第一章 旅をする子どもたち【4】
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一度ヒウンシティに戻ったのだが、スカイアローブリッジを見つけたアイは、どうせならシッポウシティにまで行ってみようと言ってきかなかった。スカイアローブリッジの何がアイを惹きつけたのかは分からないが、アイにとっては心揺さぶる何かがあったらしい。
そして、これからスカイアローブリッジを越えてしまえば、すぐに日も暮れるだろうという時間帯だった。なにしろスカイアローブリッジは恐ろしく長い。下り坂があれば上り坂もある。自転車を使ってもしんどい道のりは、徒歩で超えるならなおさらしんどい。ケースケはユウのうんざりしたような呟きに同意を示したが、アイの方は全く弱音を吐かなかった。
こんなときに空を飛べるポケモンが居たら……そんなことを思って、ヒウンシティの知り合いから借りていくことを提案しても、アイの方は歩いてみたくて仕方がなかったらしい。不承不承、長い道のりを踏破して、ヤグルマの森に差し掛かった時は、既にして夕暮れ時だった。
「どうしてこんなに時間がかかったんだ……」
ユウの呟きも、もっともだ。スカイアローブリッジを目の前にして、歩みがはかどるはずもない。いつもよりゆっくり歩いていた実感があった。ケースケはため息を洩らす。
「……今日はシッポウシティまでだな。ジムは明日にしよう。さすがに疲れた」
「え? 今日中に挑戦するんじゃないの?」
それを聞いたユウがアイに泣きそうな顔を向けた。
「行くとしても、僕はポケセンで休んでるけど」
「はぁ、男のくせに」
「あー男女差別だ」
「違う。体力は平等じゃないんだから差別じゃない」
言われてみればそんな気もする。ケースケは喋る気も起きないくらい疲れていた。
喋りながら歩いていると、そこら中、ぼこぼことうずたかい落ち葉の下で土が盛り上がっている。トレーナーだ。ケースケはもちろん無視するつもりだったのだが、アイの方は一日にこれだけバトルをしてもまだ元気らしい。落ち葉を蹴り払って掘り起こす。それから、しらみつぶしにトレーナーを完膚無きまでに叩きのめしてから、先を行く二人に追いついてくる。その無双ぶりがあっという間に森中に広まって、ケースケの行く先にはディグダのように動き回るよく分からないトレーナーが続出した。普通に出て歩けばいいものを……。
そうしてやっとヤグルマの森を抜ける。
夕暮れ時についたシッポウシティでまずはポケモンセンターに行き、手持ちを全快にする。夕食を食べようと、三人でカフェソーコに入った。
時間もちょうど夕飯時だったからか、店は賑わっていた。カフェと言うよりはバーのようで、一段下がったステージには男の子のパフォーマーが居て、逆立ちをして客から拍手を浴びていた。
「あ、すごい。跳んだ」
思わずユウが感想を言う。確かに片手で逆立ちして、その腕をバネにして跳ぶのはすごい。しかもその勢いを利用して空中で回転、両足で見事に着地した。拍手が響く。
その男の子の茶髪は逆立ちしているから重力で下がっているものだと思ったが、直立してもそのつんつんした髪はおりてこなかった。寝癖なのかワックスなのか知らないが、短髪であるから立ちやすいようだ。場の雰囲気に似合わず、服装はタンクトップに短パン。虫取り少年のような格好をしている。
拍手が止んだの見計らって、男の子がポケモンを出す。ボールが放った光はカポエラーで、見た目に反して虫取り少年ではないらしい。
一人と一匹はすっと回転して、逆立ちになった。そこから頭を床につけて、ブレイクダンス。カポエラーと男の子の息はすっかり合っている。またも拍手が起きた。
男の子が立ち上がると、近くにあった鞄を引き寄せて、中身を探り始めた。その間にもカポエラーはブレイクダンスを続ける。男の子は鞄から木の実を取り出して、投げると、カポエラ―は跳躍し、口を使って空中で木の実をキャッチ。一度勢いがゆるんだ回転は、ステージに降りるとまたすぐに勢いを取り戻す。男の子がもう一度、木の実を投げた。一つ、二つ、三つ。カポエラーは足を使って、お手玉のように回し始める。
「何あれっ、ぐしゃってならないの? どうして? す、すごっ」
どうやらユウは男の子のパフォーマンスを気に入ったようだ。アイも目を丸くして見入っている。
足で行われるお手玉は続いている。カポエラーが一際大きく身体を捻った。それから三つのうち一つの木の実を高く飛ばすと、今度は男の子がその木の実を口でキャッチした。
しかも、食べる。
「うっわ、足で触ったやつ食べた」
「いや、そこじゃないだろ! 人が、木の実を食べてるって、えー」
それから、二個目、三個目と、続けて木の実を食べていく。三つも食べたらお腹を壊したりしないのだろうか。ただでさえ木の実はポケモンの食べ物で、極端な味をしているのに。
そうして締めくくりに拍手喝采。男の子は客に声をかけられて照れている。
感心して見ていると、ユウとアイが男の子に近寄っていった。すごいね、すごい、と声をかけている。ケースケもそれに続く。
近づいてみると男の子は背が高かった。早速自己紹介を始めたユウが十四歳だと紹介すると、男の子も同い年だという。これで同い年かよ、と思いたくなるくらい背が高い。服装は若干子どもっぽいような気もするが。
「俺の名前はイオだ。イオって呼んでくれ」
そのまんまじゃん。
「普段からここに来てるの?」
アイの問いに対して、イオは首を振った。
「たまたま今日寄っただけさ。空っぽのステージがあったら、特技を披露したくなるもんだろ?」
「そうだよね、それすごく分かる!」
ケースケには全く分からないのだが、アイとイオにとってはそういうものらしい。私も何かやろうかな、なんて珍しく上機嫌でアイはもじもじしている。まるで告白前の女の子だ。そんなことを考えたら不意にアカリのことを思い出した。生まれてこの方一度だって告白をされたことのないケースケに、堂々と好きですと言い放った少女。夢があるんです、と言った少女。旅に出ます、と言った少女。アカリの笑顔が脳裏に浮かんでは消えていく。頬が赤くなってきた頃には、もう周りの話し声なんて聞こえなくなっていた。今、アカリはどうしているのだろう。
「ケースケ、どうしたの? もしかして、イオに惚れちゃった!?」
「誰が惚れるか――――!」
ケースケは全力で否定した。
○
すっかり日も落ちて、夜の闇が囁き始めた。
カウンター席に四人並んで腰掛けている。食べているのは汁そば。ここは本当に喫茶店なのだろうか、疑問に思い始めて解決するより早く、ウェイトレスがサイコソーダをくれた。ますます分からなくなった。
「へぇ、じゃあイオも旅してるんだ?」
「おうよ。俺の旅は、全国の木の実を食い荒らす旅だ!」
いや、荒らしちゃだめだろう。イオとユウはすっかり意気投合したようで、まるで親友が再会したかのように喜色満面で話している。その間にアイが入ったりして、なぜだかケースケはその様子を見て聞いて静かにしている他なかった。
「楽しそうだね」
盛り上がる二人を邪魔しないように、アイが小声で話しかけてきた。気を遣ってくれているのだろうか。
「ユウなんて、さっきまで泣きそうな顔で疲れた疲れた言ってたのになあ」
ちらりとユウを見る。聞いていない。それくらい会話に熱中している。
「まるで兄弟みたい」
「兄弟? 親友じゃなくて?」
「うん、兄弟。外見もそうだし、ユウが子どもみたいに懐いてるから」
そう言われてみれば、そんな気がしないでもない。兄弟。確かに兄弟みたいだ。
兄弟かぁ。ケースケは何となく呟いてみた。一人っ子の自分の耳にはあまり馴染まない言葉だった。
「ねぇ、あの二人が兄弟だったら、私たちは何に見えるかな?」
「え? 私たちって?」
「私とケースケに決まってるでしょ」
何を藪から棒に。そうやって聞かれても、思い出すのはアカリのことだった。なんでこんなに意識してしまうのだろう。アイだって外見は悪くない。性格をちょっと直せば、世間的評価はアカリを上回るだろう。それなのに、それなのに。
はっ、とする。なんて答えればいいだろうか。
「もしかして、酔ってんの?」
「酔ってるわけないでしょ! ばーか」
アイはそっぽを向いた。今の反応ってもしかして――――?
「なんてね。冗談だよ」
ケースケは面食らった。淡い期待はあっさりと打ち砕かれる。人生最初のモテ期が来たのかと思ってはらはらした。それは台風が来る衝撃なんかよりもずっとずっと大変なことで、不安だし怖かった。自分は平凡な一般人でいい。
ウェイトレスが二本目のサイコソーダをくれた。水曜日はサービスデーで、サイコソーダが貰える日らしい。嬉しいのだが、その一方でリゾートデザートの民家を思い出す。飲み物を出されるのは早く出て行ってほしいという、気持ちの表れではないかと話したばかりではないか。
「どうする。そろそろポケセン戻る?」
「そうだね。そろそろ、戻ろっか。ユウはどうする? 後から来る?」
アイがユウに向かって言うと、イオとの会話を中断させて、こっちに体を向けてくる。
「ん、僕もそろそろ戻ろうかな。イオもポケセン?」
「いんや。俺はここに泊めてもらうことになってんだ。ユウたちも泊めてもらったらどうだ?」
それにはウェイトレスが答える。
「場所はあるんですけど、寝床が用意できないんですよ。あと一人分くらいならご用意できますけど」
「あ、じゃあ、僕が泊まってもいいですか?」
ユウは本当にイオのことが気に入ったらしい。イオもおおらかに笑っている。その様子は確かに兄弟のようだった。
ケースケとアイの二人は、仕方なく二人でポケセンに戻ることになった。
○
「なんか、ごめん」
「なに?」
アイに聞かれて、なんで謝ったのだろうと思った。言葉を探す。
「二人きりになっちゃったし」
ぷっ、とアイが吹き出した。
「そんなこと気にしてるの?」
「だって、今日会ったばかりだしさ」
「そういえば、そうなんだよね。なんかケースケとは、初めて会った気がしない。ちょっと不思議」
「あ、それ俺も思ってた。どっかで会ったことあったっけ?」
あるわけがないと分かっていても聞かずにはいられない。アイは少しも考えずに、あるわけないでしょ、と返して笑った。
ポケモンセンターの宿泊施設を借りて、まず真っ先にシャワーを済ませ、それから今、二人はそれぞれのベッドに寝そべっている。二人用を借りたから、ベッドも二段だ。上がアイで、下がケースケ。部屋は簡素な作りで、家具の類いはほとんどなく、ひたすら機能的だった。
「ねぇ、自己紹介でもしない? 名前とかそういう簡単なのじゃなくて、もっと突っ込んだ話」
「アイが話してくれるなら」
うーん、と唸って考え始める。提案したくせに自分が話すことは決めていなかったらしい。少し経ってからアイは話し始めた。
「私は一人っ子なんだよね。出身はカントー地方らしいけど、親の仕事の都合で転々としてきたから、カントーに居た頃のことは覚えてない。こっちに来て結構長いんだけど、やっぱり一年以上スクールに居ることがないから、友達もいない。おかげさまで上辺だけの付き合いには慣れたけどね」
布団のずれる音が上から聞こえた。まだ寝るつもりのなかったケースケは、枕を横にやって両手を枕代わりに敷いている。友達がいない。それはケースケも同じようなものだ。ユウ以外の人とは、ほとんど話さない。だから同じクラスのアカリですら覚えていない始末。でも、とケースケは思う。
「なんで、こんなこと話してくれたの?」
「私から言い出したんだから、言わなきゃ、不公平っていうか」
「言わなきゃばれないのに。俺だってまだ何も話してないし」
「こういうの話すとやっぱり、うざいの?」
「そういうわけじゃ、ないけど」
そう言ってしまうと気まずい沈黙が部屋に満ちた。
まだ会ったばかりなのに。初めて会った気がしない、とアイは言った。ケースケも同じくそう思っているのだが、いくらなんでも、こんな突っ込んだ話をいきなり話すのは……と考えてみると、それは時間の問題なのかと思う。時間が経てば話せるようになるのか? きっと違う。親しくしようと思うのなら、どうせいつかは話すことだろう。だったら親しくしようと思った時点で、話すのと何も変わらないではないか。むしろ、早く話してしまった方が親しくなれる。だったら、アイは親しくしたいと思っているのだろうか。それはあるいは、夜の囁きが惑わせた気まぐれなのかもしれない。
「じゃあ俺のことも話すよ。俺もユウも同じく一人っ子。生まれからずっとヒウンシティにいる。まぁ、実を言うと俺も友達がいな――――」
そこまで言いかけて何かが脳裏を過ぎった。
友達がいない?
ぱっと浮かび上がる大きな木の映像。木陰に入った子どもたち。楽しそうな顔には、その場
の遊び相手ではなくて、毎日一緒にいるような親しさを感じる。この思い出の中の子どもたちは、友達じゃないのか。そもそも、ここはどこだ。
「どうしたの?」
アイが聞いてくる。ぼんやり、大丈夫と返す。何で思い出せないんだろう。記憶障害なのか。突拍子もないことを考え始める前に、色んな記憶を掘り起こす。友達と遠出して川に入って遊んだこととか、公園で鬼ごっことか、友達の家に行って絵を描いたり、ゲームをしたり。あぁ、一番多いのはゲームかもしれない。そういえば、ゲームばっかりしていた。そうだ、友達が全く居ないわけじゃない。自分が意識していないだけで、少ないけれど友達はいる。
「そっか、いたんだ」
「え?」
「いや、なんでもない」
再びの沈黙。ごめん、と言ってからケースケはまた口を開く。
「俺には語るようなことなんてなかった。アイの話と釣り合わないけど、ごめん」
「いいよ。私が話したくて話しただけなんだし」
話が続かない。時計を確認してみると、そろそろ普段寝ている時間になる。今日は疲れていることだし、寝てもいいような気がしてくる。
「寝よっか」
アイが言った。ケースケは返事をして、枕の位置を戻して、電気を消した。明日はジムに挑戦する。修行のついでにバッチを手に入れたりとか。あとはアイとユウ、居るならばイオが居てもいい。四人で楽しく旅をしよう。
ベッドの上から布団のずれる音が聞こえて、やがて静かになった。ケースケは目を閉じる。
「おやすみ」