鳴らない鐘が響く時
22 【21時39分】
 ロビンは顔を手で伏せながら、見えている口元ににやりと笑みを浮かべた。それはまるで出題を予想していた問題がどんぴしゃりで当たり、その僥倖による悦楽を隠しきれていないかのようだった。ロビンは目にきらりと黄金色の輝きを滲ませ、そのまま飛び上がるかのような勢いで椅子から立った。その勢いに気圧されてイレーヌがのけぞるように驚きを見せる。
「どうしたの?」
「ちょっと待ってろ。すぐ戻る……と、そうだ。忘れるところだった」
 ロビンは椅子の脇に置いていた鞄を拾うように持ち上げると、口を開けて中を探った。その次の瞬間、思わずテレーゼは目を見張った。一瞬りんごと見紛うかのような光沢を帯びた鮮やかな赤い木の実。
「そんな、どうして……」
 テレーゼは無意識の内にベッドから降りていた。足裏からの感触でテレーゼは初めて自分が裸足になっていることに気づくが、今はそんなことはどうでも良かった。ずっと縛り上げられていたせいなのか、その赤い実を受け取ろうとする手が震えている。ロビンの手から渡ったそれは羽が乗っているように軽い。
 おずおずとした手つきでテレーゼは蔕の部分をぐっと引っ張る。ポンとコルク栓が抜けるような感触と同時に、白い煙があたりを覆った。やがてテレーゼはその煙の向こうから見覚えのある卵を寝かせたような形の影を見て取るやいなや、その影へと手を伸ばしてぎゅっと抱きしめる。
「ルナ、良かった。無事だったんだ」
 出てきたムンナ――ルナはずっとボングリの中に入っていても己が主であるテレーゼが側に居ないことをずっと感じていたらしい。抱きしめられたのだがようやく再会できたテレーゼであると分かると甘えるように輪郭の淡い鈴のような鳴き声を漏らした。
「でも、どうして?」
「悪い、説明は後にしてくれ」
 ロビンはそれだけ言うと突進するように病室の扉に向かうい、そのまま飛び出していった。
「まったく、ほんとに言葉足らずな奴なんだから」
 笑い半分にイレーヌは開きっぱなしになっている病室の扉を閉めた。テレーゼはそのイレーヌの横顔に目を凝らした。まただ、と胸の内で叫ぶ。ほんの一瞬過ぎ去っていくイレーヌの悲しげな影。巧みに笑顔の下に覆われていたが、無理やり押さえつけているかのようにその影は滲み出していた。イレーヌさんのこの影を前に見たのはいつだったっけ。確かあの時だ。一昨日の夕方頃、ロビンがこれからキースに行くと言い出した時だ。刹那、テレーゼの頭の中に次々と映像が浮かぶ。それはどれもイレーヌの姿。毎回そうだった。イレーヌさんはロビンに関することを話すときはいつも多少の差はあれどこんな顔をしていた。いったいどうしてなんだろう。私は一体どういう人物に依頼をしたんだろう。消えかかっていた疑念が再び蘇る。
 その時、腕の中にいるルナがテレーゼを見上げながら一声鳴いた。その声でテレーゼはハッと我に返る。
「テレーゼ、良かったわね。ルナのこと」
「はい」
 テレーゼは快活に答えようとしたが、自分でもその声にどこか曇りがかかってるのを感じた。それをイレーヌに悟られただろうか。テレーゼはベッドの枕元に座り込む。腕の中のムンナの体温が服越しに伝わってくる。
「ルナ、どこも怪我はない?」
 テレーゼの問いかけにルナは張った声で返事をする。怪我なんて無いよ、大丈夫だよ。言葉はわからないが、そう伝えようとしているということは分かった。ルナのそんな顔を見ていると自然と表情が柔和になった。
 そうだ、ルナもこうして助けてくれたのに、どうして今更ロビンのことを疑う必要があるんだろう。ロビンがたとえ何を隠していようとも、こうして死にかかっていた自分やどうやってかはまだ分からないけれどルナも助けてくれたことは自分たちを助けてくれる意志の良い証拠ではないか。
 ルナは次にイレーヌやその側にいるラッフルにも気づき、まるで自分が息災であることを伝えようとしているようにふわふわと飛び回った。
「テレーゼ、体調の方はどう?」
「大丈夫です。起きたときはまだ肌寒かったけど、お布団にくるまってたらだんだん暖かくなって来ましたし」
「怪我とか、どこも痛いところは?」
「大丈夫です。ありがとうございます、助けてくれて……。そういえば、イレーヌさんも無事だったんですね。私、てっきり侯爵たちに殺されたんじゃないかって心配で――」
 まだいい終えぬその時、イレーヌはすっとテレーゼの前に立ったかと思うと、彼女は突如堤が破れたかのようにわっと泣き出しテレーゼに抱きついた。テレーゼは呆気にとられ目を白黒させる。ルナとラッフルがイレーヌが泣いていることに気づき、お互い顔を見合わせておずおずとその背中に近寄る。
「どうしたの、イレーヌさん……?」
「あたしのせいなの。あたしが……! あの時ラフトの姿をした奴が偽物だって気づいていれば……。ごめんね、怖かったよね苦しかったよね」
 テレーゼの背で嗚咽を漏らすイレーヌ。テレーゼは自分を抱きしめるこの腕にかける言葉が見つからない。
「イレーヌさん……」
「あたし酷い女なの。あなたにお礼を言われる資格なんて無いの」
 責務を全うできなかった。その思いがイレーヌの肩にずっしりとのしかかっていた。瀕死のラフトを前にした時、その重しはじわじわと重みを増し、そして駅でロビンを前にした時ついにそれに耐え切れず、感情を爆発させた。
「あなたが死んでしまったらどうしようかと思ってた。そのくせ自分ではどうしようもなくて挙句あいつのことを初めから知っておきながらあんな酷いことを――」
 その時、一瞬過ぎ去る沈黙。テレーゼはどうしたのかとイレーヌに声をかけようとしたが、直前に扉の向こうから足音が近づいてきた。それをきっかけにイレーヌはテレーゼを抱きしめていた手を離し、袖で涙を拭った。
 扉が開かれるとやはりロビンが入ってくる。
「待たせたな」
 髪型が気になるのかロビンは部屋への入りがけに頭を掻き撫でていた。顔には部屋を出ていった時と同様薄い笑いが帯びていた。ロビンは椅子に腰掛け、一つため息をついた。
「いったいなにをしに行ってたんですか?」
「準備だよ……。女王陛下救出のな」
 その言葉にテレーゼの表情がパッと明るくなった。
「じゃあ、やっぱり分かったんですね」
「ああ。と、その説明の前にどうやってルナを助けだしたかの説明が先だな」
 ロビンはテレーゼの顔の横でふわふわと浮いているムンナを一瞥した。
 今朝、テレーゼが目を覚ました時、その時にはルナの入ったボングリの実は無くなっていた。昨夜囚えられる時の騒ぎで落としてしまったのかとも思ったが、あんなに目をぎらつかせていた侯爵の手下たちが自分の落としたものを見逃すはずがないとも思ってた。だからきっとルナの入ったボングリは侯爵の屋敷のどこかに持っていかれた、そうテレーゼは結論づけていた。そのことをロビンに言うと、彼は鷹揚に頷く。
「そのとおりだよ。ボングリは侯爵の屋敷に置かれていた。ただ奴らこれがどんなものでどう使うのか分からなかったようだな。お前を運び込んだ後見つけて、それでただの木の実だと思ってそのへんに捨て置いてたんだろう」
「でも、どっちにしろ侯爵の屋敷にあったんですから……まさか忍びこんだんじゃ?」
「まさか。ちょっと協力者を見つけたんだ」
「協力者?」テレーゼとルナが全く同時に同じ角度に頭が傾く。ちらりとイレーヌを見やると呆れたようにため息をついていた。「無茶するわ」とでも言っているかのように。
「結論から述べると屋敷に出入りしていた女中たちだ」
「あの方たちが!?」
「実を言うと一昨日――キースへ行く前に侯爵の屋敷の様子を見てきたって言っただろ? あの時ちょうど屋敷から女中の一人がその日の勤めが終わったのか屋敷から出てくるのを見てな。少し後を付けさせてもらって家をつきとめた。その時は彼女らの家をつきとめてどうしようという考えもなかったが、そのあと女王からの手紙で『女中たちは自分たちに決して口を利かないし、目を合わせようともしない』ということが書いている時、ある確信が生まれたんだ。つまり、彼女らは脅されてるんじゃないかってね」
「でも、侯爵と同様にお母様を……その、憎んでいるからそんな態度を取っていたってことは……?」
「本当に憎んでいるというのなら減らず口の一つや二つは叩くだろうし、面と向かって何か言うはずさ。それをしないってことは、自分たちが後ろめたいことをやっているという自覚があるってことだよ。で、その自覚にもかかわらずどうして侯爵たちへの協力をやめられないかってのはそうしなければならない差し迫った理由があるから。その差し迫った理由の最も考えられるパターンがつまり脅迫ってことだ」
 ロビンは淀みのない口調ですらすらと弁をたてる。
「今朝その家をつきとめた女の所へ行って――侯爵たちの監視が無いとも限らなかったからうまいこと奴らの目の届かない所へ誘って事情を聞いたんだが案の定だった。泣きながら話してくれたよ」
 ロビンが説明した女中たちの事情は次のようなものだった。
 三ヶ月ほど前、アルゴス侯爵の屋敷で使用人の求人があり、それが使用人にしては破格なほどの高給だったため早速応募した。すると選定のための面接で屋敷に招かれた際、ただの求人にしては不思議な質問をいくつか受けたという。家族構成はどうなっているとか、同居人は何人かとか。さらに家族を愛しているかとか、挙句この国と家族をどちらを取るかとか、やたらと家族のことを尋ねてくるようなものだった。だから最初はここの雇い主はきっと家庭的な人なのだと思った。実際自分の家は大家族で皆等しく愛している。だから採用の通知が届いたときはとても嬉しかった。
 そして働き始めた。お給金も約束通りの金額が貰え、これで人数が多くて食い扶持が常にギリギリだった家族を養えると思った。ところがひと月経った時、二人の女性が離れに連れてこられ、女はこの人達の世話をするよう言い渡された。彼女は愕然とする。二人の内一人の姿はまさかこのジオノ王国で見紛う者がいるはずがない。間違いなくこの国の君主、レオノーラ女王だった。その日から雇い主であるアルゴス侯爵の態度が変わる。しきりに『君の家族は元気にしているか?』と尋ね、わざとらしく家族の健康を気遣うような発言が増える。その時になってようやく彼女は面接時の質問の意味を理解した。勤めが終わって帰った後も常に誰かにつけられたり、監視されているような気配を感じていたという。やめることも誰かに助けを求めることも出来なかった。そうすればきっと家族に危害が及ぶ。そう思うと、誰にもこのことを相談すること無くただひたすら勤めを果たすことしか出来なかった。
「なんて酷い……」
 ロビンが言い終えた後、思わずテレーゼは押し出すように口走った。胸の内で熱いものがこみ上げてくるようだった。
「全部話した後、そいつはできる限りで救出の協力をしてくれることを申し出てくれた。とはいえ、ここまで見越した上での侯爵の罠という考えも捨てきれなかったしな。そこで一つ頼みごとをしたんだ」
「頼みごとって……それがもしかして?」
「りんごやトマトに似た赤い木の実があるはずだから探しだしてくれって頼んだんだよ。結果、見事見つけてくれたってわけだ。本人はそれがなんなのか全く気づいちゃいなかったようだがな」
「でも、その方もずっと監視が付いていたというのならいったいどうやって手渡すことが……?」
「ま、ちょっとした工夫さ」
 ロビンは黒い目の視線を天井へと泳がせた。
「さてと、じゃあ今からお前の教えてくれた謎の答え合わせと行こうか」
 パシッと膝をたたき、ロビンは立ち上がった。その手の中にいつの間にか懐中時計が握られていた。銀の基部に真鍮の蓋が入った作りで、ロビンが蓋を開けると時針が九時五十分ちょうどを指すところだった。
「結論から言うと……」
 そこで一旦ロビンは間を置く。自分の答えが正しいことを言葉にする直前に確認しておくかのようだった。
「侯爵の屋敷だ」
「えぇ?」あとの二人がほとんどハモるように声を上げた。テレーゼもイレーヌも流石にこの答えは予想外で、口をあんぐりと開けてしまう。
「ちょっと待って……ロビン」
 イレーヌが割って入り込む。
「どういうこと? あなた言ってたじゃない。あなたの仲間が二台の馬車がそれぞれ別々の場所へと走っていくのを見たって」
「早い話が片方はブラフだったってわけさ。そもそも侯爵がどうしてこんなふざけたゲームを思いついたと思う?」
 ロビンのその問いに二人は黙って首を横に振った。
「おそらく侯爵は屋敷が俺たちに見張られているだろうと予想してたんだろう。それで俺たちの目を欺くためにこのゲームを持ちかけ、女王と王女がこの広い王都のどこかへと別々に移動させられたと思い込ませようとした。そのことを確信づけるために実際にテレーゼをあんな場所へと置いたりしてな」
 あんな場所――と聞いてテレーゼはにわかに身震いした。あの暗くて冷たい場所で一人溺れ死ぬ。もう少しロビンたちの到着が遅れていたら実際にそうなっていたのだと思うと、恐怖心がぶり返してくるようだった。
「口上はこれくらいにして実際解答といこうじゃないか。まず最初の一文『今、時計を見よ』なぜわざわざ『今』と補足の必要があるのか。時間が常に流れていくように時計も止まらない限り時を刻み続ける。それなのになぜいつ知るとも分からない問題文で『今』か? 裏を返せばそれは『いつでも良い』ってことだよ。〇時なら〇時で、六時半なら六時半で、九時五十分なら九時五十分でいいってことだ」
 ロビンは懐中時計のネジを引っ張る。時計の針が九時五十分を少しだけ過ぎたあたりで動きを止める。
「二文目『女王は二度時間を指し示す』。さて、ここで問題。ここでの『女王』は侯爵が最初に出した問題における『女王』と意味が違う。この『女王』の意味はなんだと思う?」
 ええっと、とテレーゼは唇に親指を当てた。王宮の住人であるせいか、女王というと母であるレオノーラのことしか頭に浮かばない。それにさっき助けられた時の事情を教えられた際に最初の問題のことを聞いていたので、てっきりここでの女王も同じ意味なのだとばかり思ってた。
「二人とも今『女王』の意味が違うと聞いて意外だったろ? 侯爵もおそらくそれを狙ったんだろうよ。二つの問題で同じ『女王』という単語を用いたのは先入観を与える狙いもあったんだ。ヒントをやろうか? 『時計』と『女王』のこの二つの組み合わせで連想できることは無いか?」
 そう振られて二人は再び頭を捻らせる。『時計』と『女王』の組み合わせ。二人はうーんと唸りロビンが手からぶら下げる懐中時計を穴が空くほどに睨む。
「あーっ!」
 刹那、二人はほぼ同時に解答にたどり着き、そしてやはり同時に叫んだ。
「トランプね」
「そのとおり。この『女王』はトランプのクイーンを示しているんだよ。クイーンの表す数字は『12』。『女王は二度時間を指し示す』というのは十二時間×二、つまり時間を二十四時間進めろってことだ」
「あら? でもそれだと結局元に戻っちゃいますよ」
「それでいいんだよ」
 真顔で返答するロビンにテレーゼは首を傾げた。そしてまたもそのテレーゼを真似るようにルナも体を同じ方向角度に傾ける。そんなテレーゼとルナを尻目にロビンは懐中時計の引っ張った竜頭を回す。それで長針が速く、短針がゆっくりと回っていく様子を二人に見せながらロビンは続けた。
「さっきも言ったように『今、時計を見よ』とはスタートは『いつでも良い』ということだ。一日の時間が二十四時間進むと丸一日経つ。それは『最初に戻る』ということなんだよ。『最初に戻った』地点に『囚われ人』が『待っている』というのは出発地点、つまりアルゴス侯爵の屋敷に戻るってことだ」
 言い終えると同時にロビンが回していた時計の短針が二周し、そこでピタリと止める。そして引っ張っていた竜頭を押さえると、時計は再び一秒一秒時を刻み始めた。ロビンが合わせた時刻は九時五十二分。
 懐中時計を鞄にしまうとロビンは聳えるように椅子を立った。
「お母様を助けに行くんですか?」
「そろそろあちらさんの準備も出来てるだろうしな」
 連れて行って。と言おうとしたテレーゼの顔の前にロビンの手のひらが押し付けられるように向けられる。瞬間、テレーゼは胸のうちに何か冷たいものが走った気がした。向けられるロビンの掌。無言のうちに来ることを拒んでいる。当然だ。自分ではロビンの足手まといにしかならないだろうし、母を助けに行って逆にまた捕まるようなことになったら笑い話にもならない。
 それなのに、またしてもロビンへの疑念が起こってしまう。違う、ロビンは私を危ない目に合わせようとしてないだけ。どうしてだろう。どうしてこんなにも私たちのために奮闘してくれてるこの探偵を疑う心が払えないんだろう?
 イレーヌも顔を横に振っている。そう、これ以上イレーヌさんを泣かせるようなことは出来ない。
「だったら……」
 だからというものではないが、テレーゼは何気なくその言葉を口にした。
「ロビン、教えて欲しいんです。今まで調べたことを。今回の事件の真相を」
 さすがのロビンもそんな言葉がやってくるとは想像だにしていなかったらしく、冷めた表情の端々から戸惑うような色が浮かんだ。
「いずれすべて話すさ」
 確かめたかったのかもしれない。この探偵が本当に自分の味方なのかどうかを。これまでの言動でそれはもはや疑うべくもないと分かっていながら、それでもテレーゼは意志のこもった視線をロビンに向けるのだった。
「では依頼人としての命令です。これまで調べたことを“今”すべてお話ください」
 そんなことを今知ってどうしようという思いはその時のテレーゼには露程にも存在しなかった。

■筆者メッセージ
二問目ェ……
わたぬけ ( 2012/12/27(木) 00:01 )