鳴らない鐘が響く時
 その日ロビンが下宿に戻ってきたのは日が傾いてきた夕暮れ時だった。家路を辿る人々でごった返す通りの喧騒に紛れて扉が開かれ、部屋へと戻ってきた彼の姿は僅かながらに疲労している様子。肩からかけている革の鞄は今朝出かける前に比べて二倍近くに膨れ上がっており、見るからに重そうだ。しかし疲労の色の下には満足気な笑みが俄に浮かんでいた。
「こいつを見てみろ。赤く印を付けてるところだ」
 放り出すような声で、実際に鞄からテレーゼに向かって新聞を放り出すように投げた。手にとって見ると大手の新聞社による今日の夕刊だった。すると表紙の一面の隅のほうに目的の記事だと思われる箇所が、赤いインクで囲われていた。そしてテレーゼはその見出しに絶句した。
【――テレーゼ王女、建国記念式典にご欠席

 本日午前、王室はアルベルト前国王ならびにレオノーラ現国王の第一王女であるテレーゼ王女殿下が先日から病に伏せっており、三日後の前夜式典から始まる建国記念日に関する一連の記念式典に欠席する意向であることを発表した】
 以降は信じられないを通り越して呆れ果てるような嘘偽りが書き連ねてあった。最初は怒りの念に思わず立ち上がったもののやがて言葉を失い、倒れこむように元の椅子に座り込むテレーゼ。そんな彼女をよそにロビンは部屋の隅にある机につき、膨れ上がった鞄を乱暴に降ろした。そして中から今日集めたと思われる資料を並べ始めた。
「こんなことまでやるなんて……」
「俺としちゃあ予想の範囲だな」
 書類を一枚手にとって眺めては放り出す。その動作を繰り返しながらロビンは話す。
「だんだん霧が晴れてきたぜ。今回の一連の動きはやはりアルゴス侯爵が関わってる可能性が高いな。例えそうでなくても奴さんは何やらきな臭い」
 テレーゼは顔を上げた。そして口の中で今しがた名前の挙がった人物の名を反芻させる。ロビンはそんなテレーゼに一切頓着することなく作業を続けていた。
「今日ちょっと件の侯爵の邸宅まで行ってみたがんだが――」
 テレーゼはまたしても思わず立ち上がってしまう。激しく椅子の倒れる音。ふわふわと漂っていたルナが目をぱちくりと驚愕させて自分にかけてるテレキネシスのバランスを崩した。
「まさか中に?!」
「そうじゃない、周りからちょいとばかり近寄っただけだ」
 ほっと一息つき、倒れたイスを元に戻しつつ座り直した。心配そうに身を寄せてきたルナ「ごめんね、びっくりさせて」と笑いかけて頭をなでる。コホンとロビンは咳払いをし、どこまで話したかを思い出しつつ口を動かす。
「それでまあ、邸宅を眺めたんだがただの貴族の家にしちゃ厳重が過ぎるな。塀は妙に高い、常に門番が二人いる、裏に回ってみるとかすかだが獣の唸り声が聞こえる、しかも一匹二匹って段じゃなくてな。ただ単純に家の者だけを守るってだけじゃ大げさだと思わないか?」
「ひょっとしてお母様はそこに?」
「可能性としては小さくはないだろ」
 テレーゼは鼓動が昂ぶるのを感じる。
「じゃあ、早く助けに――」
「慌てるな」
 声を大きくしたテレーゼにロビンはピシャリと制止する。ロビンは椅子を引いてテレーゼの方に向き、じっと視線を注いでいた。テレーゼはその視線に気圧されて穴さえ開いてしまいそうだった。
「事を急げば視野が狭まる。視野が狭まれば道を失う。そうなると例え目前まで迫り手が届きそうだったものでさえ、足元の小さな石に躓いて永遠に取り逃しかねない」
 テレーゼは床に目を落とす。そして丸めた拳を膝の上においてぎゅっと握りしめた。
「お袋さんが心配なのは分かる。だけどお前もまた奴らから追われている身だということを忘れるな」
――はい。テレーゼは小さく返事をする。押し潰したような声だった。悄然としている彼女の姿を視界に収めたロビンは鼻でため息を落とし、机の上に並べた資料を何枚か手に取る。それから席を立ち、ゆっくりとした足取りでテレーゼの座るテーブルへと近づくとその向かい側の椅子に腰を下ろした。
「あんまりそんな顔すべきじゃないな。事態は今のところ俺たちの方が有利な状況にあるしな」
「それは……どういうことですか?」
 テレーゼは伏せていた顔をおずおずと上げる。
「さっきの新聞の記事見りゃ分かる。自分たちが何かやらかそうとしている王宮で、王女が逃げ出したとなれば血眼になって探すだろう。いや、実際探してるだろうよ。だがそれなら『王女が行方不明になった』とでもニュースにすればいい。しかしそれをしないということは今はどうしても事を荒立てるわけにはいかないってことだろう。では奴らが憂慮する出来事と言えば」
「建国記念式典!」
「その通りだ。ところでお前さんにちょっと教えて欲しいんだが、俺は今まで国の行事とかそんなものにはてんで興味無かったんでな。建国記念式典ってのは具体的にどんなことをやるんだ?」
「まあ」
 テレーゼは曇らせていた顔にようやく陽光を浮かべた。ロビンは気後れするような態度を誤魔化すように頭をガリガリと掻くのだが、その仕草が何となくおかしかったのだ。
「仕方ねえだろ。こちとら百科事典じゃないんだ。知らないことくらいいっくらでもある」

「建国記念式典はジオノ王国始祖王の即位日である四月十日に行われます。外国からも賓客を招待し、王国の正当性を内外に知らしめる重要な式典。国内向けにはより重要になるのがその前日の夜に開かれる前夜式典で――あ……」
 テレーゼはまるで難問を解く糸口が掴めたように息を呑み、口元に手を当てる。
「どうした?」
 ようやく掴んだ気がした。アルゴス侯爵が何を狙っているのか。心の中にあったつっかえがストンと落ちる。ロビンに目を向けると、口角がわずかに上がっている。きっと、今鏡を向けられたら自分も同じような表情をしているかもしれない。
「前夜式典では王宮の門を開き人数に制限を設けるものの、貴族だけでなく一般市民も交えて式典の間で舞踏会を開きます。それが終了すると、叙勲および任命式。それまでの一年で国にとって功労のあった人物に叙勲し、また大臣など、重要な政府人事に変更のある場合はその任命式が開かれます」
 ロビンの口から小さな笑いが漏れるのを耳にする。テレーゼは続けた。
「各大臣は今のところ変更は無いと思います、けれど重要なポストで現在空位となっている役職が一つ……。王室顧問――」
「それだ」
 ロビンはパチンと指を鳴らすと同時にテレーゼに人差し指を向ける。
 王室顧問はその名の通り、王が政務する上での相談役となる役職。ジオノ王国は大臣など、官吏と協力しての政治体制が整っている。しかしそれでも国王の持つ権利は絶大なもので、いくら大臣たちが首を揃えて首を横に振ったとしても、王ただ一人が縦に振ればその決定は覆されることもある。尤も、このところ数代に渡ってそのような王と官吏とのトラブルは長らく勃発していなかったが、やろうと思えば再び実現することさえあるのだ。それを可能にしているのは王直属の私軍である王師と民衆の王に対する絶大な信頼。ここ百数十年間、玉座に座った王にはほとんど悪政を敷いた者はおらず、その奇跡にも等しい安定した政治には他国から一目置かれる存在となっていた。
 その王直属の相談役の椅子をアルゴス侯爵は狙っているのだ。更に今現在王宮にいる女王は、何者かと入れ替わった偽者。
「アルゴス侯爵がどういう理由で王室顧問の椅子を狙い、何をやらかそうとしているのかはまだ分からねえ」
「先ほど、十日の式典では王国の権威を内外に知らしめると申しましたが、それには前夜祭で重職に就いた人物を王の名の下において対外的にも認めさせる目的もあるんです」
 時間が無い、テレーゼは歯噛みした。件の前夜式典は二日後の午後十時から開かれ、日付の移りと共にクライマックスを迎える。同時に街で開催される祭りではその時間に花火が上がる。
 式典で下された決定は則ち王の決定であり、それにむやみに異を唱えることは国罪に等しい。また王自身も前夜式典で下した決定をむやみに覆すのは民に失望を与えかねない。例えそれが偽王だったとしてもだ。
「急ぐ必要はあるな。だが決して焦るな。さっきも言ったように焦りは視野を狭め、正しい判断を鈍らせる」
「でも、どうすれば」
「俺はキースを調べようと思う。今夜の列車に乗ってな」
「キースへ?」
 そう口にしたもののすぐに合点がいく。キースはアルゴス侯爵家の領地。また、元々侯爵家の邸宅があった場所。
「確かにキースなら少なくとも王都よりは侯爵についての情報も何かあるかもしれません。でも時間が――」
 間に合うのか。テレーゼの心にその語句がよぎる。ここからキースまでは鉄道で東に五時間ほどかかる。今夜駅を発つ便に乗れば翌朝には到着するが、調べる時間はほとんど一日しか無い。二日後に前夜式典が迫っている今、現地での調査に多くの時間を割く訳にはいかない。
 テレーゼの言わんとしていること悟ったロビンはかぶりを振った。
「時間が少ないのは分かってる。ただ、このまま中途半端に物事を進めるのはかえって逆効果だし、何より俺の流儀に反する」
 テレーゼは何か言おうと口を開きかけるが、それを遮るようにロビンは言葉を切ること無く続けた。
「ところでだ、テレーゼ。今回の件何か不自然な所があると思わないか」
「不自然……?」
「そもそもなぜ侯爵がこんな国家転覆にも等しいことをする? ただの野心にしちゃもっと正攻法なやり方がいくらでもあるはず。そう思わないか?」
――確かに。
 ただ単純に権力を手にしようと言うのなら、たとえ多くの年月をかけようとももっと――それこそ万民に認められる手段があるはず。にもかかわらずアルゴス侯爵がこんなにも性急で強引な手を使うのはどうしてだろう。
「こんなこと、下手をすれば何もかもを失いかねないのに」
 アルゴス侯爵をこんなにも突き進めようとしているものの正体は何なのか。
「いくつか考えられる動機はあるが、俺は怨恨――恨みだと思う。それも王族あるいは女王に対する猛烈な」
 テレーゼは目を見開く。背中から氷を当てられたような悪寒が走った。思わず「そんな」という声が口から漏れた。
「有り得ない」
「なぜそう言い切れる?」
 ロビンはテーブルに身を乗り出す。
「なぜって……お母様も亡くなったお父様もそんな誰かに恨まれるようなこと、考えられません。そんなことをするような御方じゃない」
 思わず声を大きくするものの、テレーゼはどういうわけか自分の言葉に自身が持てなかった。己の知る両親は誰に対してでも別け隔てなく慈愛に溢れ、周囲もそんな二人を心から慕っている。だのに、今その自分の考えが氷床に家を建てるかの如く浅はかなものに思えてならない。
「いくら自他共に認められるような善政を敷く王だろうと、どこで恨みを買うか分からない。例え本人が意図しようとそうでなかろうと。人間の世界ってもんは周囲の上に立つ者なら誰でもそうだし、(いわん)や一国の王なら尚更ってもんだ。あるいは――」
 ロビンはそこで一旦言葉を切る。乗り出していた身を引き戻しため息を落とした。
「そういう王のやり方が気に食わないって連中も居ないとも限らないが……、これはまた別の話だな」
 おもむろにロビンは椅子から立ち、窓に向かうとかかっていた錠を解くと開け放った。ふわり――と風が舞い込んできた。それは北方の海からの風で、ほのかに潮の香りを含んでいる。同時に部屋の空気が存外淀んでいたことに気づく。
「色々思う所もあるだろうが本筋に戻させてもらう。俺は今日新聞社へ行ってバックナンバーをいくらか漁ってきた。十年から二十年くらい前の過去に絞ってな」
 十年から二十年前、どうしてその時期に絞るのだろうとテレーゼは首を傾げる。しかしいくらか間をおいてあっ、とひらめく。
「ロビンは今回の件、アルゴス侯爵の過去が関わってると考えてるんですね」
 ロビンは椅子に戻るとこくりと頷いた。
 セルゲイ・アルゴスの年齢は今年ちょうど二十歳。そして彼がアルゴス侯爵家に引き取られたのは今から十年前。それ以前の彼の経歴は社交界の誰も知るところではなかった。
「その期間に王宮が関わり、かつ当事者にその時期のアルゴス侯爵の年齢と合う子供が居る、といった条件に合致する記事を探した。社の人間にも協力してもらったが、流石に骨が折れたよ。今日はほとんどこれに費やしちまった」
 そうしてロビンはテーブルの上に、先ほど机の上から手にとった資料を四枚、放る。――読んでみろ。彼は無言でそう促す。まるで勅書でも受け取るような恭しい物腰でテレーゼは資料を手にとった。それらはそれぞれ一枚の紙に新聞の記事を引用したり、写を貼り付けたりしたものだった。

 最初に手に取った一枚目は十五年前のこと。国庫を密かに横流しして私腹を肥やす者がいると問題になったのだが、それが時の内大臣であった。予定されていた尋問会のために邸宅に兵を向けると大臣は夫人と共に自分の責任であることを認める旨の遺書を残し服毒自殺していた。残された子供たちはそれぞれ方方に引き取られ、離散したという。

 二枚目は十九年前の騒動。王宮に突如赤子を抱いた子供が現れ、「この子は王太子と自分との間に生まれた子だ」と主張する。当時王太子アルベルトは言わずもがな、応対した召使いたちもまともに取り合わなかった。すると女は次にセントラル大教会前の広場で公衆に向かって王宮で述べたものと同じ妄言を吐く。已む無く当局はこれを捕らえ、王都の外へ追放した。その後の母子の行方は分からない。

 三枚目の日付は十七年前を指している。ある地域の山火事後の視察に来ていた馬王の列に突如グラエナの群れが襲いかかった。護衛の兵たちがすぐさま妖獣たちを使役してこれを撃退し王の馬車も無事であったが、不運にも一人の兵士が不意を付かれて噛み殺されてしまう。その兵士には妻と当時三歳になる子がおり、王宮は家族に多額の保証を約束する。しかし夫人は最小限の保証金を受け取るだけにとどめ、後に子を連れて実家のある田舎へ帰った。

 最後の一枚はぴったり二十年前に起きた事件。ある公爵が自分が王位につかんと謀反を起こしたのだ。その公爵の家系は元々シェルストレーム朝の前の王家から端を発するもので、自分こそがジオノ王国の正当な継承者であると主張したのだ。結局謀反は失敗に終わり、公爵家は領地および財産を没収された挙句国外へ永久追放となった。公爵の夫人は当時腹に子を宿していたが、どうなったかは定かではない。

 読み終えたテレーゼは複雑な気持ちだった。どの事件もそれなりに怪しく思えると同時に、過去にこのような出来事があったのかと今初めて知ったのだ。しかもこれらは今回のアルゴス公爵の件の条件に合ったものが選ばれたに過ぎず、全体を見れば頭を抱える程の事案が小から大まで溢れているのだろう。
「さてと、そろそろ出る。駅に行く前にちょっとやることもあるしな」
 ロビンは読み終えて全てテーブルの上に置き直された資料を手に取ると、部屋の隅に置いていた鞄の中へと押しこむ。
「私も行きます」
 思わず言葉が飛び出す。しかしロビンはそれをピシャリとはねつけた。
「駄目だ」
「でも――このままじっとしてただ待つだけなんて耐えられない」
 テレーゼの視線は端然とロビンに目に注がれる。その視線に含まれる熱意にロビンは初めて当惑するような様子を見せた。そして宙を仰ぐとため息を一つこぼした。
「駄目だ」
「どうして――」
「ハッキリ言う。足手まといなんだ」
 包み隠す気もないその言葉にテレーゼは尻込みしてしまう。
「気を悪くしたなら謝る。それにお前にはやるべきことが別にある」
 するとロビンは荷物を降ろすと、テレーゼに待つよう指示し、一旦部屋へと出ていった。そして一分と待たぬ内にまた戻ってくる。後ろにイレーヌ夫人を連れて。そしてイレーヌの後ろからラフレシアのラッフルが置いてかれないようにいそいそと走ってきた。
「どうしたのよ。急に呼び出して」
 問いかけるイレーヌを顧みもせずロビンは置いた荷物を再び肩にかけながら言い放った。
「しばらくこいつと一緒に適当な宿に泊まってろ」
「なに、一体どういうこと? こいつって……テレーゼさんと?」
 イレーヌの視線は次にテレーゼへと注がれる。その目に浮かぶ戸惑いにテレーゼはなぜだか申し訳なく思った。しかしイレーヌのことを考える暇もなく聞こえてきたロビンの言葉に、テレーゼは心臓が俄に昂った。
「言ってなかったな。こいつの本名はテレーゼ・フォン・シェルストレーム。先王アルベルトと女王レオノーラの第一王女だ」
「――へ?」
 素っ頓狂な響きの声の漏れが、部屋の中をこだました。

わたぬけ ( 2012/07/26(木) 20:43 )