第一章 旅をする子どもたち【5】
5
「ケースケさんですね? 封筒を預かっております」
二人がチェックアウトをしようとして部屋の番号を告げたとき、ジョーイさんはそう言って白い無地の細い封筒を渡してきた。表にも裏にも差出人の名前はなく、心当たりもないものだから、これほど怪しいものはない。とりあえずチェックアウトを済ませて、ロビーのソファに二人で腰を下ろす。
「ユウかな?」
アイが疑問に思うのも無理はない。
「違うと思う。ユウだったら普通にライブキャスターで話しかければいいんだし」
確かに。と返事がくる。
丁寧に封をされた細い封筒を開く。中から出てきたのは三つ折りの用紙。線が何本も引かれていて、花柄が縁取る。書いてある内容を見るまでもなく手紙だ。あぁそうか、アカリだ。そう思ったケースケの期待を裏切って、文面には堅い語り口で男の字が踊る。
「なんだこれ」
意図せずに洩れた言葉。その声はアイの耳にもケースケ自身の耳にも入らない。二人は手紙に書かれた文章を読み取るのに必死だったからだ。
読み進めていくと、どうやら全く知らない人物であるらしい。それもただの手紙じゃない。お誘いのお手紙だ。試し岩で待っているので来てほしいと書いてある。
「できれば朝の十時までに……って、あと五分もないじゃない」
時計を確認していみると確かに十時の五分前だった。チェックアウトが十時までだから、恐らくそれを見越して書いてきた手紙だ。寄り道せずにすぐ来てほしいという、そういう誘い。手紙を締めくくる名前は、Mと書いてあるのだから尚更あやしい。
「なんか、怪しいな」
「怪しすぎるよ。Mって人の名前? 何これ、ふざけてる」
「あぁ、ふざけたマゾヒストだ」
って言ったら叩かれた。冗談だったのに。
「とにかく、行くの? 行かないの? 私はケースケに任せるけど」
普通に考えるならば、これは悪戯か、そうでなければ本格的に何かのお誘いだ。でも誘いだとして、なぜ試し岩に呼び出すのだろうか。この周辺なら、カフェソーコとか、それこそポケモンセンターとか、挙げればきりがないほど場所はある。
「変なことに巻き込まれる覚えはないしな……」
「何言ってるの、あるでしょ」
え? 疑問を口にしてみて、やっと思い出す。
「あ、そっか。そういえば昨日、変なグループやっつけた」
「あるとしたら、それ。罠かもよ? どうするの?」
ケースケはソファに深く座り込んで、背もたれに体重を預けた。天井の目に痛くない照明を見つめて考え始める。罠だったら、どうするというのだ。こっちは能力者が二人。負けるようなことはない。それよりもむしろ、犯行グループを一網打尽にするチャンスかもしれないではないか。乗りかかった船なら、岸まで乗るのも悪くはない。
「行こう」
「え、行くの?」
「おう。俺たち二人なら、たとえ罠だったとしても負けない。そうだろう?」
ケースケは仰いだ状態から元に戻る。
「そう……そうだね、大丈夫。わかった、行こう」
「よっし、じゃあ時間もないし、さっさと出発するか!」
勢いよく立ち上がったケースケに反して、アイの方は動きが鈍い。あまり気乗りはしないようだ。明らかに怪しいと分かっているのに、行くのは確かに不安だろう。
「大丈夫か?」
「え、うん、もちろん。あっ、ユウたちどうしよ?」
「ジョーイさんに伝言を頼めばいい。試し岩の方に行ってるって」
そうだね、とアイは返事をした。ケースケは歩いていたジョーイさんを呼び止めて、伝言を頼む。それから二人はポケモンセンターを後にする。向かう先は、試し岩だ。
○
試し岩の陰から男が出てきた。黒のスキニーデニムを履いて、白のブイネックシャツを着る。白黒で統一されていながら涼しげなストールを巻いている。さらにグレーのハットをかぶっていて、細身の長身。まるでオフ中のホストみたいな格好だった。雑誌の表紙を飾っていてもおかしくはない。まだ二十代前半くらいの若そうな外見だ。
ケースケは思わず言葉に窮した。
「やぁ、もしかして、君がケースケくんかな? まさか子どもだとは思わなかったよ。ぼくは、Mだ」
ハットに片手を軽く添えて、なぜかポーズを決めながら爽やかに話してくる。
「あなたが、マゾヒストですか」
「違う! マゾヒストのMじゃなくて、Nの次だからMだ!」
ケースケの言葉に、男はすかさず反発した。でもちょっと待って、と思ってケースケはアイと顔を見合わせる。
「Nの次って、MじゃなくてOじゃない?」
あ、言ってしまった。
「なっ、え、そんなはずは……」
と言いつつアルファベットの歌を歌い始める。L、M、N。あ。
「なんてことだ……」
「気づけよ」
整った顔をゆがめて本気で落ち込んでいる。ボケでも何でもなく、普通に間違っていたらしい。
「これではN様に合わせる顔がない」
「N様? それってまさか、プラズマ団の?」
あぁ、と男は頷いた。
「ぼくはN様の後釜だ。解散したプラズマ団の意思を継ぐ組織の、象徴的存在と言っていいだろう」
「それ自分で言うのか」
「象徴は自信家でなくてはいけないからね。とりあえず、Mはだめだ。三元院と呼んでくれ」
アイもケースケも、出会い頭とは別の意味で言葉に窮した。だめな大人の典型とでも言うべきだろうか、とりあえずこの人にぴったりな言葉は、だめそうな感じを当てはめれば大体合うだろう。
「そういうわけで、三元院だ。よろしく」
「三元院とは何ですか」
「ふむ。人の名前に文句があるのかい? 何って、かっこいいからに決まってるじゃないか。象徴的なかっこよさだ」
まったく意味が分からなかった。アイなんかはもはや声を抑えて笑っている。ケースケの後ろに隠れていなければ、三元院の面倒なつっこみが入るところだったろう。
「ところで、何の用ですか、三元院」
「おい、敬意を表せ。せめて三元院さんと呼んでくれ」
いやだ、また話がややこしくなりそうなので、その言葉は呑み込んだ。
「そうだ、用というのは、他でもない。ぼくたちの計画を破綻させた君たちの実力を買ってだな、ぜひとも君たちを雇いたいというわけさ。これはビジネスだ。ちゃんと相応のお金も払うよ」
いやまさか。
本当にお誘いのお手紙だったのだ。罠に嵌められてどうかさせるとか、そういうのではなく、引き抜きの方だった。
「いやだ」
今度はちゃんと声に出して言った。こんなものアイと話し合うまでもなかった。
「ほお。嫌なのか。嫌かーそっかー。また断られちゃったよ。それもまた子どもだ」
そう言って落ち込み始めた。そんな反応をされると思ってなかったケースケは申し訳なくなった。
「まぁ、そりゃ、そうだよなぁ。本当にいいんだね? 二度は誘わないよ?」
ケースケは振り返ってアイと目を合わせる。神妙な面持ちで頷くと、アイはウエストポーチに手をかけた。
「何度誘われても、いやだ!」
「残念だ。じゃあ、指、鳴らすよ? ほら、これでおしまいだ」
ハットに手をかけたポーズで、三元院はパチンと指を鳴らした。直後に周囲ではじけるボールの音。そこら中から光が放たれた。
「どうしよう、ケースケ。かなり多いよ!」
言われなくても分かってる。ケースケは急いでボールを取り出して、エテボースを出す。アイも一足先にコジョンドを出していた。見回すと、敵は多いなんてもんじゃない。試し岩の周辺を囲うほどの人とポケモン。統一されたポケモンはレパルダスだ。ざっと数えただけで十人と十匹ほどはいる。ケースケとアイは背中合わせになって臨戦態勢に入る。
「悪いね。君たちのポケモンだけでも回収させてもらうよ。かかれ!」
「はい、マゾヒスト様!」
「黙れえええええ!」
仲間内からもずっとマゾヒストのMだと思われていたらしい。これにはさすがのケースケも笑ってしまった。だが、笑っていられる状況ではない。襲いかかる敵の手は多すぎて、左目が映した白黒の世界で見ても、対処できるような数ではなかった。
「無理だ……」
アイの方からも絶望的な呟きが洩れる。ダメージは避けられないが、極力被害の少ないところを狙って、ケースケはエテボースに指示を出した。数匹の攻撃を回避、一匹の爪をかすらせてしまったが、そのまま狙いの一匹にダブルアタックを叩き込む。レパルダスが地面を転がった。
再び色をなくした世界に入る。エテボースを狙ってくる敵は六匹。そのうちの一匹はもう立ち上がれないだろう。六匹の波状攻撃をかいくぐるには……その思考には答えを出せなかった。かいくぐることはできない。どうやっても大きなダメージは避けられなかった。世界に色が戻り始めて、ケースケは苦虫を噛みつぶした。
「エテボース、逃げてくれ!」
「逃げるのは、違うと思うけどな」
誰だろうと、確認しようとしたところで、エテボースに襲いかかっていたレパルダスが二匹まとめて吹っ飛んだ。攻撃したのはカポエラーだった。その見事なトリプルキックは、悪タイプのレパルダスを一撃で沈めることができる。
「イオ! それに、ユウまで」
ユウはアイの方のサポートに行っている。これならば形勢逆転もすぐだ。
「くそっ、まだ仲間がいたのか……」
三元院が悔しそうに言った。
敵のレパルダスに反撃の間を与えないように、能力を使って畳みかけようとする。
レパルダスから色が抜けていって、そして、視界にいたイオとカポエラーは消えた。
え?
この左目に映らない。それはつまり、干渉のできない能力者。互いに打ち消し合う異能を持っているということだ。四匹のレパルダスのうち、二匹が何もない空間に跳びかかる。残った二匹は分かりやすい軌道でエテボースを襲った。世界が戻ると同時に、マイクを通して指示を出し、すぐにイオとカポエラーの方に目を向けた。
「カポエラー、まとめてトリプルキックだ!」
イオが出した指示はそんな力技としか言えないようなものだった。作戦も何もない。だが、指示を受けたカポエラーは、詳細を言われもしないのに、レパルダスの攻撃を読み切って、トリプルキックを叩き込む。二匹があっさりと地に伏した。
それからエテボースがダブルアタックで一匹を倒し、カポエラーが援護して残りを倒す。周りに居たトレーナーが言葉を失っていた。相性の利があるとはいえ、カポエラーが強すぎる。
イオの能力は何だ?
疑問を解決する暇もなく、戦局は展開していく。倒れたレパルダスを戻した敵は、次々と別のポケモンを出してくる。六匹のワルビルだ。
「芸がねぇなぁ」
イオはそう言って嘲るように笑った。すぐにカポエラーが動き出す。
指示を出すまでもないらしい。俊敏な動きでワルビルの脇腹に蹴りを入れ、勢いを殺さないまま回転。着地から加速した回転のまま、トリプルキック。
ただ強いだけではない。カポエラーの戦い方は、まるで演舞を見ているかのようで、格好良かった。ケースケは指示を出すのも忘れて魅入っている。むしろ指示なんて出さない方がいい。この演舞の邪魔なんて、とてもできたものじゃない。
最後のワルビルが蹴られてぶっ飛ぶと、周囲のトレーナー達はポケモンをボールに戻して、逃げ始めた。
逃げ道はただ一つだけ。
三元院が何かに気づいてはっと息を呑むのが聞こえた。
そのとき、敵の逃げ道をカポエラーが塞いで、その背後にジューサーが駆けつけた。
「くっそ、ここまでか……」
なだれ込んできたジューサーが手際よく敵を押さえていく。これで一網打尽というところで、三元院を捕まえようとしたジューサーの手が空を切った。
「悪いけど、ぼくは象徴的存在なんでね。捕まるわけにはいかないんだよ」
そう言った次の瞬間には、姿を消している。
「テレポートか、象徴的存在、捕まえ損なったー!」
イオが悔しそうに叫んで座り込んだ。短髪をわしゃわしゃと掻いている。そこに話しかけるジューサー。事がケースケを枠の外に出して進んでいく。おかげで機を逸してしまった。イオは、本当に能力者なのか。そんなたった一言を聞くことができなかった。