第百三十九話「空白の王」
サキの通信を受けてイッシンは面を上げる。
視線の先には機密ブロックとディアルガが封印されている。もちろん初代の心臓も、だ。初代は心臓を得れば最早完璧となってしまう。それだけは阻止しなければならなかった。
「わたしが真正面から戦っても初代には敵うまい。右腕の接合が成されたのならば余計だ。わたしは、どう罵られようとも、初代だけは蘇らせてはならなかった。その責任を取る。息子達が愚かしくも初代再生を願い、娘は初代の血筋を残そうとした。我が一族の恥は、長であるわたしが拭い去る」
手には機密ブロックをいつでも爆砕出来るボタンがあった。このままデボンの地下へと永久に葬り去るほかない。
「わたしは、初代を、父を殺さなければならない。皮肉なものだな。二十三年間、父を殺した存在を追っていたわたしが、最後の最後に父親を殺すはめになるとは」
ボタンを押そうとした、その瞬間であった。
「――そうか。そこまでして、お前はぼくを封じたいんだね、イッシン」
その声に振り返った刹那、発生した攻撃の爪にイッシンは咄嗟のモンスターボールを投げる。
「ギギギアル!」
ギギギアルが出現して盾となった。爪が弾かれて相手の姿が露になる。
「赤い、ゲノセクト……」
通常の色ではない、色違いの赤いゲノセクトがその場に佇んでいる。だがコープスコーズのデータにはこのような色のゲノセクトはいないはずだ。
「どうなって……」
呟いている間にも色違いゲノセクトが攻撃してくる。細い脚を振るい上げ、ギギギアルに炎の回し蹴りを叩き込んだ。
「ブレイズキックだと?」
ギギギアルが炎の前に怯む。直後、ゲノセクトが掻き消えた。ハッとして振り返ったイッシンの脇腹へとゲノセクトの爪が食い込む。イッシンは痛みに歯噛みした。
「神速……。普通のゲノセクトではない……、オリジナルゲノセクトか……」
コープスコーズに配布されたのは初代のボックスにいたゲノセクトを基にして大量生産したものだ。この色違いゲノセクトは初代のものに違いなかった。
「誰が扱っているんだ? いくら初代のものとはいえ、自律稼動なんて出来るはずが……」
「ぼくを見くびってもらっては困る」
歩み出てきたのはコープスコーズの一員であった。ゴーグルを外し、彼は髪をかき上げる。その眼差しは量産化された死体兵団のそれではない。意思を宿していた。
「……どういう事だ。コープスコーズは人格データのない量産型Dシリーズのはず」
「そうだよ。だからぼくが入るのにも事欠かなかった」
その口調にイッシンはある推論が脳裏に浮かんだ。
「まさか……! 初代自身だというのか? そのためにコープスコーズに人格は存在しなかった」
コープスコーズ――死体兵団の真の意味とは、初代が入れる器の確保であった。初代はいざという時に自分のコピー人格の入れる肉体を量産していたのだ。
「ずっと、イッシン、お前を見張っていた。彼らの眼からね。お前が僕の無力化をはかっていたのは最初から分かっていたさ。そうでなければ、オリジナルの肉体に魂を降ろすなんて事はやらない。記憶と記録の齟齬には一番に気付いていたからね」
裏目に出た、という事か。イッシンはかっ血して初代の魂のコピーが入ったコープスコーズを睨みつける。
「そうまでして、デボンが欲しいのか?」
「デボン? いいや、小さいね、イッシン。我が子ながら。ぼくが欲しいのはこの世の全てだ。デボンは足がかりに過ぎない。言っただろう? 王はぼくだと」
これ以上の邪悪を野に放つわけにはいかない。イッシンは命じる。
「ギギギアル! ギアソーサー!」
放たれたギアがコープスコーズ本体へと襲いかかる。それを弾いたのは色違いのゲノセクトだ。
「こっちも特別なものを用意してある。神速持ちのゲノセクト。さて、教えてもらおうか、イッシン。この先に何がある?」
機密ブロックの先を、コープスコーズが見やる。イッシンは手にしたボタンを押そうとしたが、それを爪の一閃が阻んだ。手首から先を切り取られ、イッシンは激痛に呻く。
「自爆ボタンかい? と、いう事は、そうまでして守りたいものがある、という事だ。行かせてもらうよ」
そこでコープスコーズは立ち止まり、イッシンの身体を引っ掴む。
「どうせ、網膜認証くらいのセキュリティはあるんだろ? ぼくでもそうする」
この場で舌を噛み切って死ぬしか、初代を止める術はないのか。だが自分が死ねばそれこそ初代の目論見通りだ。イッシンは必死に引き伸ばす。
「……そうまでして、何であんたは力を求める? デボンだけでも相当な力だ。だって言うのに、何故?」
「何故? 決まっているだろう。王に相応しい人間は永久に生き続けなければならない。正直、レイカのプランもぼくは反対なんだ。ぼくの血筋を残す。素晴らしいが、ぼくはぼくの子や孫に託すよりも、ぼく自身が生きているのが一番手っ取り早いんだと思う。つまり、永久に死なない王の存在」
「まやかしだ」
イッシンは吐き捨てる。コープスコーズはその首根っこを押さえて、「そうかもね」と返した。
「永遠の命なんてまやかしかもしれない。でも、まやかしのために命をかけられるのが生きている人間だろう? ぼくは正直、ここまで頼んでいないよ? 死体兵団を揃えろとは言ったが、ここまで上質にやれとまでは言っていない。全て、お前達後年の人々がお膳立てしてくれたお陰だ。ぼくは永遠に生き続ける。それが可能になってしまった」
「わたしは正しいとは思わない」
眉間に力を込める。コープスコーズは、「正しい、正しくないじゃない」と答えた。
「ぼくが気に入るか、気に入らないか、それだけだ。さぁイッシン。この機密ブロックを開けろ」
機密ブロックに背中を打ちつけられる。それでも動かないイッシンをコープスコーズが蹴りつけた。
「あのね、イッシン。ぼくがやれと言ったらやるんだ。そうでないのならばいい選択とは言えないな」
「いい選択、か……」
イッシンはコープスコーズを見据える。その眼光が衰えていない事に気付いたのか、うろたえた声を出した。
「な、何だ? そんな眼で見たって」
「わたしは、後悔しない生き方を送ってきたつもりだった。それを息子達にも分からせてやりたかった。後悔せずに生きるという事はどれだけ素晴らしいのか。だが、結果的にわたしは後悔だらけだ。あなたが死んだ二十三年前も、あなたを自らの手で復活させた半年前も、これでいいのか、という自問があった」
「やれと言っている! イッシン!」
荒らげた声にイッシンはフッと笑みを浮かべた。
「余裕がないじゃないか、父さん。あなたらしくもない。何かを焦っている」
「ぼくが、焦っているだって?」
「そうだろう。あなたはいつだって何かに取り憑かれたみたいに焦っていた。二十三年前も今もそうだ。究極的に自分に自信がないのか? あるいは何かを成す時に、後悔するのが怖いのかもしれない。このわたしと同じように」
「凡俗がこの王に……!」
「凡俗? 王? 笑わせる。わたし達ツワブキ家は王の家系でも、ましてや凡俗でもない。それ以下だ。血を守るだとか、威厳だとか、そんなつまらないものに縛られた三流以下の家系だよ」
ゲノセクトの爪が肩口へと食い込む。イッシンは呻いた。
「家の悪口は許さないぞ、イッシン」
「どうだかな。あなたは一代でデボンを盛り立てた。その自負があるのは分かる。だからって、あなたが全て支配していい事にはならない。世の中は、あなたを中心に回っているわけではない」
今度はゲノセクトの爪が膝に突き刺さった。イッシンは痛みに耐えて言い放つ。
「あなたが守りたいのは、あなた自身だけだ。自分だけなんだ。王である自分だけを守りたい。わたしは、出来が悪くとも、息子達を守りたかった。間違った道に行って欲しくなかったんだ」
「だから、お前が率先して間違いを正そうとしたと? イッシン、勘違いも甚だしいな。孫達は、ぼくを尊敬していた。だから、再生計画を主導してきたんだ」
「ここにはいない誰かを崇拝するのは勝手だ。だが、そこには何もない。空白だ。虚しいだけなんだ。わたしはギリギリそれに気付けた。だからわたしはこれからの生を、間違いを正すためだけに生きる事にした。恥でも何でもいい。間違っていなければ、恥じてもいいと」
「無様な生き方だ、イッシン。死体兵団にも劣る」
「だが、わたしは……」
イッシンが立ち上がる。必死に意識の糸を繋ぎ止め、ここでの戦いに全身全霊をかける事に決めた双眸を湛えさせる。
「わたしは、もう逃げない! 戦うと決めた、だから! ギギギアル!」
先ほど弾かれたギアが戻ってきてゲノセクトを突き飛ばす。たちまちギアが多数出現し、ゲノセクトを壁に縫い止めた。
「親が間違っているのならば、正すのが子の役目だ!」
ギアの一つが鋭く輝き、コープスコーズの頭を割る。仰向けに倒れたコープスコーズが声にした。
「……そのような、愚かな考えに……」
「愚かかどうかは、後の世が決める。あなたがいつまでも出しゃばっていていいものじゃない」
切り落とされた手首を拾うべく、イッシンが歩み出そうとする。その時、足音が響き渡った。
通路から数人のコープスコーズが現れる。手首を拾い上げ、「ぼくは一人じゃないからね」と声が発せられる。
イッシンは口元を緩めた。
「いいや、あなたは、ずっと独りだ」