鳴らない鐘が響く時
32 【23時14分】
 司会進行役である祭儀長が一つ咳払いの後、もったいぶった語調で、叙勲ならびに任命式の始まりを高らかに告げた。王座に腰掛ける祭儀長の元に近衛兵の一人より銀製の盆が恭しく運ばれる。盆上には丸めて白のリボンで留められた羊皮紙が載っており、祭儀長はこれをまるで宝物を賜るように丁寧に持ち上げると、そっとリボンを外し音を立てぬように広げる。それは叙勲者の目録であり、叙勲者の名前と与えられる勲章の種類とがリストとなって連ねてあった。
 同時に壇上の“女王”の元へまた別の近衛兵より剣が一本運ばれ、兵は王の御前で跪くと頭を下げ運んできた剣を掲げるように差し出す。“女王”は果たしてそれを受け取った。剣はごく丁寧に磨き上げられており、刃はまるで鏡のごとくそれを受け取った“女王”の姿を映しだした。“女王”――その姿を借りたギデオンはその時この王座の上で式典の間のあらゆる衆目を集めながらもなお、誰にも気付かれないほどに小さくその口元に笑みを滲ませた。
 近衛兵たちが外陣から壇上の王座への道を作るような形へ隊列を変化させる。叙勲者はあらかじめ案内役によって群衆の最前列へと促されていた。その場所に任命式でその名を呼ばれる手筈となっているセルゲイも肩を並べている。
 最前列にいる者が必ずしもこの式にて名を呼ばれる者とは決まっていない。しかし周りの人間は果たして今の俺をいったいどうその眼に映しているだろう? あいつも叙勲を受けるのか? いやいや、ただの目立ちたがりの青二才だろう。
 くだらない。たかが王から勲章をもらう程度のことで有頂天になりやがって。そんなに権威とやらが好きなのかい? 王といえど只の人間。ヒトがヒトに物を与えているだけだ。何をそんなに有難がる?
 そんなことを考えるたびに、記憶の中の屑のような母親のことを思い出す。
――ほらごらん。これは先王様に賜った御衣だよ。
 そう言って母は、いったい何度着ては洗ったようなボロボロの服を後生大事にしていた。
――私たちの家にはかつてご先祖様が王朝をやっていたときの宝物がたんとあったのよ。
 そう言って母は、昔の家のことを思い出して記憶の中の宝石の海に浸っていた。
 くだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらない! 母、いやあの女は決して俺を子供として見てはくれなかった。俺のことは自分たちの復讐のための道具としか見ていなかった。あんなボロ切れのために俺はあんな畜生の如き生活を強いられたのか。記憶の中にしかない宝石のために俺を道具にしたのか。上等だ。なら望み通り復讐のために生きてやろう。お前たちがあれほど望んだ権威も王座とやらもすべてを滅茶苦茶に破壊してやろう。
 全てが許せなかった。塵のような夢を捨てきれなかった挙句さっさとこの世から退場した父も、自分をただの道具としか見なかった母も、二人があれほど望んだ王という存在も、そしてそもそもの発端となったレオノーラも……。
 しかし……と、セルゲイは同時に自分の今日の行動に対しての違和感を覚える。
 なぜあの探偵にあんな遊びを持ちかけたのか? 王師が動いたという報が飛び込んできた時、俺は最初探偵を亡き者にしてしまおうという気でいた。しかし一旦屋敷に戻ろうと思ったその道の中で頭が少し冷えてくると、全く違うそれでいて煌々と光を放つような考えが脳裏を過ぎったのだ。
 “おもしろい”。これまでこの復讐への道程の中でこれほどまでに道を阻もうとした存在は誰も居なかった。ギデオンの力を前に、誰も己が利用されていることに気づかないか、気づいたとしても手遅れだったりで何者も障害と成り得なかった。だからこれほどまでに明確に、それも後少しで復讐が完遂するという段になって抵抗を受けて、いったいなにが“おもしろい”というのだ。しかし一度その言葉が過ぎってしまうともう自分を止めることが出来なかった。
 女王レオノーラと王女テレーゼ、それぞれ別々の場所に離し、その場所に関するヒントを与えて探させる。なんと不正確でリスクに満ちた賭けだろうか。ひょっとしたら探偵は既に二人を助けだしているかもしれない。そして今にもあの大扉を蹴破って壇上の“女王”を偽者と、そして自分を簒奪者だと叫弾するのだ。それが承認の儀までに間に合えば彼らの勝ち、間に合わなければ俺の勝ち。
 ああなんだろうな。“おもしろい”な……。くくくく。あははは。
 その時張り詰めた空気を刃で貫くように、一人目の叙勲者の名前が高らかに読み上げられた。



 テレーゼは自ら王宮に乗り込む意志を伝え、それを止めようとしたイレーヌをルナの“さいみんじゅつ”で眠らせた。しばらくして起き上がったイレーヌはどうすればいいのか分からなかった。今から追いかけてもきっと間に合わない。そうなるとせめてロビンにはこのことを伝えておかねばならない。ロビンはきっと女王陛下を助けだして王宮へ向かっているはず。用意のいい彼のことだ、きっと馬車を予め手配していることだろう。しかしアルゴス侯爵邸から王宮への最短距離では湾岸部であるこのあたりは通らない。こうなったらロビンたちが通る前に進路にある橋へと向かおうお思った矢先、橋上での火災事故の話を耳にした。中央の橋で立ち往生となった人間が上流側か下流側かに分かれて続々と迂回しているという。そしてイレーヌは不審者と思われるのも厭わずに迂回してくる馬車に片っ端から声をかけた。幸い道が混んでいて速度を落とした馬車を止めるのには大した苦労は要らなかった。もしかしたら上流側に迂回しているかもしれない、という恐れは考えなかった。そしていまようやくイレーヌはロビンたちの乗る馬車に遭遇することが出来た。
 という経緯を掻い摘んで説明したイレーヌはまず女王に向かって跪いた。
「陛下、本当に……申し訳ありません」
 イレーヌは普段は快闊で思ったことを構わず口にする、少々気の強い性格だ。気に食わない納得出来ないことがあれば遠慮なしに食って掛かり、よく笑い、何事もてきぱきとこなす。そんな性格な彼女だからこそ、今朝の駅でイレーヌは“あんなこと”を口にした。そのイレーヌがこれほどまでに萎縮しているのをロビンは意外な気持ちで眼にしていた。
 そんなとき、レオノーラは席から腰を浮かせるとイレーヌの目線にまで姿勢を落とすと、彼女のガサガサとした手をそっと包み込むように握った。ハッと息を呑みイレーヌは顔を上げた。
「するとあなたがテレーゼの話していたイレーヌという方ね。ありがとう、娘の話し相手になってくれて」
 そしてレオノーラは小さな皺の入った顔を柔らかに微笑ませた。イレーヌは火がついたように顔を紅潮させ、言葉にならぬ声を口から漏らした。
「あなた方のことを話すあの子は本当に楽しそうだったわ。自分が囚われの身となっていることなんてほんの少しの間でも忘れてしまってたくらい。だからどうか気にしないで」
「そんな……。あたしは……」
 しかしイレーヌを遮るように、レオノーラは続けた。
「私は驚いているんですよ。テレーゼがそんな行動を取るなんて。あの子は常に自分に自信が持てない子だった。幼い頃から自分が王家の嫡子であることを自覚していた。だけど同時に心の奥底ではそれを受け入れられないでいた。その自覚と本音との齟齬があの子から自信を奪っていったわ。そんなあの子が今、戦っている。もしそれが本当ならいったいなにがあの子を突き動かしたのでしょう」
 ドキンとイレーヌの胸を打つものがあった。何がテレーゼを突き動かしたのか。それをイレーヌは知っている。それを今口にしていいのか、と思うと同時に無意識の内に視線が“それ”の対象へと動く。その瞬間イレーヌは「しまった」と感じた。レオノーラはイレーヌの微妙な目の動きを見逃さなかった。今一瞬だけ見えた意味ありげな視線の先に何があるのか。女王が顔を上げた瞬間、そこに探偵がいた。探偵は双眸に玲瓏とした輝きを湛えている。
「あなたが……」
 女王は探偵の姿をゆっくりと視界の中心に据えた。テレーゼがこの探偵を選んだのはただの偶然だと言っていた。誰でも良かった。誰でもいいから助けて欲しかった。あの子はそう言っていた。その偶然出会ったこの男が……
「テレーゼの何かを変えたんですね」
 レオノーラは探偵に一歩歩み寄った。
 ロビンは深く息を吸い込む。イレーヌが例えここに来ずとも、どっちにしろ女王には明かすつもりだった。そうしなければこれから自分がやろうとすることを前に彼女らに動揺を与えてしまうからだ。しかしテレーゼが王宮に向かったというのは流石に予想外だった。「何かを変えた」だなんてそんな高尚なことをやった憶えはない。ただ自分はテレーゼから依頼を受け、その依頼の先にたまたま偽女王の正体のことを知った。そこから先はもう自分のためにしか動いていなかった気がする。これから起こそうとするのはただの自分の勝手にすぎないというのに。
 ほんの一瞬のぼんやりとした間だった。病室で名を呼ぶ声が。あの時一瞬引き止めたテレーゼの顔。何かを伝えようとしたのに、その伝えようとしたことが自分でも理解できず引っ込めてしまったようなあの時の顔。
――あぁ、そうか。
 一瞬間をおいて、ロビンはおもむろに頭を下げた。
「これからやろうとすることについて、予め知っておいて欲しいことが――」
 

■筆者メッセージ
はよ進まんかい!
わたぬけ ( 2013/04/26(金) 00:18 )