第一章 旅をする子どもたち【3】
3
ライモンシティに入ってまずは、観覧車の大きさに思わず目が釘付けになった。ヒウンシティとは、また違った特徴の都会である。ここに来て、自分は隣町のライモンシティにすら来たことがなかったのかと思う。
もっと小さかった頃、夏休みは何をしていたんだっけ。
ケースケは考えてみるのだが、思い出そうとするとなかなか思い出せないのが人間の記憶というものである。本当に全然出てこない。ようやく思い出したのが、公園のような場所にある大きな木。そういえば、昨日の居眠りしたときに見た夢もこんな感じだったか。どうしてだか離れない記憶。もう少しで、何かとても大切なことを思い出せそうだ。
――――何か。
そこで現実に引き戻される。ガラスを割る破砕音が、南中時刻を迎えたライモンシティに響いた。街は一瞬の沈黙の後、狂気の渦に飲み込まれる。
「なに今の!」
アイが叫んで音のする方に向く。それにつられてケースケも視線を向けると、ポケモンセンターのガラス扉が粉々になっているのが見えた。
あ……。自然とケースケの口からは声が洩れる。
「ポケモンセンター連続襲撃事件だ……」
「何それ?」
どうやらアイはテレビを見ていないらしい。疑問を口にしたアイにはユウが答えた。
「最近、各地のポケモンセンターが襲撃されてるんだ。たまたま僕たちは、現場に居合わせてしまった、というわけさ」
ジュンサーさんだとか、周辺施設の警備員が騒然とした街に出てきて、避難を促している。ポケモンセンターからは何かの割れる甲高い音だとか、壁を叩くようなくぐもった音が聞こえてくる。かなりの音量だ。
「君たち、今すぐ逃げるんだ! 避難場所はジムだ。場所は分かるね?」
警備員が話しかけてくる。その人は、周りの警備員よりも綺麗な格好をしていた。スーツを着ていて、正式なガードマンのようだ。恐らくミュージカルホールの警備員なのだろう。
「警備員さん、犯人の武器は?」
「は、武器? 何を言っているんだ、早く逃げて!」
まともな答えは期待していなかった。どうせこの人も犯人についての情報なんて知らないだろう。
ケースケは妙に落ち着いていた。ミュージカルのジャズの代わりに響く悲鳴。人々がポケモンセンターを爆心地のように扱い、息を切らして観覧車の下に駆けていく。そんな光景がどこか滑稽にすら見えた。
「アイ、行こう。俺たちなら止められる」
「当たり前でしょ。早くしなきゃ。敵が、逃げる前に」
自分たちなら勝てる気がした。やれる気がした。警備員の制止を振り切って走り出す。後ろからはユウがついてくる。隣にはアイ。
なぜだか、ずっと前からそうやって走ってきたような気がした。
○
そこには惨状が広がっている。割れるものは全て破片になって、家具の類も全部ぼこぼこ。プラズマ団とロケット団を混ぜたような格好の制服を着て、何人かが歩き回っている。傍らにいるのはレパルダスだ。
左目から色がなくなった。それは向けられる敵意に反応した色彩変化。
姿勢を低くしたレパルダスが、破片を蹴りながらエテボースに攻撃をしかけてくる。つじぎり。強力な横一閃の一撃が、白黒の世界でエテボースを切り裂き、再起不能にする。なぜだか近くにいるアイの姿は見えない。やはり干渉はできないらしい。
色が戻った。
「垂直跳び」
ケースケがエテボースに短く指示を出すと、直後に向かってきたレパルダスの攻撃を避けて、エテボースが頭上の攻撃位置を確保する。そこから身体を捻り、ダブルアタック。再起不能になったのはレパルダスの方だ。
持ち主のトレーナーがレパルダスを戻し、近くにいた別のレパルダスにさらなる指示を下す。連鎖するように数人のトレーナーが攻撃の指示を出してきた。さすがに数が多い。でも、ケースケには能力がある。
襲ってくる三匹のレパルダス。色のない目を通して、三匹の攻撃範囲を正確に読みとる。エテボースが通り抜けられるほどの隙間。そのタイミング。ケースケは完全に把握して、世界に再び色を戻す。
「真ん中のレパルダスの上だ」
その通りに動くと、エテボースは三匹の攻撃をかいくぐって背後に抜ける。それから繰り出すダブルアタック。一匹撃破。反撃にくる二匹のレパルダスも同じように能力で見透す。回避して、カウンター。残るは、一匹。
「ケースケ、伏せて!」
ユウの叫び声だ。急いで伏せると、頭上をレパルダスが跳びすぎていった。バトルに集中しすぎていて、自分の身を守ることまで気が回らなかった。普段はこんな戦い方をしないのだから、さすがに難しい。
「今のは僕が相手するから、大丈夫」
そう言ったユウの傍らにはチラチーノがいる。
「サンキュー。このまま全部倒すぞ!」
掛け声を上げている時でも敵は容赦しない。エテボースに攻撃を仕掛けるレパルダス。よそ見をしていたせいで、攻撃がかする。今度は正確に攻撃の軌道を補足。回避してからのダブルアタックで、最後のレパルダスを片付けた。
アイもほとんど同時に戦闘を終えている。残りはユウが対峙する一匹だけ。それも今、チラチーノが再起不能に追いやった。
「犯人たちを捕まえる。手持ちのポケモンを出してくれ」
ケースケが協力を促そうとしたとき、破片を踏み鳴らしながら警備員たちが入ってくる。まったく、今まで何をしていたんだ。仕事くらいちゃんとしてほしい。そんなことを考えるケースケを尻目に、戦意を喪失した犯人たちを手際よくお縄にかけていく。どうやら警備員だと思っていたのは、ジュンサーたちだったようだ。それならなおさら、警備員は何をやっているのか……。
「よくやってくれたわね、君たち。あとは私たちに任せて、ジムに逃げて。ジムが避難場所になってるから。ジムの場所は――」
いや、とケースケが遮る。
「俺たちが犯人を捕まえたんです。話を聞く権利くらいありますよね?」
ジュンサーは言葉に詰まっている。
「ねぇ、それよりも、ジョーイさんの安全確認が先じゃない?」
「それなら、ご心配なく。奥の部屋で全員無事だという連絡が入っています」
よかった、アイが呟く。
ジュンサーが犯人を全員捕まえ、連れ出そうとするのを、ケースケは遮った。
「ちょっといいですか。少しでいいんで、話をさせてください」
そのジュンサーは、三人のおかげで捕まえられたことを考慮してくれたのだろう。不本意そうではあったが、頷いてくれた。
○
「まずはグループの名前を教えてくれよ」
捕まっている犯人たちの中から、弱そうな男を一人選んでケースケは話しかけた。
「おい、自己紹介の時間じゃねぇんだぞ」
ごもっともであった。
「じゃ、じゃあ、目的は何だったんだよ」
「なんでお前みたいなガキに教えなきゃいけねぇんだ。あぁ?」
完全になめられていた。
「ケースケ、代わって」
アイが代わりに相手をする。まずはケースケをどかすと、近くでヨガのポーズをとっていたコジョンドを呼び寄せる。それから指示を出す。はっけい。
コジョンドの掌打が男の腹部にめりこんだ。男は勢いよく空気をはき出してむせる。
「さぁ、目的を言って」
「くっ、言うかよ」
二発目のはっけい。男は膝を折った。
「言え」
「……はっ、かっ、くそっ、俺たちは、プラズマ団の、残党だ。ポケモンの、解放が、目的。だから、ポケモンセンターを襲ってんだよ!」
男は自棄になったように吐き捨てた。
ケースケは腕を組んで、足下に散らばるガラスの破片を軽く踏んだ。なんで今になってプラズマ団なのだろう。組織はほぼ崩壊して、残っているのなんて本当に下っ端くらいなものだと聞いたことがある。ゲーチスを含めた七賢人が離散した後、組織を率いていく絶対的存在が居なくなってしまったからだ。考えてみるほどにその事実は意外だった。
「そろそろいいわね?」
ジューサーが頃合いを見て、問いかけてくるのにケースケたちは同時に頷いた。
犯人とジュンサーがポケモンセンターから出て行くと、残ったのは三人だけだった。ジョーイたちは奥の部屋から出てこない。もしかしたら裏口や非常口の類があって、そこから抜け出したのかもしれない。惨禍を見渡して、しばらくはポケモンの回復もできないだろうと思う。そうなってくると、大会の本戦が始まるまで修行をしようと思っていたケースケには、あまりいい状況じゃない。
「ケースケ。これからどうするの?」
ユウも同じようなことを考えていたのだろう。
「俺も今、考えてたとこ。ポケセンが使えないんじゃ、ライモンシティは拠点にできないしなぁ」
「何しようとしてるの?」
コジョンドをボールに戻しつつ、アイが問いかけてくる。
「大会は来週だからさ、それまでこの辺で修行しようと思ってたんだよね。でも、これじゃあ、どうしよいもない」
それだったらさ、とアイが提案する。
「いったんホドモエシティに行く、っていうのはどう?」
「……おいおい、お前、テレビ見てないのかよ。ホドモエも襲撃受けたばかりなんだから、使えるわけないだろ」
「そうなんだ。じゃあ、ヒウンシティ方面に戻って、ジムリーダーと戦うのはどう?」
まぁ、それしかない。さすがに回復なしでホドモエ方面に行き、使えるかどうかも分からないフキヨセのポケモンセンターに期待して旅をするのよりは、よっぽど安全な選択肢だ。犯人を何人か捕まえたのだから、ヒウンシティはすぐに襲われることもないだろう。
「じゃあ、そうしよう。って、アイも来るのかよ」
「だめなの? 私も修行したいし。だめって言うなら、いいけど」
「いや、だめじゃないけどさ……。ユウは? いいよな?」
自分に話を振られると思っていなかったユウは、急に名前を言われて口ごもった。咳払いをして喉に空気を通すと、答えて同意を示した。
これで本格的にアイも旅の一行に加わったというわけだ。
「改めて、よろしくね」
珍しくアイは微笑んだ。なぜだかその笑顔を懐かしいと思う。新鮮という感情は起こらずに、ただひたすら懐かしくて、欠けたピースが戻ってきたような、妙な安心感ばかりがケースケの感情を満たしていた。なぜだろう。考えてみても分からない。
ユウがよろしく、と返して、ケースケも慌ててよろしくと言う。手を伸ばしてくるから、それに応えて手を握ると、女の子の柔らかい感触と温度が伝わる。それからまた笑った。ケースケも微笑み返す。その笑みすら懐かしい。なぜだろうか。でも、どうでもいいではないか。
喜びもその笑みも、今ここにあるのだから。