首飾りは、そのまま首にかけて出発しようと思う』
「これ、トサカさんが12歳の時に書いた日記みたいだ」
「僕達と同い年だったんだね、この時のトサカさんは……」
自分達と同じ時が、確かにトサカにもあった。それなのに、それを想像する事が非常に難しい。解っていても、なかなか正直に受け止める事が出来なかった。
「あの、センターにいた方……ですよね?」
「そう。僕達と一緒にセンターで夜を明かした人だよ。あの金髪の」
やはりこうなるとシズカの家も気になる。家を出てシズカの家に入り部屋のドアを開けると綺麗な緑色の壁に囲まれた空間が現れた。
「ヒメグマの人形だ……窓も女の子っぽいセレクトだな……」
机の引き出しを開けるとまたもや日記が入っている。今度は黄色の表紙だ。
「私、日記をつけていなくて良かったと思いましたよ。ユキナリさん達に読まれてしまいそうで凄く怖いです」
『トサカが昨日、トーホクへと旅立っていった。パートナーのポケモンを連れて。私はホッカイから影でトサカの事を応援してやろうと思う。母さんや父さんも同じ意見だったみたいだ。
もし数年度、トサカがチャンピオンにでもなったら私もTVに出てあいつの話をしてみたいなあ……』
『2年も経ったと言うのにトサカの情報は全く入ってこなかった。トサカの両親は凄く心配している。幼馴染として放っておくワケにもいかない。
私も夢を持ってトーホクに渡ろうと決意した。母さんも父さんも心配はしたが、私の事を応援してくれると言う……明日、舟に乗ってトーホクに渡るのだ。トサカを早く見つけたい』
「14歳か……誕生日とかのページを見れば解るけど」
「もうこの時には、トサカさんあの道に入っていたのかなあ……」
「シズカさんって、トーホクリーグの四天王じゃありませんでしたっけ?それとも、名前が同じだけなんでしょうか……気になります」
トサカは何故暴走族のリーダーになってしまったのか。シズカはトサカに会えたのか。空白の4年間の間に何が変わってしまったのか。3人には全く解らなかった。
1つだけハッキリしている事がある。4年前、シズカがトーホクに旅立つまではどちらの家にもそれぞれの両親が住んでいたと言う事である。だが今この家には誰もいない……何があったと言うのだろうか?