18 【16時47分】
時計の針が時を刻む音が聞こえてくる。まるで、世界からそれ以外の音という音が消えてしまったかのように。
ロビンは事務所に戻っていた。ここに戻ってくるのは実に三日ぶりだった。薄暗い部屋。書類の散らかるデスク。ドアが壊され部屋のあちこちがひっくり返されてるようになってるのは三日前に脱出した直後に侯爵の手下どもにあれこれ荒らされたためだろう。戻ってきた時に間借りしている家主に小言を言われた後、彼は簡単に部屋を整理すると一人ソファにかけた。奴らに荒らされている他に別の者が出入りした跡もある。アルジャーノンに留守を任せていたのは正解だったな、ロビンはソファに身を委ねながら思った。
カーテンは閉まっている。部屋の中は暗い。聞こえてくるのは時計の針の音だけ。外の喧騒はこの世に存在しなかった。
瞼の開きを薄めながら、ロビンはあの眼を思い出す。ヴァントゥイユ婦人ジルベルトの家で会ったジュペッタの眼。
「隠し事……か」
テレーゼ王女から持ちかけられた依頼、その王女の母親に化けている者、ずっと自分の秘密に気づいていたというイレーヌ、隠し事があると言い当てたヴァントゥイユ婦人とジュペッタ。すべてが不気味なほど己に重なっていく。神だとか運命だとかそんなものを信じているわけじゃない。しかし何かを成す時があるとしたら、きっと今がそれなのだろう。
そういえばアルジャーノンも三日前に何か言ってたな。
思わず笑いがこぼれた。まるで取り巻く全ての出来事が自分にもうやめるように諭しているかのようだった。事実そうなのかもしれない。
「全く。拐われた王女や女王を救うだの、侯爵の陰謀を止めるだの、探偵としての仕事を越え過ぎだ」
笑い混じりにそう独りごちる。打っておくべき手は全てこなした。ちらり、とロビンは椅子の横に立てかけるように置いている鞄を一瞥した。
そのとき閉まったカーテンの向こうから何か硬いものぶつかる音がコツコツと鳴った。来たな。ロビンは腰を浮かし音のなる窓のカーテンを開いた。窓のすぐ下の屋根の狭いスペースにちょこんと一体の獣が顔をのぞかせる。コラッタだった。その姿を認めたロビンは口元にを綻ばせる。こいつが来たということは向こうに何らかの動きがあったということだ。
カタン。ロビンはちょうど後ろの方向から硬い靴音が響くのを耳にする。コラッタの方もそれに気づいたらしく、丸く大きな耳をぴくりと震わせるとそそくさと姿の見えない位置へと走り去った。ロビンは窓に身を乗り出したまま、後ろを向く。そして片方の蝶番が取れて大きく傾いている扉の側に一人の男が立っているのを視界に収めた。
「ようこそ、クインズ探偵事務所へ」
ロビンはくるりと向き直る。わずかに鼓動の速度が上がった気がした。目の前にいる男とは初対面、しかしそれが誰であるのか推測の行き着く先は一つしかない。
「しかし失礼ながら、こんなしがない場所でその姿はおおよそ似つかわしくないと思いますがね、アルゴス侯爵?」
名を呼ばれた彼はにやりと口角を上げた。ロビンの言うとおりこんな薄暗い探偵事務所に式典用の絢爛な礼服に身を包む侯爵の姿は幾分場違いというものだった。そんなロビンの皮肉を歯牙にもかけない様相でセルゲイはゆったりとした足取りで近づく
「会えて嬉しいよクインズ探偵。会えるかどうかは五分五分だったがな」
「こちらこそ光栄でございます。それで、何のご用件でしょうか」
ロビンは手振りにでソファにかけてはどうかと促すが、それに対して侯爵はやはり手振りで断りを返事とした。
「最近私の身の回りにネズミがうろついていてね、そのネズミを是非とも捕まえて欲しいのだが」
「そんなご用件なら何も探偵ごときを雇わずとも、ネズミ捕りでも仕掛けておけばよろしいでしょうに」
「いやはや、それが厄介なネズミなのだよ。小ネズミは捕まえることができても親玉の大ネズミが、こいつがまた忌々しくて周囲は嗅ぎまわるわ石はぶつけてくるわでほとほと参ってるのだ。このままではせっかく今日の式典のために用意した特注の服を台無しにされかねないものでね」
「それはそれは厄介なネズミでございますな」
ロビンは笑いを混じえながら離魂するようにテーブルの椅子に腰掛けた。背もたれに体重を押し付けて木製の椅子がギィと叫ぶ。そして椅子ごと立ったままのセルゲイへと向き直ると、上目遣いに視線を投げた。
「それで、捕まえた小ネズミやその親ネズミはどこに?」
「それは君には関係のないことだよ」
不意に部屋の空気が重くなった。それが全身を刺すような殺気となるのを感じてロビンは笑う。
正直なやつだ。
そう思った刹那、覆いかぶさらんばかりに侯爵がツカツカとロビンとの距離縮めると、その手を目の前のテーブルにたたきつけた。テーブルだけでなく、周囲の棚や天井の洋灯揺れた。下の階のやつから小言を言われなきゃいいが、とロビンは場違いに考える。
「どこまで掴んでいる」
今にもテーブルに振り下ろした手を今度は顔に振り下ろさんばかりの勢い。表情こそは平静さを保とうとしているが、表情筋のの端々に憤怒が焼きかけのパンケーキに穴が空くように噴出していた。ロビンはこほんと一つ咳払いし、一歩分椅子を引く。
「なんのことやら」
「とぼけるな。この数日間貴様らの行方を死に物狂いで探したぞ。小ネズミどもは今私の手にある。これが何を意味するか分からぬとは言わせぬぞ」
しばしの間沈黙が闊歩した。ロビンは押し黙ったままうつむいている。その下にある表情が今どのような形になっているか侯爵は探ろうとするが、彼の今の体勢での目の位置からはどうやっても映すことができない。静けさの中から再び時計の針の音が浮かび上がる。このまま日が暮れてしまうのど長い沈黙だったが、ようやくそれが解けた時、実際の時間は一分とかかっていなかった。沈黙の幕を切り裂いたのはロビンの声だった。
「何を聞きたい?」
「そうだな。私が何者なのか当ててもらおうか」
ロビンは苦笑する。
「いいのですか」
侯爵はロビンと対照的に快哉に笑い、ようやく対面となるソファに腰掛けた。そしてロビンは何から話すべきかと軽く逡巡を通した後、ゆっくりと語りはじめた。
「依頼人からの仕事の中であなたの名前が浮上し、またあなたが何かをやらかそうとしていることを確信するのにあまり時間はかかりませんでした。ただ私には一つ疑問が起った。ただ単純にこの国の支配者となりたいというのならもっと正攻法がある、もっとも私がここで言う『正攻法』というのも世間で言ったらそうも言えないやり方ですがね、それでもこんな国家転覆にも等しくまたリスクも高いやり方を選んだのは何故か? さらにどうもあなたのやり方を鑑みると、偽女王を使って政権を奪取した後のことを考えていない。いや、『後がどうなろうと知ったこっちゃない』そんな印象を受けたんです。そこで思いついたのがあなたは『この国の支配者となりたい』のではなく『このジオノ国の国家そのものを破壊したい』ということです」
足をかけてふんぞり返るように座るセルゲイの頬がわずかにぴくりと痙攣する。
「ではそんなことをやらかそうとする動機は何か? それは『怨恨』。もちろん他の理由も考えはしましたが、一連の行動を合理的に説明するにはそれしかない。ではそこまでの怨恨を抱く理由はなにか? ひとつの疑問が解けるとまた新たな疑問がマトリョーシカ人形のように現れる。っと、無駄な口上を失礼。それで、あなたの過去のことを少々調べさせてもらいました」
セルゲイは無言でまるでそのまま剥製になってしまったかのように身じろぎしせずに耳を傾けていた。
「社交界の話によるとあなたは先代アルゴス侯爵であるダニエル氏という話で氏もそれを認めた上であなたを侯爵家の跡継ぎに指名した。ではそれ以前あなたはどこで何をしていたかという話になるとこれがどうもハッキリしない。そこで私はキースに赴きました。なにせ時間がありませんでしたからね、じっと一所で調べる暇もありませんでしたよ」
キースの名が出たその瞬間、セルゲイの表情がまたしてもぴくりと動く。
「そこで何をやったかの詳しい話は割愛させていただくとして、キースで手に入れたある人物のメモに興味深いことが書かれていた。侯爵、あなたの本当の名はティトゥス・ストレイジ。二十年前、己の配下にあった南部の州師を率いて謀反を起こしたトルーマン・ストレイジ公爵の息子ですね」
もし「眼に炎が宿る」という比喩の表現が実際に起こるとしたら、そのときのセルゲイの眼は間違いなく赤々と燃え上がりその炎で全身を焼きつくさんばかりだった。しかしその炎をまだ相手にぶつけることはせず必死に自身の中へと抑えている。ただ黙って内に溜まった淀んだ空気をゆっくり鼻から吐き出すだけだった。ロビンはそんな侯爵をまるで気にもとめない風を装って続けた。
「少々横道にそれるようですが私もせっかくだからとこれを機にジオノの歴史を付け焼刃ながら勉強してみました。ジオノ始祖王であるイェーガー・ダン・ジオノがこのエノーラの地を征服し、氏族の名をそのまま国号に定めた。やがて国号は定着し、イェーガーの建国から三百年経った頃に不幸にもジオノ家が断絶し、傍流であるウォータム家が二代目王家となっても国号は変わらなかった。そうやって幾度かの王朝の交代を経て、今から約二百年前に現在のシェルストレーム家が王権を継承した。そのシェルストレームの先代の王家があなたの先祖、ストレイジ家」
ロビンは一つ咳払いで場を区切る。
「トルーマン氏は自分こそが真に王権の継承者であると主張して反乱を起こしたと聞いています。結果として反乱は失敗に終わり、本来ならばトルーマン氏はもちろん、ご家族も死罪となっても文句の言えない。ところが奇しくも数日後に建国記念日とそれと同時に行われる予定のある出来事を控えていた当時の王は恩赦として減刑し、国外追放処分に留めました。当時身重だったストレイジ公爵夫人があなたを生んだのはその直後だった。それは国外追放の旅路の途中の出来事で、“あなたが生まれた地は国境の街ウォンダリー”。そして一族はようやく国境を越える。ところがその数年後に少し不可解な出来事が起こる。あなたの母である公爵夫人が子であるあなたを連れて再び国境を越えてウォンダリーに住むことになり、彼女は数年後にその地にて病で生涯を終えた。実はキースの他にもウォンダリーにも足を伸ばしまして街の教会で籍台帳と墓地とを見せていただきました。そしてしっかり見つけてきましたよ、あなたの母ローザ・ストレイジの名前をね」
ロビンが言葉を終えるとセルゲイは何事かを言わんと口を開きかけたが、思い直したようにそれを呑み込むと思案するように天井を仰いだ。重い沈黙に場が沈み込む。大道芸の一座が近所で催し物でも開いているのか、外のほうで大太鼓を叩く音が聞こえてくる。
「ウォンダリーであなたのことを知っている人物に出会いまして話を聞きました。それによるとローザ・ストレイジ夫人は公爵夫人時代と比べ物にならないほどに慎ましい暮らしをなさって――」
「もういい。十分だ」
立ちはだかるようにセルゲイはきっぱりと遮った。
「わずか三日でそこまで調べるとはな」
「すると御否定はなさらないのですね?」
ロビンは挑戦するようにセルゲイへ視線を注ぐ。
「その前に一つ訊いておこう。キースで見つけたというメモの主は誰だ?」
「ダニエル・アルゴス元侯爵です。地下で発見したご遺体が隠し持ってました」
淀みなくロビンは即答した。セルゲイは嘲るように鼻で笑い、ソファの背もたれにふんぞりかえるように身を委ねた。
「あのジジイめ」
「お読みになりますか?」
「いや結構。どうせ私への密告やら恨みつらみやらが延々と書いてあるんだろう。そうだ、全部貴様の言うとおりさ」
おもむろにセルゲイは立ち上がり、まるでオペラ歌手が朗々とアリアを歌い上げるように両腕を広げた。マントがふわりと翻り、まるで本当に舞台にたって役者を演じているかのようだった。
「親父は俺が物心付く前には狂死したらしい。一応俺が生まれた後だが、俺はまるで親父の事なんて覚えちゃいない」
いつの間にかセルゲイの一人称が“私”から“俺”に変わっていた。
「母から俺達の一族の過去を聞かされたよ。事あるごとにおふくろは俺に王家の奴らを殺せと吹き込んでた。それも自分たちと同じように屈辱を味あわせながら、とな。おふくろは俺に残酷なことを覚えさせた。どこからか弱った獣を見つけてはまだ幼い俺にナイフを持たせてトドメを刺させていた。当時はおふくろは狂ってると思ってたが、今から考えるとそれを淡々とこなす俺も狂っていたな」
セルゲイは自嘲気味に手で顔を覆う。
「そして――どうせ貴様も調べはつけてるだろうが――ダニエルのジジイから秘密裏に俺たち母子をウォンダリーへと連れ出す計画が起こり、それは成功した。後から知ったことだが、ジジイは両親と親交があったそうだ。事前に親父から謀反を起こす計画を漏れ聞いていながら冗談だと思って止めなかったことに責任を感じて、せめて俺たち母子だけでもジオノに連れ戻そう、とのことだ。そしてウォンダリーでジジイが用意してくれた暮らしは実に慎ましいものだったよ。もっとも、それでも追放時代の苦難に比べれば雲泥の差だがね」
実際いくらダニエル氏といえども、必要最低限の暮らししか用意できなかったのだろう。ジオノ国から見ればストレイジ母子は恩赦でもって罪を国外追放にまで許された身。もしあまり目立つような暮らしを用意して何かがあってローザの素性が明らかになれば、今度こそ国外追放では済まないことは間違いない上、ダニエル氏自身も罪に問われることは免れようがない。
「まさにあなた方への慈悲と国への忠誠とのギリギリだったのでしょうね」
「そのとおりだろう。しかしおふくろはそれでもなお王家への復讐心を収めなかった。そして俺にも着実に奴らへの憎悪が植え付けられていた。ところがだ、おふくろが死んだ直後俺は親父が起こした反乱の真実を知った。おふくろが生きている間、過去のことは意図的に隠されて奴の口を通してしか教えられてなかったからな。だが――」
セルゲイは吐き捨てるように強調すると一旦間をおいた。
「意外とショックは無かったものだ。『ああ、なんだそうだったのか』と自分でも不気味なほど落ち着いていたのを覚えている。子供ながらおふくろの言葉の端々に矛盾があるのも感じていたし、自分の言葉以外から過去を知るのを完全に遮断してたのも異常だった。おふくろもとんだ虚け者よ。そんなやり方、いつか破綻するなんて分かりきってるだろうにな」
そのときセルゲイに浮かんだ笑いは、汚いものを嘲るように軽蔑に歪んでいた。そこには両親への憐憫や惻隠、慕情といった色は微塵にも表れていない。
「少なくとも“復讐”という大義は失われたわけだ。しかし俺の内には依然として憎悪が渦巻いていて、奇しくもおふくろが俺に施した“英才教育”も手伝ってもはや俺は坂を転がり始めた石のごとく止められなくなっていたよ。同時に別の考えもいつの間にか俺を支配していた。『あのクズ親父どもがそれほど欲しがっていた王位なら、この俺が国ごと粉々に壊してやる』とね。考えようによってはこれは親父たちへの復讐なのかもな」
言い終わるとセルゲイは再び天井を仰ぎ、カラカラと空虚に笑いあげた。
「『それなら王家はとんだとばっちり』貴様はどうせそう思ってるだろう? だがな、俺に言わせりゃ王家はもはや存在そのものが罪だ。周辺国の現状を見てみろ、民衆が王を打ち倒し新しい国家を造り上げてる。産業はここ数十年で恐ろしい早さで発達し、それまでの観念は過去の遺物となりつつある。そんな時代に王による政治など遺跡に積もる埃同然、軽蔑に値するとは思わんか?」
ロビンはしばらく押し黙った。対するセルゲイは満足したように立ったままソファの背もたれに寄りかかる。
「別に――」ロビンはそう切り出す。その声にわずかな怒りを込めて。「王がどうとか人間社会がどうとか、そんなことには興味ありません」
「ふん、結構な答えだ」
そのとき窓の外から人々の喧騒を押しのけて時計塔の鐘の音があたりを包み込んだ。ほとんど同時に部屋の時計も重いチャイムを鳴らす。二人は同時に時計へと目を向けた。時刻は午後五時。気がつけば窓から見える空は朱を湛えており、夕暮れの中にレンガの町並みが日の陰によって焼かれたように黒々と腰を据えていた。
「探偵よ。どうあっても俺の邪魔をする気か?」
顔を時計に向けたまま、セルゲイは流し目をロビンへと注ぐ。なんとも無機質でまるで死の色を匂わせるような光をその目に帯びて。
「さあ、どうでしょうね」
「そんないい草して、どうせ行動を起こすつもりなのだろう。実は王宮からここへ来る途中、別の家来を屋敷に向かわせた。王師を動かしたのは王女ではなく、お前だと踏んでな」
セルゲイは昨日の昼の時点で王女の動向は把握済みだった。もちろんグラエナたちの鼻によって街から出ていないことも確認して。そのことに思い当たり、屋敷に戻る予定をロビンに会う方向へと変えたのだった。
「貴様がどんな手品を使って王師を動かしたのかはどうでもいい。私が今夜目的を達した暁にはその件はうまいこともみ消すことだって可能だからな。そこで私はひとつ貴様にゲームを持ちかけよう」
セルゲイの顔がロビンの方に向き直った。その顔には醜いとさえ思えるような笑みが刻まれている。
「ゲーム?」
「そう、宝探しだよ。それぞれ別々の場所に隠した女王、王女という宝を探す」
ロビンは歯噛みした。さっきのコラッタはこのことをロビンに伝えに来ていたのだ。ロビンのその表情のわずかな歪みを見て取ったのか、セルゲイは再び世界を覆わんばかりの高らかな笑い声を響かせた。
「貴様がどんなに真実を暴こうと関係ない。最後に笑うのは私だからな!」
侯爵はポケットの一つに手を入れるとそこから四つ折りにたたまれた小さな紙片をつまみ上げる。そして指でくるくると遊ばせると、テーブルの上に投げた。
「そこに一人目の隠し場所のヒントが書いてある。せいぜい頭を捻らせるがいい。さっさと見つけてやらんとその場所にいる奴は今夜の舞踏会が始まる頃にはあの世逝きだろうよ。私が手を下すまでもなくな」
そこまで快活に言うと侯爵は立ち上がり、事務所の扉へと向かった。ロビンは呼び止めようと口を開きかけたが、そのとき制止されるように侯爵に先を譲ってしまう。
「運命が貴様に味方してくれるなら今夜また王宮でな」
そしてロビンの返事もまたず、彼はつかつかと扉をくぐった。
ロビンの手にはいつの間にか古びた紙片が握られていた。それは今しがたセルゲイが投げよこしたものではない。表面に脂っぽいねっとりとした感触がある。
「ええ、必ず……。これをあなたに読ませますよ」
そしてロビンはせり上がっている溜飲をなんとか落とすと、今度こそセルゲイが残していった四つ折りの紙片に手を伸ばし、丁寧に広げた。そこには何行かにわたって文章が角っぽい文字によって踊っていた。
【私はたくさんの仲間とともに生まれ
生まれた時からずっと道を進み続けている
ところが私は不幸にも道を間違えてしまった
いつしか仲間たちは別別の道へと別れ
別れ道に差し掛かるたびに仲間は姿を消していく
広くなるはずの道はどんどん狭くなる
時々広場で休むこともあるけれど
元きた道には決して戻れない
身を汚しながらも私は進み
最後に宮殿を通りぬけつつ女王の頭を真っ二つに割ると
私はついにかつて別れたはずの仲間とともに自由に身を委ねた】
「趣味の悪いヒントだな」
ひと通り読み終えたロビンがぽつりとことぼした。どこからかまた大道芸人たちの太鼓の音が通りすぎていく。