幻想にキコエル
第五章 子どもたちが視た幻想【5】
 5

 もう一度、よく考えてみなよ。あの問いの答えを。

 ユウがそう言い残して、フードの集団とともに何処かへ消えた。アルがふらふらと人形のようにどこかへ歩いていった。続いてイオも。
 今は何も考えたくなかった。一人になりたくて、この創られた空を見上げてみたくて、ただひたすら広い空が見えそうなところを求めて歩いた。
 どれくらい歩いたかなんて分からない。そろそろ夕方だ。子どもが自分の家に帰る時間。そんなときに鐘の音が聞こえた。音のする方を見上げると、そこにはタワーオブヘブンがあった。この塔の頂上からは、空が見えるだろうか。漠然とした思いを抱いて、塔の中に入った。
 ひたすら上にのぼる。途中で人と会うことはなかったし、ポケモンに会うこともなかった。恐らく、この世界に野生のポケモンはもう居ないのだろう。ユウがそういうふうに世界を改変したのだ。子どもたちを、現実に戻すために。
 塔の頂上についた。鐘は独りでに鳴っている。
 真ん中に座って寝転がり、大空を仰いだ。
「ケースケくん」
 アカリが視界を遮って覗き込んでくる。ずっと後ろを歩いてきたのかもしれない。それにすら気がつかなかった。みんなで過ごしたこの夏休みが、思い出が、最初から創られていた物語で、これから消えてしまうかもしれない世界での出来事だった。今のケースケには、思い出の喪失が世界の滅亡に等しかった。
「ごめんね、アカリちゃん」
 どうして謝ろうとしたのかは分からない。謝るべきなのだろうと思った。
 アカリは首を振った。鐘が鳴り続けている。
「私、本当にケースケくんのことが好きなの。嘘でも、作り物でもなくて、本当に……」
 ほら、と言って写真を広げる。起き上がって、アカリの広げる写真を見た。
 それは旅路だ。リゾートデザート、古代の城、ホドモエの跳ね橋、ライモンの観覧車、冷凍コンテナ、タワーオブヘブン、それに、集合写真。至る所でポケモンが写っているし、ケースケたちも間違いなくそこにいた。
 間違いなく、そこにいたんだ。
「ありがとう。俺も、アカリちゃんのこと、好きだったみたい」
 アカリが堪えきれなくなって嗚咽する。見ていられなくて目をそらした。大きな鐘が視界に入る。鐘の音は小さくなり始めていた。
「ケースケくん、そろそろ、お別れかな」
「えっ」振り向くとアカリの姿がぼんやりと薄れてきている。最初からそこにいた人ではなく、景色が先にあって、そこに人が浮かび上がっていたかのようだ。
「本当に、作り物だったみたい、私……」
 涙が輪郭をなぞって落ちていくけれど、それは地面に着く前に消えていく。
「違う、そんなはずないよ」
 アカリの腕に触れようと手を伸ばした。接触しているはずなのに触っている感覚がない。しかし、すり抜けることもない。確かにそこに存在していると分かるのに、触れることはできなくて、やがて最初から存在しなかった存在になってしまう。
「おかしい、こんなのおかしい!」
 叫んだ。目頭が熱くなって視界はぼんやりとしている。鐘の音が終わろうとしている。
「ケースケくん、ありがとう。私を創ってくれて、ありがとう」
「なんでだよ、これから学校が始まって、俺たちはそこで会うんだろ!」
 アカリが静かに首を振る。
「もうダメみたい」
 目の前の光景が信じられなかった。アカリの存在がどんどん希薄になっていく。本来あるべきはずの景色ではなかったのだと、世界が拒絶するように、この世界の空気が同化を求めている。
「いくなよ! だって、俺だって、アカリちゃんのこと、本当に……」
「ありがとう」
 最後まで言い切る前にアカリが遮って微笑む。それが本当に儚くて、今にも消えようとしてるのだと分かった。
「またどこかで会ったら、もう一度言わせてほしいな」

 好きです、って。
 
 鐘の音が鳴り止んで、創造の世界が改変された。
 地平線の彼方に夕焼け空を見るケースケは、独りだった。

 ○

 ずっと空を見上げていた。夕焼け空はやがて暗くなり、満月を連れて夜になった。星が瞬き始める。現実と似通ったところは本当に多かった。
「ここにいたんだね。探したよ」
 アイだった。その声を聞いた瞬間、安堵感がこみ上げてきて思わず泣き出してしまった。
「なんで泣いてるの」
 答えずにむせび泣く。アイがため息をついて隣に座った。
「なぁ、俺たちの間違いはなんだったんだ。何がいけなかったんだよ。どうしてアカリちゃんが消えて、この世界も消えなくちゃいけないんだ」
 もっと色んなことを吐き出したかったのに、嗚咽がそれを許さなかった。
 しばらく夜空を眺めていたアイが、静かに言う。
「私たちは何も間違ってない。ただ、ちょっとだけ大人になってしまっただけよ」
 あぁ、そうか。と思った。精神的には何も変わっていないし、変わりたくなかったかもしれない。けれど、時間が経つにつれて、社会的には大人にならざるを得ない。ずっと子どもでいることはできない。ひたすら何かに没頭することが許される子どもの時代は終わってしまったのだ。大人になるってこういうことだ。
 子どもの頃から持っているものを失うとき、人はきっと大人になるんだ。
 あぁ、あぁ。何もかも失ってしまう。
「私だって、泣きたいのに」
 かすれそうな小さい声でアイが呟いた。
「そういえばさ」
 今度はケースケに向けて話を切り出す。
「地方対抗大会どうするの? 代表でしょ?」
 さっきまでのことなんて、なかったかのように聞いてくるアイに面食らった。
「出るわけないだろ。そんなの」
「辞退するってことだよね? じゃあ、あの決勝は私の勝ち。君に伝えたかったこと、言ってもいいよね?」
 一瞬何のことだろうと考えてしまったが、すぐに思い出して頷く。
「あのさ、本当はこんな時に言いたくないんだよね。全部思い出しちゃったから。でも、ここで言わなきゃいけない気がしたから、言っておく。私、ケースケのことが好きだよ」
 アイまで消えてしまわないだろうか、そう思って見るけれど、アイは確かにそこに存在していた。何かを言おうとして口を開こうとしたら、アイがそれを止めてさらに話し出す。
「ケースケってさ、ケイちゃんのこと好きなんだよね」
「え? 違う。俺が好きなのは、アカリちゃんで……」
「本当にそう? アカリちゃんはケースケが創造したキャラクターでしょ? 誰がモデルになってると思う? 初めて会ったときのあの口調、ケイちゃんと同じだと思わなかった?」
 そうか。そうだったんだ。ケースケは全て思い出した。確かにアカリを創造したのはケースケだ。しかし、アカリにはモデルが存在していた。自分を好きになってくれるように、そんな幼い願望を込められたモデルがいたのだ。
 確かに口調はケイに似ていた。けれど、本当にそうか? ケースケにはもう、全て分かっている。思い出した。思い出したんだ。
 この物語をユウが持ってきたとき、それからみんなで物語に手を加えていったとき、当時、ケイちゃんは敬語だった。確かにそれは間違いない。でも、それだけじゃない。
「そうだ、あの口調はケイちゃんと似ている。でも、俺から一つ聞いていい?」
「何?」と返ってくるのを聞いて、ケースケは先を話す。
「昔、アイってケイちゃんに憧れてたんだよな」
 アイが息を呑んだ。
「そ、それは、私が昔からあんたのとを好きで、あんたはケイちゃんのこと好きみたいだったから、昔からって言うか、今も憧れてるけど……」
 やっぱり。ケースケはそれで納得した。アイはケイに憧れていたから、この物語を創った当時、現実に存在していたアイの口調は、ケイやアカリと同じ、敬語混じりだったのだ。
 考えてみれば少しおかしいような気はしていた。見た目は活発そうで、服装からも清楚よりは、明るいイメージが強いアカリだった。それはどちらかと言えば、アイの特徴だった。それなのに口調はケイみたいで、ちぐはぐな感じがあった。
 そして、全部思い出した今なら分かる。ケースケはアカリが好きで、現実にいたときは、それ以上に長くアイを想っていたのだ。
 アカリは、数年前のアイだ。
「はは……そういうことかよ、なんだよ、そういうことだったのかよ」
「何? どうしたの?」
 涙もいつの間にか止まっていた。もう泣く理由はなくなった。
「この物語は、子どもたちのために存在する物語であり、俺のための物語でもあったんだ。たぶん、主人公がいるとすれば、俺なんだよ。だってさ、俺一人だけ、過去にやり残したことをもう一度やるチャンスが巡ってきてるんだ」
「それってどういうことなの?」
 つまりさ、
「全部思い出したんだよ。アカリは、俺たちが物語を創っていた頃の、アイだったんだ! 幼い頃のアイだったんだよ! 俺は、自分の本当の気持ちを告白できたんだ。言えなかったことを、言えたんだよ」
 アイは驚いた顔になった。照れたように俯く。
 それからアイは笑って、その表情のまま涙を流した。頬につっと涙の筋ができて、それが満月の下で暗く反射した。
「そうだったんね……それなら、いいよね。私が言っても」
 次にアイが言う言葉を簡単に予想できた。なんて出来すぎた物語だ、結局これはどうすればいいのだろうかと考えた。
「好きです」
 アカリとの会話を聞いていたのか、何か他のことがあったのか、アカリと別れ際にした約束は、アイによって果たされる。どんな返事をすればいいのだろう。この世界では、確かにアカリのことが好きだったのだ。
「ありがとう」
 それ以上のことは言えなかった。だって、そうだろう。現実のアイは高校生で、藍沢みぞれという名前があって、過去の藍沢みぞれは、アカリなのだ。だったら今、目の前にいるアイは誰だ? 見た目は違うけれど、中見は高校生のアイに決まっているではないか。それなら、返事をする相手は、今目の前にいるアイである必要はない。
「元の世界に戻れたら、絶対に返事するから」
「うん。待ってる」
 それから沈黙が流れた。夜空には星が瞬いて、満月がそれを引き連れて地上を照らしていた。
 不意に沈黙を破って鐘が鳴り出す。誰かが鳴らしたわけでもなく、それは何かが終わろうとしている合図のように思えた。
「ユウが鳴らしてるんだろう」
 そう言いながら涙を拭おうとした、既に頬をぬらしていた涙は乾いていた。
「たぶん、そうだよね。そろそろ答えを出せってことなんだと思う」
「問いっていうのは、『――ポケモンが、人生のすべてだよね?』ってことに対する答えのことだよな」
 アイが頷く。
「誰が言ったか覚えてる?」
「もちろん。本人は覚えてるかどうかしらないけど、ユウだよな。ユウ本人が言ったんだ。たぶん、否定されることを期待して」
 そう、意識を失う寸前に、ユウが言ったことだ。それに対する答えをもう一度考えてくれって、要するに答えは一つしかないじゃないか。今ではちゃんと理解している。
 子どもの頃からみんな、ずっとポケモンが好きだった。室外だろうが室内だろうが、場所を気にせずにゲーム機を持っていって、ポケモンばかりやっていた。それは成長しても変わらない。数字ばかり考えて、ゲームの楽しみ方は変わったかもしれないけれど、ポケモンが好きで、ポケモンばかりに熱中するのはみんな変わっていなかった。恐らく、ユウ以外は。あの日、みんなが意識を失ったあの日も確か、ポケモンの大会がある日だったのだと思う。そこで問いかけたユウは軽率だった。答えなど、聞かなくても分かっているじゃないか。
 でも今では、当然ポケモンだけが全てじゃないということも分かっている。最初から分かっていたのかもしれない。ただ、逃げていただけなのかもしれない。気づいてないふりをし続けてきたのかもしれない。
 この幻想の世界で、向き合ったものは何だったのだろう。ケースケは自問した。ここで思った全てのことを言葉にするなら、たった一つだけ答えがある。

 子どもたちが幻想の世界で向き合ったものは、現実だ。

「そろそろ戻ろうよ、啓輔」
「おう! 認めよう。俺たちは、ちゃんと成長してるんだ。帰ろう、みぞれ。俺たちの世界へ!」

 ――人生は、何か一つが全てになるものじゃない。


 大きな木の下にいた少年たちは、夕日の反対側に向かって走り出した。
 少年がたった一人そこに取り残される。
 ランドセルの上に乗ったノートが目に入った。表紙には何も書かれていない。
 ノートを開いてみると、拙い字で色々なことが書いてある。そこには子どもたちが覚えたばかりのアルファベットも並んでいた。
 本宮啓輔、K。藍沢みぞれ、I。加内恵子、K。及川一、OE。真坂歩、R。大見勇気、U。
 登場人物のモデルになった名前と、それから、子どもたちから取ったアルファベットだった。
 少年はランドセルからペンを取り出した。ノートを閉じて、色とりどりのペンを構える。
 表紙にペンを走らせた。一文字ずつ、別の色を使って。
 幻想にキコエル
 それがこの物語のタイトルだった。
 いつか自分たちが大人になったとき、今のぼくたちを忘れないように。本当はそんな想いが込められたタイトルであるはずだった。しかし、その物語はまったく逆の願いを果たすことになる。
 子どものぼくたちが、大人になるために。
 想いや願いに違いはあったかもしれない。しかし、物語に付けられた名前の意味は、今もずっと、変わらない。

 現実の音が、幻想にキコエル。
 

浅香 ( 2011/11/29(火) 21:16 )