鳴らない鐘が響く時
「お前たちには女王陛下と直接連絡を取ってもらう」
 ロビンがそう提案した時、言っている意味が分からなくてあとの二人は互いに目をぱちくりさせた。
「どうやって!」
 最初に沈黙の壁を破ったのはテレーゼだった。王女は歩を進めて探偵へと詰め寄る。
「お母様の居場所が分かるの? やっぱりアルゴス侯爵のお屋敷なんですね」
 放っておいたら際限なく言葉を並べ続けそうだったのでロビンはひとまず宥めることとした。一旦気持ちの熱を冷やしたテレーゼは大きく息を吐きながら椅子へと腰掛ける。
「順を追って話すぞ。まずレオノーラ女王の居場所、これはアルゴス侯爵の館だ。実を言うと今日始めに奴さんの邸宅を見に行った時、ラフトに上空から屋敷を覗かせた。すると屋敷には池のある中庭、そして庭の隅に屋敷とは別に離れのような建物があることが分かった。その後新聞社に赴いた折にさっきの記事を探すついでに女王の近影をくすねてきた。そしてその後また侯爵の屋敷近くに来て、これは運の助けも大分あったが、ラフトに女王の写真を見せ例の離れの窓を遠くから覗かせた。ムクホークの慧眼は改めてすごいもんだと思ったよ。屋敷の塀の外側で大分遠くだったというのに、ラフトは離れの二階窓辺に座っている人物が女王によく似ているとハッキリと見分けてくれた。女王の居場所はアルゴス侯爵の館にある離れでほぼ間違いない。じゃあこれからどうするかだ」
 ロビンは一旦言葉を切った。コートのポケットに手を入れて天井を仰ぐ。それから息を吐くと、視線を下げてイレーヌへと注いだ。
「イレーヌ、今晩滞在する宿だが今ここで決めてくれないか」
「今ここで?」
 突然のことにイレーヌは周章狼狽といった様子だ。ロビンは頷く。そしてイレーヌがなにか言うのも待たずに次にロビンはテレーゼに視線を移した。
「テレーゼ、お前は今から女王に宛てる手紙を書け」
 それからロビンは書く手紙の内容を詳しく教授した。羊皮紙の表一枚分、さらには最後に軽く追記したいことがあるので、その分の余白を残すためになるべく無駄なことは書かないように。【侯爵の動機について知っていること】【偽女王の正体について知っていること】【囚われている状況をなるべく詳しく】の三点について尋ねること。
 言い終えるとその間に気を利かせて紙とペンを取りに行っていたイレーヌが部屋へと戻ってくる。そして羊皮紙をテーブルの上に広げると、テレーゼはペンを紙上に走らせ始めた。自分の思いが伝わるように、かつなるべく端的に。テレーゼが手紙と格闘する間にロビンは二人に耳を傾けるように促した。
「俺は今晩の二十三時にセントラル・ステーションを発つ便に乗る。お前ら二人にはラフトを付けるから、今晩泊まる宿が決まったらあいつに滞在宿の名称と部屋番号、それから電話番号を書いたメモを持たせて欲しい。そうそう、宿の帳簿には適当な偽名を書いておけ。ラフトに持たせるメモにはその偽名も忘れずに頼むな。明日の朝、宿の方に電話をかけるからちゃんと受け取ってくれ。それから先のことは悪いがまだ言えない。明日の電話でまた指示を出すからそれまで宿に引っ込んでおいてくれ」
 イレーヌは頷いた。テレーゼもまた手紙を書きながら心中で同じ動きをする。
一文書くごとに文章を吟味していく。そうして十分と少々かけてようやく文面が完成した。完成したそれを受け取ったロビンは今しがたテレーゼが書いた文章に目を通していく。母に宛てた自分の文章が読まれるということにテレーゼはなんとなく変な気分になった。そしてひと通り読み終えると彼はテレーゼを一瞥しにやりとする。
「上出来だ」
 そしてロビンは羊皮紙をくるくると筒状に丸めると、それを手に持ちつつ自分の革の鞄を肩にかけた。
「じゃあ俺は先に出る。お前たちを残して悪いが、ラフトが何も言ってこなければとりあえずは安全だと考えて大丈夫だ」
 ロビンは二人に順に視線を注ぐと、大股で部屋の扉を開けた。後に残された二人はその後ろ姿を見送り、戸が閉じられて姿が見えなくなるのを見届ける。やがて彼の足音が遠ざかっていくとテレーゼはイレーヌに話しかけようとした。しかしその時言葉を飲み込む。
 ロビンを見送ったイレーヌの眼差しに気を取られる。涙こそ見せてないものの、その目はどこか悲しげに見えた。するとテレーゼの視線に気づいたイレーヌは慌てて彼女へ振り向く。すぐにその悲しげな眼差しは姿を消した。
「さあ、あたしたちも出る準備をしようか。あたしは部屋に取りに行くものがあるから。ラッフル、おいで」
 そしてイレーヌもパタパタとラッフルと共にその場を後にした。

 それからテレーゼたちが下宿を後にしたのはロビンが発った一時間後のことだった。すっかり日も落ち、空は染料を注いだように藍に染まり、西方の空が僅かに茜色を醸している。普段ならこの時間帯、この往来は帰路を急ぐ人も尽き徐々に静寂の訪れる時間である。しかし今日は行き交う人々がまだ絶えることがない。二日後からの建国記念祭によって徐々に国中から人間が集まりつつあるのだ。おかげで街路樹で羽を休め、やがて眠りに落ち着くマメパトやポッポたちもこの期間だけは落ち着いて眠ることが出来ない。
 そんな喧騒の予感に包まれる通りを二人は歩いていた。イレーヌの後ろからはとことことラッフルがついてくる。テレーゼも本当はルナを連れ歩きたかったのだが、今はボングリの中だ。侯爵の一味はテレーゼがムンナを連れていることを知っている。だからむやみにルナを連れ歩いては彼らに目を付けられかねない。服装も今は王宮から抜けだしてきた時のものではなく、イレーヌが今のテレーゼと同じ年頃に着てたという服を借りていた。イレーヌは始め自分のお古なんかを一国の王女に着せることに抵抗を覚えたが、テレーゼ自身の希望で貸すこととなった。
「服が変われば王女も町娘も違わないわ」
 すっかり町娘と同じ格好に扮した自分の姿を玄関にある姿見に映した王女は、ポツリとそんなことを呟くのだった。
 歩いている途中で時折二人は後ろをちらりと振り向く。自分たちの後方の上空には距離が離れている上に空がすっかり暗くなって分かりにくいが、黒い点がこちらの方を見下ろしているのが分かる。ムクホークのラフトが二人をじっと見守っているのだ。そのラフトが何もしてこないということは今のところ追手の影への不安はないということを意味する。近づきすぎず、離れすぎず、ムクホークは実に絶妙な位置取りを維持していた。
 それから半刻ばかりの間二人は歩き続けた。ガス灯に明かりが灯り、赤レンガの街並みは柔らかな光に照らされる。ラッフルが時折飛ばす花粉がその明かりに照らされてキラキラと宝石を散りばめたように輝く。
 やがてイレーヌは出発前に予め調べておいた宿を見つける。それはこぢんまりとした佇まいであるが外観の趣向は上品で少々高そうな雰囲気を醸している。大通りに面しており、周囲が開けている。もしアルゴス侯爵の一味がここを発見したとしても、周囲に人家も多く表立って荒っぽい手を使われるのを防ぐことが出来るというのが選択の理由だった。少し高めの宿を選んだのはこちらが女二人だからだ。あまり卑しい場所を選択したら別のトラブルに見舞われかねない。
 ロビーに入るとカウンターには受付に中年のほどと見受けられる恰幅の良い女性が腰掛けてきた。
「女二人だけど、空き部屋あるかしら?」
 イレーヌが問いかけると女性は機嫌良さそうに答えた。
「おっと運がいいね。ちょうどあんたたちで満室だよ」
 そう言うと女性は帳簿とペンを取り出し、カウンターの上に広げる。
「やっぱりあんたたちも建国記念祭で来たのかい?」
「ええ、まあ」
 イレーヌは余計なことは言わないようにと、適当に返事をした。帳簿に予め考えておいた偽名を記す。イレーヌは『ダニエラ・ハートネル』、テレーゼは『フランソワ・ウォンダー』という偽名を名乗り、二人は従姉妹だという設定だ。
「じゃあこれが鍵だから、二階の通路を突き当たりまで進んだ【208号室】だよ」
「ありがとう」
 イレーヌは鍵を受け取るとロビーの椅子に腰掛けていたテレーゼとラッフルを呼んだ。もちろんテレーゼは設定していた偽名でだ。テレーゼは一瞬偽名のことを忘れて自分が呼ばれたのだと忘れかけてしまう。慌てて立ち上がる王女の照れくさそうな顔にイレーヌは思わず微笑んだ。



 書いてある筆跡が娘のものだと分かり、思わず知らず震える女王の手。まだ下のほうが丸まっているその手紙を広げていくと、そのとき一緒に挟んであった細長い棒状のものがぽろりと落ちる。一本の鉛筆だった。あっと息を呑んだそのとき、手紙を運んできたコラッタがジャンプしてそれを見事口に咥えてキャッチした。二人はほっと胸を撫で下ろす。
 たかだか鉛筆とはいえ、この建物には書く物は何一つ置かれていない。そのようなあるはずのない物が落ちる音を下の階に控える女中たちに聞かれてはまずい。
 他のラッタたちはようやく姿を消したのか、ヘルガーたちの吠え声はおとなしくなっていた。恐らくラッタたちがヘルガーたちの気を引いている内に、このコラッタがここへ手紙を運ぶという算段だったのだろう。
 するとその時、コラッタはその大きく丸い耳をぴくりと動かすと、そそくさとベッドの下へと姿を消した。どうしたのかと訝しんでいると扉の外から足音が近づいてくるのを二人は耳にした。
「陛下、お手紙は後で」
 レオノーラは今すぐにでも手紙を読みたいのをぐっと堪えこくりと頷くと、羊皮紙を素早く丸め襟の中へと入れた。
 そして音を立てないように、且つ素早く元座っていた窓辺の椅子に腰を下ろした。
 直後部屋の扉が勢い良く開かれた。姿を現すのは世話係の長を勤める男。その時には既に二人はつい今しがたまで部屋に置かれている本を暇つぶしに読んでいたふりを完成させていた。
 男は扉の位置から部屋の全体を舐めるように見回す。
「何ですか外の獣たちの騒ぎは。陛下はずっとここに閉じ込められて疲弊してらっしゃる。せめて静かに出来ないのですか」
 デジレが吠えるも男は歯牙にもかけず目線を部屋の隅々まで渡らせる。しかしその内満足したようにフンと鼻を鳴らし、「失礼した」とだけ申し訳程度に取って付けて扉の向こうへと去った。
 待ってましたとばかりレオノーラは襟に手を入れる。しかしその時視界にデジレが無言で手を上げて静止してるのが見えた。そしてデジレは口に指を当て扉の方へ目配せした。
「いや、なんだったんでしょうね」
 デジレの言葉は他愛もないものだが、その目は扉の方を睨み真剣そのものだ。そのときレオノーラはその意味をようやく汲み取った。
「どうせまた何か獣が迷い込んだのでしょう。迷惑な話よ」
 そして以後も「いつまでこうしていればいいのか」という風に何も起きていない風を装う会話を続ける。そしてふと耳を傾けると、かすかだが忍び足で離れていく足音が聞こえてきた。それが遠ざかっていくとようやく二人は胸を撫で下ろした。
「ありがとうデジレ。こんな言い方は不謹慎だけど、一緒に捕まったのがあなたで良かった」
 その言葉を受け取ったデジレ目を閉じ鷹揚とかぶりを振った。
「いいえ。身寄りもない卑しい女だった私を王宮に迎え斯様な身分にまで育ててくれたのは先々代そして先代様の御恩です。私は今こそそれに報いる機会を与えられているに過ぎません」
 そしてデジレは扉の外へ依然気を配りつつ、己の主に王女から届いた手紙を読むことを促した。ようやくレオノーラは娘から届いた手紙を広げ、目を通し始めた。


【お母様

 今こうして囚われの身となりさぞお辛い境遇でしょう。色々お尋ねしたいことがございますが、あまり長い文を書けないので最低限のことだけを書き留めることとします。
 まず私ですが、こうやってお手紙を出していることから分かるようになんとか無事でいます。とても信頼出来る協力者を得て、事の解決に向けて全力を注いでいるところです。
 既にご存知かも分かりませんが、アルゴス侯爵の狙いは王室顧問の椅子。二日後から始まる建国記念行事、その前夜式典で侯爵はお母様の偽者と共謀してその座を狙おうとしているのです。
 しかしまだ分からないことがあります。此度の事態を起こした侯爵の動機、そしてお母様の偽者の正体です。そこでお母様に次の三点について、知ってることがあれば教えてください。
 一つ目、侯爵が此度の事態を引き起こした動機。
 二つ目、お母様の偽者の正体について。
 三つ目、お母様が囚われている状況の詳細を。囚われている建物の構造、見張りの様子など。
 本当は今すぐにでもお母様を助けに行きたい。お母様とてすぐにでもその場所を抜け出したい事かと存じます。しかし今少しの辛抱です。建国記念の前夜式典までに必ずやお母様をその場所からお助けし、侯爵の陰謀を阻止します。
 それまで、どうか希望を捨てないで。

  ――テレーゼ・フォン・シェルストレーム】

 デジレが止めていなかったら、この場で泣き出していたかもしれない。泣くのは本当に助けられてからでいい。もしまたさっきの男が戻って泣き顔を晒すようなことになれば、笑い話にすらならない。そしてテレーゼの署名の下にもまだ文章が続いていることに気づく。その字は明らかに別人が書いたものらしい。ガリガリと削るように書いた荒っぽい字だ。

【女王陛下に置かれましては、さぞ思う所があるでしょうが、ここは堪えてこれから書く指示に従って頂きたい。
 まず一緒に持たせたペンでこの手紙の裏側に王女様も書かれていた三つの質問に答えて欲しい。
 それでひと通り書き終わったらこの手紙を持ってきたコラッタに持たせてください。もちろんペンも一緒に。
 まだ今しばらくの辛抱を強いることとなりますが、必ずや貴方様をお助けします。
  ――テレーゼ王女の協力者より】

 文章の書き方に女王はくすっと口角を上げる。どうやらあまり礼儀を知ることに慣れていないらしい。しかしそれでもこの人物へ期待せざるをえない。
 読み終えた時にはコラッタがベッドの下からおもむろに顔を出し、鉛筆を咥えてレオノーラをじっと見上げていた。このコラッタたち恐らく手紙に書かれた協力者の使役する獣たちなのだろう。レオノーラはこの小さなネズミに微笑みかけるとネズミの咥えていた鉛筆を有り難そうに受け取った。デジレは念のためにカーテンを閉める。レオノーラはテーブルにかけると手紙の裏側に文字を起こし始めた。娘が無事でいる、ただそれだけでこれまで耐え続けてきたことが報われる気持ちだった。


わたぬけ ( 2012/08/02(木) 21:45 )