第二章 子どもたちは剣を交わす【5】
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二回戦の会場はホドモエシティだ。かつてプラズマ団のアジトになっていた冷凍コンテナ。使えなくなった冷凍コンテナの一部は食堂になったが、もちろん他の用途に使われるようになったコンテナは一つではない。そのうちの一つが、スタジアムとして改装されていた。ポケモンバトルができるほど広いコンテナって何だろう、と考えながら、会場に入ってみると、そこは食堂なんかよりも断然広く、観客席を設けられるほどだった。それでもライモンシティの会場ほどではないのだが。
「はい、ケースケくん、ピースピース」
アカリは前の会場で会ったときに言ったとおり、「ケースケくん」と呼ぶようになった。それがどこか照れくさくて、自分でもぎこちないと分かるようなピースをする。すぐ横でアルが格好つけてポーズを取るのが鬱陶しいけれど、アカリの姿を目にするとそんなことどうでもよく思えた。
アカリが応援に来てくれている。ライモンシティの会場で撮影した写真を現像して持ってきてくれた。そこに写るケースケは、引きつった笑みを浮かべて、誰がどう見ても緊張していた。脱力した隙を撮られた写真もある。どれもアカリが撮ってくれたものだ。見ていて顔が紅くなるのも我慢して、しげしげと眺める。何枚かある写真のうち、一枚だけ、自然に笑えている写真があった。アカリを抜けた三人で写っている写真だ。それを見てふと思う。アカリが入った写真は?
「あのさ」
たまらなくなって口を開く。
「アカリちゃんは、写真に入らないの?」
シャッターを切る手が止まった。
「うん……でも、私は、写真家だし、三脚があればいいけど、ないですから」
弱々しく笑うのを見て、無理しているのだということはすぐに分かった。これだけ人がいっぱい居るのだから、撮ってもらうのくらい任せればいいのだ。でも、もしかすると……。ちょっとした疑問が湧く。
「その一眼レフ、他人に触られるのが嫌とか?」
その言葉の意図するところを理解したのか、アカリは先取りして話した。
「それもあります。でも、入っていいんですか? だったら、サブのカメラがあるから、こっちなら……」
「入っていいに決まってる。集合写真を撮ろう!」
任せとけ、と言ったのはアルだ。なぜか綺麗なお姉さんを捕まえてきて、写真を撮ってくれるえように頼んでいる。何が任せとけだ。呆れたのは恐らくケースケだけではないだろう。
それからケースケ、アイ、ユウ、ケイ、アルに加えてアカリが入る。綺麗なお姉さんは、見た目に違わない艶のある声で合図をして、集合写真を撮ってくれた。意識はしなかったけれど、自然に笑えていると思う。アルは当然のように決めポーズをとっていた。身体を斜めに構えて右足をタップダンサーのように上げ、顔を少し俯けて左手を添える。どうやらそれが本人の決めポーズらしかった。
「アルの格好、おもしろい」
「おもしろい? 格好良くないか?」
アイがくすりともせずに言った言葉を真面目に受け止めている。
「なんで格好つけるの?」
「そりゃ、写真に収まるんだから、格好良くないと」
身だしなみを気にしているだけあるというものだ。
時間を確認しようとしたところで、アナウンスが聞こえた。そろそろ二回戦に出場する人は控え室に行かなければならない。
「あ、そろそろ。ケースケくん、頑張ってください!」
「お、おう」
二回戦に出場する三人が控え室に向かって歩いて行く。その後ろを何故かケイがついてきた。前回もこんなことがなかったか? 実はアイが代表だったとか、そんなことが……。
「まさか、ケイって」
「なんですか?」
微笑んでいる。
「スクール代表なの?」
「はい、そうですよ」
首をかしげてさらに微笑んだ。
三人が揃って、「え」と驚きの声を洩らす。
「うふふ、冗談ですよ。三人とも頑張ってきてください」
思いっきりからかわれた。
○
「ケースケ、お前、アカリちゃんのこと好きなんだろ」
控え室に入るなり、アルがいきなりそんなことを言ってきた。
「ば、ばかやろう!」
アカリの顔が浮かんだ。好き? いやいやいや、確かに可愛いし、可愛いし、告白されたのは嬉しくて、あぁ、そういえば告白されていたんだ! それはつまり向こうは自分のことを間違いなく好きということで、だったら、なんだ?
「おい、どうした。顔が真っ赤だぞ。オタマロの次はオクタンかよ」
「だからヒヤップだって! ……って、ポケモンにたとえるな!」
さりなげく頬に手を当ててみると、いつもより熱くて、手は冷たかった。慌てて頬から手を離すと、アルが笑い出し、アイはむすっとする。
「わかりやすいな」
「わかりやすいんだよ、ばーか」
アイが暴言を吐いた。それに振り返ってアルがまた笑う。
「アイの方も分かりやすいんだな」
「なっ、何のこと!」
「お、言っていいのか?」
「ば、ばか、言わないでよ!」
「どっちなんだよ」
アイのほうも頬を染めている。アルがすごく楽しそうなのは、ちょっと腹立たしいけれど、何の話をしているのか全く分からないのが、なおさら腹立たしかった。でも、分かりやすいって、やっぱりアカリのことが好きだと思われているのだろうか。そんなことを考えていたら、またしても係員の案内を完全に聞き逃した。
――スクール対抗大会の第二回戦を始めます。本日の一試合目に出場する選手の招集をします。招集された選手は、速やかに移動してください。ヒウンスクール代表・ケイくん。
今しがた聞こえたアナウンスによれば、前回とは違って出番は最初らしい。まずはケースケの名前が呼ばれた。この会場はライモンシティの時ほど広くないので、進行は一試合ずつだ。招集もアナウンスが丁寧に選手の名前を読み上げてくれる。ライモンシティのときは、試合に出場する人、とまとめられていた。
「じゃ、勝ってくる」
それから対戦相手の名前が呼ばれる。
――ホドモエスクール代表・アルくん。
「……本当にそうだったのか」
そうでなければいいのにな、と思っていたのだが、やはり相手はアルだった。見ると不敵な笑みをこぼしている。
「そういうわけだ。俺も勝ってくるぜ」
アルが先に控え室を出て行く。
○
スタジアムが歓声に沸いた。それは中央に足を踏み入れた時だった。
ライモンシティの時よりも人数はすくないはずなのに、より大きな歓声に聞こえるのは、天気技のために少しだけ天井が空いているとはいえ、コンテナが比較的閉じられた空間だからだろう。反響する声に酔いそうになる。
「まさか、ケースケが相手だとはな」
それでもアルが張り上げた声は聞こえた。低くてよく通る声だ。厳かな気持ちで、二人は向かい合っている。
「どっちが勝っても、恨みっこなしだからな」
「いいや、それは間違ってる。試合が終わっても俺を恨むなよ?」
へへっ、とアルは笑った。試合前の軽い挑発の応酬。なぜだかそれも心地よい。懐かしいような、昔からある居場所に帰ったような、そんな優しい感覚。ジャッジがマイクを持った。少しずつスタジアムの歓声が引いていく。感覚が研ぎ澄まされていった。すべてをこのバトルのために、集中する。
合図と同時にスタジアムが再び歓声に沸いた。
弾ける二つの光。エテボースとマラカッチがスタジアムに立つ。ヘッドセットのスイッチを入れた。
「つぼをつく!」
まずはアルの指示が飛んだ。マラカッチが両手を広げ、勢いをつけて自分の身体をつく。対象が自分であるから、ねこだましを仕掛けようとするエテボースよりも早く技は決まる。「ねこだまし」を当て、エテボースは退いた。
スタジアムの熱気のせいか、わずかに覗く太陽のせいか、それとも季節外れの厚着のせいか、首筋に汗が流れた。
互いに指示を出さないから、距離を取ったままにらみ合う。
「どうした、攻めてこないのか?」
「そっちこそ、攻撃してこないのか」
じゃあ、遠慮なく。アルが言った。
――ソーラービームだ!
ためが長い技なんて、エテボースには当たらない。無駄だ。そう思った。
しかし、ケースケの予想は打ち砕かれる。
左目の能力が発動しない。これは予想通りだった。だが、次の瞬間。
マラカッチは一瞬の構えから、蛍光がかった緑の光線を放射する。声を上げている暇なんてなかった。慌ててエテボースに回避の指示を出す。光線が空を走った。空気を焼く嫌な音がして、エテボースの身体を光線がかする。
沈黙のタイミングを挑発で伸ばしてる間に「にほんばれ」をしたのか――。
気づいたときにはもう遅い。二発目のソーラービームが飛んでくる。指示に従ってエテボースは跳躍した。光線が通った道のすぐ脇に着地。振動する空気に怯まず、エテボースが距離を詰める。
マラカッチの素速さではエテボースについてこれるはずがない。それは自惚れだったのだろうか。
繰り出したダブルアタックは僅かにマラカッチをかすっただけだ。
「ようりょくそだ。晴れの時に素速さが倍になる。ポケモンの研究くらいしとけ。能力に頼るなよ」
アルの挑発に、ケースケは苦虫を噛みつぶす。どうしようもなく正しい。
素速さでも力でも劣る。エテボースにできることは少しでもダメージを与えること。そう割り切って、考えを改めた。
近すぎる距離からのソーラービーム。同士討ちにすることは恐らくできない。ごめん、一言呟いて、指示を出した。
ダブルアタックがマラカッチを叩くのと同時、ソーラービームがエテボースを宙に運んだ。二匹は勢いのままにぶっ飛ぶ。一撃で沈みはしないが、かなりの痛手だ。それを見て、ピンチの時に使うと決めていた技の名前を思い浮かべる。
一瞬でも隙があればいい。マラカッチを見た。膝をついたままだ。今しかない。
「とんぼがえり!」
重い身体に鞭を打ち、エテボースは肉薄した。マラカッチは回避行動を取ろうともせず、そのまま攻撃を受けた。戻ってきたエテボースの代わりにライチュウを繰り出す。効果抜群の技を受けたマラカッチは耐えられまい。入れ替えが行われる。そのはずだった。
「いいのか? 相性はあまりよくないぜ?」
マラカッチは立ち上がった。
「どうして……ダブルアタックと、とんぼがえり。耐えられるはずがないのに」
「失望させんなよ。上を見てみろ」
日差しが強い。日本晴れ。視線を戻してマラカッチを見る。太陽がマラカッチを照らしていた。
――すぐに立ち上がらなかったのは、「こうごうせい」をしていたからか!
完全にアルの掌で踊らされていた。ライチュウでマラカッチを相手にするのは難しい。けれど、マラカッチだって弱っているはずだ。
ソーラービームを繰り出そうとするマラカッチに「ねこだまし」を浴びせる。続けざまに攻撃を指示しだ。ライチュウの拳に電気が集まる。音を立てて空気が弾けた。
素速さはやはりマラカッチの方が上だ。距離を見れば、次の攻撃は避けれないだろうと思える。
もし、今能力が使えるなら、世界はどんな光景を示す?
賭けだった。本当は見えていない。数秒先の未来は見えない。それでも数瞬先の未来を脳裏に思い浮かべた。能力を使う時と同じように、ヘッドセットを通して指示を出す。
光線が放たれた。汗が頬を流れ、ケースケは唾を飲み下す。ライチュウが避ける先に、光線の軌道はかぶらない。避けた。マラカッチの顔に焦りがにじむ。そこへ叩き込む攻撃。電気を纏った拳がマラカッチを叩いた。
「まずいな」スタジアムに響くあらゆる音の中に、ぽつりと洩れた声。それは目の前の相手から聞こえた。恐らくばれている。彼は気づいている。今の技が「かみなりパンチ」を装った「でんじは」だということに。
少しでも隙があれば、また「こうごうせい」をされる。その前に決めなければ――。
一瞬で考えを巡らせ、ライチュウに「はかいこうせん」を指示した。それと同時にスタジアムに舞い始める紅い花びら。
ライチュウが光線を放つ。目に痛いような極彩色の光がマラカッチ目がけて、一直線に走った。舞う花びらが規則性を持って動き出す。風を切った。鋭利な音の連続。それから一点を目指して花びらが収束する。
やられた、と思った。
次の瞬間、マラカッチは光線を受け、立ち上がれなくなった。しかし、既に標的を襲い始めていた花びらは、ポケモンの素速さとは関係なく攻撃を開始する。刃物のように研ぎ澄まされた花びらが、ライチュウの全身を切り裂いていった。両者とも倒れる。
「やるね」
アルがそう言ってポケモンを戻すと、ジャッジはマイクを取って実況する。場にはエテボースとペンドラーが現れた。
お互いに残るポケモンは二匹。能力者同士の戦いは続く。