第二章 子どもたちは剣を交わす【3】
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夕飯にしよう、と決めたはいいものの、外に出たらまた襲われるのではないかという不安があって、四人は気が気でなかった。それでも街の中で襲ってくるなんてことは、まずないだろうと判断して外に出る。
ホドモエシティ。ホドモエのマーケットを中心にして、色んな物が行き交いしている。食べ物から戦闘補助のドーピング剤まで、様々なものが流れる。多くの物をとどめておくには、それ相応の保存機関が必要になるため、街の四分の一ほどのスペースを占める冷凍コンテナがあっても不思議ではない。昔はそんなコンテナを利用してプラズマ団がアジトを張っていたこともある。プラズマ団を蹴散らした後に通常どおり、コンテナとしての機能を使えるかといえば、もちろんそんなことは決してなかった。コンテナとして物が保存できなくなってしまい、アジトだったコンテナは、その広さを利用して食堂になっている。冷房の範囲を調節すれば、食堂として使うにこれ以上の場所はなかった。
「コンテナって言うからどんな秘密基地かと思ったけど、結構広いんだね」
コンテナ食堂に入るなり、ユウが言った。確かに天井も高いし、外装に反して内装は綺麗に改造されている。広さだけを見るなら、人を運ぶためのコンテナなのではないかと疑ってしまうほどだ。
「プラズマ団がアジトにするくらいだもんね」
アイがそう返した頃に、ウェイターが近寄ってくる。
食堂はバイキング形式になっているらしい。料金は先払いで、後は席や食器など、すべて客に委ねられる。
四人は適当に席を取って、バイキングの列に並んだ。コンテナ食堂は結構な人で賑わっている。業者のような制服を着ている人だったり、マーケットの昨今について真面目な議論を繰り広げる人だったり、仕事で来ている人が多いのかもしれない。
「あ、えっと、私、あっちの方に並んでるから」
なんだか落ち着きがない様子でアイは列から抜けていく。
「あっちって何があんの?」
「分かんない」
「飲み物じゃないでしょうか。ポットが並んでますけど」
確かにポットが並んでいるのは見えるが、その先は人の列でよく見えない。こっちで食べるものを取ってからにすればいいと思うのだけれど。
あ。
「どうしたの? ケースケ」
気づいたら思わず声が洩れていたらしい。目の前にあるのはパスタだ。それもただのパスタじゃない。タッツーのスミパスタ。ケースケの大好物だ。お腹が鳴りそうになるのを無理やり抑えて、トレーを持つ手に力を込める。スミパスタは人気があるようで、他のパスタに比べて量もかなり減っている。
「あ、スミパスタか。ケースケ好きだもんね」
「好きなんてもんじゃない。これ以外のパスタはパスタじゃない。ハスタだ」
「ハスタって何」
「私がパスタだと思っていたものは、実はハスタだったんですねー」
「ケイちゃん、真に受けちゃだめだよ!」
そういうわけで、取り皿にスミパスタを大盛りにして取る。真っ白な皿に、黒のパスタはやけに目立った。
それから自由に食べたいものを取って、バイキング形式を最大限に利用してから席に戻った。
あとはアイを待つだけだ。
「お、お待たせ」
戻ってきたアイは頬をちょっとだけ赤くしていた。声もなんだか緊張しているように思える。
「え」
「……あら」
ユウとケイが驚いた様子で声を出す。その視線の先を追ってみると、アイの手元に行き着いた。
「アイ、それって……」
「い、いいいいじゃない! 別に!」
顔がますます赤くなった。トレーを置く手には必要以上に力がこもっていて、テーブルに着くときには食器のぶつかり合う大きな音がした。
トレーには取り皿がところ狭しと載っている。そのどれもが、夕飯には不釣り合いなほどカラフルだった。全部、ケーキだ。
「いや、いいけど、それって夕飯になるの?」
「もちろん……なる。ほ、ほら、食べよ」
「そんなに早くケーキが食べたいのか」
「そういうことじゃない! ああ、もう! 私、食べるから!」
顔を赤くしたままフォークをケーキに刺して、ものすごい勢いで食べ始める。語気が強まってるのはたぶん照れ隠しだったのだろう。ケーキを口にする度に幸せそうな顔になる。それを無理に隠そうとするから変な顔になっている。ケースケも好物のスミパスタを一口食べる。
「おい、アイ。変な顔してるぞ」
「ケースケに言われたくない。ケースケなんて餌を貰ったヒヤップみたいな顔してる」
「アイなんてコダックに惚れたオタマロみたいな顔してるぞ」
「本当だ、そっくりですね……」
「似てるか!」
ケースケとアイの声が重なった。
「二人とも、仲が良いのは分かったから……」
「何? ユウは嫉妬?」
「嫉妬なんてするわけないだろっ!」
場はますます荒れた。そんな言い合いはウェイターが注意に来るまで続けられた。
ようやく静かになったところで、食事を再開。ケースケはさっさとスミパスタを食べ終わり、二皿目のために席を立つ。アイはケーキのために二つ目のトレーを用意しているところだった。
皿を持って列に並ぶ。スミパスタはもうほとんど残っていなかった。あと一人分くらいだろう。スミパスタの目の前まで進んだところで、トングを持った手を伸ばした。
アルミのぶつかり合う軽い音がした。
ケースケの横から同じように手を伸ばすやつがいた。そいつのトングと、ケースケのトングがスミパスタを前にしてぶつかり合っている。
「俺のだ」
相手の低い声が威嚇してきた。だが、スミパスタを前にしたケースケは全く動じない。
「いいや、順番的に見ても俺だろ」
「いいじゃねえかよ、オタマロ。お前もういっぱい食っただろ」
「オタマロじゃない! ヒヤップだ!」
「あぁ、猿のほうだったか」
「あああヒヤップでもねぇよ! とにかく、順番を守れ。これは俺のだ」
一方的に言ってスミパスタを取ろうとするが、相手はトングを武器にして阻止してくる。
弾いた勢いのまま、相手がトングを伸ばそうとするが、ケースケもそこは退かない。手首のスナップを利かせてトングを払う。
「なかなかやるじゃねぇか」
相手が笑った。
「そっちもなかなかのトング捌きだ」
「まあ、実力の半分も出してねぇけどな」
「俺は一割も出してないね」
「本気で行くぞ!」
トングの動きが凄絶を極めた。アルミのぶつかり合う音がスミパスタの上で飛び交う。風切り音が鳴る。トングの片側を叩くと、翻った相手のトングが下から叩き上げてくる。そのままスミパスタに向かうトングを、手首を回して払う。真剣すぎる二人は、まるで剣を手にして決戦に立つ騎士たちのようだった。
一進一退の攻防が続く中、突然スミパスタが消えた。
「なっ」
二人とも驚きを隠せない。横を見ると爺さんがいた。持っている皿の上にはスミパスタがある。
「まだまだ青いな。わしの動きについてこれんとは」
爺さんは笑いながら去って行った。
二人はその場に固まった。今のは何だったのだろう。夢から覚めたような感覚で立ち尽くす。
「おい、ヒヤップ」
「ちがう、ケースケだ」
「じゃあ、ケースケ。飯食ったら仲間と一緒に俺んとこ来い。後ろの方の席に一人でいるから」
「ぷっ、ぼっちかよ」
「うるせぇ。いいから後で来い」
○
「何やってたの?」
席に戻るなりアイが聞いてきた。スミパスタのために血を血で洗う戦いを繰り広げた末、爺さんに漁夫の利を得られて泣きを見たことは口が裂けても言えない。
「別に。スミパスタがないから踊ってただけだし」
「知らない人と二人で? トング持って?」
それ以上の言い訳は苦しかったので無視した。テーブルの上を見ると、みな既に食事を終えている。ケースケはなんだか申し訳なくなった。
「もう食べ終わった? 終わったらあいつのところに行こう。呼ばれてるんだけど」
指をさす。その方向には、茶髪をワックスで整えた少年がいる。白黒ボーダーの七分袖シャツに青いジレを合わせている。カーキ色のジーパンはロールアップしていて、エナメルの白いサンダルとの間で肌が露出していた。見た目はおしゃれで、モデルのようだ。
「ちょっと待って、もうちょっと食べたい」
「まだケーキ食べるのかよ! 太るぞ」
叩かれた。
「本当に太りそうだからやっぱりいいや。ほら、行こ」
アイとケースケのやり取りを見て、ユウとケイは微笑んでいる。こっちとしては不本意だ。ケースケはむすっとした表情のまま立ち上がって、トレーを返却用の棚に持って行ってから、茶髪の少年が座る席に向かった。
○
「あぁ、やっぱりな」
茶髪の彼は、ケースケたちを目の前にして、いきなりそんなことを言った。向かい合うケースケは、彼に泣きぼくろがあることに気づいた。
「俺はアルだ。よろしく。……で、お前たち、能力者なんだろ?」
ケースケたちは言葉に窮した。何も喋れないでいると、アルは話を続ける。
「言わなくてもその反応で分かる。どんな能力かは知らないけど、ちょっと協力してほしいんだ」
「何?」
ようやく口を開いたのはアイだ。ふざけるような調子はない。少しばかりの警戒心が見えるくらい。
「今、このコンテナは敵に囲まれてる。狙いは恐らく俺だろう」
「敵って? あんた、何したの」
アルはテーブルの上に置いてあるティーカップを口に持っていって、黒い液体を口に含んだ。
「ポケモンセンター連続襲撃事件。二件目に襲撃されたのがどこか、覚えてるか?」
ここ最近、ニュースを見るとだいたいがポケモンセンター襲撃事件についてだった。だから嫌でも覚えている。一件目がフキヨセだから、二件目はここ、ホドモエだ。
「ホドモエでしょ?」
アイが確認するように言うと、神妙な面持ちでアルが頷く。
「正解。その襲撃があった直後、俺は逃げようとする犯行グループを叩きのめした。コンテナの周りに張ってるのは、そいつらだ」
「それはまた、剣呑なことで」
他人事のように言ってみたら、アルは嫌そうな顔をした。
「前はよかったが、今回はたぶん俺一人じゃ手に負えない。相手も馬鹿じゃないだろうからな。だから、ちょっと協力してくれねぇか」
そうは言うものの、もしかしたら狙われているのはケースケたちのほうかもしれない。アルはケースケたちがポケモンセンター襲撃事件に関わっていることを知らないのだ。
「でも、なんでその犯行グループだって分かるのよ」
「それが俺の能力だから」
へぇ、とアイは言った。
「お前たちに得るものがないのは分かるけど、なんとかしてもらえないか。頼む」
「えっと、どうしよう。話した方がいいと思うよ」
ユウの提案にアイが同意したので、ケースケは自分たちが事件に関わっていることを説明した。
少し肌寒くなってきたような気がする。冷房が効きすぎているのか、長居するのには向いていないようだ。肌をさする。
「なんだよ、だったら俺たちはまとめて狙われてるのか。じゃあ、ここを出るときは覚悟して出よう。奇襲が来るかもしれないからな」
アルが立ち上がった。彼の背は結構高い。が、年齢はそんなに変わらないように見える。ケースケはほとんど直感的に同い年なのだろうと思った。なぜか初めて会った気がしないのは、スミパスタを取り合った仲だからだろうか。最近は人と会う度にそんな懐かしさを感じてばかりだ。自分の感覚なのに、どうしてそうなるのかが分からない。まるで、その感覚を完全に理解するための心に、鍵がかかっているかのようだった。
あるいは、その鍵をかけたのは自分なのかもしれない。