鳴らない鐘が響く時
 テレーゼがロビンのもとを尋ねた夜から三日が経った。この日の王都の空はどんよりと曇っていた。雨が降りそうな気配はないし、昨晩のような風もないが空を覆い尽くす雲によって街全体が重々しく感じる。ロビンはこういう天気が一番嫌いだった。晴れるなら晴れて欲しいし、曇るくらいならいっそ雨でも降ってくれればいいものを。
 そんな風に心中でぼやきながら彼は口に葉巻を咥えていた。時折指に挟んで外しては溜まった煙を吐き出す。煙は最初は宙に丸くまとまっているが、次第に形を崩して混ざりながら消えていく。師匠を真似して吸い始めたのがいつの間にか習慣になってしまった。今やすっかりお供となっているが、人前では吸えない。どうも無意識の内に気が抜けてしまうらしい。
 入れ替わり。
 一昨日の晩、テレーゼからその言葉を聞いてからというものの、頭にこびりついたようにして離れなかった。もし本当に女王が全く知らない誰かと入れ替わっているというのなら、それがどういった者によるものなのかロビンには一つ当てがあった。それはテレーゼが初めて話した時点から既に胸中に影を落としていた。もしこの考えを誰かに話したとして話した人間の九割は早計すぎると取り合わないだろう。しかし彼にはもはやその可能性以外を考えることが出来ない。
 問題はなぜレオノーラ女王が狙われたのかということだった。もちろん考えられる理由はいくらでも浮かぶ。
 ジオノ王国現君主であるレオノーラ・フォン・シェルストレームは元々地方の中流貴族の出身だった。実家はいくつかの農園と牧場を経営しており、田舎の田園風景の中で少女時代を過ごしたレオノーラにとっては将来自分がこのジオノ王国の王妃、果ては国王になろうとは夢にも思っていなかったことだろう。そんな彼女に転機が訪れたのは十七歳の時だった。その年の夏、当時の国王が家族を連れてレオノーラの生家のある村へと避暑に訪れたのだ。そして地方の案内役としてレオノーラの一家に白羽の矢が立てられ、彼女は国王の嫡男であるアルベルト王太子の世話係にあてられた。このアルベルト王太子こそが現在の先王であり、レオノーラの夫となる男であった。
 アルベルトが初めてレオノーラの姿を目にした時、それはまさに一目惚れだった。彼は出会ってすぐの彼女を、王宮に迎えやがて妻にしようと決意したのだった。。しかしレオノーラの生家がそれほど高貴な家系ではないことでアルベルトは父王や有力貴族としばらく揉めることとなるが、決して我を折らない彼についに周囲は結婚を認め、二人は出会いから四年後に正式に結ばれるに至ったのである。彼が一目惚れした中流貴族の娘のために、何年もかけて周囲を説得し、婚姻を認めさせるに至った奮闘劇は現在でも社交界での語り草となるほどだった。
 しかし現在に至り、王室では新たな問題が浮上していた。それは後継者問題である。元々アルベルトの父は子女が彼一人しかおらず、そしてアルベルトもまたレオノーラとの間にテレーゼ一人しか儲けぬまま急病によって崩御してしまった。それによってジオノ王国は王位継承を今後どうするかで揺れている。幸い、夫である王が先立ってしまった場合、中継ぎとして王妃が王位に就く先例が既にあったため、レオノーラが戴冠し中流貴族の娘でありながら国王になるという異例の事態となったのであった。
 とはいえこれはあくまで後継者問題を先送りにしたにすぎない。例え次の王位をテレーゼが継承するとしてもこの代によってシェルストレーム家の男系王族は終了する公算となっている。
「どっちにしてもあの王女さんは将来苦労するだろうな」
 そして再び宙に向かってふぅっと煙を吐くと、灰皿に葉巻を押し付けた。その時、折よく玄関の扉で音がした。
 おっと。来たか。
 ロビンはデスクを立ち、両手を組んで背伸びすると玄関へ向かった。
 扉を開けるとそこにはロビンが予想していた人物が立っていた。その者はまっすぐロビンを睨むような視線を注ぐ。
「よう、来てくれたかアルジャーノン」
「まったく冗談じゃないぜロビンよぉ。いきなり真夜中に押しかけてきたと思ったら『女王の動向を調べてくれ』なんてよ。お前さんの突拍子のなさは毎度のことだが、今回ばかりはさすがに呆れたぜ」
「まあ、こんなところで話すのもなんだ。中に入れよ」
 アルジャーノンと呼ばれた男はさらにロビンの非常識さ加減にぶつくさと文句を垂れながら部屋に上がった。アルジャーノンは過去にロビンから依頼された仕事を引き合いに出して、そのときの依頼と今回の仕事とを照らしあわせてその非常識さを引き立てた。その声はロビンの耳に入ってくるが何の意味もない音の羅列ように、あるいはバックグラウンドミュージックのように何の気にも留まらなかった。
 アルジャーノンが入った後、ロビンは玄関の扉に吊り下げている「営業中」の立て札をくるりと裏返し「店じまい」と書かれた面を表にした。
 二人は三日前の夜にテレーゼがやってきた時と同じテーブルに腰を下ろした。ロビンの手には羽ペンとノートが持たれてあった。
「ま、いろいろ言いたいことはあるだろうがとりあえずは、ちゃんと調べてくれたんだろうな?」
「当ったり前よ。俺らの情報網にかかれば、この街のことで調べられないことは無え。それこそ女王の私生活からお向かいさんのへそくりの位置までなんでも来いってんだ」
「頼もしいな。それじゃ、話してくれるか」
「ああ、じゃあ始めようか。とはいえ、王宮の情報を集めるのはさすがの俺らでも骨が折れたもんだ」
 アルジャーノンは椅子の背もたれに寄りかかり、ロビンはノートの適当なページを開き羽ペンにインクをつけた。
「とりあえずここ最近の女王の動向を調べてみたよ。お前さんの言うとおり、ここ何ヶ月分か遡ってな」
 アルジャーノンには女王が誰かと入れ替わっているかもしれないという話は伝えていない。調査に先入観を持たせないためだった。
「すると何だ、だいたい二ヶ月くらい前からちょいとおかしな言動が増えてきている」
「例えば?」
「今まで側近として側においていたヘリゲル将軍という男を突然解雇している。何の前触れも無くな。当然将軍は抗議したが理由もなにもうやむやのまま結局措置だけが下された」
 ロビンはなるほどと相槌を打つ。
 アルジャーノンはさらに召使を次々と入れ替えていることも話した。どうやらテレーゼの言ったことは本当のようだ。
 さらにアルジャーノンは態度や口癖の変化に至るまで、実に細々とした点まで述べた。それをロビンはひとつひとつ羽ペンを走らせ、箇条書きにしていく。
「さすがなもんだな。お前たちの情報網に掛かれば生えている毛の本数までみっちり数えられそうなもんだ」
「はっはっは。さすがにそこまでは無理ってもんだよ」
「さてと、もうこんなもんか?」
「いや、もうひとつある」
 そこでアルジャーノンは勿体つけるように咳払いした。そしてその健康さを自慢にしている歯をカチカチと鳴らす。気分が高揚した際に見せるこの男のいつもの癖だった。
「実はな、週に一度女王はこっそりと王宮を抜けだしてどこかへ出かけているんだよ」
 ロビンのまぶたがぴくりと小さく痙攣した。
「王宮の誰にも気付かれないようにな。真夜中に王宮の裏門からこっそりと抜けだし、自分で用意したのかそれとも別の誰かが用意したのか、あらかじめ止めてある馬車に乗り込んでどこかへ走らせてる。そのことに気づいて昨日の夜王宮を張ってみたんだが、ビンゴだ」
 アルジャーノンは機嫌良さそうにくっくと笑う。
「行き先は?」
 彼は勿体つけるような低い笑いを抑え、自慢の歯をロビンに魅せつけるようにくるりと向き直った。
「アルゴス侯爵の館だよ。東の街外れの丘の上にある」
 両者の間に沈黙がよぎった。ロビンは何も口にせず、アルジャーノンはまた低い笑いを漏らすのみ。
 それから思い出したようにロビンは今の内容をメモするために羽ペンを走らせると筆を置いた。書き終わるとはぁっとため息をつく。
「だいたいこんなもんってところよ。しかしお前さんが俺らの情報網を頼りにするってことは今回、よっぽどな案件なんだな」
「まあ、『情報はネズミからでも集めろ』ってのが師匠からの言葉だからな」
「ハッハッハ。そのとおりってもんだぜ」
 アルジャーノンは大口を開けて派手に笑い飛ばす。
「しかしまあ、助かったよ」
 おかげでだいぶ分かってきた。レオノーラ女王が入れ替わった相手がどういう人物なのか。ロビンは考えていた可能性がより確信に近づいていくのを感じる。口元には自然と小さな微笑がこぼれていた。こんなことを考えるような人物にロビンはひとつしか浮かばない。
 そんなロビンをアルジャーノンは顔を渋くする。何かを言いたげに目線をキョロキョロさせたが、やがて身を乗り出してロビンに迫った。
「なあロビン。いつまでこんなこと続けるつもりだ?」
 具体的な言葉が示されずとも、それがどういう意味なのかロビンは理解する。途端に胸の内にチクリと小さな違和感を感じた。ひと通りメモの終えたノートを閉じると頬杖をついた。アルジャーノンは彼が何も言ってこないことを悟ると言葉を続けた。
「あんまりとやかく言うつもりはなかったが、さすがにもう二年も経つんだ。お前さんの気持ちも分かるが、そろそろ潮時ってもんじゃ――」
 刹那、ロビンはドンと力いっぱい踵を床に打ち鳴らした。衝撃で棚の物がわずかに揺れ、天井の埃がパラパラと落ちていく。胸の内の違和感が次第に膨張していくのを感じる。すぐにロビンは感情的になってしまった己を恥じる。彼はバツが悪そうに視線を窓の方向へと向けた。
「すまん」
「いや、俺が悪かったよ。愚問だったな」
「お前の言うとおりだ。たまに考えるよ、いつまでこんなこと続けるんだろうなって」
 そのとき曇り空から俄に太陽が顔を出し、窓から光が差し込んできた。その光に照らされたロビンに、窓の格子の形の影が浮き上がる。
「さて、ちんけな話はこのくらいにしとくか」
 それから適当に言葉を交わし合った後、アルジャーノンはロビンから受け取った報酬を持って帰っていった。彼が出ていった後でロビンはソファに腰を移しふんぞり返った。ぼんやりと宙を見つめながら「アルゴス侯爵か……」とつぶやく。
 レオノーラ女王と入れ替わった人物の正体の見当についてはもはや確定的になった。さらにこのことはテレーゼに対して良いニュースをもたらす事にもなる。女王は確かに誰かと成り代わっている。今の女王は偽者である。そして、レオノーラ女王はまだどこかで生きている可能性が高い、と。


 その夜、ロビンはデスクに座ってアルジャーノンから聴いた話をまとめなおしていると玄関の扉がノックされた。思わず時計を見る。もうすぐ午前零時に回りそうな時間だった。彼は椅子から立って玄関の錠を開けた。そして扉が開かれると予想通りの客人が姿を見せる。
「知ってるか? 夜更かしは美容に良くないって話だぞ」
「まあ失礼な方ね」
 テレーゼはそう言いながらも微笑みを浮かべながらロビンをまっすぐに見据えた。
「なんだそれは?」
 ロビンはテレーゼが両腕に抱えて持っている黒い包みに目をやった。テレーゼは玄関の扉を音を立てないように閉めると、黒い包みを丁寧に取る。するとその下からフットボールほどの大きさでたまご型のいきものが姿を現した。全身が鮮やかなピンクがかった紫で、花模様がアクセントとなっている。
「ご紹介します。この前話したムンナのルナです」
 包の下から現れたムンナはようやく息苦しさから解放され、ご機嫌そうに鳴いた。そしてテレーゼの手から離れふわりと浮き上がる。その様子はさながら風船のようだった。
「へえ、こいつがか」
 そのときルナはその視界にロビンの姿を認めた。全く見知らぬ男の存在にルナは小さな悲鳴を上げると、慌ててテレーゼの後ろに隠れ。そして背中越しにおそるおそる彼の姿を覗きこむ。テレーゼは笑いながらルナを腕の中へ寄せるとやさしく頭を撫でた。
「ルナ、大丈夫。この方はロビンさん。私たちの味方だから」
 ルナは主であるテレーゼの言葉にようやくロビンに顔を向ける。それでもまだ警戒は解いていない。ムンナは非常に感受性の強い生き物だ。これほどまでに怯えているというのは、それが同時に王宮で起こりつつある異常事態をそのままに表しているようだった。
 ロビンは屈みこんでルナと同じ高さまで目線を落とす。それから小さく笑いかけてムンナに向かってささやいた。
「よ、お前がルナか。よろしく頼むな」
 それからルナの反応も確かめずにロビンは背を伸ばすと、テレーゼにテーブルの椅子を薦めた。

わたぬけ ( 2012/06/06(水) 00:56 )