第三章 子どもたちは恐れを知らない【4】
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いよいよカナワタウンに向かう、その当日。
ケースケたち六人はツアーの集団に混ざってギアステーションに入り、トレインに乗り込んでいく。ツアーがあるとは言ってもカナワタウン行きは、混むこともないだろうと思っていた。しかし、乗ってみると、それは予想外の結果になる。
予想以上に混んでいるのだ。まだ発車の時刻ではないから、発車までにさらに乗客が増える可能性もある。
「なぁ鉄オタ。人多すぎじゃないの、これ」
「鉄オタじゃねぇって」
と、アルは否定しながら周囲を見渡す。
「確かに多い……ん、おい、まさか」
目を見開いて息を呑んだ。その驚愕がどこから来るのか分からなくて、他の五人は訝しげにアルを見つめる。かと思いきやアルは真剣な表情になって、神経を研ぎ澄ましていく。恐らく能力を使おうとしているのだろう。どんな能力なのかは詳しく聞いてないから分からないけれど、索敵能力に優れていることはホドモエシティの時に分かっている。
しばらくそうやって集中していた。やがてアルは顔をゆっくりと振る。
「考えてみれば待ち伏せなんていう、まどろっこしい真似する必要ないんだ。だって、このトレインに乗る以外、カナワタウンに行く方法はないんだからな」
「それって、つまり――」
アイが焦りながら口を開いたところで、発車の合図がギアステーションに木霊する。トレインの自動ドアが軽い音を立てて閉まり、やがてトレインは走り出す。
「そういうことだ。固まってたら一網打尽にされちまう」
その時、乗客がそわそわし出すのを感じていた。発車してから動き出す。そんな不自然な光景。アルは続けて叫んだ。
「散るぞ! 向こうに着いたら合流しよう!」
「えっ、どういうことだよ」
状況を掴めていないイオが慌てふためいた。
「このトレインに敵が乗り込んでいるってことだ。生き残れよ、イオ! ユウも、ケイちゃんも!」
さっさと散っていったアイとアル以外を激励して、ケースケは走り出した。パーカーのフードに誰かの指が掛かったのを振り払う。今日は掴まれる部分の多い服装だった。ケースケは舌打ちをして、車両を移動する。一般人がいるこんなところでは、ポケモンが出せない。それは自分を守るための能力を使えないということだ。
どこかにバトル用の車両があるはずだ。バトルサブウェイとは戦闘をするための施設であり、その中のギアステーションに集まるトレインでは、必ずバトル車両が設けられていた。このトレインも移動が主な目的とはいえ、例外ではないはずだ。
カナワタウンまでの道のりは長い。果たして、逃げ切れるのか。
○
前方をアルが走っている。その間に見知らぬ人がいた。レザーのジャケットにインディゴブルーのデニムジーンズ。一見するとただの一般人。動きにくそうな服装を見れば、敵だなんて決して思わないだろう。しかし、それはカモフラージュでしかない。
アルの逃げる先にはもう一人、男がいた。苦い表情でちらりと後方を確認。ちゃんと追ってきている。
その時、アルが思いっきり転んだ。前にいた男が足をかけていたようだ。ケースケも走る足を急がせる。
跳びかかろうとしていたジャケットの男に体当たりをして、座席にぶつける。うなり声とともに拳が飛んでくる。しかし、それはあと少しのところで届かない。冷や汗が垂れた。
「ケースケ、次の車両がバトル車両になってる! なんとかそこまで行こう!」
言いつつ男にローキックを入れる。態勢が崩れたところにボディブロー。敵を床に叩きつけ、二人は走り出す。
敵が何事か言って来るのを無視。アルが車両の移動に成功した。ケースケも続こうとしたところで、息が止まった。
短く呼気が弾けて、首下が締まる。すぐにフードを掴まれたのだということが分かった。すぐさまパーカーと肌の間に指を入れて、隙間を作る。それでも息が苦しくなってくる。このままでは捕まる。捕まったら、母はどうなる? だめだ、そんなのはだめだ。ここで捕まったら何もかもが終わってしまう。大会も、人生も。それは世界が崩壊すると言っても過言ではない。だとすれば、どうしなければいけないんだ。後ろから倒れていた敵の立ち上がる音がする。二人がかりで襲われたら一巻の終わりだ。そうでなくとも、今フードを掴んでいる敵が攻撃の手法を変えた時点で、終わり。だったら、迷っている暇はない。
ケースケのパーカーは円柱型の木製ボタンに紐をかけて止めるタイプだった。そのトグルボタンを一気に外していって、パーカーをそこで脱ぎ捨てた。
走る。白い肌が露出している。空気に触れている。小さな風を感じる。下のシャツまで長袖にしていたらさすがに暑いのだ。でも、パーカーを脱ぎ去った今は、変な暑さを感じる。熱が全身を駆け回って頭に上っていくような。倒れそうになる。だめだ、それでも前に進む。そして、バトル車両に転がり込んだ。
「おい、ケースケ! 大丈夫かよ」
追ってきた敵をマラカッチが牽制して、時間を稼いでくれた。息が荒い。止まらない。自分を守っていたものがまた一つ、剥がれていった。この白い肌が、昔からどうしようもなく嫌いだった。周りの子どもたちよりも弱々しくて、いつも馬鹿にされて、からかわれて、それから比べられた。お前は普通じゃないのだと、そうした子どもの残酷さで何度も突きつけられた。
「ケースケ、戦えるか」
返事ができない。声が出てこない。小さく頷いたのは見られていないかもしれない。だから、エテボースを出して答えた。エテボースはすぐにケースケの身体を抱え上げて、隅の壁まで運び、凭せ掛けてくれる。それから不思議そうにケースケを眺めた後に、ヘッドセットのスイッチをオンにして敵がいる方へと走っていった。マイクを通るのは荒い息だけだ。それなのに、エテボースはちゃんと指示を受けているかのように、思った通りの動きをしてくれていた。
そうか、と思う。
能力や特徴がすべてじゃない。それで全てが決まるわけじゃない。協力してくれる仲間もいたんだ。
○
「頼む、起きてくれ!」
薄らと開いた瞼を上げる気力が起きなかった。さっきから叫んでいるのはアルだろう。
「くそっ、もうダメか……」
諦めたような声が聞こえる。アルがまずい、起きなきゃ。
ケースケは勢いをつけて起き上がる。
「うわっ、いてっ!」
頭に割れるような痛みが走った。細目の視界に入ってきたのは痛がるアルだ。頭を抑えながら口を歪ませている。痛みを堪えている。
「お前な、ふざけんな、いてぇ」
「ていうか、もうダメか、って聞こえたけど」
周りを見てみると、さっきの敵に加えてあと四人ほど倒れている。倒れた男に腰をかけていたエテボースがケースケに気づいて、跳ねながら駆け寄ってきた。
「そうでも言わないと、起きないだろ」
確かに、そう言われたからまずいと思って起きたのだけれど。
飛びついてきたエテボースが、露出した肌に触れる。知らず鳥肌が立ったけれど、さっきのような嫌な感じはあまりない。だいぶ落ち着いてきたようだ。
エテボースの頭を撫でてやりながら、改めて車両内を見渡す。バトル用に作られた広い空間には、障害物になるようなものがほとんどない。そのただ広いだけの空間に、敵の男が六人も倒れている。彼らは皆違う格好をしていて、本当に一般人を装っていたのだということが分かった。発車のときにアルが忠告していなければ、本当に危なかったかもしれない。
「あ、そういえばさ」
思い出して切り出す。
「アルの能力って何?」
「ん? あぁ、言ってなかったか。まぁ、くだらない能力さ」
そう言って自嘲気味に笑う。
「俺はさ、人とかポケモンとか、色んな生物の臭いが判別できるんだ。もちろん一度嗅いだ臭いならすぐ分かる。そこから場所の特定も可能だ。こいつらの場合、レパルダスとワルビルの臭いが染みついてんだよ。だからすぐに敵だって分かる。な、くだらないだろ?」
「全然くだらなくない。俺たちのことを能力者って分かったのは、やっぱり臭いが分からなかったから?」
「そういうこと。能力者と、その手持ちのポケモンの臭いは分からないんだ」
大きな音がした。
会話を中断して音のする方向に向き直ると、そこには飛び込んできた敵の姿。さらに後方にはムーランドがいた。敵の男はムーランドにのしかかられて倒れる。
「あら、ケースケさんに、アルさん」
ケイだった。涼しそうな顔で前方にムーランド、後方にメブキジカを配置して優雅に歩いている。ポケモンを出しながら移動できるくらいには、敵の数も減ってきたということだろうか。
「よかった。ケイちゃんも無事だったんだね」
「はい。残りの三人は分かりませんけれど」
安堵したケースケに返事をしながら、ケイはムーランドの背中に触れて目を閉じている。
「あれ、そういえばケイちゃんの能力って何だ?」
アルが言うと、ケイはゆっくりと目を開く。
「私の能力は治癒です。それに、馴れたポケモンなら会話もできるんですよ」
花のような笑顔が咲いた。アルは、すごいな、と素直に感心している。
再びケイが目を閉じてムーランドに触れる。恐らく能力を使って治療しているところなのだろう。ムーランドの毛並みが、ケイの触れている周りだけ波打っていた。
「ほんとだ。ムーランドの毛並みが綺麗になってる気がする」
なるほど。確かに異能力は人によって様々らしい。
「どれくらい寝てた?」聞きながら先ほど脱ぎ捨てたパーカーを回収しに行く。
「いくつか戦闘が終わるくらいには、ぐっすりと寝てたよ」
隣の車輌に入ってすぐのところにあったパーカーを拾って、適当に払いながら着る。
恐らく結構な時間が過ぎているのだろう。戦闘用車輌に倒れた敵はいるけれど、隣の車輌には猫一匹だって居やしない。
「たぶん、そろそろ着きますよ」
それが合図になったかのように、トレインは車輪の擦れる音を上げ始める。
「お、着いた?」
「いいや。そろそろ着くのは間違いないが、まだ先だな。ていうか車掌も異変に気づくのが遅すぎるくらいだ。本当ならもっと早く止めてしまうべきだった」
「鉄オタが言うなら間違いないんだな」
「だから違うって」
かと思えば早々にまた走り出す。
「ん? ほとんど止まらない……これは線路に障害物でもあったのか」
アルの分析の本気具合は、鉄オタだとしてもおかしくないくらいだ。
トレインがスピードを上げ始めると、走行中の騒音に乗じて敵が戦闘用車輌に乗り込んでくる。両方から同時にやってきた。何人来たって同じことだ。こっちは三人も能力者がいるのだから、一般人なんかに負けるはずがない。
「最後の仕事みたいだな。さあって、適当に片付けるか!」
アルの叫び声とともに、再びバトルが始まった。
○
カナワタウンに着く頃には、敵はすべて一掃したと言ってもいいくらいだったろう。いちいち敵を探し出して倒す、という行動が面倒だったから戦闘用車輌で待ち伏せしていた。しかし、最後に敵が来たのは到着の三十分前といったような具合だ。疲労がたまっていたこともあって、三人にとってはありがたかったわけだけれど、こんなにあっさりとしていていいのかとも思ってしまう。
その上、警戒して下車したものの、敵は一人も待ち伏せしていなかった。残りの三人とも無事に合流できて、一行は拍子抜けした気分だった。
「楽勝だったんだけど」
なぜかアイは不満そうだ。
「アイのおかげで暇だったぜ」
同じくイオも不満そうだ。
「それはイオの実力不足でしょ?」
「うぐっ……」
そこは言い返すところだろう。
一行はトレインを降りたすぐの場所でかたまっていたから、トレインからぞろぞろ降りてくる人の群れと何度もすれ違った。どの人も服がぼろぼろだ。アルは能力を使うために目を閉じ俯いていた。やがて顔を上げて言う。
「こっちだ」
「誰が見ても分かるっての」
人の群れについていく。本当にその群れは案内するかのようにアジトへと向かっていった。橋の下に降りて、線路沿いに歩き、車輌基地の奥へと歩いて行くといかにもそれらしきものが建っていた。恐らく昔はここも車輌基地だったのだろう。使えなくなった車輌が錆びて扉の横に鎮座している。人の群れはこちらに目もくれず、無言でアジトへと入っていた。六人は立ち止まって、アジトを見上げる。
「どうする?」
聞いてみると、アルが決まってるだろ、と答える。
「ひたすらバトルだ」
「作戦は?」
これにはイオが答えた。
「いらない」
「うん、ぼくもいらないと思うよ」
ユウが続き、アイとケイも続く。
「だって、私たち強いしね」
「能力者ですからね。敵に会ったら倒せばいいと思います」
みなの意見は一致した。
「じゃあ、そういうことで、目的は人質の解放と、ついでに、サンゲン団の討伐ってことでいい?」
その問いにみなが頷く。
そのときの少年たちは、恐れを知らなかったのだ。