第三部 時の流れの中に
予想はしていた。いつかこんなことが起こってしまうのではないかと。それに、自分がSPを付けなければいけないような身分で、自分がどういうふうに行動しなければいけないのかも分かっていた。でも、裏切りは予想ができなかった。まさか自分が裏切られるなどとは、欠片も思っていなかったのだ。それ故に、これは人生最大の事件になり得た。
そう、十年前に起きた事件を凌ぐほどの。
◇ ◇ ◇
リニアから降りてヤマブキシティに繰り出したミヤナギは、普段と違う街の様子を静かに眺めていた。隣では「実家! 実家!」などと訳のわからないことを言いながら騒ぐ人間サイズが居るけれど、完全に無視だ。
シルフカンパニーの前に見慣れない格好の男が二人いるのを横目に見て、ポケモンセンターまで歩いていく。釈然としないままポケモンセンターに入るってみると、普段よりも多くの人がロビーにいるように思えた。
「回復してくるから。あと、手持ちの入れ替え」
「あたしも!」
人間サイズはいつ手持ちのポケモンを消耗したのだろうと思ったら、着ぐるみの中で何かが嬉しそうに跳ねた。主にこいつか。
ポケモンを回復させるついでにジョーイさんに話を聞く。どうやら事態は軽いものじゃないらしい。
シルフカンパニーをとある団体がジャックした。その声明に誰もが十年前のロケット団を思い浮かべたが、どうやら今回はロケット団に反発する団体らしい。「アンチテーゼ」と名乗っていたという。それも団員の全てがロケット団に所属していた過去があるとか。しかし、詳しいことは未だによく分かっていない。ジューサーたちは警戒態勢を強めているらしいが、普段は平和なカントー地方だ。まだ何の対応もできていない。
これを聞いてはミヤナギも黙っていられない。一ロケット団ファンとしては、アンチテーゼの殲滅を考えなければいけないところだが、何しろミヤナギはめんどくさがりなやつだった。当然ファンだからなどという安い動機では動かない。けれど、動かないわけにはいかなかった。
両手に抱えた木箱を見る。もしやこれは事件と何らかの関わりがあるのではないだろうか。物資と呼ばれるモノ、さすがにもうコスプレごっことは思わない、やつらが本物のロケット団だということも分かった。そこに勃発したヤマブキシティでの事件とくれば、関わりがないと判断する方が難しい。
だとすれば、やることは一つ。
「ミヤナギくん! お土産は何がいいかな!」
……何の話だよ。
無視を決め込んでロビーに設置されたソファまで歩いていく。
物資が手元にあるということは、交渉材料に使えるということだ。この物資をシルフカンパニーのてっぺんでワイン片手に景色を堪能しているやつに持っていき、こいつが欲しくば……と脅しをかけてやればいい。そうして手に入れるのだ、ロケット団の正規の制服を。物資が欲しい相手は何が何でも制服を手に入れてくるだろう。
「よし」
「え、決まった? やっぱりフエンせんべいかなあ!」
「今からフエンに行くのかよ!」
はっ、と無視しようと決めていたのに思わず突っ込んでしまう。
「とりあえずだな、ぼくはこれから準備のために東奔西走してくる。だから君はここで大人しく待っていてくれ」
不満そうな顔に唇を尖らせる人間サイズ。一筋縄ではいきそうにない。
「わかった、本当のことを言おう。実はこれから悪の集団を相手にしなければいけないんだ。君にはこのポケモンセンターを守っていてほしい。そして、ぼくが二時間経っても戻ってこなかったら……その時はぼくを置いて帰ってくれて構わない」
「……ミヤナギくん、それ死亡フラグだよ。でも、分かった! その時は一人で実家に行くからね! 任せておいて! ミヤナギくんが帰ってきた時にはすべての準備を整えておくから!」
だから実家って何だよ。
とりあえず納得してくれたらしいので、物資をジョーイさんに預け、ミヤナギは神妙な面持ちのままポケモンセンターを飛び出した。
シルフカンパニーの前には、やはりスーツ姿のださい男が二人いる。ロケット団の制服の数百倍は劣るかっこ悪さに加え、下っ端特有の雑魚オーラが出ていた。
堂々と正面から向かっていって、二人の男を無視してガラス張りの自動扉を通ろうとする。
「待て」
当然ではあるが止められた。二人が扉の前に立つ。ミヤナギは返事をしないで、黙って見ているだけだ。それに痺れを切らした男がモンスターボールに手をかける。
「なめやがって。俺たちの恐ろしさを思い知らせてやる!」
と、下っ端特有の決まり文句を吐いて、お決まりのようにあっさりと倒れた。
「覚えていろ! どうせ貴様は最上階まで辿り着くことはできない!」
二人してシルフカンパニーに逃げていく。自動ドアが開くのを待っているあたりが間抜けだった。しかも最上階に来てください、と言っているようなものだった。
さて、入るか。
ミヤナギも続いてシルフカンパニーに入ると、両脇から黒い影が躍る。
二匹のニューラ。不意打ちも予想していたため、転がりながら避けて、モンスターボールを放る。五人の下っ端に囲まれていた。さすがに警備は厳重らしい。
人間サイズ曰く、死亡フラグがどうとか。ミヤナギにはこんな窮地になってふと思い出したことがある。確か、彼女の名前はミカだ。
◇ ◇ ◇
「さすがにサイコソーダ持って乗り込めないよな」
ケンタはヤマブキシティのフレンドリィショップに来ていた。横にはユキオがいる。とりあえず虫アミはいくつか購入したし、回復の類も問題ない。サイコソーダだけは荷物になるから、なんとか店員さんに預かってもらうことにした。
「ねぇケンタ、どうしてシルフカンパニーなのさ」
リニアから降りてタマムシに向かおうとしていたケンタとユキオは、フレンドリィショップに来る前、ポケモンセンターに寄っていた。そこで今起きていることを聞いた途端、ケンタは「進路変更だ。シルフカンパニーに入る」と言い出したのだ。今はその準備のためにフレンドリィショップに来ている。
さっきから何度目かも分からない無視を決め込んで、ケンタはフレンドリィショップを出た。後からユキオが追いかけてくる。
「どうして説明してくれないのさ。なんか言いにくいことでもあるの?」
いつも来るヤマブキシティよりも静かな歩道を通って、シルフカンパニーに向かう。その摩天楼はフレンドリィショップからでも悠々と見上げることができた。
「まあ、どうせばれるしな。説明してやるよ」
ユキオが追いついて横に並ぶ。
「アンチテーゼに拉致されたっていうシルビアってのはさ」
虫取り大会に出ている時の表情よりも深刻そうな顔で話を続ける。ユキオも相槌を打って続きを促した。
「オレの婆さんなんだよ」
ユキオが何か返事をする間もなく、シルフカンパニーの正面入り口が見えた。
◇ ◇ ◇
さすがに敵が多すぎた。手持ちのポケモンをフルに繰り出しても、多勢に無勢というやつだった。しかも六匹同時に指示を出すのは、トキワシティのなんたらでもないし、ミヤナギには無理なことだった。
二匹のアーボックを相手にとっていたバリヤードが、背後から攻撃を受ける。ミヤナギが指示を送る間もなく、そいつは現れて斬撃を加えていった。ニューラの辻斬り。吹き抜ける風のように一瞬で、黒い残光が煌めいてバリヤードを倒した。
これでやられたポケモンは三匹だ。相手はまだ何匹残っているのかも分からない。逃げることも考えたが、退路はちゃんと数匹のポケモンが塞いでいて逃げることができない。もちろん敵が多すぎて奥へと走り抜けることも不可能だ。
背後で自動ドアが開く音がした。敵だろうかと振り返ったその一瞬、破砕音がロビーに響いた。
ニューラなど比にもならないような速さで疾走し、残像すらも残さずに空を切った。扉の前に居た二匹のニューラは動くこともできずに吹き飛ばされ、すべてのガラスが勢いで舞い散った。ミヤナギも慌ててソファの裏に飛び退く。ガラスの雨がソファに当たり、その音が止むよりも早くポケモンたちの悲鳴が聞こえた。それは断末魔の叫び声で、あっという間にミヤナギが苦戦していたポケモンたちはねじ伏せられていった。
まるで竜巻だ。竜巻そのものがここから生まれ、周囲の全てを薙ぎ倒しているのだ。その唐突に起きた竜巻が止むまで、ミヤナギはその場に伏せていた。
やがて静かになって、ガラスを踏む足音が聞こえる。
「兄さん、もう大丈夫だぜ」
どこかで聞き覚えのある声。
振り向いてみると、そこに居たのはリニアで供に戦った虫取り少年。ケンタだった。
「な? 最強って言っただろ?」
びしりと両手に持った虫アミを振るって、ケンタは口角を持ち上げた。
「……ありがとう。助かったよ」
「へへっ、気にすんな――」
「危ない! ケンタ!」
そこへユキオの声が割って入った。反射的にケンタは背後に向けて虫アミを振るい、向き直る。ニューラの爪が虫アミとぶつかり合って、勢いを殺せなかった虫アミはそのまま折れてしまった。奥の方で一人のトレーナーがいる。恐らく下っ端だろう。次々とポケモンを繰り出して、そこにはニューラが六体並んだ。芸がないなどと言ってはいけない。確かにニューラは強い。それでも虫アミを持ったケンタにとっては赤子の手を捻るようなものだった。
「食らえ! 虫アミスラッシュ!」
跳躍するニューラに合わせてケンタも床を蹴った。頭上で薙いだ虫アミが斬撃を生み、回避する間も与えずにニューラを襲う。まずは一体。着地すると同時に加速。その速度はもはや人間のそれではない。あっという間に二匹目のニューラに肉薄。立ちすくんで何の反応もできないニューラ。自分よりも背の低いそのポケモンに合わせて姿勢を落とす。それから一瞬の横薙ぎ。慌ててガードをとったニューラだが、衝撃を抑えきれずにぶっ飛び、全身を壁に打ち付けて動かなくなった。残り四体。二匹の仲間がやられたところでようやく残りのニューラが動き出した。四匹とも一斉にケンタを標的に取る。しかし、それはケンタにとって好機でしかなかった。必殺技の射程圏内に四匹すべてが飛び込んできて、ケンタはにやりと笑った。自分の背よりも高い位置から振り下ろされる鉤爪を見て、ケンタは一瞬たりとも怯まない。さらに姿勢を落とした。ニューラの俊敏な一撃が下される直前、それよりも速く、ケンタは前方斜め上に虫アミを振り上げる。およそ考えられないよう現象だ。虫アミが風を切り裂いて、その斬撃で四匹のニューラをまとめて薙ぎ倒す。四匹が同時に宙を舞い、虫アミは衝撃で粉々に砕けた。
「一丁上がりだぜ」
ケンタが格好つけて、飛んでいくニューラに背を向けた。
「今こそ賢者の必殺技を見せるとき――はかいこうせん!」
ガラスの破片が散らばる入口から、ユキオは指示を飛ばす。
「おせぇよ! もう終わってるから!」
どこからともなく生み出された極彩色の光が、宙に舞うニューラをまとめて貫いた。光線に焼かれたニューラが床に落ち、勝負は決した。
「ふっ、決まった」
「だから遅いって! オレのおかげだから!」
「……すごいね、メガネの君」
「うわああユキオに全部持って行かれたああ!」
◇ ◇ ◇
「クラボさん、どうするんすか。あいつ出てこないっすよ」
とにかく物資を取り返さないことには、任務が先に進まないので、二人はコスプレをしたあの偽物を追いかけていたのだ。そしたら、やつは渦中のシルフカンパニーに乗り込んでいった。しかもそれに続いて虫取り少年とメガネが、ロケット団もかくやというほどの勢いで乗り込んでいった。ガラス張りの入口を虫アミで思いっきり叩き割り、あいつ実はポケモンなんじゃないかと思えるほどの速さで。
「どうするって……まあ、追いかけるしかないか、やっぱり」
非常に面倒なことになっている。シルフカンパニーではアンチテーゼというロケット団を忌み嫌う者たちの集団がジャックしているのだ。そこにロケット団の制服を着て乗り込むなど、自殺行為でしかない。
バンジはため息をついた。
「やっぱり行くしかないんすね。首飛ばされるよりはまし。ってやつっすか……」
クラボが憂鬱そうに相槌を打った。
「とりあえず、ポケモンの回復からだ。ポケモンセンターに寄ってから乗り込もう」
と、いうわけで二人は完全回復したポケモンを持って、シルフカンパニーに乗り込んだ。ロビーは見るも無残な光景が展開している。
ガラスは叩き割られ、そこら中に破片が散らばっている。いかにも悪者が好きそうなポケモンたちが屍のように横たわり、隅では人まで倒れていた。虫アミの屑が散っているのを見れば、だれがやったのかは一目瞭然だろう。
「これは、ひどいっすね」
「ひどい? そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ。むしろこれは幸運だ」
「さすが泣く子も黙るロケット団! でも、この惨状を作った魔物がここに居ると思うと、幸運かどうかは微妙じゃないっすか?」
クラボが黙った。周囲を見渡している。それは惨状を確かめるというよりは、魔物が近くに潜んでいないかを確認しているようだった。それから、ふむ、と言って奥に進む。話が流された。バンジも後に続く。
「おい、ご丁寧にエレベーターが動いてるじゃねえか。やっぱり幸運だったな!」
そう言って上に向かうボタンを押す。
「動いてるってことは……え?」
敵もエレベーターを使っているってことじゃないのか?
その疑問に答えるように、エレベーターが上から降りてきて、一階に止まり、開いた。
敵の方々ですし詰め状態だった。
「やっぱり! クラボさん、任せたっす!」
敵の登場に唖然としているクラボ。予期していたバンジは行動が早かった。クラボの背中を蹴って、すし詰め状態のエレベーターに押し込む。
「わっ、おい、何すんだ」
驚いているクラボを無視して、出てこようとする敵を足蹴にしたクラボで塞ぐ。
「さあ、クラボさん! 中から閉ボタンを押してくださいっす!」
「誰がそんなことするかボケ!」
もちろんそう言われるのも予想済みだったバンジは、ボールからズバットを出していた。すばやい動きでエレベーターに入り込み閉ボタンを押して帰ってくる。閉まろうとするドアを見て、タイミングよくクラボを中に蹴り込んだ。
エレベーターが閉まる。中からくぐもった叫び声が聞こえてくるの、は作戦成功の証だ。
「さって、これからどうすればいいんすかねー」
バンジは頭を掻いた。
◇ ◇ ◇
どうして? ミヤナギくん。
ミカの頭の中ではそんな言葉がぐるぐると回っていた。ちなみにミカというのは人間サイズの人間的本名だが、今となっては知る者も少ない。
ジョーイさんに今この街で起こっていることを聞いて、それから物資を預けて、なんだか意味深なことを言ってポケモンセンターを飛び出していった。さすがのミカでもこれには騙されない。どうせシルフカンパニーに向かったのだろう。それくらいは簡単に分かる。
じゃあ、何故?
こっちの答えはもっと簡単だ。
正義を行使しに行った。そうに違いない!
「私を守るために……ミヤナギくん」
そしてポケモンセンターに置いてけぼりになっているのは、か弱い女の子であるミカを危険から遠ざけるためだった。
でも、ごめんなさい。
内心で今はシルフカンパニーにいる恋人、いや、フィアンセを想う。
もちろん実家には行きたいけれど、二人で行かないことには意味がない。両親に認めてもらわなければ意味がない。恋人が窮地に陥っているところを助けないなんて、月よりの使者、ミラクル・ピンキーの名折れだった。
しかし、今はちょっとした問題があった。
ポケモンセンターのロビーでソファに座っているミカなのだが、テーブルとソファのセットを二つ挟んで向こう側に、なんと全身ピンクの女の子がいる。
頭にはナースの帽子をつけて、後ろ姿だけ見ればピンプクサイズのラッキーにしか見えなかった。時折向けられる顔は、どう見ても小さな女の子。幼女。幼女。無駄に可愛い……。
同じコスプレイヤーとして自分より上質な素材が目の前にいる。周りの人に「かわいいねー」なんて言わせてはべらかしている。あの笑みの裏にはどす黒い本心があるとも知らずに。とは言ったものの、確かに可愛い。ミカはぼっきゅと立ちあがって、女の子の方に歩いていった。背後にまわり、見下ろす。女の子が振り返る。ちょっと驚いている様子だが、すぐに笑顔を見せた。かわいい。
「お姉ちゃんはピクシーだね!」
案外いい子である。
「そうなの! ピクシーなの! ラッキー、かわいいねー」
「ありがとう! えへへ」
そうして二人は意気投合した。
もちろん時間が経てば女の子の親も戻ってくるわけで、てっきりハピナスのコスプレイヤー、ピナサーが現れるかと思っていたけれど、そんなことはなくて、ミカはすごく怪訝そうな眼差しを向けられた。そうなってようやく本来の目的を思い出し、シルフカンパニーに向かうと、ロビーは凄惨な光景で埋め尽くされている。
「うわあ……」と思わず声が洩れた。
奥の方を見ると、人影。ぱっと見てロケット団の制服かと思うけれど、実はRが逆で、コスプレ衣装に身を包んだ男の子。
「ミヤナギくん!」
ミカの呼ぶ声に気づいて、ミヤナギは手を振りながら歩み寄ってきた。
「合言葉は何でしょうか! はい!」
テンションが上がってきて合言葉を聞いた。これにちゃんと答えることで、二人の間に共感が生まれるのだ。ミヤナギは苦笑する。ミカは返事を待った。
「はいはい、ジェネラル・ピクシーでしょ?」
瞬間、ミカは凍りついた。
◇ ◇ ◇
あほみたいに世界がちっぽけに見えた。それくらいシルフカンパニーの最上階から見る景色はどこまでも続いていて、これほどまでに広い世界が窓の中に収まっていていいものだろうかとイヌは考えた。恐らく日常をこんなところで過ごしているような者は、こんな疑問も抱かず、当然窓の中には小さな世界が映り込んでいるものだと思っているに違いない。その主が目の前にいて、両脇ではネコと、もう一人、スパイでSPの格好をしていたハムスターがいる。面長の顔と黒いスーツ。それに目にかかる程度のウルフカット。爽やかな好青年といった印象だ。
「目的は何?」
敵に囲まれながらも凛とした声音のシルビア。その視線はハムスターに向けられている。三人の中で誰の位が一番高いのかをすぐに理解したようだ。
「目的? 決まっているではありませんか」
ハムスターが丁寧に答える。確かに社長の細君を拉致するのだから決まっていると言えば決まっている。
ハムスターが壁いっぱいに広がる窓を振り返り、そこから見える景色を眺めながら言った。
「資金ですよ。我々はお金が欲しいのです」
◇ ◇ ◇
偽物かもしれない。そんな疑念が脳裏に渦巻いた。
ジェネラル・ピクシーという合言葉はわざわざミヤナギが改めさせたのだ。まさか記憶が飛んでいるなんてことはありえないだろう。それなのに、どうして間違った?
ミカは動揺を悟られないように努めた。
「声が小さいよ! はい、もう一回!」
さすがに二度目ともなれば間違っていることに気づくだろう。ただし、それはミヤナギが本物だった場合だ。
「ジェネラル・ピクシー」
そう言って笑った。ミヤナギの顔で。普段からミカとめんどくさそうに話すミヤナギだったら、簡単にそんな笑顔を見せたりはしない。どころか、こんなの初めて見た。だからこそ、この笑顔は偽物で、目の前の男の子も偽物だ。
「どうしたの?」
黙ってしまったミカに、偽物は心配そうな声をかけた。この気遣いも白々しい。
「こんなの、ミヤナギくんじゃない……」
「え?」焦ったふうに問い返してくる。
「偽物だ。ミヤナギくんじゃない!」
でもそうだとしたら、どうして。何のために。ジェネラル・ピクシーを知っている者は、自分を除けばこの世に二人。ミヤナギと、そして――。
「どうしてなの、テイミちゃん!」
ミカは着ぐるみの足を開いてピクシーを押し出した。勢いよく飛び出したピクシーが構えを取る。
「あちゃー、どうしてばれちゃったかなー」
テイミはミヤナギの声と顔でそう呟くと、変身を解き始めた。すぐに元のモノマネ少女の姿に戻り、メタモンは元の形に戻ろうとせずに、そのままピクシーに変身した。
「合言葉違うの。今はもうジェネラル・ピクシーじゃないから!」
ふふ、とテイミは笑う。
「今日はミスばっかりだなー」
自嘲気味にそう言って、足元を見ていた。ちらりと見えたその表情がどこか悲しそうだったのは気のせいか。何にせよ、これはただの悪戯ではないはずだった。
「ごめんね、ミカちゃん。侵入者を倒さなきゃいけないんだ。主のためにね」
テイミは顔を上げた。やはりその眼差しにはどこか悲しそうな色があった。たとえ何か事情があるにしても、ミヤナギの格好で近づいてきて、あまつさえ騙そうとしたからにはミカも戦わないわけにはいかない。
さっきまでメタモンだったはずのピクシーが走り出す。
「私だって、ミヤナギくんを助けなきゃいけないんだから! ミラクル・ピンキー、本気で行きます!」
◇ ◇ ◇
上り階段はポケモンだらけだった。これでもかと言うほどニューラが降ってくる。カントー地方なんだから大人しくニャースにしてくれれば、もっと楽なのに。そんなことを思うミヤナギだったが、実際のところ、ケンタが強すぎてどちらでも変わらなかった。
甲高い鳴き声を上げてニューラが跳びかかってくる。先陣を切るケンタが虫アミを薙ぐ。風切り音を立ててニューラを進路から除け、立ち上がろうとすればミヤナギのガラガラが骨の棍棒でとどめをさした。
階段を二段飛ばしで駆ける。そろそろ二階も通過したが、まだまだこれくらいでは疲れない。
「にしても敵が多すぎるな」
ケンタが虫アミを振りながら呟いた。
「ここを通るしかないからね。エレベーターは下がってきてたから、たぶん敵が乗ってたんだと思う」
ユキオは走りながらも汗ひとつかいていない。
今度はニューラが三匹で現れた。タイミングをずらして襲いかかってくる。さすがに同時に襲うのはまずいと学習したのだろう。階段の途中だったケンタは後ろ跳びで踊り場に着地し、一匹目のニューラを虫アミで払った。ガラガラが追い打ちをかける。二匹目が絶妙のタイミングで飛び掛かってきていて、ケンタは虫アミを返して払うのは追いつかないと判断したのだろう、身体を捻って横っ跳び。鉤爪を避けて壁を蹴り、着地したニューラに虫アミを振り下ろす。間髪空けずに三匹目が襲い来る。
「ほねブーメラン!」
ミヤナギの指示にガラガラが棍棒を投げた。空中で攻撃の態勢を取っていたニューラは、わき腹に骨の棍棒を受けて、そのまま倒れる。
「助かったぜ、兄さん」
「うん。さすがにそろそろきついね」
「ほんと、きっつい」
「おい待て、ユキオは何もしてねぇだろ」
「え、ばれてる」
「当たり前だ! お前もそろそろポケモン出せ」
はいはい、と渋々出したのはカイロスだ。大きな鋏を打ち鳴らす。これなら上から襲ってくるポケモンにも対応しやすいだろう。
「へぇ、カイロスか。いいポケモン持ってるね」
ミヤナギがそう褒めると、素直にありがとうと返ってきた。
そんな束の間の休息も許すまいと、またしても上からニューラが現れる。消耗戦だった。
ケンタが虫アミを構え、ユキオはカイロスに指示を出し、ミヤナギは覚悟を決める。
さぁ、上へ。
◇ ◇ ◇
「放せ! このゴミども!」
下りのエレベーターの中で、クラボは思いっきり叫んだ。
あぁ?
乗り合わせた数人のアンチテーゼの団員が、まとめて睨んできた。
「す、すみません」
まったく気の弱いクラボだった。
エレベーターはすぐに地下二階についた。思い扉が開くと、薬品の臭いが鼻を突いた。内装は薄暗くて、ほとんど証明も灯っていない。奥の方から薄らと灯りが洩れているくらいで、他には配慮がまったくない。よく見てみると、パイプやら配線やら、何かの機材だとかが暗闇の中で剥き出しになっているようだった。エレベーターを降りると、鉄を踏む甲高い音が響く。機械が動く規則的な音も聞こえた。
団員に両脇を固められて、奥へと連れて行かれる。光を放つパネル付きのドアがあった。取っ手の代わりにカードリーダーがあって、カードキーを通せるようになっている。先導していた団員がカードを通すと、パネルに何やら文字が数行走って、ドアが勝手に開いた。
その部屋は比較的明るかった。ぼんやりとした不気味な明るさだ。見た目からは用途が判別できないような機械が並び、部屋の隅には蛍光灯付きのデスクがある。向かう椅子には白衣の人が座っていた。髪が長くてひょろりとした格好。ペンを片手に分厚い本を開いている。クラボからは横顔しか見えないが、やつれてるふうもなく、賢そうな青年といった印象を覚える。
「ようこそ、実験動物くん」
そいつが呟く。クラボは最初、自分に向けて言われているのだということに気づかなかった。周りを見渡して、なるほど確かに実験でもやっていそうな部屋だな、と認識したところで自分が実験動物になるのだということに気づく。
「誰が実験動物になんかなるかよ!」
モンスターボールに手を伸ばそうとするが、両腕は団員に押さえられていて自由がきかない。
「早速だが、はりつけになってくれるかな。ほら、そこ」
と、ペンで背後を指す。その先には確かに人間の形をとった拘束器具があって、ボタンがくっついていたり、配線が伸びていたりする。ボタン一つで十万ボルトが流れても不思議ではなさそうだ。かなり冗談じゃなかった。
青ざめる暇もなく、団員がクラボに集まってきて運び出す。
「やめろ! このっ!」
抵抗も虚しく徐々に器具の方へと運ばれる。
「まあ、もちろん生きていられる保障はないよ。でも、大した実験じゃないから」
命の保障がないのに大した実験じゃないらしい。嫌な汗が噴き出してくる。もがく全身に力を込めた。それでも団員たちはクラボを離さない。
「気楽にしててよ。さ、始めよっか」
「ふざけるな!」
そのマッドサイエンティストは、クラボの抵抗を完全に無視した。スイッチを押すのに、一瞬とて躊躇うこともなかった。
◇ ◇ ◇
ミカのピクシーが舌を鳴らしながら、素早く三回右手の指を振った。なぜか左手は腰に当ててポーズをとっている。
「そんな運任せで勝てると思わないで! はかい――」
指示を出そうとした瞬間、床に亀裂が入った。ミカのピクシーの足元から、ぱきぱきと小気味いい音を立てて床がひび割れていく。すさまじい音がして、少しだけ地面が跳ねた。
「えっ、ちょっと」
予想外の展開にテイミがしりもちをつく。
「じ、じわれ!?」
敵のピクシーも驚いているようだ。ほくそ笑んだミカのピクシーはさらに指を振り続ける。すると、ロビーに風が舞いだした。床に転がっていたガラスの破片などを巻き込んでいく。その風は冷気を帯びているようだった。徐々に雪や氷が風に混ざり始める。
「今度は吹雪!?」
吹雪が敵のピクシーとテイミを襲った。こんなところでは逃げる場所もなく、盛り上がった足場ではバランスも取れず、敵のピクシーは吹っ飛んでいく。奥の壁にぶつかって、やがて凍りづけになった。テイミも苦しそうに床を転がる。でも、まだ終わらない。
「走って、ピンキー!」
凍って身動きの取れない相手に止めを刺しにいく。今度は指を振らない。走るピクシーの手から星屑がこぼれはじめた。光を帯びて、その技の準備が整う。
「コメットパンチ!」
一際大きな輝きを右手に湛えて、凍りを割る勢いで敵のピクシーに拳を叩きこむ。星屑が舞い散って、氷は割れ、中に居たピクシーはメタモンに戻って動かなくなった。
「……く、っそ、負けたら、シルビア、様が……」
床に倒れた状態で、テイミがうめく。
「え、シルビアって、今人質にされている人じゃないの?」
「そう。シルビア様を、守るために、編成された、特殊部隊の一員だから――」
そこまで言って、
「喋りすぎだ」
新たな声が割って入った。声の主は天井から落ちてきて、テイミに蹴りを入れた。ミカの目が見開く。テイミはそのまま一声うめくと、動かなくなった。
「お嬢さん、なかなかおもしろいポケモンを使うじゃないですか」
冷たい印象を受ける声だ。ミカは一瞬で敵と認定した。
すらっと高い慎重にスーツを纏った赤い短髪の男。切れ長の目は鋭くて、赤という色の割には見た目からも冷たい印象の方が目立った。
「あなたがテイミちゃんを操っていたのね」
「はい。だから、何でしょうか?」
悪だ。相手は紛れもない悪だ。倒すべき悪で、殲滅すべき悪。ここは、やるしかない!
ピンクの全身がぼきゅっと跳ねた。
「月よりの使者、ミラクル・ピンキー! 荒ぶるピンクは正義の証! 悪者の未来をごっそり根こそぎぶち壊しちゃうぞっ!!」
そして、ポーズを取った。その時、敵は驚愕に目を見開いていた。冷静そうな仮面を吹き飛ばして、細い目を精一杯に広げて凝視してくる。それから唇をわなわなと震わせ、やがて呟いた。
「まさか、あなたが……月より参ったという桜花の流星、スターブロッサムなのですか!」
「ふふん、これは懐かしい呼び名ね! まさか昔の私を知っている人がいるなんて!」
「これは本気でいかねばなりませんね。数年前、十月三十一日に一度だけ勃発した狂気の戦争、ウォーコスプレミアムを制したのがスターブロッサム……彼女の従えるポケモンが一たびを指を振るえば、たちまち天変地異にも匹敵する大技が連発したという!」
「それを人々は恐れ、後になり畏怖を込めてこう呼んだ――」
――ミラクル・ピンキーと!
二人の声が重なった。
「申し遅れましたね。私の名前はリス。アンチテーゼに所属する幹部です。そして、ウォーコスプレミアムの戦場を駆けた一人の名も無き戦士! 私も本気で行かせてもらう!」
勢いもそのままに、リスは煙玉を足元にたたきつけた。辺りが煙で充満する。ミカはバックステップでぼっきゅと退いた。ピクシーも指示を出して退かせる。
煙が晴れてきて、そこに立っているのはもはやスーツの男ではない。
全身を白を基調とした着ぐるみに身を包んでいる。大仰な尻尾がくっついていて、耳もなかなか大きい。
リスはパチリスの着ぐるみを着用していた。
「なかなかできるようだね、おじさん!」
「これはこれは、恐縮でございます」
これからバトルが始まろうという時、階段の方から物音が聞こえ、二人の視線はそちらに移った。
「あ、あの、盛り上がってるところ悪いんすけど、交ぜてもらっていいっすか。できればミラクル・ピンキーさんの味方で。ここはひとつ、協力といかないっすか」
いつぞや見たロケット団である。確かあの時は自然公園で、ミヤナギを陥れようとしていた。でも今は協力を求めている。アンチテーゼに対抗するロケット団だから、当然と言えば当然だ。
でも、彼はなぜか口の端を引きつらせていた。
◇ ◇ ◇
「ポケモン園計画です!」
元SPで結局スパイだった男、ハムスターはシルビアの「手に入れた資金で何をするの」という問いに対してそう答えた。シルビアは内心で首を傾げる。ポケモン園と聞いてぴんと来るものは何一つない。どんな凶悪な犯罪がそこで行われるのだろう、名前からは想像も出来ないようなことが行われるに違いない。
「その、ポケモン園とは――」
「説明しましょう!」
ハムスターがシルビアの質問を遮った。
「ポケモン園とは、区分けされたエリアごとにポケモンを解き放ち、触れ合いをメインとして鑑賞や遊戯をするテーマパークのことです! サファリゾーンと違うのは、捕獲がないこと、そして制限時間もなく、訪れた人々に自由な遊びを提供する場でありたい! もちろんポケモンの連れ込みも可能! ですが、ポケモン園には最初から何十、いや何百匹、あるいは何千匹もの規模で触れ合えるポケモンたちが伸び伸びと生活しているのです!」
身構えていたシルビアは、ハムスターが説明し終えた後でも、しばらく返事をしなかった。なぜならまだ話が続くと思ったからだ。そこから凶悪な犯罪の説明に入ると思っていたから、黙って続きを待っていた。けれど、ハムスターは、にたー、と砂のお城を作り上げた幼児のような顔をして、シルビアの驚き歓喜する表情を待っているのだ。
シルビアは砂のお城を蹴って崩した。
「それで?」
ハムスターは本当に崩れた砂のお城を見るような顔になった。
「え、いや、これで終わりでございます、シルビア様」
「あら、私を人質に取った組織が随分と可愛いことをお考えなさるのですね。ハムスターでしたっけ、名前に違わない可愛さですこと」
「お褒めにあずかり、光栄でございます」
褒めたわけじゃない。その上、恭しく頭を下げてきた。皮肉が全く通じないようだった。
「それで、あなたたちからは何か言ってあげることはないんですの?」
呆れかけて、半ば助け舟を求めるような気持ちで、残りの二人に視線を送る。
「かはは、俺は金さえありゃあ、何でもいいんだよ!」
「そうだな。トイレには多種多様なスリッパを用意しよう」
そこまで聞いて、シルビアはどうしてこんな組織に拉致されてしまったのだろうかと考えた。なんだこの平和ボケした組織は。そもそもこれは人質に取られているのか? 普通に投資の交渉に来ればよかっただけではないだろうか……。どうせ拉致するなら国を震撼させるようなことをやってほしかった。新聞の第一面で悪の組織が世の中の子どもたちを喜ばせてどうする……。
シルビアはため息をついたけれど、ポケモン園も存外悪くはないな、などと思っていた。
◇ ◇ ◇
横薙ぎ一閃。鈍い音が階段に響く。重なるように飛び掛かってきたニューラを縦に一振り。背後に飛ばしてガラガラに任せる。跳躍。三匹目を袈裟懸けに斬り、その勢いのまま身体を反転。四匹目を斬り倒す。階段を二段飛ばした。まだいける。三段。四段。一気に跳び、五匹目を目の前にして虫アミを振り回し、柄の部分で突きを繰り出す。さらに虫アミを回転。遠心力からの斬撃。六匹目の繰り出した辻斬りを華麗に避けて、壁を蹴る。背後から袈裟懸けに虫アミを振るう。とうとう虫アミが壊れた。それでも止まらない。階段を何段も飛ばしながら、走る勢いを殺さずに上っていく。踊り場に出た。そこにはニューラの大群がいた。ぱっと見ただけで十匹は数えられる。
「やばいぞ、かなり多い!」
ケンタが後ろをついてきている二人に叫ぶ。
「ケンタ、虫アミ」
どこから取り出したのか、ユキオが二本の虫アミを投げてよこす。襲いかかってきたニューラを避けつつ、跳躍しながら空中で虫アミを取り、壁を蹴って孤軍で大群に立ち向かう。上から虫アミを振り下ろしながら、大群の真ん中に着地。二本の虫アミを使って回転斬りをすると、風切り音が響いた。そこから大技に連結する。腰を落とし、足を開いて、束の間の脱力、腕を交差させて、頭を伏せる。溢れ出る気迫に、ニューラたちは隙をつくことができなかった。はっと気づいて襲いかかる頃にはもう遅い。
「その斬撃は、竜巻を呼ぶ。――くらええええ! 虫アミナディン!!」
思い切り仰け反って両手を斜め十字に振り払い、空気を切り裂いた。そこから目にも止まらぬ速さで回転。その瞬間、竜巻は起きた。虫アミが爆散する。周りの有象無象が巻き込まれて、風の世界を作り出す。ニューラが抵抗も出来ずに巻き上げられて、ユキオのメガネは無残にも吸い込まれて粉々になった。そして風が止んだ時、立っていられたのは勇者ただ一人。周囲には魔物たちが積み重なって事切れている。
「今度も派手にやってくれたね……」
ミヤナギが感心した様子で惨状を見回している。ユキオなんかは慣れたもので、ポケットからスペアメガネを取り出して装着していた。
気づくと、これより先に階段はない。部屋の扉があるだけで、階段で行けるのはここまでということだった。ケンタの方も限界が近かった。
「あ、勇者モード切れた」
しゅんと、自分の中で何かが消えていくのが分かった。こうなってしまっては虫アミスラッシュも虫アミナディンも使えない。勇者モードになるためには少なくない時間が必要になるのだ。
「すごいな、勇者モードなんてあるのか……。とりあえず疲れたよね。ソファに座って休憩しよう」
ミヤナギが提案して部屋の扉を開いた。
もちろんソファなんてあるわけがなかった。
「残念、はずれよ!」
部屋に入るなりそんな声が聞こえる。無機質な白い床が広がっているだけで、家具の類は何もない。まるでポケモンバトルのために設計されたかのような部屋だ。入口はエレベーターと階段の二つだけ。どうやら待ち伏せをされていたらしい。
けれど、敵が居たのは階段から来る扉の前じゃなくて、エレベーターの前だった。
「当てが外れた、ってとこかな?」
ミヤナギのその言葉には恐らく二つの意味が込められている。残念なことにソファなんてものはなかった。そして、三人がエレベーターではなく階段で来てしまった。
「うるさいわね! なんであんたたち、わざわざハードモードから上ってくるのよ! 普通エレベーター使うでしょ! 馬鹿なの!」
一つに結わえた長髪を振り回して地団駄を踏んでいる。高圧的な口調のわりには背も低いし、出るとこは出ていない。残念なギャップだった。
「お姉さん、残念なギャップだね」
ユキオもケンタと同じことを思っていたらしい。せっかく黙秘していたのにユキオはしっかりと口に出してしまった。
「はぁ? ガキのくせに生意気ね……。いいわ、バトルでボコボコにしてあげるんだから! アンチテーゼの幹部、フナムシ様をなめるなぁ!」
「え?」
三人が同時に反応した。
「今、なんて言った?」
ケンタが聞く。
「ガキのくせに生意気ね」
「違うよ」ユキオが否定する。
「はぁ? ガキじゃない、何言ってるの」
「違うってのは、そこじゃないって意味だ!」ケンタが勢いのまま怒鳴る。
「名前、なんて言った?」
ミヤナギが親切にも聞いてあげた。
「フナムシだけど、何?」
三人は顔を見合わせた。
「かわいくない」
「うん、お姉さん、かわいくないね」
「ごめんなさい、全然かわいくない」
とことん残念な人だった。
「うるっさいわねぇ! ああ、もう! 覚悟しなさい! 後で泣いて謝ってもヒールで踏みつけてあげないんだから!」
誰が喜ぶんだそれは……。
「でも姉さん、三対一だぜ?」
ふん、と嘲るように笑う。それから指をパチンと鳴らして、四方の壁が倒れていった。そこから現れたのは大量の下っ端たち。倒れた安い材質の壁を踏みつけながら、迫ってくる。
「百対三の間違いじゃないの? んふふ、私に勝てたら、最上階への行き方を教えてあげてもいいわよ」
◇ ◇ ◇
ロビーで繰り広げられていた超展開は、バンジじゃなくても普通の人ならば、ついていけないような状況だった。ウォーコスプレミアム……それがどんなものかなんて、知りたいとすら思わない。いったいそれはどこの世界で起きたことなんだろう。バンジは考えていた。階段に続く開け放たれた扉の陰で。
結局、アンチテーゼに立ち向かうのはあの人間サイズも同じ。クラボが連れ去られたのを思えば、バンジだって人間サイズと協力して敵を倒してもいい。それにあの外見で人間サイズは強いらしいのだ。
「あ、あの、盛り上がってるところ悪いんすけど、交ぜてもらっていいっすか。できればミラクル・ピンキーさんの味方で。ここはひとつ、協力といかないっすか」
あまりにも話している内容が意味不明だったので、思わず苦笑が混じってしまった。
「あなた、誰です? 見たところ、ロケット団の格好をしたコスプレイヤーのようですが」
「だから何でみんな普通にロケット団だと思わないんすか!」
「ふむ。ロケット団でしたか」
あ、と呟きが洩れる。ロケット団だと証明することは、つまり敵対することを表明するということだ。
「おじさん、足手まといになるからいらない!」
きらきらとした笑顔でそう答える人間サイズ。敵にも味方にもなめられるなんて、泣く子も黙るロケット団としては失格だ。いや、そもそも味方とすら思われていない。
「同じ敵を相手にするんだから、二対一っす!」
除け者にされたくなかったので、無理やり人間サイズの側につくと、パチリスの格好をした敵は声を上げて笑った。
「一対一よりも勝率が上がりましたよ。ありがとうございます」
それは皮肉だったが、場を見てみると、敵は人間サイズとバンジに挟まれている格好だ。入口側に人間サイズが立っていて、バンジは奥の階段側から出てきたのだから当たり前だろう。
そこで横から甲高い音が聞こえた。エレベーターが一階に到着して、扉が開く。
「どうやら、二体二のようですね。これは残念」
出てきたのは白衣を着た若そうな研究員。片手にはモンスターボールを持っている。そのボールは普通のモンスターボールとは違って、赤の部分が少し暗かった。太い血管を切った時に流れるどろどろとした血を想像させる。
「あぁリスって人だよね。実験はまた失敗したよ。とりあえず一応の成果はあるけどね」
そう言ってボールを放る。
「それはお気の毒に。まぁ、そんな趣味の悪い実験など、私としては成功してほしくはないですけどね」
つれないねぇ。研究員は言った。
ボールが床を転がる。その外見と同じような血色の光が空気を割く。ぎらぎらと一通り発光した後、現れたのは人型。しかもそれは、バンジにとっては見覚えのある容貌をしていた。
「まさか、クラボさんっすか……」
現れたのは確かにクラボだった。目も鼻も口も、全てがクラボそっくりそのものだ。
「ふぅん、クラボっていう名前だったんだ」
たいした興味もなさそうにそう呟く。
「ってぇな……あ、バンジじゃねえか」
ボールから出されたクラボは首筋に手をやりながら言った。
「クラボさん、無事だったんすか!」
「無事じゃねえよ! お前のせいで変な実験させられて散々だったんだよ!」
激昂する割には元気そうで、バンジの方も安心した。しかし、それは束の間の安堵だ。
「失敗なんだけどね」
研究員が呟いて、ポケモンに指示を出すのと同じようにして、クラボに戦う指示を出した。バンジは何言ってるんだこいつ、と思った。クラボとバンジが味方同士だということに気づかないのだろうか。その疑問はすぐに解消される。
「うっ、なんだ?」
クラボはモンスターボールを取り出して放った。そこから出てきたのは見慣れたポケモン、ヘルガーだった。
「ちょっと待て、なんで身体が勝手に」
「さぁ、ヘルガーに指示を出せ! 戦わせるんだ!」
「ヘルガー! かえんほうしゃ! ――って、何言ってんだ俺は! ヘルガーやめ……やめるな!」
意思に反した指示を出した後、クラボはびっくりして目を見開いていた。それから手を握ったり開いたりして、頭を掻いた。指示を受けたヘルガーがちらりとバンジの方を見る。すると、躊躇う様子もなく、指示通りに火炎放射を繰り出してきた。
「少しは躊躇えっす!」
慌てて横に跳んで、バンジも応戦するためにボールを投げる。
「ちゃんと、成功してるじゃないですか」
「こんなの成功じゃないよ。第一段階は人間を収容できるボール。第二段階は今みたいにボールに入れた人間の操作。第三段階では勝手に戦ってくれるように洗脳しなきゃいけない。まだまだ人間とポケモンの地位の平等化には程遠いのさ」
バンジが投げたボールから出てきたのはキリンリキだ。ヘルガーと対峙して複雑な表情を浮かべている。
「じゃ、そういうことで、この実験動物は任せたよ」
そうして血色と白で出来た奇妙なボールをリスに放った。リスはそれを受け取って、興味深そうに眺めている。
「研究室に戻るね。次の実験動物も待ってるから。あ、そこの人たちもリスって人倒したら地下二階によろしく」
言うが早いかエレベーターに乗り込んでしまう。
「マッドサイエンティストという奴は、やはり敵だか味方だか分からないものですねぇ」
リスはクラボの操作ができるボールを手のひらで転がしている。
不意に、地面が揺れた。これから戦闘という時になって、何が起きたのかと思う。刺さるような気配を感じて、バンジは素早くそちらに視線を向ける。そこには人間サイズとピクシーがいるのだが、さっきとは少しだけ様子が違うように思える。
「もういいのかな? おじさんたち」
言葉からは今まで見ていたふわふわとした雰囲気が感じられなかった。言葉尻は柔らかいような気がするのだが、声音は冷たく、氷のような印象を受ける。
誰も問いに答えようとはしなかった。答えてはいけないような気がしたのだ。気おされて、その場に居る者は口を開くことができなかった。
「いいよね。もー悪者ばっかり。悪者に未来なんてないんだから!」
バンジは人生最大の戦慄を覚えた。
◇ ◇ ◇
「頼んだ、ケンタ!」
敵の大群に囲まれて、ミヤナギは叫んだ。これくらい虫アミスラッシュであっという間に掃討できるだろうと踏んで。
「いや、無理だ。勇者モード切れちまったし」
その答えにミヤナギは絶望を覚えた。あれが無理ならば、これだけの大群を三人で相手するのは難しい。どころか、不可能かもしれない。あの超常的な能力があってこそ、三人はここまで来れたのに。
「じゃあ、勇者がこんなとこで倒れるの?」
ユキオがぼそりと呟く。
「まだクエストは終わってないよ? こんな窮地に立ってまで隠すものじゃないよね、勇者モードって」
大群の中から数人が先陣を切って、ニューラをけしかけてきた。敵は待ってくれない。ガラガラと、ユキオの出したアーマルドが応戦する。
「そうだな、分かった。じゃあ、時間稼いでくれ。あと、いつものよろしく」
ケンタがモンスターボールを取り出してユキオに投げる。そのボールは普通のモンスターボールとは違っていた。赤と白の球体であるはずが、どうしてか赤が血のように黒みがかっている。ミヤナギの目が錯覚を見たのかと思った。
「任せて。なんとかするから」
答えると、ケンタが続いて取り出したのは普通のボールだ。こっちがいつも通りの色に見えるなら、血色のボールは目の錯覚なんかではなかったのだと分かる。ボールを放ると出てきたのは、テッカニンだ。風を切る羽が残像を残すほどの速さで動いている。
「ミヤナギさん、しばらく時間を稼ぎましょう」
ユキオはそう言うと、血色のボールをケンタに向かって投げた。敵が直接ミヤナギに攻撃を仕掛けてきたので、避けるのに必死になって、ボールがケンタにぶつかる瞬間を直接見ることはできなかったが、ケンタの姿が消えたということはボールがケンタを吸い込んだということらしい。
「ど、どういうこと?」
驚きを隠せずにミヤナギが問うと、説明は後です、そう返ってくる。
襲ってくる敵がだんだんと数を増やしてきたので、二人は全ポケモンを総動員させなければいけなくなった。あらかじめケンタがユキオに渡していたボールもすべて開かれる。敵も数が多いとごちゃごちゃして攻撃しにくいはずなのだが、だんだんとその動きは統率されてきている。かなりまずい状況だ。
一匹のニューラが跳躍した。二匹目は床を走り、三匹目が横から襲ってくる。出ているポケモンを無視して、ミヤナギを直接狙う。出ているポケモンを守りに入らせても間に合わない。ダメージを最小限に抑えようとして両腕を顔の前に構えてガードを作り、後ろに跳ぶ。三匹の距離が一番近くなるとき、モンスターボールの光にも似た光線が放たれた。三匹が巻き込まれ、周囲のニューラもまとめて貫く。破壊光線の出どころを探してみてもミヤナギには分からなかった。額に汗を浮かべたユキオが頷く。ありがとう、と一声かけて、終わりの見えない戦いに戻る。
「ねぇ、退屈なんだけど、寝ていい?」
フナムシ。残念なお姉さん。声の主の姿は大群に隠れて見えないが、色気のあるその声は喧噪のなかでもよく通る。
二人には答えてる余裕なんかなかった。ケンタとテッカニンを守らなければいけないから。テッカニンは規則的な動きで宙を舞う。その動きはだんだんと速くなってきていた。しかし、ミヤナギには何をしようとしているのか、さっぱり見当もつかなかった。ただひたらすらに、時間を稼げばいいのだ、と自分に言い聞かせる。
そこでミヤナギのポケモンの中で最後まで粘っていたガラガラが倒れ、手持ちのポケモンは全滅した。苦虫を噛み潰してユキオの方を見ると、残るポケモンはケンタの使っていたヤンヤンマのみで、戦況は最悪な局面を迎えようとしていた。
もはやニューラが襲いかかってくるのを防ぐ術もない。ユキオの方で放たれた破壊光線は、反動があってミヤナギを守ってはくれない。顔の前で折り曲げた左腕をニューラの鉤爪が切り裂いた。買ったばかりのコスプレ衣装を引き裂いて、肉を薄く抉った。熱を帯びて血が流れ出す。続けざまに繰り出される攻撃を横っ飛びで避ける。後ろからもニューラが迫ってきていたようで、二匹の攻撃を間一髪のところで逃れることができた。だが、まだ終わらない。今度は二匹同時に飛び掛かってくる。その様子がひどくゆっくりに見えた。かと言って自分が速く動けるわけではない。どこか遠く、映像を呆けた頭で見ているような感じで、あまり現実味が湧いてこなかった。跳ねる心臓が時を刻み、窮地に陥った映像のコマを回す。不意にその映像はミヤナギを現実に引き戻した。轟音が聞こえたかと思うと、目の前にいた二匹のニューラは横殴りの風に吹っ飛ばされている。
「待たせた」
ケンタが両手に虫アミを持って立っていた。舞っていたテッカニンのボールが足元に転がっている。
勇者の復活はそこに成った。
◇ ◇ ◇
吹雪が起きた。かと思えば、ロビーは大文字に焼かれた。けれど、すぐにどこからともなく現れた波が鎮火していく。ミラクル・ピンキーが本領を発揮していた。たしかにミラクルばかり起きている。
「さすがスターブロッサム……! この技が見れただけで幸せだ!」
「あんた馬鹿っすか! これはもうバトルじゃなくてただの自然災害っすよ! 逃げるっす!」
「逃がさない! 荒ぶるピンクが悪を討つううう!」
ピクシーが指を振ると、今度は壁がぶち破られた。外から斜めに小型隕石のようなものが落ちてきて、クレーターを作る。衝撃で起きた爆風に吹っ飛ばされながらバンジは叫んだ。
「りゅうせいぐん!?」
その通り、確かに流星群だった。次々に隕石が落下してくる。それもピンポイントだ。ビルを崩さない程度に斜めから降り注ぐ。ロビーが瓦礫まみれ、埃まみれになったところで、辺りは静かになった。クラボもリスも気絶して動かない。
「悪者は、あと一匹!」
周りを見ても悪者と呼べる者はバンジ一人だった。
「勘弁してくださいっす! 無理、無理無理無理っす!」
瞬間、ピクシーが肉薄。懐に入り込んできて、何かの構えを取った。バンジには防御する間も与えてはくれない。
ギガインパクト。技の名前が脳裏に浮かんで、トラックでも突っ込んできたんじゃないかという衝撃を腹部に受けた後、すぐにバンジの意識は途切れた。
◇ ◇ ◇
あれだけ居た大群は一匹たりとも立っていなかった。復活した勇者は双頭の剣を振りかざして、少しの時間もかけずにあっさりと雑魚を蹴散らした。敵は誰も反応できず、恐らく何が起こっているのかも分からなかったことだろう。ミヤナギですらそのあっという間の出来事に息もできず見入っていたのだから。
「嘘でしょ……」
嘘じゃない。本当に寝ようとしていた敵は、慌てて立ち上がって惨状を見渡す。
「さぁ、三対一だぜ。残りはあんた一人だ」
びしりと虫アミを振ると、酷使されていた勇者の武器は無残にも壊れてしまった。それに恐怖を抱いた敵はその場にへたり込む。
「い、いいわ。最上階への行き方、教えてあげる」
フナムシは名前に違わないほどの逃げ腰だった。
「カードキーを持って地下一階に降りなさい。そこに関係者専用のエレベーターがあるから、それで最上階まで行けるわ」
「そんなもん知ってるんだよ。さっさとカードキーを出せ」
「な、なんで知ってるのにここまで来たのよ」
「ここがバトル用のフロアだってことも知ってたからだ。どうせ待ち伏せるならここだろうってね」
フナムシは話を逸らしてカードキーを庇っている様子だった。なかなか出そうとしないのでケンタが近づいていくと、フナムシの方は後ずさりを始めた。それを見て、ケンタはどこからともなく大き目の虫アミを取り出す。虫アミは形だけで、大きすぎるその網は虫を捕まえるのに向いてなさそうだった。
フナムシが壁際まで退いたところで、ポケットに手を突っ込む。
「残念だったわね! そう簡単に渡すもんですか!」
直後、フナムシの頭上からロープが垂れ下がる。何かの装置が発動したらしい。ロープを掴むとフナムシは天井に引き上げられ始めた。
「一昨日来やがりなさい! ばーかばーか!」
「逃がすか!」
ケンタが人間離れした瞬発力で跳びあがり、大きな虫アミをフナムシに向けて振るった。
その網は背の低いフナムシをあっさりと包みこむ。
「何これ!」叫び声を上げた時にはもう遅く、奇襲に思わずロープから手を放してしまったフナムシは、捕えられて床に叩きつけられる。痛がっているところを虫アミが下から掬い上げ、ケンタが虫アミを肩に担ぐと捕獲された動物みたいになって憐れだった。
「ムシ捕まえたぜ!」
「ムシじゃない! フナムシだから! って、あんたどんな身体の構造してんのよ!」
ユキオが丸メガネをくいっと持ち上げた。
「ぼくが説明してあげよう」
得意気に言うと、ケンタもよろしく、と声をかける。
「ケンタの勇者モードは、奇妙なモンスターボールとテッカニンが重要なんだ。シルフカンパニーの研究員が開発した、人間を収めることのできるボール。そこにケンタは入る。それからテッカニンが剣の舞と加速で速さと攻撃力を最大まで上げる。そして、バトンタッチ。人間離れした腕力と速さを備えたケンタの完成ってわけさ」
なるほど、とミヤナギも感心する。しかし、そうなってくると疑問なのは聞いたこともないような奇妙なボールの存在だ。何故ケンタはそんなものを持っているのか。それに、そのボールがあれば誰だって最強になれるのではないだろうか。
「ちょっと、なんであんたがそんな物騒なもの持ってるのよ」
フナムシも似たような疑問を抱いていたらしい。ひどく間抜けな格好で網の中から問う。
「オレは、シルフカンパニーの社長の孫だからな」
「孫って……だからシルフカンパニーの中にも詳しかったわけね」
「ちょっといいかな」
ミヤナギが口を挟んで、疑問を口にする。
「ちょっと話戻しちゃうけど、そのボールって僕にも使えないの?」
それは無理だよ。ユキオが答える。
「ぼくにはよく分からないけど、実験が成功しないとそのボールには入れないんだ。その実験も失敗すれば死ぬことだってある。ボールが血みたいな色をしているのは、実際にケンタの血を使って作られているからなんだ。だからそのボールはケンタ専用」
「このことはうちの家族には内緒な」
ケンタが続ける。
「何年か前に家族に黙って実験を頼んだんだ。あのマッドサイエンティストが自分の利害だけに動かされるやつじゃなきゃ、こんなことはしてもらえなかった」
どうやら深い事情がありそうだった。雰囲気も重くなってきた。
「さぁ、カードキーを渡してもらうぜ。さすがのオレもカードキーは持ってないからな」
「渡してやりたくてもこの格好じゃ無理よ」
確かにフナムシの身体は折りたたまれて網に収容されていた。
「じゃあ俺が取る」
「は? 何言ってんの!」
「だって網から出したらどうせまた逃げるだろ。めんどくさいし」
「逃げれないわよもう!」
「ねぇケンタ、これ持ってこのまま地下一階まで行けばいいんじゃない?」
ユキオが提案した。
「それいいな! よし、じゃあ早速向かおう」
「ちょっとどうせ逃げれないんだから出してよ!」
無視して三人はエレベーターに乗り込み、扉を閉めた。ケンタが一階のボタンを押す。
「ケンタ、一階じゃなくて地下一階だってば」
「やべ、間違えた」
続いて地下一階のボタンを押した。エレベーターは一階を目指して下り始めていた。
◇ ◇ ◇
辺りを見渡して満足そうに頷くと、傍らのピクシーも親指を立ててしたり顔を見せた。ロビーはそこら中ボコボコになっていて、調度品の類も粉々で、人もポケモンも倒れ伏しているけれど、ミカにとってはいい気分だった。
あぁ、ミヤナギくんを探さなきゃ、と思い出す。
どこに行ったのだろうか。階段? エレベーター? 上? 下?
考えてみるとどれも可能性があって困った。そこにエレベーターが降りてきていた。視線を向けてみると甲高い音を上げて、丁度良く一階に停止する。扉が開くと、そこにはなんとミヤナギが乗っていた。
ミカは嬉しくなって、右手をぴちょっと上げる。さらに、ぼっっきゅぼっきゅと音を立てて走り出した。
どこかで見たような少年が目を見開いて、慌てて手を伸ばし、ものすごい勢いで閉≠フボタンを連打し始める。驚きながらも目以外のパーツは全く動いていなかった。
「待ってー! 閉めないでー!」
「嫌です!」
即答されてエレベーターは閉まった。
◇ ◇ ◇
恐ろしいものを見た。しかも本日二度目だった。ケンタは忘れかけていたトラウマを呼び起こされて全身を震わせた。今度からエレベーターに乗るときは、絶対間違わないようにしようと誓った。
沈黙のままエレベーターは一階を過ぎ、地下一階に到着する。降りるとすぐ目の前に部屋へと続く扉がある。そこに用はないので無視すると、降りたエレベーターの隣にカードキーを必要とするエレベーターがあった。
そこでようやくフナムシを解放する。
「ったく、ガキなんんてレディに対する扱いがなってないのよ」
ぼそりと呟く。
「なんか言ったか?」
「言ったわ。美味しいものが食べたいなーって」
「フナムシって何食べるの? 昆布とか?」
「馬鹿にしないで! その気になればステーキだって食べられるんだから!」
「その気にならないと食べられないのか」
「えぇ、主に金銭的な問題で」
「だから昆布か」
「昆布は食べない!」
そうこうしているうちにカードキーを通したエレベーターが口を開ける。
「はい、乗って。私はのこのこと敵を連れて行くわけにはいかないから」
一応、一言礼を残して三人とも乗り込む。このエレベーターは最上階にしか行かないようで、開閉ボタンと非常用ボタンしか付いていなかった。
「それじゃ、せいぜい頑張りなさい。おぼっちゃま」
いらっ。閉まり始めた扉の合間に虫アミを振り下ろす。フナムシの頭を叩いて虫アミを引っ込めると、タイミングよくエレベーターは閉まった。いたっ、という無駄に可愛い声が聞こえる。そのやり取りをユキオとミヤナギがにやにやと見守っていた。
なんだこいつら、気持ち悪い。
◇ ◇ ◇
「いいですか、世の中はポケモン園の存在を必要としているのです!」
「考えてもみてください、ポケモンと触れ合える場があまりにも少ないとは思いませんか?」
「シルビア様、あなたともあろう方ならば、ポケモン園の素晴らしさに気づいてもいいと思うのですが……」
「この窓に広がる世界に! ポケモンと人間は共存しているのですよ!」
さあどうです! とガラス張りの豪華なデスクを叩いた時には、さすがのイヌも呆れた。拉致してきておいて結局、商談になっているではないか。ポケモン園の素晴らしさを語るハムスターだが、シルビアの方もそれに同調して色々と案を出したりしている。ネコなんかは気楽なもので、ソファにどっかりと腰を落としてうたた寝している。もう完全に敵の存在を忘れているようだった。さっきから階下で揺れたり騒音が聞こえたりするのに、イヌ以外は誰も気づかない。
そこにエレベーターが到着した。
◇ ◇ ◇
「ばあちゃんを返せ!」
ケンタが勢いよく乗り込んでいった。虫アミを構えて部屋を見渡す。ミヤナギも同じように見渡してみたが、なんだか緊張感のない部屋だなという感想を抱いた。
「あら、ケンタじゃないの」
勇者モードになったケンタに向けて、ひらひらと手を振ってみせる。かなり和やかな雰囲気だった。敵の一人はソファで寝ているし、残りの二人も敵意がない。どういう状況なのかよく分からなかった。
「お久しぶりです、ケンタ様」
「あ、おぉ、ムスタか」
「執事でありSPである、ハムスターでございます」
ケンタも気が抜けて構えを解いた。ミヤナギの横ではユキオが敵の一人とにらみ合っている。どちらも目を逸らさず、一言も発しなかった。ますます状況が分からない。
「テーマパークを作るお話をしていますのよ」
人のよさそうな顔でそう言うところを見ると、やはり剣呑とした雰囲気はまったく感じられない。
「シルフカンパニーがジャックされて、ばあちゃんは拉致されたって……」
「見ての通りです。そんなものとっくに終わりましたわ」
「終わったって、え?」
背後から音が聞こえて、ミヤナギは振り返る。エレベーターの扉が開いた。出てきたのはテイミとミカだ。二人とも怒りを湛えた形相だった。
「シルビア様、今助けます!」
テイミがエレベーターから飛び出す。だれも戦意を持ち合わせていなかったので咄嗟の反応ができなかった。テイミが跳躍で一気にシルビアの元に跳び、抱え上げてエレベーターに戻る。足と腕に薄紫の何かが付いているのは、腕力はメタモンで補強しているのだろう。
「どいて! ミヤナギくん!」
ミカが叫ぶその勢いに負けたミヤナギは、素直に従ってエレベーターのわきに避けた。ピクシーが飛び出してきて、超速で指を振り始める。そこまで必死に振らなくてもいいだろうと思う。
ピクシーの全身が光り始めた。
「ちょっ、これはまずくないか? エレベーターに乗り込め!」
ケンタが慌てている。強化された脚力と腕力を駆使してユキオとミヤナギを抱え上げ、エレベーターに駆けこんだ。フロアに残ったのは呆気にとられたアンチテーゼの三人だけだ。
エレベーターの扉が閉まる寸前、隙間から親指を上げてやり切った感じの表情でにやりと笑うピクシーの姿があった。その身体は光に包まれていた。
エレベーターが降下していく。
――最上階で大爆発が起きた。
◇ ◇ ◇
街はヤマブキ色に染まっていた。夕日が優しげな色を振りまいて、黄昏をどこかもの寂しげに飾る。
もうすぐ終わり。長い長い一日の終わりがくるのだ。