エンディング そして全ては舞台の上で
タマムシシティとヤマブキシティを繋ぐゲート。ムカイは突然任された仕事にやる気なんて湧いてこなかった。頬杖を突きながら通り過ぎていく人を眺めている。
「シルビア様、歩かせてしまって申し訳ございません……」
「いいのよ、テイミちゃん。たまには運動も必要でしょう?」
偶然だろうか。シルビアという名前の貴婦人が拉致されているというニュースを聞いた気がする。とは言ったものの、ゲートにいて入ってくる情報はすべて人から聞く噂話くらいなものだ。たまたまどこかで名前が入れ替わったのかもしれない。所詮、噂は噂だ。
にしても周りにいるのはスーツの男たち。シルビアと呼ばれた老人も目が覚めるような赤いドレスを着ている。テイミと呼ばれた少女の方は、ショートカットの髪に中性的な顔立ちで、ピッピ人形を抱えている。高貴な方と言うよりは、庶民の代表といった感じだ。
ドレスの老人が頭を下げてくるので、ムカイは慌てて居住まいを正し、厳粛に頭を下げた。しばらくそうして頭を下げたまま、ちらりと横目で通り過ぎたことを確認すると、またぐたりと力を抜いた。
「実家! 実家!」
「だからね、実家には連れていかないって何度も言ってるでしょ……」
「実家! 実家!」
「箱に書いてある住所まで行くだけ。わかる?」
「じっかぁぁ! じいいっかあああ!」
ピンクの人間サイズが吠えている。それとロケット団のコスプレをしている物好きな男の子。どこかで見たことがあるような気がしないでもない。ていうか、自然公園で見た。こういう印象深いのはすぐに忘れることなどできないのだ。
眺めているとなかなかいいカップルになりそうだな、なんてことを思う。男の方は完全に尻の下になりそうだが。
そうして二人はタマムシシティの方へ向かっていった。
「なんとか間に合いそうだよね」
「当たり前だ。勇者たる者、これくらいのおつかいクエストなんてできて当然なのである!」
「随分苦戦してたけど」
「う、うるさい。ユキオだって苦戦してただろ」
虫取り少年と丸メガネだ。このコンビは虫取り大会の常連だからよく覚えている。他愛もない会話だってよくするけれど、今のムカイは疲れててそれどころじゃない。黙ったまま通り過ぎるのを待っていたけれど、さすがに向こうが気づく。調子の悪そうなのを察してくれたのか、二人は手を振るだけに止めてさっさとタマムシシティに向かった。
ふぅ、そろそろ帰宅したい。
◇ ◇ ◇
「あーもう最悪っす! なんで俺たち寝てたんすか! 物資を取り返さなきゃいけないのに……」
愚痴を吐きながらクラボと並んで歩く。どうしてこんな夕焼けが綺麗な日に男と並んで歩かなきゃいけないんだと思うが、任務なのだから仕方ない。しかもその任務はまだ終わっていなかった。物資を取り返すために、コスプレの偽物が向かったタマムシシティへと歩を進める。タマムシとヤマブキを繋ぐゲートに入った。
「ほんと最悪だよなぁ。さっさと帰って飯食って寝てぇわ……」
「それはアタシの台詞だ」
聞きたくもない声が降ってきた。幻聴だ。これは幻聴だ。だってここはタマムシシティとヤマブキシティを繋ぐゲートであって、自然公園のゲートではないし、ましてや走行中のリニアであるはずがない。こんな平和的な場所に地獄の門番の声が聞こえるはずはないのだ。
隣のクラボが震えている。前方を確認すると、幻聴のみならず幻覚まで見えた。
ルージュラが飛び出してくる。もちろん野生ではない。周囲の気温が二度は下がった。差し込んでくる夕日がルージュラを照らして、その容貌はますますきもかった。
◇ ◇ ◇
タマムシデパートの横には小さなビルがある。今ではそのビルの管理権もシルフカンパニーのものだ。一階は託児所になっていて、二階はあくまで噂だが、ロケット団の新アジトになっているとか。他の階はシルフカンパニーの社長とその妻がたまに生活している。シルフカンパニーのビルから離れたくなったときに来るのだとか。
今日はシルビアもここで寝泊まりするらしい。事前に聞いていたことだし、シルフカンパニーを出た後もそう言っていた。その場で渡せれば楽だったのだけれど、フレンドリィショップに預けていたので、いったん別れたのだ。今やっとクエストが終わろうとしている。
「ばあちゃん、これどこに運べばいいの?」
ビルの前にいたSPが一階の託児所に居ると言っていたので、一階の扉を開けて入っていった。
そこには何故かミヤナギと人間サイズがいる。人間サイズはラッキーの格好をした幼女と戯れていて、思わず目を疑ったくらいだ。幼いのにいい趣味をしている。ケンタは、おう、などと適当に挨拶をした。
「豪華版のサイコソーダよね。ここの子どもたちに振る舞ってくれないかしら」
それを聞いてケンタはやばいと思った。急いで子どもの数を確認する。一、二、三……大丈夫、ちょうどぴったりある。
ケンタは箱を開けて、嬉しそうな表情でわらわらと寄ってくる子どもたちにサイコソーダを配り始めた。
部屋の隅ではポケットに手を突っ込んだおじさんが立っていた。確か託児所を経営する人だったか。謎に包まれた人だ。結構お年を召されたその顔は、どこかで見たことがあるような気もする。白髪交じりのオールバックだ。
思い出そうとして考えていると、託児所のドアが開け放たれた。
「申し訳ございません、サカキ様!」
入ってきたのはリニアで戦ったロケット団のあの二人だ。どうしてか全身ボロボロで、確かクラボだったか、語尾に特徴がない方に至っては体中にキスマークがあった。上半身はほとんど裸だ。きもい。
あ。
そうか、このおっさん、サカキだ。
◇ ◇ ◇
ミヤナギはサカキというワードを聞いて目を輝かせた。サカキと言えばロケット団のボスだ。ロケット団の二人が揃って頭を下げるのだからまず間違いないだろう。手元には物資がある。
「あなたがサカキ様でしたかー!」
ミヤナギがすかさず割って入る。
「あ、おまえ、偽物!」
もちろん無視だ。この物資を交渉材料にしてロケット団の正規の制服を手に入れる。そして完成する完全なるコスプレ。これこそミヤナギが望んでいたことだった。
早速交渉を開始する。外野がちょっとうるさくなってきているが、いないものとして扱う。ミヤナギのお願いを最後まで聞いたサカキは、なぜだか笑い出した。物資を開けてみろと言うものだから、それに従ってミヤナギは物資を開く。
厳重な作りだ。重々しい木箱。その中にはさらに紙の箱。それを開くと、中にあったのは。
「え」
思わずミヤナギは声を洩らした。クラボとバンジに至っては口を開けたまま言葉も出ないようだ。
それも無理はないだろう。
箱の中身はぬいぐるみだった。
◇ ◇ ◇
それを見たとき、出世という言葉が頭の中で渦巻いた。出世?
最初からおかしいと思っていたのだ。どうして物資を運ぶだけで出世になる?
ロケット団ジュニアユース。はっ、笑える。そんなものがあるわけないじゃないか。たまたま虫取り少年がおつかいでサイコソーダを頼まれていて、たまたまその箱が同じようなものだっただけ。
確かにこんなくだらない任務なんてアホらしくてやりたくない。上司が押し付けてくるのも無理はない。つまり、騙されたのだ。体よく利用されたというわけだ。
「クラボさん」
バンジは静かに呟く。
「チョウジのアジトにお土産をくれてやるっす。こんな素晴らしい任務を与えてくれた彼らに」
「ちょうど同じことを考えていたところだ。やっぱり土産はあれしかないな。リニアで買ったやつ」
◇ ◇ ◇
「聞いたー? 昨日のシルフカンパニージャック、デマだったらしいよー?」
チョウジタウンのアジトにそんな間延びした声が響いた。団員が二人しか居ない静かなアジトでは、たいして大きな声でなくても簡単に声が通る。
「デマ? まぁ、いいじゃねぇか。十年前みたいにならなくてよ」
「君はその頃、研究員だったかもしれないけどさー。ぼくその頃からロケット団だよー? その辺わかってるー?」
「あー、すまんすまん。でもあんときゃあ、ひどかったからな」
「まあねー。でもひどいとか言いつつ、君もロケット団に入っちゃったじゃんかー」
男はうむ、と頷いた。
「もっとひどいのが居たからな。あの事件で仲間の一人がマッドサイエンティストだって分かっちまったんだよ。自分の利益のためには敵だろうが味方だろうが気にしない、なんていう腐った輩をな」
「でも彼、マスターボールを作ったんでしょー?」
「まあな。実力は間違いなかったんだわ。昔の話だけどな」
男は腕を組んで懐かしむように顔を伏せた。
「娘さんのこと思い出してるんでしょー」
「そんなんじゃねえよ」
その事件以来、男は行方不明ということになっている。あれだけ大きな事件に関わり、仲間の研究員がシルフカンパニー占領に手を貸したとなっては、自分ばかりが被害者面をしているわけにもいかない。その事実は未だに口外できずにいる。あのまま自分だけが自宅に帰ってしまえば、事件に関わったことで家族にどんな危害が加わるかも分からない。だから、それならばやられる前にやろうと思い、手を打った。相手の懐に収まることにしたのだ。男の判断は正しかったのだろう。家族には一切危害を加えられることなどなかったのだから。
アジトにペリッパー便が届いた。
「なんか来たねー」
受取印を押して届けられた箱を確認する。バンジからだ。封を破ると箱が出てきた。箱の上には手紙が貼り付けられている。
この度は素晴らしい任務をいただきまして、ありがとうございましたっす。
最後の「っす」はいらないだろうと思う。とりあえず本当に出世に繋がったようで、そのお礼ということだった。箱を開けてみると中にあったのはサイコソーダ。ちょうど喉も渇いていた。二本取り出して、一本は同僚に放る。
「まったく、からかわれてることも知らずにな」
男が笑うと、同僚も笑った。二人が同じタイミングでサイコソーダのプルタブを起こし、飲んだ。
しゅわっという炭酸の感覚が口の中に広がり、それから突き刺す不快な臭いと刺激、さらに、なんだこの味は――!
「うえぇぇ、まっず! なんだこれ!」
同僚もあまりのまずさに思わず吐き出していた。
缶をよく見ると、そこにはサイコソーダわさび味と書いてある。誰だこんなまずいものの商品化に踏み切ったやつは!
「くそっ、口直しだ! 残ってるやつはちゃんとしたサイコソーダだな……くそっ」
今度こそサイコソーダだ。同僚にも一本放ってやる。
勢いよくプルタブを開けた。
瞬間、噴水のように吹き上がるサイコソーダ。顔面に直撃した。鼻に入ってむせる。顔中がべたべたする。
悪戯の犯人の笑い声が聞こえるようだった。
◇ ◇ ◇
それから、エンドロールが流れ始める。
人々は、また十年後にこんなくだらない事件が起こるのだろうか、そんなことを思いながら眠りにつく。そして、想像するのだ。十年後、今度はどんな事件になるのだろうと。エンドロールはそうした夢想の時間。その事件には、どんな人が関わるのか、そんな、登場人物を考える時間。登場人物は全く関係ないのにどこかで繋がって、人が会っては別れ、そしてまたいつか出会うように、偶然が重なって物語が出来上がり、終わってみれば、あぁ、これは必然だったのか、そう納得する。なぜなら、一つの物語が出来上がる課程で、誰か一人でも欠けてしまえば、それは別の物語になるのだから。その物語が出来上がった以上、必然にしかなりえないのだ。そうして満足して、エンドロールは最後の一行を流す。
そこに書かれている言葉は何だろうか。
それはきっと、次の物語を予感させる言葉なのだ。そう、願う。
――また、何かの回り始める音がする。