第五章 子どもたちが視た幻想【1】
第五章 子どもたちが視た幻想
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ソウリュウシティのジムを借りて行う決勝戦は、たった二人で行われるバトルなのに相当な観客が詰めかけていた。入場できない人もちらほら。素直に広い会場を使えば良いのに、無理して色んな街を転々とするからこういうことになるのだ。
そんなことを思いながら、ケースケは関係者入口の方を眺める。入口はジムの裏側にあって、表側は当然多くの観客が入場時間を待って並んでいる。
「ケースケくん!」
振り向くと久しぶりに見るアカリの姿があった。首からカメラを提げているのは相変わらずだ。すぐに返事をしようとしたのに声が詰まって、背中をアルに叩かれた。にやついてやがる。
「ケースケくん、これ」と、息を整えながら渡してくる小さな封筒。ユウがくれた物にそっくりだ。
「もしかしてユウから?」
「うん。さっきユウくんに渡されちゃいました」
さすがにアカリの目の前で開けるのは悪いと思ったから、しまおうとしたら、「読んでみてください」と言われる。
少しだけ悩んで、時間を確認してみるとまだ余裕があるので、「わかった」と言って封を開ける。今回は一枚だけだ。白い手紙を広げて、文面を追う。
改行が多い。白い部分が多い。なんだこれは、と思った。
ユウはいったい、何をしていた?
「どうしたんだ」
イオの声が背後からする。振り向きたいのに手紙から目を離すことはできない。みなが覗き込んできた。
「これって……」
ケイが息を呑んだ。
「なんでこんなものがあるんだよ」
焦ったふうのアルが言う。
「ん? 見せてもらってもいいですか?」
アカリが覗き込もうとするので慌てて隠した。なぜならアカリは知らないのだ。ケースケたちに特殊な能力があることを。手紙には能力に関することが書いてある。それに、見られてしまったら、軽蔑されてしまうかもしれない。ケースケが秀でているところなんてバトル、それも能力を使った上でのバトルしかなくて、アカリが告白した理由なんて恐らくそういうのを見ていたからだろうし、そのバトルが異常な能力によるものだと知ったらどう思うか。簡単に反応が想像できてしまう。
「ごめん、これは見せられない」
「そうですか……」
アカリが残念そうに俯くのを見ると、自分まで落ち込みそうになってしまう。
「ごめん、そろそろ行かなきゃ」
もちろんそんなことはなくて、まだ時間には余裕がある。気まずさをごまかしたかった。
「あ、その前に、写真を撮りましょう。みんなで。私、三脚持ってきましたから」
アカリもまだ時間があるということに気づいているのだろう。それだったら断る理由もないからと思って、ケースケは同意する。他の四人も同意して、五人が写真を撮れるように並ぶ。アカリが折りたたみの三脚を組み立てて、みんなが入れるように調節した。
「はい、笑って!」
そう言った本人があまり笑えてないような気がしたけれど、セルフタイマーを起動してアカリはケースケの横に来る。思わず心臓が跳ねた。手紙のことで動揺しているのに、アカリが隣にいて嬉しくて、でも笑いきれないし、反発し合う感情を一つにできないまま、シャッターは切られた。撮った瞬間うわぁ……と分かってしまうくらいの苦笑いだった。
「じゃあ、ケースケくん。頑張ってきてください」
「勝ってくるよ」と返事をしたら、横からアイにどつかれる。
「その相手って、私なんだけど」
「あ、アイさんも頑張ってください」
「ついでみたいに言わないで! もちろん私が勝つ!」
どうしてだかアイの闘争心はアカリに向けられているような気がした。対するアカリは意に介さないように微笑んでいる。しばらくすると、アイはふいっと顔を背けて入口に向かおうとする。
「ほら、行こう。ケースケ」
「あぁ、おう……」
確かに時間はそろそろ迫ってきている。
「あ」と、行こうとしたケースケは思い出した。
「アカリちゃん、前から気になってたんだけど、敬語とか使わなくていいよ。めんどくさいでしょ」
「え……うん。ありがとう。じゃあ、そうする。頑張ってきて!」
「ああもう!」返事をしようとしたらアイが遮って、腕を掴んで引っ張り始める。
「早く連れてけ!」
アルの叫び声までした。かと思えばケイの方から似合わない舌打ちが聞こえたような気がするのだけれど、気のせいだと思いたいケースケだった。
○
「手紙のこと、本当なの」
控え室。と言っても二人しかいない。
「たぶん、本当だと思う。嘘だったらよく出来すぎだろ」
そう、まだ手紙のことがある。手紙には恐らくユウからだろうけれど差出人の名前がない。書かれている内容は、ケースケたちの能力を説明したと思われるようなものだった。
「もう一度見てもいい? いや、見る」
その手紙は登場人物紹介のような形式で書かれている。
【ファーストセンス・視覚】
バトル時のみ、相手の行動を一瞬で先読み。色のない世界で数秒先のことがみえている。
【セカンドセンス・聴覚】
バトル時のみ、周囲の心の声が聞こえる。ポケモンにも有効。だから相手がどんな指示をしてどんな行動するのか分かる。
【サードセンス・触覚】
ポケモンに触れることにより、回復と会話が可能。怒っているとき、その能力は反転。回復は吸収になり、会話も強制的な命令になる。
【フォースセンス・味覚】
ポケモンの食べ物を食べることができる。これと言って特別な能力はない。
【フィフスセンス・嗅覚】
においから、ポケモン・物・人などの位置特定。ポケモンの持ち物が分かる。
何よりもこの手紙は、ただユウの知っているとおりに能力が書かれているわけではないということが重要だ。サードセンスなどは誰も知らないはずの情報までもが書かれている。確かにトレインの時など、ケイはたった一人で何人もの敵を倒したはずだった。能力が回復なのにどうして切り抜けることができたのだろうと考えていたが、こんな裏があったとすれば納得できる。
「どうして分かったんだろう。これを見たときのケイちゃんの動揺を見ると、やっぱり本当なのかと思っちゃうよね」
「それだけじゃない。俺は、数秒先が見えることは言ってあるけど、色のない世界のことなんて言ってないんだ」
そうでなくても、なんでユウがこんなことを知っている? 名称まで……。
その時、控え室の扉が開いた。係員だ。もう決勝戦の時間が来てしまったのだ。能力が使えなくても、やるからには集中しなければいけない。
「行こう、ケースケ」
ユウの手紙についてもうちょっと考えていたかったが、そういうわけにもいかない。名残惜しいとは思いつつ返事をする。
「おう。決着をつけよう」
○
スタジアムに二つのボールが舞い上がり、歓声がその場を包み込んだ。騒々しい空間に光が弾けて二匹のポケモンが現れる。コジョンドと、それから、プテラだ。
「エテボースじゃないんだね」
不敵な笑みを見て、ケースケもにやりと笑う。
「戦法を変えたんだ。ワンパターンで勝てる相手じゃないからな」
「気づくのが遅いよ! コジョンド、いわなだれ!」
プテラの頭上に幾つもの岩の塊が現れた。当然弱点を補う対策くらいしてあるだろうとは予想していた。それでもケースケはプテラを出した。
鋭い風切り音を残して岩を避ける。ヘッドセットをオンにした。こうすれば指示が相手にばれない。もちろんヘッドセットを使ってはいけないなどという規定はなくて、指示がばれるのを避けたければ、技名を隠して指示するなど、手段はいくらでもあるのだ。
恐らくアイの方もそうした対策はしてきているはずだ。
プテラが急降下。コジョンドの懐に入って、翼で切り上げようとしたところをあっさりと受け流される。指示を通さない「みきり」だった。
「戻って、コジョンド!」
赤い光線がコジョンドを回収する。
「私にも作戦があるからね」
「それは楽しみだね。俺だって簡単には負けない」
次に出てきたのはゴチルゼル。特殊技を使う厄介な遠距離タイプ。もちろん先手は譲らない。
「かみくだく」
弱点を的確についた指示を出すと、プテラは空中を疾駆する。鋭角を一瞬で曲がりきって、あっという間にゴチルゼルの首元に牙を食い込ませる。短い悲鳴とともにゴチルゼルの表情は苦痛に染まった。これで倒したと安堵したケースケの視界は、ぐにゃりと歪む。
スタジアムの中央、つまりバトルをする範囲で空間が歪み始めた。気づくと倒れたはずのゴチルゼルは、プテラから距離を取って後ろに立っている。「かみくだく」を受けたゴチルゼルが歪んだ空間で霧消した。
「何か分かる?」
挑発するような笑みを浮かべたアイ。分かるも何もない、「身代わり」と「トリックルーム」だ。自分と同じ力押しのトレーナーかと思っていたケースケは、すっかり騙された気分だ。
「プテラ、戻れ!」
速さが逆転した今となっては、圧倒的にプテラの方が不利だった。ボールを取り出して、赤い光線をプテラに放ち、ライチュウのボールを準備する。
しかし、赤い光線は弾かれた。
「なっ」驚きに声が洩れた。
「かげふみ。ゴチルゼルのもう一つの特性。飛んだポケモンにも、影はできる」
つまり、ゴチルゼルを相手にする場合は交代ができないということだ。
歪んだ空間が牢のようにすら見えた。
ゴチルゼルが指揮者のように両手を挙げた。空中に電気がバチバチと音を立てて発生する。逃れようと翼を広げたプテラの動きは鈍い。一瞬のうちに電気がプテラを捕らえた。十万ボルトがプテラの全身に絡みついて、羽ばたく力を失ったプテラは地に落ちる。
「くそっ、こんなはずじゃ……」
ボールに戻そうとすると、今度は弾かれなかった。それはすなわち、プテラが瀕死状態になったということだ。
してやられたと思うケースケの心情をあざ笑うかのように、スタジアムは歓声に沸く。音という音が混ざり合ってケースケを襲った。全ての音を受け入れるなんてことはできなくて、ぐるぐると意味を成さない人の声が脳内で木霊する。頭が割れそうだ。色々なことに焦る気持ちが、自分の思考を押し込めていく。倒れると思った。思考を手放したかった。
悲鳴が聞こえた。
女の人の悲鳴だ。歓声が一気に退いていって、悲鳴が女の人のものだと認識できるくらい、比較的静かな喧噪に包まれていた。その時にはケースケも倒れていて、床がひんやりと冷たかった。目を開けることはできない。動くこともできなかった。ただぼんやりと僅かな感覚が残っていて、今自分が触れている床は、スタジアムのものでないと分かるだけだ。
悲鳴に続いて喧噪がどんどん大きくなる。歓声とは真逆の、焦りとか怯えとか怖れを含んだような負の悲鳴。どよめき。何が起きているのだろう、ケースケは持てる限りの力で、両目を思いっきり見開いた。
荒い息が洩れる。そこはスタジアムの床だ。振動が床を伝っている。スタジアムの歓声はどよめきに変わっていた。
「大丈夫ですか?」
頭上から降ってきた声について、少しだけ思考を巡らせた。そうか、自分は気絶していて、一瞬でも何か悪い夢のようなものを見ていたのか。結論づけてから、力なく「大丈夫です」と答えてなんとか立ち上がった。スタジアムが再び歓声に包まれた。
「しっかりしてよ。これがトリックルームを解く作戦だとしたら、あんた最低だね」
あんた、と呼ばれたことに会ったばかりの頃のバトルを思い出す。あれが夏休みの始まりで、もうそろそろ終わりにもなろうかという頃。それなのに随分遠くまで気がする。
歪んでいない空間でゴチルゼルが立っていた。トリックルームは解けていて、正々堂々と戦いたいケースケは申し訳なくなった。
バトルはトリックルームをかけた状態で再開される。