第二章 子どもたちは剣を交わす【1】
第二章 子どもたちは剣を交わす
1
「ケースケさん、こっち向いてください! ピース、ピース! はい、にーって、にーっ」
イオと別れて数日経った。ようやく迎えた本日、スクール対抗大会の一回戦。その当日。ライモンシティのビッグスタジアムに入った三人は、いきなりカメラの少女に出くわした。面食らった三人はその場に立ち尽くして、言葉を発する間もなくフラッシュを浴びた。
もちろんケースケの顔は赤くて、なんだこれ、なんだろう、などと考えながらピースしてたらさらにフラッシュを浴びる。嬉しそうに一眼レフが角度を変えて踊った。気づくとユウもアイもレンズの範囲から抜け出している。それでもケースケは被写体だった。
「笑顔が引きつってますよ! ……あ、ごめんなさい。もう、いいです。ありがとうございました」
やっと終わったのか。ケースケが脱力したところで、さらにフラッシュが焚かれた。
アカリがいたずらっぽく笑った。
「その、久しぶりだね」
「うん、久しぶりですね、ケースケさん。今日は応援に来たんですから、絶対勝ってくださいね!」
わざわざ自分を応援するために旅を中断してライモンシティに来てくれた、それだけでケースケの頭は沸騰しそうになった。その上、大事そうにカメラを抱えているのは、一眼レフがよっぽど大事なものだからか、それとも……などと考え始めて、はっとする。
ユウが気持ち悪いくらいにやにやと笑っていて、アイの方は呆れているのかむすっとしていた。
その時、場内アナウンスが流れた。暑い中お集まり頂きまして云々。各校の代表は控え室に向かうように云々。第一回戦の開始時刻は云々。
「ケースケさん、始まりますよ!」
「あ、うん。か、勝ってくる」
一回戦くらい余裕で勝ってこようと思っていたケースケは、思わぬところで緊張しなければいけなかった。アカリが観ていて、しかも応援してくれている。そろそろ慣れろ、と自分に言い聞かせても、いや、それは無理だ。
「じゃあ、行ってくる! また後でね。ユウとアイも後で会おう!」
無理やりに自分を鼓舞して控え室に向かう。ユウとアイにはついでのように言ってしまったけれど、笑ったりしてるのだからお相子だ。
さっさと控え室に入ろうとしたらアイが横に並んだ。
どうしたの? そう聞いてみると、アイは不機嫌そうに言う。
「私、ライモンスクールの代表なの。知らなかった?」
○
んなもん知ってるわけないだろ。
確かに出会った場所はライモンシティとヒウンシティをつなぐ四番道路だったし、アイはライモンシティ側から来ていた。旅というのは恐らく修行の旅。同行してきたのも目的が全く同じだったからだ。考えてみれば、代表であってもおかしくなかった。
スクール対抗大会なんて余裕で優勝するつもりだったケースケだったが、こんなところに思わぬ強敵が居た。その強敵が横に居るせいで、控え室に響く係員の案内もろくに理解できない。
「じゃ、行ってくるから」
「え、どこに?」
は? と、返ってくる。
「何も聞いてなかったの? 私はAだから一番最初。ケースケはDだから次。ちゃんと聞いてなよ」
そうなんだ、うわのそらで返事をした頭にはアカリとアイのことがぐるぐる回っている。片や恋で片やバトル。同じ女の子が相手なのにどうしてこうも違うのか……。もしもバトルの相手がアカリだったら、ケースケは緊張して絶対に勝てないだろう。逆にアイがバトルの相手じゃなくて……いやいやいや何を考えているんだまったく。でも、そうだったら全く緊張はしないんだろうな、と思う。
控え室のモニターにはバトルの様子が映っていた。右のモニターにはAのスタジアムで、アイが映っていて、傍らにはお得意のコジョンドがいた。バトル開始の合図が鳴り響く。同時にコジョンドが駈け出すと、カメラのアングルが変わって、斜め上から俯瞰するカメラになる。「ねこだまし」で相手のイシズマイを威嚇すると、あとはケースケと同じように回避とカウンターの戦術だった。
一方Bのスタジアムはマラカッチとハーデリア。早くもハーデリアが倒されて起き上がれなくなっている。マラカッチの方は全くの無傷だ。モニターには相手を倒して得意気なマラカッチがズームアップされているばかりで、パートナーの姿は映されていない。
控え室でマラカッチとそのパートナーを称賛する声が上がった。誰しもが勝ち上がれば避けては通れない相手だと思っているのだろう。マラカッチの強さは誰が見ても明らかだった。
ケースケは意外と楽な大会じゃないのかと思い始めている。アイはもちろん強敵であるに違いないし、このマラカッチだって相当な強さだ。イオみたいに能力を使わなくても強い場合だってある。尤も、イオは自分が能力に気づいていないだけで、実際は能力を使用しているという可能性もあるのだが。
ほどなくしてバトルの決着がついた。アイの方が早く終わると予想していたケースケは、モニタの様子と流れるアナウンスに少し驚いた。左のモニタ、Bのスタジアムでは、マラカッチが両手を突き上げて涼しそうな顔で立っている。圧倒的なバトルだった。マラカッチはほとんどダメージを負わずに三匹連続で倒した。右のモニタでは続くようにアイのコジョンドが三匹目のポケモンを倒している。控え室ではもう声すらも上がらなかった。どっちのスタジアムでも圧倒的なバトルが行われたからだろう。スクール対抗大会とはこうも実力差の出る大会だっただろうか。
続いてアナウンスがCとDの組み合わせを呼ぶ。CがAのスタジアム。DがBのスタジアムと、ややこしいがそのような配置らしい。
ケースケはヘッドセットの電源を入れて、控え室の椅子から立ち上がった。頭の中にはもう、バトルのことしかない。
○
「お前、強いだろ」
ケースケがスタジアムの上で対峙するなり、相手の少年に言われた言葉。音の絶えない場内で唯一ケースケに向けられた言葉だ。
「強いよ。どうしてそう思った?」
「まず第一にヒウンシティの代表だからな。規模が大きいスクールは、それだけ選りすぐりのトレーナーが出てくる」
一理あるだろう。
「第二は?」
「第二に、お前、組み合わせ表を見もしなかっただろ。組み合わせ表の前ではってたけど、お前だけは見なかったんだよ。余裕の現れだ」
「たまたま行き違っただけだ。それは買いかぶりすぎだと思うよ」
少年は鼻で笑って答える。
「嘘だな。お前、俺がどこのスクール代表か分からないだろ?」
「シッポウスクールだ」
「惜しい。が、違う。サンヨウスクールだ。やっぱり余裕たっぷりじゃないか。君とのバトルは楽しめそうだよ」
そんな高見から物を言うようなやつの、ケースケは過去にいくらでも鼻を明かしてきた。どうせまた口先だけのやつだろう、その予想は未だにはずれたことがない。
戦いの合図が鳴ると同時に、場内は歓声に包まれた。年に一度のスクール対抗大会はそれだけ多くの人に注目されているというわけだ。その規模のでかさに改めて感動する。そんな余裕を持ちながらも、ボールに手をかけると、ケースケの頭はどんどん研ぎ澄まされていった。エテボースの相手をするのはヒヤッキー。二匹の立ち振る舞いはどことなく似ているように思う。
「ねこだまし」
ケースケがマイクに向かって囁くと、一秒の間も空けずにエテボースはヒヤッキーに肉薄する。そこから初撃を叩き込んで後退。少年の値踏みするような視線を無視して、攻撃に備える。
「ヒヤッキー、ねっとうで沈めろ!」
左目の世界が発動する。失った色彩の代わりに、ケースケは数秒後の起こりうる未来を手にした。ヒヤッキーが右手を突き出して呼び出した「ねっとう」は、ぼこぼこと暴れならがらエテボースに襲いかかる。簡単に避けられそうもない技。だが、予想できていれば、所詮正面の小範囲を埋める移動物体でしかない。当然、回避対象だ。
「左斜め上に跳躍」
戻ってきた世界で、ヒヤッキーが「ねっとう」を繰り出す。エテボースは手のような二本の尻尾でバネを作って、器用に跳び上がる。沸騰する液体を飛び越して、ヒヤッキーの頭上を確保すると、そのまま二本の尻尾を振り上げ、ダブルアタック。
少年は驚愕に目を開いた。
ケースケにとっては鼻を明かすことなんて簡単なことだ。既に同じ土俵に立っていない。ケースケは、彼のような負け知らずで来た少年少女の、さらに上の層に立っている。けれど、ずっと、気づかなかった。その層に自分以外の者がいたことに。気づいてしまった今、ケースケは下に目を向けることを知った。敗北ということを知った。絶対的な強さなどないということも。だから圧倒的な力でねじ伏せられる相手の気持ちを理解できる。それは辛いことだ。ずっと勝ち続けてきた者にとって、唐突の敗北はこの上ない挫折だ。自分は今までその残酷な槌を降ろしてきたのだ。そしてまた、振り下ろす。
わかるか、おい、これが敗北、挫折なんだよ。
○
控え室から出てロビーに出ると、三人が待っていた。
バトルの結果は言うまでもない。ケースケのエテボースは無傷で三匹をねじ伏せた。バトル前に饒舌だった少年は何も言えない。あれだけの分析力を以てしても、今の状況が理解できないといったふうに立ち尽くしている。ケースケも何も言わずにスタジアムを去った。勝ち上がるとは、こういうことなのかと思った。幾人もの相手に、無慈悲で残酷に槌を振り下ろしていくことだったのかと。
「どうしたの、ケースケ。勝ったんだからもっと喜べばいいのに」
「そーですよ、アイさんの言うとおりです!」
いつの間にかアイとアカリは仲良くなっていたらしい。考えすぎだったかもしれない。勝った者にできることは、これから先も負けないことではないのか。負けた相手に何かしてやるなんてことはできないのだから。
「ま、当然だよな。俺は負けないよ」
「相手が私でも?」
アイが言った。そう、それが問題。スクール対抗大会はトーナメント形式で、変則的な組み合わせになっている。Aの二人のうち勝ち上がったものがCで勝ち上がった相手と、そういうふうにバトルの相手は一グループ飛ばしながら組み合わされていく。ケースケとアイが当たるのは決勝だった。
「わかんないだろ。だから決勝で戦おうぜ!」
なんだかアイと決勝の舞台で戦うことを想像すると楽しくなってきた。沸き上がる場内の中央でアイと向かい合って真剣勝負。勝つか負けるか分からない本当のバトル。それだけで勝ち上がる価値はある。
「当然でしょ! 負けないでよ。私の相手になるのなんてケースケくらいだから」
どこか嬉しそうに言うアイの横では、アカリがどうしてだか不満そうな顔をしている。
「ケースケさん、突然ですけど、私もケースケって呼んでいいですか」
「え」
まさか不満の原因はそんな些細なことだったのか。四人の間に微妙な空気が流れた。ユウが相変わらずにやにやと笑っていて、アイは全く笑ってない。怖い。
「い、いいけど」
突然恥ずかしくなってきて、言えたのはそれだけだった。それだけでもアカリは嬉しそうに微笑んで、ケースケの頬はちょっとだけ熱を帯びた。
「や、やっぱり、ケースケくんって呼ぶことにします」
「え、うん」
「ケースケくん」
「なに」
すごく照れる。恥ずかしい。
「あーもう!」
アイが口を挟んできた。
「ほら、まだバトル残ってるし、観戦していこっ。はやく」
「えっ」
有無を言わさずにケースケは腕を掴まれて、観戦スタンドに引っ張られていく。
さすがのケースケも、この状況の意味が分からないわけではない。でも、なんだか現実じゃないみたいだ。
ていうか、アイも、えっ?
何か不満なことがあるだけだよな。ケースケはそんな結論を出した。