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「ば、化物……!」
ロビンがランプを近づけて亡骸の残したメモに目を通そうとしたその時、その叫びは部屋の中をこだました。弾かれるように振り向くと同時にメモをポケットへと隠すとそこにはロビンと同様にランプを手に持ち、作業用のくたびれたつなぎ服を身にまとった男が後退りする格好で立っていた。男はハッとして目を白黒させながらロビンの姿をまじまじと上から下まで見ると、ほっと胸を撫で下ろした。
「なんだ、人間か。……お前何者だ? ここで何をしている」
男は自分の見間違いを認めると、一転し眼の前にいる不審な人間へ睨みつけた。中肉中背でゴワゴワとした髪の毛は黒いものと白いものとが半々に入り混じり、口元に蓄えている髭も同様だった。
ロビンは最初なんと説明したものかと考えを巡らせたが、こんな場所でどんな人間が居ると仮定しようと胡散臭さを拭うことはほぼ不可能だろうと結論付けため息を付いた。
「俺は王都から来た探偵でクインズという。ある方の依頼でここを調べてた」
「探偵だと……?」
探偵という日常では耳慣れぬ言葉に男は口調にますます訝しみを滲ませた。
「で、調べる内にこの隠し部屋を見つけ、この方を見つけたってわけさ」
そしてロビンは立ち位置を左へ一歩ずらす。すると男の目からはロビンの影になって見えていなかった骸の姿が顕になる。男は腹に拳でも受けたような鈍い叫びをあげると骸を見下ろしながらわなわなと手足を震わせた。それと同時に壁一面に書かれた骸の主の手による助けの叫びに気づき、ランプの光だけで薄暗い中でも分かるほどに顔を蒼白させた。
「その御方は……まさか……!」
男はふらふらとおぼつかない足取りで骸に近づき跪くと、死体のボロボロになった衣服を丹念に調べ始めた。そして一分ほど男はなるべく死体の顔を見ないようにしながら衣服を調べあげると「間違いない……」と呟き、続けた。
「朽ちているが確かに先代様の御衣だ……。するとこの方は……ダニエル様……?」
「ダニエル? アルゴス侯爵家の先代当主か?」
ロビンはまるでさもたった今男の言葉によって骸の正体を掴んだかのような口ぶりを演じる。男は震えながらもこくりと頷く。しかし次の瞬間にはぶるぶると痙攣するかのように顔を横にふる。
「いや、しかしダニエル様は確かに代々の墓に葬られたはず。私も埋葬に参列した……」
男はそれからも目の前にある骸と自分の中にある記憶とを照らし合わせようとするが、そこに驚愕と興奮とが綯い交ぜになるものだから口から出てくる言葉は焦点の合わないレンズのように意味を成さない。ロビンはとりあえずこの人物を落ち着かせようと、ひとまず男と館の外に出ることとした。
長い間閉ざされた暗い建物を後にして外の空気を吸った男はようやく呼吸を整えた。二人は建物脇にある勝手口にしつらえてある石段に腰掛ける。最初にあった時に見せていたロビンに対する警戒心はすっかり萎え切ってしまい、彼の頭はぼんやりとしているようだった。
「落ち着いたか。とりあえずあんたは何者なんだ?」
心ここにあらずといった調子でロビンの言葉の意味に特に気にもとめず、男は質問に答えた。たっぷりに蓄えた髭の下から口がモゴモゴと動く。
「私はアンソニーと申します。今はこの街で子らと農業をやっておりますが、公爵様が王都に移られる前はここで庭師をしておりました」
「侯爵家に仕えてたんだな」
ロビンの言葉にアンソニーは当時を懐かしむように瞼を閉じる。
「はい。先代のダニエル様は私の造る庭をそれはそれは甚く気に入っていただきまして。公爵様が王都にお移りになるまでずっとお仕えしておりました」
アンソニーはぼんやりと周りに広がる光景を目に映す。当時の面影は露程にも残っていない荒れ放題に伸びた雑草の群れ。この男が庭師を務めていた頃にはどんな光景が広がっていたのだろう。
「今日ここに来たのは他の村人から屋敷に怪しい人間がうろついているという話を聞いたからだ。裏の方に回ろうと思ったら柵が破られている。そして中に入ってあんたに会ったというわけだ」
「言っておくが柵を破ったのは俺じゃないぞ」
「それは分かっとるつもりだ。この屋敷から北に広がる森には獣がたくさん住む。屋敷に仕えていた時分から時々柵を破って中を荒らされることもしばしばあったからな」
なるほど、とロビンは呟く。
「ところで、ダニエル氏はあんたが言うには確かに墓地に葬られたんだな?」
ロビンの言葉にアンソニーの脳裏に再び地下で見た死体が映り、おののくように身を震わせた。
「間違いない。ダニエル様の葬儀は多くの方が参列しましたし、私もお仕えしていた者の一人として棺に花を手向けました。その時目にしたご遺体は確かにあの方の者だった。何十年とお仕えしたんです。間違えるはずがない」
アンソニーは言葉尻を強調させた。それだけこの男はアルゴス侯爵家先代当主、ダニエルに対して多大な恩を感じているのだった。しかし、同時に彼は地下で目にした死体が頭から離れない。
「でも……あの地下の死者が着ていた服は……」
「その服だけで確かにダニエル氏と分かるものなのか?」
「ええ。あの御衣はあの方の特注のものでこの世に二つと同じものは存在しない代物です。そして埋葬される際もダニエル様はあのご衣服を着ておいでだった……」
それだけにアンソニーは自分の記憶があやふやになってしまう。己の主人もその主人のお気に入りだった服も共に墓の下で眠っているはずなのに、それが今地下にある。男は気が狂ったように頭をかかえる。
ロビンはそんな彼をよそに別の考えにふけっていた。出来ればポケットに忍ばせた死者が持っていたメモに目を通したいが、アンソニーを前にしている今はなんとなく憚られた。
「現当主のセルゲイはどう思ってるんだ」
その名を耳にした時、アンソニーの目がカッと見開かれた。そしてはじかれるように顔をロビンへと向ける。
「侯爵家に多大な恩を受けておきながらあんたはさっきから現当主の名を口にしない。いや、意図的に口にしないようにしているように思えるな。現当主を指すだろう言葉も“公爵様”と濁すだけで直接名前を出していない。葬儀の話でも喪主は奴が務めたんだろうから話にくらい出てもいいものだが」
ロビンの言葉が進むうちにも、見る見るとアンソニーの顔には怒りの感情がふつふつと沸き起こっていた。眉間は最初にロビンに相まみえた時の敵意以上にぐにゃりと歪み、口元は今にも怒鳴り声が飛び出さんとぴくぴくと痙攣していた。
「セルゲイ!」
男がようやく絞り出した声は怒りそのものが飛び出したかのようだった。
「あの穢らわしい子め! 奴が、……奴がこの屋敷に来てからだ。ダニエル様がお変わりになられたのは!」
アンソニーはさらにセルゲイに対する恨言、罵詈雑言を次から次へと口にする。元からこのアンソニーという男は感情の起伏が激しい印象をロビンは覚えていたが、それにしてもこの怒りようは異常に思えた。
ロビンはどうにかアンソニーをなだめると事情を問う。
「ダニエル様と大奥様の間にはお子がおられなかった。そして大奥様がお亡くなりになった頃からアルゴス侯爵家はお世継ぎの問題が顕在化し、屋敷にはたびたび親戚たちが詰めかけて夜毎遅くまで議論されておいでだった。そんなときダニエル様がどこからかひょっこりとお連れになったのがセルゲイ……。ダニエル様は奴を十何年も前にこっそりと契りを交わした女との間に生まれた子だと説明なさり、やがてこの子供を正式な跡継ぎにすると宣言なさった」
アンソニーの口ぶりや表情には言葉ではそう言うものの、実際は信じていない訝しみの皺がありありと浮かんでいた。
「親戚たちとの間に起きた騒動についてはもはや言うに及ばずなので省くが……。セルゲイが来てからだ、ダニエル様がお変わりになられたのは」
「変わったというと……、例えば何年も仕えていた召使いに突然暇を出したりとかか?」
ロビンの言葉は確実にアンソニーの言おうとしていることを先回りした。言われた彼は意表を突かれたようにロビンに視線を注ぎ、その目は白黒と明滅しているようだった。
「そ、その通りだ。探偵さんの言うとおりだよ。ダニエル様は何かと理由を付けては長年この家に奉仕した使用人たちに次々と解雇していった。その解雇された者たちの後釜にはどこから連れてきたかも分からない出の怪しい奴らばかり登用なさった」
「なるほど。するとアンソニー、お前も長年庭師として勤めてたようだが、侯爵家が引越しするまではクビにならなかったんだな」
軽々しく名前で呼ばれたことが気に触ったのか、あるいはクビにされなかったというのが最初から気にされてなかったという意味に取ったのか、彼はムッとしたように眉間をしかめた。しかしいちいち突っかかることもせず、アンソニーは少しばかり早口になりながらも語る。
「何も全員が解雇されたわけじゃない。私のような庭師やあるいは仕え始めて日の浅い者は残されたよ。尤も、残った人間もその後に入ってきた奴らと一緒に仕事するのを嫌がってやめた例もあるがね」
「なるほど」
同じだ、ロビンは思った。今王宮にいる女王の偽者もテレーゼが言うには同じように信頼していた側近や召使いに次々と暇を出したとのことだ。
するとロビンには一つ疑問が浮かぶ。もし地下の死体がダニエルのものだとすると、そこに彼が閉じ込められていた意味は……。そこでロビンはポケットに隠した例のメモをアンソニーに気付かれないように取り出し、彼の目を盗みつつちらちらとそこに書かれた文章を斬りこむように目を通した。悟られないようにするためロビンはアンソニーに新たな話題をふる。
「セルゲイ氏はどんな人間に見えたか?」
アンソニーは気に入らない相手を前にするようにふんと鼻を鳴らした。
「気味の悪い奴だったよ。表向きは優しげにニコニコしてたが、その実ありゃ碌な事考えてねえ目だ。跡継ぎ問題で奴を蹴落としてやろうと親族が大勢屋敷に詰めかけたが、何があったかは知らんが最終的には親族たちの方がすごすごと逃げ出す始末だ」
その後も彼はセルゲイに関して思うところをあーだこーだと続ける。様々な言葉が並べられるが結局集約するところでは「気味が悪い」というその一つだけだった。折しもアンソニーと会話しつつもちらちらとメモに目を通していたロビンは果たして自分の抱いていた疑問が解決されるであろう箇所を発見した。探偵は口元ににやりと笑みを浮かべる。
そして彼は適当な所で話題を切り上げ、立ち上がった。
「色々教えてもらって礼を言う」
そしてはじめこの敷地に入る折に通った柵の穴の方へと向かおうとしたロビンをアンソニーが呼び止める。
「地下にあったあの死体……いや、ご遺体は……」
「ほぼ断定できるが、やはりダニエル氏だろうな」
「やはりか……。なんとおいたわしい……」
初老の男はその場でうなだれる。その様子を横目に映していたロビンはくるりと彼の方を振り向く。
「いいことを教えてやる。お前はダニエル氏が『変わった』と言ったがそれは違う。正しくは『替えられた』んだ。それとだ、一つ頼みがあるんだが……。あと二日か三日もすれば王都の方で大きなニュースが流れる。そこにはセルゲイ・アルゴスの名が確実に挙がるだろう。それまで地下の死体はそのままにしておいてくれ。そのニュースが流れた以降はダニエル氏の墓を掘り返すなり、埋葬し直すなり好きにしてくれ」
*
王宮では明日の夜から始まる一連の建国記念行事の準備がいよいよ最終段階へと入っていた。宮殿は至る所には虹をイメージした色とりどりのリボンが飾り付けられ、シャンデリアの蝋燭は端の一本に至るまで新しい物に取り替えられる。大理石の床や壁は鏡のごとくピカピカに磨き上げられ、正門から式典の間へ続く回廊には賓客を招く赤い絨毯が敷かれる。またその回廊の壁には歴代のジオノ国王の肖像画が、初代始祖王イェーガー・ダン・ジオノに始まり第五十三代目であり先王のアルベルト・クォート・シェルストレームに至るまで漏らすこと無く掲げられた。宝物庫からは重要な式典で用いられる王の装身具が持ち出される。代々の王の頭上を飾る王冠、王位の正当性を示す宝杖、聖者が纏うとされる法衣。
それらの準備でにわかに王宮の中が忙しくなる中でその煩わしさに紛れて一台の馬車が王宮の裏口に停まった。すると裏口の扉が開き、中から人目を忍ぶように一人の女性が出てくる。女性は自らの持つ権限で予め人払いをしていたため、誰に見られることもなく難なく馬車へと乗り込んだ。
中に入ると前後ろの列に合せて三人の男が女を待っていた。女の座った隣に位置する男が毒々しく笑いかける。
「ご苦労様です」
セルゲイ・アルゴス侯爵はレオノーラ女王の姿をしたその人物へと労いの言葉をかけた。
そして彼は同じような笑みを浮かべる女王にさらに語りかける。
「浮薄なことに“家出”をしていたテレーゼ王女殿下の行方が分かりました」
そして侯爵が馭者へ軽く合図を送ると、ポニータの引く馬車は軽快な音をたてて動き始めた。
「状況は追々詳しく説明しますが、王女のいる宿の周囲には例の探偵のものと思われるムクホークが目を光らせている。あなたの力が必要です」
女王の姿をした人物はため息をつく。そして建国記念行事を明日からに控え、浮き足立った様子の街並みの眺めながら呟いた。
「悪い子……」
次の瞬間、女王の姿が溶けた。その表現は決して正しくない。しかし何も知らない人間が目にすればそのようにしか見えないだろう。すると溶けたその姿は一瞬だけ何かの獣の姿を形取ったと思うと、さらに次の刹那にはまた別の人間の姿へと変化しつつあった。