幻想にキコエル
第二章 子どもたちは剣を交わす【6】
 6

 おい、ケースケ、また俺の勝ちだ! もっと強くなってくれよ!
 弾けるような明るい声だ。誰がそう言ったのか、思い出せない。でもそんなことを何度も言われていた時期がある。それはつまり、負け続けていた時期ということだ。
 強い風に目をしかめた。細かい砂が顔に当たる。手で覆った隙間から見えた彼は、どこかぼんやりとしている。この強い風の中でも一切怯まず、両手を頭の後ろにやって笑った。指の隙間から見えた彼の顔は、口から上が見えなかった。
 いつか、ケースケが俺に勝つ時も来ちゃうのかな。
 彼は空を見上げる。風に吹かれた髪が後ろに流れる。その時、なんて返しただろう。分からない。けれど、彼はこっちを向いた。
 きっと、何年先も戦っていよう。勝ったり負けたりして、俺たちはそうやって生きていけるんだ。それが俺たちの人生。そうだ、――――が、人生の――――――。

 ○

 空気を震わせる音の塊。スタジアムに満ちた歓声は、ケースケを含めた二人に注がれている。
 定石通りにエテボースの「ねこだまし」が決まって、それからペンドラーを相手に対峙する

「さっさと終わらせてやるよ」
 ハードローラー!
 アルの指示が飛ぶのと同時に、ペンドラーは動き出す。重量感の見た目に騙されてはいけない。エテボースに匹敵するほどの速さで接近してくる。
「まずい……まもる!」
 ペンドラーが跳躍。エテボースの頭上を捉えて丸くなる。大砲玉のようだ。のしかかってくるのを「まもる」で防ぐ。弾かれたペンドラーは手前に着地。そのまま、二叉の尾を振り回して、ポイズンテール。寸前にヘッドセットからの指示で回避した。エテボースも尻尾で地面を掴んで、身体を捻る。
「ダブルアタック!」
「同じ技ばっかり。残念だ」
 ペンドラーの甲殻に伸びる手型の尻尾。背後を取って一撃、それから、二撃――。
 アルの笑う声が聞こえた。
 飛び退こうとしたエテボースが動けない。頭がじん、と熱を持って目眩がした。やられる。目の前でペンドラーに押さえられたエテボースがいる。その態勢から苦しそうに視線をこっちへ向けている。ケースケは口を開いた。あ、と小さく洩れた。何かを言おうとして、それが何なのか分からなくて、口は震えるばかり。エテボースの顔が悲しそうに歪んだ。
 ふっ、と笑ったアル。メガホーン。指示を出した。
 零距離からの容赦ない攻撃。すがるような視線を向けたままのエテボースが、強力な大技を受け、地面を弾んで動かなくなる。
 歓声が聞こえた。大きな音の濁流が耳の中をかき回し、脳をぐらぐら揺らす。眼前に横たわるエテボース。相棒。すがるような目は、もう閉じられている。
 能力に頼るなよ。
 アルの声がもう一度聞こえた気がした。
 能力に頼りすぎていた代償だ。ワンパターンな戦術でも勝てたあの頃とは違う。これがバトルだ。自分にバトルの腕前なんてものはないに等しかった。
 次のポケモンを出さなきゃ。
 モンスターボールにエテボースを戻す。赤い光になってボールに収まる。次の、次の、ポケモン。ボールを取り出す。あ、と思ったときには遅かった。震える手ではしっかりと持つことができなくて、開閉スイッチを押す前の小さなボールは、下に落ちて少しだけ転がった。
「どうしたんだよ、ケースケ。つまらないまま終わらせるなよ」
 全身が冷えている。それなのに汗は止まらなかった。落ちたボールに手を伸ばすと、同時に汗が垂れた。震える手でなんとか掴んで、放る。負けるかもしれない。負けるかもしれない。そんな考えが頭の中を渦巻いている。
 三匹目、それは大会のルール上で最後のポケモンを示す。このポケモンがやられた瞬間、ケースケの負けは決する。
「そうか、プテラだったな。でも、簡単には負けないぜ。さぁペンドラー、いわなだれだ!」
 いきなりプテラの弱点を狙った攻撃だ。頭上に集まる岩の塊を避けながら飛行する。生まれた風はケースケの髪を撫でた。
 ヘッドセットを通して指示を出す。まずは旋回。プテラの頭上を岩が生まれては落ちてを繰り返しながら追いかけてくる。落下すると地面で割れる。また発生。そして、落ちる。次の攻撃に移るその瞬間、旋回に勢いをつけて急降下。ペンドラーの懐まで沈み、翻して切り上げる、つばめがえし。アルが目を見開いたその眼前では、重量のあるペンドラーが宙に浮いている。プテラの後ろで、いわなだれが落ちた。同時に再び飛び上がる。
「まだ、終わりじゃないぞ!」
「ほぉ。そういうのはペンドラーを倒してからにしてほしい」
 ひっくり返っていたペンドラーはまた立ち上がる。今度はケースケの方が驚いた。
 まだ立ち上がるのか。弱点の技を受けてなお。恐らく二度目は通じないだろう。別の策が必要だ。今の状況から導き出される策。能力に頼りすぎない、純粋なバトルセンスをこの一瞬で磨かなければ、勝ち目はない。
「さぁ、いわなだれだ!」
 ペンドラーの方は相も変わらず「いわなだれ」だ。これは誘っているのだろう。もう一度さっきと同じタイミングで、「つばめがえし」を繰り出せ。そう言っているのだ。
 プテラは旋回を続ける。
「どうした、逃げ回ってばかりじゃ勝てないぞ!」
 挑発。逃げ回っているわけではない。機を見計らっている。ケースケは笑った。それはペンドラーの頭上をプテラが通り過ぎた時だった。
 ペンドラーが空中に岩の塊を生み出す時、どうしても避けなければいけない空間がある。ペンドラーの頭上。そこに岩を生み出すことはできない。なぜなら、岩タイプの技はペンドラーの弱点でもあるからだ。
「やばい、逃げるんだペンドラー!」
 いいや、逃げ場なんてない。
 ペンドラーの頭上に岩が生まれた。プテラにはヘッドセットを使って「いわなだれ」を指示した。このタイミング、ペンドラーの頭上を過ぎ、ペンドラー自身の技で、周囲を「いわなだれ」が囲ってしまう、この瞬間を狙って。
 アルが今度こそ息を呑んだ。降り注ぐ岩を避けられないペンドラーは、のたうち回りながら岩を全身に受けた。もう立ち上がれない。
 ジャッジがペンドラーの敗北を宣言すると、スタジアムが沸いた。アルが苦い顔をして、三匹目を出そうとする。
「こいつは出したくなかったんだけど、仕方ない」
 かと思えば冷静な表情になる。
「大会を通して使いたくないんだけどな」
 それは冷静を通り越して、冷徹な仮面のようにすら思える。
「切り札をこの大会ごときで出すなんて、ちっとも思っていなかったぜ」
 ――ケースケ。
 名前を呼ばれて、はっとする。なんだろうこの感覚は。思い出の中に手を伸ばしてくるような、思い出を二人で共有するかのような、とても不思議な感覚。名前のつけようがない感覚に、酔いそうになる。
 ボールが放たれて、光が生まれる。歓声が飛び交う中に出現した、そのポケモンの名はウルガモス。六枚の赤い羽が小さな身体を守るように広がっている。黒い肌に紅の角、貫禄を備えた炎タイプのポケモン。
「初めて見た……」
 驚きに包まれたスタジアムでは、ケースケの小さな呟きなど誰にも聞こえなかったことだろう。
「最後の戦いを始めよう。勝った方が、前に進むんだ」
 アルが笑った。

 ○

 ウルガモスは確かに珍しいうえに強い。スクールの大会程度なら、たいていのポケモンが太刀打ちできないことだろう。だが、ウルガモスだって最強というわけではない。そこまで強いポケモンでなければ、相性が悪くたって押し切れる。
 観客の声援が小さくなってから既に二十分ほどが経った。それほどウルガモスとプテラの戦いは均衡していた。相性ではプテラが圧倒的に有利。それなのにウルガモスは相性を感じさせない強さだ。
「そろそろ終わりにしようぜ、ケースケ」
「負けてくれるのか?」
「はっ、冗談。お前が負けるんだよ! ウルガモス、ソーラービーム!」
 ソーラービームを繰り出すには大きな隙が――――。
「忘れたのか? 今は日照りだ」
 最初あれだけ苦戦したマラカッチ。なぜ苦戦したのか。そうだ、全ては「にほんばれ」のせいだった……。つまり、今は、
「プテラ、いわなだれ!」
 日本晴れ。天気は日照りが続いていて、ソーラービームは予備動作なしで発動する。だから、これは賭けだ。技を同時に放ち、攻撃中の隙を狙って確実に当てる。どちらが生き残るか。これで全てが決まる。
 深緑色の光線が空を貫いた。歓声が上がる。岩の塊はウルガモスの羽を削り、受け身も取れずに落下する。プテラはソーラービームの直撃を受けて、地に落ちた。両方のポケモンが同時に動かなくなって、スタジアムは静まりかえった。
「ど、どっちだよ」
 アルの緊張した声を聞いたジャッジは、それでもまだ判断できなくてあたふたしている。その時、積み上がった岩の動く音がした。岩の下にはウルガモスがいる。岩が転がると、スタジアムにどよめきが広がる。ケースケの胸中も穏やかではなかった。ウルガモスに岩タイプの技が決まれば、ほぼ決着がついたと思ってもいいくらいなのに……。だから、「いわなだれ」が無事に決まったときは安堵した。ソーラービームの一発じゃプテラは倒れないと思った。けれど、プテラはまだ立ち上がることができない。長袖の下に冷や汗を感じる。唾を飲み下した。会場にいる全員が、プテラではなく、起き上がるかもしれないウルガモスのほうに視線を向けていた。
「立てよ! こんなところで終われねぇだろ!」
 静かなスタジアムにアルの叫び声が響いた。語尾が震えていて、アルにしては表情が歪んでいる。
 ごとっ、という音がした。それと同時に、ウルガモスの上に積み上がっていた岩が崩れていく。崩れた岩は、周囲に広がる岩の欠片の絨毯を転がる。そして、ウルガモスは起き上がった。飛ぶことはできないものの、目を開けて岩の絨毯を這っている。
 スタジアムが歓声に沸き上がる。その中、ケースケはヘッドセットを掴んだ。
 ジャッジがマイクを手にして、大きく息を吸う。勝敗が決まってしまう。まだだ。まだ終わってないんだ。
「終わってない! まだ、終わってない!」
 思いっきり叫んだ。その声がジャッジの宣言を中止させ、スタジアムを静まりかえらせた。
「お前の負けだ! 認めろよ、ケースケ!」
「それなら、じゃあ! プテラが倒れているのを確認したのか!」
 はっ、と息を呑んで辺りを見渡すアル。ジャッジも同じように見渡す。だが、見つからないはずだ。倒れているプテラを見つけることなどできない。さっき、ケースケは指示を出したのだ。あらゆる視線がウルガモスに向かう中で、ケースケはただの一人になろうともプテラを見続けていた。プテラが動くのをずっと待っていた。そして、起き上がろうとしたプテラに、ヘッドセットを通じて指示を出したのだ。
 ウルガモスが力なく宙を舞った。何が起きたのか理解できた者は少なかったはずだ。スタジアムは異様なほど静かで、ウルガモスの描く放物線が、ひどくゆっくり描かれているように見えた。アルが目を見張る。ウルガモスの下にあった岩が砕けて散った。そこから出てきたのはプテラだった。「あなをほる」意表を突いたその技が、決まった瞬間。
 割れんばかりの歓声が響いた。ウルガモスが落ちた音など掻き消されてしまう。
 ジャッジが大声で勝負の終わりを宣言する。やっと終わったのだ。アルが膝を着いて放心して、ケースケは笑顔をつくれない表情で安堵する。ケースケの勝利だった。
 放心した表情のまま立ち上がったアルは、名前を呼ばれることなく、スタジアムをあとにする。
 弾かれてしまった剣の、拾う術を知らぬまま。
 

浅香 ( 2011/10/05(水) 23:35 )