第五章 子どもたちが視た幻想【4】
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フードの集団は五人居た。街の中でポケモンを出すのは色々と制約も多いから、九番道路の方へ一斉に走り出す。フードの集団も追いかけてきた。
「何なんだよこいつら、気味が悪い」
アルが走りながら独り言のように呟く。九番道路に入って草むらが見えてきた。
「九番道路に入ったら散ろう。巻いたらソウリュウシティのポケモンセンターに集合な!」
そう叫ぶとそれぞれが返事をして、別方向に散り始める。
「わっ」短い悲鳴をあげてアカリが転んだ。ケースケが少し先のところで反射的に止まって振り返ると、フードの集団は転んだアカリを無視して追いかけてきた。狙いは最初から五人にあるのかもしれない。それから、同じ方向にフードの集団も散っていく。ケースケのところには一人だけ来た。
できるだけ人気のないところを探して逃げる。草むらを突っ切って木のかげをまわり、岩屋のようなところを見つけて、その前で立ち止まると、相手も同じようにして立ち止まった。
「目的は何だ」
あまり期待はしていなかった。予想通り何か言葉が返ってくるようなことはない。
相手がポケモンを出そうとしてくるので、慌ててエテボースを出した。相手のポケモンも同じエテボースだった。
「ねこだまし!」
指示を出すと、それに反応したかのように、相手のエテボースも同じ攻撃をしてくる。相打ちになった。
ダブルアタック。まったく同じモーションで打ち合う。ギガインパクト。二つの尾が衝突して互いに吹っ飛んだ。とんぼがえり。同時にぶつかって手元に戻る。
続けてライチュウをだしたら相手も当然のようにライチュウを出してきた。
「何なんだよお前!」
気味が悪い。同じポケモン、同じ攻撃、そして、まったく同じ動作。まるで鏡だった。ライチュウに指示を出して、攻撃を繰り返すと、相手が倒れるころにはこちらのライチュウも倒れる。いったん戻してエテボースを出したら、同時にボールを放ったはずなのに、相手もエテボースだった。作戦まで一緒だ。
再び同じ技を撃ち合って同時に倒れる。
しらず息を止めていた。三匹目まで一緒だったら、どうしよう。
どうしてだろう。なぜだか三匹目のプテラまでもが一緒な気がする。これほどの相手なら徹底的に同じポケモンで来るだろう。
ボールを投げた。空中で二つのボールがぶつかり合い、落ちてくる途中で光が弾ける。そこから出てきたのは二匹のプテラ。あぁ、やっぱり。
「いわなだれ」
ヘッドセットを通して出した指示は、相手に聞こえているはずがなかった。
それなのに通常の二倍の量が空中に浮かぶ。それはつまり、相手も同時に同じ攻撃を仕掛けたということだ。二匹のプテラが岩を浴びて倒れ、そのまま動かなくなった。
プテラをボールに戻す。これでケースケの手持ちは全滅した。
フードのやつはどうなのだろう。たぶん、やつも同じだ。そんな気がした。
地を蹴ってケースケはフードに向かって駈け出す。風が吹いていると感じるのは、走ったのが久しぶりだったからか。ケースケが迫ってくるのに、フードはぴくりとも動かない。草を踏みしめる足に力を込めた。
フードに跳びかかり、肩を掴んだ。それでもまったく動こうとしない。
「くそっ、なんだよ、きもちわるいんだよ!」
フードをはいだ。女にしては短めの、男にしてはやや長めの黒髪が見える。背筋に冷たいものが走った。なんだか嫌な予感はしていた。
「うわあぁぁあぁぁぁあぁあああ!」
叫びながら仮面をはいだ。
直後、ケースケはフードから両手を離して、後ずさりした。うまく地面を踏めなくて、後ろにむかって倒れる。倒れても両手をついてさらに退く。
「どうしたんだよ」
フードが初めて口を開いた。そいつは男だった。
鼻の奥がつんとして、思わずむせてしまった。汗が背中を流れた。泣きたくなる。
そいつは、ケースケとまったく同じ顔をしていた。鏡なんてもんじゃない。本当に一緒だった。
「俺は、お前自身だ。分かるだろう」
呆れたようにそう言ってから、さらに続ける。
「帰ろう。現実には、もっと大切なことがたくさんある」
顔を歪ませて思いっきり叫んだ。無表情な自分を目の前にして、力の限り咆哮をあげた。自分自身。そんなわけがあるか。
フードを被り直した男の子が、背を向けて去って行こうとする。
直後に風が吹いた。大きな木がある。いつかの光景だ。思い出の中に引き込まれ、フードの男の子はどこかに消えた。
夕日に染まった子どもたちが、木の下で楽しそうに話している。ランドセルがその辺に転がっている。その数は六つで、黒いランドセルが四つと、赤いランドセルが二つ。黒いランドセルのうちの一つはやけに綺麗で、その上には不似合いなボロボロのノートが乗っていた。
子どもたちが立ち上がった。何か話しているようだが、まったく音がない。何も聞こえない。
やがて子どもたちは夕日とは逆の方に向かって走り出した。
「待って、くれ」
フードの男の子は、無視してさらに先を歩いていく。慌てて立ち上がって走り出すと、相手も走り出した。いつの間にか現実に戻ってきている。
草むらをかき分け、少しも距離を縮めることなく走っていく。ソウリュウシティの目の前まで来て立ち止まった。そこには他の子どもたちと、フードをかぶって、みんなと同じ顔をしたやつらがいる。その真ん中には、何故かユウがいた。
「久しぶりだね、ケースケ」
「何だよこれ」
「まあ、慌てないでよ。ちゃんと説明してあげるから」
そうして笑ったユウの笑顔は、ケースケの知っている笑い方じゃなかった。
「能力を書いた手紙は読んだよね。君たちはセンスと呼ばれる特殊な能力を持っているんだ」
そう言って、みなの反応を覗っているようだが、どれも驚愕とか恐怖とか、様々な感情に支配されていてそれ以上の反応は示さない。
「能力を持った子どもたちは六人いた。君たちと、それから、ぼくだ。ぼくの能力はシックスセンス。第六感。能力は、世界の改変、運命の変更、最強の幸運」
なんだよ、それ。
「なんでぼくばかり、こんな能力を持っているんだろうね。君たちは知っているはずなんだよ。でも、忘れている。思い出した? いや、そんなはずないよね。なんでぼくがシックスセンスなのか、知りたい?」
聞きたくない。聞きたくない。キキタクナイ。同じ言葉が脳内をぐるぐると巡る。
「ぼくが、この物語を創ったんだよ」
脳裏を大きな木の光景が過ぎる。
「何を言っているの……」
アカリが呟いた。
「分からないかな。つまり、この世界は全部、嘘なんだ。幻想なんだよ」
そんなはずない。嘘だ。違う。
「おかしいだろ!」
気づいたら叫んでいた。
「だって……俺には、この世界の思い出がいっぱいあるんだ」
「違うと思っているなら、どうしてそんなに慌ててるの? 本当は、気づいているんじゃないの? この世界が作り物だってことに。思い出の中に、ポケモンがいないってことに」
あぁ。
どうして過去が曖昧なんだろうと思った。どうして世界がこんなに新しいんだろうと思った。それは……でも、そんなの、あっていいはずがない。
「ケースケくん、騙されないで」
アカリの凛とした声が言った。
「ユウくん、それは嘘だよ。私はこの世界の写真をいっぱい撮ってきたんだから。ユウくんの写真だって、ケースケくんの写真だって、いっぱい持っているんだから。嘘なわけがないの」
「この創られた世界での、思い出なんて」
吐き捨てるような声でユウが言った。
「本宮啓輔。これがケースケの本当の名前」
モトミヤケイスケ。初めて聞いたはずなのに、耳に馴染んですっと脳内に入り込んでくる。
「藍沢みぞれ。アイ。加内恵子。及川一。真坂歩。それからぼくの本名が、大見勇気。ここにいるフードの君たちは、本名を持った君たち、現実に帰らなきゃという想いから創られた、もう一人の君たちだよ。そしてアカリちゃん、君は創造上のキャラクターだ」
途端に頭痛がした。スライドのように様々な映像がちかちかと明滅する。視界を占領しては消え、占領しては消え、けれど、そのどれもがどこかで見たことあるような光景だった。
「そんなの嘘だよ!」
アカリが声を張り上げた。
「私が創造上のキャラクター……? どうして? 私はここにいるのに、ユウくんが作り上げた幻想だって言うの!? この苦しさも、ケースケくんを好きな気持ちも、全部作り物だって言うの!?」
「たぶん君というキャラクターを作ったのは、ケースケだと思うけどね。ぼくらは昔、ぼくがノートに綴った物語を元にして、この世界を創ったんだ。ここでは小学生だけど、本当のぼくらは、もうすぐ大学生になるんだよ」
「なに、それ……」
「それに気づいてるのかな。君がケースケを好きなのはバトルの腕があるからだろ? でも彼は、能力のおかげで強かったんだ。わかる? 作り物の外では、何もできないただの少年さ」
「私がケースケくんを好きなのは……バトルが強いからじゃ、ないっ」
もう何も言ってほしくなかった。どこかで小さく作り物じゃないか、そんな気がしていた。誰かに会う度に感じる懐かしさに違和感を感じていた。大人がほとんど存在しなくて、社会のルールがほとんど存在しないこの世界も。すべては小学生だったころの自分たちに都合のいいものだけで、この世界は幼い自分たちが創造できるだけの限界で構成されていた。全部分かっていたのかもしれない。認めたくなかっただけで。
「ケースケ、現実のぼくたちがどうなっているか、覚えている?」
「知らないよ」
「そっか。でも、いずれ思い出すんだよ。ぼくたちは、この世界で色んな事に違和感を持ったはずなんだ。でも、この小学生の頃の感覚には、まったく違和感を感じなかったはずだよ。どうしてだか分かる?」
首を振った。汗か涙か、雫が頬を伝う。
――――現実のぼくたちは、昔から何も成長してないってことさ。