16
セントラル大教会の時計塔が時刻が午前十時を迎えたことを高らかに告げた。王都であるレマルクは北部が海に面している港町、そのため普段からどこかしら活気が人々の表情やあるいは街全体の雰囲気として感じられる。そこにきて今日から二日に渡っての建国記念祭でその気風は益々もって甚だしいものとなっていた。
そんな中ロビンは街中がお祭りの気に溢れているところに一人全く他と空間を隔絶するように、道道に繰り広げられる露店やら大道芸などには目もくれず歩いていた。目的地は宮殿や大教会、セントラルステーションなどが集まる中央のエリアから南東へ五キロほど歩いたカナベルと呼ばれる地区。ようやく街の喧騒もひとしおとなってきたあたりで通りかかった辻馬車に乗り、目的地までの足の速度を一気に早める。王都の南方には山脈が横たわっており、南へ下るにつれて坂道が目立つ。建物の数は中央のエリアに比べるとぐっと少なくなるが代わりに斜面に対して器用に建てられた家が見受けられた。地図と現在地を照らし合わせながらようやく目的の場所へと近づくとロビンは馬車を降りた。それから水路に沿った細い歩道を歩くと果たして目的地である小さな家へと到着した。周囲に比べると比較的新しい建物らしく、白い漆喰を塗った壁に石の屋根がかぶさっている。この街の建物の大多数が鮮やかな赤レンガ建てなのに比べると少しばかり質素の目立った佇まいだった。
こほんと咳払い一つ。ロビンは玄関の木の戸を前にし、その扉をコンコンと二度叩く。はい、と控えめそうな声。扉の向こう側からことんことんと慌ただしいようでゆっくりとした音が聞こえてくる。やがて戸がきぃっと鳴いて口を開けると、その向こうから木の枝のように細い女が姿を現した。頭髪は元は金髪だったのがすっかり色あせているといた具合で、窪んだ眼窩に収まる目は深い蒼を湛えて哀愁を帯びているようにも見えた。年齢は顔や手元に浮かんだ皺の具合から五十代といった風采であったが、もしかするともう少し若いのかもしれない。女性は突然来訪した全く見知らぬ男の姿を上から下まで万遍なく目を通す。
「あの、ごめんなさい。うちはこの時期でも宿はやってないんです」
この時期、一般の家庭でも臨時で下宿を開放している家が多いことが念頭に置かれていたらしく、女性は見知らぬこの男を宿を求めて訪ねてきた者と勘違いした。それよりも、ロビンが発言するのが女性よりも遅れた要因はその扉の向こう側に見え隠れしている物のせいだった。女が扉を開けた瞬間に、ロビンの視線は女性よりもその向こう側にいる一体の獣へと無意識的に向かった。
だから先に女性の方から声をかけられて「おっと」と我にかえるとロビンは慇懃に頭を下げた。
「失礼、私はクインズと申します。そちら、ジルベルト・ヴァントゥイユ様はいらっしゃいますか?」
内心このロビンはこの女性こそが目的のジルベルト・ヴァントゥイユだと思っていたが一応別人である可能性も考慮して言葉を選んだ。そしてロビンの予想はあたる。女性は意外そうに頭を下げた。
「はい、私がそのジルベルトですが」
「実はある方の依頼で是非とも貴方様にお尋ねしたいことがございましてこうしてお伺いしました」
女性の顔に戸惑いの色が浮かぶ。この戸惑いの感情がやがて不安へと変化する前にロビンはさらに言葉を続けた。
「ご心配には及びません。あまりお時間を取るつもりはありませんし、細やかながらお礼もいたします」
酷くぶっきらぼうな口調になってしまう。それでも女性はロビンの口車に乗せられるように「はぁ」と頷き、「風も強いことですし良ければ中へ」と扉をいっぱいまで開いてその向こうへと促した。その促しに甘えるべきかロビンは少しだけ考える。この女性にはある一つの事実を確認してもらい、それを踏まえた上での質問に一つだけ答えてくれれば十分だった。視線を女性から奥にある者へと再び移す。外の明るさに対して中のほうが薄暗く、その上おそらく彼(か)の者も黒っぽい姿をしているせいでハッキリと目に捉え切れない。しかし確かに何かが自分に向けて凝っと視線を注いでいた。それがどうしても気になったせいだろう。それに言葉に甘えて鷹揚に構えたほうが相手の口も滑らかになるかもしれない。
「では、失礼致します」
*
今回の事件において、ジルベルト・ヴァントゥイユという女性の元へ訪ねる必要性は実はさほど大きなものではなかった。ジルベルトの元へまず訪ねるとイレーヌに宣言した際案の定彼女は怒りを顕にした。ロビン自身もわざわざこの女を訪ねずとも推理は完成できるということは分かっていた。実際に昨夜まではロビンはジルベルトに話を伺いに行こうとは露程にも頭に置いていなかった。しかしテレーゼが攫われてしまい、慌てて帰ってきたことによって時間に余裕が生まれた。
もちろんイレーヌが主張するように一刻も早くテレーゼ、ひいてはレオノーラ女王を救い出さねばならないということは十分すぎるほどに理解しているつもりだ。しかし今は手が出せなかった。アルジャーノンから受けた情報によると当然というか案の定というか、アルゴス侯爵の邸宅周辺はそれこそネズミ一匹出入りできぬというほどに露骨なまでに見張りが増やされている。今勇んで出向いた所で、たとえある程度のところまでは潜入できたとしても、王女たちを連れ出す段になってお縄になることなど火を見るよりも明らかだった。だから今侯爵たちの動向はアルジャーノンたちに任せることとし、ロビンは今やるべきことをやっておくのだった。ロビンの予想ではアルゴス侯爵は少なくともこの日が過ぎるまではテレーゼたちに手を掛けるということはしない。そしてアルゴス侯爵の立場となってものを考えると、今侯爵が憂慮していることはまだ足取りの掴めぬ探偵がどう行動してくるか、ということだろう。一歩足を滑らせれば途端に即自分の身の破滅を招くような此度の計画を大胆にもやってのけた侯爵のことだ。ロビンの考えでは恐らく「たかが探偵一人なんぞ」と相手を侮るような考えは起こさないだろう。だから今は手を出す時じゃない。
出発前にラフトに会っておいた。病院の獣用ベッドに寝かされていたラフトは未だ予断を許さない状況だった。胸を縦に引き裂いた爪痕。ガーゼと包帯とが何重にも巻かれ、それでも表面にはうっすらと白い布が朱を帯びていた。
――すまない……。
未だ目を覚まさぬ相棒を前にロビンは拳を握りしめた。自分に対する憤りだった。相手の出方を読み違えた自分の責任。師匠なら間違いなく同じような状況でより的確な判断が出来ただろう。
そのときロビンは久しく忘れていた感情に頭をもたげた。不安。それは単に事件を解決できないかもしれないという事務的な不安ではない。依頼に失敗することなどこれまでにもあった。毎度の依頼で依頼者側もこちらの心情的にも納得した形で案件を閉じる例などむしろ稀だ。ロビンの胸の内に生じているものはそういうことではなく、何か取り返しの付かない失態を犯してしまうのではという漠然とした不安。
気がつくと探偵はその行為をしていた。自分には決して縁のないと思っていた行為。ボロボロのムクホークを俯瞰しながら、彼は目を閉じた。
――師匠……、お守りください。
自分に探偵業を始めとする自身の全てを教えてくれた師の姿が霧がかった幻影のように浮かぶ。
――自分がもう決して、間違わぬよう……。
彼は祈った。
*
扉をくぐると同時に、自分の姿を凝っと見つめていた何かの姿がようやく明らかになった。それは一見、何か古いぬいぐるみのようだった。まるで小さな子供が黒い暗幕を被ったように手足部分の先がだらんとぶら下がり、口の輪郭はギザギザとしており端には小さな金具が付いている。二つの眼窩からはリンゴのように赤い目が覗き、しっぽには同じ色をした丸い飾りが揺れていた。
ジュペッタか、とロビンは胸裏に囁いた。客人が物珍しいのかその黒いぬいぐるみのような獣は家へ中へと入ってくるロビンから少しも目を逸らさない。ジルベルトという女はそんなジュペッタの様子に気づき、今一度ロビンの顔へと同じようにまじまじと見つめると、ぬいぐるみの方へとくるりと向き直り「こら、あんまりお客様の顔をジロジロ見るもんじゃないですよ」と軽く叱責を飛ばした。頭にコツンと小石が当たったようにジュペッタはぴくりと顔を竦めると、ふわふわと宙を漂っていた状態から床に降り、炊事場のある奥の方へと引っ込んでいった。
家の中の様子はごく簡潔に言ってしまえば質素の一言だった。扉をくぐってすぐすっきりとした空間の居間が広がっており、奥のほうでカウンターを隔てて炊事場と直結しており、隔てられた向こう側には食器棚が見えていた。カウンターの手前にはテーブルが置かれており、それぞれ二人ずつ人間が座れるように椅子が二対置かれていた。ロビンの居る玄関のある位置から反対側の壁には寝室へとつながっていると思われる扉があった。またテーブル脇の中央の壁には石レンガで造った暖炉が設置されており、その傍らには薪の入った編みかごが置かれている。
「ああ、ごめんなさい。すぐ片づけますわ」
そう言って女性はテーブルの上に置いてあるものを退ける。裁縫に興じていたらしく、色とりどりの布にハサミや針の姿がある。それらを窓際隅にある戸棚へと片付ける。その戸棚の横にはさらに糸車や、ペダルを足で動かす形式の簡易的な機織り機が鎮座していた。
ようやくロビンはジルベルトに促され、テーブルのカウンター側の席へと腰を下ろす。対する婦人は対面する形で反対側に腰掛けた。
「クインズさんとおっしゃいましたね?」
腰掛けるなりジルベルトは言った。ロビンは「はい」とだけ返事をする。
「何の御用でわたくしをお訪ねになったので?」
ロビンはジルベルトの雰囲気が初めて対面したときに比べて変わっていることに気づいた。家の戸が開けられて相まみえた時は見知らぬ人物の突然の訪問に戸惑っている様子だっただが、家に入ってしまうとまるで親しい人物と会ったかのように顔を綻ばせていた。確かにロビンが家の中に招かれるに甘んじたのは外で立ち話で済ませるよりも婦人の口も幾分緩くなるだろうという見越しもあってのことだったが、ここまで変わるものだろうかと内心首を傾げた。
「ご婦人はずっと王都で暮らしていらしたので?」
「ええ。生まれも育ちもこの街です。ただ、若い頃はしばらく別の町に移ることもありましたけど、結局巡り巡ってここに戻ってきましたね」
ロビンは両手をテーブルの上で組む。
「大変言いにくい質問をしても構いませんか?」
そのロビンの言葉に婦人の目尻がぴくりと動いた。それでも婦人は柔和なほほ笑みとそれによる深い皺を浮かべる。
「どうぞ」
「あなたは今から二十年と少し前、ダニエル・アルゴスという男性と交際したことがありますね」
「ええ」
まるで見た目は大きく重量のありそうな岩が意外にも難なく持ち上がるように、婦人はあっけなく認めた。これにはさすがのロビンも面食らう。たとえ拒絶されて家を追い出されても返された反応でおおよその検討は得られると思っていた所だったにもかかわらずだ。
しかしやはり婦人の方もこの問いに対する反応を見せていた。瞼が薄く閉じられ憧憬が見え隠れする。まるで自身の背徳的な過去をそういう時代もあったなとかえって懐かしんでいるかのようだった。
「随分あっさりとお認めになるんですな」
「隠したところで何になります?」
何を飾るわけでもない率直な言葉に、ロビンはついに吹き出してしまう。
「夫もその頃のことを知った上でわたくしなんかと結婚してくれましたからね」
婦人は見せびらかすように左手を上げた。その細い薬指にはシルバーのリングが収まっている。
「何か秘密を抱くなんてことはすべきじゃありませんよ。言いにくいことならなおのこと。子供たちにも、嘘と隠し事だけはするなと言い聞かせてます」
「そういえば、旦那さんとお子さんは? 家には居ないようですが」
「建国記念日のお祭りに少し前に遊びに行きましたわ。記念日で今日は仕事も学校も休みですからね。わたくしはなんだか人ごみに入るのが嫌でこうして留守番してますけど」
「じゃあ良かったのですかな。誰もいない留守の時に自分のような男を招き入れて?」
「それこそきちんとあったことを事実に忠実に話せばいいだけのこと。それにロロもいますし」
「ロロ?」
ロビンがそう問い返すのを待っていたかのように、炊事場から婦人から叱責されて引っ込んでいたジュペッタがのそのそと姿を現した。婦人はまるであらかじめ申し合わせていたようにジュペッタに軽くウィンクを飛ばした。
「この子ったら嘘や隠し事に敏感でしてね、何か後ろめたいことがあって嘘をついたら頭を叩いてくるんですよ。そんな手足してますから特に甚くはないんですけどね。でもこの子自身が事実を知らないようなことでも叩いてくるんですから、ロロが頭を叩いてこない=何もやましいことはないと家族も分かってますので」
婦人は「ねっ?」とぬいぐるみに笑いかける。褒められていると認識できたのか、ジュペッタは口元に手を当てて顔を縮こませるような仕草を見せた。ロビンはこのぬいぐるみが一体どういうふうにして頭を叩いてくるのか想像を巡らせた。あの垂れ下がった布の部分をぱしんと振り下ろしてくるのだろうか。
「ごめんなさいね。話がだいぶ逸れちゃったわね。それで、あなたはわたくしがあの方とかつて交際していたことだけが知りたかったの?」
ジルベルトは椅子の角度を元に戻し、ロビンに視線を注ぐ。碧を湛えた蒼い目が爛然と輝いて見えた。ロビンもらしくもなく相手の会話のペースに乗せられていたな、と咳払いをした。婦人の視線を返した。
「これもまた非常に辛い質問だと思いますが」
「構わないわ。おっしゃって」
「ダニエル氏とご交際なさった折、あなたは彼との間に一人の子を儲けましたね?」
そのとき初めて婦人が眉をひそめた。いや、婦人自身ダニエル氏のことが話題に登った時点でこの質問が来るということを頭の片隅で予想していたのだろう。しかしそれでもなお、いざ質問を受けたら表情に出さずには居られなかった。そういう風采だった。ジルベルトはそっと目を閉じ、頬に手を当てた。ロビンはテーブルに載せていた手を鷹揚と膝の上に戻し、様子をうかがうように質問を声にしようとする。
「その子供は――」
「死産でした」
横から挟むように婦人は朗々と答えた。そして閉じていた瞼をまるで幕を上げるようにゆっくりと開く。
「あのときわたくしは出産の痛みに耐えられなくて、産み落とすまさにその途中に気を失ってしまったんです。それで次に目を覚ましたら、側にはあの方がいてくれてわたくしの無事を喜んでくださいました。でも、わたくしが『赤ん坊は?』と尋ねると青ざめた顔をして首を横に振ったんです。その後健康が回復するとわたくしはあの方から身を引きました。元々ダニエル様には既にご正妻様が据わっておられましたし、元から許されない関係だったんです。でも奥様の間にはお子がおられませんでしたから、代わりにわたくしが子を産めば『もしかしたら』という思いもありましたが、坊やが生きることなく死んでしまってそれで諦めもついたんです」
婦人は捲し立てるように淀みなく言い切ると背もたれにもたれかかってため息を付いた。泳いでいる目には何が映っているのか。
「言いにくい話を、ありがとうございます」
ロビンは音を立てないように席を立った。そのとき婦人が腰掛けていたものの隣の椅子の陰に隠れていたジュペッタが再び視界に入る。ぬいぐるみはまたしてもリンゴのように赤い目を爛々と輝かせて逸らすことなくロビンに視線を注いでいる。
「話はこれでいいのかしら?」
「ええ、十分です。私もあまりゆっくりするわけにはいかないのでこのあたりで」
実際その通りだった。ジルベルト・ヴァントゥイユはかつて先代アルゴス当主であるダニエルと交際があった。そして両者の間に生まれた子供。その子供に何が起きたのか婦人の側からの認識を得ることが出来ればそれで十分だったのだ。
ロビンはおもむろに懐に手を入れた。
「これは少額ですが……」そのとき婦人が手で制止する。
「お礼のつもりならいりません。そのかわり……」
ジルベルトはちらりとロロに一瞥かけた。それにつられてロビンもジュペッタに向く。椅子の背もたれからちょっとだけ頭をのぞかせて、やはりジュペッタはロビンを凝っと凝っと穴が空くほどに見つめていた。ぬいぐるみのそんな様子を見て婦人は口元にほころばせる。そして自分の中で何か得心したように小さく笑った。
「あなたに一つだけ聞いておきたいことがあるの」
「なんでしょう?」
それから婦人は隣の椅子にしがみついているジュペッタを引き寄せて自分の膝の上に載せた。抵抗することもなくされるがままにジュペッタは己が主人の膝の上に収まる。
「あなた、何か隠し事をしてらっしゃる? しかも誰にも話せないようなとても大きな隠し事を」
腹の奥で何か熱くなるのを感じた。喉の奥も乾いてくる。まるで婦人が槍か何かを隠し持っていて、それを一気に引き出し一直線にロビンの胸を貫いたかのようだった。しかし彼は決して自分の中に走った衝撃を顔には出さない。
「どうしてそう思うので?」
婦人はいたずらっぽく笑い、膝の上に載っているジュペッタ頭を軽く撫でた。
「一つ前提として話すことがあります。わたくしがこの子に会ったのはあの方とお近づきになってる頃。元々獣と関わるのが好きなわたくしにプレゼントしていただいたのですの。その頃からさっき申し上げたように隠し事を暴くのが得意でね。わたくしもあの方もよく頭を叩かれてました」
当時のことを懐古するような色が婦人の目に浮かぶ。
「でもね、このロロは隠し事暴く時頭を叩く以外にももう一つ別の仕草を見せる時があるの」
婦人はそこで一呼吸おいた。ロビンは我知らずつばを飲み込む。
「それはね、相手の顔をじぃっと見つめることです」
ああ、とようやくロビンは合点がいった。
「ただこの仕草を見せる時は、相手が本当に深刻な事情を隠している時だけ。この子が実際どこまで相手の秘密を理解しているのかわたくしにもよく分かりません。確かなのはその人が自らを傷つけてしまうほど大きな、それで悲しい隠し事をしているとき、この子は何もせず何も言わずじぃっと相手を見つめるんです」
ロビンは今一度ジュペッタの二つの眼窩に収まっているリンゴのように赤い目を視界の中心に据える。何もせず何も言わずジュペッタはただただロビンに視線を注いでいた。
身を焼きつくされる。唐突にロビンはそんな一文を思い浮かべた。それはジュペッタのリンゴのように赤い目がまるで炎を放っているようにも見えたからかもしれない。婦人の態度が途中で変わった理由も何となく察しがついた。同時にロビンは婦人の内にある一種の怪物的なものを垣間見た気がした。
奇妙なめぐり合わせだ。ロビンはそんなことを思う。
「あの時もそうでしたわ……」
婦人はまるで一番調度良いタイミングを見計らっていたかのように切り出した。
「お産の途中で気を失って、目を覚ましてあの方から死産だって教えられた時。この子は傍らであの方を今あなたに見せたみたいに、じぃっと見つめていた。その時はその仕草の意味が分からなかったけれど、それからの人生で似たようなことが何度かあった時にロロが相手を見つめる仕草を見てなんとなく悟ったんです。あの方もあの時わたくしに何か大きなそれで辛い隠し事をしていた。それが何なのか、あの方が何をしたのかは今となっては知ろうとは考えてません。想像するしかありませんがきっとあの方も苦しまれたんでしょうね。だからわたくしが身を引く時、多額のお金を渡してくれたんでしょうね。……私は今幸せですよ。夫はこんな私に手を差し伸べてくださって、今度は死なせてしまうこと子供に二人も恵まれた。夫がいて、子供たちが居て、そしてロロも居てくれる。それだけで十分なんです」
そのときひときわ強い風が通りすぎていき、窓がカタカタと鳴いた。
ジルベルトの家を後にし、ロビンは辻馬車を拾うため元の道を来た時と逆向きに歩いていた。風が強く吹いていた。心なしでもなく、来た時よりも勢いが強くなっている気がする。家が遠ざかっていくのに比例してジルベルトの言葉やロロの目が強く脳裏に焼き付いていく。同時に明け方、駅でぶつけられたイレーヌの言葉も無理矢理反駁されるように湧き起こってくる。
「なるほど“おみとおし”ってわけだな」
ロビンは空にむかって呟く。こんなに風が強いというのに空は雲ひとつ無い。蒼海のごとく青く晴れ渡っていた。それなのに風が強い……。
「天啓ってやつか?」