幻想にキコエル
第一章 旅をする子どもたち【1】
 第一章 旅をする子どもたち

   1

 大きな木がある。風が吹いていて、葉っぱが多くついた枝を揺らす。音はない。木の影が怪物のようにうねうねと変化した。遠くでは夕日が落ちて、音のない世界を淡い金色に染める。
 自分がいて、周りには自分と同じくらいの子どもたち。小さかった頃の思い出。だとして、ここはどこだろう。やけに楽しそうで、記憶の中の少年少女は輝いて見えた。転がっているのはランドセル。その上にあるのはボロボロのノート。きっと、とても大切な物なのだ。ボロボロになってしまっても捨てない。それだけ大切なことが書いてあるに違いない。誰かの宝物であるはずだった。
 ケースケ。それが自分。ノートに名前は書いてない。ケースケ。聞こえる。誰かが呼んでいる。音のない世界で自分を呼ぶ声に、耳を傾ける。
 ケイ。こっちが名前。ケースケはあだ名だ。ケイ、ケイ。何度も呼ばれる。大丈夫、ここにいる。俺はここにいる。

 後頭部を鞄でたたかれて、やっとケースケは目を覚ました。ぼんやりと目を開けて、何も言わずにゆっくりと机から起き上がる。叩いた主を見てみると、予想通りユウだった。相変わらず髪型に特徴がない。中学二年の男子が床屋に行けばこうなるだろう、という量産型の髪型だ。こんな髪のやつは全国にごまんといるはずだ。それに加えて童顔。ミドルスクール二年どころか、ミドルスクール生にすら見られないことも多い。いつもワイシャツを着て、下は黒いズボン。ケースケとユウのトレーナーズスクールには制服が設定されていないため、その格好はちょっと目立つ。地味なのに、地味すぎて逆に目立つというやつだ。
「ケースケ、もうホームルーム終わったよ!」
 教室を見渡してみると、確かに誰もいない。ケースケとユウの二人だけだ。
「じゃあ、帰るか!」
「じゃないでしょ! これから決勝なんだから、早く出る準備しなきゃ!」
 はて、何のことだったか。どうも寝ぼけていてついさっきまでのことが思い出せない。よっぽど寝不足だったのだろう。説明を要する。
「大丈夫? そういえば終業式も立ちながら寝てたし、終わりのホームルームもずっと寝てたよね……」
 そもそも記憶が曖昧なのではなくて、寝ていたせいで夢の記憶しかなかったらしい。終業式は暇だ。だから寝る。眠いし。ケースケはそう考える。
「そーだな、決勝、うん。スクール対抗大会の選抜戦だ。行かなきゃ」
 思い出してくると、少々焦りが生まれる。スクール対抗大会の選抜戦で、ケースケは決勝戦まで順調に駒を進めていたのだ。これに勝利すれば晴れてスクール代表トレーナーになれる。そしてスクール対抗大会に出て、優勝すれば今度は地方対抗大会だ。一度も負けなければ、イッシュ代表まで上り詰めることができるというわけだった。
 アナウンスが入った。ケースケの呼び出しだ。さすがにこれはまずいと思って、椅子を蹴りながらも慌てて教室を出て行こうとする。
「待ってケースケ! これ!」
 そう言って放ってくるものは、ヘッドセット。ワイヤレスの特注品。ケースケがバトルする上で絶対に欠かせないものだ。目にかかる程度の前髪を払い、耳にかかった髪を分けて、左耳にヘッドセットを装着する。これで戦いの準備は整った。
「勝ってくる!」
 友人に宣言して、教室を飛び出した。

 ○

 ケースケはたとえ夏でも長袖長ズボンという格好を崩さない。さすがに生地は薄い物を選ぶが、昔から肌の露出に抵抗があった。目にかかる前髪はちゃんとおでこを隠しているから、露出している部分は手と顔と首元くらいしかない。それでも昔から貫いてきたスタイルには慣れていて、夏の気温でもケースケは涼しい顔をしている。
 しかし、それはいつもの場合だ。今は髪が汗で額に張り付いている。決勝の舞台に立ったケースケは珍しく緊張していた。周りでは外野が勝手に盛り上がっているし、目の前にいるのは学年で一番強いと言われている男子だ。緊張しないわけがない。
 合図があって、両者はボールを放る。スタジアムに二匹のポケモンが現れた。ケースケの方はエテボース。対する相手はというと、ヒヒダルマだった。
「ねこだましだ!」
 先手を取ったのはエテボース。臨戦態勢に移ろうとするヒヒダルマをねこだましで牽制する。ヒヒダルマが怯んだ。そこにエテボースはダブルアタックを畳みかける。それから一度退いて、相手の出方を覗う。
「さすが、決勝まで来てることはあるな! ヒヒダルマ、フレアドライブだ!」
 フレアドライブは反動で自分もダメージを受ける代わりに、かなり強力なダメージを与える大技だ。これをくらってしまっては、タイプの相性が関係なくても相当な痛手になるだろう。しかし、それも当たれば、の話だ。
ケースケが左耳につけたヘッドセットのスイッチをオンにする。指示を受けたヒヒダルマが腰を落とし、地面を蹴った。その瞬間、ケースケの視界が反転する。
 左目が見る世界には色がなかった。右目は何も変わらない。ただし、時の流れがゆっくりになっていた。白黒の世界で、ヒヒダルマは動き出す。炎を爆発させて、一気に全身を炎上。そのままもの凄い勢いで突っ込んでくる。その速さは軌道なんて読めたものじゃない。案の定、その世界ではエテボースも避けられず直撃だった。
 ケースケがマイクに向かって呟く。「一秒後、右に跳躍」
 左目に色が戻り、世界は元通りに動き出した。ヒヒダルマは色のある世界で、フレアドライブを撃ち出す体勢に移るところだ。そして、わずか一秒後。それはヒヒダルマが技を発動させたのとコンマも違わずに同時だった。相手が照準を定め、攻撃を発動するその絶妙なタイミングで、エテボースは跳躍した。あまりにもタイミングが重なりすぎていて、傍目にはエテボースに直撃したように見えた者もいるかもしれない。しかしヒヒダルマが全身全霊を込めた渾身の一撃は、エテボースではなくスタジアムの床を深々と抉っただけに終わった。
「フレアドライブを、避けた……?」
 相手が唖然としてる隙にも、ケースケは指示を飛ばす。ヘッドセットのマイクに向けて囁いた。エテボースが指示通り動いて、ヒヒダルマの背後に回る。ダブルアタックをたたき込んで、カウンターを受けないように距離を取った。自分の窮地を悟ったヒヒダルマは丸くなってダルマモードになる。トレーナーからは舌打ちが聞こえた。
 ヒヒダルマは指示を受けないうちに攻撃をしかけようとする。
 ケースケの左目が白黒の世界を映した。ダルマモードから繰り出されるサイコキネシス。実体のない曖昧な攻撃だ。これをエテボースが防ぐと、今度はオーバーヒート。噴火する火山から撃ち出される火の粉の如く、勢いよく飛び散る火球。それは確かに強力であり、避けづらい技であるが、実体はある。そこに残る僅かな軌道上の空白。火球が当たらない位置を瞬時に特定して、ケースケは正確な指示を下した。
 そうして左目に色は戻り、右目の世界で時の流れが戻る。
 まずはサイコキネシスを「まもる」でやり過ごし、続くオーバーヒートに備えて、わずかな位置修正。それから回避行動に移る。飛んでくる火球を次々に避け、ヒヒダルマに近づいていく。全部避けきって、ヒヒダルマには隙が生まれた。そこに叩き込む三度目のダブルアタック。ダルマモードのヒヒダルマが力なく宙を舞った。
「なんだよこれ……。くそっ、次はレパルダスだ!」
 ヒヒダルマの交代で出てきたのはレパルダス。繰り出そうとしているのはねこだましだ。しかし、ケースケとそのポケモンにとってはそれすらも回避対象になる。左目が見た軌道の通りに指示を出し、否応なくねこだましを回避する。
「なんで当たらねぇんだよ!」
 苛立ち混じりの声を無視して、エテボースの得意技、ダブルアタックがレパルダスの背中を打った。
 ケースケの戦術は単純だった。避けて、ダブルアタックを叩き込んで、その繰り返し。でも負けない。なぜなら、相手の技はほぼ必ずと言っていいほど避けられるし、繰り出すダブルアタックもダメージを確実に蓄積していくからだ。苛立った相手は冷静さを欠いて、元から用意していた戦術を見失っていく。単純なケースケ以上に、単純な行動を取り始める。
 そうなってしまえば、もう勝負はついたも同然。ケースケの勝ちだ。

 結局、スクール対抗大会の選抜戦決勝は、ケースケが勝利して終わった。三対三のシングルバトルで、ケースケはエテボース一匹しか使わなかった。どころか、大会を通してケースケはエテボースしか使っていない。それだけ圧倒的な戦いだった。元から負けるつもりもなかったし、残り二匹は最初から持ってこなくてもよかったくらいだ。
 校内のアナウンスが高らかに勝利者の名前を読み上げ、それから校長が祝福の言葉をかけてくれる。そうして正式にケースケは勝者になったのだ。
 控え室を通り過ぎて、スタジアムの外に出ると、外野があふれていた。校内のチャンピオンになったケースケを間近で見たいのだろう。それには警備員と先生が必死で押しとどめていた。ヒウンシティのスクールとなると、こうまで大規模だ。大規模であるほど強いというわけではないが、ヒウンシティの代表ともなればかなりの実力が認められたことになる。
 さすがに押し寄せる群衆を乗り越えられる気がしなくて、ケースケは校舎側から出ることにした。スタジアムと校舎は繋がっているので、関係者入り口を通って校舎に向かえば問題はないだろう。
 かくしてケースケは目論見通り、何の苦もなく校舎に入ることができた。全校生徒がスタジアムに詰め寄せていたため、校舎の中はがらんとしている。遠くでがやがやと聞こえるくらいで、電気の点かない廊下は静かなものである。これも玄関からは出にくいと判断して、ケースケは裏口に回った。
「おつかれ、ケースケ」
 裏口から出ようとしたところで、ユウに話しかけられる。
「こっちから来ると思ってたよ」
「さすがにあんな人混み抜けられそうもないからな……」
「あはは、チャンピオンは大変だ」
 笑っているユウの後ろには大きな柱がある。そこからひょいと顔を出してきた女の子が居たので、ケースケの視線は思わずそちらに向いた。
「校内チャンピオンのケイさんですよね! あだ名はケースケで、得意のポケモンはエテボース、好きなパンはハニートースト、あとは……」
 勢いに圧倒されてケースケは黙る。チャンピオンを圧倒させるほどの女の子だ。さぞかしいかつい外見なのだろうと思いたくもなるが、そんなことはない。長い黒髪を後ろで一本に結わえていて、小ぶりな顔はどこかガーディみたいで人懐っこそうだ。ケースケはクラスで前から三番目の身長だが、そのケースケよりも少しだけ背は低い。それでも細いシルエットに青のショートパンツとグレーの五分袖パーカーを合わせれば、見た目よりも背が高く見えるし、活動的な印象を相手に与える。
「そう、好きな女の子のタイプが」
「やめろ――! そんな情報どこで仕入れてくるんだ……。てか、君、だれ」
 だれ、と言った瞬間、女の子はすごく残念そうな顔をした。
「ひ、ひどいです。確かに私は目立つような子じゃないですけど、せめて同じクラスの子の名前くらいは、覚えていてくれても……」
「ひどいなあ、ケースケ。あぁ、ほら、泣いちゃった」
 女の子が顔を伏せて両目をこすり始めるが、どう見ても嘘泣きである。
「思い出した、カリンちゃんだ」
「全然違います! アカリです!」
 あ、やっぱり嘘泣きだった。
「それで、アカリちゃんは俺に用でもあったの?」
「いやー、用ってほどのことでもないです」
 どうせその大した用もない子を案内してしまったのはユウなのだろう。ちらりとユウの方を見てみると、目を逸らされた。間違いない。
 なに? 先を促す。
「えっとですね」
 アカリがもじもじとしているうちに、複数の話し声が近づいてくるのが分かった。校舎の奥からだ。裏口から出れば帰路につきやすいという学生も居るから、そういう生徒の集団だろう。ケースケは面倒になりたくなくて、はやく、とさらに促した。
「分かりました、一言で申し上げます!」

 ――――――――好きです!


 ○

 帰宅したケースケは、いつも帰ってすぐにやる行動を全部放棄してベッドに飛び込んだ。カーテンを全開にしていたおかげで、シーツからはお日様の匂いがした。
 ううむ、とりあえず唸る。その、つまり、なんだ。告白? いやいや違う違う。好きですっていう言葉にそんな意味は込められていな……いわけなくて、つまり、告白?
 ケースケはめちゃくちゃに考え始めた。どう考えても告白だった。
 今まで一度も告白された経験なんてない。それもそのはずだ、と自分では理解できている。
 目にかかる程度の前髪は無造作で、そこらを闊歩するイケメンみたいに整えてなんかいない。その割には端正な顔つきだから髪さえ整えれば格好良くなるよね、なんて言われたこともあるが、その髪がなんとかなってないからだめだ。さらに背も低い。クラスで前から三番目なんて、同年代のほとんどの男子より背が低いのだ。これは見事なディスアドバンテージ。せめて背があればもうちょっと外見に気を使うようにもなるのだが。そして極めつけは、年中無休の長袖長ズボン。夏だろうが関係ない。色白の素肌はほとんどコンプレックスで、女子にも男子にも美白と言って笑われるのだ。いい加減うるさくなって、いつからか長袖長ズボンを着て隠すようになった。そんなんだからモテることなんてないし、まして告白とか、恋愛とか、そんなのとは縁もゆかりもタケナワもないのである。
 そんなケースケが唐突に告白されたらどうなるか。決まっている。
 ケースケは全力で逃げたのだ。まずは顔が真っ赤になった。ヒヒダルマもかくや。それからコイキングみたいに口をぱくぱくさせて、頭が真っ白になった。目の前にいるアカリが笑って、それが今まで見たどの女の子よりも可愛くて、とうとうケースケは駆けだした。走る背後で声が聞こえる。内容は理解できない。帰路を走る途中、色んな人から声をかけられた気がした。でもまったく反応できなかった。何かがケースケを走らせていた。そして、息を切らして着いたのは自宅。あっという間だった。息を整えて汗が引くまで玄関先に座り込んで、やっと入ってきて今に至る。
 ううむ、もう一度唸った。
 こんな行動をしてしまっては、やっぱり嫌われるんだろうなあ、とぼんやり考える。はぁ。今度はため息が洩れた。喉を通った空気が妙にざらついていて、そういえば喉が渇いていることに気づく。
 ケースケは二階にある自分の部屋から階下に降りて、キッチンを目指した。家に誰もいないと気づいたのは、コップを棚から出した時だ。普段は汗をかいたまま居間のソファに座ると、母親に怒られる。でも今だったら怒ってくる相手もいない。ケースケは冷蔵庫から出したモーモーミルクをコップに注いで、居間に入り、ソファにどっかりと腰を下ろした。それからテレビを点けて、ミルクを飲む。いつも以上に美味しく感じるのは、喉の渇きが最高潮だったからだろう。
 チャンネルをぴこぴこといじって、何かおもしろい番組はないかと探してみても、夕方四時では大した番組なんてやっていない。仕方なく年少向けのアニメを見ていると、臨時ニュースのテロップが流れ始めた。
 ポケモンセンター襲撃事件。これは三日前に続いて二度目のことだ。襲撃事件は格上げされて、連続襲撃事件になってしまった。フキヨセがやられ、今日でホドモエがやられた。どう考えても犯人グループは左から回ってきている。次の標的がライモンになることは誰にでも予想できるだろう。警備が強化されそうだ。ケースケにとっては直接に関係のあることではないから、どうでもよかった。今の一番の問題はアカリだ。

――いったい、俺はどうすればいい?




浅香 ( 2011/08/11(木) 09:38 )