プロローグ さようなら、子どもたち
プロローグ
――なぜ、ぼくだけが。
あまりに儚いつぶやき。土砂降りの中に落ちた一しずくのように、小さな声は喧噪の中に紛れて消えた。
そこは四角に切り取られた飾り気のない空間。ただ広いだけの部屋に何人もの人間が詰め込まれている。中央には一人の少年がいて、その周囲には波紋が伝わるように倒れていった数人の子どもたちがいる。集まった人間たちは、恐ろしいものを見るときと同じ目で、遠巻きに少年を眺めていた。いや、もしかしたら人々は倒れている子どもに目を向けていたのかもしれない。
非日常的な光景を目の当たりにして、ごちゃ混ぜになった数多の声は、決して中央の少年に向けられたものではなかった。
騒ぐ人混みの中に、何かが起きた瞬間を理解できた者はいなかっただろう。まして、子どもたちを再び目覚めさせる術を知るものは恐らくそう多くない。
少年は立ち尽くしていた。なぜ倒れる子どもたちの中心に、自分は立っているのか。心当たりはある。
少年は見ていた。子どもたちが倒れる瞬間。周りの人々が気づいて、引いていく瞬間。直前に、誰かが落とした言葉だけ、耳に焼き付いて離れない。
――ポケモンが、人生のすべてだよね?
その言葉は、子どもが背伸びをして、ちょっとだけ哲学っぽく言ってみただけのように聞こえる。けれど、当の本人にしてみれば本当に、人生の中枢にはポケモンがあって、それを軸にして世界が成り立っているに違いない。子どもらしく、誰かに同意を求めて問いかけ、答えることで認めてもらいたかった、そんな意図が読み取れる言葉。子どもたちにとって、嘘も偽りもない真理だった。
少年は知っていた。子どもたちが意識を失ってしまった理由。下手をすれば、少年自身も巻き込まれたって不思議ではなかった。なぜ巻き込まれなかったのか。それも知っている。少年は少しだけ大人だったのだ。倒れた子どもたちよりも知識があって、広い世界を持っていて、子どもだけれども少しだけ大人だった。夢見ることの限界をある程度は分っていた。だから、自分はここに立っているのだろう、少年はそう思う。
叫び声が聞こえた。泣き声が聞こえた。倒れた子どもたちのいる夢の世界まで聞こえるくらいの悲痛な叫び声が、部屋の中を走っていく。
もしも、子どもたちを目覚めさせる手段があるとしたら――。
止まない声が少年の背中を押す。お前しかいないのだ、と。
確かに自分しかいないだろう、そう思う。
子どもでありながら、ちょっとだけ大人。今だったら子どもと大人、どちらかを選ぶことができる。まだ間に合う。子どもとしての道を進むのか、大人としての道を進むのか。ただしその選択は一方通行だ。子どもを選んだとしても、いずれは大人になる。遠回りするか、しないか、その違いでしかなかった。
もしかしたら助けられるかもしれない。それでも少年の表情は暗かった。選択肢など欲しくなかった。最初から一つの道であればよかったのに。
少年は目を閉じ、子どもとしての道を行くことに決めた。その道はもう、倒れた子どもたちが先を歩いている。
――ポケモンが、人生のすべてだよね?
そして、誰かの問いに答える。少年は口をぼんやりと開いて、小さく喉を震わせた。
もう、誰の声も聞こえなかった。