第三章 子どもたちは恐れを知らない【3】
3
「やぁ、よく来てくれたね。準決勝、観させてもらったよ。二人とも実にいいバトルをしていた。やっぱりぼくの目に狂いはなかったようだ」
タワーオブヘブンの正面だ。呼び出されて来てみれば、例によって例の如く、三元院がそこにいた。モノクロに統一されたファッションと、目深に被るハットがどこか不思議な雰囲気を醸し出す。象徴的存在と自称するだけあって、一般人とは何かが違うように見えた。
「何の用だよ」
つっけんどんに言っても、三元院は変わらない調子で喋る。
「交渉だよ。わかるかい、理想を求めるには、相応のプロセスが必要なんだ。ぼくも君も、その周りの君たちも、みんなプロセスさ」
「協力するつもりはないって言ってるだろ」
呆れたように言ったところで、やはり三元院は自分のペースだ。
「ふむ、残念だね……ところで、テレビを観たんだ」
テレビを観た、わざわざ言うからにはケースケたちに関係のあることなのだろう。そこから思い浮かぶのは、たびたび放送されていたインタビューのことくらいしかない。アイはもちろん、ケースケに至っては母親まで喋らされていたあのインタビューだ。しかし三元院が何を言おうとしているのか、まったく想像もつかない。
皆が黙っていると、一つ笑い声を洩らして、三元院は言った。
「きれいな、お母様だったね」
瞬間に目眩がした。嫌な予感がする。タワーオブヘブンの鐘の音が聞こえた。魂のこもらないような空虚な響きが降り注ぐ。
「交渉に来たと言ったよね? 今日は、勧誘ではなく、交渉に来たのさ」
「おい! 母さんに何をした!」
口を突いて出てきた言葉には怒気が籠もっていた。あからさまな挑発と脅迫だ。ここまで言われて何がしたいのかなんて、どんなガキでも想像がつく。ケースケは知らず跳ね始めた心臓を抑られずに、脳内で不安を取り除くための術を探る。
「人聞きの悪いことを。ぼくはただ、交渉材料を手に入れただけさ」
視界の端がぼんやりと白くなった。頭の中が沸騰しそうになる。叫び出したい衝動に駆られた。奇声を発して三元院に詰め寄って殴って、そんな暴力的な衝動がこみ上げてくる。
一歩踏み出すと同時、腕を掴まれた。
「ケースケ。怒ったって、状況は変わらない」
振り向くと、アイが真剣な顔をして首を振る。
「そういうこと。一度、アジトに来てみないかい? 交渉、のために、さ」
見下すような笑みを寄こしてくる。
もう、ケースケの感情は動かなかった。アイの一言が現在の状況を全て示していて、ここにいるだけでは何も起きないし起こせない、それを痛感したからにはむしろ冷静になれた。
「どこだよ」
感情を切り捨てて言葉を放つ。
三元院は帽子に手を当て、間を置いてから答えた。
「カナワタウンさ。陸路もポケモンセンターもない。目を背けがちな輪っかの交差する中心。象徴を一度失っている組織には、ぴったりの場所だろう?」
それから、「待ってるよ」と言い残して、テレポートで消えていく。
どこへ飛んでいたのでもないはずなのに、急に現実に戻ったような錯覚を覚えた。
鐘の音がキコエル。
○
「たぶん、罠だ。だから、カナワタウンには俺一人で行く」
一度ポケモンセンターに戻った六人は、ソファに座った。重い雰囲気の中、ケースケがそう切り出して、ユウが「ダメだよ」と反対した。
「だって、ケースケがどうなるか分からないじゃないか」
「それでも俺は行かなきゃ。俺の問題だし、みんなは連れて行けない」
おい、とアルの声がして肩を叩かれた。
「何言ってんだよ。お前の問題ってことは、俺たちの問題でもある。そうじゃないのか?」
「そうですよ。ケースケさん一人じゃ危ないかもしれないですけど、六人いれば何とかなるかもしれません」
「でも……」
「はい、決まり。みんなでカナワタウンに行くよ。親は大切にしなきゃ」
アイがそう言うので、ケースケは何も言えなくなってしまった。
ますます空気は重くなっていく。ケースケとアイの二人が決勝に進出したという嬉しいニュースも、こんな事件の後では場の雰囲気を和ますことはできない。
「よっし、じゃあ、出発するか!」
イオだった。待ってましたと言わんばかりにソファから跳んで、逆立ちを始める。
「状況が状況だけど、沈んでたってしょうがねぇだろ? ほら、行こう! まずはライモンシティのギアステーションだ!」
どうしてだかイオならば場の雰囲気を一転させることができるのだ。
ケースケのために協力してくれる五人がとても心強く思えた。たとえ罠だったとしても、この六人であれば乗り越えられる。そんな気がした。
○
様々な音が交差する。その中で判別できる音は、車輪の動く音と、トレインの発車する音。他の雑多な音などは、混ざりすぎていてよく分からない。
路線は八種類もあった。そのうちのほとんどがバトル用の路線。ギアステーションとはバトルサブウェイと呼ばれる地下鉄の中にある。バトルサブウェイが施設の名前で、ギアステーションはつまり、列車発着所のことを言うのだ。バトルを目的にして訪れる者が大半。駅員以外でカナワタウン行きに乗るのは極稀であった。
「俺に提案がある」
バトルサブウェイに入るなり、すぐさま切り出したアルの声に耳を傾ける。
「今すぐにカナワタウンに行くのはダメだ」
同様のことを思っていたケースケは口を挟まなかった。代わりにアイが「どうして?」と聞き返す。トレインの発車合図が、話そうとしていたアルの咳払いを掻き消した。
「あれだけ挑発されれば、普通の人はすぐに向かうだろう。でもな、よく考えてみろ。カナワタウンに行く方法は一つしかない。何が象徴を失った組織にはぴったりの場所だ。敵を待ち伏せするにはぴったりすぎる場所、つまりアジトを構えるには最高の場所なんだよ」
恐らくそれくらいならば、ほぼ全員がここに向かう途中で思ったことだろう。
「アルって頭良いんだな……」
まあ、イオを除いて。それには構わず、アイが返事をした。
「でも、分かってる? 今日でも明日でも、待ち伏せされている可能性は否定できないでしょ? だったら、遅く行くより早く行った方がいいと思わない?」
そう、結局そういうことになる。それには皆が同意するところだった。
「だからな、俺に提案があるって言っただろう。行くなら明後日にしよう。普段は全くと言っていいほど人の出入りがない。でも明後日は週末だ。夏休み中の週末には、鉄道マニア向けにくまれたツアーがあるんだよ。それに混ざって降りれば、襲われる可能性も減る!」
アルの熱弁に一同は目をしばたいた。確かに一理あると言えよう。でも、うーん、ケースケは一人考え始める。
「アルさん、詳しいんですね」
そうだ、やけに詳しい。鉄道マニア向けのツアーなんて一般人が知っているようなことじゃないのに。
「もしかして、アル」
「おい待て! 俺は別に鉄道マニアとかじゃなくて、ホドモエのマーケットで小耳に挟んだだけだ! だから本当かどうかも――」
「いいよ。恥ずかしがらなくて」
ユウの笑顔付きの一撃が放たれる。
「いや、だから」
「なるほど、鉄道マニアだから詳しかったんだな! 人は見かけによらないな」
イオも続いた。
「あきらめな。鉄オタ」
「うわあああ、くそっ、その言い方はやめろ!」
あぁ、そうか、と考えていたケースケは答えを見つける。
「アル、今のお前、ダゲキみたいな顔してるぞ」
アルは心底嫌そうな顔をした。
○
決行は明後日なのだから多少の時間はある。かと言って何か作戦を立てられるかと言えば、残念なことにカナワタウンがどういう場所かも分からないのだから、作戦の立てようがなかった。それに待ち伏せされているのなら、何を考えようにも、まずは待ち伏せを切り抜けることだけを考えればいいのだ。
だから、六人はポケモンセンターに戻ってだらだらしていた。修行とかバトルとか、そういう気分になれなかったのだから仕方がない。
そんなとき、思いついたようにイオが「あ」と呟いた。
「そういえばさ、俺、変なやつに襲われたんだよ。フード被っててさ、なんか、俺と同じポケモン連れてんの」
「えっ、イオも襲われたの?」
ユウが驚いて返事をすると、ソファで溶けていたアルが勢いよく起き上がった。
「俺も同じようなやつに襲われた。お前らも襲われてたのか?」
つまり、ここにいる全員が襲われていたことになる。
「俺たち四人も襲われてたんだ。相手はやっぱり、同じポケモンを持ってたよ」
「くそっ、やっぱりサンゲン団だろうな……」
今のところ心当たりといえばサンゲン団しかありえない。だとすれば、その目的は何だったのだろう。奇妙なフードの集団を使って襲わせたり、手紙で呼び出して脅迫してきたり、考えれば考えるほど、意図は見えてこない。
「フードの集団をけしかけても倒せなかったから、待ち伏せして確実に潰そうってことなのかな」
アイが考えながら言う。確かにそれが一番可能性の高い答えかもしれない。
「まぁ、そんなところだろうな」
アルも同意する。けれど、ケースケにはどうしても納得がいかなかった。
本当にただ潰すのが目的だったのか。ホドモエの跳ね橋を抜けるとき、やつらは本当に倒すという意思を持って襲ってきただろうか。今考えてみても、それには違和感がある。あっさり逃がしてくれたこと、大した攻撃はしてこなかったこと、など思うところは多い。
「ケースケさん、どうかしたんですか?」
「えっ。あぁ、なんか、おかしいなと思って」
「おかしいって、何が?」
アイが口を挟んできた。
「潰しにかかってきたなら、もっと必死に攻撃してきてもよかっただろ。なのに、大したことされなかった気がするんだよね。あっさり逃がしてくれたし」
「そういえばさ、俺ん時もそうだったぜ。気味が悪いから逃げたんだ。そしたらあっさり逃がしてくれたわ。まぁ、オーディションに落ちた後で、バトルの気分じゃなかったってのもあるんだけどさ」
「もしかして、アルも?」
「……あぁ。俺もだ。簡単に逃げられた」
だとすると、ますます何がしたかったのか分からなかった。
「牽制かもしれない。これ以上、サンゲン団には関わるなっていうな」
「それは矛盾してるだろ。だって、三元院は脅迫に来たんだ」
それから沈黙が流れた。誰も喋らない。何も思いつかなかったからだ。六人の知恵では、ここまでの推理が限界だった。
「俺たち、こんな能力があっても敵の目的一つ予想できないのな」
アルのその一言が、無力さを突きつけてくる。
そしてケースケは気づいたのだ。能力は力じゃない。ただの特徴だ。ポケモンの色違いと同じで、たまたまちょっと違う色だったというだけのもの。だから、やっぱり。
――――――俺たちは、無力なんだ。