第百四十二話「鋼鉄のシンカ」
横合いから突き刺さる。白い体毛が一瞬にして赤く染まった。
カゲツがようやくそれを認める。
先ほど倒したはずのシュバルゴがメガアブソルへと槍を突き刺していた。
「何、で……」
「ぼくはやられたらボールに戻すが、やられていないポケモンをボールに戻すような人間じゃない」
シュバルゴは目に見えて瀕死だった。だが致命傷ではなかったのだ。現に鎧は完全に砕かれたわけではない。薄皮程度に破壊されたのだ。
「特性シェルアーマー。自分への攻撃は、急所に当たらない。ボスゴドラの衝撃波と思念と闇の刃も、シュバルゴの肉体に直接ダメージを与えたわけではなかった」
死んだフリをしていたシュバルゴは確実に、メガアブソルの注意が削がれている間に肉迫していたのだ。メガアブソルに突き刺さった槍がひねり込まれる。カゲツが膝をついた。
「そうだよ。王の前には傅くのが一番だ」
「……ざけんな。てめぇなんて、王じゃ……」
「とどめ針」
メガアブソルへと放たれた技は短いながらもその命を奪ったのは明白であった。「とどめばり」。その名の通り、相手の息の根を止めるためだけの攻撃である。そのダメージフィードバックはカゲツへと襲いかかった。唇の端から血を流し、カゲツが倒れ伏す。
リョウは呆気に取られていた。サキもだ。先ほどの色違いエンペルトとの戦いで疲弊していた彼女も目を見開いた。
だが、この場で一番に驚愕していたのはオサムである。ボスゴドラへの指示も忘れ、彼は駆け出していた。カゲツを抱え、必死に叫ぶ。
「カゲツさん! しっかりしてください! 僕にとっては、あなたは師なんだ。こんなところで死なれるわけには……」
オサムの言葉をカゲツが手を上げて制する。まだ大丈夫だ、というように笑みを刻んだ。
「馬鹿野郎。まだ、死んでねぇよ」
オサムは涙声になってカゲツの手を握り締める。
「しっかりしてください。まだ、メガシンカさえ解けば、命は――」
首から提げたキーストーンを引っぺがそうとする。それをカゲツは押し止めた。
「何で……」
「もう手遅れだ。オレの身体にダメージフィードバックが訪れる。それを、相棒のアブソルだけに任せられっかよ……。オレも一緒に痛みを背負う。それが、トレーナーだろうが」
「でも……でも! カゲツさんは!」
「充分だ。もう充分に戦った。メガアブソル、ボールに戻れ」
メガアブソルがボールに戻る。これでアブソルは助かるかもしれない。しかし直前にダメージを移転されたカゲツの肉体は……。
「カゲツさん……。僕はまだ、四天王を制していない」
「てめぇは制したさ。きっちりゲンジの爺さんも倒したじゃねぇか」
「メガシンカなしの! あなた達じゃ!」
カゲツはもう言い返す気力もないのか、「……んっとーに、馬鹿だな」と呟く。
「オレ達の認めたトレーナーだ。もっと胸を張りやがれ。ああ、それと。ゲンジの爺さんに言っておきたいことがあったんだ」
「そうですよ。それを、カゲツさんの口から言ってあげてください。それが一番の」
「……いや、何でもないや。おかしいな。気の利いた台詞ってこういう時、出てくんねぇのか」
カゲツが乾いた笑い声を上げる。オサムは項垂れて叫んだ。
「カゲツさんは! 僕にとって!」
「言うな。もう……。じゃあな、ゲンジの爺さん。先に行くぜ」
カゲツが目を閉じる。オサムは声を殺してすすり泣いた。リョウも、目の前での壮絶な死に思考がついていかなかった。ただ半年間、自分達と鎬を削った相手が死んだ、という事実が胸の中にぽっかりと穴を開けていた。
「……茶番は、その程度でいいかい?」
初代が歩み出てシュバルゴに命じる。
「シュバルゴ、あのDシリーズを殺せ」
シュバルゴが駆け抜け、槍を突き出そうとする。その槍がオサムの頭蓋を割ろうとした。リョウも反応しようとするが間に合わない。
誰もが新たな死を覚悟した。
しかし、槍の先端はオサムの頭部を貫く前に、オサム自身の手によって止められていた。
絶句する。
あり得ない。
ポケモンの技を人間が止めるなど。
だが、オサムはただ人間の力だけで止めているわけではなかった。その手にキーストーンを埋め込んだネックレスがある。カゲツのものだろう。そこから光が漏れ出ているのだ。今はオサムを守っている保護膜が空気を逆巻かせた。
ボスゴドラが跳躍し、シュバルゴを捉える。シュバルゴの身体が弾き飛ばされ、ボスゴドラが初代を睨んだ。
「ボスゴドラ……。僕は、許さない」
面を上げる。キッと睨み据えた双眸には最早迷いなどなかった。
「初代ツワブキ・ダイゴ。お前を殺す事に、いささかの躊躇いもない!」
その声が弾けた瞬間、オサムを守っていたエネルギーの膜がボスゴドラへと纏いつく。ボスゴドラは全身に血脈のようにエネルギーを滾らせ、次の瞬間、咆哮と共に弾き飛ばした。
まさか、とリョウも口にしていた。初代も計算外だったのだろう。サキが呟く。
「……メガシンカ、した」
黒かった体表部分はほとんど落ち窪み、銀色の鋼の装甲がそのまま肉体となっていた。流線型を取った鋼の身体。両腕がさらに長く発達し、前傾姿勢となっている。頭頂部には一対の角に挟み込まれるように一本の角がそびえ立つ。全身これ武器、とでも言うような威容に初代が呻く。
「メガシンカ、だと……」
「メガシンカ、メガボスゴドラ」
初代でさえも知らなかったのか。メガボスゴドラは誕生の鼓動と共に吼えた。空気が震え、初代を圧倒する。
「メガシンカしたところで、出来損ないのDシリーズが」
初代は右手を広げてボールを射出する。放たれたのは茶色い肉体に銀色の爪を持つポケモンであった。赤いまだら模様が浮かび上がっており、ひさしのような角がある。
「シュバルゴ! ドリュウズ! ドリルライナーだ!」
シュバルゴが槍を突き出し、ドリュウズと呼ばれたポケモンが爪を合わせドリルそのものの形状になってメガボスゴドラへと突進してくる。その攻撃にメガボスゴドラは回避さえもしなかった。ドリュウズのドリルが突き刺さる。遅れてシュバルゴのドリルがメガボスゴドラの表皮を削り取った。
「鋼タイプのはずだ、効果は抜群!」
初代の哄笑にメガボスゴドラは面を伏せていたがオサムが声にする。
「――その程度か」
その声に初代が驚愕を露にした。メガボスゴドラの爪がシュバルゴを押し潰し、ドリュウズのドリルをそのまま掴む。あろう事か堅牢な爪を押し広げて頭部の角で突き上げた。
「諸刃の頭突き」
メガボスゴドラの攻撃が突き刺さり、ドリュウズが弾き飛ばされる。初代は言葉を失っていた。
「何故だ……。効果は……」
「そう、お前は四倍弱点を狙ったのだろうが、メガボスゴドラのタイプは、鋼単一だ。それに特性もある」
「特性……」
「特性、フィルター。弱点効果は減衰される。メガボスゴドラの体力の、十分の一も削っていない!」
メガボスゴドラが全身に空いた穴から蒸気を噴出する。そのまま信じられない動きで跳躍し、ドリュウズへと腕を突き出した。仰向けになっていたドリュウズがまともに攻撃を受け止めて腹部を突き破られる。血が迸った。
「ヘビーボンバー。この体躯からの威力は推し量るべきだろう」
今のメガボスゴドラは鋼の要塞だ。初代は慌てて右手からモンスターボールを矢継ぎ早に出す。
「行け、ハッサム!」
飛び出した赤い痩躯が翅を振るわせて一挙にメガボスゴドラへと肉迫する。しかし、その攻撃はあまりにも軽い。
「初代ツワブキ・ダイゴ。嘗めているのなら教えてやる。今の僕は、お前より、強い」
メガボスゴドラが吼えてハッサムを突き飛ばす。初代は焦燥に駆られてボックスを操ろうとするがそれよりもメガボスゴドラの突進を止める術がなかった。
「ぼくが、負けるだって?」
初代が歯噛みする。オサムは雄叫びを上げた。
「これが、僕の! いいや、カゲツさんと僕の、受け継いだ真の力だ!」
メガボスゴドラが腕を突き出す。初代は顔面が要塞のようになっているポケモンを繰り出して一時的に防御するがすぐさまメガボスゴドラが弾き飛ばしてしまう。最早、鋼の要塞を止めるのには生半可なポケモンでは不可能だった。
「トリデプス……。くそっ、なら」
「もう選択させる隙を与えない」
メガボスゴドラが腕を振るい上げる。初代を押し潰す。これで勝利だ。
「初代ツワブキ・ダイゴ! 僕らの、勝ち――」
「だ、って言いたいのは分かるがな」
差し込んできた声にオサムが反応する前に飛び散ってきた何かが自分の姿勢を崩す。どうして自分が倒れそうになっているのか。ようやく理解出来たのは背後から攻撃された事と、左足を根元から切断された事だった。
「何が……」
「起こったかって? そりゃ分からないだろうな。分からないほうがいい」
視界に入るのは赤い帽子を被った男の姿に、その隣に侍る薄緑色の怪獣型ポケモンだった。放たれた技は「ストーンエッジ」。岩の刃が的確に自分の左足を切り裂いていた。
前のめりに倒れる。その瞬間、メガボスゴドラに隙が生まれた。
「行け、エアームド」
繰り出されたのは銀色の翼を持つしなやかな鋼ポケモンであった。初代はそれの足に掴まり、メガボスゴドラの射程から逃れる。遅れてメガボスゴドラが先ほどまで初代のいた空間を引き裂いたが、初代は既に離脱していた。
「いや、危なかったよ。ギリー。いいところに来てくれる」
ギリーと呼ばれた男は帽子を傾けて、「いやに追い詰められているじゃないですか」と声にした。
「せっかくもらったポケモンを使うチャンスだと思いましてね。バンギラス。なるほど、岩使いのオレには馴染む」
バンギラスがたちまち砂のフィールドを形成する。砂嵐が巻き起こり、初代とギリーを守った。
「砂起こしの特性……。だが、メガボスゴドラなら、届く!」
オサムは倒れ伏したままメガボスゴドラに命じようとする。しかしメガボスゴドラの身体からは紫色の粒子が棚引いていた。何かがおかしい。そう感じた時にはギリーが口にしていた。
「お前よぉ、メガシンカが使えるのもそうだが、自分のあまりにもポケモンを扱える能力の高さに疑問はなかったのか? 全ては初代の左足の補助があったから。だから、持っているもの以上の力が出せた。だが左足のないDシリーズなんざ、赤子の手をひねるようなもんよ」
ギリーの言葉にオサムは歯噛みする。メガボスゴドラを呼ぶが反応は鈍い。
「……お願いだ、メガボスゴドラ。たった一度でいい。僕に立ち向かうだけの力を……」
「怪獣型ポケモン同士、戦うってのはいいかもな」
ギリーはすっと手を掲げる。手首に巻かれていたバングルには虹色の石があしらわれていた。
「まさか……」
息を呑む。ギリーは目の前でやってのけた。
「メガシンカだ」
紫色の光が拡張し、十字を描いたかと思うとエネルギーの甲殻を引き裂き、そのポケモンが姿を現す。
バンギラスであった頃よりも棚引くように身体が伸びており、落ち窪んだ穴から赤い光が見え隠れした。より怪獣の見た目を強くしたポケモンが吼える。
「――メガバンギラス」
まさか相手もメガシンカが可能だとは思わなかった。メガバンギラスはメガボスゴドラを見据える。砂の空間が逆巻いた。先ほどまでより強力になった砂嵐がトレーナーであるギリーを守る。
「攻撃、けたぐり」
一挙に近づいたメガバンギラスが下段からメガボスゴドラを突き上げる。そのまま押し込んだ。メガボスゴドラに生じた隙をつき、メガバンギラスは両腕に岩の刃を形成する。
「ストーンエッジ」
連撃に、メガボスゴドラが怯む。徐々にエネルギーが失せ、その姿も元のボスゴドラへと戻りかけていた。
「頼む、メガボスゴドラ。一撃でいい。初代を、初代ツワブキ・ダイゴを、倒してくれ」
メガバンギラスの爪が肩口に入る。ギリーが口角を緩めた。
「もうほとんどボスゴドラだ。メガシンカは解けている。悪い事は言わない。このままメガシンカを完全に解いたほうがいいぜ。過ぎた力だ」
「僕は、それでも僕は!」
ボスゴドラの体表に光が奔る。ギリーでさえもその反応に驚愕した。集約した光は右腕に充填され、その一閃が放たれる。
「ラスター、カノン!」
鋼の特殊攻撃「ラスターカノン」が弾け飛び、その光条が初代へと襲いかかる。
「初代!」
メガバンギラスが反応しようとするが既に遅い。攻撃が初代に届いたかに思われた。
だが、「ラスターカノン」は僅かに逸れたらしい。初代の頬を掠めただけで直撃はしなかった。
「よかった……」
ギリーが声にする。しかし初代は口も開かなかった。
「初代?」
オサムは初代を視野に入れて口にする。
「怖いんだろう? 僕と、ボスゴドラが」
オサムの声にギリーの操るメガバンギラスがボスゴドラを拘束する。もう立ち向かう手段はない。だが、これで、とオサムは感じていた。一矢報いた、と。