第五章 子どもたちが視た幻想【3】
3
びっくりしてしまうくらいフラッシュを浴びたし、決勝進出が決まったときとは比べものにならないくらいのインタビューを受けた。それからテレビ局に「思いっきり泣いてください」と言われたケースケの母親が、どんなに頑張っても泣けなかったという事件があったり、優勝を決めたケースケがアカリに抱きつかれて倒れるという事件があったり、大会の最終日はそうして幕を閉じた。
翌日まで眠っていたケースケは、ポケモンセンターの一室で目が覚める。
眠りすぎていたせいで後頭部と背中が痛い。状態を起こすと頭をゆるく締め付けるような鈍痛がする。目を開けてみると、視界はちかちかと瞬いた。擦ってようやく細目を開ける。宿泊用の部屋だった。
白を基調とした簡素な作りの内装に、二段ベッドが三つ。「おはよう」と言おうとしたら、喉が渇きすぎていて声はほとんど出なかった。ベッドから降りて部屋を見渡すと、誰も居ないことに気づく。とりあえず洗面台に行って顔を洗い、寝癖があるのを確認して、そういえば昨日は髪も洗わなかったなあと思う。少しだけ汗臭い。
さっさとシャワーを浴びて着替えると、時刻は午前十時を過ぎていた。静かだ。誰もいない。シャワーを浴びている間も誰かが来るような気配はなかった。
荷物ばかりが部屋に残されている。
全身を綺麗にしてから鏡の前に立ち、ドライヤーをかける。シャンプーの匂いがふわりと舞った。それが柑橘系の香りだったからか、自分がひどく空腹なことを思い出し、直後にはドライヤーを止め、朝食をとることにしよう、そう思って部屋を出た。
廊下を歩いて、ロビーに出るための自動ドアの前に立つと、センサーがケースケを掴まえて、機械音を発してゆっくりと開いた。
「おめでとう、ケースケ!」
「……へ?」
あまりに唐突すぎて心臓が跳ねる。
クラッカーの音が弾け、くす玉が割れ、「優勝おめでとう、ケースケ」の段幕が見えたかと思ったら、今度は勢いよく帽子を被せられ、視界をふさがれた。
「優勝おめでとう!」
「あ、ありが、とう……」
目の奥が少しだけ熱くなった。
帽子を持ち上げると、決勝の舞台で戦ったアイが目の前にいる。ケースケが優勝したせいで、アイは準優勝だったというのに晴れやかな表情だ。それから色んな人が駆け寄ってきて、ケースケの周りを埋め尽くした。
アカリ、ケイ、アル、イオ、アイ、それに母親もいたし、なぜかこっそり三元院もいたり、他のスクールの代表もいたりして、パーティ会場にさせられているポケモンセンターは予想以上に華やかだった。無駄なくらい至る所で色々な装飾がなされている。
「あれ?」と、見渡しながらあることに気づく。
「ユウがいないような気がするけど」
いくら部屋中を見渡してもユウがいない。
「まあ、表に張り紙もしてあるし、会う気があるなら来るだろ」
アルがコップを片手に肩を組んできた。そういえば喉が渇いているし、お腹も減っている。手紙には会おうと書いてあったのだから、本当に会おうと思っているなら来るだろう。
「そうだね。じゃあ、まずは食べる」
「そうこないとな! あるぜ、あれ」
あれか。
肩に回されていた腕を振り払って目的のものを探し始める。「焦らなくてもなくならないって」アルもそう言うわりには慌てているような気がする。
あった。パーティーは立食のバイキング形式になっている。朝から豪勢なことだ。皿をとって、トングを掴み、それからテーブルの上に視線を移す。
セシナの花の如く真っ白なテーブルクロス。その上に鎮座する大皿は、闇のように真っ黒なブツを盛っている。人々は闇を嫌うか? 否、むしろ捜し、求め、我が物にしようと必死になり、時には闇を目の前にして剣を交わす。我々が求めるものは闇そのもの、いや、闇よりも深い黒を身に纏ったスミパスタに他ならない。兵士が戦場に赴くときの心持ちは、恐らくスミパスタを目の前にした人類のそれと相違ないだろう。彼らは敵を滅するために剣を振るい、人類は闇を掴むために剣を振るう。そこに何の違いがあるというのだ。ここは戦場である。紛う事なき己が信念の衝突によって存在すべき場所である。
「俺がいただく!」
素早い動きで身を躍らせたアル。もちろん黙ってスミパスタを受け渡すようなことはしない。手首のスナップでさらりとトングを弾く。
「ここは優勝者に譲るものだろう」
「あぁ、譲ってやるさ。一本くらいならな」
二人とも大皿に載った大量のスミパスタの全てを食らい尽くしたい、という粋な願望を持てあましている。
「じゃあ早速その一本を……いただく!」
と見せかけて豪快にすくい上げる、そのはずが寸前のところでアルのトングが割って入り、甲高い音が鳴る。
「譲ってくれるんじゃなかったのか?」
「お前の魂胆くらい見抜いてるんだよ……!」
そう言いつつスミパスタにトングを伸ばすアル。横から叩いて、軌道をずらし、その勢いのまま掴もうとしたが、それはくるりと柔軟な動きで戻ってきたアルのトングに防がれる。
すっと、一度引いて無秩序な動きで蛇のようにトングを振り下ろすと、アルは見事に暴れる蛇を掴んでみせた。安っぽいアルミの音がした。いい加減、お腹が減ってきた。空腹で情けない音が聞こえたし、スミパスタや他の美味しそうな料理から漂ってくる匂いが、さらに空腹感を膨らませる。その時、あまりの空腹に一瞬動きが鈍った。
そこをアルは見逃さない。
「俺の勝ちだ! もらったああああ!」
とられる。どうする。横から半分くらい掻っ攫うか? いいや、それでは意味がない。全部食べてからこそだ。兵士の決戦に引き分けなどというものは存在しない。しかし、どうやら漁夫の利というものはどんな決戦においても存在するらしかった。
アルが今まさにスミパスタを掴まんとするその時、あれだけ大量にあったスミパスタが皿ごと一瞬で消えた。トングがテーブルクロスを叩いて、虚しい音を発する。
「ふん、何も成長しとらんな。まだまだわしの相手じゃないのう」
眉を持ち上げて意地悪く笑う爺さんがいた。ケースケは叫ぶ。大人げない!
「くそっ、またか!」
アルが悔しそうに地団駄を踏む。伸ばしたトングが空を切る。
それから、爺さんは「ほっほっほ」うまく鳴けないマメパトみたいな笑い声を残して去って行った。
「……あの爺さん、アルの知り合い?」
「いいや、あんな知り合い居るわけないだろ。あれだ、きっと足長おじさん的なキャラだ」
「子どもの食い物を掻っ攫っていく足長おじさんが居てたまるか」
そこでまた情けない音が腹部から聞こえてきた。
「やっぱ腹減ってるよなー。そういえば、女子三人の手作りケーキもあるぜ」
三人? アイとケイちゃんと、それから……。
「まさか、アカリちゃんが作ったケーキ!?」
「お、おう。早くしないとイオに食われるぞ」
「もっと早く言え!」
トングを放り投げてイオを探したらすぐに見つかった。ケースケに背を向けて何かを食べているようにも見える。向かい合うテーブルの上には、大皿があるようだが、イオのせいでよく見えない。
「よう、イオ」
近づいて声をかけてみると、イオは振り返った。口に思いっきり生クリームをつけている。
「ん、おー、ケースケ。おめでとう」
「おい、今食べてるそれは何だ」
「これ? ケーキだけど、ケースケも食べるか?」
そう言って片手にしっかり握ったケーキっぽいものを差し出してくるのはありがたいが、イオが向かい合っていたテーブルの上には空の大皿があって、ケーキはどこにもない。つまり、残っているケーキはイオの片手にあるものだけ……?
「ケーキは?」
「だから、これだよ、ほら」
ケーキは手で握って食べるものじゃないと思う。
「それしかないの?」
「あぁ、最初はもっとあったんだけどな、色んな人が食べていくし、せっかくのケーキを食べ損なうのは嫌だから俺も頑張ってみた」
「何頑張ってるんだよ! 今すぐ得意の逆立ちして吐き出せ!」
「逆立ちしてもケーキは出てこないぞ? 出てくるのは」
「やっぱやらなくていい!」
ここで再びお腹が鳴った。とにかく空腹で怒鳴る気も失せる。優勝者にはケーキくらいとっておいてもいいじゃないか。しかし、夕方から翌日昼近くまで眠っていた自分も悪い気がするので、怒りきれない。へなへなと力が抜けてしゃがんでしまった。
「ケースケやっぱり腹減ってるんだよな? ほら、食え!」
「うわっ!」口に思いっきりケーキの残骸を押しつけられた。バランスを崩してその場に尻餅をつく。
「ナイス、イオ! 隙あり!」
なんだそれは、と思っていたらいきなりアイが現れる。片手に持っているのは小皿に盛りつけられたケーキだ。おい、まさか、やめろ!
「ばかやろ――」ケーキを顔面にぶつけられて語尾が詰まった。普通はパイでやるはずのものをどうしてケーキでやるんだこいつは。鼻に入ったら息ができないっていうのに。呆れて床に全身を倒したけれど、睫毛についたケーキのせいで目もろくに開けられなかった。
「大丈夫? ケースケくん」
アカリの声だ。期待を胸に目を開けてみる。
「もう一個あるんだけど」
目を開けた瞬間、アカリの満面の笑みと共にケーキが飛んできた。裏切られた。
「おいしい?」
味なんて分かるか。
○
楽しい一日だった。色んな人が祝ってくれたし、寝ている間によっぽどの準備をしていてくれたみたいで、パーティは夜まで飽きることなく過ごせた。その日も遊び疲れて、みんなすぐに眠ってしまい、次の日になる。
気づいたら夏休みも残り三日だ。最後の一日を帰る時間に費やすとすれば、みんなで一緒にいられるのは残り二日だった。かと言って何をしようかと話し合えば、やっぱりバトルをしようということになる。
ジムバッジも残り二個だったから、その日を使ってさっさと集めてしまうことにした。
アカリが、名残惜しいし、そろそろ夏休みも終わることだから、と言って旅の一行に加わる。ユウの代わりになって、子どもたちは再び六人になった。
セッカシティのバッジを手に入れ、ソウリュウシティのジムバッジも難なく手に入れて、八つ全てが揃う。
歓喜だとか緊張だとか、様々な感情を抱いたまま、一行はソウリュウジムを出る。
ジムを出ると目の前には、フードの集団がいた。